311.ふたりの嘘つき
こうなった以上、救世軍にはもはや逃げ場がなかった。
何しろマティルダが治めていたトラクア城は、城内に出入りできる入り口がひとつしかない陸の孤島だ。シヴォロ台地の傾斜に面する西側以外は、すべてが登攀困難な絶壁に囲まれ、籠城戦の舞台としては優れている。
けれどもそれは、籠もる側が万全の準備を整えて敵を迎え討った場合の話。
今の救世軍はお世辞にも万全の状態とは言い難かった。
何しろ数日前の戦闘で城は既にボロボロ、城門を塞ぐ丈夫な鉄の扉すらなく、要塞としての能力など満足に期待できそうもない。おまけに救世軍にしろ元第六軍にしろ、守兵は未だ先の戦で負った傷と疲労を引きずったまま。
昨日軍議の席に集った仲間たちだって、みな平静を装ってはいたけれど、まだ体調が戻っていない者も何人かいたはずだ。たとえば神力を使い果たして寝込んでいたカミラやユカル。ムラーヴェイとの戦闘で瀕死の重傷を負ったマティルダ。
他の仲間たちだって五ヶ月も過酷な戦場を駆け回ったあとで、本心ではくたくたに疲れ切っているはず。なのに彼らは疲労した様子などおくびにも出さず、昨日の軍議では口々にガルテリオと争わずに済む道はないかと模索してくれた。
無論そこには、今の救世軍がガルテリオと正面からぶつかったところで勝算がないという現実も理由としてあったのだと思う。しかしジェロディには分かるのだ。
仲間たちはそれ以上に、父と自分を戦わせたくないと願ってくれているのだと。
(……僕は本当に、いい仲間に恵まれた)
一度は彼らを捨てて、ひとりだけ逃げ出そうとした卑怯者だというのに。
仲間はそんなジェロディを見捨てるどころか今なお信じ、守ろうとしてくれている。にもかかわらず、彼らを置いて再び逃げ出せるほどジェロディは身勝手な人間ではない。むしろ自分も彼らを守りたいと切に願う。
そして、父ならばきっとこの想いを理解してくれるはずだ、とも。
「開門」
境神の月、美神の日。トラモント黄皇国南部に位置するパウラ地方もついに本格的な冬を迎え、吹き荒ぶ寒風の只中に、ジェロディの短い号令が響いた。
するとありあわせの鉄板が接ぎ合わされただけの城門とも呼べない鉄の壁が、力自慢の救世軍兵たちにより半分ほど持ち上げられる。
もともとの城門と接続されていた巻き上げ機が苦しげに鎖を軋ませながら鳴り、ジェロディたちの前に道を作った。先日神術砲の砲撃で壊れたものを即興で修理しただけなので、誰かが支えていないとすぐに閉じてしまう危険な門ではあるが。
「行こう、ケリー、オーウェン。それからトリエも」
「はい」
傍らで騎乗し、頷いた三人の眼差しには、いずれも悲壮な覚悟があった。時刻は正午直前。ジェロディはこれから敵前へ赴き、ガルテリオとの交渉を試みる。
目標は言わずもがな、ガルテリオの真意の在処を探ること。昨日の軍議でも議題に上がっていたとおり、現在黄皇国内において、ガルテリオは非常に微妙な立場に置かれている。それについてガルテリオはどう感じているのか、またどうしたいと考えているのか、まずはそこを確かめる必要がある、と考えたのだ。
無論、総大将が自ら危険を冒す必要はないと、仲間内には反対する声もあった。
もしもガルテリオがジェロディに対し、明確な敵意を持って攻めてきたのだとしたら、即座に取り押さえられてしまうかもしれない、と。
けれどもジェロディは、たとえ戦う以外に道がないとしても、自分の知る父なら正々堂々正面から戦で決着をつけたがるはずだと信じた。
現に昨日ウィルから聞いた話の中でも野戦を望んでいたし、そういう父の本質は変わっていないと思う。とするとここでジェロディが我が身を惜しみ、逃げ隠れするのはかえって悪手だ。一軍の主たる者がそのようなていたらくでは父は大いに失望し、完全に救世軍を見切ってしまうだろう。
(もちろん、父さんが魔術の影響を受けてないことを前提とした話だけど……昨日のウィルの様子を見る限り、ひとまず心配は要らないはずだ。何より僕自身、父さんにだけは失望されたくない……マリーを死なせてしまった時点で、きっと無理な話だろうけど)
