246.僕らの答え
直後、とんでもない爆音を轟かせ、岩や丸太や諸々が一斉に弾け飛んだ。
敵の手に渡った神術砲の砲弾が、街道の左右から降り注いだ落下物に当たって炸裂する。次々と斜面を転げ落ちてくる大量の丸太や岩石の類は、山中に潜んだウォルド隊とギディオン隊が事前に用意していたものだ。
まずはその落下物でもって神術砲の初撃を防ぎ、さらに敵勢の進軍を妨害する──それが第一の策。ジェロディたちのもくろみどおり、地崩れのごとく押し寄せた落下物の群は、神術砲の炎弾を防ぐと同時に折り重なって街道を塞いだ。
敵の挑発に乗り、まっすぐ突っ込んでいくかに見えたイークの騎馬隊もすんでのところで反転、自陣へと引き返してくる。
すべてはこちらが敵の思惑に乗っていると見せかけるための動き。まず真っ先にイーク隊が突撃をかけてくると予想していたであろう敵勢は、山中からの妨害を一切予測できなかったはずだ。直前まで二十枝(百メートル)先にいたはずのエリクやフィオリーナの姿は、積み上がった瓦礫の山に遮られてもう見えない。
(まさか落下物に巻き込まれた、なんてことはないと思うけど……)
と一抹の不安を覚えつつ、ジェロディは引き返してきたイーク隊と共に本隊へ合流した。すぐに駆けつけたケリーやオーウェンが、ジェロディの無事を確認してほっと愁眉を開いている。だが街道に静寂が降りたのも束の間のことだった。
ほどなく黄皇国軍による砲撃が再開され、道を塞いでいた遮蔽物が次々と吹き飛ばされる。頭では理解していたものの、まったくとんでもない威力だ。
神術砲──あの兵器が敵に回すとこんなにも恐ろしいものだったなんて。
「次、地術兵、前進! 防壁を展開せよ!」
とは言え救世軍もオヴェスト城の戦いで神術砲を使い倒した手前、あれの弱点は心得ている。神術砲が連続して弾を撃てるのは最大でも三発までだ。
それさえ凌げば次は砲身の冷却作業が必要になる。その作業中こそが、神術砲が最も無防備になる瞬間。逆に冷却を挟まずに撃ち続ければ、砲身が熱に耐えられず五、六発目で確実に自壊してしまうらしい。敵がそうした使用上の注意をどこまで把握しているかは分からなかった。だがここまでの砲音を数える限り、既に二基の神術砲で四発は発射している。この短時間で四発ならば冷却作業は挟んでいない。
(つまりあと二発凌げれば……!)
トリエステの号令に従って横列を組んだ神術兵たちが、一斉に杖を構えた。
彼らは皆、大地の力を操る地刻の使い手だ。
救世軍はオヴェスト城の戦い以降、神刻石の発掘を生業としている地鼠人族の協力を得て、神術兵の数を着実に増やしてきた。神術使いというのは生まれ持った素質に左右されるものだから、増強にはかなりの時間と労力を要したが、あと少しでメイベルを隊長とした神術部隊が発足するところまで漕ぎつけている。
もっともメイベルは軍人ではないし、自分には部隊の指揮なんて無理だと役職を固辞しているから、今回の戦には動員しなかったのだけど。
天授児である彼女に憧れ、自ら神術使いになる道を選んだ兵も救世軍には少なくない。そしてこれが、そんな彼らがもたらす成果だ。
「大石塁……!」
神術兵の証として掲げられた杖が次々と光を放ち、ジェロディたちの前方の地面に巨大な亀裂を生み出した。大地を割って迫り上がってきたのは分厚くうずたかい岩の壁。地術使いが最も得意とする守りの術だ。
複数の地術使いによる大石塁の重ねがけは、敵兵の行く手に何重もの岩の盾を築き上げた。これを破ろうと思ったら、敵は神術砲の残弾を撃ち尽くすしかない。
