34.仲直り
その晩、カミラはイークとも話をしてから寝ようと思ったのだけれど、ホッとしたら何だか戦の疲れがどっと押し寄せてきて、話は明日の見送りのときでいいや、と借り物の寝台に倒れ込んだ。
翌朝、目が覚めたときには既に日も高く、叩き起こしに来たウォルドに「イークは?」と寝ぼけたまま尋ねたら、「とっくに山を下りたよ、馬鹿」とすげなく返されてムカついた。
いや、ウォルドの言い草も確かにムカつくのだが、何よりムカついたのはイークだ。せめて発つ前に一言くらい声をかけてくれてもいいじゃない? と、カミラがゲヴラーたちの用意してくれた――と言うより、地方軍の陣営からぶん取ってきた――食糧を頬張りながらぷりぷりして言うと、出発の刻限になっても寝腐ってたお前が悪い、とウォルドに一刀両断された。ぐうの音も出なかった。
けれどもあとになってフィロメーナが、イークも昨日の今日でちょっと気まずかったみたいよ、とこっそり教えてくれた。
何でもイークは砦を発つ前、フィロメーナのところには姿を見せたらしい。
そこでカミラに謝っておいてほしい、と頼まれたそうなのだが、対するフィロメーナはにっこり笑って「自分で謝りなさい」と一蹴した。そういうことに関しては一切イークを甘やかさないのが彼女のいいところだ、とカミラは思っている。
結局イークはそのまますごすごと退散したそうだが、そんな話を聞いたら何だかカミラの方まで気まずくなってしまった。
こちらは昨夜のことなどもう気にしていないのに、イークの方はまだ気に病んでいるのだと思うと、やっぱり寝る前に話をしておくべきだった、と若干の後悔が胸をよぎる。
だけどどうしても睡魔に勝てなかったのよね……とひとりごちれば、まあ寝る子は育つって言うしな、とニヤついたウォルドに盛大な皮肉を言われ、腹が立ったので思いきり足を踏んでおいた。
それから三日。
フィロメーナの体調は順調に回復し、三日目の朝には負傷する前と何ら変わらない生活を送れるようになった。
他方、地方軍との戦いで疲労困憊していたゲヴラーたちもその頃には皆動けるようになっており、彼らもまた中央軍が攻めてくる前に砦を捨ててしばし市井に身を隠すという。
そんなわけでカミラたちはゲヴラー一味に別れを告げ、ボルゴ・ディ・バルカを目指して砦をあとにした。
ゲヴラーは救世軍に救われた恩は決して忘れないと言い、逆にカミラたちが助けを必要とするときには必ず馳せ参じると約束してくれた。
竜牙山からボルゴ・ディ・バルカまでは徒歩で二日。そこから船に乗って移動すればロカンダまでは十日の道のりだ。
幸い三人がボルゴ・ディ・バルカに到着すると、イークとギディオンから事情を聞いたスミッツが帰りの船を用意してくれていて、カミラたちは港が封鎖される前にトラジェディア地方を離れることができた。
スミッツが用意してくれていたのは馴染みの商人が所有しているという商船で、カミラたちはスミッツの古い友人を名乗って船に乗せてもらい、一路ロカンダを目指した。
それにしたところで、スミッツはまったく用意がいい。何しろカミラたちが乗り込んだのはタリア湖から東へ伸びるベネデット運河に入る船で、要するにロカンダへの直行便だ。
恐らくフィロメーナが戦場で負傷したと聞いて、可能な限り負担の少ない行程を、と配慮してくれたのだろう。
ロカンダは港町ではないので、通常ボルゴ・ディ・バルカからの客船は出ていない。ベネデット運河を航行できるのは物資を運ぶ輸送船か商船だけだ。
だからスミッツがちょうどロカンダへ荷を運ぶという商船を掴まえておいてくれたのはかなりラッキーだった。
南育ちのカミラにとって晩秋の湖上の寒さは脅威だったが、毛布を何重にもぐるぐる巻きにして耐えたおかげで、当初の予定より行程を四日短縮してロカンダへ帰り着くことができた。
「おかえりなさい、フィロメーナ様!」
かくして、金神の月最後の日。
救世軍が拠点としているロカンダの宿屋チッタ・エテルナへ帰投すると、真っ先に迎えてくれたのは亭主のカールだった。
この気のいい亭主は、無事に戻ったフィロメーナの姿を見るなりホッとした様子でカミラたちの帰還を喜んでくれる。どうも事の顛末は先に戻ったイークたちから聞いていたようで、話を聞いたときは肝が冷えました、と眉尻を下げた。
