337.まやかしの世界で
窓から射し込む冬の西日が、室内をまばゆいばかりの黄金に染め上げていた。ソルレカランテ城の〝奥〟と呼ばれる、皇居の一階に設けられた応接室。そこで非常に肌触りのよい生地にくるまれた長椅子に腰を下ろし、我が家のごとくくつろいだ竜父は、窓際に立って夕日を眺めるオルランドの背中にゆったりと声をかけた。
「だから頼むよ、オルランド。どうかもう一度、考え直してはくれないかな?」
「……」
「……私はね。かつての君を追うようにあの山を越えてきた彼らを見て、正直とても驚いたんだ。だって彼らの魂の輝きは、まるで君にそっくりだったんだもの。おかげで私は君にそうしたように、彼らにも賭けてみたいと思わされてしまった。彼らならいつかの君のように、不可能を可能にしてくれるんじゃないかと信じてね」
「……ハーヴェル」
ところが久方ぶりの友との再会につい饒舌になる竜父とは裏腹に、窓の外を見つめるオルランドは寡黙で、声も一段と低かった。
彼はこの部屋でふたりきりになってからというもの、まともにこちらを見てくれない。竜父はそれが寂しくてたまらない。無論、彼が自分の想定外の行動に窮し、少なからず失望しているがゆえの反応であることは理解しているのだが。
「……そなたの言いたいことは分かる。つまり彼らの手を借りれば、私の帝位を維持したまま問題を解決できるはずだとそなたは考えているのだな」
「ああ、そうさ。君は端から無理だと決めつけてかかっているようだけどね。けれどかつて誰もが不可能だと言った黄皇国の再興を、君は一時的にでも成し遂げた。なら、君と同じ魂を持つジェロディたちと力を合わせれば……」
「……ハーヴェル。そなたは何故、そうまでして私を救いたがる? これほど無様に老いさらばえて、余命いくばくもない私を」
かと思えば不意にそんな質問を投げかけられて、竜父は黄金色の瞳をぱちぱちと瞬かせた。……何故彼を救いたがるのか、だって?
なるほど。確かに今の彼は、記憶にあるオルランド・レ・バルダッサーレという男よりいくらか老いて、あんなにまばゆく磨かれていたはずの知性さえも少々曇ってしまったようだ。だって以前の彼ならば、わざわざ確認などしなくとも、ただちに相手の望みや意図を理解して切り返していたはずだから。
「何故って、決まってるだろ。君は地上でただひとりの、私の大切な友人だもの。私はもし竜父も他の竜と同じく騎士を持つことを許されるなら、そのときは君と契約したいと思っているんだ。そして君ならば私のこの気持ちを自分のことのように理解してくれるはずだと信じている。そうだろう?」
「……」
「我ら竜族に比べたら、人間の寿命はとても短い。いくら引き延ばしたって、いずれ別れのときが訪れることは分かっているよ。だけど……だけどだったらせめて、友には幸せな眠りに就いてもらいたいと願うくらい──」
「……そうか。それは困ったな」
「え?」
「いや。神々の手によって創られたという竜父ならば、あるいは神の呪いも届かぬのやもしれぬが……」
「……何だって? 神の呪い?」
刹那、オルランドの口から紡がれた思いもよらぬ言葉に、竜父は思わず聞き返した。されどオルランドはやはり遠いどこかを見つめたまま答えない。そんな彼の後ろ姿は、すべてを呑み込む黄昏の光の中に今にも掻き消えてしまいそうだ。
「オルランド。君は、何を」
「まあ、良い。話は分かった。とにかく今は時間をもらえぬか」
「えっ……ってことはもしかして、救世軍との講和を検討してくれるのかい?」
「いいや、違う」
とっさに長椅子から身を乗り出し、声を弾ませた竜父の問いをピシャリと否定したオルランドの声色はやはり低く、重々しかった。
かと思えば彼はついに竜父を顧み、燃えるような逆光の中で言う。
「私が欲しているのは、そなたに再考を促す時間だ、ハーヴェル。その無邪気さは世の汚濁を知らぬ竜族の美徳だが、そなたは少々人間というものを知らなすぎる」
「そ……それは、どういう……」
「つまり、まずはそなた自身の目で見極めよということだ。そなたが喜々として語る未来は、果たして本当に実現可能なのかどうかをな」
◯ ● ◯
ガルテリオ率いる黄皇国中央第三軍との休戦協定が結ばれてから半月が過ぎた。
竜母ビアンカを介した交渉は思いのほかすんなりと進み、ガルテリオは今のところ、黄都からの知らせがあるまで戦闘を停止するという条件に粛々と従っている。