そのまま四発、五発と連射して砲を壊してくれるのがこちらとしては一番有り難いものの、温存するならそれはそれでよし。
この方法である程度時間を稼いだのち、限界が見えたら敵が冷却作業に入った隙にウォルド隊とギディオン隊が山上から襲いかかる手筈になっている。
敵味方入り乱れる乱戦に持ち込めば、敵は誤射を恐れて神術砲を使えない。
「さあ、どっちを選ぶ──?」
と、オーウェンが呟いたのが聞こえた刹那。
再び轟音がはたたき、真っ赤に燃えた炎弾が岩壁に激突した。
粉々に砕けた岩の破片があたりに飛び散り、爆煙が立ち込める。
続けてさらにもう一撃。二枚目の岩壁が粉砕される。だがこれで合計六発だ。
冷却作業を挟まずに撃てる弾数は撃ち尽くしたが、果たして──
「──え?」
ところが瞬間、ジェロディは目を疑った。
何故なら濛々と舞い上がる砲煙の向こう側、そこに巨大な獣の影を見たからだ。
いや、違う。あれは。粉塵を破り、街道を塞ぐ岩壁を迂回して斜面を駆け下りてくる一群はまさか、敵の騎馬隊──!?
「馬鹿な、あの斜面を馬で……!?」
すさまじい砲撃の音と巻き上がる塵煙に邪魔されて、まったく接近に気づけなかった。馬はおろか人間でさえ両手を使って登るのが精一杯と思しき山の斜面を駆け上がり、そして一気に駆け下りてくる軽騎隊。なんだあれは。
彼らの動きはまったく常軌を逸している。一体どうやって、と泡を食っているうちに逆落としの勢いを駆った敵軍が左翼を守るケリー隊の横腹へ突っ込んできた。
なんという攻撃の鋭さ。
まるで一本の巨大な錐が脇腹に捩じ込まれ、内臓を穿つかのようだ。
「くそっ……! 槍兵、構え!」
虚を衝かれた救世軍兵を次々と撥ね飛ばし、一直線に本隊へ迫ってくる騎馬の群。それを止めようとケリーが槍持ちの手勢を集め、とっさに槍衾を展開した。
するとずらりと並んだ槍の壁を避けるように、敵騎兵が串刺しになる寸前で素早く進路を変更する。ほとんど直角に近い動き。
何故あんな動きができるのか、どう見ても並の騎馬隊ではない──
「火焔陣!」
直後、唖然とするジェロディの眼前を紅蓮の閃光が横切った。地術兵たちを貫いた赤光は瞬く間に燃え盛る炎と化し、横隊を組んだ彼らを丸呑みにしてしまう。
一瞬にして炎に包まれた兵士たちの絶叫が谺した。彼らの肉を焼く灼熱の劫火は巨大な烈火の壁となり、前方にいたイーク隊と本隊とを分断する。
敵襲と知って馬首を返したイークたちの姿が躍る炎に遮られた。
あれでは馬が火に怯えて本隊と合流できない。
「あー、いたいた。探したぜ、トリエステ」
あまりにも圧倒的な強さと機動性。破天荒とも呼ぶべき芸当に呆気に取られているうちに、ジェロディの視界は敵騎兵によって埋め尽くされた。
が、部下たちが応戦に出ようとしたところでトリエステが制止の声を上げる。
彼女は彼女の名を呼んだひとりの男を見据えていた。
まだ若い、黄金を梳いたような金髪を持つ男だ。
どうやら斜面を駆け抜けてきた騎馬隊の指揮官は彼らしい。男はいかにも将校然とした軍装を、白い毛皮で縁取りされた真っ赤な外套で覆っていた。
その装いだけで男は自らが派手好きなトラモント貴族の子弟であることを物語っている。ということはもしやトリエステの貴族時代の知り合いか。ジェロディは男がいつ襲いかかってきても応戦できる構えで息を詰めた。彼の背後で天高く燃え上がる炎の壁が、暑さを感じないはずのジェロディの額にも汗を生む。
「……久しぶりね、セドリック」
「おー。お前、マジで生きてたのかよ。前々から実は生きてるんじゃねーかって噂は聞いてたが、まさかほんとに無事だったとはな。だったら俺や兄貴にくらい連絡寄越せっての。ずいぶん水臭えじゃねーか」
