297.勝機の糸に手を伸ばせ
火のついた麻袋が宙を舞い、トラクア城内に投げ込まれるのをカミラは見た。
一つ。二つ。三つ。四つ。六基の投石機から次々と放たれ、放物線を描きながら落ちてゆくあの袋は、一見ただの土嚢に見えるかもしれない。だが違う。あれが救世軍の命運を握る鍵であることを、カミラはもちろん味方の誰もが知っている。
「お願い」
祈りながら、知らず愛馬の手綱を掴む両手を握り締めた。ソルン城を出発してから何度も試みた未来視は、結局一度も成功しなかったけれど、トリエステが描き、仲間たちが実現のために力を振り絞った策はきっと実を結ぶはずだと信じている。
「ユカル!」
刹那、戦場となっている台地に風が吹いた。ウォルド隊の背後を守るべく前進していたヴィルヘルム隊──彼らに同行するユカルが起こした風だ。
なおも敵城に投げ込まれ続ける土嚢をあと押しするような追い風だった。
が、あれは土嚢をより遠くまで飛ばすための風ではない。
土嚢から噴き上がる毒の煙を、味方から遠ざけるための風だ。
「げほっ、げほっ……! くそっ、火を消せ! 毒だ、毒茨が燃えてるぞ……!」
投石機による攻撃が始まってから四半刻(十五分)足らず。
敵陣に確かな動揺が走るのをカミラは見た。
たまたま発射に失敗し、飛距離が伸びなかった袋がひとつ、敵兵の居並ぶ城壁の上にぼたりと落ちる。途端に噴き上がった炎に乗って黒煙が広がった。
するとたちまちあたりの敵兵が咳き込み、苦しみながらばたばたと倒れていく。
──やった。効いてる。
「やられたらやり返せだ、ありったけの毒茨をお見舞いしてやれ!」
未だ敵兵との激しい攻防が続く最前線で、ウォルドの号令に励まされた味方が火のついた麻袋を次々と投擲していた。彼らは皆、誤って煙を吸ってしまわぬよう鼻と口を布で覆い、分厚い手袋で両手を防護する完全装備で作業に当たっている。
何しろ袋の中身は救世軍がソルンの森で回収してきた毒茨と石と火薬だ。
先の夜襲で偶然分かったことだが、ソルンの森の茨の毒は魔物には効かない。
ゆえにあの晩、ソルン城目がけて押し寄せた魔物の群は茨をものともせずに猛進し、彼らが通ったあとには無惨にへし折られた茨の残骸が残されていたのだ。
そこでカミラたちはバラバラになった茨を慎重に回収し、石や火薬と一緒に土嚢用の麻袋に詰めた。毒茨は切ったり手折ったりすると断面から毒素を噴くという話だったが、へし折られてから数日が経過した茨は無害で、燃やしたときにだけ新たに毒素を放出することが分かったためだった。
これを砲弾代わりに城内へ投げ込んでやれば、敵もたまったものではないはず。
神術砲の砲撃だけでは敵は怯えて城に籠もってしまうが、土嚢ならぬ毒嚢を放り込まれるとなれば話は別だ。城内に毒煙が蔓延するのを防ぐためには、すべての投石機を迅速に破壊しなくてはならない。となれば敵軍は城門を開き、手勢を城の外へと出して、投石機を襲う以外に手段がない。
「それが西門以外に出口を持たないトラクア城の弱点です。よって敵を城内から燻り出し、わずかでも城門が開いたならば、その隙に入り口を抉じ開けます。味方が城内にさえ入ってしまえば、あとは敵将マティルダを討つのみ──このたった一度の勝機を掴めるかどうかが、運命の分かれ目です」
ソルン城を発つ前の軍議でトリエステが明かした策の全貌を聞いたとき、カミラは全身が魂ごと震えるのを感じた。たった一度の、あまりにか細い一縷の勝機。
そこに救世軍のすべてが懸かっている。されど不思議と恐怖はなかった。
私たちならやれるし、やるしかない。魂が震えたのはそんな確信と共に、絶対やり遂げてみせるという闘志が燃え上がったからだ。
「イーク隊、前進!」
