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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第7章 その苦しみを愛と呼ぼう
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249.そして夜がやってくる


 突然、空から船が降ってきた。

 それは比喩(ひゆ)でも何でもない。カミラだって最初は目を疑ったし、詳しい話を聞いた今もまったくもって信じられないが、しかしまぎれもない事実だ。

 〝飛空船(ひくうせん)〟。

 南の海を越えた先、アビエス連合国から遥々空を飛んでやってきたという彼らは、帆檣(マスト)の上に回転する翼がついたあの船を口を揃えてそう呼んだ。いつだったかカミラもカルロッタから〝連合国の船は空を飛ぶ〟と聞かされていたものの、まさかあんな与太話(よたばなし)が実は真実だったなんて、一体誰が予想したことだろう。


「重ね重ね驚かせて申し訳ござらぬ。自分はアビエス連合軍第一陸戦師団所属の一等翼佐(いっとうよくさ)、デュラン・シルヴェストルと申す。こちらは副官のテレシア・モデスティー二等晶佐(にとうしょうさ)。我ら一同、連合国宗主レガトゥス・コンキリオ様の厳命により貴殿ら救世軍をお助けに参上(つかまつ)りました。以後何とぞお見知りおきを」

「はあ……」


 と気の抜けた返事しか返せないカミラたちの前で、ビシリと力強く胸を叩いたのは、犬だ。いや、〝犬〟という形容は正しくないのかもしれない。だってデュランと名乗った彼は二本足で立ち、身長はカミラよりも高く、何より顔立ちが犬というより狼に似ている。ということはこれが世に聞く狼人(ロボ)族というやつか。しかし狼人は食人種族である竜人(ドラゴニアン)と同じくらい凶暴で手がつけられない種族だと聞いた。

 そのわりにはデュランは非常に礼儀正しく実直な印象を受ける。

 胸板が厚くて肩幅もある分、カッチリとした深緑の軍服はさまになっているし、灰色の毛並みもよく手入れされているのかツヤツヤだ。

 そんなデュランの外見からは軍人らしい真面目さと几帳面な性格が伝わってくる。喋り方が古風なことを除けば人格は至ってまっとうそうだ。眼光は鋭いし、牙も見えるし、右耳が半分千切れてるしで顔つきはかなり怖いけど。


「ああ、まあ、突然の援軍には確かに驚いたが……おかげで助かった。救世軍を代表して礼を言おう。しかしまさか派遣軍の指揮官が半狼(ハウンド)とはな」

「半狼って?」

犬人(ポチ)族と狼人族の間に生まれる混血児(ハーフ)のことだ。普通、種の違う獣人の間には子ができないとされているが、犬人族と狼人族には種族的な血のつながりがあるのか何故か繁殖可能でな。ゆえにふたつの種族の間に生まれた子を〝半狼人(ハウンド)〟と呼ぶ。犬に近い容姿をした第三の種族といったところだ」

「へえ~。ってことは狼みたいな顔してるけど半分は犬人族なんだ? でも犬人って平和主義で大人しくて見た目も無害そうなのが多いじゃん? この人は全然そうは見えないっていうか……」


 と頭の後ろで手を組んだカイルが、恐れ知らずにもまじまじとデュランを眺めながらそう言った。カミラも内心ではまったく同じ感想を抱いていたものの、それを本人の目の前で口にする勇気はない……怒らせたら噛まれそうだし。

 ところがカイルの言葉に反応したのは当のデュランではなく、彼の隣に控えた人間の女の方だった。アッシュローズの髪を頭の後ろで団子状に結い、軍服と同じ色の制帽を被った彼女は確かテレシアと紹介されていただろうか。

 テレシアは〝半狼〟という単語を聞くやピクリと顔を上げ、縁の細い眼鏡のつるを指先で持ち上げた。かと思えばよく磨かれた鏡玉(レンズ)の向こうでウォーターグリーンの瞳が鋭さを増し、射抜くような眼光で救世軍一同を睨み据えてくる。


「……何か問題が?」

「え?」

「翼佐が半狼人であることに、何か問題が?」

「い、いや、別に問題はないけど……? 一応今は救世軍にも色んな獣人が混じってるし? ただ半狼人ってのは初めて聞いたから、珍しーなーと思って……」

「本当にそれだけか? 場合によっては……」

「これ、よさぬか、晶佐。彼らが黄皇国(おうこうこく)に住まう獣人たちを助け、盟約を結んだという話は貴官もアーサー殿から聞いていよう。そのような御仁(ごじん)らが今更半狼ごときに驚くとも思えぬ。初めての異国だからと言ってそう過敏になるでない」