「ごめんなさい。私もあなたたちには不義理をしたと思っているわ。けれど陛下とガルテリオ殿の名誉に関わることだったから」
トリエステが顔色ひとつ変えずにそう答えれば、男はフン、と菫色の瞳を眇めて笑った。しかしジェロディが驚いたのは、普段自分たちの前では敬語しか話さないトリエステが、目の前の男にはずいぶん親しげな口調で話しかけていることだ。
いや、それ以前にあの男も、身なりは貴族そのものなのになんという乱暴な口調で話すのだろう。トラモント訛りも下町の庶民のようにキツく、幼少時から訛りを抑えた正統ハノーク語を叩き込まれるのが一般的な貴族の子弟とは思えない。
彼は一体何者で、トリエステとはどういう関係なのか。深まる謎にジェロディが当惑していると、不意に男の目がこちらを向いてバチリと視線が搗ち合った。
「んで? そっちにいるのが将軍んとこのお坊ちゃんってわけか? あー、なんつーかアレだな、思ってたよりもガキだな」
「セドリック」
「何だよ、本当のことを言っただけだろ。しっかしまさかお前が自分の弟を差し置いて、余所の家のガキのお守りをしてるなんてな。お前が兄貴と同じ〝ガルテリオ教〟の信者なのは知ってたが……」
「変な言いがかりはやめてちょうだい。そもそもあなたは、そんな世間話をするためにここへ来たの? 私たちの同志を火炙りにして?」
「そう怖え顔すんなよ。八年ぶりに会う従弟が、せっかくこうして挨拶に来てやったんじゃねーか。ついでに兄貴のお気に入りだったヴィンツェンツィオ家のお坊ちゃんってのがどんなのか、首を飛ばしちまう前にツラ拝んどこうと思ってな」
「あ、〝兄貴〟って……?」
「ジェロディ殿。彼の名前はセドリック・ヒュー──かつて近衛軍であなたの上官だった、ハインツ・ヒューの弟です」
刹那、トリエステが憮然と告げた男の名にジェロディは心底驚いた。
あのハインツの弟? この男が? オーロリー家と同じトラモント三大貴族に数えられるヒュー詩爵家の次男坊? いや、だが確かに言われてみれば、セドリックというらしい男の面差しにはわずかながらハインツの面影があった。
髪の色も瞳の色も同じだし、すっと通った鼻筋はかつての上官にそっくりだ。
けれど粗暴で礼儀知らずな言動はハインツとは似ても似つかない。近衛軍で部隊長を務めていた彼の兄は常に物腰穏やかで、誰の前でも貴公子然としていた。
ジェロディも短い間だったがハインツには世話になったし、今でも彼を尊敬している。だからこそこれが彼の弟だと言われても、にわかには信じられないし受け入れられそうになかった。
「セドリック。あなたもこの八年でずいぶん変わったのね。私も叔父上が亡くなってからというもの、あなたが黄都で問題ばかり起こしているという噂は聞いていたけれど……今のあなたを見たら叔父上やマリアーナは何と言うかしら?」
「さあ、知らねえな。死んだ人間にどう思われようが俺は俺だ。文句があんなら親父や姉貴を殺した連中に言ってくれ。つーか問題は俺よかお前の妹の方だろ。お前もフィロメーナも何の相談もなしに黄都を出ていっちまったもんだから、フィオリーナが完全にグレちまって手に負えねえ。お前、あいつの姉貴だろ? だったら何とかしてやれよ。今のままじゃあのバカ、落ちるとこまで落ちてっちまうぞ」
「……残念だけれど、今の私がフィオにしてあげられることは何もないわ。きっとこうなると分かっていてエリジオを見殺しにしたんですもの。そんな私が今更手を差し伸べたところで、余計にあの子を激昂させるだけでしょう」
