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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第8章 いつか塵となる朝も
292/350

290.想いの向く先に


 本館二階にある軍議室の扉を開く前に、立ち止まって深呼吸をした。

 この扉の向こう側に、数日ぶりに会うジェロディがいる。

 本当に何日ぶりだろう。カミラ自身、ハクリルートと呼ばれる男に襲われたあの日から記憶が曖昧で、未だにすべてがぼんやりしていた。

 だから今、自分がいるのはたちの悪い夢の中で、もう少ししたら目が覚めて、何も変わらない日常に戻れるんじゃないかなんて淡い期待が胸中にある。


 けれど同時に分かっていた。

 これは夢なんかじゃない。何もかも向き合わなければならない現実。

 足が竦んで、もう一歩も前に進めないと泣き言を言う自分を抑えつけて。

 それでもカミラは、救世軍は、前に進まなければならない。

 立ち止まっている暇なんかない。

 今、こうしている瞬間にも戦っている仲間や、助けを求める人々を救うために。


「行けるか、カミラ?」

「──うん」


 念を押すように尋ねてきたイークに頷いて、カミラは軍議室の扉に手をかけた。

 迷わず頷いたわりには伸ばした指先が震えていて、思わず笑ってしまいそうになったけれど、今更引き返すなんて選択肢はカミラにはない。

 真鍮製(しんちゅうせい)把手(はしゅ)を握り、引いた。

 途端に見慣れた顔ぶれが視界へ飛び込んでくる。リチャード。デュラン。テレシア。アーサー。オーウェン。ウォルド。ヴィルヘルム。カイル。コラード。アルド。レナード。ユカル。シズネ。ターシャ。トリエステ。そして──ジェロディ。


(ティノくん)


 そう呼びかけて、今すぐにでも走り寄りたい衝動をぐっとこらえた。

 トリエステに付き添われ、上座に腰を下ろしたジェロディは何もない机上に目を落とし、顔を上げない。でも、思ったより元気そうだ。

 元気そうと言っても、あくまで健康状態の話だけど。

 顔色も悪くはないし、カミラが想像していたほど痩せてもいない。


 まあ、そこは当然か。何せ彼は神子だから。

 多少食事を取らなくたって死にはしないし、痩せもしない。その事実が彼を救っているのか苦しめているのかは、カミラには想像することしかできないけれど。

 考えるだけで、胸が苦しい。


「カミラ!」


 しかしカミラが早速立ち竦みそうになっていると、末席の方から声がした。

 はっとして振り向けば、カイルが空いている隣の席を示して「こっちこっち」と手招きしている。どうやら軍議に参加する面々は既に全員集合しているようだ。

 軍議室に用意された席はきっかり人数分しかなく、空いているのもカイルとアルドの傍のふたつだけだった。

 ということは単独で任務に出ているというケリーはまだ戻っていないのだろう。


「……全員揃いましたね。それではまだ定刻前ではありますが、トラクア城攻略に係る作戦会議を開始致します。シズネ。まずは現在の我が軍の状況と、あなた方が調査を行った黄皇国(おうこうこく)第六軍の動向について皆さんに説明をお願いします」

(かしこ)まりマシタ」


 ほどなくカミラとイークがそれぞれの席に着くと、集まったひとりひとりの顔を確認したトリエステが立ち上がり軍議の開会を宣言した。彼女の傍らにはライリーたちが着ているものより丈の短いキモノ──忍装束(シノビショウゾク)、というらしい──に身を包んだシズネがいて、トリエステに変わって戦況を説明し始める。


 彼女の報告によれば、現在ソルン城に駐留している救世軍の兵力は全部で三千五百。これに明日ポンテ・ピアット城から到着する一千四百の援軍が加わり、総勢五千弱の兵力でトラクア城を攻めるとのことだった。対するトラクア城の兵力は大将軍マティルダ・オルキデア率いる八千の大軍勢。単純に計算しても救世軍の倍近い兵力がかの城を守っているということであり、本気で攻略を目指すなら、非常に厳しい戦いになるであろうことは火を見るよりも明らかだった。


