343.戦い、明けて
救世軍が黄皇国中央第三軍との戦いに勝利を収め、数日が過ぎた頃、戦後処理に追われるトラクア城に意外な人物が現れた。
「あっ、ライリー!? それにジョルジョも!」
「わあ、カミラ、久しぶり……! よかったぁ、元気そうだね!」
そう、カミラが所用で本丸城館へ足を運ぶと、思いがけず鉢合わせたのは湖賊のライリーとジョルジョだ。彼らはカミラたちがトラクア城を防衛している間、第三軍の背後で兵站を乱す役割を担い、ラフィ湖にて官軍の輸送船を繰り返し襲っていた。水戦に長けた湖賊による攻撃は効果覿面だったようで、和平交渉のため一時休戦となった際には、ライリーら別働隊の遊撃をただちにやめさせるようにと官軍側から要請があったほどだ。
加えて第三軍は後方からの補給を諦め、黄都からの支援を受け入れる体制を整えつつあったようだから、ライリーたちの攻撃は彼らにそこまでさせるほど苛烈を極めていたのだろう。が、久方ぶりに顔を会わせたふたりは思いのほか元気そうで、そんな激戦のあとだということを微塵も感じさせない。
玄関広間には彼らを出迎えたトリエステの他、レナードの姿もあって、そうか、ライリーはレナードの無事を確かめに来たのかとカミラもすぐに察しがついた。
「よう、ちんくしゃ。てめえもくたばってなかったか。相変わらず悪運だけは強いらしいな」
「あらあら、その言葉、そっくりそのままお返しするわ。ていうか六ヶ月ぶりに会う仲間にかける言葉がそれって、ずいぶんとご挨拶ね」
「ケッ、〝仲間〟だァ? 何か勘違いしてるようだが、一味とてめえらはあくまでただの同盟相手だ。仲良しごっこをしたけりゃ余所でやるんだな」
「……などとおっしゃっていますが、ライリー一味との伝令役を担ってくれた鈴の騎士の話によれば、ライリー殿は我々がコルノ島を出た直後からずっと救世軍の安否を気にかけて下さっていたようですよ。相変わらず奥ゆかしい方ですね」
「おい、トリエステ! いい加減なこと言ってんじゃねえよ、てめえもほとほと相変わらずだな!」
「まあまあ、ライリー、落ち着けよ。アンタがオレらを心配するあまり、夜も眠れずにいたことはよーく分かったからさ」
「レナード、てめえもしばらく会わねえうちにどうやら頭が湧いたらしいな。何なら今ここで脳天搗ち割って、頭ン中診てやろうか?」
「ら、ライリー、やめなよ、それじゃあなんのためにここまで来たのか分からなくなっちゃうよ!」
と、腰の刀に手をかけたライリーを必死に宥めるジョルジョと、そんなふたりニヤニヤ眺めるレナードの髭面を前にして、やれやれ、要するにみんな相変わらずってことね、とカミラは呆れのため息をついた。
まあ、とはいえカミラも、ずっと離れ離れになっていた仲間が無事だと知って、内心安堵したというのが本当のところだ。ライリーたちも補給路の攪乱に出発してからまだ一度もコルノ島には帰っていないらしいが、結局皇女率いる中央第二軍が攻めてくることはなく、島に残った仲間もみな元気にしているという。
「はあ……にしても、マジで今回はギリギリだったな。結局、黄都に直談判に行ったっていう竜騎士領の連中は今も音沙汰がねえんだろ? 正直あの状況から竜の援護なしで勝てたのは、ほとんど奇跡みてえなもんだぜ」
「ええ……角人族の助けがなければ、敗北は免れなかったでしょうね。第三軍との決着がつくのがあと数刻遅れていたら、ポンテ・ピアット城から物資を運んできていた黄都守護隊と鉢合わせするところでしたし……」
「ほ、ほんとにギリギリの綱渡りだったんだね……だけど、竜父さまは無事なのかな。おれたちはみんな北の出身だから、竜には特別な思い入れっていうか、親近感みたいなものがあるんだよね……だから、黄皇国がほんとに竜父さまに危害を加えたなら、おれ、ぜったい許せないよ」
「そうですね……とりあえず、いつまでもここで立ち話というのも何ですから、一度談話室へご案内しましょう。おふたりとも、どうぞこちらへ──」
「──はあ~ん! ライリィ~ん!」
ところが遠路遥々訪ねてきたふたりを、トリエステが談話室へ案内しようとしたときのことだった。突然、カミラたち全員の死角から黄色い声──と形容するにはいささか濁りすぎているが──が上がり、ハッとしたライリーが血相を変える。