とはいえさすがは歴戦の戦巧者と言うべきか、彼もタダで休戦を受け入れたわけではなかった。ガルテリオはたとえ一時的な協定であっても、官軍の側だけが一方的に条件を呑むのは公平性に欠けるから、救世軍にもいくつかの条件を呑んでもらう必要があると言ってきたのだ。
その条件とはまず、両軍が戦闘を停止している間は、第三軍の後方で補給の妨害をしている救世軍の別働隊にも協定を遵守させること。また休戦中であっても第三軍が兵員を増強したり、軍備を整えたりするのは認めること。
前者については休戦協定の性質上、救世軍も大人しく呑まざるを得なかったが、問題は後者の方だった。何故ならすべての戦闘行為を停止するにもかかわらず、休戦中もさらなる軍備の拡充を図るということは、すなわちガルテリオは黄都における和平交渉が決裂し、再び戦争になる未来を見据えているということだ。
《だから言ってるだろ。黄皇国と救世軍が無事に講和してめでたしめでたし、なんて夢物語が叶う可能性は限りなく低いって。だったら官軍の軍備の増強を認める代わりに、こっちも例の準備を進めればいい。そうすればお互いに公平だし、いざってときも安心だろ》
ところがガルテリオが提示してきた条件を受け、カミラたちにそう助言したのは角人族のテレルだった。彼の言い分は素直に認めたくはないものの正論だ。
ゆえに救世軍は官軍側の条件を全面的に了承し、自分たちも戦闘が再開した場合に備えることにした。まずこの機に着手すべきは、先の戦いで神術砲の砲撃を受けてボロボロになったトラクア城の城門と城壁の修繕だ。
それからテレルら角人族が運んできた、対竜騎兵団用の秘策の準備。
叶うことならあんな作戦を実行する機会など訪れなければいいと願いながら、カミラは一日も早く黄都へ向かった竜父から朗報がもたらされることを祈った。
《──ふうん……じゃあおまえの父親は自分の親が何者か知ってたのか、もしくは知らなかったのか、今となっては分からないってことか。けど仮に真実を知ってたなら、自分の血筋について何ひとつ娘に語り遺さなかったのは不自然だよな》
「うん……でも、お父さんがおじいちゃんやおばあちゃんのことを極端に話したがらなかったのは、逆に全部知った上で隠そうとしてたのかも。血筋がどうとか宿命がどうとかそういうの、お父さん、すごく嫌いそうだから……まあ、ひょっとしたら私が知らないだけで、お兄ちゃんには話してた可能性もゼロじゃないけどね」
と、カミラが長椅子の上で靴を脱ぎ、膝を抱えながらそう呟いたのは、テレルらに与えられたトラクア城本丸城館の客室でのことだった。第三軍との協定がまとまり、初めのうちは城の修繕やら例の作戦の準備やらで慌ただしかった城内も、半月もするとさすがに落ち着きを取り戻し、皆が束の間の平和を享受している。
そんな中、カミラはテレルたちから様々な話を聞くためにここ数日、彼らの部屋へと通い詰めていた。
一応猿人たちが角人を連れてやってきたという事実は、幹部内でもひと握りの者しか知らない機密となっていて──何しろトリエステの話によれば、城内には未だ敵軍と内通し、情報を洩らしている輩がいるらしい──見張りの猿人族や軍師のトリエステ以外に、テレルたちを訪ねてくる者がほとんどいないのが今は救いだ。
おかげでカミラは気兼ねなくテレルたちの話に耳を傾けることができていた。
《ですが驚きました。まさかカミラさんのお兄さんがトラモント黄皇国に仕えているだなんて……とはいえお兄さんも同じ守護者の血を引いていることを思えば、官軍の側につくのはある意味納得なんですけど》
「……そうなの?」
《はい。昨日もお話したとおり、通常《碰》では天脈を通じて、神々の干渉が地上に強く働きます。《碰》は神子のいる土地で起こりやすく、大神刻の力に引かれて天霊が集まってくるためです。そして守護者とは本来、神々と敵対的な立場を取る存在ですから、当然天霊には嫌われます。なので必然的に神々の加護厚き神子とも敵対する関係になりやすいんですよ》
「で、でも……じゃあ、私はどうして神子の傍にいられてるの?」
《それはカミラさんが星刻の持ち主だからではないでしょうか。渡り星とは昔から神子を守る申し子たちを集め、結束させる使命を帯びているわけですから》
