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341.ヴィンツェンツィオの名にかけて


 ジェロディがケリーやオーウェン、トリエステを連れてカミラたちに追いついたとき、勝敗は既に決していた。

 いや、というよりも、もはや犠牲なしでは逃げ切れないと悟った父が、戦いを放棄したと言ってもいい。そういう潔さも相変わらずだ。正黄(せいこう)戦争以来十年、常勝無敗の座に君臨し続けてきたからといって勝利に固執するわけでもない。

 父にとって大切なのはいつだって、戦の勝ち負けではなく自身の誇りなのだ。

 そしてガルテリオの誇りとは、青年時代から貫き続けた主君(オルランド)への忠誠であり、祖国を守るべく共に戦った仲間であり、家族だった。


「なるほど。確かにこれ以上の戦闘の継続は、いたずらに死傷者を増やすばかりだな。それを望まぬのは私も同じだ。ならばお前の言うとおり、終わりにしよう」

「父さん──」

「ま、待て、ガルテリオ! 何を勝手なことを抜かしている!? 降伏など断じて許さんぞ! 何と引き換えにしても賊軍を誅滅せよという勅命に背く気か!?」


 ところがようやく父と対話できる状況が整ったと、ジェロディが心から安堵した刹那、突如として場の空気をぶち壊す怒号が(とどろ)(わた)った。驚いて目をやれば、父の背に隠れていたらしい見知らぬ男が顔を真っ赤にしてガルテリオへと詰め寄っている。戦場にはあまりに不釣り合いなほど華美な装飾が施された馬具に(また)がり、さも「命を狙って下さい」と言わんばかりの派手な軍装に身を包んだ男だ。


 ガルテリオから見れば年齢はひと回りほど下だろう。そんな男が天下の大将軍である父をぞんざいに名前で呼ばわり、口角泡を飛ばして怒鳴りつけている光景に、ジェロディは全身の血が逆流を始めたような衝撃を覚えた。


「落ち着かれよ、ネデリン准将。見てのとおり我が軍は既に散り散りとなり、我々もまた敗走の途に就いている。今更(あらが)ったところで陛下の兵を失うだけだ。貴君もついさっきまで〝命に代えても私を守れ〟と声を荒らげていたではないか」

「そ、それとこれとは話が別だ! 命惜しさに逆賊の軍門に降るなど、私に一族の笑い者になれと言うのか!」

「ほう。救世軍(かれら)に降伏するくらいなら、栄誉ある死を望むと?」

「そ……そうだ! ゆえに貴様も戦え、ガルテリオ! 陛下より軍監の任を(たまわ)った者として、私には貴様を……!」


 と血走った眼を見開き、狂気の沙汰としか思えぬ笑みを(たた)えた男の顔が、直後、凍りついて宙を飛んだ。これにはジェロディたちも思わず息を呑む。


 何しろ平然と男の首を()ねたのは他でもない、ガルテリオだったからだ。


「が……ガル様、その男は……!」

「ああ……気にするな、ケリー。取るに足らない我が国の(がん)だ。何より本人も()()()()を望んでいた。戦場で死ねて本望だろう」

「で、ですが、ネデリン家の嫡男の首を刎ねるなど、いくらガル様でも許されるはずが……!」


 と、明らかに動揺している様子のケリーとは裏腹に、やはりガルテリオは自若としていた。それどころかふっと目尻を(ほころ)ばせると、次いで左右に控えたふたりの将校へ目を配る。


「ウィル、リナルド」

「はい、ガル様」

「必要ないとは思うが念のため、軍監部隊を抑えておけ。彼らも上官の虚栄のために無駄死にするのはごめんだろう」

「はっ……しかし、ガル様──」


 と頭を下げたリナルドが、何やら妙に切迫した眼差しでガルテリオを見やった。

 オーウェンに似て直情的なウィルとは違い、いつも冷静沈着だったリナルドがあんな目をするのは珍しい。

 さては彼もこのまま救世軍に降ることを()しとしていないのか、とジェロディは思ったが、すぐに己の予想がまったくの的はずれであったことを知った。何故なら一拍ののち、自らの意思で馬を下りたガルテリオの腹部──そこを覆っていたはずの鎧が無惨に砕け、(おびただ)しい量の血で濡れていることに気がついたから。