瞬間、トリエステのいる本隊右翼に展開していたイーク隊が矢のように駆け出した。ポンテ・ピアット城の戦いとソルン城で受けた夜襲により、隊の兵力は五十騎まで減ってしまったが、それでもまだカミラ隊とイーク隊は騎馬隊としての体裁を保っている。ゆえに今回のカミラとイークは騎兵の機動力を活かした遊撃役だ。
しかしカミラ隊の役目はまだ先。今はイーク隊が城の開門を信じて突撃してゆくのを、固唾を飲んで見送るしかない……。
「うまくやってよ、イーク」
あっという間に台地を駆け上がっていく青い背中に、思わずそう呟いた。
緊張のあまり心臓が毬のごとく跳び跳ねて、口から飛び出してきそうだ。
そうしてイーク隊が斜面を駆け上っている間にもウォルド隊の毒嚢攻撃は続いていた。塹壕内にいた敵兵はほぼ駆逐できたのか、地上へ這い上がってきたオーウェン隊と連合国軍がウォルド隊の援護に回っている。
が、カミラが瞬きも忘れて仲間の勇姿に見入った刹那、ついに城門が、開いた。
思わずはっと息を飲み、馬上から身を乗り出す。間違いない。巨大な鉄の門扉がゆっくりと、されど確実に開かれてゆく。今だ。そう思った。恐らく作戦の帰趨を見守るすべての仲間が、まったく同時に同じことを思ったに違いない。
「イーク──」
台地に積み重なる数多の屍を踏み越えて、イークに率いられた五十の騎馬が城門に吸い込まれる──かに見えた。ところが寸前、先頭を馳せていたイークが弾かれたように進路を変え、城門から離脱する。
カミラは目を疑った。何故なら「どうして」と取り乱しかけた視線の先から、目を背けたくなるほどおぞましいものが溢れ出してきたからだ。
「お……おいおい、あれって……!」
同じく戦況を見守っていたカイルが、隣で言葉を失ったのが分かった。
無理もない。何せ押し開かれたトラクア城の城門から飛び出してきたのは第六軍の兵士ではなく、夥しい数の魔物の群だったのだから。
「うそ」
と呟いたつもりの言葉は声にならなかった。が、カミラが絶句している間にも、不気味な咆吼を上げた多種多様な魔物の群が城から飛び出してくる。
マティルダがサビア台地の囚人を使って集めた魔物をまだ手もとに残している可能性は示唆されていたものの、まさかあんな使い方をしてくるなんて──
「くそっ……! 応戦しろ、投石機を守れ……!」
最前線で敵の血にまみれたオーウェンが叫び、大剣を振り回した。コラード隊及び連合国軍も即座に標的を魔物へ切り替え、押し寄せる異形の群を迎撃する。
だがやはり魔物は魔物だ。ソルン城に押し寄せた魔群は魔族の指揮により統制を保っていたが、今は彼らを律する者もなく、目につく人間を手当たり次第に襲っているという感じだった。その無秩序な軌道は明らかに魔族の不介入を示している。
しかしどうあっても投石機を破壊しなければならない局面で、無知性の魔物をバラ撒いたからと言ってどうなるというのか……。
(ここで魔族が出てこない……ってことはまさかほんとに、マティルダ将軍と魔族は無関係だったの……?)
嫌な不安が脳裏をよぎった。そんなはずはない、と思いたかったが、もともと確証のなかった賭けだ。やはりソルン城を襲った魔族はハクリルートの協力者で、マティルダとは何の接触もなかったのだろうか。マティルダが希術や火薬の使い方を知ることができたのも偶然で、情報源は魔族などではなかったのだろうか。
そうだとしたら作戦のすべてが根底から覆ってしまう。敵の兵力の半分にも満たない救世軍がトラクア城を制するなんて、夢のまた夢になってしまう……。
「あっ……!?」
ところがカミラの思考と視界が絶望に閉ざされかけたときだった。
にわかに周囲の隊士がどよめき、誰もが目を見開いて前線を凝視する。
次いで聞こえたのは、爆音。しかも一発や二発ではなかった。何事かと目をやれば、魔物との戦闘に突入した味方の戦列のあちこちで大きな爆発が起こっている。
おかげで前線には濛々と煙が立ち込め、何が起きているのか分からない状態だ。
──あの爆発は何……!?
