219.千客万来
島の西側を迂回して東の桟橋に降り立ったとき、カミラたちはぽかんと口を開けて上空を見上げてしまった。
獣人居住区からの最終便。これにて遠征に出ていたメンバーの回収は終了だ。ひと仕事終えたレナードら湖賊一行は慣れた手つきで舫を結びつけるや、やれやれといった様子で城への帰路へ着く。
だが待ってほしい。彼らは何故ああも平然としていられるのだろうか。長年暮らしてきたコルノ島からすっかり霧が消えているというのに。
いや、そう言えばライリー一味はカミラたちが獣人区解放のために奮戦している間、ほとんどが島に留まっていたのだっけ。だから島から霧が消えたことはとうの昔に知っていて驚かないというわけか。
しかしそれなら、一緒に船を降りてきたトリエステまで涼しい顔をしているのはどういうわけだろう。彼女も一度島を離れてから戻ってくるのは今日が初めてのはず。あの霧はコルノ島の防衛になくてはならない障壁ではなかったのか。
一体全体何がどうなっているのか分からない。まるで一端の港町みたいに賑やかなコルノ島の船着き場で、カミラたちは状況が飲み込めず立ち尽くした。目の前を右へ左へ行き交う湖賊たちは「よう、戻ったのか」とか「お疲れさん」とかのんきに声をかけてくるばかりで、誰一人としてカミラたちの困惑を察してくれない。
「おう、お前さんら。ようやっと戻ったのけえ。今回はずいぶんと長旅じゃったのう、ご苦労さん」
かと思えば、今度は頭上からのんびりした声が降ってきた。ちょっといがらっぽくて訛りのキツいあれは船大工のロンの声だ。
カミラは再び顎を上げ、声のした方を仰ぎ見た。そこには今日も今日とて不気味な外観をした海賊船──クストーデ・デル・ヴォロ号が停泊していて、甲板にはこちらを見下ろすロンの姿がある。隣で船縁に寄りかかっているのはカルロッタだ。何とも珍しい取り合わせだなと思いつつ、カミラは地上から声を上げた。
「ロン。あなた、そんなところで何やってるの?」
「ワシかあ? ンなもん決まっとるじゃろ。ちょうど今、カルロッタに頼み込んでこのデルフィーナの中を見さしてもらっとったところでのう。思えばワシゃあ、今まで外洋船っちゅーもんに乗ったことがついぞなくてなあ。じゃけん、コイツを見れば何か新しい船のアイディアが湧くんじゃねーかと思って……」
「だーかーらー、その妙な呼び方をやめろっつってんだろうが、船オタク! こいつはクストーデ・デル・ヴォロ号、〝デルフィーナ〟なんて名前じゃねえ! 勝手に気色悪ィ名前をつけんな、叩き落とすぞ!」
夏の暑さにも負けず、本日もしっかり海賊帽を被ったカルロッタはご立腹で、船縁に背を預けたまま怒鳴り散らしていた。一方、船を見たら女性の名前をつけずにはいられないらしいロンはとぼけた顔をしながら「なんでじゃ、かわいくてぴったりの名前じゃろうが」と空気の読めない返事をしている。
色々とつっこみたいところはあるものの、カミラは病み上がりでまだそんな元気が湧かなかった。ゆえにただ呆れて突っ立っていると、ときに横から進み出てきたトリエステがすっと二人を見上げて言う。
「お二人とも、ご苦労様です。既に報告は聞いていますが、こちらは大勝だったようですね」
「あァ!? ったりめーだろーが! アタシのクストーデ・デル・ヴォロ号が陸の船ごときに負けるかっての! しばらく攻めてくる気も起きねーように、徹底的にぶっ潰してやったわ! 楽しかったぜ、クソトラモント人どもの怯えた顔を拝むのはな!」
「デルフィーナな」
と、ロンが律儀に横から訂正するので、いよいよ堪忍袋の緒が切れたらしいカルロッタがいきなり裸絞めをキメ出した。後ろからギリギリと首を締められたロンは悲鳴を上げて「ギブ、ギブ!」と船縁を叩いているが、正直すごくどうでもいい。
カミラは船上の二人から視線を下ろし、何か事情を知っているらしいトリエステを顧みた。同じ結論に達したのだろう、ジェロディもまた不思議そうな顔で長身のトリエステを見上げている。
「トリエ、〝大勝〟ってどういうことだい?」
