232.ようこそ、新生救世軍へ ☆
カミラに連れられてコルノ城一階の食堂へ下りてみると、眩暈を覚えそうなほどの盛況ぶりだった。
「──あ、か、カミラ、おはよう!」
「おはよう、ジョルジョ! あれから結局花は足りた?」
「おはよー、カミラ。あっ、何、今日の髪型かわいいじゃん!」
「おはよ、メイベル。コラードさんも、コルノ城にはもう慣れました?」
「ぼ、ボクもいるよっ! おはよう、カミラ!」
「あら、おはよう、ポレ! てっきりケムディーたちのところに行ってると思ってたけど、こっちに泊まってたのね?」
「おはよう、カミラ。いい朝だね」
「おはようございます、ケリーさん、オーウェンさん! 昨日はありがとうございました!」
「おやおや、朝から元気がいいねえ。おはよう、カミラ。ところでウチのバカ息子を見なかったかい?」
「おはようございます、アンドリアさん。カイルならさっきターシャに切り刻まれに行きましたよ。今日の朝ごはんは何ですか?」
「お前さん、朝からサラッと恐ろしげなことを言いよるのう……少しはあのボウズのことも心配したらんかい」
「あら、ロン、おはよ。あなたが城で朝食なんて珍しいじゃない?」
「ライリーのやつが造船所に転がり込んでやがるから、巻き添えを食わねえように逃げてきたんだとよ。ま、賢明な判断だな」
「あ、ゲヴラーさんもおはようございます! でも〝巻き添え〟って?」
「ウヒヒ……例の姐御でやんすよ。あの人が島に来ると凶刀のライリーも形なしでやんすねえ。いい気味だ、ウヒ、ウヒ」
「ああ、ジュリアーノね……っていうかパオロ、なんか久しぶりじゃない? 最近島で見かけなかったような気がするんだけど──」
「まったく嘆かわしい。組合はいつまで闇商人を野放しにしておくつもりなのか。これだけ頻繁に反乱軍の拠点へ出入りしているというのに尻尾すら掴めぬ有り様だ。やはり黄皇国共々組合も一度解体し、一から体制を創り直さねばなるまいな」
「あ、リチャードさん、おはようございます! マシューもおはよ、マヤウェルさんは?」
「母さんは先に祭りの手伝いに行っちゃいました。今日と明日は機織小屋もお休みなので」
「ならば医者にも休日を用意してほしいものだな。朝から全身神術で切り刻まれた患者が駆け込んできて、非常に迷惑しているのだが?」
「ああ、ラファレイ……おはよ。残念だけど、その問題は〝バカにつける薬〟を発明しない限り解決しないと思うわ。ラフィもおはよ。今日も晴れて良かったわね」
見渡す限りの人、人、人。肌寒い秋の早朝だというのに、この真夏のような熱気は何だ。優に数十人は収容できそうな広さの食堂は、ざっと見る限りほぼ満席で、とんでもなく騒がしい。そんな喧騒の真ん中を、カミラは何食わぬ顔で平然と突っ切っていく。
光歌祭の朝。イークが初めて訪れたコルノ城の食堂は、見知らぬ顔で溢れ返っていた。ここでは幹部も、兵士も、女中も、湖賊も、誰もが自由に食事を取れるらしく、一見しただけで様々な人種の人間が集まっているのが分かる。
いや、人種どころか種族の垣根すらもないようで、席のあちらこちらには見慣れない獣人の姿まであった。カミラはそうした仲間たちとにこやかに挨拶を交わし、ときに親しげに会話しながら、食堂の奥にある配膳台へと向かっていく。
その人数の膨大さたるや。ここにいる全員が新救世軍の関係者か、と当たり前の事実に愕然としながら、イークは人波に揉まれるようにして席と席の間を歩いた。
右からも左からも新入りである自分への好奇の眼差しを感じるが、今は振り返るのも億劫だ。ただでさえ人混みは苦手なのに、今日から自分はここにいる全員の顔と名前を覚えなければならないのかと思うと絶望的な気分になる。
コルノ城の食堂は、いつも給仕係が料理を運んできた『チッタ・エテルナ』の食堂とは違い、利用者が自ら配膳台まで足を運んで食事を受け取る形式のようだった。広い配膳台の奥はすぐ厨房になっていて、島の食糧事情を支える料理人たちが忙しく動き回っているのが見える。