実はジェロディが今回、自らガルテリオに会いに行く決断をしたのは、自分の口からマリステアの死を伝えるためでもあった。が、戦う術を持たぬ彼女を内乱に巻き込んだあげく守り切れなかったとなれば、父は怒り悲しむに違いない。
何しろマリステアは父にとって、まぎれもなく家族だった。
血のつながりはなくともケリー同様、父親として大切に接していたことをジェロディもよく知っている。だから彼女の死を伝えたら、それこそ父は失望し、こちらの話に耳を貸してくれなくなるかもしれない。けれど──だとしても。
(どうせいずれは知られることを下手に隠しても仕方がない。だったら僕は正直に父さんと向き合って、戦わずに済む道を探したい……僕たちが親子で殺し合うことを、マリーは絶対に望まないから。何より救世軍を守るためには、もう他に方法がない)
今の状態でガルテリオと戦えば、救世軍は恐らく滅ぶ。
かと言って提示された条件を飲み、降伏を受け入れたとしても、生き残れるのはほんのひと握りの仲間だけだ。ガルテリオは「トラモント黄皇国を祖国としない者については、ヴィンツェンツィオの名に懸けて陛下に助命を嘆願しよう」と言ったそうだが、これは恐らくアビエス連合国軍に限定した話で、旧救世軍時代から反乱を主導してきたカミラやイークやウォルドまで見逃してもらえるとは思えない。
彼らも確かに異邦人ではあるものの、殺したところでさしたる脅威にはならないからだ。他方、曲がりなりにも人道的支援という名目でやってきている連合国軍を黄皇国の一存で裁くとなると、かの国に宣戦布告するも同然の外交問題へと発展しかねない。とはいえ今回のような大国の介入を嫌った軍上層部が、軍は無傷で帰しても指揮官は人質として拘束する可能性も否めないから、やはり仲間を守るためにはガルテリオとの交渉に活路を見出だす他ないのだった。
(そのためにはまず、父さんの真意を正確に探り当てないと……あの人が何を望んでいるかで、交渉の仕方も大きく変わってくるんだから──)
「ジェロディ殿」
ところがゆっくりと斜面を下り始めた愛馬の背で、ジェロディがそう覚悟を決めていると、不意にトリエステから名前を呼ばれた。はっとして我に返ってみれば、麓に見える敵陣の前方に数騎進み出てきた騎影が見える。途端に胸まで込み上げてきた感情をなんと呼べばいいのか、ジェロディには見当もつかなかった。
──ガルテリオ・ヴィンツェンツィオ。
幼い頃から仰ぎ見てやまなかった父がそこにいる。
歴戦の白馬の背中で目を細め、まぶしそうにこちらを見上げている。
両脇を固めているのはウィルとリナルドだ。前者は昨日と同じ装い。後者はウィルとそっくり同じ誂えの鎧の上に、鏡写しの要領で緑色の外套を流している。ふたりとも変わっていない。もちろんガルテリオもだ。自分のせいで計り知れないほどの心労をかけたはずなのに、巌のような父の面差しに窶れや衰えの気色はない。
(……よかった)
そんな状況ではないはずなのに、思わず震えた唇を噛み締めた。
父と分かれた六聖日の終わりから、およそ一年。戦いに次ぐ戦いに追われ、あっという間に過ぎ去った一年だと思っていた。けれども一年ぶりに再会してみると、もう何年も会えずにいたようななつかしさが込み上げてくる。マリステアがここにいたなら、きっとガルテリオの顔を見るなり泣き出していただろう。
──会いたかった。自分はこんなにも父に会いたかったのだ。
ようやくそう自覚した。一年のうちに色褪せ、どこか遠くへ行ってしまったように感じていた父との記憶が脳裏で息を吹き返す。そうして泣き出しそうになっている自分を、父はどんな想いで見上げているのだろうか。
「……ジェロディさま。心配は無用と思いマスが、くれぐれも油断だけはなさいマセンよう」
ところがいよいよ敵陣が一枝(五メートル)先まで迫ってきたところで、不意に背後からそう耳打ちされた。声の主は言わずもがなシズネだ。
彼女はいつもの忍装束ではなく、救世軍兵の装備に身を包んでそこにいた。
隣でいかついトラモント人の兵士に扮しているのは例によってソウスケだ。
