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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第6章 世界はやさしくなんかないけれど
216/350

214.それでも僕らは許し合う

 直前までの騒乱が、夢幻(ゆめまぼろし)のようだった。

 静まり返った大広間に、生き残った者たちが脱力し、崩れ落ちる音がする。

 至聖の雨(トーハ・マタル)聖刻(ホーリー・エンブレム)最強の術と名高い光の雨が、広間を埋め尽くしていた混沌を一瞬にして(はら)(きよ)めてしまった。視界を埋め尽くしていた屍人(しびと)たちは今や物言わぬ骸へと戻り、処刑獣(ツァーリ・サバーカ)多眼獣(グラス・サバーカ)も魔族と共に消滅している。


「お、終わった、のか……?」


 得物を構えて硬直したまま、ウーが半信半疑の様子で呟いた。猿人(ショウジョウ)族に守られていたマリステアやトリエステも無事だ。マリステアは負傷兵を庇うように覆い被さり、トリエステに至っては棒状の何かを固く握り締めているけれど。


「カミラ」


 突如として訪れた静寂に、敵も味方も茫然と立ち尽くす中。ジェロディは導かれるように立ち上がり、先刻カミラが落下したあたりへ走った。

 あのあと、ジェロディたちのいた位置からは、屍人の群に遮られてカミラの姿が見えなくなってしまったのだ。おかげで彼女の安否が分からず、肝が冷えた。

 けれどいざ駆けつけてみれば、カミラはヴィルヘルムの腕の中ですやすやと寝息を立てている。相変わらず顔色は悪いものの、目立った外傷はないようだ。上空から落下した際に頭などを打っていなければの話だが。


「ヴィルヘルムさん、カミラは……!?」

「ああ……無事だ。大事はない。だが神力を使い果たしている……数日は目を覚まさないかもしれん。悪いがすぐに、レイに診せてやってくれ」


 ヴィルヘルムの答えを聞いてほっとしたのも束の間、ジェロディは彼からカミラの身柄を押しつけられ、ぎょっとしつつも抱き留めた。ラファレイが今回軍医として従軍し、後方で待機していることは知っている。が、カミラを連れて行くのなら、ラファレイとは知己のヴィルヘルムがそうした方が話が早いのではないか。

 ジェロディはそんな疑問を抱き、しかしすぐに彼の異変に気がついた。カミラをジェロディに預けたヴィルヘルムは、愛剣を床について大儀そうに立ち上がり、ふらふらと歩き出す。明らかにおぼつかない足取りで、顔色も土気色だ。額にも脂汗が浮いているし、心なしか目も据わっているように見える。


「おいヴィルヘルム、どこ行く気だ? あんた、今にもぶっ倒れそうだぞ!」

「いや……問題ない。ちょっとした野暮用だ。メイベルの術が、思いのほか効いた……」


 ウォルドの問いにそう答えながら、左眼が痛むのか、ヴィルヘルムはきつく眼帯を押さえていた。と同時に何か意味深な言葉が零れたような気がしたが、彼はそれ以上何も語らず、最後にちらとカミラへ視線をくれる。


「心配するな……すぐに戻る。カミラを頼んだぞ」


 ウォルドが再度呼び止めようとしたものの、ヴィルヘルムは聞かずに立ち去ってしまった。この広間に据えられた玉座の後ろの壁には、中央第五軍の軍章が縫われた飾り幕が垂れていて、裏に小さな扉が隠れている。

 ヴィルヘルムはその扉の存在を初めから知っていたかのように潜り抜けると、青い幕の向こうへ姿を消した。残されたジェロディたちは呆気に取られるしかなかったが、そこへヴィルヘルムと入れ違うように、メイベルが(きざはし)を駆け下りてくる。


「ジェロくん! みんなも、無事……!?」

「メイベルちゃーん! 君のおかげで助かったよー! さっきの神術、マジですごかった! 君はまさに天使だ──オフッ!?」


 瞬間、向かってくるメイベルに抱きつこうと両腕を広げて駆け出したカイルに、ケリーが無言で足を引っかけた。おかげでカイルは盛大にすっ転び、華麗な前転を決めながらあらぬ方角へと転がっていく。

 メイベルはそんなカイルをドン引きした様子で一瞥(いちべつ)したあと、何も見なかったことにしようと心に決めたようだった。そうしてカイルから目を逸らし、走り寄ってきたメイベルをジェロディたちも歓迎する。