中でも一際目を引くのが、赤毛を豪快に結い上げた恰幅のいい中年女だ。アンドリアという名前らしい彼女はイークを見るなり「ああ、あんたが噂の」と目を見張ると、次の瞬間には白い歯を見せてニカッと笑った。
「はじめまして、あたしは厨房の責任者をやってるアンドリア。あんたのことはカミラやウォルドからよく聞いてるよ。その様子だと、ウチのバカ息子にはもう会ったみたいだね。あたしは息子と違ってわりと新参なんだが、まあ、新入り同士よろしく頼むよ。こいつはあたしからの歓迎の印さ、遠慮せずにどーんと食べてっとくれ!」
そう言って渡されたのは、山盛りに盛られたラビオリの赤茄子ソースがけとなみなみに注がれたブロースのスープ、色とりどりの野菜の酢漬けに、蜂蜜がたっぷりかかったレジェムの実の山だ。いずれも器から零れんばかりのとんでもない量で、それらを乗せたトレーをずずいと差し出された瞬間、イークの思考は停止した。
……いや、だって、この量は明らかに常軌を逸しているだろう。隣でカミラが受け取った同じ料理のトレーと比べても、三倍近い量が盛られているのがひと目で分かる。アンドリアと名乗った女はさも善行を積んでやったと言いたげにニコニコしているが、もはや歓迎というより嫌がらせではないのか。
いくら何ヵ月もひもじい生活を続けてきたからと言って、いきなりこんなに食えるわけがあるか。そう言って突き返したい。でも。
「ねえ、イーク。アンドリアさんってこう見えて元山賊のお頭だから。怒らせると眉間に薙刀が飛んでくるから。食堂じゃ〝厨房長を決して怒らせてはならない〟が暗黙の了解だから。そこんとこよろしくね」
と、悟り切った表情のカミラからそう忠告されて、イークは屈辱に震えつつも差し出されたトレーを受け取った。肉づきのいい胸を反らしたアンドリアは「いっぱいお食べよ!」と上機嫌に笑っているが、あの笑顔は暗に「残したら容赦しない」と言われているのだろうか。何なんだこれは。拷問か?
「よう、イーク。しばらく見ねえ間にずいぶん大食いになったんだな。そんなに食うんじゃ、お前も俺の食生活をとやかく言えなくなったんじゃねえか?」
「うるさい、黙れ、筋肉ダヌキ。勝手に人を同類扱いするな。というか何ならこのトレーごとお前にくれてやってもいいぞ」
ほどなくイークがトレーを叩きつけた席にはふたりの先客。卓の向こうで愉快そうにニヤニヤしているウォルドと、白い眉尻を下げて苦笑しているギディオンだ。
料理を受け取ったあと、カミラに呼ばれるがままついていった先には既に食事を始めている彼らがいた。どうやらカミラが事前に頼んで席を取っていてもらったらしく、丸太を半分に切って脚をつけただけの長椅子が丸々一脚空いている。
縦長に刳り抜かれた窓の麓にあるその席からは、すぐそこに広がるタリア湖が一望できた。吹き込む風はいささか冷たいものの、燦々と注ぐ陽射しにぬくめられた席は暖かく、秋の朝の澄み切った空気を存分に味わえる。耳を澄ませば細波の音色が聞こえる窓際の席に、イークはカミラと並んで腰を下ろした。
本音を言えば何も受け取らなかったことにして早々にここから退散したい。されどそうしなかったのはアンドリアの逆鱗に触れるのが恐ろしいから──ではなく、イークも気づいていたからだ。
カミラがわざわざ手を回してまで用意した、この席の意味に。
「しかし、ようやく四人揃いましたな。おふたりの到着が遅いので、何かあったのかと心配しましたぞ」
「ごめんごめん。イークの部屋まで行く途中にカイルに見つかっちゃって。あいつを引き剥がすのに余計な時間を取られちゃった」
「まったく懲りねえな、あのガキも。母親が島に来たところでお構いなしだ。それもこれもカミラ、お前がいちいちあいつに構うせいだぞ」
「しょーがないでしょ、無視しても私が構うまで懲りずに突撃してくるんだし。ていうかその話は今はやめて。せっかくロカンダ時代の四人が揃ったんだから」
