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310.葬列の果てに ☆


      挿絵(By みてみん)




 トラクア城本館の軍議室へ向かう皆の足取りは、まるで葬列のようだった。

 誰もひと言も言葉を発さず、ただ黙然と黄砂岩(こうさがん)造りの廊下を歩く。先頭にはトリエステを傍らに連れたジェロディがいて、カミラは彼の背に声をかけたいような、されど今は目を合わせる勇気もないような、複雑な心境でうつむいた。

 そうこうするうちに一同は軍議室の前へ辿(たど)()く。ほんの数日前までは黄皇国(おうこうこく)中央第六軍の将校たちが、救世軍を迎え討つべく額を突き合わせていた場所だ。


「……来ましたか、ジェロディ」


 ところが仲間の先陣を切り、軍議室の扉を開いたジェロディを出迎えたのは意外な人物だった。見れば長机が方陣を組むように置かれた室内には、先に到着していたらしいトラクア城の主──マティルダの姿がある。上座でも下座でもない、真ん中の席に腰かけたマティルダの傍らには、帯剣した侍女と(おぼ)しき女がひとり。

 当のマティルダは剣や鎧を身につけた様子はなく、長衣(ローブ)に近いゆったりとした線の衣服の上に、金の縁取りがされたショールを羽織った姿でそこにいた。


「マティルダ将軍……! もう起き上がって大丈夫なのですか?」

「ええ……というより、この状況で悠長に寝ているわけにもいかないでしょう。ガルテリオ将軍とは話せましたか?」

「……いいえ。ただ父が寄越した軍使から伝言を受け取りました。降伏か野戦か、明日の正午までにどちらか選べと」

「……そうですか。いかにもあの方らしい、簡潔明瞭な要求ですね」

「あんた、まるで他人事だな。何ならこのまま敵軍に寝返って、内側から門を開けてもいいなんて思ってるんじゃないか? そうすりゃあんたらはガルテリオ・ヴィンツェンツィオの庇護の下、また黄皇国でそれなりの地位に返り咲ける」

「ちょ、ちょっと、イーク──」

「なるほど。その発想はなかったが、なかなかの妙案ですね。では救世軍(おまえたち)は命を預けるに値しないと判断したときには、迷わずそうさせてもらうとしましょう」

「将軍」

「私の生を願った者たちのために、生き恥を晒してでも生きよと言ったのは他ならぬおまえです、ジェロディ。ならばこの命、陛下に代わって背負ってみせなさい。──軍議を」


 と表情ひとつ変えずにそう言って、マティルダは目だけでジェロディを促した。

 サビア台地から続く一連の因縁で、未だ彼女を信用していないイークの威嚇などどこ吹く風だ。けれどもカミラにはそんなマティルダの姿が、生への執着や関心といった諸々の感情を失ってしまったがゆえの、ひどく透明なものに見える。


「では……これより、第三軍迎撃作戦についての軍議を開始します」


 ほどなく各所に散っていた仲間が全員集まったのを確かめて、上座からトリエステが軍議室を見渡した。現在城内にいる救世軍の隊長格は総帥であるジェロディを筆頭にマティルダ、ケリー、オーウェン、リチャード、ヴィルヘルム、デュラン、テレシア、アーサー、イーク、アルド、ウォルド、カミラ、カイル、コラードの計十五名。ここに諜務隊(ちょうむたい)のシズネとソウスケ、助っ人として加わっているレナードとジュリアーノ、そして救世軍内ではジェロディに次ぐ神子であるターシャと天授児(ギフテッド)であるユカルも加わり、軍議室には総勢二十一名の仲間が顔を揃えている。


 が、みな表情は沈鬱で、いつもは淡々と軍議の進行を取り仕切るトリエステさえも今回ばかりは口が重そうだった。それは現在救世軍が立たされている絶望的状況のためであり、同時にトリエステ自身、恩人であるガルテリオとついに戦場で相対することとなった現実を受け止め切れていないせいでもあるのだろう。