 おまけにトラクア城へ帰還したマティルダは今度こそ本腰を入れて籠城(ろうじょう)に臨むつもりなのか、城の正面に塹壕(ざんごう)防塁(ぼうるい)といった防衛陣地を着々と築きつつある。

 トラクア城は長辺の長い直角三角形を横倒しにしたような形状のシヴォロ台地に建つ城で、侵入口は城の西方に位置する正門ただひとつ。

 城の背面に当たる東側は断崖絶壁、南北も登攀(とうはん)困難な急傾斜に守られている。

 つまりマティルダとしては正門のある城の西側さえ厳重に守っておけば、難なく拠点を防衛できてしまうというわけだった。


「ワタクシの仲間が調べたところによれバ、現在トラクア城には八千の将士を一年養える備えがアルそうデス。さらに糧秣(りょうまつ)を切り詰めるタメか、文官や使用人ナドの非戦闘員は、必要最低限の人数を残して退城させたとの報告もありマス。コレが事実ならバ、第六軍は一年と言わず、二年ほどの籠城も可能かと思われマス」

「おいおい、(やっこ)さんは無駄にやる気満々だな。だがそういうことなら、城の蓄えを削る方法を考えた方がいいんじゃねえか? たとえば城内に潜入して食糧庫に火をつけるとか」

「ソチラは既に仲間が試みたのデスが、残念ながら失敗に終わりマシタ。敵もワレワレがそうした工作に出てくるコトを予想していたのか、倉の守りが非常に堅く、忍び込むコトもできなかったそうデス」

「まあ、マティルダならそのあたりは抜かりなくやるだろうな。だが倭王国(わおうこく)のシノビすらも退けるとは、相当厳重な防諜(ぼうちょう)態勢を布いているらしい。やはり並のやり方では短期決戦に持ち込むのは不可能だろう」


 と、シズネの報告を聞いたウォルドやヴィルヘルムが、口々に戦況を分析している。傭兵として様々な戦場を転々としてきた彼らがそこまで言うということは、トラクア城攻略へ至る道のりはカミラの想像以上に険しいのだろう。

 しかしそんな仲間たちのやりとりを聞きながら、カミラは頭の片隅でぼんやりとシズネのハノーク語に思いを()せる。


 彼女のハノーク語は聞き苦しいというほどではないがやはりまだたどたどしく、軍事にまつわる専門的な話をさせるのならば、忍術(ニンジュツ)による通訳が可能なソウスケに任せればいいのに、と内心首を傾げた。まあ、トリエステが敢えてそうしないということは、何かしらの理由があるのだろうと思う。先のソルン城潜入任務の失敗で、黄皇国に渡ってきたキリサト一門のシノビはかなり数を減らしたそうだから、ソウスケもまた穴埋めに奔走している最中なのかもしれない。


 シズネもしばらく城を空けていたようだったし……自分がマリステアの死を受け止めきれずにぼんやりしている間にも、ここでは皆が勝利のために走り回っていたのだと思うと、カミラは急に恥ずかしくなった。

 みんなだってマリステアを失ったことが悲しくないわけがない。それでも彼女の死を無駄にしないために、為すべきことを見つけて戦ってくれていたのに。


「確かにヴィルヘルム殿のおっしゃるとおりです。加えて第六軍はソルン城落城当日、我が軍が押し寄せた魔物の対処に追われている間に、アビエス連合国軍が駐屯していた第四野営地から持ち出せるだけの希術兵器(きじゅつへいき)鹵獲(ろかく)していきました。あれらの使用方法をどこで聞きつけたのか、城内では既に銃兵隊が組織され、射撃訓練が実施されているとの情報もあります。黄皇国兵があの兵器を連合国軍と同等に扱えるようになっているとすれば、我が軍にとって最大の障害になると言わざるを得ないでしょう」

