331.竜牙山決死隊の顛末
カミラとイークが消息を断ってから四日が過ぎた。
吹雪は止まない。否、時折ふっと荒れ狂う風雪が静まる瞬間はあるのだが、大抵が日没の直前や真夜中のことで、数刻もするとまた吹雪き出す。
おかげで誰ひとりとして洞窟から出られないまま、時間ばかりが流れていった。
今夜も洞窟の外では白い闇が獰猛な吼え声を上げている。
時刻は深夜で、皆が寝静まる中火の番をするジェロディは、焚き火の傍でじっと膝を抱えていた。そうして自らの膝に顔をうずめ、両腕をきつく抱いて、今すぐここを飛び出してしまいたい衝動を押し殺す。こんな天候の中、ろくな装備も食糧も持たずに崖から落ちたふたりが無事でいるはずがないと囁く自分を、それでもきっとどこかで生きているはずだというか細い希望で捩じ伏せる。
だが問題はカミラとイークの安否ばかりではないのだ。このまま吹雪が長引けば洞窟に留まるジェロディたちの先行きも危うい。何しろ夜が明ければ、決死隊が竜牙山登山を開始してから十二日目になる。そしてジェロディたちが今回持ち込んだ食糧及び燃料は二十日分だ。つまりもう八日しか猶予がない。
かつて一度竜の谷までの登山を経験しているヴィルヘルムやジェイクの話によれば、前回は洞窟を出てから谷へ至るまで七日かかったとのことだった。
しかしここで重要なのは彼らの場合、カミラと同じ星刻の使い手だったマナの先導の下で七日かかったという事実だ。現在の食糧事情を考慮すると、ジェロディたちにはもはや元来た道を引き返し、カミラたちを探しに向かう余裕はない。
されどそうなると一行はカミラの先導なしに山を登り、竜の谷を探し当てねばならない。となれば前回星刻が導き出した最短経路を辿るのは難しく、谷を見つけ出すまでに七日以上の日数を要することはほぼ確実と見ていいだろう。
要するにカミラという導き手を失った今、ジェロディたちは進むにしても退くにしても深刻な食糧難に直面する可能性が高いというわけだ。
(どちらにしても食糧が足りないなら、八日以内に谷へ辿り着ける可能性に賭けて進むしかない。死んだ諜務隊員とカミラ、イークの分の食糧を合わせれば、さらにもう二、三日は持つかもしれないし……だけど本当にこのままふたりを置いていくしかないのか? やっぱりあのとき、僕もふたりのあとを追っていれば……)
夜が来るたび、そんな後悔がジェロディの胸を灼く。ふたりを助けられなかったという現実が、叫び出したい衝動となって全身を駆け巡る。
無論、自分も一緒に飛び降りたところでどうにもならなかったであろうことは分かっているのだ。それでも四日もの間、何もできずに膝を抱えているよりはずっとマシだったはずだと、そう思う。
「これ以上は無理だ、ジェロディ殿。天候は回復したとは言い難いが、ようやく明るいうちに吹雪が小康した今、出発しないと食糧が尽きる。途中でまた進めないほど天候が悪化するようなら、雪洞を掘ってやりすごすという手もあるし、とにかく進めるときに少しでも進まにゃみな飢えるぞ。決断してくれ。嬢ちゃんやイーク殿のことは確かに気がかりだが、おれたちが全滅すれば救世軍は今度こそ終わりだ」
やがて長かった夜が明け、洞窟の外がうっすら白み始めると、起床したゲヴラーがすぐに様子を見に行き、戻ってくるやそう告げた。確かに外ではまだ雪が降り続き、当分晴れそうもない分厚い雲が空を覆ってはいるものの、絶え間なく吹き荒んでいた強風は止んでいる。もちろんまったくの無風というわけではなく、今も時折思い出したように強烈な風が吹き過ぎてゆく瞬間はあった。
されどそれさえやりすごせれば、何とか進めそうな天候であることは事実だ。
「で、ですが、親びん……本当にあのふたりを置いて出発するんで? そりゃこのままじゃ食糧が持たねえってのはそのとおりなんでやんすがね、しかし嬢ちゃんの案内なしに山を登るってのは……」
「確かに残りの食糧で、星刻の案内なしに谷へ辿り着けるのかって不安はある。だがまあ、洞窟からなら俺とヴィルヘルムの記憶を頼りに進めないこともない。一応だいたいの方角くらいなら見当がつくし……」