「……スミッツはどうしたんだ?」
「あいつが住んでるのは居住区の方だからな。朝っぱらからわざわざ呼び出すのも忍びねえだろってことで、ここには呼ばなかったんだよ」
「まあ、どうせごはん食べたらすぐスミッツのところに行くし。挨拶は向こうで改めて、ね?」
「とは言え懐かしいですな。十四ヶ月ぶりですか。こうして皆で食卓を囲むのも」
「うん。イークが揃って、私たち、やっと──やっと〝救世軍〟になったわ」
そう言って嬉しそうに笑ったカミラの横顔が、窓から斜めに注ぐ日を浴びてまぶしかった。イークはそんな彼女を思わず目を細めて見つめている自分に気づき、とっさに視線を向かいへ投げる。
そこではギディオンが穏やかに微笑み、ウォルドもまんざらでもなさそうにラビオリを掻き込んでいた。こんなときくらい食うのをやめろと言ってやりたかったが、誰が何度忠告しようと聞かないのがウォルドという男だ。
(……変わらないな)
そう、変わらない。何もかもフィロメーナが生きていた頃のまま──というわけにはいかないけれど。でも、自分が本当に大切に思っていたものは今も昔のまま。
ここは間違いなく〝救世軍〟だ。
「天に坐す我らが父よ。今日も変わらぬ恵みに感謝し、太陽神シェメッシュの恩愛を敬い、愛すべき家族、友人、隣人と過ごす人生のひと時に、あなた様の加護と平穏を祈ります──栄えあれ」
やがてカミラが手を合わせながら故郷の食前の祈りを捧げ、イークは久方ぶりのまともな朝食にありついた。
もっともひとりで全部たいらげるのはやはり不可能だったので、笑われたり文句を言われたりしながら他三人の胃袋を借りる羽目になったが。
食事のあとは再びカミラに案内され、今度は城の北側にある牧場へ向かった。ほどよい高さの木柵で組まれた囲いの中には、若く健康そうな馬が何頭も放されており、傍には厩舎も連なっている。
イークはその中から馬の合いそうな馬を一頭借りて、コルノ島散策へ繰り出した。カミラも厩舎から自分の馬だという月毛を曳き出し、隣に並んで駆け始める。
そこから彼女の案内に従って、ぐるりと島を一周した。桟橋がどこまでも連なる東の船着き場を経由し、南の造船所、西の墓地、中部の牧草地、さらに北に広がる広大な農園へ。収穫を待ち侘びる麦畑の向こうには、湖魚を養殖するための囲いが見える。コルノ島で消費される食糧の半分は、この農園とタリア湖の恵みによって賄われているらしい。
残りの半分はあちこちの商人から買い集めていたというが、オディオ地方が救世軍の領土となったことで糧秣の問題は今後かなり軽減されるだろうとカミラは言った。何せハーマン・ロッソジリオが治めるあの地方は、比較的豊かなことで知られる黄皇国内でも第三位に輝く穀倉地帯だ。
さらに大規模な農園をいくつも抱えるレーガム地方やパウラ地方と比べるとさすがに見劣りするものの、それでも今の救世軍にとっては充分すぎる資源があそこにはある。懸念があるとすればかのガルテリオ・ヴィンツェンツィオが治めるイーラ地方と北の領境を接していることだが、数ヶ月前から黄皇国の内紛を好機と見たシャムシール砂王国が派手に暴れ回っていて、しばらくは中央第三軍が南下してくるおそれもないだろう──というのが軍師であるトリエステの見立てらしかった。
「とすると、目下の問題は北より南か。大将軍ファーガス・マーサーが率いる中央第四軍……あれが動き始めると厄介だな。ファーガスは攻めも守りも柔軟にこなす戦巧者だって話だし」
「うん。トリエステさんの話では、私たちがオディオ地方に攻め込んだ直後から第四軍が軍備の増強を始めたって。ハーマン将軍はオヴェスト城が再建するまでの間、〝救世軍は戦闘の末撃退した〟って言って何とか国の追及を躱してたんだけど、ファーガス将軍は初めから狂言だと見抜いてたみたい。あの人はガルテリオ将軍ともかなり親しいっていうし……」
