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332.光さす方へ


「ヴィルヘルムさん」


 翌朝、ジェロディはまだ夜も明け切らぬうちに雪洞の内壁に身を預け、座ったまま休んでいるヴィルヘルムに声をかけた。オーウェンとシズネは深く眠っている。

 外では今も風がうなり、分厚い雪雲が天を覆って、朝なのか夜なのかも判然としない暗さだった。が、どうやらヴィルヘルムはとうに目覚めていたようで、名を呼ぶと当然のごとく目を開き、じっとジェロディを見据えてくる。


「ここまでゲヴラーさんたちに代わって道を作って下さって、ありがとうございました。オーウェンとシズネのこと……お願いしてもいいですか?」


 洞の入り口を塞ぐために吊るした幕舎の布が吹雪に叩かれ、バタバタと音を立てるのを聞きながら、ヴィルヘルムは再び隻眼を眠らせた。が、やがて静かに(まぶた)を開くや傍らに置かれた愛剣を手に取り、漆黒の鞘に触れて呟く。


「シュトゥルム。族長の名の(デア・ヴィゼッツァ・)下に命じるヴィフィートゥ・イーヌン──」


 耳慣れない響きのその言語は恐らくゲヴァルト族の言葉なのだろうと思われた。

 しかしジェロディが何より驚いたのは、ヴィルヘルムがゲヴァルト語で語りかけると、彼が『シュトゥルム』と呼ぶ(つるぎ)(つば)に埋め込まれた緑玉(ほうせき)が美しく輝き出したことだ。


「……持っていけ。ここからは俺に代わって、シュトゥルムがお前を導く」

「ですが、ヴィルヘルムさんは」

「俺はいざとなればオーウェンの得物を借りるから気にするな。オーウェンもあの状態では、もはやまともに動けんだろうからな」

「……はい」

「とにかくシュトゥルムが指し示す方角へ進め。そちらが東だ。咒武具(ヘクセライ)に宿る咒術(ゲヴェット)希術(きじゅつ)や忍術ほど万能ではないが、シュトゥルムを手放さずにいる限り、祖霊(かぜ)がお前を守るだろう」

「ありがとうございます。ですが、この剣は……ヴィルヘルムさんにとって、とても大切なものなんですよね。でしたらあとで必ずお返しします」

「ああ、そうしてくれると有り難い。シュトゥルムはヴァンダルファルケ族の歴代族長の魂が宿る、ゲヴァルトの至宝なのでな」


 それはまた責任重大なものを預かってしまったなと思いながら、ジェロディは受け取ったシュトゥルムをしっかりと腕に抱いた。

 ヴィルヘルムが時折操る風術は神刻(エンブレム)由来のものでないことは何となく分かっていたが、咒術というのもゲヴァルト族の間に伝わる秘術なのだろうか。

 後日無事に再会できたなら、ぜひそのあたりの話も詳しく聞いてみたい。

 そう思いながらジェロディは手早く荷物をまとめ、必要最低限の装備の下にシュトゥルムを背負って雪洞を出た。吹雪はまだ続いている。


 数刻前に比べればいくらか勢いは弱まっているものの、相変わらず視界はきかなかった。されど背に負ったシュトゥルムが瞬く宝石から風色の光線を放ち、進むべき方角を示してくれる。これは有り難い。太陽も星も見えない天の下で、目指すべき方向を見失わずに済むというのは僥倖(ぎょうこう)だ。


 おかげでジェロディは、とにかく足もとの安全を確かめながら進むことに集中できた。いちいち方角を確かめるために立ち止まる必要もなく、光の示す先へ歩き続けるだけでいいのだから、こんなに助かることはない。


 おまけにヴィルヘルムはさらに別の術までかけてくれたのか、ジェロディが雪洞を出た途端包み込むような風が逆巻き、雪を伴う向かい風を打ち消してくれた。

 顔を上げていると常時目の中に雪が飛び込んでくる状態だったので、これもまた有り難い。本当に自分は皆に助けられてばかりだ。かつて真帝軍(しんていぐん)を率いたオルランドや父のガルテリオに比べたら、今の自分はあまりに非力で頼りないに違いない。