「……申し訳ありません」


 デュランからそう(さと)されると、テレシアは途端に殺気を収めて引き下がった。

 どうやらこの女性、上官が(おとし)められたと思って威嚇に出たようだが……そのわりには言葉少なで声も小さい。ほとんど独白と変わらないくらいの声量だ。

 これで本当に軍人なの? とカミラは疑問に思ったが、そちらも敢えて口には出さなかった。何せカイルを威嚇したときのテレシアが、腰に吊った革の物入れ──そこには以前カルロッタが使っていた魔銃とかいう武器によく似たものが入っている──にすかさず手をかけたのをしっかりと目に留めていたから。


「いやはや、部下が(はや)ってしまってかたじけない。今回派遣軍の一員としてやってきた者の中には祖国を出るのが初めてという者が多くおりましてな。皆、慣れぬ異国に浮足立っておるのです。どうぞご容赦いただきたい」

「いや、こちらこそ不用意な発言をした。不快に思わせたなら謝ろう」

「なんの。貴殿らに小官を貶める意図がなかったことは重々承知しておりまする。特に()()()()殿()にとっては半狼ごとき、さして珍しくもございませぬでしょう」

「ほう。俺を知っているのか」

「無論。宗主殿より、貴殿にはくれぐれもよろしくと仰せつかって参りました。何しろ先主ユニウス様のご朋友でございますからな。貴殿のような偉大な武人とお会いできて光栄です」


 デュランはそう言って破顔すると、自ら進んでヴィルヘルムに握手を求めた。

 狼に似た(いかめ)しい顔が、笑うと急に人懐っこそうな印象に変わったのがちょっと意外だ。だがカミラはそれ以上に、ヴィルヘルムを〝先主ユニウス様のご朋友〟と呼んだデュランの言葉に驚いた。ユニウス・アマデウス・レガリア。かつて南西大陸を支配したシャマイム天帝国を打倒し、アビエス連合国を打ち立てた愛神(エハヴ)の神子。

 カミラは海の向こうの異国についてほとんど何の知識も持たないが、そのくらいのことは連合国出身のメイベルから聞いて知っている。

 ユニウスは生まれながらに《愛神刻(エハヴ・エンブレム)》を刻んで生まれた天授児(ギフテッド)であり、大陸に恐怖政治を布いていた父王カエサル──彼もまた《天神刻シャマイム・エンブレム》と《識神刻(コル・エンブレム)》に選ばれた神子だった──を打ち倒した英雄だと聞かされた。


 そんなとんでもない相手とヴィルヘルムが〝ご朋友〟?

 彼がユニウスと知り合いだったなんてカミラでさえも初耳だ。

 今まで話す必要がなかっただけで、意図的に隠していたわけではないのかもしれないけれど、この男は本当に秘密が多い。エリクのことにしたってそうだ。

 知っているのに話してくれない。カミラはデュランと握手を交わすヴィルヘルムの横顔からふいと無言で目を逸らした。


 そこはポンテ・ピアット城の東の城壁。

 痛烈な敗北から一夜明け、日の出と共に乾坤一擲(けんこんいってき)大博奕(おおばくち)に出た救世軍は見事黄都守護隊からのポンテ・ピアット城奪取に成功していた。というのも別働隊として城への奇襲を試みたカミラたちが、城兵と熾烈(しれつ)な争いを繰り広げていたところに突如連合国の飛空船が現れ、色めき立った敵軍を呆気なく蹴散らしてしまったのだ。

 アビエス連合黄皇国派遣軍。無事に城が落ちたあと、悠々と降下して挨拶に来たデュランたちは自らをそう呼んだ。そこには六ヶ月前、獣人居住区を守るべく共に戦った猫人(ケットシー)のアーサーの姿もあり、カミラたちは彼を見て初めて、彼らがアーサーの連れてきた〝友軍(てみやげ)〟なのだと理解した。


 そう言われてみればそもそもアーサーは、黄皇国の内乱を聞きつけた連合国が現地調査のために派遣したかの国の大使だったのだ。彼は救世軍が救民救国を標榜(ひょうぼう)する組織としてふさわしい実態を持つかどうかを検証し、その検証の結果が()であれば、連合国に支援を促すという重要な役割を帯びてここへ来た。