「第六軍が希術兵器を? 本当なのですか、デュラン殿?」

「うむ……まこと面目ない話だが事実です。あの晩、第四野営地にて野営していた我が軍の第五中隊は真っ先に魔族の攻撃を受け、ほとんど抵抗できぬまま壊滅しました。その後魔物の大群と入れ違いに森を抜けたマティルダ・オルキデアは、無人となった野営地を念入りに物色していったようです。おかげで味方の救援部隊が駆けつける頃には、希術兵器はもちろん糧秣までも余さず持ち去られておりました。まったく敵ながらあっぱれと舌を巻くほど大胆不敵な犯行です」

「恐らくマティルダ将軍は先のソルン城防衛戦で、連合国軍が扱う希術兵器の有用性を理解したのでしょう。型に囚われない柔軟な発想と即応力……それこそが、彼女が若くして大将軍に抜擢された最大の理由です。ちなみにデュラン殿、奪われた希術兵器の正確な数は把握できましたか?」

「はい。そちらの調査についてはテレシアが」

「……敵軍に鹵獲された兵器の内訳は歩兵希銃(ミーレス)が四四二(ちょう)短希銃(ブレウィス)が三挺です。他にも火薬兵器ふた箱分の消失を確認しております」

「火薬兵器?」

「〝火薬〟と呼ばれる可燃性の粉末を使用した兵器です。導火線に火をつけて投擲(とうてき)することで炸裂する手榴弾(イグニシラ)や、地中に埋め込んで使用する地雷(テラーク)といった爆発物の類ですな。こちらはいざというときのために持ち込んだ二次兵器でしたが、まさかあれらまで持ち去られるとは想定しておりませなんだ」


 と、毛むくじゃらの腕を組み、嘆息したデュランは憮然(ぶぜん)とした様子だった。

 しかし彼が口にした〝火薬〟なるものについては聞いたことがある。何でも火をつければたちどころに燃え上がり、神術にも匹敵する爆発を生む代物だとか……。

 カミラも現物を見たことはないものの、かつてライリーの義兄弟だったマウロの命を奪ったのがそれだと聞いた。


 もっともカミラは火薬というのはエレツエル神領国(しんりょうこく)が発明した兵器だと思っていたのだが、どうやらアビエス連合国もまったく同じものを実用化しているらしい。

 飛空船(ひくうせん)や歩兵希銃といった希術兵器だけでもすさまじい技術だというのに……同じ大国と()(はや)されていても、やはりトラモント黄皇国と先進国の間には埋めようのない格差があるのだと、カミラは改めて思い知らされた気がした。


「問題はその火薬兵器なるものの使い方を第六軍が心得ているのかどうかという点ですな。四百あまりの希術兵器を奪われた時点で、あれらがかなりの脅威となることは必定。そこへさらに得体の知れない兵器が加わるとなると……」

「トラモント人にとってはまったく未知の希術兵器を早々に使いこなし、専用の部隊まで編制しているくらいです。マティルダ将軍ならば既にそちらの使い方も把握していると想定するべきではありませんか?」

「でも〝可燃性の粉末〟って、つまり火をつけるとすさまじい勢いで燃える粉ってことだろ? そういう火薬の性質までは調べられても、兵器としての運用方法までこの短期間で習得できるわけ?」

「トラモント人の知識だけでは確かに難しいかもしれん。だがやつらに使い方を教える者がいたとすれば話は別だろう」


 と、ユカルが発した疑問に答えたのはヴィルヘルムだった。

 兵器の使い方を教える者、という彼の言葉に軍議の席がざわめき出す。だが一体誰が先進国の技術を敵に伝授するというのだろう。まさか味方の中に裏切り者が?