 けれど、それでも救世軍の仲間たちはそんなジェロディを一途に信じ、命まで預けてくれる。だからこそジェロディも彼らの信頼に応えたかった。守りたかった。


 皆の傍を離れ、たったひとり、凍てつく岩と氷の世界にいる今だからこそより強く、心の底からそう思う。


「……この先か」


 そうして一体どれほどのあいだ歩き続けたのだろう。時間の感覚は既に失われて久しかった。とにかく一度も休まずに歩いてきた記憶しかなく、雪洞をあとにしてから何刻、あるいは何日が過ぎたのかさえ定かではない。そして未だ吹き荒れる風雪の中、シュトゥルムが指し示しているのは天高く(そび)える岩壁。果たして高さはどれほどあるのか、目測してみようにも天辺は吹雪に隠れてよく見えない。

 だが東へ進むにはここを越えてゆくしかなさそうだ。迂回できそうな足場も見当たらないし、何より今のジェロディに遠回りをしている余裕はない。

 こうしている間にも、救助を待つ仲間の命が刻一刻と削られているのだ。


 ──登ろう。


 誰に呼びかけるでもなくそう呟いて、ジェロディは眼前に突き出した岩の突起に手をかけた。これまでも何度かこうした崖を登ってきたが、先に登攀(とうはん)した諜務隊(ちょうむたい)の補助や命綱なしに自力で登るのは初めてだ。されど怯んでなどいられない。


 ──登れ。登るんだ。


 とにかく上だけを見つめて下は見ず、心を無にする。

 恐怖や迷いが思考に入り込む余地など与えない。冷たい岩肌にしがみつきながら頭に思い浮かべるのは、仲間との大切な約束だけ。岩の感触を確かめながら登るべく手套(しゅとう)をはずした指先の皮膚が破れ、青い血が滲み、痛みで登れなくなったら《(ハイム)神刻(・エンブレム)》の力を使い、神の恩寵が傷を癒やすまで衣服を空中に固定して休む。


 いっそこのまま生命神(ハイム)の力で衣服ごと体を上へ運べないだろうかとも思ったが、何(アナフ)も先まで浮き上がるにはかなりの神力を要しそうだった。

 それでも今の自分なら、きっと不可能ではないと思う。

 ただ、実行すればまた一気に《神蝕(しんしょく)》が進んでしまいそうで恐ろしい。


『私……ほんとはティノくんに、あんまりハイムの力を使ってほしくないの。これ以上《神蝕》が進むのは嫌』


 数日前、そう零していたカミラの気持ちが今はジェロディにもよく分かった。

 だからせめて、息の続く限りは自力で登ろう。

 そう決意し、白い呼気を弾ませながらさらに上へ、上へと進む。


「……っ!」


 そこへ突然の強風。いきなり吹き荒れた横殴りの風に、ジェロディは危うく岩壁から引き剥がされそうになった。しかし寸前、背中に負ったシュトゥルムが瞬き、ジェロディを崖に押しつけるような風を生み出して支えてくれる。


『シュトゥルムを手放さずにいる限り、祖霊(かぜ)がお前を守るだろう』


 ヴィルヘルムのあの言葉は本当だった。この(つるぎ)には確かに意思(たましい)が宿っている。

 ──ありがとう。ゲヴァルトの英霊たちにそう伝えたくて顔を上げた。

 瞬間、ジェロディは気づく。雪が止んだ。風は未だ猛威を振るっているものの、見上げた雲の切れ間からわずかな光が射している。


「あ──」


 そして、見えた。雲間から伸びた金色(こんじき)の光が示す先。


 そこに、ひと際高く天を貫く鋭峰があった。


 まるで三叉(みつまた)の槍のごとく、左右にもまた鋭き峰を従えながら。



              ◯   ●   ◯



「さて、それじゃあどうしましょうかね!」


 と聳え立つ絶壁を前にして腕を組み、白い息を弾ませたカミラの隣で、同じ崖を見上げたイークが呆れたような声を上げた。


「いや、どうするも何も……お前、本気でコレを登れると思ってんのか?」

「まあ、そこはこう、ほら、気合いと愛のパワーで何とか?」

「そんなもんで世の中何とかなっちまうなら、もはや救世軍なんて必要ないだろ」

「ハイハイ、そういうね! そういうところですよイークさん! そうやって昔から何でも否定的かつ悲観的に捉えてばっかりだから、郷の女の子たちにも〝怖い〟とか〝話しかけにくい〟とか〝顔だけならエリク(おにいちゃん)より好みなのに〟とか散々言われて──っていたたたたたた痛い痛い! あーそういう! そういうところもですよイークさん! 何でもすぐ暴力で解決しようとするのもやめて下さい!? ただでさえ寒すぎて耳が痛いのに!」


 とカミラが必死に訴えても、イークは当分耳を引っ張るのをやめてはくれなかった。それが「お前ちょっと黙ってろ」の合図なのは分かっているのだが、だからと言って大人しく沈黙してなどいられない。