カミラも自隊の隊士と共に息を飲んで前線を注視した。
すると台地を覆った爆煙を突き破り、刹那、イーク隊が飛び出してくる。
彼らは前線の援護に向かうヴィルヘルム隊と入れ違うように斜面を駆け下りると再びトリエステのいる本隊のもとへ戻ってきた。それを見たカミラもとっさに号令を上げ、隊を引き連れて本隊及びイーク隊と合流する。
「イーク! 上で何が起きてるの……!?」
鳴り止まぬ爆音を聞きながら、駆け寄ったカミラは開口一番にそう尋ねた。
前線から戻ったイークは魔物を斬ったのか、黒い血飛沫を浴びてはいるがどうやら無傷だ。が、振り向いた顔は強張り、只事ではないとひと目で分かった。
彼を迎えたトリエステもまた、緊迫した面持ちでイークの答えを待っている。
「投石機がやられた」
直後、イークの口から零れた答えが、カミラを見えざる崖から容赦なく突き落とした。
「俺が確認できただけで二基。残りの四基も恐らく駄目だ」
「そんな、どうして……!」
「官軍にしてやられた。やつら、城から放った魔物に手榴弾をいくつも巻きつけていやがったんだ。そいつが味方の神術やら銃撃やらで誘爆して、投石機を巻き込んだ。そうこうしてる間に城門も閉じられた──作戦は失敗だ」
引き波のように全身から血の気が引いて、カミラは頭が真っ白になった。
たった一度きりの、救世軍のすべてを懸けた大博奕。
それに負けた。状況は絶望的だった。
イークの報告を聞いたトリエステもまた、愕然と馬上に座り込んでいる。
これが神子を失った救世軍の末路か。今までの勝利は神に愛されたジェロディが軍主として君臨していたからこそもたらされた幸運だった。されど彼が去った今、救世軍は神に見放され、未来を失った。そういうことなのかもしれない。
(……やっぱり、ダメだった)
ジェロディがいなければ。
自分たちは彼に率いられてこその救世軍だったのだ。
けれどジェロディはもういない。救世軍の命運はここで尽きる。ジャンカルロが灯し、フィロメーナが命を賭してつないだ希望の火が、ついに、消える──
「冗談じゃないわ」
瞬間、魂に火がついた。
冗談じゃない。このまま救世軍が終わるだなんて、そんな筋書きは許さない。
何故なら自分は誓ったのだ。最愛の兄と殺し合うことを心に決めた、あの日。
それでも私は、フィロが遺してくれた大好きな居場所のために剣を取る、と。
「トリエステさん。私、行きます」
一度決めたらもう迷わなかった。まっすぐにトリエステを見つめ、斬り込むように紡いだ言葉に、彼女の瞳が揺れたのが分かる。
フィロメーナと同じ、宝石みたいに澄んだ灰青色の瞳。
されど今、そこにあるのは大いなる戸惑いと逡巡だった。トリエステは声もなく手綱を握り締めると、数瞬の苦い沈黙ののち、痛みを吐き出すように言う。
「……確かに、こうなってはもはや最後の切り札を使うしかありません。しかし、カミラ。私は……」
「分かってます。でも、もう決めました。トリエステさんに言われたからじゃありません。私がそうしたいんです」
「……」
「こんなに苦しい状況なのに、トリエステさんは最低限の犠牲で救世軍を守ろうとあらゆる手を尽くしてくれました。だから私も、自分にしかできない方法でみんなを守りたい。お願いです、トリエステさん。どうか救世軍を終わらせないで」
それは懇願だった。カミラの血と肉と魂のすべてを懸けた懇願だった。
救世軍はまだ終わっていない。トリエステが最悪の事態に備えて用意していた最後の策を繰り出せば、勝てるかもしれない。守れるかもしれない。つなげるかもしれない。ジャンカルロが灯してくれた火を。フィロメーナが見た夢を。
そして、ジェロディがつないでくれた皆の希望を。
「……分かりました」
待つには長く、決断するにはあまりに短い沈黙のあと。
熟考のあいだ閉ざされていた瞼を静かに上げてトリエステが言った。
その答えだけで、魂にともった炎はますます熱量を増す。