「と……父さん!? その怪我……!」


 同じくガルテリオが深傷を負っていることに気づいたケリーとオーウェンが、傍らで息を飲んでいる。無理もなかった。というのもガルテリオが(くら)を下りるまで、彼の腹部は馬首に隠れ、正面からはまるで見えていなかったのだ。


「そ、そんな……今すぐ治療を……!」

「いや、結構だ。気持ちは有り難く受け取るが、戦場で敵の手を借りてまで生き延びるつもりは毛頭ない」

「て、〝敵〟って、何を言ってるんです、ガル様!? 決着はもうついたでしょう!? だったら……!」


 と、馬上から身を乗り出したオーウェンが叫ぶのを聞いて、刹那、ガルテリオがすっと右手を挙げた。あれはどう見ても制止の合図だ。嫌な予感がした。


 口の中は急速に乾いてゆくのに、額から汗が流れて止まらない。


「救世軍総帥、ジェロディ殿」


 やがてガルテリオは、体の真ん中にあんな大きな穴が開いているとは思えぬほど太くはっきりとした声で、ジェロディの名を呼んだ。


「確かに貴殿の言うとおり、戦の勝敗は既に決した。されど今日まで護国のために剣を振るい続けてきた私には、敗北はあっても、降伏の二字はない」

「父さん──」

「言ったはずだ。先の開戦をもって、私は貴殿の父ではなくなった。そしてこのトラモント黄皇国(おうこうこく)で〝勝利を約束されし者(ヴィンツェンツィオ)〟の名を継げるのは私の嫡子か、私からその名を奪う者だけだ」


 ……ああ、そうか。そうだった。

 ことここに至って、ジェロディはようやくすべてを理解した。

 すなわち、自分は既にヴィンツェンツィオ家の嫡子ではないこと。

 父が負ったあの傷は、恐らく暴走した亜竜の角が鎧を砕き、彼の腹部に深々と突き刺さったがゆえのものであろうということ。

 父にそんな傷を負わせたのは他でもない、自分の決断だということ。


 そしてここを越えねば永久に、自分は父に追いつけないのだろうということを。


「ゆえに、決着をつけよう。私は今ここで、貴殿に一騎討ちを申し込む」

「な……!?」

「総大将同士、一対一で正々堂々戦って、真の勝者を決めるとしよう。私が貴殿に敗れれば、この首とヴィンツェンツィオの名を明け渡す。逆に貴殿が敗れた場合には、当家の名を継ぐことは諦めてもらおう。さあ、どうする?」

「なりません、ジェロディ殿。ここでガルテリオ殿を失うわけには……何より、いくら相手が手負いとはいえ、総大将同士の一騎討ちなど……!」


 あまりにも時代錯誤だ、とトリエステは言いたかったのだろうか。

 確かに戦争における指揮官同士の一騎討ちというのは、ハノーク大帝国の時代には盛んに行われたと聞くが、現代(いま)ではとうに廃れた文化となっていた──けれど。


「分かりました、ガルテリオ将軍。その勝負、受けて立ちましょう」

「ジェロディ様……!」


 と仲間が色めき立つのを聞きながら、しかしジェロディは迷わず馬を下りた。

 そんなジェロディをじっと見つめて、ガルテリオは微笑(わら)っている。既にお前の父ではないと言いながら、ジェロディが誰よりもよく知る父親の顔で。


「おやめ下さい、ジェロディ殿! 誰か……誰か、あの敵将を……!」

「よせ、トリエステ」

「イーク……!? 一体何を……!」

「いいから、全員黙って見てろ。ジェロディの邪魔をするやつは、俺が斬る」


 背後から聞こえたイークのひと言が、場を凍らせたのを背中に感じた。

 されどジェロディは彼の捨て身の気遣いに、心の中で礼を言う。


「傷のことは気にするな。既に血は止まっているし、痛みもない。手心を加えることなく、本気でかかってこい」

「はい」

「今、ここにいる全員が決闘の証人だ。では──始めよう」


 そう言うが早いか、ガルテリオは腰に()いた黄金の鞘からすらりと剣を抜いて構えた。『皇帝(ケイサル)』。トラモント皇家に受け継がれてきたふたつとない宝剣であり、父の誇りそのものだ。対するジェロディも、ところどころに銀の装飾が施された黒鞘から剣を抜く。一年前のちょうど今頃、父から譲り受けた剣だった。