「実は我々が獣人居住区の解放に動いている間、島に残ったライリー殿とカルロッタには、北のエグレッタ城に拠る中央第二軍を攻めてもらっていました。つまりリリアーナ皇女殿下率いるトラモント水軍を、ということですが」
「えぇっ……!?」
まったく予想外の返答に、一同は揃って驚愕の声を上げた。自分たちがハーマン率いる中央第五軍と死闘を繰り広げていた裏で、ライリー一味とライモンド海賊団がトラモント水軍と戦っていた? そんな話は初耳だ。
「だ、だけどどうして第二軍と交戦なんて……僕たちはエグレッタ城を攻めるなんて聞いてないし、二方面で同時に中央軍を相手にするなんて無茶苦茶だ。今の話を聞く限り、こっちも勝てたみたいだから良かったものの……」
「ご報告が遅くなったことはお詫び致します。ですが第二軍への攻撃は、ほとんど勝利が確定していたために断行しました。我々が第五軍と交戦すべく大半の兵力を陸に上げたことが知られれば、第二軍は間違いなくコルノ島を攻めてくる。それを未然に防ぐためにライリー殿と協議の上、こちらから攻撃を仕掛けることにしたのです」
トリエステの話によれば、経緯はこうだ。
まず今からふた月前、コルノ島で戦支度を整えていたトリエステたちのもとへ、先に獣人居住区へ渡ったカミラら先遣隊から出陣を要請する使者が届いた。その使者が携えてきた文によりハーマンが魔物の支配下に置かれていること、及びルシーンが彼を使って古代兵器の獲得を狙っていることを知ったトリエステは、ただちに全軍での獣人区上陸を決断したそうだ。
だがそうなると島の防衛に残せるのは水軍を担っているライリー一味と、まだ軍隊としての調練を受けていない新兵のみ。これでは外敵に「どうぞ攻めてきて下さい」と言っているようなもので、本拠地がガラ空きという後顧の憂いを残すことになる。
何しろいくら霧のベールがあったところで、島から兵を出すために往復する船の姿は外部から丸見えだ。ゆえにトリエステは島の兵力の大半が獣人区へ向かったことを、トラモント水軍に察知されるのを恐れた。ならばと案じた一計が〝攻められる前に攻める〟戦法だ。
幸いなことに救世軍は獣人居住区の問題に首を突っ込む直前に、ライモンド海賊団という新たな水上戦力を獲得した。しかも彼らが乗りつけてきた海賊船クストーデ・デル・ヴォロ号には、『鉄』のハーマン率いる第五軍をも震撼させた神術砲という名の秘密兵器が載っている。
どのみち神術砲の存在は、第五軍と戦闘になれば世間に知れ渡ること。ならばかの兵器の威力が周知され、対策を打たれる前に、トリエステは救世軍の天敵であるトラモント水軍を討つことにした。攻撃は最大の防御なり、というやつだ。
結果として、タリア湖上で神術砲の脅威に晒されたトラモント水軍はあっという間に敗走。ライリー一味がそこに苛烈な追撃を加え、実に三千以上の敵兵を討ち取った。獣人居住区でトリエステが演じたアシュタ川の戦いも凄まじかったが、こちらはこちらでとんでもない大勝利を収めていたというわけだ。
おかげでトラモント水軍は潰滅的な打撃を受けた。彼らが再び水戦に必要な兵と船団を揃えるには膨大な時間がかかる。
そして仮に軍の立て直しが成ったとしても、こちらに神術砲を搭載したクストーデ・デル・ヴォロ号がある限り、第二軍はコルノ島進攻に対して慎重にならざるを得ないだろう。何せ彼らを率いる統帥は、現在のトラモント黄皇国で最も有力な皇位継承者であるリリアーナ・エルマンノなのだから。
「殿下を危険から遠ざけるためにも、その名誉をお守りするためにも、中央第二軍は今後迂闊にはこちらを攻められません。そうした状況を作り出し、コルノ島の守りをより強固にするために、今回はライリー殿にひと肌脱いでもらったというわけです。もちろんカルロッタを始めとするライモンド海賊団の活躍もめざましいものでしたが」
「じゃあもしかして、島の霧がすっかり晴れてるのは……」
「はい。先の大勝のおかげで、コルノ島が外敵の脅威に晒される確率は格段に下がりました。ゆえに我々はもう逃げも隠れもする必要がありません。今後は堂々と救世軍の旗を宣揚し、この島から国中の人々へ呼びかけることができる。民衆よ、立ち上がれと──これを機に我が軍は、ますます飛躍的な成長が望めるでしょう」