「ですがまずはご無事で何よりです。フィロメーナ様にもしものことがあったら、国中の男たちが流す涙で大陸が沈んでしまいますからね」
「大袈裟よ、カール。まったく、本当に調子がいいんだから」
「大袈裟なんかじゃないですよ! 現に私にとってフィロメーナ様は愛すべき人ですし! いや、世の女性はみんなアモーレだと思ってますけど!」
「既婚者が真顔で何言ってんだ」
「ウォルドさんには分からないでしょうけどね、我々トラモント男児にとって女性はみんな太陽なんです、太陽がなければ人は生きていけないんです! それにここ数日の男どもの意気消沈ぶりと言ったら! 特にイークさんなんか毎日三回は私に訊いてきますからね、〝フィロから何か連絡はあったか?〟って!」
「過保護にも程があるだろ……」
帳台の向こうで熱弁を振るうカールとは裏腹に、ウォルドはげんなりした様子でそう呟いた。その隣ではフィロメーナもちょっと頬を赤くして、瞑目しながら何か言いたいのを我慢しているように見える。カミラはどちらの気持ちも分かるだけに、何も言えず目を泳がせた。
「……それで、そのイークは今どこにいるのかしら?」
「え? イークさんですか? あの方ならさっきも同じことを訊きに来て、そのまま上階へお上がりになったようですけれど……なのでたぶん、ご自室にいらっしゃるんじゃないでしょうか。あ、ちなみにギディオン殿は地下にいらっしゃるはずですよ」
「そう、ありがとう。それじゃあカミラ、私たちは先にギディオンのところへ行っているから、あなたはイークを呼んできてくれる?」
「うん、分かった……って、え!? 私が!?」
一瞬フィロメーナの言葉をスルーしそうになり、しかしすぐに気づいたカミラは素っ頓狂な声を上げた。そんなカミラの反応を不思議に思ったのか、事情を知らないカールは目を丸くしている。
一方のフィロメーナはと言えば、美しい花の顔をにっこり綻ばせてカミラを見ていた。瞬間カミラは確信する。
――あ、ダメだこれ。逆らえないやつだ。
「まずは一刻も早く地下へ下りて、兵たちに私の無事を伝えないと。皆の間にこれ以上不安や恐れが広がるといけないでしょう?」
「ソ……ソウデスネ……」
「だから、カミラはまずイークをお願い。すぐに槍兵屋敷で事後処理の話し合いをするから、下りてきてちょうだいと伝えて」
「ワ……分カリマシタ……」
敬愛するフィロメーナにあんな眩しい笑顔で語りかけられたら断れない。カミラはそんな自分の性を呪いながら、結局彼女の頼みを聞いてしまった。
それを受けたフィロメーナは満足げに頷くと、「それじゃあよろしくね」と言い置いてさっさとアジトへ向かってしまう。取り残されたカミラはしかし、気まずさからしばしその場を動けずにいた。
……どんな顔してイークに会いに行けばいいんだろう。彼は北でのことをまだ気に病んでいるのだろうか?
もう半月も顔を見ていないから、何だか一対一で会うというのはばつが悪い。無事にロカンダへ戻ってきた報告と、フィロメーナからの伝言を伝えるだけなのに、必要以上にギクシャクしそうだ。
でもそういうのはカミラの柄じゃない。できれば何事もなかったように普通に振る舞いたい。だけどそもそも〝普通〟ってなんだっけ?
「カミラちゃん。行かないの?」
「えっ。あ、えっと、も、もちろん行きますけど……」
「もしかして、イークさんと何かあった?」
小首を傾げたカールにいきなりグサリと図星を衝かれ、カミラは思わず胸を押さえた。それからこの事情を彼にどう伝えたものか数瞬考え、しかし何だか改めて北でのことを話すのは決まりが悪く、またも視線を泳がせながら言う。
「い、いえ、何かあったというか……そのイークなんですけど、こっちに戻ってきてから何か言ってました? その、なんていうか、フィロのこと以外に……」
「いや、特に何も聞いてないけど? ここ数日のイークさんはフィロメーナ様のことで頭がいっぱいって感じだったしねぇ。まあ、敢えてそういう風に振る舞ってたのかもしれないけど」
と、最後に付け足された意味深な一言が、更にグサッとカミラに刺さった。
――それってつまり、イークはわざと私の話題を避けてたってことですか? それって気まずいこと確定じゃないですか? 逃亡していいですか?