 何しろエルネストの山小屋をあとにしてからというもの、イークの周りではずっと棘々(とげとげ)しい神気が渦巻いていて、居心地が悪いったらないのだ。ただでさえ積もりに積もった雪を掻き分けてここまで来るだけでも重労働で、正直死にそうになっているというのに、このままでは息が詰まってカミラは本当に死んでしまう。


「──念のため、最後にもう一度言っておこう。私は確かに貴君ら反乱軍に智恵を授ける用意があるが、あくまでも貴君らにそうするだけの価値があると証明された場合の話だ。現在のトラモント黄皇国には、かつて偽帝派(ぎていは)と呼ばれた者たちの残党に足を引っ張られ、本領を発揮できていない人材が巨万(ごまん)といる。たとえば貴君らのよく知る黄都守護隊(こうとしゅごたい)の面々がいい例だ。されど彼らが黄皇国の現状を覆せるだけの条件が揃ったならば、私は再び国へ戻り、オーロリー家を再建するつもりでいる。その筋書きを止めたくばせいぜい足掻くといい。ふたり合わせてもアンゼルムの器量にすら劣る貴君らがどこまでやれるのか、見物させてもらうとしよう」


 カミラとイークがかつて『神謀(しんぼう)』と呼ばれた男からそんな有り難いお言葉を頂戴して小屋を出たのは、夜が明けて間もなくのこと。

 数日続いた悪天候がようやく落ち着き、およそ半月ぶりに晴天が覗いた今日、カミラたちはやっとのことで登山の再開に踏み切った。

 本当はもっと早くにあの小屋を出てジェロディたちとの合流を図りたかったのだが、竜牙山(りゅうがざん)をよく知るゲヴラーやパオロとはぐれた上に必要な装備もほとんど失った状態では、悪天候の中へ無理矢理飛び出していくわけにもいかなかったのだ。

 幸い食糧はエルネストに分けてもらうことができたが、それ以外の装備を改めて揃えるのは難しく、再出発の決断にはかなり慎重を期さねばならなかった。


(おまけに星刻(グリント・エンブレム)は何度呼びかけてもティノくんたちの状況を教えてくれないし……みんなで山を登ってる間は従順だったくせに、ほんとになんでこう気まぐれなのかしら。まあ、今日になってようやくイークと私が崖を落ちた地点まで案内する気になってくれたのは助かったけど……)


 期せずして仲間と別行動になってしまった今、最優先すべきはまず彼らと無事に再会すること。そう判断したカミラは星刻が持つ過去視の力を使って、数日前の落下地点まで戻ってきた。イークの手を握って〝過去〟を()れば、彼の辿(たど)ってきた道筋に見当をつけ、その道を引き返すことが可能だったのだ。


(つまりこの崖の上に例の洞穴があるわけだけど……)


 そう思って見上げた崖の高さは、優に八枝(四〇メートル)を超えていた。

 こうして麓から仰ぎ見てみると、あの高さから落ちて生きているのは奇跡だなと思えるほどだ。さらに言えば、これはイークの過去を視て分かったことだが、彼もカミラを助けるために想像を絶する危険を冒していた。何せこんな崖を自らの意思で飛び下りたというだけでも狂気の沙汰なのに、さらには猛烈な吹雪の中でカミラを背負い、行く宛もなく延々と雪山を彷徨(さまよ)(ある)いていたのだから。


「はあ……おかげで私も助かったわけだけど、ほんとひとりで無茶ばっかり……」

「……あ? おい、今、何か言ったか?」

「どうやってコレを登りましょうかねって言ったんですー。私もイークも木登りなら大得意だけど、崖登りはさすがに門外漢だし……」


 久方ぶりに青空が覗いたとはいえ、竜牙山は相変わらず風が強い。

 ゆえにカミラのぼやきはイークには届かなかったらしく、それを幸いと適当に話を誤魔化した。次いで何度か崖上に向かって大声を上げてみたものの、あたりには山彦が(こだま)するばかりで、誰かが顔を覗かせる気配はない。

 まあ、当然と言えば当然だ。何しろエルネストから聞いた話が本当なら、なんと今日は黄暦(こうれき)三三七年の賢神(けんしん)の月、賢神の日。つまりいつの間にやら年が明け、記念すべき六聖日(ろくせいじつ)の初日を迎えていたというわけだ。