頼もしいトリエステの宣言に、一行は顔を見合わせた。すると仲間たちの顔にみるみる喜びが弾け、「やったぁ!」と思わず歓声が上がる。
ここからが本当の新生救世軍の出発だ。カミラたちはオヴェスト城の戦いで少なくない犠牲を払った。しかしたった二千の軍勢が中央軍を破ったという歴史的快挙は、あっという間に全国へ広まるだろう。
そうなればまた国中から世直しの志を燃やした志願兵たちが集まってくる。現在オヴェスト城の再建のため、敵対を装っているハーマンやコラードも、城の復旧が終われば可能な限りの兵力を連れて救世軍に合流してくれるだろう。
いよいよ救世軍が黄皇国と互角に戦えるときがやってくる。今がまさに歴史の転換点だ。自分たちが今日まで戦い続けてきた事実は、決して無駄にならなかった。
(ついにここまで来たよ、フィロ──)
彼女が願ってやまなかった理想に、また一歩近づく。亀が歩むような遅々たる一歩だとしても構わない。救世軍は勝ったのだ。そしてまだまだ進み続ける。歩みを止めず、フィロメーナの夢を叶える日まで。
「お、ライリー」
ところが刹那、カミラは再びロンの声を聞いた。どうやら平に陳謝することでようやくカルロッタの裸絞めから解放されたらしいロンが、喉元を押さえながら城の方へ目をやっている。彼の視線の先を追えば、そこには確かにライリーの姿があった。二ヶ月半ぶりに会う彼は一人で、ずんずんとこちらへ歩いてくる。どうやらカミラたちの帰還をレナードあたりから聞きつけてきたらしい。
だがその剣幕はどう見てもカミラたちを出迎えにきた……わけではなさそうだ。青い鉢巻きが巻かれた金茶色の髪は心なしか逆立ち、表情は険しく、明らかに殺気立っている。まるでこれから戦にでも赴くかのような形相だ。
異変を察知した一行はなんだなんだとざわついた。まさか自分たちの知らないところで、またトリエステが彼と仲違いしたとか……?
「よう。戻ったか、トリエステ」
「ええ。ただいま帰還しました、ライリー殿」
やがてカミラたちの目の前までやってきたライリーは、一段とドスのきいた声で開口一番にそう言った。それに答えるトリエステはいつもどおりけろりとしていて、カミラは彼女の背中に〝怖いもの知らず〟という貼り紙をしたくなる。
「戦捷の報告は伺っています。大勝おめでとうございました。我々の不在中、島で何か変わったことは……」
「今はそんなことはどうでもいい。トリエステ、てめえに話がある」
「何でしょう?」
「お前──今すぐ俺の女になれ」
「は……はあああああああっ!?」
驚愕したのはトリエステではなく、後ろで話を聞いていたカミラたちの方だった。あまりにも唐突すぎる告白──なのだろうか、今のは?──に全員が度肝を抜かれ、仰け反り、目を白黒させながらライリーを凝視する。
「ちょっ……ちょっ、ちょっ、ちょっとライリー、あんたいきなり現れて何言ってんの!? しばらく会わないうちに頭がおかしくなっちゃったとか……!?」
「うるせえ、外野は引っ込んでろ。これはこいつと俺の問題だ」
「い、いや、それはそうだろうけど……!」
「元はと言えばこの件は、こいつが自分で播いた種だ。何たってこいつが自発的に言い出したことなんだからな。つーことは当然、落とし前もしっかりつけてくれるんだよなァ、トリエステ……!?」
「……。ライリー殿、もしや──」
と、トリエステが何か口を開きかけたときだった。彼女の言葉を遮るように、先程ライリーが歩いてきた方角から、
「──ライリィ~ん!」
と聞き覚えのない、妙に甘ったるくて粘っこい声がする。
途端にライリーの額からドッと汗が噴き出した。かと思えば彼はたちまち顔面蒼白になり、こちらを向いたまま瞬きすらしなくなる。
しかもよくよく見れば、キモノを羽織った肩がカタカタと震えているではないか。カミラは目を疑った。まさかとは思うが、いや、しかし、
(あ、あのライリーが怯えてる……!?)