「メイベル……! よかった、君も無事で……傷の方はもう大丈夫なのかい?」

「う、うん。えーっと、実は何が起きたのか、いまいちよく分かってないんだけど……それよりヴィルヘルムさん、どうかしたの? なんていうか、すごく具合悪そうだったけど……」

「さあな。俺らもよく知らねえが、野暮用だとよ」

「野暮用……?」


 仮にもここはまだ敵地だというのに、敵地で野暮用とは何だろう。ジェロディと同じ疑問に行き着いたのか、メイベルは小振りな顎に手を当ててしばしのあいだ考え込んだ。かと思えば彼女の細い眉の間を、微かな戸惑いのようなものがよぎる。メイベルは束の間逡巡(しゅんじゅん)したあと、自分の髪と相談するようにふたつ結いを手櫛(てぐし)で梳くや、目を泳がせながら口を開いた。


「あ、あのさ、ジェロくん。前から思ってたんだけど、ヴィルヘルムさんってもしかして……」

「え?」

「……あー、えーっと……う、ううん、やっぱり何でもない。それはそうと、ありがとう。さっきは破魔矢を届けてくれて」

「破魔矢?」

「うん。誰が届けてくれたのか知らないけど、おかげで聖刻の力を増幅できた。まさか至聖の雨(トーハ・マタル)が成功するなんて思ってなかったから、自分でもびっくり。またいつもみたいに暴走するんじゃないかってちょっと心配だったけど、何とかなったし……」


 苦笑しながらそう話すメイベルを前に、ジェロディたちは顔を見合わせた。誰か知っている者はいるかと目だけで尋ねてみるものの、いずれの仲間も首を横に振るばかり。だが破魔矢と言えば広間が屍人で溢れ返る前、ジェロディの窮地を救ってくれたのもそうだった。あの矢がなければ自分は今頃、魔獣に喉を食い破られていたに違いない。結局射手は隠れて逃げてしまい、正体は分からなかった。けれどメイベルたちに破魔矢を届けたのも、恐らくは同一人物だろう。


 詳しく話を聞いてみると、破魔矢はメイベルが目覚めた頃にどこからともなく飛んできて、床に突き立ったのだという。飛んできた方向と射角からして、射手がいたのは広間の中二階だろうとコラードはそう言っていたらしい。

 ジェロディが謎の人影を見たのと同じ場所だ。だが神子にも並ぶコラードの視力をもってしても、射手の姿を捉えることはできなかった。二人が破魔矢に気づいて見上げたときには、射手はもういなくなっていたという。


「妙ですね……我々の窮地を救ったということは、相手はこちらの味方であるはず。なのに何故姿を隠す必要があったのでしょう? 少なくとも我が軍には、破魔矢の装備など一切なかったはずですが……」

「うん……考えられるとすれば、僕らに顔を見られると不都合が生じる相手だった、とか……? でも、だったらどうしてわざわざ僕らを……」

「──ジェロディどの! ご無事ですか……!?」


 と、ジェロディたちの推理はそこで一時中断された。飛び込んできた呼び声に顔を上げれば、黒い影と大きな羽音が降ってくる。

 大扉の間を擦り抜け、空中を滑るように現れたのはアーサーの愛騎クラウカだった。彼が床へ降り立てば、その背から小さな人影が飛び降りる。アーサー。彼も全身傷だらけではあるが、どうやら無事だったらしい。


「アーサー……! よかった、君も無事だったんだね」

「ジェロディどのも、大事なきようで何よりです。しかしこの有り様は……もしやメイベルくん、君が?」

「う、うん。あたしが、というか、あたしとコラードが……どこを狙ってどうすればいいかは、あいつの弓が教えてくれたから」


 そう言ってメイベルが顧みた先には、玉座の傍らに膝をついたコラードがいた。彼が眉を曇らせて見つめているのは兜を外され、仰向けに倒れたハーマンだ。

 気を失っているのか、まったく動き出す気配のない上官を前にして、コラードは思い詰めた顔つきをしていた。そんな彼にオーウェンが何事か声をかけてやっている。アーサーもそれを見てだいたいの経緯は察したらしく、「ふむ」と短く声を漏らした。そうしてコラードにつられ、深刻な表情をしているメイベルを励まそうとしたのだろうか、殊更明るい口調を作って言う。


