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313.トラクア城防衛戦


 自らの隊を率いてシヴォロ台地を駆け下りたあとの記憶は断片的だった。

 はっきりと覚えているのは出撃前、トリエステから下った指令だけ。

 先鋒はマティルダ率いる元第六軍の軽騎隊。台地の上に(そび)()つトラクア城を拠点とする救世軍は、地理的に敵軍の優位にあり、正攻法を取るならば逆落としの勢いを駆って一気呵成に攻め下る──と()()()()()のが一番だと彼女は言った。


 そのための思い切った騎馬兵力の投入だ。

 何しろガルテリオは正々堂々の白兵戦を望んでいる。かと言って今の救世軍が馬鹿正直に応じれば、真正面から力と物量に押し潰されることは必定。

 ならばここは相手の思惑に乗ずると見せかけて、奇策で巻き返しを狙う他ない。

 と言っても台地の他は見晴らしのよい平地が広がるばかりの地形と、救世軍に課せられた時間的制約の中では、せいぜい敵を城壁間際まで引きつけて神術砲(ヴェルスト)歩兵(ミー)希銃(レス)の砲撃を浴びせるくらいしか取れ得る策はなかったが。


「作戦目標は日没まで持ちこたえること。日が落ちれば敵もさすがに攻勢の手を緩めざるを得ません。いくら松明を焚いたとて、希銃の銃口がどこを向いているのか目視しづらい夜闇の中で城攻めを続行することを敵軍は嫌うはずです。そういう警戒心を抱かせるほどの銃撃を、昼間のうちに浴びせます。さすれば明日以降の戦況もいくらか好転が望めるでしょう」


 (いわ)く、トリエステはなるべく敵軍を城壁間際まで近寄らせたくないと考えているらしい。何故なら台地の上から確認できる敵軍の装備は潤沢で、あれらの攻城兵器を抱え、総がかりで攻められたら、いかな神術砲をもってしても敵の攻勢を押さえ切れない。トラクア城の城壁は先の戦いで既に崩れかかっており、防衛力など残っていないに等しいからだ。


 ゆえに開戦一日目は敢えて敵の要求に応じ、圧倒的に不利な野戦へ挑むことにした。拒めばガルテリオは最初から攻城部隊の総力を駆って攻め寄せてくる可能性がある。そうなれば最悪、即日落城の危機に晒されるのは火を見るより明らかだ。

 ならばまずは希術(きじゅつ)兵器の威力を見せつけ、敵に恐怖心を植えつける。

 兵器ではなく敵兵に直接砲火を浴びせることで、あんな砲撃に晒されながら動きののろい攻城兵器を使って攻め込むなど不可能だ、という先入観を与えておく。

 無論、歴戦の第三軍を相手にそんな脅しがどこまで通用するかは未知数だ。されどやらねば負けるというのなら、やるしかないだろうとカミラは腹を決めた。


 そして、その結果がこのありさまだ。


「カイル!」


 天地がひっくり返るようなすさまじい乱戦の中から、ようやく隊を率いて抜け出せたと思ったら、カイルの姿がどこにもなかった。否、カイルどころか、自分についてきている隊の騎兵はたったの数人になっている。ここはどこだ。

 巻き上がる砂埃がひどすぎて、自分の現在位置が分からない。戦況も見えない。

 聞こえるのは敵味方の上げる喊声(かんせい)と悲鳴──そして人ならざるものの獰猛な咆吼だけ。それが背後に()(すが)ってくる。視界を覆う土煙を突き破り、血に濡れた牙を剥いて、銀色の(かぶと)から伸びる鋼の角を()(かざ)しながら。


「カミラ隊長、追いつかれます!!」


 ──竜騎兵団。


 噂に聞く黄皇国(おうこうこく)最強の軍団がそこにいた。

 彼らが(また)がるのは馬ではない。〝亜竜〟と呼ばれる、翼なき二足歩行の竜だ。

 本物の竜のように人語を操り、空を飛び、神術を操るといった力までは持たないものの、確かに竜族の血が流れていると容易に確信し得るほどの勇猛さ。機敏さ。賢さ。連携。騎獣は騎獣でも、ただの馬など比較にならない。