 いや──違う。そこではっとひとつの可能性に思い至ったカミラは、全身から血の気が引くのを感じながら、しかしぽつりと呟いた。


「もしかして……魔族?」

「そうだ。やつらならば希術兵器はもちろん、火器の扱い方も熟知している可能性がある。あれらの兵器は魔族にとっても脅威だからな。構造や使用方法について独自に調べ上げていたとしてもおかしくはないだろう」

「確かに、敵軍が予想より早く希術兵器の使い方を習得したのも魔族から知識を得たためと考えれば合点がいきますな。しかしもしそうならば、やはりマティルダ将軍もまた魔族に魅入られてしまったということ……」

「ええ。今回焦点となるのはそこです」


 ひとりだけ等身がずっと低いせいだろう、席の上ではなく机上に佇んだアーサーが考え込んだ様子でそう告げると、頷いたトリエステが席を立った。

 彼女は戦況説明の労をねぎらいつつシズネと立ち位置を代わり、壁に掲げられた地図の前に立つ。トリエステの身の丈ほどもある巨大な地図には、ソルン城を含むトラクア城周辺の地理が克明に描かれていた。


「先の夜襲を受けて皆さんもお察しのとおり、黄皇国第六軍は魔界の勢力と接触している可能性が非常に濃厚です。しかし開戦前の事前調査では、マティルダ将軍の周辺に魔族の気配は見当たらなかった。この矛盾が意味するところを考えた場合、ふたつの可能性が浮上します。ひとつは将軍が既に魔族の手に落ちていた事実を我々が見過ごしたという可能性。そしてもうひとつは、先日の夜襲で我が軍を襲ったハクリルートという男が魔族を引き連れてきた可能性です」

「ウォルドの話じゃ、ハクリルートって野郎はルシーンの側近なんだろ。だとしたらそいつが魔族と結託して攻めてきたって考える方が自然じゃねえのか? マティルダに魔族が()いてなかったことは、ユカルが直に確認してるしな」

「ええ。私も当初はそう考えました、レナード。ルシーンが魔族と手を結んでいることは、先のハーマン将軍の一件を見ても疑いようのない事実ですから。しかし仮にそうだとすると、またひとつ疑問点が浮かび上がるのですよ。あの晩、ヴィルヘルム隊と交戦した魔族がハクリルートの同行者なのだとしたら、第六軍に希術兵器の扱い方を指南したのは誰なのかと」

「そりゃ……さっきヴィルヘルムが唱えた仮説に基づくなら魔族だろ? あるいはハクリルートが魔族から使い方を教わって、そいつをマティルダに伝授したとか」

「シズネたちの調査によれば、先の夜襲でターシャに撃退されて以降、ハクリルートの姿はトラクア城近辺で目撃されていないとのことですので、後者の可能性については極めて低いと言えるでしょう。とすると必然的に魔族による指南があったと考える他なくなるわけですが……」

「……そうか。魔族がハクリルートと行動を共にしてたなら、やつと一緒にパウラ地方から撤退したと考えるのが自然だ。だが第六軍はハクリルートが去ったあとに希術兵器の扱い方を習得してる。ということは──魔族だけがマティルダの傍に居残って、今も第六軍に干渉してる可能性があるってことか」

「ご明察です、イーク。つまるところ、ソルン城攻略戦時点でのマティルダ将軍には、確かに魔族は憑いていなかった。されど今回は将軍が既に魔族に操られているか、または協力関係にある可能性が極めて高い。私はこの点をトラクア城攻略戦の鍵にしたいと考えています」


 決然とそう告げたトリエステの右手が、赤く塗られた指示棒の先を地図上のトラクア城へ鋭く突きつけた。今度はマティルダの背後に魔族がいる──彼女が提示したその可能性を突きつけられて、軍議の席が再びざわついている。

