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340.どうか彼らにもう一度


 味方のはずの第三軍を蹴散らして、竜騎兵団がシヴォロ台地の麓に設営された敵陣へ突っ込んだとき、カミラは初めて「勝てる」と思った。テレルたちが現れるまで、勝機などまるで見えなかったはずの〝黄皇国(おうこうこく)最強〟に──勝てる。

 何しろ救世軍にとって最大の難敵だった竜騎兵団は制御を失い、敵陣の真ん中で暴れ狂う嵐となった。火焔槍(ヴァンガール)の脅威に怯えて逃げ出した亜竜の群を、さらにカミラたちが火焔剣(ウィグヴィル)の火力でもって追い立てたのだから無理もない。


(これがエレツエル人やルシーンが血眼になって探してる、古代兵器の力……)


 カミラは自身の左手に握られた(つるぎ)を見やりながら、己が手にした力のあまりの強大さに思わず背筋が寒くなった。火焔剣。この兵器が発揮する威力は、ただの剣に火刻(フレイム・エンブレム)の神気をまとわせるのとは比較にならない。カミラはかつてオーウェンに取り憑いていた憑魔(コクアヴォート)に対抗するために、神術によって剣を燃やしながら戦ったことがあったが、あのときでさえここまでの火力は出なかった。


 そんな威力を持つ兵器を神術や希術(きじゅつ)の素養を問わず、誰でも使えてしまうというのだからぞっとする話だ。剣から噴き上がる熱気で周囲は真夏のような暑さだというのに、何だか全身に粟が立つ。ゆえにカミラは剣の先端に装着された起動鍵(スイッチ)代わりの柄頭をカチリと押し込み、刀身を包んでいた炎を収めた。途端に(つば)飾りの真ん中でキラリと光った赤い希石(きせき)の閃きを、空恐ろしい思いで見つめながら。


「おいカミラ、本隊から伝令だ。俺たちはこのまま逃げた敵本隊を追うぞ!」


 ところが竜騎兵団に踏み荒らされた敵陣へ、さらに救世軍(みかた)の歩兵部隊が突入するさまを茫然と眺めていたカミラは、イークの呼び声で我に返った。

 見ればそこにはいつの間にかイーク隊の姿があり、彼らを率いるイークもまた手にした火焔剣の炎を既に収めている。


「イーク。敵本隊を追撃……って、ガルテリオ将軍を追えってことよね? 将軍は敵陣(ここ)に逃げ込んだんじゃないの?」

「いや。空から戦況を確認してたアーサーの報告によれば、ガルテリオは動ける味方をまとめていち早く戦場を離脱したらしい。やつらの進路は北──つまり、ポンテ・ピアット城だ」

「え? けどポンテ・ピアット城って、救世軍(オレら)が制圧したはずじゃ……」


 と怪訝(けげん)な顔で尋ねたのは、カミラ隊の副隊長を務めるカイルだった。

 彼も使い手(カミラ)ほどではないにせよ、やはり火焔剣の放つ熱気に相当炙られたのか、額当ての下から流れる汗をしきりに拭っている。

 が、そんなカイルを一瞥(いちべつ)すると、イークは呆れ果てたように冷然と吐き捨てた。


「何寝ぼけたこと抜かしてやがる。確かにあの城は俺たちが一度()としたが、城を守ってたギディオンがこっちに援軍に来たことで、実質放棄されただろ」

「あ、そっか。……って、じゃあ将軍がポンテ・ピアット城に逃げ込んじゃったらやばいじゃん!?」

「やばいどころの話じゃないよ。トリエステさんの調べによれば、ギディオン殿が城を放棄したあと、あそこはすぐに黄都守護隊(こうとしゅごたい)に奪還されたらしい。とすれば、ここで将軍に逃げ切られたら……」


 とイークの傍らから答えた彼の副官(アルド)が、言葉の先を飲み込んでうつむいた理由はすぐに分かった。黄都守護隊。カミラたちが竜牙山(りゅうがざん)を登っている間に、無人となったポンテ・ピアット城は彼らが占拠していたのか。

 かの軍を率いるシグムンド・メイナードは他でもないガルテリオの盟友で、長年彼の副官も務めていた将軍(おとこ)だ。そのシグムンドとガルテリオが合流したら、獅子に翼どころの話ではない。何より今、シグムンドの傍らには……。


