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316.歌が聴こえる


 まさか自分も残る、と言い張るソウスケを説得する方が、ジェロディを騙すより骨が折れるだなんて思いもしなかった。倭王国(わおうこく)のシノビというのは皆、いかにも暗殺や諜報といった裏の稼業をこなす者らしく無感情で合理主義なのだなと思っていたのだが、どうやらそれさえも他者を欺く仮面であったようだ。


 いや、あるいは彼らが欺いているのは己自身か。生まれながらに持ち合わせている人としての心を組み敷き、日々非情に任務をこなさなければならない身の上を、自分には心がないと思い込むことで何とかやり過ごしているのかもしれない。

 少なくともソウスケはそういう男らしいと、オーウェンは亡霊のごとく振る舞う姿しか見てこなかった彼の中に、初めて人間らしさを見た気がした。何しろ彼は、お前の仕事は(シズネ)を守ることだろうと言い放ったオーウェンをきっと睨んで、


「貴殿を連れ帰らねば、ジェロディ殿がお嘆き申す。そしてジェロディ殿が悲嘆に囚われれば、我が姫もまた心を痛めるに相違ござらぬ」


 と、語気も荒く反論したのだから。


(……なるほどな。何を考えてんのかさっぱり分からんやつだと思ってたが、あいつもちゃんと()()()()ってことか。冥土の土産(みやげ)にいいもんが見れた)


 と、口の端でうっすら笑いながら、オーウェンは地についた大剣に腕を預け、肩で荒い息をする。結局ソウスケのことはあれから無理矢理追い返し、台地にはオーウェン隊だけが殿(しんがり)として残った。ジェロディに伝令を出した時点でまだ八十人あまり生き残っていた部下たちには、悪いが俺と一緒に死んでくれと言って頼んだ。


 そして今、徐々に薄れゆく砂塵の中に立っているのは、恐らくオーウェンひとりだけだ。他はみな死んでしまった。彼らはソウスケの忍術で星と翼の大将旗に化けた旗の下、本当に共に死んでくれた。あの旗のあるところに敵大将(ジェロディ)がいると思い込み、肉の洪水のごとく押し寄せた敵軍に呑み込まれて。


(……副隊長(こいつ)には悪いことをしたな)


 と、砂煙の向こうで馬と鎧のひしめく音を聞きながら、オーウェンは最後にちらと足もとに倒れ伏した青年を見やった。馬の下敷きになったまま目を見開いて死んでいる彼は名をダニロという。救世軍がオヴェスト城の戦いを生き残った頃から、オーウェンが腹心として傍に置くようになった男だ。


 ダニロはもともと、オーウェンがヴィンツェンツィオ家に身を寄せる前からの知り合いだった。実家の近所に住んでいた弟分だった、と言い換えてもいい。

 正黄戦争(せいこうせんそう)のあと、オーウェンがガルテリオに拾われ、ヴィンツェンツィオ家の屋敷で暮らすようになっても、ときどき街で会っては一緒に酒を飲んだりしていた。

 そのダニロが、オーウェンが救世軍に入ったと知るや遥々コルノ島までやってきて、おれもオーウェンさんと一緒に戦いたいと言ったのだ。


 何しろ、ダニロは国の腐敗を憎んでいた。権力者が弱き者を守りもせずに()(にじ)り、好き放題していることが許せないと酒が入るたび管を巻いていた。彼が祖国を憎むようになったのはオーウェンの兄家族が正黄戦争中、味方であったはずの()(てい)(ぐん)に殺されたからだ。ダニロは幼い頃から片親で生活も貧しく、いつもおなかを空かせていた。そんなダニロを道端で見つけて気の毒に思い、自身の切り盛りする食堂に招いて飯を食わせてやっていたのが、オーウェンの兄のルーベンだった。


 十二の頃には既に両親が他界していたオーウェンにとって、ルーベンは実の兄であると同時に父親代わりのような存在だ。何しろルーベンとは十一も歳が離れていたから、オーウェンが同年の悪ガキどもとつるんでくだらない遊びに興じている間も、兄は大人として立派に働き、両親亡きあとの家計を支えてくれた。

