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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第7章 その苦しみを愛と呼ぼう
247/350

245.正義はどこだ


 ヴィルヘルムは言った。

 〝カミラが()()()()に留まれるかどうかはお前次第だ〟と。

 あの言葉の真意を、イークは知らない。

 けれど今、凍りついた胸腔(きょうこう)の奥底に、ひとつの予感めいたものがある。

 だからイークは剣に誓った。

 カミラを連れていかせやしない。連れていかせるものか。

 〝運命〟などと大仰(おおぎょう)に呼ばれる牢獄に囚われるのは、自分ひとりだけでいい。


「行こう」


 ジェロディの号令に皆が頷き、満身創痍(まんしんそうい)の救世軍が動き始めた。

 背後に続くはボロボロに汚れた鎧兜(よろいかぶと)に身を包んだ老若男女。

 大恩あるリチャードのためならばと勇んで駆けつけてくれた彼らはしかし、いざ出撃となるといささかばかり不安そうだった。

 まるで眠る魔物の前を横切ろうとしているかのような、そろりそろりと慎重な足取り。天にたなびく救世軍旗を見上げ、胸を張って進む兵士たちとは比ぶべくもない姿は、ひと目で鎧を着た案山子(かかし)だと分かるだろう。

 エリクはこの軍容を見て何を思い、どんな決断を下すのか。

 答えによっては、たとえ兄弟のように育った友であろうとも容赦はしない。


「……さあ来い、エリク」


 ピヌイスの町を囲む(やま)()が、金の糸を一本かけたようにきらめき始めた。

 稜線(りょうせん)の向こうから太陽がゆっくりと立ち上がり、救世軍が布陣した谷間の街道を照らし出す。攻め寄せる敵を迎え撃つ、その布陣の陣頭で。


 イークは(まぶた)をよぎる在りし日の幻影を振り払い、覚悟を決めた。



              ◯   ●   ◯



 リチャードの呼びかけに応じて集まった民兵の数は五百にも上った。

 これは実にピヌイスの人口の二割にも当たるそうだ。

 真っ先に志願してくれたのは、かつてリチャードと共に正黄戦争(せいこうせんそう)を戦った義民兵の勇士たち。そして国の兵役に従事したことのある青年~壮年の男たち。

 彼らが我も我もと声を上げると、真夜中の招集であったにもかかわらず、町中から愛郷心溢れる町民たちが集まってきた。中には剣を握った経験すらない女子供や、既に隠居生活に入っている老人なども多くいたが、彼らは町の大恩人であるリチャードのためならばと身命(しんみょう)を惜しまなかった。


 おかげで現在の救世軍は見かけだけならそこそこの陣容になっている。ジェロディたちは五百の民兵を含めた二千の兵力で、ピヌイスへの唯一の出入り口である街道に陣取った。町を囲む山々を巨大な工具で()()けたようなその街道は、軍学の教科書に載っていても不思議じゃないくらい典型的な隘路(あいろ)というやつだ。

 谷底には石畳が敷かれ、街への入り口としてきちんと整備されているものの道幅は二(アナフ)(十メートル)ほどもない。さらに道の両脇には黒々とした枯れ木や灌木(かんぼく)が密生する斜面がそそり立っている。


 戦で敵を迎え撃とうと思ったら、これ以上ないほど理想的な地形。

 救世軍は現在その谷底を塞ぐような形で守りの陣を布いていた。

 先鋒にはカミラ隊の生存者を合流させた百騎あまりのイーク隊。

 中軍にはジェロディ率いる本隊と、左右翼を守るケリー隊、オーウェン隊。

 後陣には民兵を守る盾としてリチャード隊がつき、ウォルド隊とギディオン隊は街道を挟む東西の山に潜伏している。見え透いた伏兵だが、奇を(てら)うよりもあからさまな布陣にした方が敵を誘い込めるだろうと提案したのはトリエステだった。


「この陣容を見れば敵は恐らく、我々がコルノ島からの援軍を待つために今日一日踏み留まる決断をしたのだと思い込むでしょう。ここは見てのとおり守りに適した地形ですから、我々がピヌイスを拠点に防衛線を布くのは極めて自然な流れです。そこに露骨な時間稼ぎの策を重ねれば、敵も敢えてこちらの思惑に乗ろうとするはず……何しろ向こうも時間を稼げば、歩兵部隊の増援が到着することを計算に入れているでしょうから」