 竜騎兵。そう呼ばれるからには当然、亜竜の背にも騎手は乗っているわけだが、騎手だけでなく亜竜そのものが戦う意思を持って向かってくるのが彼らの強さの根源だった。そして野生ではいかなる獲物も一撃で仕留めるという爪牙を武器に迫ってくる。彼らの生息地であるルチェルトラ荒野では、馬は格好の食糧なのだ。


 だから追ってくる足並みに躊躇(ちゅうちょ)がない。

 おまけに草食獣である馬たちは、本能で捕食者を恐れてしまって近寄れない。

 そこに鎧をまとった亜竜の群が突っ込んでくる。蹂躙(じゅうりん)される。

 これが最強の軍団たる所以(ゆえん)か。

 あんなに全身を(よろ)っているのに、亜竜は鞍と(あぶみ)と手綱だけの馬と同じかそれ以上に駆ける。跳ぶ。予測不能の機動力で、四方八方から襲い来る。


 こんな相手に勝てる道理があるはずもなかった。

 味方はどの部隊も一瞬で、あの銀色の津波に呑まれてしまった。

 おかげでトリエステが立てた作戦などもはやあってなきがごとしだ。

 皆が皆、自分の身を守るだけで精一杯で、神術砲の射程圏内まで敵を引きつけるどころではない。というより敵味方入り乱れるこのありさまでは、神術砲など〝覚悟〟や〝正義〟なんて言葉と同じくらいここでは何の役にも立たない。

 撃てば確かに亜竜の群を蹴散らせるだろうが、逃げ惑う仲間まで砲撃に巻き込まれるに決まっている。あるいはガルテリオの狙いは最初からこれだったのか。


 格が違いすぎる。ポンテ・ピアット城で黄都守護隊(こうとしゅごたい)に叩きのめされたときでさえまだ希望はあると信じられたのに、彼らの強さは想像を絶している。

 圧倒的だ。到底敵う相手じゃない。

 死という名の真っ黒な壁が四方から迫ってくるような恐怖に息が上がり、指先が冷えすぎて、手綱を握る感覚すら分からなくなった。このままでは負ける。

 いや、負けるどころか生き残れない。死ぬ。死んでしまう。殺される。

 せっかくまたジェロディと共に戦えると思ったのに。

 兄と再び(まみ)えるまでは、決して死ぬものかと誓ったのに──


「……っ!!」


 瞬間カミラは思い切り手綱を引き絞り、荒い息を上げる愛馬(エカトル)に急制動を命じた。

 駆け下っていた斜面に蹄鉄を食い込ませ、滑るように馬体が止まる。その左右を何の号令ももらえなかったカミラ隊の兵たちが一瞬で追い抜いていく。


「隊長!? 何を──」

「──火焔嵐(タブエラ・セアー)!」


 直後、カミラは半瞬もためらうことなく背後に向かって神術を撃った。

 すぐそこに迫っていた亜竜の小団に向けて、横薙(よこな)ぎの炎の嵐を叩きつける。

 残ったわずかな部下を守るための、精一杯の抵抗だった。

 ところが次の瞬間、ぐんと頭を上げた先頭の亜竜が鋭く鳴いて、火刻(フレイム・エンブレム)が閃くよりも早く長い首を左へ向ける。途端に群が旋回した。

 まさか、亜竜には神気の流れが感知できるとでもいうのか。

 おかげで渾身の一撃は(かわ)された。そうしてただひとり、戦場の真ん中へ取り残されたカミラへ、銀の鞭のしなるように迫った亜竜の群が、


百雷槍(クフ・バラク)!」


 刹那、砂塵の切れ間に青い閃光がはたたいた。

 かと思えば滝のごとき雷撃の雨が亜竜の群に降り注ぐ。

 いくら神気の流れを読めたとしても、避けようのない規模の神術だった。

 人を突き殺すために磨き上げられた角つきの兜が一斉に沈む。

 さらに雷の直撃を避けた亜竜にも、人馬の群が数騎一組になって襲いかかった。

 あの兵装は間違いない。救世軍(みかた)──イーク隊の兵士たちだ。


「イーク……!」


 遊撃隊として先鋒のマティルダを支援すべく、城を出て早々左右翼に別れたはずのイークがそこにいた。彼は全身を返り血とも自分の血とも知れないもので真っ赤に染めながら、馬上で息を弾ませている。けれど、生きていた。