「だが素晴らしいぞ、メイベルくん。あれだけの数の屍霊(ズローヴァ)をたった一人で祓い尽くしてしまうとは。やはり君は神に愛されて生まれたのだな。マドレーン教授の目に狂いはなかったというわけだ」

「い、いや、でも、先生からもらった杖、壊しちゃったし……今回はたまたま上手くいっただけで、あの杖がないと次はどうなるか……」

「そうなのか? だが君にはもう少し頑張ってもらわねば困る。外にはまだ屍人の大群がうようよいるのだ。現在、リチャードどのとクワンどのが協力して対処に動いて下さっているが、数が多すぎて我らだけではどうにもならない」

「えぇっ……あ、アレがまだいるの……!? あたし、さっきので神力使い果たしちゃったけど……!?」


 二人の会話を聞いてはっとした。そうだ。外にはまだリチャード隊と牛人(タウロス)隊がいる。前者はいざというときの退路となる東門を、後者は神術砲(ヴェルスト)を死守するために銘々持ち場へ残してきた。彼らは今も魔物の群に囲まれ、戦っているのだ。

 すべての元凶であった魔族を倒したからといって、戦いはまだ終わっていない。ジェロディは腕の中で眠るカミラを一瞥した。

 彼女をラファレイに診てもらうためにも、早く魔物を駆逐しなければ。そう思い、立ち上がりかけたところで、冷静に(さと)す声がする。


「それなのだがな。恐らく屍霊どもは呪紋(ウゾール)が発する魔力に引き寄せられている。あれをどうにかせぬ限り魔物の流入は止まらぬ。儂とヴィルヘルムの隊で既に五つほど破壊したが、東館と別館の調査がまだだ。残っている呪紋があるとすればあそこだろう」


 浮足立ちかけていた仲間は皆、その声でいくばくかの落ち着きを取り戻した。発言したのはギディオンだ。彼は魔族と剣を交えたあとだというのに涼しい顔で、一同を見回している。


「そうか。ってことは魔物の掃討と呪紋の捜索を同時に進めねえと、いくら魔物を狩ったところで意味がねえな。だがヴィルヘルムの野郎はどっか行っちまったし、呪紋を探すならメイベルの探知能力が必要だ。メイベル、神力が空でも魔力の出どころを感知するくらいはできるよな?」

「う、うん、できるよ。戦力にはなれないけど……」

「とすると、だ。呪紋の探索の方はメイベルがいりゃあ何とかなる。問題は現状湧いてる魔物の群を、残った戦力でどうにかするしかねえってことだが……」

「でしたら私に考えがあります。ケリー殿、ウォルド、あなた方の隊でまだ動ける者を可能な限り集めていただけますか?」


 と、そこでさらに冷静な声が響いた。見れば生き残った兵士を集め、指示を与えていたはずのトリエステがいつの間にか傍にいる。

 マリステアの方はまだ負傷兵の傍らに残って、治療に明け暮れているようだった。彼女の周りには自然と水術兵が集まり、水刻ウォーター・エンブレムから生まれる青色の光が広間の一角を覆っている。戦闘中からずっと救護に追われているマリステアの残り神力も心配ではあるものの、今は皆で協力して一人でも多くの仲間を救わねばならなかった。が、ときに指示を受けたケリーが眉を寄せ、難しい表情を作って言う。


「兵を集めるのは構わないけどね……正直言って、私らの隊もかなり損耗が激しい。あの数の屍人を掃討するだけの兵力は残っていませんよ、軍師殿」

「ええ、承知しています。ですので最小限の兵力で、可及的速やかに魔物を殲滅(せんめつ)する必要がある。そのためにはまず魔物を一ヶ所に集めなければなりません。そこから先は私にお任せを」

「お任せをって、まさか屍人どもを集めてキャンプファイヤーでもするつもりか? だがカミラもこの状態だし、連中を一挙に燃やせるだけの火力を残してる神術兵はもういねえぞ」