 そればかりか、いつか料理人として自分の店を持ちたいという夢を叶え、下町に小さな食堂を開き、美人の嫁さんをもらって幸せな家庭を築いた。


 三人の子供にも恵まれ、十代のうちに〝叔父〟と呼ばれる立場になってしまったオーウェンは少々ばつが悪かったが、甥っ子たちは自分の子のようにかわいかったし、兄嫁にも大変よくしてもらったことは今でも忘れない。ルーベンは結婚したあともオーウェンを家族の一員として家に置き、以前と何ら変わりなく、あるときは兄として、またあるときは父親として温かく接してくれた。


 お人好しすぎるのだけが欠点の、優しい自慢の兄だった。


 だからオーウェンもそんな兄と兄の家族を守りたくて偽帝軍に入ったのだ。

 当時、偽帝軍は現黄帝(オルランド)率いる真帝軍(しんていぐん)の快進撃に追い詰められて、しきりに志願兵を募っていた。真帝軍が黄都(こうと)雪崩(なだ)()めば、街は略奪や焼き討ちの標的となる。

 ゆえに(あらが)う意思のある者は、剣を取って祖国に忠勇を捧げよというのが当時の偽帝軍の(うた)い文句だった。そして偽帝軍の支配下にあったソルレカランテの民にとっては、彼らの振り撒く言葉だけが唯一知り得る情報だったのだ。


 何しろ真実を伝える者は例外なく敵軍の工作員として処刑され、民はただお上が喧伝する言葉を鵜呑みにすることしかできなかった。

 何が正しく何が間違っているのか、判断する基準や材料の一切を奪われたまま、息を潜めていることしかできない時代だった。


 そんな中で、万が一にも兄家族の幸せが壊されてはならないと思ったオーウェンは、自ら志願して偽帝軍の兵士となることを選んだのだ。まだ兵役に呼ばれたこともない十七の自分が軍に入るのを、兄は決して喜ばなかった。自分を慕ってくれていた幼いダニロにも、行かないでほしいと泣いて(すが)られた。彼らの反応を前にしたオーウェンは軍へ行くべきか行かざるべきか迷ったものの、やはり最後は従軍を選んだ。兄のような器量に恵まれず、唯一自信があるものと言えば体格と腕っぷしだけの自分が家族を守るには、それしか方法がないと思ったから。


「思えば、本当に……体張るしか能のない人生だったなあ。なあ、ダニロ」


 と、もう返事をしない弟分に自嘲しながら呼びかける。結果としてオーウェンの選択は間違いだった。何故ならオーウェンが出征してすぐのこと、ルーベンは店へ立ち寄った偽帝軍の将校に食事を出すことを拒んだのが原因で命を落とした。

 当時、ソルレカランテは戦争による食糧不足で誰も彼もが飢えていたから、兄は経営が苦しいのに無理をして食材を掻き集め、貧民たちに格安で手料理を振る舞っていたのだ。ところがある日、明らかに位の高い将校の身なりをした男がやってきて、自分にも他の客と同じ価格で飯を食わせろと言った。ルーベンはその要求を毅然と()()ね、金があるなら定価を払うか余所へ行ってくれと男を追い払った。


 翌日、兄が食材の仕入れに行っている間に店は燃え、食堂の二階で暮らしていた妻子は逃げ遅れて焼け死んだ。誰がどう見ても分かる、明らかな放火だった。

 店に火を放った犯人は結局今も見つかっていないが、ルーベンにはきっと誰の仕業かはっきりと分かっていたことだろう。気さくで真面目で優しくて、誰からも慕われていた働き者の兄は、ほどなく首を(くく)って死んだ。

 終戦を迎えた日、運よくガルテリオに拾われて戦いを生き延びたオーウェンは、兄家族の待つ家へ喜んで飛んで帰ったが、待っていたのは更地(さらち)になった実家(みせ)の跡地と、妻子への謝罪ばかりが(つづ)られた兄の遺書だけだった。