 そしてそんなアーサーの報告により、アビエス連合国は本当に「博愛の神(エハヴ)の名の下、救世軍を支援する」という方針を打ち出してくれたわけだ。

 彼らは彼らで、内乱の(すえ)疲弊した黄皇国がエレツエル神領国に乗っ取られては困るという打算があってのことなのだろうが、それでもデュラン率いる五千の援軍とアーサー率いる『誇り高き鈴の騎士団』の参陣は大変心強かった。

 何しろ救世軍は昨日の戦で兵力の半分を失い、中央第六軍に狙われた獣人居住区を守り切れるかどうかという瀬戸際に立たされていたところだったから。


(……これで救世軍はまた戦える)


 と、カミラは擦り傷や敵の返り血で汚れた自身の腕を抱きながら、ふと城壁の外へ目を向ける。そこでは勝利に沸く救世軍の勇士たちが拳を突き上げて勝鬨(かちどき)を上げていた。ポンテ・ピアット城の周辺に黄都守護隊の姿は既にない。

 別働隊(カミラたち)による奇襲を察知し、ピヌイスから引き返してきたかの軍は、城壁に救世軍の旗が(ひるがえ)っているのを見るや落ち延びてきた城兵を収容して走り去った。

 恐らくは敗戦を悟り、本来の拠点であるスッドスクード城へ撤退したのだろう。

 彼らがいかに精強な部隊であろうとも、騎馬隊だけで城の奪還を実現するのは難しい。おかげでカミラはエリクと剣を交えずに済んだ。代わりに顔を合わせることも、もう一度言葉を交わすこともできなかったけれど。


(……つい昨日までここにお兄ちゃんがいたなんて、嘘みたい)


 話し込むヴィルヘルムとデュランの声を意識の外に聞きながら、今度は城内へと目を移してみる。昨日、カミラたちが容赦なく神術砲(ヴェルスト)を撃ち込んだ城の内部はわりと散々なことになっていたが、いくつかの兵舎は原型を留めており、黄都守護隊の面々もそこに宿営したのだろうと思われる痕跡が残っていた。

 あの建物のどこかに昨夜、エリクも泊まっていたのだと思うとたまらなくなる。

 あんなに必死に探し続けていた兄が、確かにここにいた。

 馬を飛ばせば半日で会える距離に。

 そう考えるだけで胸が締めつけられ、息が詰まり、涙が溢れそうだ。

 けれど自分はエリクと戦う道を選んだ。


 カミラの選択をエリクがどう受け止めたのかは分からない。「お前にその気があるなら助けてやれる」と差し伸べられた手を、すげなく払い除けた妹を兄はどう思っただろうか。幻滅しただろうか。呆れただろうか。恨んだだろうか……。

 浅手にまみれた腕が痛い。気づけばカミラは血が乾き始めた傷口が再び出血するほどきつく腕を握り締めていた。本当は昨夜みたいに声を上げて泣きたい。けれど自分に涙を流す資格なんてない。だって私はお兄ちゃんを裏切ったんだから。

 敵対してもお兄ちゃんは私を助けようとしてくれたのに。ずっとずっと小さな頃から、私が寂しくないように、両親の分まで私を愛してくれたのに……。


 なのに裏切った。お兄ちゃんよりも救世軍を選んだ。

 恨まれたって仕方ない。仕方ない。仕方ない。

 頭ではそう分かっているくせに──なのにまだ〝会いたい〟なんて。

 あまりの身勝手さに反吐(へど)が出る。私はいつからこんな人間になったのだろう?

 やっぱり自分は選ぶ道を誤ったのかもしれない。だけどもう引き返せない。

 過ちに気づくのが遅すぎた。


 これは罰だ。あまりに無知で愚かだった私への。


「おい、ジェロディさまだ! ジェロディさまが戻られたぞ……!」


 と、ときに城壁の下から声がして、カミラは城外へ視線を戻した。何やら視界に(もや)がかかったようで輪郭がぼやけているが──ジェロディだ。救世軍旗を高々と掲げた一軍を率い、ピヌイスから伸びる街道をジェロディがやってくる。