「おう、とりあえずまずは状況を説明してくれ。シャムシール砂王国(さおうこく)との国境で防衛戦に忙殺されてたはずのガルテリオが、なんでこのタイミングで俺たちの前に現れたのか、話はそこからだ」

「ええ……そうですね。幸い時間には若干のゆとりがありますので、順を追ってお話しましょう。ソウスケ」

「はっ」


 とウォルドが投げかけた疑問を皮切りに、救世軍史上最も重い軍議の幕が上がった。まずトリエステから指示を受けたソウスケが皆の前方に立ち、正面の壁に黄皇国西部の地図を展開する。幅半枝(ハーフアナフ)(二・五メートル)ほどの大きな亜麻(カルパス)紙に、西の国境からギリギリパウラ地方までを含む一帯の地理を描いたものだった。トリエステの次の言葉を待つ皆の視線が、音もなくその紙面に吸い寄せられていく。


「まず、たった今ウォルドの話にもあったとおり、ガルテリオ殿率いる中央第三軍はこの数ヶ月、西の国境に押し寄せたシャムシール砂王国軍と交戦していました。今回砂王国軍を率いていたのは、かの国の王子であるファリド=ヤウズ=ジャハンギル。彼は四年前にも自ら軍勢を率いて国境を襲った好戦家で、単に粗暴なだけでなく、非常に頭も切れる人物だと聞いています。ゆえに第三軍の王子に対する警戒は強く、これまで任地であるイーラ地方を離れられない状況が続いていました」

「なるほど。だから半年近くもの間、烏合(うごう)の衆の砂王国軍が国境に張りついていられたわけか。いつもの小競り合いなら、やつらが持つのは長くとも二月(ふたつき)三月(みつき)程度だった。金目当ての傭兵どもが集まって好き勝手暴れるだけの砂王国軍じゃ、どう足掻いてもガル様の指揮する正規軍には勝てっこなかったからね」

「ええ。しかし当初の予定では、ファリド王子にはもう一、二ヶ月程度、国境に第三軍を引きつけておいていただくはずでした。ところがケリー殿のおっしゃるとおり、軍隊としての秩序と帰属意識を持たない砂王国軍では、その役目を担うのにも限界があったようです」

「……待て、トリエステ。今のお前の口振りだと、まるで砂王国軍が救世軍と共謀して動いていたかのように聞こえるが?」

「ええ。事実ご指摘のとおりです、ヴィルヘルム殿。今日まで(おおやけ)にはしてきませんでしたが、実を言うと今回の砂王国軍による国境襲撃は、私が個人的にファリド王子と接触し、内々に依頼したものでした。そうでもしなければ第三軍が即座に転進し、我々のもとへ攻め寄せるおそれがありましたので」

「えっ……!?」


 まったく予想もしていなかったトリエステの回答に、軍議室中がどよめいた。

 当のトリエステはさも当たり前のような顔でヴィルヘルムの言を肯定したが、そんな話は寝耳に水だ。今の話はジェロディすらも聞かされていなかったようで、上座に就いた彼は目を丸くしながら、傍らに立つトリエステを凝視していた。


「お、お待ち下され、トリエステ殿。ではあなたは我々の知らぬ間に砂王国と手を結び、内通していたと? しかし、彼奴(きゃつ)らのごとき賊軍と救世軍が秘密裏に同盟していたなどと世に知れれば……!」

「ですからあくまで()()()()()()だと申し上げました、リチャード殿。これは救世軍と砂王国の同盟ではなく、私とファリド王子が個人間で結んだ密約です。ですので必要とあらば、いつでも私個人の問題として処分していただければと」

「……なるほど。今後世間から砂王国との密通を(とが)()てされることがあれば、己の首ひとつでことを収めようというわけですか。ですが長年我が国の民を脅かしてきた砂王国と手を結んだという事実は、言葉から受ける印象以上に重い罪のはずですよ、オーロリー嬢。何しろかの国の王子が何の見返りもなく国外の勢力に加担するわけがない。ならば貴女はあの男に、何を見返りとして約束したのです?」