「俺が、もっと……賢けりゃよかったんだ。そうすりゃ兄貴も、お前も、きっと死なせずに済んだ。悪かったな……ダニロ」


 額から滝のように流れる汗がぼたぼた落ちて、もの言わぬダニロの頬に降りかかる。彼は最後までオーウェンのために──兄の無念のために戦ってくれた。

 ソウスケから預かった忍術の符を(ふところ)に入れて、ジェロディ様になりすましてくれ、なんて無茶な頼みをふたつ返事で受け入れて。


 何しろ大剣を振り回して戦うことしか能のないオーウェンがジェロディに化けたところで、武器や戦い方の違いからすぐにまやかしだとバレてしまう。

 だからオーウェンは比較的小柄で、一般的な長剣を振るうダニロにジェロディの影武者を任せたのだ。彼は立派に役目を果たしてくれた。

 オーウェンさんのために死ねるなら、おれ、本望だよ。十年前、兄や自分を慕ってよく遊びにきていた幼き頃とちっとも変わらぬ笑顔でそう言って。


「……けど、もうちょっとだけ待っててくれ。俺もすぐ、追いかけるから……」


 砂塵が晴れた。サアッと音を立て、人工の風によって洗われゆく土色の幕の向こうに、ひと際まぶしい白馬が見える。

 その背に(また)がる黒鬣(こくりょう)の獅子を仰ぎ見て、オーウェンはまた口の端を持ち上げた。


 ──ガルテリオ・ヴィンツェンツィオ。


 偽帝軍の捕虜として処刑されるはずだったオーウェンを見出だし、家族のもとへ帰るべきだと言って傍に置いてくれた恩人(ひと)。おまけにその家族が知らぬ間に帰らぬ人となっていたことを知り、ひたすらに落ちぶれていくしかなかった自分を二度も(すく)()げてくれた彼は今、オーウェンが斬らねばならぬ敵将としてそこにいた。


「俺はこの国の最後に、ふたりの英雄にお仕えできて光栄でした、ガル様。偽帝軍の捕虜として死ぬはずだった俺を拾って下さったご恩は、忘れません」


 ゆえにオーウェンは剣を構える。

 心のどこかでずっとひそかに、第三の父だと思い続けてきた人に。

 するとガルテリオも馬を下り、剣を抜いた。

 彼の腰を飾るあの金色(こんじき)の鞘は、かつてオルランドがガルテリオの武勇と忠勤を讃えて下賜した名剣だ。以来ずっと至宝のごとく(いただ)き、腰に()くことさえ(おそ)(おお)いと大切に大切に扱っていた剣を彼は今、自分に向けてくれている。

 オーウェンはそれがたまらなく嬉しかった。この方は〝皇帝(ケイサル)〟を血で汚しても構わないと思うくらいには、俺を認めて下さっていたのだと。


「来い、オーウェン。お前のかつての忠勤に免じ、罪人としてではなくひとりの軍人として死なせてやる。お前のすべてを私にぶつけてみよ」

「ハッ……そいつは有り難きお言葉。実は俺、ずっと憧れてたんですよ。いつかあなたとこうやって──サシで勝負してみたいってね!」


 これが自分の、今世での最後の言葉になる。

 そうと知りながらオーウェンは剣を振り上げ、渾身の力でもってガルテリオへと打ちかかった。そうして一合、二合と斬り合いながら、思う。


 ああ、ジェロディ様、すみません。


 俺は結局、最後の最後でまたあなたを裏切っちまいました。

 いつかまた、マリーと過ごしたあの屋敷(いえ)へ帰ろうと約束して下さったのに。

 この分じゃ俺はやっぱり星界へは行けなさそうだ。でも後悔はしてません。

 だって、やっと守れたから。

 兄貴も、マリーも、ダニロも守れなかった出来損ないの俺が、やっと。


 だから、ジェロディ様。あなたはどうか、どうか──


「──ガル様、お戻り下さい!」


 オーウェンの大剣が空を斬り、ガルテリオが低く身構えた。そこから一気に踏み込まれ、下段から放たれた刃がオーウェンの首を掻き切るかに思われた、刹那。

 突如ガルテリオの後方でウィルが叫び、皮膚に触れる寸前だった刃が止まった。

 かと思えば数人の神術兵を従えたリナルドが血相を変えて走り出す。

 何だ。一体何が、とオーウェンが第三軍の異変に気づき困惑した、直後、


紅蓮劫雨(ジッキーム・マタル)……!!」


 オーウェンの背後で突然、神術の光が弾けた。生涯神刻(エンブレム)を刻んだことのないオーウェンにも感じ取れるほどの、膨大な神気のうねり。そいつはたちまち頭上で炎の形を取り、息を呑む地上の者ども目がけて雨のごとく降り注いだ。