 その姿がきらきらとうるさい視界のおかげでまぶしく見えた。

 ──ああ、頭を切り替えなくちゃ。泣き言はもうおしまい。

 ここから先、私は〝救世軍のカミラ〟。泣き顔なんて見せられない。

 だってこれ以上ティノくんに心配をかけたくないから。


「カミラ」


 やがてカミラたちが下ろした跳ね橋の前まで来ると、壁上にこちらの姿を認めたジェロディが見上げて名前を呼んでくれた。

 だからカミラもへらっと笑って手を振り返す。上手く笑えていたかどうか、あまり自信はないけれど、彼が少しでも安心してくれるといい。


「──えっ? イークが軍令違反?」


 ところがいざ仲間たちと再会し、デュランたちの紹介も済んだ頃、カミラはとんでもない事実を聞かされた。というのもピヌイスでの戦闘のさなか、イークがジェロディやトリエステの制止を振り切ってポンテ・ピアット城へ引き返す黄都守護隊を追いかけたというのだ。トリエステはそれを「立派な軍令違反だ」と皆の前で糾弾(きゅうだん)した。もっともイークの勝手な行動に怒っているという感じではなく、どちらかといえば呆れている様子だったけど。


「幸いアーサー殿が駆けつけて下さったこともあり、騎馬隊の損害は最小限で済みましたが、一歩間違えれば全滅もありえた状況でした。仮にここが正規の軍隊であったなら、軍令違反は軍からの除籍、あるいは極刑にも値する重罪です。一応別働隊のための時間を稼ぐという名目があったとは言え、兵に示しをつけるためにも彼には相応の罰を与えなければなりません。今後同じ過ちを繰り返さないように」


 とトリエステが冷静に話す間にも、イークは終始ムスッとそっぽを向いていた。

 言い訳しないのは結構だが、あれでは叱られてヘソを曲げた子供同然だ。

 隣ではジェロディも苦笑しているし、カミラも言葉にこそしなかったものの、何やってんのよ、と内心呆れた。とは言え彼がそうまでして黄都守護隊を追いかけた理由は察しがつく。たぶんイークはエリクを問い詰めに行ったのだ。

 カミラが昨晩、彼に(すが)って泣いてしまったから。


(つまり、イークの軍令違反は私のせいでもある……)


 ひとつに結い上げてはいるものの、戦闘中にほつれた(びん)の髪をすうっと指先で()きながら、カミラは束の間足もとへ視線を落とした。

 何やってんのよ、という悪態は本来イークではなく自分へ向けられるべきものだ。イークの前であんな姿を見せれば、彼が思い余って突拍子もない行動に出ることは予測できたはず。だってイークは昔からそういうやつだ。カミラやエリクのためならば自分がどうなろうと構わず突っ走る。周りの意見なんて聞きやしない。

 それを分かっていたくせに、彼の前で己の(もろ)さを晒してしまった。優しさに甘えてしまった。とすればこれは他の誰でもない、カミラの落ち度だ。


「トリエステさん」

「はい」

「そういうことなら私もイークと一緒に罰を受けます。どんな処罰でも構いません。何なりと言いつけて下さい」

「……は? おい、なんでそうなる──」

「そうした方がイークが反省するから。……っていうのは半分冗談で、私も昨日は戦闘中に隊の指揮を放棄しちゃったし。ちょうど何かしらの形でケジメをつけなきゃと思ってたのよ。私がもっとしっかりしてれば、あんなにたくさんの犠牲を払わなくて済んだかもしれないんだから……」

「だがそれはお前が」

「いいでしょう。ではイーク、カミラの両名に命じます」

「おい、トリエステ……!」


 まだ話の途中だと言いたげに、黒髪を逆立てたイークがトリエステを(かえり)みた。

 が、明らかに殺気立っているイークを前にしてもトリエステは動じない。

 眉ひとつ動かさず、風に(なび)く亜麻色の髪を耳の後ろへ送りながら、まるで他愛もない世間話でもするような口振りで彼女は言う。


「ふたりはこれより、中央第六軍の活動拠点であるパウラ地方の偵察、及び次回の戦闘における味方の先鋒を務めて下さい。なおこの決定に拒否権はありません。細かい指示は追って沙汰をしますが、明朝には出立を」

「……え?」


 ところが次にトリエステが(つむ)いだ言葉は、カミラが予想していたものとは大きくかけ離れていた。イークも同じだったのか、ぽかんとして聞き返した声が不覚にも綺麗に揃う。そんなふたりの反応を見てトリエステは小さく微笑んだ。たぶんカミラもイークもよほど間の抜けた顔をしていたのだろう。