「問題はカミラとヴィルヘルムさんが無事にポンテ・ピアット城を落とせるかどうかだけど……こればっかりはあのふたりを信じるしかないね。オヴェスト城で戦ったときと同じだ。ひとりひとりが仲間を信じて、やれることをやりきるしかない」

「ええ。仮に想定よりも早くこちらの策に気づかれた場合は厳しい追撃戦を余儀なくされるでしょうが、それさえ乗り切れば勝機はあります。救世軍を信じて下さったグル殿のためにも、我々は勝たねばなりません」


 決意を秘めた面差しでそう告げたトリエステに、ジェロディも頷いた。今回の作戦の成否には救世軍の命運だけでなく獣人居住区(ビースティア)の未来も懸かっている。

 グル。ポレ。フォンリ。ケムディー。クワン。ウー──目を閉じれば六ヶ月前、ビースティアで共に命を預け合って戦った獣人たちの顔が浮かんだ。

 初めは未知の種族である彼らとの邂逅(かいこう)に戸惑ったものの、今は誰もが自分たちと変わらない、心ある人類であり大切な仲間だと断言できる。


 だからこそ負けられない。たとえ敵が誰であろうとジェロディたちは決して退くわけにはいかないのだ。まさかずっと会える日を楽しみにしていたカミラの兄と、こんな形で出会うことになるとは夢にも思っていなかったけど──その兄を誰よりも慕っていたはずのカミラが、救世軍のために彼と戦うと言っている。

 ならば救世軍の総帥として、自分も彼女の想いに応えなければならない。

 彼女が家族も命も何もかも投げ出して守ろうとしているものを全力で守り切る。

 それがカミラの出した答えに対する精一杯の誠意だ。ジェロディは愛馬の手綱を握り締め、前を見据えた。今頃はライリー一味の船に乗り込んだ七百のヴィルヘルム隊が、カミラと共にポンテ・ピアット城へ向けて出発した頃だろうか。


(エリクさんとカミラを直接戦わせることは避けたくて、別働隊を任せたけど……カミラ……また昨日やオヴェスト城でのあのときみたいに、ひとりで無茶をするんじゃないかな)


 そうなることを防ぐためにヴィルヘルムとカイルを傍につけたのだけど。彼らがついていてくれれば大丈夫──と楽観視するには、事態は複雑化しすぎていた。

 何しろヴィルヘルムはエリクが黄都守護隊(こうとしゅごたい)にいることを知りながら黙秘してきた張本人だ。カミラはその事実を知ってもあまり驚いた様子なく「……そう」と呟いただけだったが、内心ではヴィルヘルムのことをどう思っているのか分からない。

 そしてカイルもカイルだ。彼は昨夜、カミラたちから託されたという伝言を携えたまま行方を(くら)まし、ヴィルヘルムに発見されるまで屋敷に戻ってこなかった。

 あげくウォルドやトリエステからどこで何をしていたのかと問い詰められても黙秘を貫き、おかげで隊の編制が揉めに揉めたのだ。


 結果として別働隊の隊長に抜擢されたヴィルヘルムが「ならばこいつは俺が連れていく」と発言してくれたおかげでことは丸く収まったものの、トリエステは最後までカイルを戦線から外すべきだと主張していた。どうも彼女は言動がいい加減で責任感のないカイルに対し、まったくいい印象を持っていないらしい。

 まあ、それについてはジェロディも同意見だが、しかしカイルについてはひとつだけ確かなことがある。どうも彼は本気でカミラに好意を寄せていて、イークやヴィルヘルムと同じくらい彼女を気にかけているらしいということだ。

 ソルレカランテで初めて出会った頃はただの遊びか悪ふざけだろうと思っていたのに、意外にもカイルは真剣で、カミラ隊の隊士としての訓練もかなり真面目にこなしていた。表向きには相変わらずちゃらんぽらんだから皆に誤解されているものの、ジェロディは彼がカミラのために毎朝ライリーやカルロッタに頭を下げて戦い方を叩き込んでもらっていることを知っている。


 というのも眠れぬ夜にふらふらと散歩に出て、朝方まで島を散策していたら、カイルがライリーに()()()()()()()()()現場に遭遇したのだ。何度も殴られ、蹴倒され、ボロボロになるまで叩きのめされていたカイルはしかし、稽古場(けいこば)にジェロディが現れたと知るや血相を変えて「カミラには黙ってて!」と泣きついてきた。