「お前、分かってねえな。あいつが今あんな状態になってんのは──」
とセドリックが語調を荒げて何か言いかけた、そのときだった。
炎の壁の向こうで突如閃光が弾け、神気がうなる。
次いではたたいたのは、本能的な恐怖を覚えるほどすさまじい轟音。
直後猛火を突き破り、矢のように飛来した雷撃がセドリックに肉薄した。
が、セドリックも舌打ちと共に左手を翳し、瞬時に神術を炸裂させる。
鳴り響く雷鳴。爆音。あたりに稲妻の残滓が飛び散る。
噴き上がった突風が天を焦がす炎を割った。そうして生まれた間隙にすかさず飛び込んできたのはイークだ。彼の黒馬が紅蓮の柵を軽々と飛び越え、セドリックに迫る。二本の剣光が激突した。鉄と鉄とが噛み合う悲鳴にも似た音が、場の空気に呑まれかけていた将士にここが戦場であることを思い出させる。
「よお青二才、また会ったな」
「ああ。できればお前の顔は二度と見たくなかったんだがな、セドリック・ヒュー……!」
かと思えば交差させた刃を挟んで裂けるようにセドリックが笑い、イークが忌々しげに顔を歪めた。まさかイークも彼と面識があるのか? とジェロディが驚いたところでふたりが剣を弾き合い、互いの馬が距離を取る。
セドリックの神術が生み出した炎は未だ赤々と燃えていたが、果敢にも数騎の供を率いて戻ったイークは、ジェロディたちをかばうように立ち塞がった。
そんなイークを不敵に見据え、セドリックは「ハッ」と冷笑する。
「おう、青二才。てめえ、よくもまあおめおめと戦場に戻ってこられたな。話は聞いたぜ。あれだけ偉そうな啖呵切っておきながら、結局フィロを守れなかったんだって? だから言ったんだよ、てめえにジャンの代わりは務まらねえってな!」
「……耳が早いな。俺もフィロの訃報を知ったのはついこの間のことだ。お前ら、一体どこから俺たちの情報を仕入れてやがる?」
「話を逸らすんじゃねえよ、クソ野郎! 俺はいざとなったらてめえがフィロの代わりに死ぬっつーから特別に目を瞑ってやったんだぞ! なのになんであいつが死んでてめえが今も生きてんだ? ジャンもフィロもまんまと犬死させやがって!」
「セドリック」
と、さすがに見過ごせない暴言だと思ったのだろう、トリエステが珍しく語調を強めて前へ出た。が、さらに何か言い募ろうとした彼女をイークが黙って手だけで制す。果たしてイークとセドリックはどういう関係なのか、蚊帳の外に置かれたジェロディには分からなかった。されどセドリックが本気で憤っているらしいことは語気と剣幕から伝わってくる。ジャンカルロやフィロメーナのことを愛称で呼んでいるところを見るに、どうやら彼はふたりとも親しい間柄にあったようだった。ジェロディの聞き間違いでなければセドリックは自らを指してトリエステの従弟だと言っていたから、オーロリー家やヴィルト家とも家ぐるみの付き合いがあったのかもしれない。
対するイークはセドリックの正面に立ち塞がったまま反論も激昂もしなかった。
ただ束の間口を閉ざし、熱風に全身を煽られたのち、深い深いため息をつく。
「……ああ、まったくお前の言うとおりだ。ジャンもフィロも俺が死なせた。あれだけ傍にいながら俺は結局、あいつらのために何もしてやれなかった。だがだからこそここにいる。どれだけ生き恥を晒そうが、手をもがれようが足をもがれようが、ふたりを殺した黄皇国軍を討つ──それがあいつらを守れなかった俺のケジメだ。だからお前も寝言は寝て言え。ジャンやフィロのために祖国を捨てる覚悟も決められなかった半端野郎」