 だがカミラは口々に意見を言い合う仲間たちとは裏腹に、喉がぎゅうっと(すぼ)まる感覚に支配されて声も出なかった。今回の戦場には、まだ魔族がいる。

 そう考えただけで、マリステアを失ったあの晩の出来事が脳裏をよぎる。

 ピヌイスでのクルデールとの死闘も、オヴェスト城で経験した恐怖と絶望も。


「ふむ……確かに今のお話を聞く限り、私もマティルダ将軍と魔族が通じている可能性は否定できぬと思いますがな。しかし現時点ではまだ仮説の域を出ておりませぬ。これを確たるものとする裏づけは取れているのですかな、トリエステ殿?」

「いいえ、リチャード殿。おっしゃるとおり、私がいま述べた内容はあくまでも推測のひとつに過ぎず、魔族の所在にまつわる決定的な証拠はまだ掴めていません。ここ数日、諜務隊(ちょうむたい)を使って様々な方面から確証を得るための働きかけをしておりますが、現状、マティルダ将軍と魔族が接触した形跡は認められないのが実情です」

「お、お待ち下さい。諜務隊の調査をもってしても魔族の所在を掴めないというのであれば、それは将軍と魔族が通じている可能性は低いということではありませんか? だとすれば希術兵器についての情報は、もっと別のところから第六軍に伝わった可能性も……」

「もちろんそういった可能性も完全に排除することはできません。ですが私が最も疑問視しているのは、ソルン城に潜入していた諜務隊の隊員の件です。開戦前に消息を絶った隊員たちは恐らく、この戦場に魔族やハクリルートが介入しようとしている事実を隠蔽(いんぺい)するため、彼らによって抹殺されてしまったものと考えられます。しかし今回、マティルダ将軍と魔族の関係を調べるためにトラクア城へ送り込んだ隊員は全員が無事に戻っているのです。私はそこに違和感を覚えています」

「違和感、って……そいつは単純に今、マティルダの傍には魔族がいないってことの証明じゃねえのか? だから潜入を見破られずに済んだってだけの話……」

「もちろんそう考えることもできます。ですが我々がソルン城を攻め落としたあとの将軍の行動は、ハクリルートの援軍が来ることを承知していたがゆえのものとしか考えられません。でなければ将軍は我々がソルン城の攻略にかかりきりになっている間に森を抜け、早々にトラクア城へ帰還していたはずです。そのための時間はジャレッドが充分に稼いでくれていたのですから」


 ……言われてみれば確かにそうだ。

 カミラたちがソルン城に取りついたあの日、マティルダは城門が破られる頃には既に城を脱出し、森に身を潜めていた。しかしカミラたちが彼女の不在に気がついたのは、数刻に及ぶ戦闘を経てソルン城を完全に制圧したあと。

 それまでは城内のどこかに潜んでいるものと思い込んでいたから、マティルダがとっくに城をあとにしているなんて考えもしなかった。


 ならばマティルダには、救世軍が目の前の戦闘に気を取られている間にソルンの森を抜けるという選択肢もあったはずだ。

 が、彼女が敢えてそうしなかったのは、ひょっとすると連合国軍の扱う歩兵希銃の威力を目の当たりにして、アレを自軍のものにしたいと考えたためではないか?


 だからマティルダは昼間のうちにトラクア城を目指す計画を捨て、毒茨(どくいばら)の森に身を潜めた。その日のうちに魔物の大群を引き連れたハクリルートがソルン城へ夜襲をかけると知っていたから、一日くらいなら森に留まっても危険はないと、彼女は初めから分かっていたのだ。そうして予定どおりハクリルートによる奇襲が決行されると、悠々と森を出て連合国軍の野営地を物色。

 そこで目当ての希術兵器を回収し、今度こそトラクア城を目指して出発した。


 だがそう考えると確かに違和感がある。彼女が援軍の到着を知っていたということは、つまりハクリルートとも事前に接触し、互いの情報を共有して綿密な計画を立てていたということ。ならば当然、ハクリルートは黄皇国軍に脅威をもたらすキリサト一門の存在をマティルダにも伝えていたはずだ。

 あるいはソルン城に潜入していたシノビたちが忽然(こつぜん)と姿を消したのは、彼らの情報を得たマティルダが自らの手で駆逐したから、という可能性だってある。


 しかし仮にそうだとすれば、マティルダはトラクア城でも同様にシノビの存在を警戒するはずではないか? だのに敢えて放置し、無事に帰したのはたまたま彼らの潜入を察知することができなかったから? 確かに忍術を駆使したシズネたちの高度な潜入術は、並の人間ではまず見破れないだろう。だから警戒はしていても、存在に気づくことができずに見過ごしたという可能性も充分にある。


 けれど、果たして本当にそうだろうか?