 さすがは現役の大将軍と言うべきか、外交問題にも(さと)いマティルダの語調と指摘は鋭かった。確かに彼女の言うとおり、シャムシール砂王国はトラモント黄皇国建国以来の仇敵だ。ガルテリオが国境の守りに就いたあとの数年を除けば、やつらは長い歴史の中で繰り返し黄皇国の国土を蹂躙(じゅうりん)し、好き勝手に荒らし回った。


 おかげで故郷や家族を失った民は数知れない。今は亡きマリステアも、砂王国から攻め寄せた砂賊(さぞく)どもに故郷を焼かれ、実の両親を失ったと言っていた。いくら戦に勝つためとは言え、救民救国を(うた)う救世軍がそんな連中と結託していたことが世に知れたら、民からの心証は急激に悪化するだろう。けれどもトリエステは、


「そうですね。そのご質問への前置きとして、そもそも第三軍との戦闘を避けるため砂王国軍を動かすという計画は、現在のライリー一味の前身であるマウロ一味の棟梁(マウロ)が、国家転覆の策として掲げていたものの一部でした。ゆえに彼は生前、ファリド王子と接触を図っていたのですよ、マティルダ将軍。そしてこう持ちかけたと聞いています──トラモント黄皇国打倒の野望が叶った(あかつき)には、国土の一部を砂王国へ割譲するための交渉の席を用意する、と」

「えっ。そ、それって、黄皇国の領地を砂王国に切り売りするってことですか!?」

「いや、そうじゃねえ。マウロはあくまで()()()()()()()()()と言っただけだ。つまり本当に領地を譲るかどうかは戦後の話し合い次第だと言ったんだよ。まあ、当然ながらそんなもんは言葉のアヤで、マウロは(ハナ)っから砂王国の戦力を利用するだけ利用したら、あとはさっさと追っ払うつもりでいたようだが」

「い、いや、けどそういうのって普通、詐欺って言うんじゃない? あとで騙されたと知った砂王国が怒って攻めてきたら、マウロの親分はどうする気だったの?」

「そりゃもちろん、真正面からケンカを買って叩き潰す気でいたさ。マウロは黄皇国を手に入れたら、次は砂王国をぶっ潰すつもりでいたからな。むしろ開戦のためのいい口実になると笑ってたぜ」

「ンフッ、そうそう、見かけによらず剛毅な男だったわよねェ、マウロは。認めるのはちょっと(しゃく)だケド、さすがライリーに惚れられただけはあるっていうか」

「じ、じゃあもしかして軍師殿もマウロと同じ手口で?」

「ええ。より正確には、マウロの正統な後継者であるライリー殿を説得して、マウロが生前交わした約束を必ず守らせる、と交渉しました。ライリー殿がどうしても説得に応じない場合には、彼を闇討ちして私が代わりに履行しましょう、とも」

「トリエさん、何気に親分の暗殺企ててる!?」

「……ですが、トリエステ殿。砂王国のファリド王子と言えば先刻も話題に上がったように、相当な切れ者だと聞いています。そんな王子がマウロの策にまんまと乗るような愚を冒すでしょうか? 少なくともこちらが空約束を取りつけて、かの国を利用しようとしていることなどすぐに見抜かれる気がするのですが……」


 と、そのとき末席からおずおずと発言したのは他でもない、シャムシール砂王国出身のコラードだった。カミラは問題のファリドという人物を知らないが、なるほど、かの国で生まれ育ったコラードが言うならそうなのだろうと納得できる。

 特に砂王国の末端で奴隷として育ったコラードの耳にまで入るとなれば、相当名の売れている人物と見ていいだろう。とすれば彼の懸念ももっともだが……。


「確かにそうでしょうね。私も王子はこちらの真意など既に見通していると思います。しかし王子の返答は〝乗る〟でした。何しろかの王子は智略を巡らせる以上に戦を好む人物ですので」