カミラはいっそそうぶちまけて走り去ってしまいたかったが、それじゃ何も解決しないことは分かっていた。何せ自分はこれからまたここで、毎日イークと顔を突き合わせて生活することになるのだ。
だとすれば目の前に横たわる問題はさっさと解決してしまった方がいい。カミラはそう腹を決め――若干泣きそうだったけれども――意を決して腰の物入れへ手を入れた。
そうしてそこから赤い髪紐を取り出し、手早く髪を束ねてきゅっと結ぶ。噂に聞くところによると、世の中には勝負服とか勝負下着とかいうここぞというときに身につけるアイテムがあるらしいのだが、カミラにとってはこの髪紐がまさにそれだ。
正絹で糾われた赤い紐の両端には薄緑色の小さな丸い石がついていて、シンプルだがカミラの赤い髪によく似合う。丁寧に研磨されたその石は緑玉と呼ばれる石で、何でも世間では〝幸運の呼び石〟と言われているらしい。
それは一種の自己暗示のようなものかもしれないけれど、確かにこの髪紐をつけているときは何事も上手く運ぶような気がするのだった。
だからカミラはその〝幸運の呼び石〟に賭けた。髪を結い上げ、「よしっ」と一発気合いを入れると、何も知らないカールに「行ってきます」と決死の出撃に出るような挨拶をして、宿の階段を駆け上がる。
――とりあえず、決めた。まずは何事もなかったような体で行こう。
それでイークの出方を窺う。こちらがいつもどおりに接すれば、向こうも案外普通に接してくれるかもしれないし。
そんなことを考えながら三階にある彼の部屋の前に立つ。第一声は「ただいま」だ。できるだけ自然な感じを装って、イークに気まずさを感じさせないように。
頭の中で何度も「ただいま」を繰り返す。一番それっぽい「ただいま」を探しながら深呼吸。そうしてようやく腹を決め、左手で拳を作る。
そこからドアをノックするまで、しばらくかかった。
中途半端な感じに拳を上げたまま、あれ? こういうときのノックって何回? 二回? 三回? 四回? などと考えているうちにわけが分からなくなり、やがて〝ノックとは何ぞや〟みたいな哲学的思考に陥って、頭がぐるぐるし始める。
いや、落ち着け私、たかがノック、されどノック、この際回数なんて関係ない、関係ない……よね? とにかくまずはノックしないと、千幹の道もノックから、我ノックするゆえに我あり――なんて諺があったようななかったような、それはともかくまずはノックだ、ノック!
意味不明な思考の奔流を振り切って、カミラはついに強張る拳を振り上げた。
そうして半ば破れかぶれにその拳を振り下ろした直後、
「ガチャ」
と目の前のドアが音を立て、カミラの拳は空振りした。
気がつくとそのドアは開いていて、向こうに軽装をしたイークがいた。
「あ」
と、そのとき両者の声が揃い、それからしばし沈黙が流れる。
「た……た、ただいま」
ややあってカミラの方が、辛うじて愛想笑いっぽい何かを張りつけながらそう言った。
「あ、ああ……お前、帰ってたのか……」
それに対してイークの方も、あからさまに目を泳がせている。
そしてまたしばしの沈黙。
カミラは今度こそ顔を覆って逃げ出したかった。――完全に失敗した。
「お……お前がここにいるってことは、フィロも帰ってきたんだな?」
「う、うん……なんか、これから地下で話し合いをするって……」
「そうか……なら、俺もすぐに行く」
「は、はい……じゃ、えーと、私は先に行ってますので……」
〝行ってますので〟ってなんだ。なんで敬語なんだ。頭の中の冷静な自分が腹立ちまぎれに叫んでいるが、そんなことは私が知りたい。
とにもかくにも、もしかしたらこれまで生きてきた中で最も気まずいかもしれない、そんなベスト・オブ・気詰まりとでも呼ぶべき空気に耐えかねて、カミラはくるりと踵を返した。
こんな状態でイークと肩を並べて地下を目指すなんてまっぴら御免だし、叶うことなら今すぐフィロメーナのところまで走っていって全力で彼女に泣きつきたい。慰めてもらいたい。
が、そんな欲求に駆られて走り出そうとした刹那、
「――おい、カミラ」
と、突然背後から呼び止められて、カミラは「ぴっ」と言いそうになった。言わなかったけど。辛うじて。
「な……何か?」