ふたりは万が一の事態に備え、交渉に臨むジェロディたちの後方に護衛の兵のふりをして付き従っていた。この先何か予想を裏切る事態が起きたとしても彼らがいれば心強い。ゆえにジェロディは頷いて「うん、分かってる」と小声で答えた。
するとシズネもそれ以上は何も言ってこなかったものの、死角にいる彼女の緊張が、背中越しに感ぜられるような気がする。
「久しぶりだな、ジェロディ」
ほどなく彼我の距離が半枝(二・五メートル)ほどにまで近づくと、低く明朗な声が上がった。まぎれもない、一年ぶりに聞く父の声だ。
その声の響きやこちらを見つめる眼差しに濁りはない。
とすると、やはり父には魔族の影響が及んでいないと見てよさそうだ。
まずはそれを確かめてほっと胸を撫で下ろし、しかしマティルダの例もあるから油断はできない、と気を引き締めてから、ジェロディもついに口を開いた。
「……ほぼ一年ぶりだね、父さん」
「ああ。しばらく見ない間に、少し顔つきが変わったな。ケリーやオーウェンは相変わらずのようだが」
「ご無沙汰しております、ガル様。ガル様がご不在の間、我々にジェロディ様をお任せ下さったにもかかわらず……このような事態となってしまい、申し開きのしようもございません」
「いや。何を申し開きする必要がある? お前たちは立派に務めを果たしたろう。でなければこうして再び息子と見える日など、二度と訪れなかったやもしれん。よく働いてくれたな、ケリー、オーウェン。やはりお前たちにジェロディを預けたのは正解だったようだ」
するとガルテリオの唇から滑り出した穏やかな語調に、ジェロディはやや意表を衝かれ、ケリーやオーウェンははっとした様子で口を噤んだ。
特にオーウェンは今にも泣き出しそうなくらい顔を紅潮させて、力なくうつむいている。確かに彼は根っからの直情家であるものの、しかしオーウェンのそんな横顔を見るのはジェロディも初めてのことだった。
「あなたもお変わりありませんね、ガルテリオ殿」
ところがふたりが言葉に詰まって何も言えなくなったところに、トリエステの透明な声が響く。ガルテリオは呼びかけに気がつくと、ジェロディの傍らに佇む鹿毛の背を見やり、またなつかしそうに目を細めた。
「そういう君はどうだ、トリエ。リチャード殿から〝どうやら世捨て人として生きる決意を固めたらしい〟と知らされたときには案じたものだが、意外と達者な様子じゃないか。こうして面と向かって話すのはいつぶりだろうな」
「八年ぶりにお目にかかります。その節は、多大なご迷惑とご心配をおかけしました。ですが陛下とあなたからあれほどのご憐情を賜ったにもかかわらず、ご恩に報いるどころか仇で返すこととなってしまい……亡き妹共々、不義理を深く恥じております」
「なんだ。君も少しは変わったかと思えば、そうやって思い詰める癖は相変わらずか。……フィロメーナのことは残念だった。こうなるまで君たち姉妹に何もしてやれなかったことを、すまなく思う」
「いいえ。ガルテリオ殿にはガルテリオ殿の守るべきお立場がございますから……どうか我々のためにこれ以上、無用な重荷を背負われませんよう。私もフィロメーナも、あなたには充分救っていただきました」
「本当にそう思うか?」
「ええ。今もこうして息をして、あなたのご令息の軍師で在れることを誇りに思える程度には」
淀みのない口調でトリエステがそう答えると、ガルテリオは思わずといった様子で目を丸くした。が、すぐに軍人としての風雪の日々を思わせる目尻の皺を綻ばせると、ジェロディもよく知る父親の顔を覗かせる。
「……そうか。どうやらうちの息子は、思いのほか高く君に買われたようだ。しかし白旗を掲げていないところを見ると、どうやら降伏の申し入れに来たわけではないようだな?」
「えっ……」
「昨日ウィルをやって伝えたはずだぞ。降伏か決戦か、どちらか選んで答えを聞かせてもらいたいとな」
ところが直後、突如としてガルテリオの口から姿を現した現実が、にぶく分厚い刃物のようにずっとジェロディの胸へ食い込んだ。
これにはさすがのケリーやオーウェンも絶句している。
まるで直前までのなごやかな会談を丸ごとひっくり返されたような顔色だ。