 どうして、とジェロディが問えば、カイルは口を尖らせて「だってこんなのかっこ悪いじゃん」とむくれていたけれど。あとからライリーに話を聞けば「あの女に余計な心配をかけたくねえんだとよ」と呆れた様子で煙草(たばこ)を吹かしていた。


 おかげでジェロディはカイルをちょっと見直したのだ。カミラを守るために強くなろうとする彼の想いの一途さは、倒されても倒されてもめげずにライリーへ向かっていく眼差しの真剣さから(うかが)()ることができたから。

 だのにカイルは昨夜、どうしてあんな行動を取ったのだろう。カミラが家族(エリク)を敵に回して憔悴(しょうすい)しきっている今こそ、傍で彼女を支えてやるべきときではないか。

 なのに自らトリエステたちの不興を買って、カミラから遠ざけられるような振る舞いをするなんて……相変わらずカイルが何を考えているのかジェロディにはよく分からない。カミラに対してあれだけ献身的な振る舞いをしておきながら、最近ではターシャにもまとわりついて心底(うと)まれていると聞いているし。


「注進! 南西より街道を東進してくる敵軍を確認しました! 兵力はおよそ三千、騎馬隊のみの編制です!」


 ところが自陣に駆け込んできた斥候(せっこう)の報告で、ジェロディははっと我に返った。

 気づけば既に日は高く、とっさに確認した懐中時計の針は運神(うんしん)の刻(十時)を示している──まるで同じだ。カミラの予言と。

 やはり星刻(グリント・エンブレム)が受け継いだ時の神(マハル)の力は本物だったということか。とすればあと一刻もしないうちに、エリク率いる黄都守護隊が街道へ雪崩(なだ)()んでくる。


「トリエ」

「ええ、始めましょう。イーク隊は予定位置まで前進。こちらにジェロディ殿がおられることを見せつけるために、本隊も一時前へ出ます。ケリー隊、オーウェン隊、リチャード隊は待機して陣形を維持。まずは小手調べといきましょう」


 トリエステの下知(げち)を受け取った伝令たちが各々の持ち場へ散っていく。ほどなく前進を始めた先陣のイーク隊に合わせ、ジェロディ率いる本隊も前へ出た。

 カミラの予言によれば、敵はこの戦場に神術砲(ヴェルスト)を二基持ち込んでくる。

 前に出るということはあの兵器の砲火を受ける危険が増すということだが、時間稼ぎの対策は打てるだけ打った。

 あとは人事を尽くして天命を待つのみだと、ジェロディは馬上で腹を(くく)る。


「来たぞ」


 自軍の先頭で(くつわ)を並べたイークがまっすぐ前方を睨んで告げた。わずかに湾曲(わんきょく)して伸びる街道の向こうから一塊となった敵騎馬隊が姿を見せる。

 晴天に掲げられ、高々と(ひるがえ)るは竜守る天馬の紋章。これが夢であればどんなにかよかったのに、何度目を()らしても変わることのない黄都守護隊の軍団旗……。


「誰か来ます」


 しかしようやく敵影が見えたかと思えば、黄都守護隊は突如前進をやめ、代わりに数騎の騎兵が進み出てくるのが分かった。途端にジェロディははっと息を呑む。

 何故ならその人数の中に一際目立つ赤い髪を認めたからだ。

 あれが──エリク。

 いや、今は黄都守護隊長副官のアンゼルムと呼ぶべきだろうか。

 カミラと同じ鮮やかな珊瑚色(さんごいろ)の髪を陽の下に晒したエリクはわずか六、七騎ほどの供だけを連れてゆっくりと歩み寄ってきた。彼が(またが)る白馬は神々しいまでに毛並みが白く、遠くからでも光り輝いているかのようによく目立つ。


 さらにエリクの隣に付き従ったひとりの女の顔を見て、ジェロディはぞっと全身に(あわ)が立った。昨日の時点で話には聞いていたものの、本当にフィロメーナと同じ顔。風に(なび)く栗色の長髪に雪で染めたような白い肌。彼女は華奢(きゃしゃ)な指先で(わずら)わしげに髪を耳へかけながら、すっと目を上げてこちらを見据えた。

 フィオリーナ・オーロリー。

 トリエステやフィロメーナの妹にして、エリジオの姉。

 軍師というのは本当なのだろう、トリエステと同じで武器などは一切身に帯びていない。ただ乗馬用の細い脚衣をはき、外套(がいとう)(えり)から覗く首もとにスカーフタイを巻いた姿は上品でありながらどこか男性的でもあった。