「じ、じゃあやっぱり、カミラとイークのことは見捨ててくってことかよ? あいつらは食糧も持たずに崖から落ちたんだぞ? 仮にヴィルヘルムの旦那の言うとおり、ふたりが今もどこかで生きてるなら早く救助に向かってやらないと、どのみち食い物が尽きて……」
「デシたら、おふたりの捜索には諜務隊員を一名向かわせマス。ワレワレならばおふたりが落下したと思われる地点マデ、垂直に崖を下りられマスので」
「……つまりひとりだけ僕らと別行動を取るってことかい?」
「ハイ。デスガご安心下サイ。シノビ同士であれバ、離れていてもシキガミを使って連絡が取り合えマスし、無事にカミラさんと合流デキれば、星刻のチカラをお借りしてワタクシたちを追跡するコトも可能かと」
「……確かにそれが現状、最も現実的な策かもしれんな。何より俺たちが先に竜の谷へ到着すれば『翼と牙の騎士団』に空からの捜索も依頼できる。人間の足で探せる範囲には限りがあるが、竜の視力を使って空から探せば、ふたりを発見できる確率も格段に上がるだろう」
「な、なるほど……どうされます、ジェロディ様?」
と困り顔で尋ねてきたオーウェンは、しかしまだカミラとイークを置いていくことに抵抗を感じている様子だった。無論ジェロディとて同じ気持ちだ。叶うことならたとえ不毛であっても、自らの足でふたりを探しに行きたい。だが今すぐ竜の谷を目指して発たなければ、ここにいる皆の命まで危険に晒してしまうのだ。
苦渋の決断だった。
ジェロディは未だ胸裏で暴れる感情を押し殺すべく瞑目し、瞼の裏に、今も自分たちの帰りを信じて待っているであろう仲間たちの姿を思い描く。
「……シズネ」
「ハイ」
「すまない。僕のせいで、諜務隊から犠牲者が出たばかりなのに……」
「イイエ、ジェロディさま。どうかお気に病まれナイで下サイ。キリサトのシノビにとって、主に命を捧げられるコトは無上の喜びなのデスから」
そう言ってにこりと微笑したシズネは、すぐに背後へ向き直ると生き残ったふたりの仲間のうち、より熟練のシノビと思われる方へサギリ語で何か言い渡した。
するとシノビはサッとシズネの前に跪き、短く「御意に」と返事をするや、あっという間に荷物をまとめて出発する。
「……よし、僕たちも行こう。ヴィルヘルムさん、ジェイク。カミラがいない今、竜の谷へ辿り着けるかどうかはおふたりの記憶にかかってます。道中何か思い出すことがあれば、何でもすぐに教えて下さい」
「はあ……こういう役回りになるのが嫌だったから、俺は行かねえって言ったのによ。結局胃が痛む立場に追いやられるんだよなあ……」
「ぼやくな、ロベルト。むしろこうした事態も見越してお前をつけたトリエステの慧眼に感謝すべきだろう。おかげでお前は雇い主の依頼を遂行できるんだからな」
「他人事みたいに言いやがるがな、俺ァ正直、谷までの道のりなんてマジで覚えてねえからな! 分かるのはせいぜい方角くらいだ。あとはあんたの記憶と勘だけが頼りだぜ、ヴィルヘルム」
「善処しよう」
と、ジェイク──またの名をロベルト──の恨み言をいつもの調子で受け流し、ヴィルヘルムも早速出発の準備に取りかかり始めた。そんな彼に促されるようにしてジェロディらも支度を整え、四日ぶりの登山を再開する。しかし深々と雪の降り積もる中、時折吹きつける強風に耐えながらの登山は思った以上に過酷だった。
数日続いた吹雪のせいで、いつの間にか胸の高さまで積もった雪を掻き分けて進むだけでも相当な体力を要する上に、油断していると吹き飛ばされそうなほどの暴風が不規則に襲ってくるためずっと気を張っていないといけない。
身も心も休まる暇がないとはまさにこのことだ。
おまけに堆く積もった雪は岩場の切れ目や段差を覆い隠してしまい、先頭を歩くゲヴラーやパオロが崖から落ちかけるという事態も頻発した。カミラが皆を先導していたときにはそういった危険を事前に予知し、逐一警告してくれたから何とかなっていたものの、それがなくなった途端、事故に遭う確率が跳ね上がったのだ。
(カミラが一緒にいるうちはあんなに安心して進めていたのに、今はどこへ向かえばいいのかさえ分からない。僕たちは本当にずっと、彼女の存在に支えられていたんだ……)