「つまり守護者の血よりも渡り星としての使命の方が勝ったから、神子であるティノくんのもとへ呼び寄せられたってこと?」
《たぶんな。だけど不思議なのは、カミラの兄が黄皇国軍にいることなんてとっくに知ってたはずの女王が、なんで星刻を託しただけで何も言わずに消えたのかってことだ。そもそも守護者の子孫にこんな厄介な神刻を押しつけていくなんて、一体何を考えていらっしゃるんだか……》
《守護者の血を引くカミラさんなら、星刻の干渉を撥ね除けられるはずだと期待された……とか? でも、星刻に再び人類の手助けをさせようとしてのことだとしたら、その力で神子を守れとおっしゃったことの説明がつかないわ》
《そうなんだよな……だいたい、自我を持って逃げ回ってた星刻をようやく捕らえたんだから、もう二度と世に出すことなく封印してしまえばよかったんだ。なのにどうしてわざわざカミラにお与えになったのかも分からない。話を聞く限り星刻の自我も健在で、再び封じられたってわけでもなさそうだし……まったく分からないことだらけだ》
と、床に敷かれた絨毯の上に腰を下ろし、物入れから取り出した色とりどりの希石を磨きながら、テレルはうーんと首を傾げた。
彼らの言う「女王」とは、どうやらあのペレスエラという赤髪の神子のことらしいのだが、角人たちが何故彼女をそう呼ぶのかはまだ教えてもらえていない。
が、髪の色から察せられるとおり、ペレスエラもまたカミラと同じ守護者の一派であり、既に数百年ものあいだ神々の侵略からエマニュエルを守ってくれているのだとテレルらは語った。しかし神と敵対するはずの守護者が《時神刻》を刻む神子とはどういうことなのかと尋ねると、テレルら曰く、
《女王はその身に時神マハルを封じ込めることで《神々の目覚め》の到来を遅らせている。《神々の目覚め》は二十二大神すべてが目覚めることによって起こる厄災だから、女王は御身を神のゆりかごとして、マハルをずっと眠らせていらっしゃるんだ》
ということらしかった。
他にもここ数日かけて、彼らから学んだことはたくさんある。たとえばエマニュエルには〝天脈〟と〝地脈〟と呼ばれる目には見えない精霊の通り道があって、読んで字のごとく天脈は天の上を通い、地脈は地の底に通っているのだという。
そしてカミラたちが普段〝神気〟と呼び、神術を用いるために使役している精霊は〝天霊〟といい、この天霊の通り道となっているのが天脈なのだそうだ。
では逆に地脈とは何かと言えば、こちらは地霊の通り道、ということになる。
地霊とはエマニュエルの自然の理──たとえば風が吹けば雲が生まれ、雨を降らせて草木を育てるといったような──を司る精霊であり、同時に希術や忍術のような神刻を介さない奇跡の源でもあるのだそうだ。
が、カミラが驚いたのは地霊と天霊は反発し合う性質を持ち、特に天霊の干渉が強まる土地には自ずと地霊も集まって、天霊を押し返そうとするという話だった。
こうした天霊と地霊の衝突は見えざるうねりとなってその地を呑み込み、人々の心を荒ませたり、天災を巻き起こしたり、魔物を呼び寄せたりするのだという。
(そして、古代ハノーク人たちはこの現象……あるいは現象の起こっている土地を《碰》と呼んだ)
《碰》は神子の現れた地に起こりやすく、またこれによる影響が顕著になると、今度は『申し子』と呼ばれる者たちが自然とそこに集まってくる。
申し子とは生まれたときから神子の守り人となることを宿命づけられた、神々の加護厚き者たちのことだ。彼らを神子のもとへ誘うのもまた天霊の働きであり、また星刻に選ばれた渡り星の役目でもある。つまり渡り星とは神子を守るため、申し子の間を渡り歩く働き蜂のようなものなのだろうとカミラは理解した。
(あちこち申し子を探して飛び回り、巣に持ち帰る働き蜂……か。だけど、だとしたらペレスエラさんは本当に、どうして私に星刻を託したんだろう? 守護者の使命は、エマニュエルを神の支配から遠ざけることなのに……)
その守護者の子孫たる自分に神子を守らせるだなんて、彼女の行動は明らかに矛盾している。ペレスエラの弟子だというターシャに話を聞けば、さらに何か分かるのかもしれないが、しかし現状、カミラの脳裏では様々な思考と感情がごちゃ混ぜになっていて、冷静に話ができる気がしなかった。