「て、偵察と先鋒って……それが軍令違反の罰なんですか?」

「ええ、そうです。今回我々がポンテ・ピアット城を落としたことで、獣人居住区を目指して進軍していた第六軍は矛先をこちらへ転じるしかなくなる……という話は先日軍議で説明しました。が、敵にとって予想外だったのはポンテ・ピアット城が()ちたことだけではありません。本日我々はこうしてアビエス連合国からの友軍を迎え、陣容を大きく変えました。その事実を知った敵軍がどういった反応を示すかは今のところ未知数です。場合によっては今般の作戦自体を中止し、こちらの出方を(うかが)おうとする可能性もある……黄皇国としては今までほとんど国交のなかったアビエス連合国といきなり交戦状態に陥るわけですから」

「な、なるほど……だからパウラ地方に潜入して官軍の動向を探ってこいってことですね?」

「そういうことになります。無論敵地への潜入調査となるわけですから、任務には多大な危険が伴うことでしょう。さらにこのまま第六軍との交戦が続く場合、先鋒を務める部隊が最も大きな損耗を被ることは言わずもがなです。以上の観点から、今回イークが犯した軍令違反に対する譴罰(けんばつ)としてはこれが最も妥当な判断かと愚考しますが、いかがですか、ジェロディ殿?」


 尋ねられたジェロディの頭上で、黄皇国旗に取って代わった青と白の救世軍旗が翻っていた。いつの間にか時刻は夕刻に差しかかり、鱗雲(うろこぐも)に覆われた空が青、紫、薄紅、橙と幻想的な色合いを織り成している。なんて場違いに美しい空だろう。脈絡なくそんなことを思ったカミラの視線の先で、ジェロディも微笑んだ。

 彼はトリエステの言葉に頷くと、ほんの束の間瞑目して、言う。


「うん、僕もそれでいいと思う。トリエの判断に従うよ。もちろん罰を受けるふたりに異存がなければ、だけど」

「い、いや、もちろん異存はない……っていうか、むしろ異存があったとしても文句を言える立場じゃないよねっていうか……」

「いいでしょう。ではイーク、カミラの両名はただちに出立の準備にかかって下さい。ふたりが不在の間の隊の指揮は一括してアルドに一任します。加えて──ヴィルヘルム殿。ふたりは一応軍規違反者という扱いになりますので体裁上、あなたに任務中の監視をお願いしたいのですが構いませんか?」


 と、そこでトリエステが予想外の人物に声をかけた。仲間と共にことの成り行きを見守っていたヴィルヘルムが、腕を組んだままわずか片眉を上げたのが分かる。

 彼のことだ、恐らくカミラが行くと言えば誰に言われるまでもなく問答無用でついてくるのだろう──と、刹那、話を聞いた誰もがそう思ったはずだった。

 けれど一拍ののちヴィルヘルムが返した答えは、


「いや。悪いが俺は行けない」

「……え?」


 いつもの彼と何ら変わらない、平板な口調。無感情な顔つき。

 それらを一切崩さずにヴィルヘルムは言葉をつないだ。


「仮にこのまま戦が続行するとしても、第六軍がポンテ・ピアット城に到着するまで数日の猶予(ゆうよ)があるだろう。その間、俺は一時的に救世軍を抜けさせてもらう。というわけでふたりの任務には同行できん」

「え……!? ちょ、ちょっと待って下さいよ、ヴィルヘルムの旦那! 救世軍を抜けるって……!?」

「戦闘が再開されるまでの数日だけだ。急な話で悪いが、どうしても外せない野暮用ができたんでな。用が済み次第すぐにまた戻ってくる。何ヶ月も留守にするわけではないから安心しろ」