「……つまり何だ? 黄皇国と戦争する口実が手に入るなら、そいつが履行される見込みのねえ約束だろうが何だろうが構わねえって腹なのか?」

「恐らくは。現在王子は砂王国内でも難しい立場にあり、現王ヴァリスは彼に軍を預けることを良しとしていません。ですが黄皇国の領土が一部でも手に入る可能性がある、と吹聴(ふいちょう)すれば、当然ながら砂賊たちは戦に乗り気になるわけで」

「なるほど。いくら砂王と言えど、配下の砂賊どもが騒げばファリドの進言を()れないわけにはいかない、か。そもそも砂王には法で守られた王権がない。何しろあの国にはまず法自体が存在しないんだから」

「文字どおりの無法地帯……というわけですか。であれば砂王の意向よりも世論がものを言うのも無理はありませんな」

「おかげでファリドは自ら軍を率いて戦に出る口実を得た。ついでに黄皇国が潰れてくれりゃ万々歳──ガルテリオさえ消えれば領土なんてあとからいくらでもぶん盗れる。あるいは向こうもそういう腹積もりでいるのかもな」


 と、顎の毛を(さす)るデュランの発言を引き取ってそう吐き捨てたのは、呆れ顔で腕を組んだイークだった。言われてみれば、確かにファリドの真の狙いはそこかもしれない。最後の最後で裏切られることを分かっていながら救世軍と手を結び、黄皇国が(たお)れたのちにガルテリオなきあとのイーラ地方へ雪崩(なだ)()む──そのために結ばれたかりそめの同盟。


 面従腹背とはまさにこのこと。腹の内ではいずれ相手を食い殺さんともくろむ両者が、利害の一致を理由に笑顔で握手を交わしたのかと思うと、カミラは何だか空恐ろしくて身震いした。自分はそういう()()とは無縁だし、やれと言われてできる気もしないから、ほとほとトリエステには頭が下がる。


 けれども結局、密約によって履行された作戦は失敗した。


 ファリドは確かに一時(いっとき)第三軍の足止めに成功したものの、最後は『常勝の獅子』に敗れて、疲弊した救世軍が立ち直るまでの時間を稼げなかったのだから。


「ですが砂王国軍による陽動もここまでが限界でした。恐らくガルテリオ殿も途中から、敢えて長期戦を仕掛けようとする砂王国軍の不自然な動きに気がついていたはずです。おまけに国の中央でも、砂王国軍との攻防があまりに長引いていることを受け、あるひとつの疑惑が持ち上がっていました。すなわちガルテリオ殿は救世軍討伐の命が下るのを避けるため、意図的に攻勢の手を緩め、苦戦しているように見せかけているのではないか、と」

「そんな……!」

「……結果としてガルテリオ殿は疑惑を否定すべく砂王国軍に総力戦を仕掛け、これを撃滅しました。そして自ら陛下へ具申されたそうです。砂王国軍の脅威が去った今、どうか救世軍征伐のために軍を動かすことを許してほしい、と」

「が、ガル様が自分から? そいつは確かなのか?」

「ハイ。黄都(こうと)に潜伏しているワレワレの仲間からの情報デスので、間違いありマセン。現在黄都でハ、アビエス連合国軍の内乱への介入に対抗すべく、エレツエル(しん)領国(りょうこく)との同盟を模索する動きがアルようデス。しかしその動きに反対する反エレツエル派の貴族たちが、ガルテリオ将軍に助けを求めたという経緯もアリ……」

「……なるほど。ゆえにジェロディどののお父上は、自らの持つ祖国への影響力を利用して、親エレツエル派を牽制すべく動かれたのか。自身が救世軍討伐に動く姿勢を見せれば、神領国に泣きつこうとしている売国奴たちも、ひとまず戦の勝敗を見定めるべく工作を保留するはずだと考えられたのだな」

「だ、だけどそれって……つまりガルテリオ将軍は今、ひどい板挟み状態だってことですよね。国からの疑惑と、反エレツエル派からの期待と、ご子息であるジェロディ様との敵対で……なら、さっきの軍使から聞いた伝言は……どこからどこまでが将軍の本音だったんでしょうか」