刀に手をかけたまま立ち尽くすライリーはダラダラと大量の汗を流し、顔色も卒倒寸前という感じだった。一体何が起きているのかと目をやれば、そこには大きく手を振りながら、やたらと軽快に駆けてくる人影がある。
身長は恐らく三十七葉(一八五センチ)ほど。ヴィルヘルムやオーウェンに並ぶ長身だ。ガタイもよくて、大きく広がった衣服の袖口から引き締まった二の腕が見える。見るからに独特な構造の衣装は、ライリーやロンが身にまとっているのと同じキモノの類だ。腰には大小二本の刀も差さっているから、もしかすると湖賊の一員なのかもしれない。
だがそれにしては何だか妙だ。というのも、まず着ているキモノが派手すぎる。白い布地に鮮やかな彩りの花々が描かれ、紫色の蝶が舞う裾の柄──あれはどう見ても女の装いだ。
きっと東の海に浮かんでいるという倭王国では、女はみんなあんな感じの美しい衣装に身を包んでいるのだろう。男物のキモノとは違い、脚衣ははかないのが主流なのか裾はたくし上げられて、長い脚がすらりと覗いている。セクシーだ。
そして何より目を引くのが、手を振り駆けてくる走り方。
その人物は赤くて底に歯のついたサンダル?のようなものが地面に触れるたび、クネッと悩ましく腰を曲げた。右足が地につけば腰は左へ、左足が地につけば腰は右へといった感じだ。あれはもしやあのサンダルのような履き物のせいなのだろうか。確かに靴底が奇っ怪な形状をしていて、ひどく走りにくそうではある。
でもだからって、あそこまで腰をクネクネさせて走る必要があるだろうか? むしろ体勢が崩れやしないか? というか無駄にクネクネしすぎじゃないか?
やたらめったら、腰の細さを強調するみたいにクネックネックネックネッと尻を左右に振りながらやってくる彼は──そう。
彼は誰がどう見ても、男だ。
繰り返すようだが、そこそこガタイがよくて長身の。
「ンもう、ライリーったら! 話の途中で急に飛び出していっちゃうんだもの、びっくりしたわあ! アタシみたいなレディをあんな野獣だらけの城に置いてきぼりにするなんて、失礼しちゃう! ま、アタシはアンタのそういう気がきかないところも好きなんだけど──ネッ?」
コルノ城の方角から走ってきた異形の……いや、異装の男は駆けながらそんなことを口走るや、最後の一歩を大きく踏み出した。
サンダルらしき履き物の歯で地面がゴリッと抉れ、男の体が美しく跳躍する。彼はそのまま後ろからライリーに抱きつこうとしたようだった。
ところが大きく広げられた両腕は空振りし、スカッと何もない宙を掻く。男は「あら」と残念そうな反応をすると、拗ねたような顔で視線を上げた。
そこにはいつの間にかトリエステの後ろに隠れ、ガタガタと震えているライリーの姿がある。ピナフォアドレスの下に着た薄いブラウスを掴まれたトリエステは、控えめに言って迷惑そうだ。
できれば今すぐどこかへ行ってもらいたい、と言いたげにライリーを一瞥し、次いで彼女は突如として現れた変質者……もとい闖入者へ目をやった。
なんでアレを前にして動じないんだろうとカミラは青い顔で思ったが、答えはすぐに判明する。
「お久しぶりです、ジュリアーノさん。相変わらずお元気そうですね」
「ジュ……〝ジュリアーノ〟……!?」
トリエステが呼びかけた男の名を聞いたとき、カミラの脳裏をよぎったのは「あれが!?」という驚きの感想だった。ジュリアーノと言えばカミラたちがこの島へ来たばかりの頃、トリエステがライリーを諭す際に繰り返し唱えていた呪文だ。ライリーはいつだって短気で横暴なくせに、トリエステの口から彼の名が紡がれると、途端に首輪をつけられた犬みたいになった。