『ただ、運命だったのです』


 瞬間、剣を正眼に構えたジェロディの脳裏を、かつてある少年の口から聞いた言葉が不意によぎった。


『あらかじめ神々によって定められていた、運命です。私たち人間はそれに抗うことなどできはしない──』


 ああ、そうだ。きっとそんな不条理で、抗い難い何かがこの世には満ちているのだろう。けれどジェロディは同時に知っている。自分には──人間(ひと)にはどんな残酷な運命も乗り越え、理想(みらい)に向かって歩み続ける力があると。


「来い、ジェロディ」


 やがて聞こえた獅子の咆吼に応え、ジェロディは大地を蹴った。

 巨大な(いわお)のごとく(そび)()つガルテリオに、正面から挑みかかる。

 まず一合目。右から放った攻撃は華麗に受け流された。

 次いで切り返した二合目も、見透かしたように手甲で受け止められる。

 と同時に怖気(おぞけ)が立つほどの鋭さで突き出されたガルテリオの剣を、ジェロディもすんでのところで回避した。速い。しかも父はやはり本気だ。

 気を抜けば間違いなく、負ける。だがそれだけは絶対にあってはならない。

 救世軍(なかま)のため、自分のため──そして他でもない、父のために。


「どうした。一軍の主とはただ仲間に守られて、後方から指示を出していればいいというものではないのだぞ」


 さらに何度も激しく打ち合いながら、獅子が勇ましく吼えるのを聞く。言われなくても分かっていた。軍主とは誰よりも強くなくてはならない。有事の際には自らが先頭に立って剣を振るい、仲間を守る勇気と聡明さを示さなければならない。

 だからジェロディが剣を学んだのも、自分の身を守るためではなかった。

 いつか官軍の将となる日が来たら、戦場の最前線で兵と共に戦える指揮官になりたかったのだ。幼い頃から憧れてやまなかった、父のように。


「考えろ、ジェロディ。今のお前では私には敵わない。ならばどうすれば勝機を作れるか、思考を止めるな」


 それも分かっている。最初から正攻法であの父に勝てるとは思っていない。

 何せジェロディの父は、トラモント黄皇国最強の軍人だ。

 その肩書きは決して揺らがない。いや、誰にも揺らがせはしない。


 ガルテリオの誇りは、ジェロディの誇りだ。


 だからこそ、自分は──


(僕もあなたの誇りを守るよ、父さん)


 そのために振るった()()()の剣を思い出し、渾身の力で、下段から刃を振り上げた。両手を添えて、軸足を踏ん張り、全身全霊を込めた一撃を見舞う。瞬間、ジェロディに向かって振り下ろされようとしていたガルテリオの剣が弾かれた。


 〝打ち返し(ヒットバック)〟。


 いつだったか、近衛軍団長のセレスタに見舞われた技だ。

 ジェロディには父に勝るほどの膂力(りょりょく)はない。型破りな剣を振るえるほどの奇抜さもない。ただ愚直に、正面から打ちかかるだけしか能がない。

 そう思い込ませてからの、最初で最後の賭けだった。

 あの日セレスタにされた戦法の猿真似だ。されど効果は覿面(てきめん)だった。

 ジェロディが放った乾坤一擲(けんこんいってき)の一撃は、ガルテリオはもちろん、ジェロディ自身の予想をも遥かに超える力でもってガルテリオの(つるぎ)を跳ね上げたのだ。


 おかげでガルテリオの体勢がわずか崩れた。

 弾き飛ばされた刃の慣性を殺し切れず、父の(ふところ)ががら空きになる。

 それでもすぐに上段から剣を振り下ろせるよう、ガルテリオがとっさに半身を前に出し、最後の抵抗を見せようとするのが分かった。

 ゆえにジェロディも迷わず踏み込む。

 一縷(いちる)の勝機を掴むために生み出したわずかな間隙。

 そこへ飛び込み、ガルテリオの反撃が自らの肩へ食い込む前に、息を止めて──


(ごめんよ、マリー)


 束の間五感を覆った静寂の中、記憶の彼方で笑う彼女にそう告げてから、ひと思いに切っ先を突き入れた。


 鎧の砕けた父の腹部へ、祈るように、深く、深く。


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