「ってことは砂王国の動静如何で、北と南から同時に攻められる可能性もあるってことか。ガルテリオとファーガスが連携して攻めてくることがあれば、それが一番厄介だな。いくらハーマンが『鉄』の異名を持つ将軍とは言え……」
「そうね。ただトリエステさんは相手がハーマン将軍である限り、ファーガス将軍が単独でオディオ地方を攻めてくることはないだろうとも言ってたわ。第四軍は確かに攻めも守りも得意な万能の軍だけど、だからこそ決定打に欠けるからって」
「つまりハーマンの〝盾〟を破れるだけの〝矛〟を持ってないってことか?」
「そういうこと。そのことをファーガス将軍もよく分かってるから、無策のまま突っ込んでくるような真似はしないだろうって。第四軍が動くとすれば、他の軍団との連携が取れると踏んだとき……だから警戒すべきは第四軍の動きよりも、国中に散らばってる他の軍団の動きだってトリエステさんは言ってたわ。いくらオディオ地方を落としたとは言え、まだまだ周りは敵だらけなのよねー、私たち。そう考えると何だか気が遠くなるっていうか……」
半刻(三十分)ほどかけて農園をあちこち見回ったあと、今度は島の中心部へ向かって馬を進めながら鞍上のカミラがため息をついた。
確かに今の救世軍は、端から見ればタリア湖上の小さな島に押し込められて四方を敵に囲まれている状態だ。唯一西岸にある獣人居住区と、その先にあるオディオ地方の解放は実現したが、広大なトラモント黄皇国の地図を広げれば、苦労してようやく勝ち取った土地がいかにちっぽけかを痛感させられる。
されどジャンカルロの時代から救世軍を知るイークにとっては大きな一歩だ。
自分のことを唯一無二の友人と呼んでくれた男が率いていた頃の救世軍は、物陰に潜みながら敵を襲って逃走する、そんな戦い方しかできない弱小組織だった。
ジャンカルロとていずれは大軍勢を指揮し、黄皇国という国を根底から覆すことを夢見ていたのだろうが、それにはもっともっと長い──途方もなく長い歳月を要すると彼もフィロメーナも考えていたのだ。
ゆえにイークにとって大国・トラモント黄皇国の一部を切り取り、自分たちの領土にしてしまうなんて野望の実現は長らく夢のまた夢だった。
ジャンカルロの死後は特に、目の前の戦いをどう切り抜けるかと智恵を絞るだけで精一杯で、そこから先の展望なんて正直なきに等しかった。
ところがほんの十四ヶ月救世軍を離れて戻ってきてみれば、組織は一万五千もの兵力を抱える大軍勢となり、今やひとつの国家と呼んで差し支えないほどの力を蓄えている。この状況がどれほどのものか、きっとカミラには分かるまい。
自分やフィロメーナが文字どおり血の滲むような努力をしても叶えられなかった夢を、彼らはたった一年足らずの間に押し進め、とうとう実現してしまった。
これもすべてはジェロディが三代目の総帥となり、トリエステが彼の偉業を支えた結果なのかと思うと、イークは改めて己の非力さを思い知らされる。
「……やっぱり俺には向いてなかったんだろうな」
「え? 何か言った?」
と、少し先を行くカミラに尋ねられ、「いや」とイークは首を振った。考えれば考えるほど自虐的な思考に浸りたくなるが、そんな行為に意味はない。
過去に溺れて沈むような真似はもうやめだ。どんなに悔やみ、願ったところでフィロメーナは戻ってこない。ならば今はただ前を向き、前に進む。
自分にできることはそれだけだ。道半ばで立ち止まり、過去を惜しんでいる暇があるのなら──彼女が夢見た世界へ辿り着くために、一歩でも前へ。
(お前もそうしてきたんだろう、カミラ)
農園から伸びる土の道を、馬を歩ませ戛々と行くカミラの背中を、イークはもう一度瞳を細めて眺めやった。あれほど傷つき、ボロボロになってなお前に進むことをやめなかった彼女を、自分も見習わなければならない。
(……まさかこいつに生き方を諭される日が来るなんてな)
記憶の中のカミラはまだあんなにも小さくて、穢れも痛みも知らない無垢の塊だったのに。その彼女が自分を導き道を示す姿に、自然と口角が持ち上がる。