 と、そこでうつむきがちにそう零したのは、イークの隣で難しい顔をしたアルドだった。確かに状況はカミラが想像していたよりもっとずっと複雑だ。

 誰が敵で誰が味方かなんて、これはそう単純な話じゃない。

 ガルテリオの足もとでは国内の情勢と外交問題とが複雑に絡み合い、彼の身動きを封じているように思われた。つまり望むと望まざるとにかかわらず、ガルテリオは救世軍征伐という名目で軍を動かさざるを得なかったということだ。


 そうしなければ黄皇国軍は内部分裂を起こし、味方であるはずの官軍から背中を刺されるという事態になりかねなかった。おまけにエレツエル神領国との同盟など許せば、時代はたちまち三百年前まで巻き戻り、反乱鎮圧に(かこつ)けた神領国軍の上陸と支配を許してしまうに違いない。しかしだからと言って本当に、ガルテリオはジェロディと戦うことを望んでいるのだろうか? もしかしたら自身の出陣によって時間を稼ぎ、潮目が変わるのを待っている可能性は──?


「……あの、トリエステさん」

「何でしょう、カミラ」

「昨日までに聞いた話をまとめると、ガルテリオ将軍はイーラ地方からオディオ地方を通ってパウラ地方に入ったあと、途中のソルン城を落としながら進軍してきたんですよね? ということは、オディオ地方で第四軍と対陣してるハーマン将軍の後ろを素通りしてきたってことになると思うんですけど……そこを第四軍と挟撃して、先にオディオ支部軍を潰滅させようとは思わなかったんでしょうか。さすがのハーマン将軍も、中央軍に前後を挟まれたらひとたまりもなかったはずなのに」

「……そうですね。ガルテリオ殿としても、先にオディオ支部軍から叩くという方針は選択肢のひとつとしてあったはずです。されどそうしなかったのは、防衛戦の指揮に秀でたハーマン殿に万が一にも時間を稼がれ、我々救世軍本隊を取り逃がすことを嫌ったためと思われます。いかな黄皇国最強の軍と言えど、コルノ島に逃げ込まれてしまっては打つ手がありませんから」

「そう、ですか……でもソルン城の攻略にしたって、将軍はあの城に残った味方をひとりも殺さず無血開城させたって……そりゃ、ソルン城に残ってた兵力はたった二百人程度だし、そのうちの大半は前の戦闘で戦えなくなった負傷兵でしたから、百倍の兵力に囲まれたら無条件降伏するしかなかったとは思いますけど。だけど将軍は城を手に入れたあとも、特に捕虜の首を()ねたりしてないし……」

「ほう。つまりカミラ、お前はガルテリオには本気で救世軍(おれたち)を討つ気はねえんじゃねえかって言いてえわけか? だから抜けるところでは手を抜いて、苛烈な制裁を加えるのを避けてると?」

「う、うん……私がそう思いたいだけだろって言われれば、そうなんだけど……」

「でも将軍はさっき野戦か降伏かって選択を突きつけてきたんでしょ? しかも回答期限は明日まで。本気で戦うつもりがないなら、もっとゆっくり考える時間をくれたっていいと思うけど? そうすれば僕らだって前の戦の傷を癒やして、なおかつ色んな対策も打てるわけだし」

「だがそれについては、第三軍内に軍監がいるため……とは考えられないか?」

「え……ぐ、グンカンって何ですか、コラードさん?」

「ああ、軍監というのは、軍の上層部から派遣されてくる目付役というか……もっと簡単に言えば、戦に(おもむ)く軍勢を監視する者のことだ。そこで誰がどのような言行をしたかをつぶさに観察し、上層部……ひいては陛下へと報告する義務を負っている。今回ガルテリオ将軍の動向に疑いの目が向けられているという話が事実なら、上層部はまず間違いなくこの軍監を第三軍に同行させているだろう」

「なるほど。ゆえにガルテリオ殿も、表向きには我々と敵対する姿勢を取らねばならなかった、と?」

「ええ……あくまで可能性のひとつとして、という話ですが。しかし同時に警戒しなければならないのが──魔族の存在」

「そうだな。ハーマンはトラモント五黄将(ごこうしょう)の傍には漏れなく魔族が送り込まれてると言ってたからな。これまでの例を見ても、魔族の〝ま〟の字もなしってことはねえだろう」