「反乱軍に告ぐ」


 と彼女を脇に控えさせながら、馬を止めたエリクが声を上げる。

 彼我の距離はざっと二十(アナフ)(百メートル)ほど。ハイムがもたらす神の聴力に助けられているせいもあるのだろうが、さすがは一軍を率いる上級将校というべきか、エリクの声は離れていてもジェロディの耳によく届いた。凛とした響きを持つ彼の声色はしかし、イークのものよりほんのわずか高い気がする。


「私はトラモント黄皇国(おうこうこく)中央第一軍別働隊、黄都守護隊所属のアンゼルムという。今般(こんぱん)、諸君らが第六軍の管轄下(かんかつか)にあるポンテ・ピアット城攻略をもくろんでいるとの情報を得、それを阻止するために来た。上官であるシグムンド・メイナード将軍からは、抵抗ある場合殲滅(せんめつ)もやむなしと命じられている。だがここで降伏すれば、幹部陣はともかく兵たちの命は助けると約束しよう。改めて言及するまでもないことだが、そちらと我が軍の戦力差は歴然だ。諸君らの賢明な判断に期待する」


 唐突に投げかけられたエリクの言葉に、周囲がざわつくのが分かった。何しろあれは他に解釈のしようがない、明確な降伏勧告だ。わざわざそんな交渉を持ちかけてくるということは、エリクは戦わずしてこの場を収めたいと考えているのか。

 そこにあるのはカミラやイークとは戦いたくないという彼の良心? あるいは自分たちが寄せ集めの反乱軍ごときに負けるわけがないという絶対的な自負?


「イーク。こらえて下さい」


 ところがジェロディがエリクの真意について考えあぐねているさなか、冷静なトリエステの声がして嫌でも意識を現実に引き戻された。

 見ればイークは相変わらず黙って前方を睨んだままだ。しかし見かけの静けさとは裏腹に、ジェロディは彼の周囲で神気が逆巻いているのを感じ取る。

 現にイークが羽織る群青(ぐんじょう)の外套が、風もないのにゆらゆらと(すそ)を宙に躍らせていた。そんな騎手(あるじ)の異変を感じ取ったのか、彼が(また)がる青毛(あおげ)も先程からしきりに鼻を鳴らし地面を掻いている。放っておいたら今すぐにでも単騎で飛び出して、エリクに斬りかかっていきそうな剣幕。それに気づいたジェロディはとっさにトリエステへ視線を向けた。すると彼女も小さく頷き、束の間考えてから口を開く。


「ジェロディ殿。我々がこの状況から降伏を選ぶとは敵も考えていないでしょう。恐らく敵歩兵部隊到着までの時間稼ぎをするつもりです。向こうがその気ならこちらとしても好都合。少しばかり交渉に応じる素振りを見せて、開戦を引き延ばしましょう」


 トリエステの言うとおり、一拍でも長く時間を稼ぎたいのはこちらとて同じだ。

 敵軍の意識がピヌイスに向けば向くほど、カミラたちを安全にポンテ・ピアット城攻略へ向かわせることができる。

 ならばとジェロディは精鋭数騎を従えて、自らも街道へ進み出た。トリエステも共に来ることを選んだが、イークは「俺はいい」と吐き捨ててついてこない。


「あなたがカミラのお兄さんですね」


 互いの距離がさらに縮み、十八枝(九十メートル)。今度はジェロディの方が声を張り上げると、エリクがカミラと同じ空色の瞳をわずか細めたのが分かった。

 彼の顔立ちはジェロディが想像していたほどカミラには似ていない。

 ただ髪と瞳の色が彼女とまるで同じだから、何となく似ていると感じる程度だ。

 もっともカミラがそうであるように、エリクもまた非常に端麗な容姿をしている。精悍(せいかん)さを(たた)えながらも、どこかやわらかな印象の面差しはまさに美青年といった感じだ。イークもコルノ城へ来るなり若い女中たちから熱視線を注がれていたし……もしやカミラたちの故郷である太陽の村には美男美女しか生まれない法則でもあるのだろうか? だとしたら神様というやつは本当に不公平だな、などと場違いなことを考えていると、不意に視線の先のエリクが端正な顔立ちを(ほころ)ばせた。


「お初にお目にかかります。いかにも私がカミラの兄ですが──そちらはガルテリオ様のご令息、ジェロディ・ヴィンツェンツィオ殿とお見受けします」

「はい。おっしゃるとおり、僕がジェロディ・ヴィンツェンツィオです。あなたのお話はカミラやイークからよく聞いていました。ですがまさかこんな形でお会いすることになるなんて……正直、とても残念です」