「い、いや、だとしても、いま旦那に抜けられるのは困りますよ! ねえ、ジェロディ様──」

「お兄ちゃんのところに行くの?」


 刹那、カミラは取り乱すオーウェンの言葉を遮って、真正面からヴィルヘルムに切り込んだ。

 詰め寄りこそしなかったものの視線は外さず、まっすぐに彼の隻眼を見据える。

 ──これ以上私を除け者にしないで。()だけでそう言ったつもりだった。

 ヴィルヘルムがスッドスクード城へ引き返したエリクを追うつもりなら、カミラにも考えがある。何も知らされぬまま蚊帳(かや)の外に置かれるのはもうたくさんだ。

 兄のこと。父のこと。渡り星のこと。魔族のこと……彼に問い質したいことは山ほどある。ここまで来たのだから知っていることは洗いざらい話してもらいたい。

 しかしカミラから刺すような眼差しを向けられたヴィルヘルムは、


「いいや。エリクを追うつもりはない」


 やはりどこまでも淡々と、そう答えた。


「あくまで個人的な野暮用だ。ここにいる誰とも関係のない、な」

「……信じていいんでしょうね」

「信じるも信じないもお前次第だ。俺からはどうしろとも言えん。自分の今までの言動が信用されるに値するものだとはまったく思っていないからな」


 抑揚のない口振りはまったく普段どおりなのに、カミラは瞬間、ヴィルヘルムから突き放されたような気がした。気づけば昨夜以来、彼との間には見えない壁ができていて、こんなにも近いはずの距離が遠い。その壁は果たしてどちらが先に築いたものか。カミラは数瞬口を閉ざし、喉から溢れそうになる想いを飲み込んだ。

 今、胸の内側で渦巻いているものを吐き出してしまったら止まらなくなりそうで、強引に(せん)をする。


(……でも、思えば最初からずっとそうだった)


 ロカンダの近郊で八年ぶりの再会を果たしたときから。

 あのときもヴィルヘルムは言っていた。

 信じる信じないはお前たちの自由だ、と。

 自分はそんな彼を勝手に信じて、勝手に裏切られた気分になっているだけだ。

 ヴィルヘルムにしてみたらきっといい迷惑だろう。

 結局は兄のときと同じこと。自分が無知で愚かだっただけ。

 ならばその責任を取れとヴィルヘルムに迫るのはお門違(かどちが)いもいいところだろう。

 カミラは自身をそう(なだ)めすかし、やがて深々と息をついた。


「……分かった。じゃあもう好きにして。私もそうするから」

「か、カミラさん……本当によろしいんですか?」

「ええ、いいんです。でもヴィルがついてこないってことは、監視役が不在になっちゃいますけど?」

「でしたら代役をウォルドにお願いしましょう。構いませんね、ウォルド?」

「ああ? 俺が?」

「ええ、あなたが適任です。お願いします」


 落ち着き払いながらも有無を言わせぬ口調で、トリエステは強引に代役をウォルドへ押しつけた。そこで拒否権はないらしいと察したのだろう、ウォルドは何か言いたげに口を開きつつも、結局ボリボリと蓬髪(あたま)を掻いて嘆息する。


「あー、分かったよ、しょうがねえな。おいヴィルヘルム、この肩代わりは高くつくからな」

「ああ。お互い生きて島へ戻れたら、お前の好きな酒でも一杯(おご)ろう」

「一杯じゃ足りねえ、ひと(たる)は用意しとけ。ったく、そうと決まりゃあさっさと支度にかかるぞ、カミラ、イーク。いざってときに身動きが取りやすいように、持ってくもんは最低限にしとけ」

「支度にかかるのはいいが、お前が仕切るな!」


 旧救世軍ではウォルドを散々()()してきた自分が、今度は彼に監視されるというのが気に食わないのだろう。

 イークは早速反抗的な態度を取ってウォルドの仕切りに反発していた。

 出発する前からこんな調子で大丈夫なのかしら……と呆れつつ、カミラも短く嘆息をつく。まあ、深刻に考えずとも今の彼らならなるようになるだろう。

 というかもう何もかもなるようになればいい。

 この先何がどうなろうが知ったことじゃない。救世軍が無事で、仲間が笑っていられて、フィロメーナの夢が叶えられるならあとのことはどうでもいい。兄と道を

(たが)えることを選んだ自分に残されたものは、今やそれしかないのだから。


(ああ……星がきれい)


 と、(いが)()いながら歩き出したイークとウォルドの後ろに続きつつ、ふと空を見上げてみる。目を上げた先に夕方(あか)(くろ)の狭間で輝く一番星が見えた。

 けれどその星の瞬きがどこか頼りない。まるで今にも夜に呑み込まれ、掻き消えんとしているかのようにチカチカ、チカチカ、と不安定に揺れている。

 あまり見たことのない瞬き方だったけれど、ほどなくカミラは興味を失くした。

 星なんか見上げていたって、どうせ腹の足しにもなりやしない。


 そうして下を向き、唇を噛んだカミラの頭上からゆっくりと夜が降りてきた。


 やがて闇に喰われた一番星がふっと空の彼方に消え入ったことを、カミラは知らない。



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