カミラの視線を受け止めて、トリエステも頷いた。
次いで彼女はイークを顧み、一瞬も後込むことなく告げる。
「イーク。あなたも構いませんか?」
「……ああ。他にもう策がないのは事実だしな。そこに少しでも勝機があるなら、懸けるしかない」
「はい。私もあなた方と同じ気持ちです。救世軍をここで終わらせるわけにはいきません。たとえ無様で無謀な悪足掻きでも、打てる手はすべて打ちましょう」
トリエステが迷いのない口振りでそう答えれば、イークがふっと口の端を持ち上げた。今日まで救世軍に華麗なる勝利を捧げてきた軍師の口から〝無様で無謀な〟なんて言葉が出てくるとは思ってもみなかったのかもしれない。
けれどカミラは知っている。イークは案外そういうのが嫌いじゃない。
そしてもちろん、カミラもだ。
直前まで身を震わせていた絶望は、気づけばどこかへ消えていた。救世軍の次なる策は決まり、最終確認を終えたトリエステが再びカミラを見つめて言う。
「カミラ。実は今回の戦の前に……ウォルドに言われました。救世軍には欠けてよい人材などひとりもいないのだと」
「ウォルドが?」
「ええ。そして私も今、彼の言葉は真理だと確信しています。ですから絶対にあなたを死なせません。……私を信じていただけますか?」
「いや、今更信じるも何も──私の命は最初から、トリエステさんに預けっぱなしですよ?」
カミラがちょっと戯けてそう言えば、トリエステが小さく笑った。
そんな彼女の反応が嬉しくて、思わず「イークだってそうでしょ?」と話を振れば、意外にも「ああ」と素直な答えが返る。
「トリエステ。あんたはフィロの姉だろう。なら俺たちがあんたを信じる理由は、それだけで充分だ」
「……ありがとうございます。あなた方のような同志に恵まれたことを、出来のよい妹に感謝しなければなりませんね」
「そうじゃない。姉がいなけりゃ、俺たちの知ってるフィロもいなかった。だからあんたを信じてるんだ」
その刹那、隣でカイルがヒュウと口笛を吹かなければ、カミラはまんまと呆気に取られていたかもしれなかった。
──まさか朴念仁のイークの口からあんな言葉が出るなんて。
感心というか驚嘆というか。カミラがそういった心持ちで目を見張っていると、すかさずカイルが横から茶化した。
「なんだ、イークも案外そういうこと言えるんじゃん? いっつも無愛想で、女の子の前ですらにこりともしないから、ほんとに恋人なんかいたのかなーって、ぶっちゃけ若干疑ってたよ?」
「カイル。救世軍に欠けてもいい人材になりたくなかったら少し黙ってろ」
「ほらあ!? すぐそういうこと言うしね!? わりと本気っぽくて怖いしね!?」
「安心していいぞ。本気だからな」
「確かに、場合によっては欠けてもいい人材、であればいるかもしれませんね」
「トリエさんまで!?」
サラッと涼しい顔でイークの言を肯定したトリエステに、カイルが抗議の声を上げた。そんな三人のやりとりがおかしくて、カミラは思わず笑ってしまう。
おかげで力んでいた肩から力が抜けた。今の私たちならやれる。そう思う。
カミラを乗せたエカトルもやる気だ。
与えられた役割に勇み立ち、興奮気味に地面を掻いている。
「ではカミラ、我々の命運をあなたに託します。ですが無理だと判断したら迷わず引き返して下さい。あなたが時間を稼いで下さっている間に私も次善の策を練ります。たとえあなたという切り札が不発に終わっても、次なる一手を打てるように」
「はい。トリエステさんなら絶対に勝機を見つけてくれるって、信じてますから。──行ってきます」
トリエステが頷いてくれたのを確かめて、カミラはエカトルの手綱を捌いた。
そうしてついに駆け出したカミラ隊に、反転したイーク隊が並走する。
本当は彼らを巻き込みたくなかった。今度こそ命を落とすかもしれない、危険な賭けだと分かっているから。けれどついてくるなと言ったところでたぶんイークは聞かないし、カイルやアルドだって自分を見捨ててはくれないだろう。