「お……お言葉ですが、ガル様。我々は──」
「いいよ、ケリー。……父さんには総帥から話す」
「ですが、ジェロディ様」
「いいんだ。ありがとう」
やはりケリーも、ジェロディとガルテリオを直接対立させたくないという想いが強いのだろう。ゆえにとっさに進み出ようとしたケリーを、ジェロディは静かに制した。すると彼女もそれ以上は食い下がらず、黙礼して馬を下げる。
──ありがとう。そんな彼女にもう一度、心の中で感謝を述べてからジェロディは父へと向き直った。
「父さん。僕たちは提示されたふたつの選択肢のうち、どちらでもない道を選び取るために来た。救世軍は降伏も決戦も望まない。……そう言ったらどうする?」
「……ほう。その心は?」
「僕が祖国を裏切って、救世軍に奔った詳しい経緯は割愛するよ。わざわざ説明しなくとも、ある程度の事情はもう伝わってると思うから。彼らは……救世軍は、ルシーンの罠に嵌められた僕を匿い、今日まで共に戦ってくれた。ヴィンツェンツィオの名を持つこの僕をだ。もちろん最初は、僕の名前を利用して民の歓心を買うのが目的だったかもしれない。だけど……今はもう違う。救世軍は僕にとって、かけがえのない大切な仲間だ」
ジェロディが馬上からそう打ち明けても、ガルテリオは表情を変えなかった。
ただじっと口を閉ざし、目だけで次の言葉を促している。
ゆえにジェロディもひと呼吸置いたのち、また大きく息を吸い込んで続けた。
「父さん。父さんも分かってるよね。ジャンカルロさんやフィロメーナさんが救世軍の旗を掲げ、彼らの遺志を受け継いだ人々が今もなお戦い続けている理由を。僕らの祖国は変わってしまった。かつて陛下が望まれた平和や平等は、トラモント黄皇国のどこにもない」
「……ああ。そうかもしれんな」
「だから僕たちは戦ってきた。たとえ逆賊の汚名を着せられようとも、陛下が諦めてしまった理想をもう一度甦らせるために。もちろん、陛下が望まれた未来とは少しだけ形が違うかもしれないけれど……それでも僕は諦めたくないんだ。父さんたちがたくさんの血を流して守ってきたこの国を」
「……だがお前たちの目指す先は帝政の打倒だ。私の今日までの戦いは、陛下の御世をお守りするためのものだった。ゆえにお前たちの言い分を聞き入れることはできない。聞けば黄皇国の軍人として生きてきた己の人生を、真っ向から否定することになるからだ」
「本当にそう思う? 父さんが陛下のために戦ってきたのは、あの人が共に夢見た未来をいつか叶えてくれると信じたからだろ。だけど今の陛下にはもう、かつての理想を叶えられるほどの力はない。だったら父さんは何のために今も祖国の盾として苦しんでるの?」
「ジェロディ」
「父さん、前に言ったよね。〝善良な民のいるところ、それが国だ〟って。僕もそう思うよ。たとえ黄皇国は滅んでも、陛下の愛した民は生き続ける。ならたとえ国の名前や形が変わっても、そこは変わらず僕らの祖国だ。だとしたら今、僕たちが為すべきことは国の歴史や体裁を守ることじゃなく、民の血を絶やさないこと。そして父さんが今も心からこの国を守りたいと願っているのなら、僕たちには戦う理由がない」
「……」
「だから僕らは交渉に来た。父さん──いえ、ガルテリオ将軍。どうか祖国の民のため、未来のために矛を治めて、真に正しい道はどこにあるのか、もう一度考え直してはいただけませんか?」
途中何度も震えそうになる喉を叱咤して、ジェロディは毅然とそう言い切った。
ガルテリオ・ヴィンツェンツィオの息子として──そして救世軍の総帥として、伝えるべきことはすべて伝えられたと思う。あとは父の返答次第だ。
今の答弁を受けて、父がわずかでも本心を覗かせてくれたら。
そうすればまた交渉の余地は広がる。彼と戦わずに済む道も、きっと、
「……救世軍の言い分は分かった。しかし総帥殿、ひとつ訊かせてくれ」
「何でしょう?」
「マリステアが死んだそうだな」
次の瞬間、ガルテリオの口から紡がれた名に、ひゅっと呼吸が引っ込んだ。
──マリステア。
彼女がもうこの世にいないことを、ガルテリオも既に知っていたのか。
だとしても何故?