 それだけで感情が決壊し、泣き出してしまいそうだ。


「カミラ、無事か」

「うん、何とか……だけどもうめちゃくちゃで、戦況が全然分からなくて……途中からカイルがどこにもいないの! なのにこの状況じゃ探しようもなくて……!」

「大丈夫だ、落ち着け──」


 と言いかけたところで、馬を寄せてきたイークが突然息を詰めた。

 彼の眉間が苦痛に歪むのを見たカミラは、どうしたの、と尋ねかけて息を呑む。

 何故なら駆けつけたイークの脇腹には、掌で覆い切れないほどの裂傷があった。

 あれは剣や槍で突かれた傷ではない。

 大きさからしてたぶん、亜竜の角に突かれたのだ。


「イーク、その怪我……!」

「いいから……落ち着け、騒ぐな。動けないほどの傷じゃない」

「嘘! だって、そんなに血が……!」

「これはほとんど返り血だ。それよりも……ついてこい。退却だ。陣形も指揮系統もズタズタで、救世軍はもう戦えない」

「そうだけど、でも、退却って……!」

「作戦の遂行は不可能だ。だが、ここで全滅すれば、俺たちは今度こそ戦えなくなる……だから生きてるやつらだけでも連れて、逃げるぞ。そいつも隊長の役目だ。取り乱してないで、しっかりしろ」


 額から滴る脂汗(あせ)を鬱陶しげに拭いながら、絞り出すような声でイークはカミラを叱咤した。その顔色はどう見ても大丈夫ではないし、出血もひどい。

 叶うことなら今すぐにでも星刻(グリント・エンブレム)の力を使って治療したい。

 けれど立ち止まっている猶予(ゆうよ)などどこにもないのもまた事実だ。


 今はイークが神術で焼き払ってくれたおかげで戦場の片隅に穴が開き、カミラたちは敵に囲まれずに済んでいる。が、モタモタすればまた敵が迫ってくるに決まっていた。ならばイークの言うとおり、ただちに退却するしかない。

 これ以上ここに留まったところで、カミラたちにできることは何もないのだ。

 そして何より、放っておけばイークが死んでしまう。


「わ、分かった……分かったから、お願い、イーク、死なないで……!」

「……誰が死ぬか、バカ。今はこんなところでくたばってる場合じゃないだろ。せめてジェロディの無事だけでも確かめないと……城の手前まで逃げられれば、あとは連合国軍が何とかしてくれる」

「うん……!」

「イークさんの傍にはおれがつきますよ、カミラさん。代わりに、イーク隊の生き残りもまとめて指揮をお願いします。おれたちもついていきますから」


 そう言って視界の外から現れたのは、亜竜の残党を狩ってきたらしいアルドだった。彼もイークと同じくらいに血まみれで、どこか怪我をしているのかもしれないが一見しただけでは判別できない。頭からも血が流れているように見えるのは気のせいだろうか。そのせいで左目が半分閉じかかっている。


(あれじゃアルドも視界がきかない。私がしっかりしないと……!)


 そこでようやく、いくばくかの冷静さを取り戻せた。

 そうだ。動転してる場合じゃない。今は守れるものだけでも守り切らなければ。

 どれだけ痛めつけられようと、生きてさえいればまた戦える。

 救世軍はこれまでだって、何度でもそうやって立ち上がってきた。

 だからとにかく、生き残ることを最優先に。行方の知れないカイルのことは激しく気がかりだが、戦場には他にも仲間がいる。きっと彼らと合流し、無事でいるはずだ。そう信じて、カミラは滲みかけていた視界を拭う。


「分かった。行きましょう」


 折よく台地に風が吹き、砂塵が薄れて、わずかだが視線が通るようになった。

 立ち込める砂埃の向こう、一(ゲーザ)(五〇〇メートル)ほど先に鎮座するトラクア城が見える。その威容はすぐに土色の幕に覆われてまた隠れてしまったが、目指すべき方角は分かった。行こう。もう一度自分をそう励ましてエカトルに合図を送る。