 そう、雨だ。まさしく紅蓮(ぐれん)の雨。紅蓮劫雨(ジッキーム・マタル)


 火炎系神術の中でも最上級の威力を誇ると言われる、火刻(フレイム・エンブレム)の──


「術壁展開!」


 だが第三軍の反応は早かった。真っ先に馬を駆って飛び出したリナルドが、配下の神術兵に号令して巨大な光の膜を作り出す。

 防御系の力を持つ水刻ウォーター・エンブレム地刻グラウンド・エンブレムの使い手が生み出すことのできる神気の壁だ。遥か天上から降り注いだ火の雨は、次々とその壁に防がれて爆発した。

 リナルド自身も風刻(ガスト・エンブレム)の上位種である大嵐刻(ストーム・エンブレム)の使い手であるから、部下と共に術壁を展開し、ガルテリオと味方を守ろうとしている。

 されどオーウェンは聞いた。鳴り止まぬ爆音の中、視界を奪うほどに立ち込めた煙の向こう、そこから一直線に駆け下りてくる馬蹄の音を。


「オーウェンさん!」


 瞬間、煙幕を突き破って現れた彼女の姿を見るなり、ああ、とオーウェンは笑いそうになった。カミラ。お前はなんて無茶をしやがるんだ。

 たかが俺ひとりのために──天下の『常勝の獅子』を相手に。

 けれど馬上から手を伸ばした彼女の瞳に迷いはない。恐怖もない。あるのは〝絶対にオーウェンを助け出す〟という、燃えるような覚悟と決意だけ。


 だからオーウェンも手を伸ばした。

 邪魔になる大剣は投げ出して代わりにカミラの手を掴む。と同時に大地を蹴り、カミラが空けてくれた(あぶみ)に足をかけ、彼女の(くら)の後ろへ飛び乗った。

 すると今にも第三軍の先頭へ激突するかに見えた騎馬隊が、しなる鞭のごとく旋回する。即興で掻き集めた兵力とはとても思えない、卓越した動きだ。


 だがカミラ隊はマティルダ隊が敗走を始めた直後、援護に向かって敵軍に呑み込まれ、跡形もなく蹂躙(じゅうりん)されたはず。

 ということは背後に続く兵士たち……というか、彼らの跨がる馬が答えか。

 あれは恐らくマティルダ率いる元中央第六軍が育て上げ、大事に温存していた予備の軍馬だ。なるほど、どうりであの軽騎隊並みに脚が軽い。


 しかし無謀にもたった一隊で突撃してきた賊軍を無傷で逃がすほど、第三軍は甘くはなかった。振り向けば当然のように追っ手がかかり、未だ立ち込める白煙を食い破って竜騎兵団が驀進(ばくしん)してくる。

 おまけに周囲の馬はともかく、カミラの馬の足取りが遅い。

 当然だ。見たところいつも彼女が駆っている愛騎ではない──つまり臨時の代え馬だ──ようだが、彼は今、大人ふたり分の体重を乗せて駆けているのだから。


「おい、カミラ、駆けつけてくれたことには礼を言う。だがこのままじゃすぐに追いつかれるぞ!」

「分かってます! でも退却ついでに竜騎兵団を城まで引っ張れば、トリエステさんの策をやり直せる。だから行きます!」

「無理だ、神術砲(ヴェルスト)の射程に入るより先にケツに食いつかれる!」

「だったら……!」


 と言うが早いか、カミラはにわかに太腿のあたりへ手をやって、そこから何か取り出した。何だと思って目をやれば──〝短希銃(ブレウィス)〟。アビエス連合国軍がそう呼んでいる、歩兵希銃(ミーレス)よりも遥かに小型の希術(きじゅつ)兵器だ。