 トリエステの言う〝違和感〟とはたぶんこれのことだ。

 すべては状況証拠を集めた上での推測でしかない。

 ちょっとこじつけがすぎるかも、とカミラでさえもそう思う。──でも。


「私にはこの小さな矛盾が、第六軍の背後に魔族はいない、と強調するためのもののように感じられてなりません」


 と、指示棒を握り込むように携えてトリエステは言った。


「そしてマティルダ将軍が敢えてその点を強調しようとしているとすれば、考えられる可能性はひとつだけ」

「本当はバックに魔族がいるが、マティルダはそれを隠したい。そういう下心が透けて見えるってことだな」


 次いでトリエステの発言を引き取ったのは、公の場だというのに相変わらずだらしない格好で椅子にもたれたウォルドだった。だが締まりのない態度とは裏腹に、彼の発言にはしっかりと筋が通っていて説得力がある。

 マティルダがわざわざシノビたちを生かして帰したのは〝トラクア城に魔族はいない〟と救世軍に思い込ませるため──と考えれば、確かに辻褄(つじつま)が合うのだ。


 そう思い込ませなければ、救世軍はトラクア城攻めを諦めて撤退してしまうかもしれない。だがマティルダとしては戦を長期化させて、可能な限り救世軍を弱体化させてしまいたい。だから魔族はハクリルートと共に去ったと思わせようと、魔族の存在を厳重に隠している? いや、あるいはマティルダを乗っ取った魔族自身がそのように振る舞っているのか……。


「なるほど……確かにここまでのマティルダ将軍の周到さを見れば、そういった可能性も否定できない……というより、そちらの可能性の方が高い気さえしてきますな。ハーマンどのもオヴェスト城の戦いの折り、トラモント五黄将(ごこうしょう)のもとには漏れなく魔族が送り込まれているようだと証言されていましたし……」

「ええ。そもそも我々が先般のオヴェスト城の戦いを勝ち残ることができたのも、魔族の介入があったから、と言えなくもありません。あの戦いの最大の勝因はもちろん、神術砲(ヴェルスト)を積極的に実戦投入したことにあるのですがそれ以外にも、ハーマン将軍に魔族が取り憑いているというコラードの主張が官軍の将兵を動揺させた点も大きかったと私は考えています。おかげで第五軍の統率は乱れ、戦闘中にも自ら武器を捨てて投降する敵兵が多数確認されました。そしてその先例を知るマティルダ将軍や魔族が、同じ過ちを犯すとは思えません」

「つまりマティルダが魔族の存在をひた隠しにしてるのは、第五軍の失敗を繰り返さないためでもあるってことか。確かに自軍の総大将が魔族とつながってるなんて知られれば、いくら官軍の兵とは言え黙って従うはずがないからな」

「はい。ゆえに私はそこに勝機を見出しました。マティルダ将軍と魔族の関係を暴き、白日の下に晒すことで敵軍を混乱に陥れる離間の計……これが成れば現在の我が軍の兵力でもトラクア城を攻略することは充分に可能です。しかし逆に申し上げれば、この策以外に第六軍を制する方法はありません。つまり私の予測がはずれ、マティルダ将軍が本当に魔族とは何の関係も持っていないとすれば──救世軍は、まず確実に敗北します」