 とコラードの発言を受けたウォルドは大きな顎を摩りながら、あからさまな眼差しをちらとマティルダへ投げやった。が、恐らくそれに気づいているはずのマティルダは、机上に視線を落としたまま何の反応も示さない。先の戦いを見て分かってはいたものの、まったく肝の据わった女だ。普通なら針の(むしろ)の上にいるような居心地の悪さを感じる場面だろうに、眉ひとつ動かさないなんて。


「いや……けどさっきのウィルの様子を見る限り、ガル様が魔族に憑かれてるって線は薄いと思うぜ。あの人に異変があればあいつが即座に気づいてるだろうし、相方のリナルドもシグ様仕込みの切れ者だ。あいつらが傍についていながら、魔族の気配を見逃すなんてことはまずありえない」

「そのウィル殿とリナルド殿というのは? ガルテリオ殿の側近と見てよろしいのですかな?」

「ええ。ふたりは私とオーウェンが第三軍を抜けるとき、後釜を任せてきた後輩です。今じゃ『獅子に二翼あり』とまで謳われる、大変優秀な将校ですよ」

「だが、さっき使いとして来てたのはウィルって方だけだったよな。魔族がこれまでの失敗から学んで、将軍本人じゃなく側近の将校を操ってる可能性は?」

「あー、確かにそれはなくもない……か? ウィルはともかく、リナルドはああ見えてちょっと闇があるからなあ……」

「だとしてもリナルドの様子がおかしけりゃ、ウィルが必ず気づくはずだよ。そいつを隠してあんな演技を打てるほど、ウィルは器用なやつじゃないしね」


 ……ということは今回も、ガルテリオの背後に魔族はいないという前提で動いていいのだろうか。マティルダ戦では途中からその想定がひっくり返され、取り返しのつかない事態を招いた前例があるから決して油断はできないが、カミラも護国の英雄とまで謳われる人物が魔族に取り込まれているとは考えたくなかった。


(何より、ガルテリオ将軍は……あのティノくんのお父さんなんだから)


 少なくともカミラには、ジェロディが魔族の誘惑に負けて闇に堕ちる姿など想像できない。彼ならきっと手を引く魔界のものどもを()()けて、決然と立ち向かうに決まっている。とすれば彼をそんな風に育てたガルテリオだって同じはずだ。

 彼もまた、魔族の(ささや)きに簡単に屈するような人物ではない。

 一度も会ったことのない相手だというのに、カミラは何故だかそう確信できた。


「……話は分かりました。それで、ジェロディ?」


 ところが直後、思いがけないところからジェロディを呼ぶ声が上がった。

 見ればつい先刻、イークやウォルドに不信の矛先を向けられながら、どちらも華麗に()なした元大将軍(マティルダ)がまっすぐジェロディを見据えている。

 が、彼女の横顔には何もない。疑念も、期待も、失望も、逡巡(しゅんじゅん)も。


「あとはおまえの決断次第です。今の話を踏まえて、おまえは何を望みますか? 救世軍の存続か、父との和解か、はたまたもっと別の何かか──ジェロディ・ヴィンツェンツィオという一個の人間ではなく、救世軍総帥としての答えを聞かせて下さい」


 それは恐らく、マティルダからジェロディに課せられた試験だった。

 そう言えば軍議が始まってからというもの、彼は一度も口を開いていない。

 似たようなことがソルン城でもあった。

 けれどもあのとき、ジェロディの幻を着て上座にいたのはソウスケだった。

 だから余計な口は一切きかなかったのだろうと今なら納得できる。ただ、今日、カミラたちの視線の先にいる彼はまぎれもなく、本物のジェロディだ。


「……僕は──」


 やがて数瞬の間を開けて、ジェロディがついに口を開いた。


 皆が固唾(かたず)を飲んで見守る先で、救世軍の命運が今、決まる。


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