 そいつを自らの頭上に掲げ、銃口を天に向けてカミラは迷わず引き金を引いた。

 すると一瞬、腹を殴られたのかと錯覚するほど低い銃声が(とどろ)(わた)り、オーウェンたちの頭上で豆粒大の炎弾が炸裂する。


 それが寄せ集めの兵で構成されたこの隊に唯一通じる合図だった。

 銃声を聞いた馬群は再び打たれたように向きを変え、斜面の上の城を目指していたはずが旋回を始める。追ってくる竜騎兵団に向かって、敢えて自隊の横腹を晒すような自殺行為。何のつもりだ、とオーウェンは叫び出したかった。

 けれどもカミラには当然こうなることが分かっていたのだ。だから、


「発射!!」


 次の瞬間、オーウェンの視界は閃光に塗り潰された。

 かと思えばいくつもの銃声が重奏のごとく大地を震わせる。歩兵希銃。てっきり連合国軍だけが使えると思われていたその銃を、カミラ隊の兵士たちは竜騎兵団に向けて構え、駆けながら、撃った。短希銃と違い、銃身が長く発射の反動も大きい歩兵希銃は、両腕を使ってしっかり構えなければまず撃てない。つまり馬上で撃とうと思えば、いわゆる〝騎射〟の技術がなければならないわけだが──なるほど。


 オーウェンは感服のあまり絶句した。歩兵希銃を構えた彼らは見たところ、元第六軍の兵ばかりだ。長く軽騎隊を主戦力としてきた第六軍の兵士たちは、当然ながら数々の馬術に秀でている。かつてオーウェンも参加した中央軍の合同演習では、極限まで装備を削って軽くした隊の(もろ)さを補うために、騎射によって遠距離から敵を攪乱(かくらん)するという動きさえ器用にこなしていた者たちだ。


 カミラは彼らに希銃を持たせて連れてきた。どうやったらたった十七歳の少女の頭から、そんな大胆不敵な発想が生まれるのかと不思議に思う。

 普段の言動からはまったくそうは思えないのに、まるで初めから戦いの中に身を置くために生まれてきたかのような。

 だがおかげで戦況は一変した。自ら隙を晒したカミラ隊に食らいつこうと、猛追してきた亜竜の群が思わぬ反撃を受けて弾け飛ぶ。かくて倒れ込んだ亜竜に後続の亜竜が蹴躓(けつまず)き、竜騎兵団はさながら牌倒しのごとき混乱に陥った。


 これは強い。竜の血を引くと言われるだけはあり、亜竜には生まれつき神気の流れを感知する能力があるのだが、考えてみれば希術は神術と似て非なるものだ。

 つまり神術と同等の力を有しながら、亜竜に攻撃を察知される心配がない。

 まさかカミラはそれを見越した上で希銃を携えてきたのか。

 あまりの周到さに一瞬、実はトリエステの授けた策なのではと思いかけたが、しかし彼女がこんな無謀な突撃を指示したとはどうしても思われない。


「おい、カミラ……ひょっとしてこいつもお前の兄貴の()()の賜物なのか?」

「はい!? どちらかと言えばお父さんの入れ智恵ですけど!?」

「お前の親父さんは娘にどんな教育してんだよ!?」

「〝平和のためには誰とも喧嘩しないのが一番だが、どうしても避けられなかったときは仕方がないからどんな手を使っても相手を潰せ〟って教わりました!」

「いやそれどう聞いても平和主義者のふりした悪役の台詞だぞ!?」


 などと馬上で議論している間にも、カミラ隊は再び進路を変えて、今度こそトラクア城を目指すべく駆け出した。

 城門はまだ一(ゲーザ)(五〇〇メートル)ほど先だが、カミラ隊が敵軍を連れて戻ってくるのを見た味方が、壁上に神術砲を並べて待ち構えているのが見える。どうやらトリエステもこの事態を当初の作戦に立ち返る好機と見なしたようだ。ところがこれならいけるかもしれないと、オーウェンが胸に一抹の希望を抱いた、刹那、