そうして捕食者の接近に気づいた草食獣のごとく身構えたライリーの視線の先には、言わずもがな頬を染め、手を振りながら駆けてくる長身の男──否、オカマのジュリアーノがいた。彼あるいは彼女はこの瞬間を待ち侘びていたと言わんばかりの勢いで、ライリーを射程に捉えるや両手を広げて飛びついてくる。
されど逞しい二本の腕に抱き締められる寸前、ライリーは青いキモノの帯から鞘ぐるみ刀を抜き、ジュリアーノ目がけて突き出した。すると見事、鐺がジュリアーノの顎に直撃し、すんでのところで彼あるいは彼女の猛進を押し留める。
「よお、ジュリアーノ……てめえもピンピンしてやがるなチクショウめ……!」
「いやぁん! ダーリンってば、久しぶりの再会だからって照れないでよォン! アタシだって会いたくて会いたくてたまらなかったのよォ~!」
「おいトリエステ、俺が城に来たことは、こいつにだけは黙ってろっつったよな!? なのに何してくれてんだよ!」
「いえ、私はジュリアーノさんに知らせをやった覚えはありませんが……」
「あァ!? じゃあなんでこいつがここに……!」
「ンフフフフ……ライリーったら、そんなの決まってるでしょ? アナタとアタシは恋の神が結んだ赤い糸でつながってるの……だからお互いどこにいても、こうして惹かれ合う運命な・の・よ?」
「あー……ごめん、レナードさん。僕らがうっかり口を滑らせたばっかりに……」
と顎に鞘がめり込んだ状態でもなおめげず、ライリーに向かって手を伸ばし続けるジュリアーノの執念にカミラがドン引きしていると、そのとき不意に、先刻ジュリアーノが現れた方角から声がした。誰かと思って振り向けばそこにいたのは、同じくジュリアーノの暴走にげんなりしている様子のユカルとナアラだ。
「おう、来たか、お前ら。おいライリー、紹介するぜ。あいつらがさっき言ってたユカルとナアラって姉弟で……」
「レナード、てめえ状況が見えてねえのか!? ガキどもを紹介する前にまずこのバケモノを何とかしろ!」
「ンまあ、バケモノだなんて失礼しちゃう! まさかアタシとの約束を忘れたわけじゃないでしょうね、ライリー?」
「あァ!? 約束だァ!?」
「そうよ! そもそもアタシがパウラ地方くんだりまでわざわざ舎弟を率いてきたのは、コルノ島の防衛に専念する必要があったアナタの代わりにレナードを助太刀するタ・メ! で、レナードを無事に守り抜いたら何でもヒトツ、アタシの言うことを聞くって約束だったでしょ? アナタの血判つきの証文だってちゃあんとあるんだからね!」
「ま、まあまあ、ジュリアーノ。確かに一度交わした約束はきっちり守るべきだと思うけど、こうしてお互い無事だったんだから、その話はあとでもできるでしょ? なら今はまずユカルたちを紹介してあげましょうよ。どうせあなたとライリーは今後、一生添い遂げることになるんだし……」
「ンマッ、一生添い遂げるだなんて、カミラったらイイコト言うじゃなァ~い! そうね、そういうことならしょうがないわね。例の証文の内容については、あとでライリーとじっくり話し合うことにするわ。もちろん、ふたりきりで……ネッ?」
と、妙に艶っぽいしなを作って言いながら、ついにライリーを抱くことを一旦諦めたらしいジュリアーノは、代わりに色気たっぷりのウインクを投げた。
それを見たライリーから殺害予告じみた形相で睨まれたものの、カミラは自分にできる精一杯の方法で場を丸く治めたのだ。むしろ感謝してほしい。
何より今後コルノ島で一緒に暮らすことになっているユカルとナアラには、これ以上余計な不安と恐怖を与えたくなかったし。
「はあ……んで? そっちのガキどもが、例のピッコーネ村の生き残りだって?」
「ああ、そうだ。姉貴の方がナアラで、弟がユカル。お前ら、この人が前に何度か話したオレの命の恩人で、今はライリー一味の棟梁を張ってるライリーだ」
「……どうも」
とほどなくレナードから紹介を受けると、ナアラはおずおずと頭を下げ、ユカルもライリーの顔色を窺うように一礼した。ライリーは確かにレナードの恩人かもしれないが、孤児であるふたりにとっては信用していいのかどうかも分からない初対面の大人だ。しかも肩書きは湖賊という不穏さの塊で、人相も決して〝優しそう〟とは言えない。むしろ目つきは鋭く、終始無愛想という典型的な悪人面だ。
ゆえにユカルの方は彼を警戒しているらしく、ナアラに近づけてもいい人物かどうか見定めようとしているようだった。
他方、ライリーはそんな姉弟の心境を知ってか知らずか、刀を肩に担いだまま顎を上げて小柄なふたりを見下ろすと「ふーん」と気のない声を上げる。