 おかげで今日という日をもってカミラはめでたく十八歳となり、イークは二十四歳になった。けれども今は「今年も無事にひとつ年を取りましたね」なんておめでたがっている場合ではない。何故ならカミラたちが竜牙山登山を開始したのは翼神(よくしん)の月、賢神の日──すなわちちょうどひと月前だ。そして今回、決死隊が持ち込んだ食糧はきっかり二十日分だった。よってとうに食糧は底をついているはずで、そうなる前に皆は竜の谷(アラニード)を目指して出発したと考えた方が自然なのだ。


(当然、残りの食糧を考えればわざわざ崖を下りて、生きてるかどうかも分からない私たちの捜索をするなんて選択肢は取れなかったはず……ティノくんやオーウェンさんあたりはそれでも探しに行くべきだと主張したかもしれないけど、ヴィルやゲヴラーさんなら冷静に〝生きてる仲間の安全を優先すべきだ〟と(さと)してくれただろうし……だとしたらみんなもどこかで無事でいるはずだと信じたいわね)


 むしろ自分やイークを探すために、皆が敢えて全滅の危険を冒したなどとは考えたくない。あんな無茶をしでかすのはイークひとりで充分だ。されど問題は、果たして星刻の導きなしに彼らは竜の谷を目指せたのかということ。

 一応、吹雪を避けるために立ち寄ったあの洞窟は、かつて先代渡り星(マナ)が真帝軍の決死隊を導いたときにも辿り着いた場所だったそうだから、当時共に竜の谷を目指したヴィルヘルムやジャックの記憶をもとに谷を見つけられた可能性はある。

 けれどふたりがマナと共に山を登ったのはもう十年近くも前のことだ。

 そんなあやふやな記憶を頼りに、皆は無事谷まで到達できたのかどうか……。


「……やっぱりもう一度試してみようかしら」

「は? 試すって何を?」

「もちろん幻視よ。せめてみんなが今どこにいるのかだけでも確かめないと、今後の方針を決められないでしょ? もしかしたら今もどこかで足止めを食ってる可能性もあるし──」

「やめろ。わざわざ幻視なんかしなくても、竜の谷を目指して進めばどこかで合流できるだろ。第一、あいつらはとっくに谷に着いてる可能性だってある。だったら俺たちはとにかく東へ進めばいいだけだ」

「でも、私たちだって分かってるのは〝谷はここから東の方角にある〟ってことだけで、正確な場所や行き方まではあのエルネストって人も教えてくれなかったじゃない。ならまずはみんなの居場所を調べて、確実に合流を目指した方が……」

「だから、星刻の力を使うのは必要最低限にしろと言ってるだろ。ただでさえお前は俺と自分の怪我を治すために、無茶な力の使い方をしたばかりなんだぞ。これ以上そいつを乱用すれば……」

「いや、そもそもそれよ、それ! イークってば、なんでそこまで星刻を目の敵にするわけ? みんなとはぐれるまでは、私が星刻を使っても何も言わなかったじゃない。そりゃ確かに星刻は異様に神力を消耗するし、今は回復を助けてくれるティノくんも傍にいないから、心配なのは分かるけど……」

「そういうことじゃない。お前、そいつを使ってて何も感じないのか?」

「感じるって何を?」

「他の神刻にはない違和感みたいなもんだよ。そいつはどこからどう見ても普通の神刻じゃない。そんな得体の知れない神刻を気軽に使いまくる方がどうかしてる」

「でも私の前の使い手だったマナさんなんて、生まれたときから星刻を使えたっていうし、そのせいで何かひどい目に遭ったとかいう話はヴィルからもラファレイからも聞いてないわ。何より私に星刻を譲ってくれた人は、この力で救世軍やティノくんを守れって……」

「……確か、ペレスエラとかいう時神(マハル)の神子がそいつを寄越したと言ってたか。だがその女自体怪しすぎて、信用していいのかどうか分からないだろ」

「そりゃまあ、私もあれ以来あの人には会えてないから何にも言えないけど……だけどペレスエラさんとずっと一緒に暮らしてたっていうターシャの話では、彼女はエマニュエルのことを何でも知ってる偉い魔女だって」

「魔女?」

「あ、ま、魔女って言っても、別に魔界と(ちぎ)った異教徒って意味じゃないわよ? ただアビエス連合国なんかでは、希術使いの女性を便宜上〝魔女〟って呼ぶことがあるらしくて……」

「ならペレスエラとかいう女は、神子であり希術師でもあるってのか?」

「ターシャに希術の使い方を教えてくれたのもペレスエラさんらしいから、そうなんじゃない? と言っても今の話は全部カイル経由で聞き出したことだから、詳しいことはターシャ本人に確認してみないとだけど──」