 あまりにきっぱりと突きつけられた現実に、カミラは思わず息を飲んだ。

 他の仲間も同じように言葉を失い、目を見張ってトリエステを凝視している。

 たった今、彼女が語った作戦が成功しなければ、救世軍は負ける。

 ということは今回の戦いは、オヴェスト城の戦いよりも困難な綱渡りになるということか。勝利の確率は五分。いや、あるいはもっと少ないかもしれない。

 何しろカミラたちは現時点で、マティルダと魔族が通じている可能性を論じることはできても、それを証明する術がないのだ。


 つまりトリエステの言うとおり、マティルダは本当に潔白かもしれない。

 敵軍が希術兵器の使い方を早々に習得できたのは魔族の指南のおかげなんかじゃなく、ただ単に勝利の神(オーズ)が彼らに微笑んだだけのことかもしれない。

 しかしこの策に賭ける以外に、救世軍に勝機はない。底なしの奈落に()かった古い古い吊り橋を、無事に対岸まで渡り切れるかどうか──これはそういう賭けだ。

 そんなもの、普通なら誰もが「危険すぎる」と引き返すだろう。


 けれど、救世軍は、


「以上が本日より我々が臨むトラクア城攻略戦の概要です。具体的な作戦内容の説明に移る前に、ここまでの解説を聞いた上での皆さんのご意見をまず聞かねばなりません。本作戦のわずかな成功の可能性に賭けるか、コルノ島へ引き返すか。どうか皆さんの忌憚(きたん)なき意見をお聞かせ下さい」

「……ずいぶんと細い勝ち筋だな。こんなのは作戦とは呼べない。ただの博奕(ばくち)だ。しかも勝ち方を知らない素人(バカ)でなきゃ乗らなそうな、無謀すぎる大博奕だぜ」


 刹那、軍議室に降り積もろうとした沈黙を破って口を開いたのは、椅子の背凭(せもた)れに深く身を預けたオーウェンだった。そう言えば彼は今回の軍議の席で、まだ一度も発言をしていなかったように思う。オーウェンは元軍人という出自も手伝って、どちらかというとこういった場では積極的に発言するタイプの人物だったから、今の今まで黙って話を聞いていたことがカミラは少々意外だった。


 だがいざ口を開いたかと思えば、飛び出したのは冷笑とも取れる否定のひと言。

 途端に軍議室の空気が凍りついたのを肌で感じる。何しろマリステアが犠牲になってからというもの、オーウェンが荒れに荒れていることは既に周知の事実なのだ──何しろオーウェンは、マリステアのことを異性として好きだったから。


「なら、どうする。お前はここで降りるのか、オーウェン?」


 ところが彼の発言で今度こそ場が沈黙に包まれるかと思いきや、すぐに反論する声があった。ウォルドだ。尋ねたウォルドはオーウェンの発言に怒っている風でも気分を害している風でもない。ただ相変わらずだらしない格好で、まるで値踏みするようにオーウェンをじっと見ているだけだ。


「なわけないだろ」


 そしてそれに対するオーウェンの答えはあまりにも鋭く、愚直だった。


生憎(あいにく)俺は筋金入りの()鹿()だからよ。売られた喧嘩は片っ端から買い占めなきゃ気が済まないんだ。何よりマリーは……マリーの願いは、ジェロディ様が何にも脅かされることなく幸せに暮らせる世界を取り戻すことだった。だが黄皇国がルシーンに支配されてる限りあいつの夢は叶わない。だったら俺は何が何でも黄都(こうと)までの道を開いて、ソルレカランテ城に殴り込みに行く。でもってたとえ刺し違えてでも、あの瘴気(しょうき)まみれのクソ女を叩き斬ってやる。マリーの代わりに……あいつがこの世の何よりも大事にしてた〝家族〟を守るために、俺はやる。そのためなら与太話(よたばなし)だろうが何だろうが喜んで乗ってやるさ。文句あるか?」