「うむ……ウォルドどのの言うとおりだ。ついでに言えば冷却係の水術兵も、今は負傷者の介抱に引っ張り出されている。彼らがいなければ神術砲は使えないぞ」

「ええ。ですがまだ万策尽きたわけではありません。現状を打破するために、打てる手はすべて打ちましょう」


 味方はほぼ精魂尽き果て、神術砲も使えない。されど周りは敵だらけ……という絶望的状況であるにもかかわらず、トリエステは微塵も怯んでいなかった。彼女が戦況を覆すために、どんな方法を講じているのかは分からない。しかし残された兵力でこの苦境に立ち向かおうと思ったら、頼れるのは彼女の頭脳だけだ。

 ジェロディはトリエステを信じ、己の命運を彼女に託すことを決めた。カミラのことは一旦ギディオンに預け、皆にトリエステの命令を聞くよう促す。

 束の間の休息を終えた救世軍が再び動き始めた。ところがそのとき、


「あ、あの」


 と、視界の外から声がする。聞き覚えのない声だ。誰だろうと振り向けば、ほとんど同時に「おい、やめろよ……!」と別人の声もした。ジェロディの背後に佇んでいたのは、黄皇国軍の軍装に身を包んだ若い兵士だ。

 全身を鎧で覆ったハーマンの親衛隊ではない。恐らくは屍人に追われて逃げ込んできた一般部隊の兵士だろう。彼の背後には同僚を引き留めようとするもう一人の黄皇国兵がいて、しきりに仲間の袖を引いている。しかし声をかけてきた兵士は直立不動のまま、顔いっぱいに不安と緊張を湛えて、血色の悪い唇を開いた。


「あ、あの……そ……そちらにいらっしゃるのは、退魔師様、ですよね。おれ……おれ、さっき屍人に噛まれたんです。やつらに噛まれた人間は屍人になるって本当ですか? 今から体を清めてもらえば何とかなりますか? 虫がいいことを言ってるのは分かってます、でも、おれ、故郷に家族がいて……こんなところで死にたくない。死にたくないんです、助けて下さい……!」


 まったく予想外の言葉に、ジェロディは虚を衝かれた。メイベルも面食らっているようで「……え? え?」と困惑気味にジェロディと兵士とを見比べている。

 だが直立の姿勢を維持した兵士の目は真剣だ。顔面は蒼白で、唇はわなないている。わずかでも望みがあるのなら、敵に(すが)ってでもいいから助かりたい。そういう目だ。そして同じ目をした何人もの官兵が、遠巻きに様子を(うかが)っている。


 どうやら彼らの間には既に戦意はないようだった。さっきの混乱で指揮官を失ったのだろうか、彼らを叱り、まとめようとする人物もいない。

 声をかけてきた兵士は左手の小指がなかった。今も鮮血が滴っているところを見ると、屍人に噛み千切られたらしい。そのせいで自分も()()()のようになるのが恐ろしいのだろう、瞳には涙の膜が張っている。


「安心なさい。屍人に噛まれた人間もまた屍人になるというのは迷信です。屍人を生み出す屍霊(ズローヴァ)という魔物は、今回のように群をなして人間を襲うことが多い。そこで屍人に殺された人間に新たな屍霊が宿ることで、あたかも噛まれた人間が生きたまま変異したかのように見える……そういうからくりです。逆に言えば、生きて魂のあるうちは屍霊に乗っ取られる心配はありません。そうですね、メイベル?」


 刹那、怯える兵士をそう(なだ)めたのは進み出てきたトリエステだった。彼女に問われたメイベルも慌てて「そう、そう!」と頷けば、黄皇国兵の間に安堵と歓喜が広がっていく。生きながら魔界へ堕ちることはない──その事実を知った兵士たちは歓呼して、仲間と抱き合ったりへたり込んだりしていた。よほど安心したのだろう、最初に声をかけてきた兵士もまた膝を折って泣き崩れている。


「よ……よかった……よかった……! お、おれは、てっきり……もう家族には会えないのかと……!」

「噛んだ相手を魔物に変異させることで知られているのは、今のところ魔人の一種である吸血鬼(ヴァンパイア)のみです。ただの魔物に噛まれただけならば、恐れることはありません。ですが……この傷は早めに治療しないと、命に関わる可能性がありますね。家族との再会を望むなら、動ける者たちで協力して怪我人を集めなさい。我が軍には優秀な軍医がついていますから、追って治療させましょう」