(エリク、見てるか。お前の妹は──)
「──あ、見えてきた! あれがスミッツの工房よ!」
農園から四半刻(十五分)ほど馬を歩ませた頃だろうか。不意に前を行くカミラが声を上げ、道の先に見える煉瓦造りの建物を指差した。灰色の巨石で組まれたコルノ城とも木造の船渠が並んでいた南の造船所とも違う、独特な風合いの建物だ。外壁は淡い黄土色や茶色の煉瓦が積み上げられて斑模様になっており、屋根から突き出た何本もの煙突と同じ数だけ取りつけられた巨大な水車が人目を引く。
どうやらこのあたりにはタリア湖から島内へ水を引くための水路が走っているらしく、水車は水の流れを受けてゆっくりと回転していた。
汲み上げた水を撒き散らしながら回る水車の音は、夏に聞けば涼しげで耳に心地良いのだろうが、今時期はちょっと寒々しい。
「何だ、あの水車は? ボルゴ・ディ・バルカの工房には、あんなのついてなかったと思うが……」
「あれは水車鞴よ。水車が回ってる間は一定の間隔で炉に空気が送られるから、火力の維持に便利なんですって。元々はライリー一味が使ってたのを、スミッツも自分の工房に取り入れたの。人力の鞴や神術じゃ、どうしても火力にムラが出るって言ってね」
「へえ……湖賊風情が、ね」
少しずつ近づいてくる工房を眺めながらイークは昨日、トリエステの仲立ちで引き合わされたライリーなる男の姿を脳裏に思い起こした。
実際に面会したライリーは噂どおり尊大かつ気性の荒そうな人物で、水車鞴などという画期的な装置を開発し運用する手腕があるとはとても思えない。
何しろライリーはやってきたイークを見るなり「てめえがカミラの男か?」だの「ジェロディごときに負けたと噂の元副帥殿」だのと底の浅い挑発を仕掛けてきて、あげくの果てには「俺様とキャラが被ってるから出直してこい」──どうやらイークが青い装身具や外套を身につけているのが気に食わなかったようだ──とわけの分からないイチャモンをつけられた。イークが部屋を去る間際、「いや、待てよ。こいつならあの変態も……」と意味深な発言をしていたのは気になるが。
「おっじゃまっしまーす」
ほどなく辿り着いた工房の入り口に馬をつなぐと、イークとカミラは連れ立って分厚い木製の扉をくぐった。外の水車が回っているということは、今も炉に火が焚かれている証拠だろうとは思ったが、扉を抜けた先はやはり暑い。熱が籠もって、ここだけ夏が居残っているみたいだ。
「おいおい、今日と明日は職人も休みなんじゃ……?」
仕事がないはずの休日にまで、わざわざ火を焚いているとは一体どうしたことだろう。イークはチラチラと舞う火の粉から顔を庇うように腕を翳し、工房内の様子に目を凝らした。
建物の中は特に仕切りなどもないだだっ広い空間だ。奥には炉がいくつも並んでいて、同時に複数人の鍛冶師が作業できる造りになっている。炉の傍には鉄床や作業道具が並べられ、壁にはずらりと立てかけられた完成品の武具、武具、武具。さらに部屋の真ん中には、石炭が山盛りになった木箱が並べられている。
イークはその木箱の向こうに、炉端で話し込むふたつの人影を見た。他に人気はなく、火が入っているのも彼らが覗き込んでいる中央付近の溶鉱炉だけだ。
そこから金鋏を使って何か取り出し、難しい表情で唸っているのはスミッツだった。傍らにいるもうひとりの人物はこちらに背を向けているため顔が分からない。
「──こいつはすごいな。燃やしてみて分かったが、コレは確かに天然の骸炭だ。おれたち鍛冶師の間では煽石という。ここらではなかなかお目にかかれるもんじゃあないんだが、倭王国ではこんなのがゴロゴロ採れるってのか?」
「ええ、そうよん。行ってみれば分かると思うケド、倭王国ってとにかく山が多くてしかも大半が火山なのよ。だから良質な石炭が採れる地層に恵まれてるの。だけどあの国じゃ、石炭は燃やすと煤がひどいからってあんまり人気じゃなくてねえ。おかげで嘘みたいな廉価で取り引きされてるのよ」