今回の登山だけではない。カミラの笑顔や仲間を想う気持ちはいつだって太陽のようにジェロディを照らし、進むべき道を示してくれた。
彼女がいたから自分は救世軍と共に歩み、大切な仲間と出会い、今日まで生き抜いてこられたのだと今、改めて思う。
(カミラ……もう一度、君に会いたい。会いたくて会いたくてたまらないよ)
だからこそ、進まなければ。
一刻も早く竜の谷を見つけ出し、彼女とイークの安否を確かめなければ。
そう心は焦るのに、歩いても歩いても先に進めている気がしない。まるで前も後ろも分からない真っ暗闇の中で、いつまでも足踏みをしている気分だ。
「無理だな。この容態では、ゲヴラーはこれ以上進めないだろう」
かくして洞窟を出発してから五日目の朝、ジェロディたちはさらなる絶望に直面した。前日に落石を避け切れず、拳大の礫の直撃を受けたゲヴラーの左肩が腫れ上がり、痛みのあまり動けなくなってしまったのだ。ヴィルヘルムの見立てによれば鎖骨が折れてしまっており、とても登山を続行できる状態ではないという。
「……すまない、ジェロディ殿。おれが油断していたばっかりに……」
「いいえ、ゲヴラーさんのせいじゃありませんよ。ずっと先頭を歩いてもらっていたせいで疲労は限界だったでしょうし、雪で身動きも取れない状況でしたから……問題はむしろ、ここじゃまともな治療ができないということで……」
「一応レイに持たされた鎮痛薬がいくらかあるが、ここまで腫れているとなると、あまり効果は期待できんだろう。とにかく今は傷を固定して、安静にしている他ない。でないと状態が悪化して、最悪の場合、二度と武器を握れなくなるぞ」
「そ、そんな……ですが安静にって言ったって、食糧はあと三日分しかないじゃねえですか。親びんの怪我はどう見ても今日明日で治るもんじゃねえですし、一体どうすりゃいいんです?」
「落ち着け、パオロ。おれのことはいい……こっから先は、お前が先導役になってジェロディ殿の供をしろ。お前ひとりに負担を強いるのは心苦しいが、他に方法はない……おれのことは置いていけ」
「な……何を言ってんですか親びん、置いてくなんてできるわけないでしょう!?」
ほどなくゲヴラーの口から飛び出した提案に、真っ青な顔をしたパオロが悲鳴じみた声で叫んだ。
これにはジェロディも動揺し、ゲヴラーが身を横たえた幕舎の前に膝をつく。
「そうですよ、ゲヴラーさん。恐らく竜の谷はもうすぐです。ならどうにか、みんなでゲヴラーさんのことを運びながら……」
「いや、無理だ。この雪と天候じゃ、そいつが自殺行為だってことはあんたにも分かるだろう、ジェロディ殿。何より怪我人を連れてちゃ、ただでさえ落ちてる速度がさらに落ちる……気づいてるだろ? あの洞穴を出てからこっち、おれたちは雪のせいでほとんど距離を稼げてない。方角が本当に合ってるのかどうか確かめる術もないしな。となれば怪我人を連れていく余裕なんてどこにもないことは、火を見るより明らかなはずだ」
「い、嫌です……嫌ですよ、親びん! それでも親びんを置いていくくらいなら、あっしも一緒に……!」
「お前の仕事はジェロディ殿を無事に谷まで送り届けることだ、パオロ。誰が傍に残ったところで、怪我ばかりはどうにもならん。だからお前が、おれの代わりにその役目を……」
「あっしひとりじゃ無理ですよ! あっしには、親びんがいなくちゃ……!」
とゲヴラーの傍らでうずくまるや否や、パオロはおんおんと声を上げて泣き始めた。そんなパオロを前にしたゲヴラーは困り果てた様子で灰色の髭を掻いている。
だが冷静に考えれば考えるほどゲヴラーの言うとおりだ。
竜の谷を目指す行程が当初の見込みよりずっと遅れているのは事実だし、仮にゲヴラーを交代で背負っていくとしたら、皆の体力も持たないだろう。
ただでさえ食糧が底をつく寸前だというのに、これ以上決死隊の足取りがにぶる選択など取れ得るはずがない。しかしだからと言ってゲヴラーをひとり残してゆくことは、もはや彼に「死んでくれ」と告げるのと同じ……。