そう聞き返しながら振り向けば、そこにはいつの間にか廊下まで出たイークが佇んでいる。カミラとの距離はおよそ五歩。右手に見えるドアはもう閉まっていて、どうやらイークもこのまま地下を目指す構えのようだ。
「いや、その……この間は、悪かった」
「この間、って?」
と、更に問い返したところではっとした。
一瞬頭が真っ白になって鸚鵡返しをしてしまったが、そんなことは改めて訊くまでもない。イークが〝この間〟と言ったら〝この間〟のことだ。
それをまたイークの口から言わせるのが忍びなく、カミラは慌てて向き直った。そうして彼を直視できないまま、陽光が斜めに差し込む窓の外を見やって言う。
「あ、いや、北でのことなら、その……私、もう気にしてないから。ていうか、イークは大丈夫?」
「……俺か?」
「う、うん。だって、ほら……ウォルドに、思いきり殴られてたし……」
「ああ」
と、イークが珍しく自嘲めいた声を上げるので、カミラはちらと彼の様子を盗み見た。さっきまで自分のことでいっぱいいっぱいで気づかなかったが、あの日ウォルドに殴られたイークの頬にはまだうっすらと痣の痕が残っている。
それを目にした途端、カミラの脳裏にはあの晩フィロメーナから聞いた言葉が甦った。
――イークは、ジャンカルロと自分を。
その話を思い出すや否や、カミラは何だかいたたまれなくなって、ぎゅうっと自分の外套を握り締める。
「あ、あの、私の方こそ、ごめん……なさい。私のせいで、フィロだけじゃなくてイークまであんな目に……」
「いや。あれは俺の自業自得だ」
「え?」
「認めるのは癪だが、全部あいつの言うとおりだったってことだよ。あのとき俺がお前を打ったのは正真正銘の八つ当たりだった。肝心なときにフィロの傍を離れて、フィロやお前をあんな目に遭わせた自分に腹が立ってたんだ。だがすぐにはそれを認められなくて、お前に当たり散らした。……だから、悪かった」
カミラは一瞬呆気に取られてしまった。
その次には何だかよく分からない困惑が込み上げてきて、更に困惑する。
え、だって、そんなに素直に謝られると調子が狂うって言うか……。
それに実際、あのときは自分にも過失があったわけだし?
だから、イークがそんなつらそうな顔しなくても――
「最初から分かってたことだけどな。今回改めて思い知ったよ。俺は一軍の副帥なんて器じゃない。何とかその肩書きに追いつこうと足掻いてはみたが、やっぱり駄目だった」
「イーク、」
「ここにいたのが俺じゃなくてエリクだったら、もう少し上手くやったんだろうな。あいつは俺と違って何事も考えづくで動くやつだったし、性格だって――」
瞬間、カミラは一歩踏み出した。
そうして軸足にぐっと力を込めて、
「――とうっ!」
と、いきなりイークの鳩尾に飛び蹴りした。カミラから視線を外していたイークは不意を衝かれて、まともにその一撃を喰らった。
何か言いかけていたイークはそのまま吹き飛び、背中から床に倒れ込む。
「ゴフッ」と彼が苦しげに咳き込むのが聞こえた。しかしカミラは達成感に満ち溢れた顔をして、左手の甲で額を拭う。
「ふう、ようやく願いを果たせたわ……最初にボルゴ・ディ・バルカを出たときから、ずっとこうしてやりたかったのよね」
「か、カミラ……お前、いきなり何を……!」
「だってイークがあんまり後ろ向きなことばっかり言うから。なんかムシャクシャしたの」
「だからって蹴るか普通……!?」
「股間を蹴られなかっただけマシだと思いなさい」
堂々と年頃の娘にあるまじき発言をして、カミラは瀕死の形相をしているイークを見下ろした。
そうしながら両手を腰に当て、ずいっと上体を屈める。そのとき髪紐についた緑玉と緑玉とがぶつかって、カチンとカミラの背中を押した。
「あのね、この際だから私も言わせてもらうわ。確かにイークとお兄ちゃんじゃ全然格が違うわよ。お兄ちゃんはとにかく優しくて強くてかっこよくて頭も良くて礼儀正しくて誰からも好かれてて……」
「お前に近づこうとして半殺しにされたやつらには恨まれてたけどな」
「とにかくお兄ちゃんは家事が全然だったことを除けば完璧だったわ。特に料理が壊滅的だったけど、幸い食べた人の中から死人は出なかったし」
「俺は何度か死にかけたぞ」