「だが倭王国にだって鍛冶師はいるだろう? 前にライリーやロンが腰に提げてる狭霧刀ってのを見せてもらったが、ありゃとんでもない代物だ。この道二十年のおれでさえ、あんな生き物みてえな鋼は見たことがない。倭王国の鍛冶師ってのは一体どうやってアレを打ってやがるんだ?」
「さあ? アタシは鍛冶に関しては専門外だから、訊かれても分かンないわ。ただ倭王国では鍛冶の炉に石炭じゃなくて木炭を使ってるって聞いたわねえ。あそこは山が多いぶん木炭の生産が盛んだし、石炭なんか見向きもされてないのよ。だからコレを買いつけてこいって言うなら、いくらでも買ってきてあげるケド?」
「鍛冶に木炭だと? 馬鹿な……それじゃ炉の温度が……いや、敢えて低温で加工することに意味があるのか……?」
「あ……あのー、スミッツ? もしかしてお取り込み中?」
何やら目の前で燃える石炭に熱中しているらしいスミッツに、カミラが恐る恐るといった様子で声をかけた。すると煤まみれの口布を下げたスミッツがはっとした様子で振り返り、こちらの姿を認めるなり破顔する。
「おう、イーク、カミラ、来てたのか。悪いな、ちと話し込んでて気づかなかった。確かイークの剣を研ぎに出したいって話だったな」
「ああ。悪いな、せっかくの祭りの日だってのに。完成は休日明けで構わないから……」
と、濃紺色の鞘に収まった剣を差し出しながら、イークはふとスミッツの傍らに立つ人物へ目をやった。そこでバチリと視線が搗ち合い、ぎょっとして声を呑む。
何故なら派手で奇天烈なキモノをまとい、何をどうしたらそうなるのかよく分からない色の髪の下からじぃっとイークを見つめていたのは──オカマだった。
まごうことなきオカマだった。
話し声を聞いた段階では、ずいぶん野太い声の女だなと思っていたが違う。逆だ。野太い声の男が女口調で喋っていたのだ。だがこれは一体何の悪夢だ? 頭痛を催すほど甘ったるい香水の匂いを撒き散らし、どぎつい厚化粧をしたその男、いや、オカマは数瞬の間、カッと見開いた眼でイークを凝視したかと思いきや、
「きっ──キャアアアアアアッ!? ちょっとカミラ、スミッツ! 誰よこのイイ男は!? こんなイケメンが島にいるなんて聞いてないわよ!?」
と、世界が滅びそうなレベルの奇声を上げた。
というか、聞いた瞬間イークの中で何かが滅んだ。確実に。
「えっ、あっ、やばっ、ジュリアーノ、ちょっと待──」
「はじめましてイケメンくぅん! アタシの名前はジュリアーノ、ぜひ愛と親しみを込めて〝ジュリア〟って呼んでちょーだい!? でもってアンタのことは今日から〝ダーリン〟って呼ばせてもらっていいかしらァ!?」
「はッ……? なんっ……いや、待て、俺にそういう趣味は──」
「ああん、鍛え抜かれた上腕二頭筋にとぉってもセクシーな胸板、引き締まった腰、頬擦りしたくなるような大腿筋……マッチョすぎず細すぎない完ッ璧なボディバランス……! 最高よ……アナタ、ライリーにも並ぶ最高の逸材だわ! おまけに顔もアタシ好みだなんてェ! ああッ、もう好きにして! 抱いて! アタシをメチャクチャにしてというか何ならアタシがアンタをメチャクチャにしちゃってもいいかしらァ!?」
「ちょっ……やめろ、待て、放せ、近い! つーか何だよこの馬鹿力は!? おいカミラ、今すぐこいつを何とかし──ギャアアアアアアア!?」
初来島から二日目の朝。かくしてイークは、島中の人間から熱烈な歓迎を受けた……そう、それはもう熱烈な歓迎を。
新生救世軍は志を同じくする限り来る者を拒まない。拒まなすぎだ。いや、だからこそこれほど劇的な組織の拡大を成し遂げることができたのかもしれないが。
果たして自分はこの島で上手くやっていけるのか……というより生き残れるのか、イークは甚だ疑問だった。もしかしたら来る場所を間違えたのかもしれない。
されどそんな彼の心中など露知らず、正午を告げる鐘は鳴る。