(カミラやイークに続いて、ゲヴラーさんまで見捨てて行かなきゃいけないっていうのか? いくら救世軍を救うためとはいえ、目の前でまだ生きてる仲間を……)
それは戦場で死別するのとはまるで違う、あまりに残酷な現実だった。
戦いの中で敵に命を奪われるのと、自らの意思で仲間を見殺しにするのとでは、死の重みが圧倒的に変わってくる。まだ死影すら見えていないゲヴラーを置き去りにして進むのは、この手で彼を殺すのとほぼ同義だ。
(全を救うために一を殺す……今日まで救世軍が選んできたのはそういう道だと言われれば確かにそうだ。だけど、本当は……誰も失わずに済むのなら、可能な限りそうしたいに決まってる。ジャンカルロさんも、フィロメーナさんも、最期は目の前のひとりを見捨てられなかったように)
ジャンカルロは妻を救うために、フィロメーナは少年を救うために命を落とした。彼らの取った行動は、救世軍という組織を背負う立場から見れば間違いだったと言わざるを得ない。けれど彼らの心の根底にあった〝目の前のひとりを救いたい〟という想いこそが救世軍を創り上げ、今日までその命脈を保ってきたこともまた動かし難い事実なのだ。
(そしてカミラがここにいたなら、彼女もきっと、自分を犠牲にしてでも仲間を救う選択をする──)
瞑目し、逡巡し、されどそう思い至ったときに、ジェロディはようやくひとつの結論を得た。そうして最後の迷いを振り切り、凍てついた睫毛を上げて仲間たちを見回したのち、堅い覚悟と共に言う。
「みんな、聞いてほしい。ここから先は、僕ひとりで谷を目指すよ」
「は……は!? い、いきなり何を言い出すんです、ジェロディ様!?」
「これ以上みんなを危険には晒せない。けど、生命神の恩寵で飢えも寒さも感じない僕ならひとりでも登山可能だ。だからみんなはゲヴラーさんと一緒に残って救助を待ってほしい。必ず僕が谷を見つけて、応援を呼んでくるから……」
「ダメですよ、そんなの! いくら不死に近いお体とはいえ、こんな危険な山をひとりで登らせるなんて言語道断です! だったら俺も一緒に行きますよ!」
「オーウェン」
「デシたら、ワタクシも共に参りマス。オーウェンさんのおっしゃるとおり、ジェロディさまをおひとりで行かせるナド、ありえマセン」
「だけど、シズネ」
「ならばいっそ隊を分断するか。どのみちゲヴラーを置き去りにした状態で、パオロが冷静に山を登れるとも思えん。この先は俺が先導役を務めよう。ロベルト」
「……」
「おい、何故耳を塞いでいる?」
「いや、あんたがかつての陛下みてえな無茶振りをしてくる気がして」
「馬鹿を言うな。お前にとってはむしろ朗報だ。ここからはジェロディとオーウェン、シズネ、そして俺の四人だけで行く。お前は残ってゲヴラーとパオロを守れ。また魔物の襲撃がないとも限らんからな」
「ほれ見たことか! 要は俺ひとりで野営地を防衛しろってこったろ!? 雪崩だの吹雪だのの危険もある上に、食糧も残り少ないってのに!」
「別にお前ひとりでとは言ってない。シズネ、最後の諜務隊員もここに留めて構わないか? 仮に雪崩や吹雪が起きても、三人程度なら何とか忍術で守れるはずだ。何よりお前が式神とやらを預かれば、有事の際にも連絡を取り合えるのだろう?」
「ハイ。ワタクシもソレがイイと思いマス。ジェロディさまの供をスルのが忍術の使えないワタクシでは、あまりお役に立てないかもしれマセンが……」
「そんなことはないよ、シズネ。君の判断力や登攀技術はとても頼りになる。ただ今までよりもさらに厳しい道のりに同行してもらうことになるけれど……本当に構わないかい?」
「ハイ。キリサトの名に懸けて、ドコマデもお供致しマス」
まるで迷いのない口振りで言うと、シズネはジェロディの傍らに跪拝し、深々と頭を垂れた。正直、彼らをこれ以上危険な旅に伴うのは後ろ暗い。
けれど同時に、どんな危難のさなかにあっても自分を支えようとしてくれる仲間の存在が、今はこんなにも頼もしい。かくしてゲヴラー、パオロ、ジェイク、そして諜務隊の一名を野営地に残したジェロディたちは、その日のうちに出立した。