激するでもなく嘲るでもなく。イークが淡々と言い放ったひと言が、セドリックの額に青筋を走らせた。かと思えば彼の口角がいびつに持ち上がる。セドリックは笑ったつもりのようだが、ひどく邪悪で憎悪に彩られた笑みだ。
「てめえ、さすがはあのクソッタレな赤髪野郎と同郷なだけはあるな。大した実力もねえくせに、口だけは達者で人をイラつかせる才能がある。そこまで言うなら見せてもらおうじゃねえか、てめえの言うご立派な〝覚悟〟ってやつをよ……!」
「こっちは最初からそのつもりだ。いつまでもお前のお喋りに付き合ってやる義理もないんでな」
「ならこっちも遠慮なく殺らせてもらうぜ。あとから吠え面かくんじゃねえぞ──目覚めろ、炎霊、雷神……!」
瞬間、ジェロディの眼前で信じ難いことが起こった。馬上で神の言葉を唱えたセドリックの左右の手から、同時に神気の光がほとばしったのだ。
右手からは火神の力が。左手からは雷神の力が。
ということはこの男──二刻使いか。ジェロディがそう理解した直後、宙空で混じり合ったふたつの神気が吼え猛り、雷をまとった炎の嵐となった。初めて目にする神力のうねり。信じられない。しかしこれはまさか合体神術……!?
本来合体神術というものは、それぞれ属性の違う神刻を刻んだふたり以上の術者が協力して初めて使えるものだ。いかな二刻使いと言えど、たったひとりで合体神術を行使する人間なんて聞いたことがない。
しかし現にジェロディの目の前では、混じり合ったふたつの神気が荒れ狂っている。まずい。ジェロディはすぐさま味方に退避を命じた。
だが救世軍が布陣した街道は狭く、逃げ切る前に雷火の嵐に呑まれてしまう──迫り来る神術を顧みながらそう思った、まさにそのとき、
「祖なる父よ、我が血の内にて我を助けよ──雷霆瀑!」
ジェロディはイークの口からルミジャフタ語が紡がれるのを初めて聞いた。
振り返ったジェロディの視線の先でひとり、殿として残ったイークの右手から閃光が炸裂する。百雷の滝。そうとしか形容のしようがない雷の雨が、強烈な光の壁となって救世軍の背後に展開した。
イークはあれを使ってセドリックの神術を迎え撃つつもりだ。果たして合体神術とは並の神術で相殺できるものなのかどうか、それは分からない。
されどジェロディが彼の名を叫ぶより早く、ふたつの神術が激突した。
衝突の瞬間、世界が消し飛ぶのではないかと錯覚するほどの暴風が吹き荒れ、ジェロディたちは危うく飛ばされかける。だが突風の中で躍り狂う砂や枯れ葉や木の枝から我が身を守ろうとしたところで、ジェロディは見た。
イーク。百雷の滝を支え、踏み留まってはいるが明らかに押されている。
このままではセドリックの神術に押し切られ、彼が消し炭にされてしまう。いや、消し炭どころかあの嵐に呑み込まれたら肉片すら残らないかもしれない──
「ジェロディ殿……!?」
頭蓋が割れそうなほど鳴り響く轟音の中。ジェロディは自分を呼び止めるトリエステの声を聞いたような気がしたが、構わず手綱を捌いて馬腹を蹴った。
怯える馬に鞭をくれ、イークのもとへ馳せる。
ジェロディが駆けつける頃には、イークの右腕は罰焼けを起こす寸前だった。
でも、それなら、
「ジェロディ──」
驚愕した様子で振り向いたイークの右腕を掴む。
起きろ。叫ぶように念じたジェロディの右手で《命神刻》が覚醒する。
炎が噴き出すのに似た勢いで、ジェロディの魂の底から引き出された生命力がイークに流れ込んだ。自然と口角が持ち上がる。
──合体神術? だから何だ。
そっちがふたつの精霊を味方につけたところで、こっちには神がいる。