「でも生きてるでしょ、辛うじて。それに対してイーク、あなたは何よ。あのお兄ちゃんと一緒に育っておきながら、いつもツンケンして乱暴で短気で勉強嫌いで……」
と、カミラが次々欠点を並び立てれば、さすがにイークの眉がぴくりと動く。自虐的な気分でいるときにわざわざ触れられたくない話題だったのだろう、彼は舌打ちすると壁に手をついて立ち上がろうとする。
「あのな、そんなことはお前に言われなくたって自分で分かって――」
「――でもイークはそこそこ料理ができるし、お裁縫だって下手くそだけどちょっとは自分でできるでしょ。少なくともお兄ちゃんみたいに、自分で自分の指を縫って斬新な血染めの上着を作ったりしない」
「……あ?」
「それにちょっと優柔不断なところがあったお兄ちゃんと違って何でもすぐ決められるし、お兄ちゃんみたいに考えすぎない。直感で動くタイプっていうか。しかもその勘も結構当たるし……あと、私をお兄ちゃんみたいに甘やかさない。必要なときはちゃんと叱ってくれる。それでお兄ちゃんに殴られたって、何度でも」
言って、カミラはようやく立ち上がったイークをまっすぐに見た。その斬り込むような視線を受けて、彼がほんの少しうろたえたのが分かる。
だからカミラは、笑った。
それから鬢のあたりで余っていた髪を耳にかけ、ふう、と一つ息をつく。
「郷であんな風に私を叱ってくれたのは、族長とイークだけよ。お父さんも何だかんだ言って私には甘かったし、他のみんなはお兄ちゃんが怖くて何も言ってこなかったし」
「それはまあ、そうだろうな……」
「でも、イークはちゃんと叱ってくれた。間違ってることは間違ってるって言ってくれた。今回だってそう。北であの黄皇国兵に斬られそうになったとき、私は間違ったの。あれは自分の責任だってフィロは言ってくれたけど、でも、やっぱり間違ったんだと思う」
少なくともあのとき、仮にもしフィロメーナが負傷せずに済んでいたとしても、やはりカミラは彼を斬るべきだった。でなければ自分がやられていた。
戦場でとっさにその判断を下せなかったということは、戦士として致命的だ。それを〝間違い〟と呼ばずになんと呼ぶのか、少なくともカミラはそれ以外の呼び名を知らない。
「だから、つまり何が言いたいかって言うと、その……し、叱ってくれてありがとうございました、……みたいな?」
「……」
「そ、それから、確かにイークはお兄ちゃんの代わりにはならないけど、お兄ちゃんだってイークの代わりにはなれないってこと。イークにはイークにしかできないことがあるというか、イークならではの良さがあるというか……その……まあ、別にイークだって弱いわけじゃないし、優しいときだってあるし……?」
と、横を向きながらフォローの言葉を並べているうちに、何だかだんだん気恥ずかしくなってきた。
その感情を自覚した途端、カミラはたちまち耳まで真っ赤になって、いきなりイークにキレ始める。
「と、とにかくそういうことだから! フィロだってなんかそんな風なこと言ってたし! いや、言ってなかったかもしれないけど!?」
「どっちだよ」
「そ、そんなの自分で確かめればいいでしょ! フィ、フィロとはその、恋仲なんだし!? だ、だいたいイークを副帥に任命したのだってフィロなんだから! イークがほんとに副帥として不適任なら、ギディオンあたりが代わりになって、イークなんてとっくに愛想尽かされてるでしょ!」
「そうだな」
「だ、だ、だから、つまり……き、北でのことは、さっきの飛び蹴りでおあいこ! ってことで! ね!」
カミラは一方的に、かつ強引にそう話をまとめると、あとはイークを正視することができずに回れ右した。
何故だかよく分からないが、とにかく顔から火が噴きそうだ。ついでに少し泣きそうだ。
だって、カミラが背中を向ける直前。
イークはちょっと笑っていた。
いつも不機嫌そうな顔ばかり――ここ最近は特にそうだった、あのイークが。
「じゃ、じゃあ、そういうことで! 私は先に行ってますから!」
「ああ。階段ですっ転ぶなよ」
「すっ転びません!」
背中を向けたままそう反駁すると、あとは一目散に駆け出した。こらえようとしても緩んでしまう口元を見られるのが何だか癪で、見られる前に階段へ飛び込んだ。
とにかく、今は一刻も早くフィロメーナのところへ行って伝えよう。
イークはもう大丈夫、と。