何しろテレルたちの語るエマニュエルの真実は何もかもが突飛すぎて、自分なりに咀嚼して飲み込むまでにかなりの時間と労力を要する。
おかげでカミラはこのところ、テレルたちと別れたあともぐるぐると考え込んでばかりで、夜もまともに寝つけない状態が続いていた。
(だって、テレルたちの話が全部本当なら──私が渡り星にさえ選ばれなければ、お兄ちゃんと戦う必要なんてなかったってことじゃない)
星刻さえなければ、自分はどこかで救世軍を離れ、今頃は兄のもとに身を寄せていたかもしれなかった。
無論、星刻があろうがなかろうが、自分が救世軍を見捨てる選択肢など取り得たかどうかは未知数だし、ジェロディたちと出会ったことも後悔していない。でも。
(今日まで悩んで、苦しんで……それでも自分で選んだ道だと思ってきたことが全部《天の繰り糸》に操られた結果だった、なんて……)
テレルたちの話によれば《天の繰り糸》とは、天脈から降り注ぐ神々の意思──すなわち天霊が人間の無意識の領域に作用して、神の望む方向へ物事が進むよう操作される現象を指すらしい。まるで天から垂れる見えざる糸が、エマニュエルという広大な舞台で繰り広げられる人形劇のごとく人を操る神々の遊戯。
自分はそんなもののために、兄との幸せな暮らしを奪われたのか。
そう思うと世界のあまりの理不尽さに、カミラは膝へと顔をうずめて、自らを強く抱き締める他なかった。
(いつか、ヴィルが……真実を知れば、私が魔界に与することを是とするかもしれない、って言ってた意味が、やっと分かった)
神々と敵対し、地の底からエマニュエルの奪還をもくろむ魔のものたち。
守護者の血を引くカミラは、本来であれば彼らと利害が一致しており、ゆえに魔界と手を結ぶこともやぶさかではないと考えるかもしれない、とヴィルヘルムは危惧したのだろう。実際、今日まで出会った魔族たちがカミラを勝手に「同志」と呼び、魔界へ引き摺り込もうとしていた理由にもこれで納得がいく。
彼らはカミラが守護者の末裔であることを知っていて、だからこそ互いに手を取り合い、共に神を打倒しようと誘いをかけていたわけだ。
そしてヴィルヘルムはそうしたこの世の真実がカミラを打ちのめし、絶望の淵へ叩き落とすであろうことを知っていたから、守ろうとしてくれていた。
誰に何を言われようとも頑なに口を閉ざし、カミラを真実から遠ざけることで。
(……ヴィルがいつも私のために、最善を尽くそうとしてくれてることは分かってた。それでも私は真実が知りたかった。知った上でどう思おうが、全部自分の責任だって思ってたから……だけど〝世の中には知らない方が幸せなこともある〟って誰かの格言は、本当だったのね)
おかげで真実を知ってしまった今、カミラはどんな顔をしてヴィルヘルムに会えばいいのか分からない。テレルたちから話を聞くために、彼らが城に来ていることはヴィルヘルムにも秘密にしておいてほしいとトリエステに懇願した手前、余計に顔を会わせづらい。しかしかと言って、いつまでも逃げ回ってはいられなかった。
──そうだ。真実は確かにやさしくなんてなかったけれど、知ったからには膝を抱えてじっとしてなどいられない。
「……ねえ、テレル」
《ん?》
「ペレスエラさんは自分の体にマハルを閉じ込めて、今も希術で《神蝕》を抑えてるのよね? なら、ティノくんの《神蝕》も同じように抑えることはできる?」
《まあ、恐らくできなくはないけど……《神蝕》の進行を抑えるためには、大神刻の力を使わないことが大前提だ。だけどあいつが生命神の力を封印したら、救世軍はまともに戦えないだろ。代わりに希術を使うにしても、外づけの力じゃ限度があるし……》
「外づけ?」
《要は希石を用いた希術のことです。ですが希石に込められる力には限界がありますし、そもそも良質な希石を量産すること自体が難しいですから……》
《ま、女王みたいな守護者になれば、大神刻と同等の力を使えるようになるだろうけどさ。ジェロディは既に結構《神蝕》が進んでるから、今から守護者になろうとしたらハイムの抵抗が激しくて大変だろうな》
「た、大変って……具体的にはどうなるの?」
《いや、ジェロディ自身には特に何もないけど、あいつを守護者にするためにかなりの数の生け贄が要る》
「い、生け贄……!?」