しかしその理由が今、ようやく分かったような気がする。ライリーはアレを恐れていたのだ。ジュリアーノの正体を知った今、カミラですら「そりゃ怯えるわ」と心底彼に同調する。明らかに男でありながら、女の仕草で女の言葉を話す者。カミラはああいう手合いをハノーク語でなんと呼ぶのか知っている。
オカマだ。まごうことなきオカマだ。
カミラも噂に伝え聞いていただけで、実物を目にするのはこれが初めてだけど。
「あら、ヤダ! 誰かと思えばブレナンちゃんじゃないのぉ! 久しぶりねぇ! そっちも元気してた?」
「ええ、おかげさまで。今はブレナンではなくトリエステと名乗っておりますが」
「あっ、そうだったそうだった! だいたいのいきさつはジョルジョちゃんから聞いたわよぉ。アナタも色々大変だったみたいねぇ。だけどまさかアナタがあのオーロリー家の関係者だったなんて、アタシびっくりしちゃった!」
「ええ……こちらにも事情があったとは言え、長らく偽名を名乗っていたこと、心よりお詫び致します。名前ばかりか出自についても嘘をつき、皆さんを騙していたわけですから」
「ンフッ、いいのいいの! 他はどうだか知らないケド、アタシは全然気にしてないわよぉ! だって女には一つや二つ、人には言えないような秘密があって当然だもの。野暮な男どもには分からないでしょうけど、ネッ」
と、濃紺色の瞳をやけにキラキラさせながら、ジュリアーノと呼ばれた男……いや、オカマはパチンッとウインクしてみせた。正直カミラはその時点でドン引きだったのだが、既に免疫ができているのかはたまた心臓が鋼でできているのか、トリエステは動じない。
「ところで、ジュリアーノさんは──」
「あーっ、待って待って、待ってちょーだいッ! 〝ジュリアーノさん〟だなんて他人行儀な呼び方、傷つくわぁ! 前にも言ったかもだケド、せっかくアナタの本名も分かったことだし、今後アタシのことは遠慮なく〝ジュリア〟って呼んでくれてイイのよ? ンフッ」
「ありがとうございます。ですが前回もお伝えしたとおり、私は人を愛称で呼ぶことに慣れておりませんので、慎んでご遠慮させていただきます。それはそうと、ジュリアーノさん。わざわざご来島いただいたということは、もしや例の件、渡りがついたのでしょうか?」
「あッ、そうそう、そうなのよぉ! アタシは今回トリエステちゃんに用事があって来・た・の! なのにライリーったら、アタシの顔を見るなり〝帰れ!〟なんて怒鳴って追い返そうとするもんだから〝ヒドイじゃない!〟ってお説教してたところでね? まったくこの島の男どもはほんっとデリカシーがないんだから。女を何だと思ってるのかしらねえ」
いや、少なくともあなたはどこからどう見ても女性ではありませんが? とつっこみたい気持ちをどうにかこらえて、カミラはことのなりゆきを見守った。ライリーから極端に拒絶されている様子のジュリアーノは、ふぅっと悩ましげなため息をつきながら、マシューにも負けないくらいサラサラの髪をサッと払っている。
しかしその髪の色がまたどぎつい。だってピンクだ。ピンクなのだ。
しかもラフィのローズブロンドのような、自然な感じのピンクじゃない。明らかに何かで染めている。ついでに言えば化粧も過剰でけばけばしい。さっきから妙に鼻につく甘ったるい匂いは、恐らくだが香水だろう。
「ま、だけどアナタが戻ってきてくれて安心したわ。これでゆっくり話ができそうネッ。でも本題に入る前にトリエステちゃん、実はアナタにお願いがあるの」
「お願い、ですか? 私にできることであれば……」
「できるできる! というかむしろアナタにしかできないことよぉ! っていうのもね、アナタさえよければ今日一日ライリーを貸してほしいんだけど……」
「ああ……そんなことですか。もちろん構いませんよ」
「構わなくはねーだろオイ!? なあ、トリエステ!? お前からもう一遍、こいつにビシッと言ってやれ! お前は俺の女で、俺もてめえみてえなオカマ野郎にゃ毛ほども興味はねえんだってな!」