「いいや、ねえよ。俺は個人の意思を尊重する主義だからな」


 威嚇にも似たオーウェンの言葉をあっさり流して、ウォルドは白々しく肩を竦めてみせた。けれど口では(おど)けてみせながら、彼の表情がどこか満足げに見えるのは気のせいだろうか。対するオーウェンはそんなウォルドの態度が気に食わないようで、「フン」と不機嫌に鼻を鳴らすや早々にそっぽを向いてしまった。

 けれどカミラは、思わず声を失ってオーウェンを見やる。

 ジェロディが何にも脅かされることなく、幸せに暮らせる世界を取り戻すこと。

 マリステアの代わりに。マリステアのために。


(……そうだわ)


 あの晩。


 カミラがマリステアと共に過ごした最後の晩。彼女は確かに言っていた。この戦いが終わったら、ジェロディを神子としての宿命から救う方法を探したい、と。

 そしてそのためにはオーウェンの言うとおり、まずは彼を脅かすすべてのものを世界から取り除かなければならない。ルシーン。魔族。トラモント黄皇国。


 最後には、彼を神子に選んだ神さえも。


(私……約束した)


 そうしてあまりにも強大な敵に立ち向かおうとしているマリステアの手を取って、あの日カミラは誓ったのだ。自分も共にジェロディを救う道を探し出す、と。


「……私……私も、やります」

「カミラ、」

「どのみち今逃げ出したって、救世軍を待ってるのは滅びだけ。だったら私は少しでも可能性がある方に賭けたい。ジャンカルロさんや、フィロや……マリーさんが命懸けでつないでくれた救世軍を守れるなら、何だってやる。今日まで私たちが戦ってきた意味を、なかったことになんかしたくない」

「……カミラの言うとおりです。私もフォルテッツァ大監獄の地下深くに囚われたとき、何もかもここまでかと諦めかけました。ですがあなた方救世軍はそんな私を救い、ほんのわずかな希望に賭けて、ハーマン将軍をお救いする道を拓いて下さった。ならば同じ奇跡をもう一度起こせるはずです。この軍ならば、きっと」

「うむ。我々もあなた方の理想に賛同し、こうして海を越えて()(さん)じたからにはどこまでもお供しますぞ、ジェロディどの! これは我らアビエス連合国の総意です。そう断言してしまっても構いませんな、デュランどの?」

「無論。小官は先代宗主ユニウス様の教えに魂を捧げた身。ならば我が全身全霊をもって貴殿らをお助けしましょう。何故ならば貴殿らの目指す世界の姿こそ、ユニウス様が夢に見ておられたエマニュエルの未来なのですから」

「私も異存ありませぬ。やりましょう、ジェロディ殿」

「ジェロディ様!」


 オーウェンの言葉を皮切りに、皆が銘々の想いを掛け値なく吐露(とろ)し始めた。

 それはたちまち熱を帯び、ジェロディを呼ぶ声となって場に満ちる。

 皆がジェロディを信じていた。彼とトリエステならば、どんなに厳しい戦いになろうとも、きっと味方を勝利へ導いてくれるはずだと。そして失われた生命(いのち)に報いるための戦いは、きっと彼を立ち上がらせてくれるはずだと。

 思えばこの軍議が始まってからというもの、ジェロディもまたひと声も発していなかった。されど代わりに皆の想いを聞き届けたトリエステが頷き、()を伏せ──やがて揺るぎない覚悟を秘めた眼差しで、まっすぐにジェロディを見据えて言う。


「では、ジェロディ殿。ご決断いただけますか」


 机上に落ちていたジェロディの視線が、ついに上がった。

 そうして彼は無表情に、されど何かを確かめるような仕草で、場に集ったひとりひとりの顔を見渡す。皆がジェロディの言葉を待ち望んでいた。その彼が言う。


「……分かった。やろう」


 刹那、カミラの瞳は見開かれ、呼吸が止まった。


 何故なら聞こえたジェロディの声が、まったくの別人のものだったから。


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