「……分かったら行くぞ。トリエステの話じゃ、黄都守護隊が黄都からの支援物資をガルテリオに届けるために南下してきてる可能性もあるらしい。そいつらと合流されたら厄介だ。そうなる前に、俺たちでガルテリオを止める」

「で、でも、止めるって言ったって……だったら私たちが行くよりも、ガルテリオ将軍と面識のあるマティルダ将軍の方が適任なんじゃ……」

「マティルダ隊は今、敵本隊の殿(しんがり)についた騎馬隊と()()ってる。そこを迂回してガルテリオを追うとなれば、機動力の高い騎馬隊(おれたち)が行くしかない」

「……っ」

「迷うな、カミラ。俺たちの役目はあくまで本隊(ジェロディ)が追いついてくるまでの時間稼ぎだ。それまでガルテリオを足止めできさえすればいい。行くぞ」


 迷いのないイークの言葉に引っ張られ、カミラも困惑しつつ頷いた。

 ジェロディが追いついてくるまでの時間稼ぎ──そうだ。

 そう思えば恐れる必要はない。ガルテリオの首を取るのではなく、あの父子(おやこ)を再び対面させるために自分は行くのだ。救世軍の勝利が確定的になった今ならジェロディの言葉も、今度こそガルテリオに届くかもしれない。


(だけど将軍と黄都守護隊が合流すれば、それも叶わなくなる……)


 だとすれば、何としても止めなければ。

 そう頭を切り替えて、カミラは惑いを振り切るように馬腹を蹴った。

 果たして自分たちの率いる四百騎だけで、どれほどの間ガルテリオを足止めできるかは分からない。されどやるのだ。

 大切な家族よりも、救世軍(じぶんたち)を選んでくれたジェロディのために。


「カミラどの、イークどの! 我が騎士団の鈴の騎士(リッタリー)が、退却中の敵本隊を捕捉しました! 先導します!」


 ほどなくシヴォロ台地を離れて駆け出したカミラたちの頭上でそう叫んだのは、数十人の猫人(ケット・シー)を率いた『誇り高き鈴の騎士団』のアーサーだった。どうやら彼らもまた本隊からの指令を受けて、上空からガルテリオの行方を追っていたようだ。

 まったく天空に眼があるというのは頼もしい。カミラたちは翼獣(ラプン)(また)がって飛行するアーサーらに導かれ、さらに馬を急がせた。するとやがて前方に濛々(もうもう)と立ち上る砂煙が見え始める。間違いない。ガルテリオ率いる敵本隊だ。


「アーサー、向こうの兵力は!?」

「目測でおよそ三千! どうやら全軍騎兵のようです!」

「くそ……思ったより兵力差があるな。だがやるしかない。カミラ、行くぞ!」

「ええ!」


 あれほどの混乱の中からとっさに逃げ出したにもかかわらず、兵力三千。

 それだけの数の将兵をとっさにまとめて即座に戦線を離脱したガルテリオの用兵と判断力は、やはりさすがとしか言いようがなかった。しかしこうしてカミラたちが追いつけたところを見ると、敵軍の動きは思いのほかにぶい。否、あるいはカミラたちが一時的に借り受けたマティルダ隊の騎兵が優秀ということか。

 真相がどちらであるにせよ、とにかく追いついた。軍旗(はた)も掲げず逃げる敵軍の背中がぐんぐん近づいてくる。アーサーの報告どおり、どうやら騎兵のみを掻き集めた編制のようだ。ならば背後から神術を撃ち込み攪乱(かくらん)するか、あるいは──


「──三連火箭ギメル・ナール・ヘッツ!」


 ところが両者の距離が二十(アナフ)(一〇〇メートル)ほどまで迫った刹那、突如カミラたちの行く手で神気がうねった。かと思えば見慣れた真紅の光がほとばしり、前方に三発の巨大な炎弾が出現する。敵の火術だ。


「イーク、カイル! 撃ち落として!」


 と叫ぶが早いか、カミラも即座に神術を放って応戦した。同時にイークとカイルもそれぞれの雷刻ライトニング・エンブレムを閃かせ、空中から自分たち目がけて降ってくる炎弾に神術を叩き込む。結果として三人でひとつずつ炎弾を撃ち落とすような形となり、相殺された神術はすさまじい爆風を伴って炸裂した。