「失礼な、アタシはオカマじゃなくてオネエよ!」
ジュリアーノはカッと眦を決してそう主張したが、カミラにはオカマとオネエの違いがよく分からなかった。というか正直な話、どっちでもよかった。
気になったのはジュリアーノがオカマであるかオネエであるかではなく、ライリーが勝手にトリエステを〝俺の女〟呼ばわりしている点だ。
恐らくはジュリアーノの追求を退けるための方便なのだろうが、トリエステの方は一体どう思っているのだろうと目をやれば、
「ライリー殿──残念ですが、私はあなたの所有物になった覚えはありません。たとえ冗談であったとしても、虫酸が走りますのでやめて下さい」
「ハア……!?」
まるで虫けらを蔑むようなトリエステの眼差しと返答が、ライリーの最後の希望を打ち砕いた。唯一の頼みの綱であった彼女に突き放されたライリーは怒りのためか絶望のためか、とにかく全身をわななかせながら言う。
「おいトリエステ、てめえ話が違えだろうが……! 前回こいつが来たときは、てめえが勝手に俺の女だっつってしゃしゃり出てきて……!」
「それはあの頃の私が、あなた方に養っていただいている立場の人間だったからです。私が恋人であると主張すれば、ジュリアーノさんも一旦はライリー殿への求愛を考え直して下さるだろうと思い、あなたへの恩返しのつもりでとっさに嘘をつきました。ですが今の私は、あなた方と対等な同盟関係を結んだ救世軍の軍師です。よってこれ以上、あなたを無償で庇い立てする必要性を感じません」
「て……てめえ……!」
ライリーの肩の震えがいっそう激しくなった。相変わらず顔面は蒼白だが、突然のトリエステの裏切りに彼が心底腹を立てているのは何となく伝わってくる。
ところがライリーがその怒りを爆発させるより早く、不気味な笑い声があたりに響いた。一瞬魔族でも現れたのかと身構えてしまったほど低い声の主は他でもない、ジュリアーノだ。
「ねえ、ライリー。聞いたわよ……? つまりアンタとトリエステちゃんは最初から恋人同士でも何でもなかったってことね? でもってアンタは現在進行形で、恋人募集中ってことね……?」
「い……いや、待て、落ち着け、ジュリアーノ……! と、トリエステはな、人前で俺の女だってことをバラされたのが恥ずかしいだけで……!」
「ライリー殿。今の私の表情が恥じらいのそれに見えるのでしたら、のちほどラファレイ殿に頭か目を診ていただくことをお勧めします」
「ハイ、決まりィ! 言質取ったわよォ、ライリー! そんじゃあ今日からはまた遠慮なく、アンタのハートを狙い撃ちさせてもらうわァ!」
「や、やめろ、こっちに来んなこの変態が! てめえの狙いはそもそもマウロだったんじゃねえのかよ!?」
「ざァんねェん! 実はそう見せかけて、アンタのお尻を狙ってたのよォ!」
「ぎゃああああああああ!」
断末魔の叫びが響き渡り、哀れライリーはあえなくジュリアーノに捕らわれた。逃げようとするライリーの背中に飛びかかったジュリアーノは、先刻のカルロッタよろしくガッチリと首をキメて物理的にライリーを落としてしまう。
──怖い。できれば関わりたくない。全力で。
「というわけで、ジェロディ殿。こちらは貿易商のジュリアーノさんです。ジュリアーノさんはいわばモグリの商人でして……主に倭王国との取り引きを資金源にされていますが、裏では武器や盗品などの密売にも手を出しておられます。トラモント商工組合の名簿に名前のない人物ですので、いわゆる〝闇取り引き〟を専門にされている方ですね。表の商人と大手を振って取り引きできない我々にとっては、心強い味方となって下さるでしょう」
うつ伏せに倒れ、口から泡を吹いているライリーと彼の背に馬乗りになったジュリアーノを示しながら、トリエステは昨日農園から上がった収穫でも報告するかのように後者をそう紹介した。