「カミラどの!」


 ほどなく一行が台地の頂を目指して駆け始めると、上空から声がした。

 見上げれば数騎の鈴の騎士(リッタリー)を従えたアーサーがいる。助かった。空の()だ。


「アーサー、ごめん! 私たちは退却する! 隊がほとんど潰滅して、立て直せそうもないの!」

「相分かった、撤退を援護します! ですが急がれよ、追っ手が来ますぞ!」


 頭上からの警告にはっとして、カミラは背後を振り向いた。

 そこには確かに後退するカミラたちを見つけて追ってくる敵の一団がいる。

 しかし幸いと言うべきか、今度は竜騎兵じゃない。ただの騎兵だ。

 無論、だからと言って安心はできないが、あれなら逃げ切れるかもしれない。

 今は『誇り高き鈴の騎士団』の援護もある。


「アルド、先に行って! 殿(しんがり)には私がつく!」

「ですが、カミラさん──」

「今なら前方に敵はいない! このまま一気に駆け上がって!」


 言いながらカミラは手綱を絞り、エカトルの速度を落とした。

 アルドはなおも何か言いたげにしていたが、今はとにかく撤退が最優先だと思い直したのか、イークを連れてすぐ横を駆け上がっていく。

 カミラはそうして自らを追い抜いていく仲間の最後尾についた。彼我の距離は目視で半幹(ハーフゲーザ)(二五〇メートル)ほど。振り切れない距離ではない。ただ味方の馬はエカトル含め、いずれも潰れる寸前だ。対して、竜騎兵が障害物を薙ぎ払ったあとの道を悠然と駆けてくるだけでいい敵は速い。ぐんぐん距離を詰めてくる。


(お願い、間に合って……!)


 トラクア城の城門まではあと二十四(アナフ)(一二〇メートル)。カミラたちの頭上を通り過ぎた鈴の騎士たちが追っ手へと襲いかかり、時間を稼いでくれている。

 ところが敵にも神術使いがいたようで、突然、可視の風が無数の鎌の形を取って上空の騎士たちに牙を剥いた。

 翼をもがれた翼獣(ラプン)たちが、断末魔の絶叫を上げながら墜ちてゆく。


(みんな……!)


 今すぐにでも駆け戻りたい衝動を噛み殺して、きつく手綱を握り締めた。

 ──誰か。誰か、これは全部悪い夢だと言ってほしい。

 そして、夢ならば早く覚めてほしい。

 けれども悪夢は終わらない。神術に蹴散らされたアーサーたちの隙を()き、敵騎が斜面を駆け上がってくる。彼らが手に手に携えているあれは何だ?

 見たところ剣ではない。しかし槍にしてはずいぶん華奢(きゃしゃ)で短すぎる。

 敵はそれを馬上で大きく振りかぶって──まさか、投槍器か?