 途端に吹き荒れた爆煙が、一瞬にしてカミラたちの視界を奪う。

 まずい。この煙幕では相手を見失う上に、死角から奇襲されかねない。

 ならばとカミラは瞬時に手綱を(さば)き、声を上げて続く仲間を誘導した。何しろ敵を追ってきたカミラたちが今いるのは、遮るものなきエクリティコ平野だ。


 おかげで風向きが読みやすい。現在、風はカミラたちの右から左へ流れている。つまり右手が風上だ。そちらに向かって駆ければいち早く煙幕を抜けられる。イーク隊の姿は煙に巻かれて確認できないものの、彼らもきっと同じ判断を下すはず。

 そう信じて、カミラは一目散に風上を目指して駆けた。

 二百騎の手勢もぴたりとついてくる気配がある。

 されどついに爆煙を抜け、真っ白だった視界が色彩を取り戻した刹那、


「カミラ、危ない!!」


 と突然カイルの警告が耳を(つんざ)き、カミラも後方から迫る殺気を感知した。

 直後、とっさに体が反応し、殺気の主を振り向きざま思い切り剣を振り抜く。

 すると甲高い金属の叫びと共に、左手に鋭い手応えが走った。どうやら自分に向かって振り下ろされた敵の刃を寸前で防いだようだ。ところがそうして体勢を整えようとしたところへさらに別の騎兵が迫り、カミラへ襲いかかってきた。


 あまりにも統率の取れたこの動きはまさか、読まれていたのか。

 いや、そもそも敵は初めからカミラたちを風上へ(おび)()すために、あえて神術を相殺させた可能性すらある。だとすればまんまと()められた。そう悟ったのとほぼ同時に後続からカイルが飛び出して、カミラを狙った凶刃を防いだ。だが敵の騎兵は次々と、矢継ぎ早に押し寄せてくる。彼らも総大将(ガルテリオ)を守ろうと必死なのだ。


 ならばとカミラも剣を振るい、最初に斬りかかってきた敵兵を狙って斬撃を放った。が、相手もその一撃をすんでのところで防いでくる。

 カミラはそこで目を見張った。何故ならこちらの刃を受け止め、鍔迫り合いへと持ち込んだのは、赤い外套(ペリース)を右肩に流した黒髪の青年将校。

 第三軍がシヴォロ台地の麓に現れたとき、一番最初に降伏勧告の使者としてやってきた彼だ。確か名前はウィルといった。ケリーやオーウェンの後輩で、軍を離れた彼らに代わり、ガルテリオの側近になったという……。


「おい、ウィル、戻れ! 今は応戦してる場合じゃ……!」

「分かってる! けどここまで来られたら、誰かが殿を務めなきゃ逃げ切れない! リナルド、お前はガル様を連れて先に行け!」


 瞬間、カミラが相手の剣を巻き取ろうとする動きに合わせ、自らも巧みに刃を絡めながらウィルが叫んだ。はっとして目をやれば、彼が率いてきた騎馬隊の背後にまた別の騎馬隊が迫っている。指揮しているのはウィルと同じ(あつら)えの鎧を──ただし外套の色は緑だ──まとった若い将校。


 間違いない。ケリーたちが言っていたもうひとりの青年将校、リナルドだ。

 ウィルを追って駆けつけたらしい彼は切迫した表情で逡巡(しゅんじゅん)の気配を見せた。

 恐らくはウィルの身を案じ、殿として残していくことに抵抗を感じているのだろう、と、カミラはそう思ったのだが、


「だが、お前ひとりで防ぎ切るには……()()()()()()()()()()……!」



 〝エリク〟?



 リナルドの口からその名が飛び出したのを聞いた途端、思わず剣を握る手もとが緩んだ。当然ウィルがそれを見逃すはずもなく、すかさず剣を弾かれる。

 しまった。そう思ったときにはもう遅かった。

 馬上でほんの一瞬体勢を崩したカミラの左手を、即座にウィルが掴んでくる。

 反射で振り払おうとしたが無理だった。手甲が軋みを上げるほどきつく手首を握られたカミラは、痛みと狼狽(ろうばい)で顔を歪める。


「ちょ……ちょっと、放して……!」

「いや、できない相談だ。だって君は今、エリクの名前を聞いて動揺したろ?」

「……!」

「カミラ、俺は君の兄さんをよく知ってる。あいつが何のために黄皇国に留まったのかも、会えない間、君たちのことをどれだけ心配していたのかも。エリクはずっと、君たちを守ろうと──」