当然ながらカミラたちは「このひと商人なの……!?」と揃って驚愕する羽目になったわけだが、鋼の心臓を持つ女軍師は常人の動揺など意に介さない。
「ジュリアーノさんには今後様々な物資の納入や、表の商人とのつなぎをお願いしたいと思っています。彼……いえ、彼女は長年の商いによって構築された独自ルートと役人の目を欺くノウハウの双方をお持ちです。現在はトラジェディア地方の闇商人を束ねる元締めもされていますので、非常に頼りになるお方だと思っていただいて構いません」
「ンフッ、トリエステちゃんったら褒め上手なんだから! だけどそういうわけで、今後はアタシもコルノ島に出入りさせてもらうわよ。アンタたちが近頃噂の救世軍なのよねぇ? これからはどうぞ仲良くしてネッ」
言うが早いか、ジュリアーノは依然ライリーの首をキメたまま、パチンッと無邪気にウインクしてみせた。それを受けたカミラは内心さらにドン引きしたものの、彼……いや、彼女……? を怒らせるのは得策ではないような気がして、「ど、どうも……」と引き攣った愛想笑いを返しておく。
「あ、そうそう、そう言えばアタシ、ボルゴ・ディ・バルカからここへ来る途中でね。どうしても救世軍のところに連れていってほしいって頼み込まれて、一人お客さんを連れてきたのよ」
「お、お客さん……?」
「そ。さっきアタシが城を飛び出してくるときに〝一緒に来なさい〟って声をかけておいたから、そろそろ来ると思うんだケド──あっ、いたいた! アンドリア、こっちよぉ!」
ライリーを下敷きにしたままのジュリアーノが、ときに後ろを振り返り、大きく手を振ってみせた。
彼または彼女の視線の先には、ちょっと大柄で恰幅のいい人影が見える。アンドリアという名前と体格からして──今度こそ詐欺ではなく──女性のようだ。
赤茶けた髪をバレッタで豪快にまとめ、肉づきのいい体をゆっさゆっさ揺らしながら、女は大股で近づいてきた。カミラは〝アンドリア〟なんて名前の女性は知らないが、ひょっとして誰かの知り合いだろうか?
ところがそう思って首を傾げたところで、カミラは「ん?」と眉をひそめた。女が近づき、顔立ちがはっきりと見えるようになるにつれて、何やら既視感を覚えたからだ。やはり名前に聞き覚えはないものの、自分は彼女とどこかで会ったことがあるような……?
「か──」
瞬間、カミラはすぐ隣から奇声が発せられたのを聞いた。「か?」と思いながら振り向けば、そこには猫みたいなライトグリーンの両目を見開いたカイルがいる。
彼はどんどんこちらへ近づいてくる女性を見るなり、よろりと一歩あとずさった。明らかに様子がおかしい。何しろ指先はわなないて、額からは大量の汗が流れている──
「……? カイル、どうかし──」
「久しぶりだね、カイル」
尋ねかけたカミラの言葉を遮って、至近距離までやってきたアンドリアが口を開いた。女のものにしてはやや低い、やたらと貫禄のある声だ。
カミラはその声にもまた聞き覚えがあることに驚いた。やはり自分はこの女性を知っている。しかし果たしてどこで会ったのだったか、思考が答えを弾き出すよりも早く、カイルが信じ難い言葉を口にする。
「か……か……母ちゃん……」
「……え?」
さっきのライリーにも負けないくらい汗まみれになったカイルを、居合わせた全員が振り向いた。しかし彼はそれ以上言葉が出ないといった様子で、完全に固まってしまっている。そんな息子を見かねたのだろうか。ときに〝母ちゃん〟と呼ばれた女性が、豊満な頬肉ににっこりと笑みを刻んで言った。
「はじめまして、救世軍の皆さん。うちのバカ息子がお世話になってます。あたしの名前はアンドリア──ソルレカランテで『ミード亭』って宿屋をやってます、カイルの母です」