 と、カミラが腰に手を当てて、念のためにそう補足を加えたときだった。

 深い雪を被った岩棚に佇み、ふたりがすっかり本題から逸れてしまった話題に終始していると突然、真っ白だった視界が巨大な影に覆われる。

 が、異変に気づいた両者がぎょっとして固まったのも束の間、岩棚を呑み込んだ影は一瞬で過ぎ去り、直後にすさまじい突風が吹き荒れた。

 あまりにも唐突な出来事にカミラは理解が追いつかず、おかげで暴風を遮るものなど何もない白銀の世界から吹き飛ばされそうになる。


「カミラ……!」


 瞬間、浮き上がりかけたカミラの腕をイークが掴み、雪の中へ沈めるように押し倒した。その上にイークも覆い被さるようにして、咆吼を上げる風の猛威に耐え忍ぶ。されど問題の突風が吹き荒れたのは、幸いにしてほんの数瞬のことだった。

 カミラは雪に埋まってしまったせいで周りの状況がよく分からなかったものの、じっと耳を澄ます限り、あたりには再び平穏が訪れたようだ。


「び、びっくりした……イーク、大丈夫──」

「──あわわわわ……す、すみませーん! 人がいらっしゃるのに気づかず、失礼しました! 大丈夫ですか……!?」


 ところが刹那、とっさに自分を守ってくれたイークの安否を確かめようとしたカミラの言葉を、まるで聞き覚えのない女の声が遮った。

 自分とイーク以外、他に人影などなかったはずの岩山に突如響いたその声に、ふたりは倒れ込んだまま思わず顔を見合わせる。

 (しか)して声の主の姿を確かめようと体を起こし、空を見上げたところで絶句した。


 何故なら──竜だ。竜がいる。


 四足のトカゲに似た姿に、膜状の翼。磨き抜かれた(つるぎ)のような一対の角が伸びる頭部には、空の色よりも深く青い大きな宝石。恐らくはあれが噂に聞く『竜命石(りゅうめいせき)』なるものだろう。カミラは本物の竜を目にするのは初めてだが間違いない。


 だってあの生物は同じ〝竜〟の名を持つ亜竜や竜人(ドラゴニアン)とは比べものにならないくらい巨大で、あんなにも神々しい──


「……ほう。赤い髪の娘に青い羽根を持つ(おのこ)か。なるほど、この者たちがティノ坊の言っていた〝カミラ〟と〝イーク〟で間違いなさそうよの」


 かと思えば、太陽を背にしてこちらを見下ろす()()の声が直接頭の中に響いて、カミラはますます呆気に取られた。


 これが〝竜〟──数々の神話に語られる、神々によって創造されし生物かと。


「えっ。お、驚いた、まさか本当に生きてたなんて……! カミラさん、イークさん、お初にお目にかかります。我々は救世軍総帥であるジェロディ殿のご依頼により、竜の谷からあなた方の捜索に()(さん)じた『翼と牙の騎士団』──私はその団長のアマリアと申します。まずはおふたりとも、ご無事で何よりです!」


 ほどなくカミラは先程聞こえた女の声が、自分たちを見下ろす白銀の竜の背中から上がったものだったのだと理解した。よくよく見れば竜の背中には大きな鞍のようなものが乗っていて、そこに女がひとり騎乗しているのだ。


 アマリアと名乗った彼女は竜の頭部を模した(かぶと)を頭に乗せて、さらに自身の身の丈以上もありそうな長さの槍を携えた珍妙ないでたちではあるものの、自らを指して『翼と牙の騎士団』の団長だと言った。しかも半ば放心しているカミラの聞いた幻聴でなければ、ジェロディの頼みを受けて自分たちを探しにやってきた、とも。


「イーク」


 そうしてすべてを理解したとき、カミラは震える声で彼を呼び、ぎゅっと()(すが)らざるを得なかった。

 するとイークも「ああ」と頷き、まぶしそうに目を細めて天を仰ぐ。彼の視線の先にはいつの間にか、アマリアを乗せた銀竜の他にも無数の竜影(りゅうえい)が浮かんでいた。

 彼らは団長(アマリア)が一度は飛び過ぎた地点へ慌てて引き返したのを見て、あとを追ってきた竜騎士のようだ。とにかく右を見ても左を見ても竜、竜、竜……。


 その荘厳な景色を目の当たりにしたら、思わず視界が滲んでしまった。


 ああ、よかった。共に竜牙山へ挑んだ仲間たちは──ジェロディは無事に竜の谷へと辿り着いてくれたのだ、と。


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