「それについては私も同意見です。ガルテリオ様からあなたのお話を(うかが)って以来、いずれお会いできる日を楽しみにしていたものですから。しかしあなたの任官式に合わせてご挨拶に伺うつもりが、今年の六聖日(ろくせいじつ)はうっかり体調を崩してしまって……あのときソルレカランテ城でお会いしていれば、我々の運命は変わっていたかもしれませんね」


 と意外なほどなごやかな口調で返され、ジェロディははっとした。

 そうだ。今年の初めの任官式。言われてみれば自分はあの日あの場所で〝アンゼルム〟という名前を父の口から聞いた覚えがある──あの男にはぜひ息子を紹介したいと言っておいたはずだが、と。


(そ、んな……つまり僕とエリクさんはあの日、同じ街にいたっていうのか?)


 なのに今日まで出会えなかった。お互いがお互いの名を知っていて、本当なら父を通して知り合うはずだったにもかかわらず。


『どうもこうもない。言葉どおりの意味さ。あの兄妹の道は()()()()()()()()()()()()()()──そういう運命だったんだ』


 刹那、昨夜聞いたヴィルヘルムの言葉が脳裏に(よみがえ)って、ジェロディは手綱を握る両手がわななくのを感じた。運命。エリジオはそれを〝あらかじめ神々によってさだめられ、人間の力では決して(あらが)えないもの〟と呼んでいたけれど。

 ならばこれも初めからすべてさだめられていたことだったというのだろうか。

 カミラと自分が出逢う未来は生まれたときから確定していて、だから自分はエリクと出逢うことができなかったというのだろうか。


 カミラが万が一にもエリクと再会してしまわぬように。


 ふたりが必ず殺し合う運命を辿(たど)るように──


(……っだとしたら、本当に神様ってやつは……!)


 瞬間、ジェロディは煮え立つような激情に駆られ《命神刻(ハイム・エンブレム)》が宿る右手をきつく握り締めた。かと思えば手套(しゅとう)の下で神刻(エンブレム)が瞬き、ジェロディの頭上に光の《星樹(ラハツォート)》を描き出す。神子が神子たる証明、表璽の術(シンボライズ)

 浮かび上がった生命神ハイムの神璽(みしるし)を前に敵軍がわずかどよめくのが分かった。黄皇国の将兵もジェロディが神子である事実は既に把握しているのだろうが、やはり眼前で証を見せつけられると動揺を隠せないらしい。


「アンゼルムさん……いいえ、エリクさん。ご覧のとおり、僕はガルテリオ・ヴィンツェンツィオの息子である以前にハイムの神子です。僕には神に選ばれた者として、この国をあるべき姿へ戻す使命がある。エリクさんもお気づきでしょう。今の黄皇国は黄帝陛下(こうていへいか)までもが魔女ルシーンの支配下に置かれ、腐敗と迷走の一途を辿っています。もしもあなたに僕らの祖国を想って下さる心があるのなら──」

「──神子の名の下、救世軍(あなたがた)(くみ)して陛下をお救いするべきだ……とおっしゃるおつもりですか? それこそが民を救う上で最も正しい方法だと?」

「そうです。今のままでは黄皇国は魔のものどもに内側から食い破られて滅びてしまう。そうなる前に僕らの手で止めるんです。ルシーンを討ち、もう一度この地に秩序と平和を……」

「ですがあなた方の勝利の先に、トラモント黄皇国は存在するのですか?」

「……え?」

「ルシーン様を討てばすべてが解決するとお思いならば、神子たるあなたが国へ戻り、神の力で天誅(てんちゅう)を下せばよいだけのこと。そうなさらないのは兵を率いて黄皇国を打ち壊す心算がおありだからでしょう。ですが我々は違います。私の願いは偉大なるオルランド陛下の下、黄皇国を守りかつての繁栄を取り戻すこと。つまりあなた方が黄皇国と敵対を続ける限り、この道が交わることは決してない」

「エリクさん、」

「神子の言葉に従わぬ者を魔界の手先と(ののし)りたければ、どうぞ存分に吹聴(ふいちょう)なさって下さい。しかし我々は知っています。神子とて所詮は人間だ。全能にして全善たる神々にはほど遠い。人であるからには道を(あやま)つことも、盲目になることもあるでしょう。我々が長年悪と見なし、敵対を続けているエレツエル神領国(しんりょうこく)の神子エシュアがそうであるように」

「僕は」

「ジェロディ殿。あなたが真に神に選ばれた神子であり、その言葉が、想いが、選択が絶対に正しいとの自信がおありならば、どうか我らの前に示して下さい。あなたが信じる正義の形を」


 ……正、義?