食糧は登山を続行するジェロディらの方が必要だろうと言われ、ゲヴラーたちのもとに余剰を残してこられなかったのが心残りだが、救助を信じて待つと言ってくれた彼らのためにも絶対に竜の谷を見つけなければならない。
洞窟を発ってから六日目。
数日ぶりに覗いた太陽はジェロディたちの行く手から昇り、背後に向かって落ちた。つまりジェロディたちは目下、東に向かって進んでいる。方角は合っているはずだ、とヴィルヘルムは言った。十年前、オルランドと共に竜の谷を目指したときも、真帝軍は洞窟を出てからひたすらに東進していた記憶がある、と。
あとは行く手に三叉槍のような峰が見えてくれば谷は近いらしい。竜牙山脈は巨大な剣山のごとき岩山が細く高く天に向かって伸びゆくような姿をしているが、中でもひと際高く聳える峰が、ちょうど三叉槍に似た形状を取っているのだそうだ。
現在ジェロディたちのいる地点を四幹(二〇〇〇メートル)から六幹(三〇〇〇メートル)の間とすると、目印となる峰は目測で十六幹(八〇〇〇メートル)近い高さを誇るとか。ここまで見てきた峰々がだいたい十二幹(六〇〇〇メートル)から十四幹(七〇〇〇メートル)程度だったことを考えると確かに頭抜けて高い。
その両脇にほとんど同じ高さの小峰が控えているというから、実物を目にすればまさに三叉槍のごとしと思えるのだろう。
されど七日目の朝、暗い表情で幕舎を出てきたシズネから、カミラとイークの捜索に向かった諜務隊員と連絡が取れなくなったと聞かされた。
何でも昨夜、皆が眠りに就いている間に彼の身に何かが起きたらしく、目覚めたときには式神が消えてなくなっていたというのだ。そして式神の消失は、それを生み出した術者の死を意味する。しかし今のジェロディたちには、仲間のために命を賭してくれた彼の安息を祈ることしかできなかった。
(結局彼の最後の報告でも、カミラとイークの消息は分からなかった。吹雪のせいで痕跡が覆い隠されて、何の手がかりも得られなかったと……本当に、ふたりは今も無事でいるんだろうか?)
ヴィルヘルムは言った。星刻の目的は単にカミラを死なせることではなく、エリクがカミラを殺す未来を導くことだ、と。
ゆえにその日が訪れるまでは、カミラを生かす選択をする。
あの話が本当だとすれば受け入れ難い事実だが、今はそんな星刻の利己的な思惑が彼らを守ってくれているはずだと信じるしかない。
かくて迎えた運命の八日目。可能な限り食糧を切り詰めてきた甲斐があり、あと二、三日は猶予がありそうだったが、ジェロディたちの視界は再び吹雪に閉ざされた。事前にゲヴラーから言われたとおり、四人は風が強まってきた時点で雪洞を掘り、本格的に荒れ出す前に逃げ込めたが、この天候ではとても先へは進めない。
目標とする三叉峰も吹雪に覆われて探せるはずもなく、ジェロディたちは進退窮まった。おまけにまだ幾分余力のありそうなヴィルヘルムに比べて、オーウェンとシズネはだいぶ消耗しているように見える。
特にオーウェンは平気を装ってはいるものの、低体温症と思しき症状が出始めており、じきに眠ったまま目覚めなくなる可能性もあった。
雪洞の中は思いのほか風雪が遮られ、かなり暖かいと感じるが、神子であるジェロディと他の三人とでは感じ方にだいぶ差があるのだろう。おまけに燃料として持ち込んだ木材も尽き、燃やせるものはほとんどすべて燃やしてしまった。
おかげでこんなに雪があっても、湯を沸かし暖を取ることすらできない。
──全滅。
その言葉が何度もジェロディの脳裏をよぎった。山の中腹に残してきたゲヴラーたちからも、食糧が尽きたという報告が入っている。
ここまでなのだろうか。やはり強大な底力と歴史を誇るトラモント黄皇国に打ち勝つことなど、土台無理な話だったのだろうか。
ジャンカルロやフィロメーナが描き、今日まで受け継がれてきた救世軍の理想はすべて絵空事に過ぎなかったと──自分たちは初めからこうなる運命だったと?
『ティノさま』
されどその晩、轟々と荒れ狂う吹雪の狭間に、ジェロディはなつかしくてたまらない彼女の声を聞いた。
『マリステアの、願いは……ひとつだけです。どうか、運命に負けないで──』