「──火神の怒り(エシュ・カアス)……!」


 突如として訪れた世界の終わりのような爆発がカミラ隊の最後方で炸裂し、隊列を呑み込んだ。背後から吹きつけた強烈な熱風に煽られて、前方にいた馬たちも悲鳴を上げる。隊の足並みと陣列が乱れた。そこへ敵軍が突っ込んでくる。

 やられた。当然と言えば当然だが、第三軍の騎兵は竜騎兵だけではない。

 第六軍軽騎隊の駿足には遠く及ばないものの、それでも優秀な騎馬隊がいる。

 しかもそいつを率いて突っ込んできたのはウィルだ。

 やつもまた『炎翼(えんよく)』の異名を取る火焔刻(ブレイズ・エンブレム)の使い手。おまけに強者揃いの第三軍の中でも特に、ウィルの白兵戦における強さは群を抜いている。

 このまま乱戦に持ち込まれたら、もはやカミラ隊の命はない──


「くそっ……! おい、カミラ! ここは一旦、こっちも神術で応戦を……!」

「ご……ごめんなさい、無理です……」

「何だって……!?」

「さっきの神術で、残りの神力を全部使い切っちゃって……これ以上はもう……」


 と、振り向いて(うめ)くように告げたカミラの顔色を見やり、オーウェンははっと息を呑んだ。今の今まで彼女の後ろ頭しか見えなかったがために気づかなかったが、彼女の目はほとんど据わり、額にも脂汗が浮いている。当たり前だ。

 神術使いでないオーウェンはつい忘れがちだが、神術というのは術者の求める限り無尽蔵に撃ちまくれる、という類のものではない。術者の気力体力を神の奇跡に変えて放つものである以上は、必ずどこかで限界が来る。

 おまけにカミラは数日前にも、瀕死のマティルダを救うために無理をして神力を枯らしたばかりなのだ。それを思えばむしろ、火炎系神術最強と言われる術を放ったあとに、こうしてまだ意識を保てている方が奇跡だと言わざるを得ない。


「チッ……分かった、あとは俺が何とかする。手綱と短希銃を貸せ!」

「でも、オーウェンさん──」

「俺だけ助けられっぱなしでいられるか。帰るぞ。ふたりで、ジェロディ様のところまで……!」


 オーウェンがそう言って手綱を掴めば、カミラは微か頷いたようだった。

 が、そこでついに意識が途切れたらしい彼女が倒れかかるのを手綱を握った手で抱き留めて、さらに彼女の右手から零れ落ちそうになった希銃を受け取る。

 ──冷たい。

 衣服越しでも分かるほど、神力を使い果たしたカミラの体は冷え切っている。

 だがここで死なせてたまるか。城門まであと半幹(ハーフゲーザ)(二五〇メートル)。


 後方からウィルが血の雨を降らせながら追い上げてくるのが分かる。

 おまけに敵軍が味方に食い込んでいるせいで、神術砲による援護は不可能だ。

 されどカミラ隊の残党も希銃を放ち、駆けながら応戦している。

 もはや隊列も何もあったものではない状態だが、それでも銃を撃ちながら、生きている者全員で城門を目指す。目指す。あと少しだ。奥歯を噛み締めながら自らをそう励まして、オーウェンは上体ごと後ろを振り向いた。そうして一(アナフ)(五メートル)ほど先まで迫る軍の後輩に向け、短希銃を構えた、直後、


「──退却、退却……!」


 突然敵軍の後方から高らかな軍隊喇叭(らっぱ)()が響き、はっと顔色を変えたウィルが即座に馬を(ひるがえ)した。間違いない。ついこの間まで第三軍にいたオーウェンにも馴染み深い〝退却〟を告げる喇叭の音色だ。しかし一体第三軍に何が起きたのか。

 オーウェンは息を弾ませながら、立ち込める砂塵の向こうへ目を凝らした。


 ……歌だ。歌が、聴こえる。


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