だから馳せる。もう誰も死なせないために──絶対に救世軍を守り抜くために。
「ヴィル!」
瞬く間に台地を駆け上がり、カミラたちは一気に味方の最前線まで到達した。
味方の地術兵が道を作った敵の防衛陣地内は、覚悟していた以上に酸鼻極まる状況になっている。あちこちに爆発四散した肉片が転がり、もはやもとが敵だったのか味方だったのかも分からない。立ち込める砂塵と硝煙の中では投石機が炎に包まれ、喊声と悲鳴の渦の只中で、仲間が必死に魔物の猛攻を食い止めている……。
あまりにひどい煙と臭いに腕で鼻を覆いながら、しかしカミラは味方の陣列の中にヴィルヘルムの姿を見つけた。呼ぶ声に気づいたヴィルヘルムが、魔物を斬り伏せながら顧みる。彼の隊の真横を駆け抜けざま、目が合った。
──やるわ。
眼差しだけでそう告げた。ヴィルヘルムの姿は一瞬で粉塵の向こうに掻き消えたが、頷いてくれたような気がする。
「イーク!」
「ああ、やるぞ!」
「百雷火……!」
火刻最強の術と名高い紅蓮劫雨と、雷刻最強と謳われる百雷槍の合わせ技。カミラとイークが神気の波長を合わせ、最大出力で放った合体神術が薙ぎ払ったのは味方に群がる魔物の群──ではなく、城壁の上から混乱に乗じて矢を射ちまくる敵軍の弓兵だった。
毒茨の放つ毒煙から解放され、勢いづいていた敵弓兵が、降り注いだ雷火の雨を浴びて燃え上がる。ふたりの神力を合わせて繰り出された神術の射程は広範囲に及び、城門の北側にいたほとんどの敵兵が焼き払われた。
好機は今しかない。カミラは素早く鞍に吊っていた縄を手に取り、錘が結わえつけられた先端を片手に握った。そうして錘をぐるぐると回し、生まれた遠心力を活かして投擲する。カミラ隊の隊士も次々と同じように縄を投げた。
うち何本かの縄が城壁の上まで到達し、黄砂岩造りの矢狭間に巻きつく。
カミラの縄もうまく突起に引っかかった。思い切り引っ張っても容易にはずれる気配はない。行ける。この縄を手繰って壁を登り、敵城内へ侵入するのだ。
が、あれだけ派手な神術を放ったあとでは、当然見逃してもらえるはずもない。
百雷火の直撃によって城壁の守りが一部手薄になったと気づいた敵兵は、大慌てで防備の穴に群がってきた。壁上の敵勢はもはやカミラに釘づけだ。
忌々しげな悪態と共に、駆けつけた敵兵の弓が引き絞られた。番えられた矢の先端が、今まさに城壁へ取りつこうとしているカミラの心臓に向けられる。
されどカミラは頭上の敵を見上げ、睨み据えた。
「射てるもんなら──射ってみなさいよ!」
魂の咆吼にも似たその叫びが、果たして天に届いたのかどうか。
結論から言うと、敵兵はひとりとしてカミラを射てなかった。否、中には完璧に狙いを定め、弓弦を手放した者もいたが、ただの一本も届かなかった。
何故なら突然、低い地鳴りと轟音を上げて。城壁の麓、カミラの眼前の地面を食い破った何本もの黒い樹の根が敵兵の視界を塞ぎ、矢を弾き飛ばしたからだ。
「捕らえよ、胎樹よ」
遥か深い地の底から、怖気を誘う声がした、気がした。次の瞬間、城壁を越えるほど高く伸びた黒い根の先端が、一斉に地上のカミラを向く。
まるで意思を持ったひとつの生き物のようだった。いつかピヌイスで目にしたその根は気味の悪い軋みを上げて、今度こそカミラを捕らえようと突っ込んでくる。
──かかった。
「シュトゥルム!」
刹那、一陣の風が吹く。磨き抜かれた刃よりも鋭利な可視の風は、カミラたちの頭上を飛び越えて、今にもカミラに巻きつこうとしていたすべての根を両断した。
甲高い悲鳴にも似た音を轟かせ、斬り飛ばされた邪樹が霧散する。
黒い霧となって城壁に降り注いだ粒子はまぎれもなく、魔界の瘴気だった。
「見つけた」
思わず紡いだひと言が、イークのそれと確かに重なる。
救世軍はついに見つけた。この城に魔族がいるという、動かぬ証拠を。