《うん。しかも守護者と志を同じくする者……つまり〝神を呪う者たち〟を生け贄に捧げる必要があるから、今のエマニュエルじゃ難しいだろ。ハノーク大帝国では国を挙げてテヒナに対抗しようとしてたから、世界の真実を知ってテヒナを憎む人間が大勢いたけど、現代では世界中の人間がやつらを神だと思い込んで信仰してる。テヒナは大帝国の失敗から学んで、以後数百年、人類を飼い慣らすことに注力しまくったからな。おかげでみんな見事に洗脳されて、ご覧のありさまさ》
「そ、そんな……じゃあ、他に何かティノくんを《神蝕》から救う方法はないの? たとえば黄皇国のフラヴィオ一世みたいに、大神刻を体から引き離すとか……」
《ああ、そういえば黄皇国の初代皇帝は太陽神の神子だったっけ。けど、大神刻を剥がすのもあんまりお勧めしないな……特にジェロディは、さっきも言ったとおり《神蝕》がかなり進んでるし》
「《神蝕》が進むと、大神刻ははずせなくなっちゃうの?」
《いえ……ハノーク人の技術を使えばたとえ《神蝕》末期であっても、神子と大神刻を分離させることは可能です。ただ……あまりに《神蝕》が進んだあとだと、分離後の神子は長くは生きられないんですよ》
「えっ……」
《実際、例のフラヴィオ一世とやらも、神子を辞めてから数年で早世したろ。まだ若かったのに、自分の魂とほとんど融合しかかってた大神刻を無理矢理引き剥がしたせいで、魂がひどく損傷して長生きできなかったのさ。表向きには原因不明の病で死去ってことにされてたけどな》
「うそ……」
《……というかだな、カミラ。前から察してはいたんだが──おまえ、ジェロディに気があるだろ》
「……え?」
《今だってあいつの《神蝕》を止めたいなんて言い出したのは、あいつのことが好きだからだろ。そうじゃなかったら普通は〝ジェロディの〟じゃなくて〝他の神子の〟って訊き方をするんじゃないか? 救世軍にはジェロディ以外にも神子がいることを思えば、なおさら》
「え……い、いや……いやいやいやいや、テレルったら突然何言い出すの? わ、私は、ただ──」
《けど、あいつに入れ込むのはやめとけよ。それもテヒナの思う壺なんだから》
「ど……どういう、意味?」
《渡り星の使命は神子を守ることだって言ったろ。そのためにテヒナは両者の境遇や思考をいじって、お互いがお互いの存在に依存し合うように仕向けるんだ。つまり、おまえがジェロディのことを気にするのは気の迷い──テヒナに意識を操られて、好きだと思い込んでるだけなんだよ》
となおも希石を磨きながら、不機嫌そうに口を尖らせたテレルの言葉が刹那、巨大な氷の槌のごとくカミラの魂を殴りつけた。
おかげでカミラの世界は暗転し、不意に痛いほどの静寂に襲われる。
(……気の、迷い?)
そう自問してみても何だかすべてが浮ついて、実体がないみたいに何ひとつ腑に落ちなかった。否、あるいは単に突きつけられた言葉を、信じたくなかっただけかもしれないけれど。
(い、いや……そりゃ、確かに私はティノくんのことが好きだとか、そんなんじゃない、けど……)
けれど、彼のことが大切だ、と。
失いたくないと願うこの気持ちが、全部まやかし?
すべては神の器であるジェロディを守らせるために、神々が植えつけたもの?
自分の感情じゃ、ない?
(なら、私はティノくんのことを……ほんとはどう思ってるの?)
分からない。大切な仲間だと思っていた。信頼できる同志だと思っていた。
その強さが、優しさが、まっすぐさが、彼の持つ何もかもがまぶしかった。
しかしそれも、そういう風に思わされていただけ、なのだろうか?
神々の描く理想の未来のために?
だとしたら自分の本当の気持ちというものは、一体、この世界のどこに、
「カミラ!」
瞬間、凍りついた思考を割らんばかりに轟き渡った呼び声と、扉を蹴破る音にカミラはびくりと飛び上がった。そうして放心しながら見やった先には、息を切らせて飛び込んできたイークがいる。
扉の前には見張りのウーたちが座り込んでいたはずだが、全員イークの剣幕に押しのけられたのか、わけも分からぬまま後ろで目を白黒させているようだ。
「え……あ……い、イーク……? そんなに慌てて、どうかしたの──」
「今すぐ装備を整えて戦闘配置につけ! ガルテリオが攻めてくるぞ!」
「え……?」
「さっき黄都から非常事態を知らせる竜騎士が来た! そいつの話によれば──黄帝の説得に向かった竜父が救世軍の襲撃を受けて、消息不明だ……!」