彼らが人間を都合よく利用すると言うのなら。
僕らも自分が信じた正しさのために、神を利用すればいい。
それが、僕の答えだ。
「燃えろ、魂……!」
気がつけば、どこからともなく込み上げてきた神の言葉を叫んでいた。
神の力で結ばれたふたつの魂が燃え上がる。
百雷が生み出す閃光が膨れ上がり、炸裂し、ほんの一瞬、ジェロディの聴覚から音が消えた。そう錯覚する規模の爆音が轟き、炎と雷が弾け飛ぶ。次に目を開けたとき、そこには薄く立ち込めた白煙と愕然としているセドリックが見えた。彼も神力が底を尽きるまで絞り出したのだろう、肩で息をしながら目を見張っている。
「あァ……!? 俺の神術を相殺しやがっただと──うおっ……!?」
ところがセドリックにみなまで言わせず、ひと群の騎兵が彼の部隊へと突撃した。洪水のごとくセドリックを呑み込んだのはカミラ隊とイーク隊の騎兵たちだ。
どうやら規格外の神術の相克で炎の壁も消し飛び、火の海に閉じ込められていた救世軍の騎馬隊がようやく解き放たれたらしい。
隊長に代わって騎馬隊を率いるはアルド。ロカンダ陥落後、半年以上に渡る過酷な放浪生活が彼の勘を研ぎ澄ませたのだろう、実に見事な状況判断だった。
次いで喊声と共に駆け出したケリー隊、オーウェン隊が突っ込み、セドリックの騎馬隊を一気に押し込む。騎兵と歩兵が入り乱れた乱戦だ。
一度あの状況へ持ち込めば、どんなに精強な騎馬隊も機動力を活かせない。
「ジェロディ、お前──」
戦況が動き始めた。ジェロディがそう判断した直後、不意にイークの声がした。
そう言えば彼の腕を掴んだままだったな、と我に返れば、隣でイークが何か言いたげな顔をしている。
「ああ、イーク、ごめん」
「いや、それはいいが……お前、俺に何をした?」
状況が呑み込めていないのだろう、イークは未知なる現象に戸惑いを禁じ得ない様子だった。あれだけの神力を解き放ったというのに、罰焼けひとつ起こしていないのだから驚くのも無理はない。けれどジェロディは気取らず、ただいつもどおりに微笑んだ。
「特別なことは何も。ただ僕なりの〝正義の形〟を見つけただけさ」
予想外の答えだったのだろう、イークがたちまち目を丸くした。
が、ほどなく彼も口角を持ち上げて「そうかよ」と短く返す。
「ジェロディ殿!」
そこへトリエステの呼び声が聞こえた。振り向けば血相を変えたトリエステが、退却しかけていた本隊を連れて戻ってくる。
しまった。衝動に任せて行動したせいで、また彼女に叱られる理由を作ってしまった。そう悟ったジェロディは慌てて弁解を口にする。
「ご、ごめん、トリエ。でも僕もイークもこのとおり無事──」
「ご無事は何よりですが詰問はあとです。まずい状況になりました」
「え?」
風が吹き、未だ街道に立ち込めていた粉塵がついに晴れた。おかげでジェロディはトリエステの視線を追いかけ、すぐに彼女の言葉の意味を理解する。
先刻地術兵たちが生み出した岩の盾。何重にも重ねられていたはずのそれが相殺された神術の爆発に巻き込まれ、粉々に砕け散っていた。基部だけは辛うじて残っているものの高さはジェロディの身長ほどもなく、あれでは神術砲の砲撃を防げない。だが新たな防壁を築こうにも、頼みの神術兵はひとり残らずセドリックに焼かれてしまった。こうなるともう救世軍には時間を稼ぐ手立てがない。
まさかセドリックの狙いは初めからこれだったのか。
そう思い至ると同時にジェロディははっとした。
何故なら破れた岩壁の向こう側。
その先で、神術砲の砲口がジェロディたちを捉えている。