凍りついた頭でそう自問しようとして、されどすぐに気がついた。
ああ、そうだ。そういえば一度救世軍を離れ、再び彼らのもとへ戻ったのち、トリエステから聞かされた。ろくに別れも告げられなかったジェロディのため、マリステアの棺は今も水の保護術をかけてソルン城に安置してある、と。
「ガル様、マリー……いえ、マリステアは──」
「いや、いい。事情はソルン城で捕虜から聞いた。ハクリルート将軍の襲撃から、ジェロディを守って死んだそうだな。……まったくあの子らしい最期だ。私やアンジェとの約束を、律儀に守り通そうとしたのだな」
「……はい。あの子は息を引き取る間際まで、ただジェロディ様の幸せを願っていました。だからこそこうしてお話に参ったのです、ガル様。あの子の……マリーの最後の願いを切り捨ててまで、我々はあなたと争わなければならないのかと」
「……そうか。しかしお前たちは、同じように争いなき世を望んだ民の願いを踏みつけて進んできただろう。お前たちが起こした内乱のために、今も父や子を失い、嘆き悲しむ民がいることを知りながら剣を振るってきたのだろう」
「それは」
「ならば己の家族だからという理由だけで、マリステアの願いばかり優先させるのはいささか勝手が過ぎるのではないか? お前たちの覚悟が本物であるのなら、あの子の最期の願いさえ踏み越えてゆくべきではないのか?」
「ガル様、お言葉が過ぎます! ジェロディ様はそのようなつもりでここへ来られたわけでは……!」
「いいや。たとえそうだとしても、覚悟を決めろ、ジェロディ。お前にもまた、今日まで切り捨ててきた者たちに対する責任がある。一度道を選んだからには、貫かねばならぬ道義がある。私が陛下のために妻を捨て、子を捨てて、ここまで歩んできたように」
はっと胸を衝かれて、息が止まった。かと思えば貫かれた傷から溢れ、ぐらぐらと煮え立つ感情が、真っ赤に燃え盛りながらジェロディの喉を塞いでしまう。
そこから先はもう、何も言えなかった。否、何か言わなければと思うのに、目の前で微笑む父の姿がひどく滲んで、声が出ない。
「父さん、僕は」
「いや、言うな。今この瞬間をもって通告しよう。ジェロディ・ヴィンツェンツィオ。陛下に仇為す天下の大罪人──お前に義絶を言い渡す。ヴィンツェンツィオ家当主の名に懸けて、今日よりお前を息子とは認めない」
「ガル様……!」
「降伏か死か。もう一度選び直す時間をやる。これより一刻ののちまでに答えを決めよ。お前たちがどちらの道を選ぼうと、我が軍人生命のすべてを懸けて、私はそれに応えよう」
顎の骨が砕けるのではないかと思うほど、きつく奥歯を噛み締めた。そうしなければ今度は心臓まで燃え上がって、歯止めが効かなくなりそうだった。
ゆえにジェロディは手綱を捌く。
もはや父を振り向くことなく、愛馬の首を城へと向ける。
「行こう、みんな」
「ジェロディ様、」
「交渉は決裂だ。これ以上言葉を重ねることに意味はない。そんなことをしたって僕たちは、もう二度と分かり合えないんだから」
ケリーとオーウェンが言葉を失い、茫然とこちらを見つめていた。他方、トリエステは静かに瞑目したのち、再びガルテリオへと向き直り、深々と頭を下げる。
それが別れの挨拶だった。
次に顔を上げたとき、彼女ももうガルテリオを見ていない。
走り出したジェロディの馬の傍らに、シズネがぴたりと自らの駒を寄せてきた。
その彼女の白い頬が、兜の下で濡れている。
(ああ、僕はやっぱり嘘つきだな)
仲間たちの待つトラクア城を目指して駆けながら、ジェロディはそう自嘲した。
そうだ。〝分かり合えない〟なんて真っ赤な嘘だ。
本当は分かっている。いや、分かりたくなんかないのに、分かってしまった。
父にとってのトラモント黄皇国とは、自分にとっての救世軍なのだと。
ならばもう戦う他に道はない。そこには迷いも同情も入り込む余地はない。
ただ、この世の何と引き換えにしても守りたいもののためにぶつかるだけ。
それだけだ。