 正義って、なんだ?


 いや、もちろん言葉の意味は分かる。規範となるべき正しさ。〝悪〟の対義語。

 もっともジェロディは、自分を絶対的な正義だなんて思ったことは一度もない。

 救世軍が選んだ道は正しくもあり、間違いでもある。

 救民救国を(うた)いながら民の(しかばね)を積み上げ、彼らを踏み越えて進むことが最善の選択であるはずがないのだ。けれど自分はこれこそが理想へ至るための最短経路であり、最も少ない犠牲で成し遂げられる正しさの形だと信じた。


 しかし果たしてそうだろうか?


 そもそもこの選択を下したのは本当に自分だろうか?


 かつてエリジオは言った。

 フィロメーナの死は誰のせいでもない、ただ運命だったのだと。

 かつてトリエステは言った。ジェロディがハイムに選ばれたのも、フィロメーナが救世軍をトリエステのもとへ導いたのも、すべては神の意思だったのだと。

 そしてテレルは言った。まだ分からないのか、テヒナの(いぬ)め、と。


 ジェロディは背筋が凍るのを感じながら己が右手に目を落とした。

 たとえば今日まで自分で選んだつもりでいたものが、何もかも〝運命〟によってさだめられていた選択だったのだとしたら。

 それは本当に正しい選択だったのだろうか。カミラとエリクが敵対し、戦う運命を強いられているように、自分もまた()()()()()ここにいると考えた場合。


 そうして辿り着く結末は絶対に正しいと言えるのか?


 仮にその未来を()とするのなら、自分はカミラとエリクが殺し合う未来をも〝正しい形だ〟と肯定することになるじゃないか──


「……どうやら交渉は決裂みたいね」


 誰かに思い切り蹴飛ばされた(まり)みたいに、心臓が胸の中で暴れている。

 ドッ、ドッ、ドッ、ドッと、まるで何かに追い立てられるかのような心音が、ますますジェロディの思考を掻き乱す。

 そこへすっと冷たく降り注いだひと筋の声は、フィロメーナと同じ顔をした女の口から発せられたものだった。ジェロディが胸を押さえながら顔を上げれば目が合った女は冷笑し、次いで殺意のこもった眼差しをトリエステへと投げかける。


「姉さん」


 そう呼びかける声さえもフィロメーナと同じはずなのに、彼女の言葉は暗い暗い海の底から響いてくるかのようだった。


「久しぶり。まさか本当に生きていたなんて……話を聞いたときはさすがに驚いたけれど、元気そうでよかった。ところでロメオの命と引き替えに手に入れた椅子の座り心地はどう?」

「フィオリーナ」

「昨日の伝言は聞いてくれたのでしょうね。私、絶対に許さないから。家族(わたしたち)を見殺しにすることを選んだ父様も、フィロメーナも、姉さんも絶対に許さない。今日ここできっちり(あがな)ってもらうわ。オーロリー家を破滅に追いやった大罪をね……!」


 戦場で幾多もの殺意を浴びてきたジェロディでさえぞっとするほどの憎悪。

 フィオリーナの口腔(こうこう)から溢れ出したそれが開戦の合図だった。

 エリクの周囲に微細な雷気(らいき)の嵐が生まれ、彼がまとう深緑の外套を浮き上がらせる。次の瞬間、真っ白に染まった視界の向こうから遅れて雷鳴がはたたいた。


「くっ……!」


 音速を超えて飛来する(いかづち)の矢。(かわ)せるはずもない。されどジェロディはとっさに(かざ)した腕の下から、自分たちをかばうように飛び出していく青い稲妻を見た。

 馬蹄(ばてい)の響きが大地を揺らす。イークの左手から放たれた雷撃がエリクの神術とぶつかり合い、炸裂する。同等の威力によって相殺された雷撃は凄まじい爆発を巻き起こした。暴風が吹き荒れ、爆煙が視界を遮り、誰かの怒号が(とどろ)(わた)る。


「ジェロディ様、神術砲が来ます!」


 背後から聞こえた叫び声にはっと息を呑んだ刹那。


 谷を覆う粉塵を、轟音と共に燃え盛る炎の塊が貫いた。


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