「エカトル!」


 カミラはとっさに愛馬を反転させた。

 と同時に左手の星刻を閃かせ、眼前に巨大な時空の裂け目を発生させる。

 時裂の盾(シャオン・ペレツ)。間に合った。敵兵がこぞって投げつけた槍は、強弓もかくやという勢いでカミラたちに迫ったが、時間を吸われて空中で静止する。どころか、


巻き戻せ(ナイラ・クティナ)!」


 気づけばカミラはそう叫んでいた。頭で何か考えるよりも早く〝こうしろ〟と誰かに命じられる感覚。おかげで星刻の新たな使い方を知った。

 時戻しの術にかかった投げ槍は、穂先はこちらを向いたまま、突如として背後へ向かって飛んでゆく。投擲(とうてき)されたときの勢いもそのままに。

 それが敵の騎手や馬に命中し、悲鳴が上がった。まったく予期しなかった形の逆襲で、歴戦の猛者(もさ)たちも備えようがなかったらしい。


 ──もっと。


 刹那、頭の裏側でまたも誰かが(ささや)いた。


 ──もっと。もっと力を解放しよう。


 浮かぶのは時間(とき)を奪われ、作りもののように静止した敵兵のイメージ。

 その間を走り抜け、抵抗の術を奪われたやつらの首を次々と()ねる。

 星刻の力があれば、できる。


 ──やれ。


 脳裏で誰かが笑った気がした。左手に神力がみなぎってくる。

 やれる。今なら。このまま奪い尽くされるくらいなら、いっそ、


「──カミラ!」


 ところが今にも剣を構え、馬腹を蹴ろうとした瞬間。

 カミラはいきなり左手を掴まれ、はっと我に返った。

 何事かと目をやれば、そこには味方を大勢従えたヴィルヘルムの姿がある。

 どうやら彼らはトラクア城の方角から台地を駆け下りてきたようだ。


「……ヴィル? あ……ヴィル、よかった、無事で……!」

「お前、今、何をしようとしていた?」

「え?」


 きょとんとしてそう聞き返した直後、戦場に突風が吹き荒れ、敵勢が薙ぎ払われた。この風はヴィルヘルムではない。ユカルだ。(しか)して追っ手の隊列が乱れたところへ、ヴィルヘルム隊の歩兵がすかさず吶喊(とっかん)していく。

 だがヴィルヘルムはカミラから目を離さない。彼がこんなに険しい表情を見せるのは、オヴェスト城で魔族と遭遇したとき以来だ。左手も押さえ込まれたままで、カミラが何も答えられずにいると、より強い力でぎりと手首を圧迫される。


「……っ! ちょ……ちょっと、ヴィル、痛い……!」

「マナは──」

「え?」

「マナの呪いはどうした。まさか……もう解けたのか?」

「の……呪い?」


 ヴィルヘルムの唇が突拍子もなく(つむ)いだ不穏な言葉に、カミラはますます困惑した。するとそのとき、ふたりの傍らにユカルが馬を寄せてくる。

 また神力(ちから)を使いすぎたのか、彼の顔色は蒼白だ──いや、違う。

 何だろう。白緑色(びゃくろくしょく)の髪の下から覗く、あの怯えたような眼差しは。


「……ヴィルヘルムさん。言いたいことは何となく分かるけど、今は急いで味方の援護に行かないと」

「……」

「カミラ、あんたは早く城に戻った方がいい。イークたちは先に逃がしたよ」

「あ……ありがとう。だけど、だったら私も」

「いや、ユカルの言うとおりだ。お前はこのまま城へ戻れ」

「えっ……で、でも──」

「トリエステから総員撤退の命令が出ている。俺たちは退却する味方の支援へ向かうところだ。余力があるなら、お前は城門付近で動ける兵を募って待機していろ。追われながら逃げてくる味方がいれば、そちらにも援護が必要だ。いいな?」

「う、うん……そういうことなら……」

「ユカル、お前もここまででいい。カミラを連れて城へ戻れ。レナードは俺が探してくる」

「だけど、ヴィルヘルムさん──」

「お前にも()()()いるんだろう?」


 と、ヴィルヘルムがなおも険しい表情のまま尋ねると、ユカルは馬上でうつむいた。しかしカミラには、ふたりが何を話しているのかさっぱり分からない。


「……うん。見えてるよ。僕の右目は、天授刻(ギフト)の干渉が強いから……」

「ならカミラを頼む。また呑まれそうな気配がしたら止めてくれ。他の者には頼めない」

「……分かったよ。代わりに絶対レナードさんを連れて帰ってよね」

「ああ。任せておけ」


 抑揚のない声色でそう答えるが早いか、ヴィルヘルムはようやくカミラの手を放した。かと思えば一度もこちらを見ずに手綱を(さば)き、交戦する味方のもとへと駆け去ってしまう。


「そういうわけだから、行くよ、カミラ。モタモタしてるとまた敵に狙われる」

「う、うん……だけど、さっきのは何のこと? ユカルにも()()()()って……?」

「……」


 カミラが困惑したまま尋ねれば、ユカルはふいと視線を逸らした。

 どうやら何と答えるべきか言葉を迷っているようで、束の間ためらいを覗かせたのち、やがて短いため息を落とす。


「……その話は、今はあと。とにかく早く行かないと。戦況は最悪だ。ウォルドもリチャードさんも──みんな、大怪我をして運び込まれてるよ」


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