「──ウィル!!」


 ところがウィルの言葉を遮り、突如リナルドの呼び声が(とどろ)いた。直後、未だ立ち込める粉塵を食い破り、救世軍の旗を掲げた一軍が飛び出してくる。

 他でもない、イークが率いる二百騎だった。彼は黒馬を駆って乱戦の只中へ躍り出るや、燃えるような怒りを(たた)えた眼差しでウィルを睨み据える。

 かと思えば一気に彼へと肉薄し、迷わず剣を振り上げた。

 狙いは言うまでもなく、カミラを掴んで放さないウィルの右腕だ。


「い、イーク、待って! この人は……!」


 と、カミラが発した制止の言葉は間に合わなかった。激情を乗せて振り下ろされたイークの剣は、鎧ごとウィルの右腕を斬り落とす……かに思われた。が、それを辛くも阻止した剣がある。リナルドだ。今度は彼とイークが馬上で鍔迫り合う構図となり、これにはカミラはもちろん、ウィルも慌てた様子で声を上げた。


「お、おい、リナルド! お前、何やって……!」

「こんなときに私情を持ち込んで、お前がモタモタしてるせいだろう! だから引けと言ったのに……!」

「お前らの御託(ごたく)はどうでもいい。今すぐ、その手(カミラ)を──放せ」


 刹那、カミラでさえも恐怖を覚えるほどの殺意を(たぎ)らせ、イークが再び右手の雷刻を閃かせた。寸前、神気のうねりに気づいたらしいリナルドもとっさに互いの剣を弾き、外套の下の左手に神気をまとわせる。

 次の瞬間、イークが放った雷撃と、リナルドが生み出した風の術壁が激突した。

 吼え猛るふたつの神気が互いに組み合い、またしてもすさまじい爆風と砂塵を巻き上げる。途端にカミラの左手が軽くなった。吹き荒れる風に(なぶ)られながら懸命に目を凝らしたが、既にウィルの姿はない。リナルドもだ。


「か、カミラさん、大丈夫ですか!?」

「う、うん……私は大丈夫。だけど、あの人たちは……」


 ほどなく血相を変えて駆け寄ってきたアルドに安否を告げながら、カミラは風と煙がようやく収まるのを感じて顔を上げた。

 ところが次に目にした光景に思わず絶句し、馬上で茫然と身を竦める。

 何故なら晴れた砂塵の向こうに見えたのは、青地に縫われた竜守る獅子の旗。

 その旗を天高く掲げた軍勢が、いつの間にか目の前にいる。しかも彼らは寡兵(かへい)のカミラたちを呑み込むでもなくただ粛然と、枯れ草に覆われた大地の上で整列していた。左右にウィルとリナルドを従えた、白馬の上の男を筆頭に。


「が……ガルテリオ、将軍……」


 こうして彼と直接相対するのは、カミラも初めてのことだった。ゆえに震える唇で彼の名を(つむ)げば、馬上のガルテリオはふっと口もとを(ほころ)ばせる。


「敵ながら天晴(あっぱ)れだ、救世軍諸君。今日まで無敗の座を守り続けた我が軍を、これほどまでの窮地へ追いやるとは──強くなったな、ジェロディ」


 瞬間、彼の名を呼んだガルテリオの双眸(そうぼう)が既に自分たちを見ていないことに気がついて、カミラははっと振り向いた。

 視線の先では戦闘の手を止めた味方の騎兵が一斉に道を開けており、(こうべ)を垂れた彼らの目と鼻の先を、一頭の鹿毛が戛々(かつかつ)(ひづめ)を鳴らしてやってくる。


「ティノくん、」


 ほどなく自らの隣に(くつわ)を並べた彼の名を、カミラは呼ばずにはいられなかった。

 するとジェロディは束の間こちらに視線をくれて、何も言わずに微笑する。


 ありがとう、と言われた気がした。


「やっと追いついたよ、父さん」


 やがて父へと向き直ったジェロディは毅然と胸を張り、少しの迷いも、(おご)りも、恐れもない口調で言った。


「今、僕の仲間が全力で第三軍の残党を掃討してる。だけどもう勝敗は決したも同然だ。これ以上、余計な血を流したくない──だから、終わりにしよう、父さん。武器を捨てて、今すぐ投降してくれ」


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