「……ま、面構えは悪くねえな。特に弟の方なんざ、必要ならいくらでも大人を出し抜いてやるっていう、反抗心丸出しの目をしてやがる」
「あ……す、すみません! あの、お、弟は、わたしを守るためにずっとひどい目に遭っていて……そのせいで、すぐには人を信用できないというか……!」
「だろうな、顔にはっきりそう書いてある。だが、所詮ガキはガキだ。いくら天授刻を持って生まれたからって、神刻ひとつで何とかなるほど世の中ってなァ甘くねえ。現に生命神の神子がいい例だろ」
「ちょ、ちょっと、ライリー──」
「──だからガキはガキらしく、変な意地なんざ張らねえで大人を頼んな。今日からてめえらの身柄は一味が預かる。俺の左腕が、どうしてもてめえの過去にケジメをつけてえって言うんでな。今後はこいつを兄貴と思って何でも言え。ガキのくせに、くだらねえ遠慮なんざするんじゃねえぞ」
ほとんど悪態のようにそう吐き捨てるや否や、ライリーはすぐに踵を返して、
「じゃ、いい加減談話室とやらに案内しろや、トリエステ。こっちは遠路遥々陸を歩かされて疲れてんだからよ」
と、いつもの横柄極まりない態度でトリエステをせっついた。ところがトリエステは嫌な顔ひとつしないどころか、むしろ淡い微笑を浮かべて、
「そうですね。では、こちらへ」
と素直に案内に立つ。が、当のユカルとナアラはそんなライリーの背中をぽかんと見送ったのち、困惑気味に顔を見合わせた。すると彼らの反応を見たジュリアーノが不気味な笑い声を響かせて、後ろからふたりの肩にぽんと手を乗せる。
「ネ、言ったでしょ? アタシのダーリンは格別にイイ男だから、なァ~んにも心配いらないって。ちなみに言わなくても分かると思うけど、さっきのアレは〝素直に大人に甘えなさい〟って意味だからね?」
「……いや、僕たちも一応成人してるんだけど?」
「ノンノン! そうやってす~ぐ大人ぶろうとするあたりが、まだまだお尻の青いお子チャマなのよン。アタシに欲情してほしかったら、あと数年は我慢なさい?」
「レナードさん、この人、ハノーク語が通じないよ」
「あらあら、早速ライリーの言いつけを守って偉いわねェ~! でもアナタたち、大人の好意に甘えるのは構わないケド、ライリーに惚れるのだけはダメよ? ダーリンはこれまでもこれからも、ずっとアタシのモノなんだからァん!」
「おめでとうございます。僕らは未来永劫、一切邪魔をしないと真実の神に誓いますので、末永くお幸せに」
「あァン! ありがとォ~!」
ひと回りも年下の少年から、かけらも感情の籠もっていない声色であしらわれておきながら、ジュリアーノはいたく幸せそうだった。まあ、幸せならオッケーか、と思ったカミラもそれ以上は何も言わずに関わらない道を選ぶ。
しかしそうして自分も用事を済ませようと身を翻しかけたところで、不意にトリエステから名前を呼ばれた。どうしたのかと振り向けば、去り際にふと思い立った様子で立ち止まったトリエステが、こちらを顧みて口を開く。
「申し訳ありませんが、もしこのあと時間があれば、ライリー殿がいらしたことをジェロディ殿にも伝えてきていただけませんか。あの方は現在、城内の修練場にいらっしゃるはずですので」
と、そこでにわかにジェロディの名前を出されるや、心臓がドッと衝かれたように大きく弾んだ。
おかげで数瞬息が詰まり、カミラはそんな自分の異変に目を泳がせながら、
「あ、あ~……修練場ですね、分かりました」
と妙に上擦った声で返す。するとトリエステもまたカミラの異変を感じ取ったのか、ちょっと不思議そうに首を傾げるや、
「お忙しければ、他の誰かに頼んでいただいても結構ですよ。すみませんが、よろしくお願いします」
と最後に告げて、館の奥へと立ち去った。
ほどなくレナードやユカル、ナアラ、ついでにジュリアーノもライリーについていくのを見送りながら、カミラは誰もいなくなった玄関広間に立ち尽くす。
(ティノくん……そう、ティノくんね……)
トリエステからの頼まれごとを心の中で反復し、カミラはため息と共に額を押さえた。そうして触れた肌が微かに熱い。実を言うとカミラは、ジェロディへ向かう自分の気持ちを知ってしまったあの日からずっとこんなありさまなのだ。
おかげでどんな顔をして彼に会えばよいのか分からず、この数日、ずっと接触を避けてしまっている。
できることなら、父親を失ったばかりの彼の傍にいてやるべきだと知りながら。