「え……?」


 安堵で泣きじゃくっていた兵士が、信じられないものを見る目で顔を上げた。そこでは彼の傍らに膝をついたトリエステが、小指を失くした兵士の手を取り、傷の具合を確かめている。かと思えば彼女は自らの髪紐を解き、それを兵士の手首にきつく結わえた。どこからどう見ても止血の措置だ。手当てを受けた黄皇国兵は茫然とトリエステを見やり、先程までとはまったく別の感情で唇をわななかせている。


「お……おれたちを、助けてくれるんですか……?」

「ええ。こうしている間も屍人が増え続けていることを思えば、人間同士で争っている場合ではないでしょう。我々は等しく魔族に踊らされた被害者です。ならば今は敵味方の垣根を越えて、共に窮地を脱するのが最も合理的な判断かと愚考しますが──いかがでしょう、ジェロディ殿?」


 敵兵の手を握ったままのトリエステが、いつもと変わらぬ平板な口調で尋ねてきた。ジェロディを見据える彼女は相変わらず無表情で、浮き世離れしていて──されど青灰色の瞳の奥には、目の前の民を救わんとする彼女の決意が燃えている。


「……ああ、そうだね。君の言うとおりだ、トリエステ。救世軍はこれより中央第五軍の残存兵力と共闘し、魔物を討つ。負傷者は敵味方を問わずこの広間へ集めるように。動ける者は救世軍の各隊長の指示に従ってほしい。僕たちは今から城内に残った屍人の群を掃討する。それぞれの仲間を一人でも多く救い出すんだ。そして戦いを終わらせる。そのためにどうか皆の力を貸してほしい」

「応……!!」


 広間に居合わせた敵と味方の生き残り。彼ら全員に向けて放った言葉に、いち早く応えてくれたのは救世軍の仲間たちだった。それからほんの一拍遅れて、ドン、と突然広間が揺れる。黄皇国兵が一斉に敬礼し、足を踏み鳴らした音だ。

 右手の拳を左手で受け止めた兵士たちが「仰せのままに(ヴィヴァ・パトーリア)!」と答唱の声を揃えた。彼らの瞳の奥にもまた覚悟の炎が燃えている。


 ──ああ。


 刹那、ジェロディは己の心が震えるのを感じた。

 これだ。ここにあった。これこそが自分の信じたトラモント黄皇国だ。

 失われてしまったのだと思っていた。

 けれど愛する祖国は、人々の魂の奥底で今も生き続けていた。

 ジェロディは唇を噛み締め、彼らを守り育てたハーマンに感謝する。

 諦めるには早計だった。


 この国にもまだ、希望はある。


「よっしゃ、そうと決まればキリキリ動くぞ! 余力のあるやつはこっちに集まれ、人数を確認する!」

「重傷者は救護班の傍へ。官兵の中でまだ神力を残している水術兵はいるか? すまないが協力してくれ……!」


 ウォルドとケリーの指示に従い、群衆が動き始めた。まだ戦える者は武器を携えて走り出し、軽傷の者は重傷の者を助けて救護班に合流する。

 広間を埋め尽くさんばかりの敵味方の亡骸は、オーウェン隊の兵士たちがせっせと端へ寄せ始めた。これからさらに増えるであろう負傷者のために、可能な限り収容空間を確保しなければならない。敵も味方も差別せず迅速に。それでいて死者に非礼のないように。彼らの弔いは戦いが終わってからだ。


 アーサーはクラウカに飛び乗り、リチャードとクワンのもとへ飛んだ。彼に伝令を頼んだトリエステが、飛び立つ翼獣(ラプン)を見送ったのち、不意にサッと(きびす)を返す。

 にわかに慌ただしさを増した広間を横切り、彼女が向かったのは猿人たちのところだった。血まみれの狼牙棒(ろうがぼう)を抱えたウーが仲間を従え、広間の片隅に座り込んでいる。


「そう言えば、あなたも先刻屍人に噛まれていましたね、ウー殿。お怪我の具合は?」

「ケッ。大した傷じゃねえよ、こんなモン。ワシらをヤワな人間どもと同じに見るんじゃねェやい」

「確かにあなた方は私の期待を上回る働きをして下さいました。屍人の大群にも怯まず、最後まで我々を守り抜いて下さったこと、心より感謝申し上げます」

「……チッ、そいつァお互いサマだ。テメエもさっき、ワシに食らいついてきた屍人を折れた狼牙棒の柄でぶん殴っていやがったろうが。ったく大したタマだぜ、そんな細腕でよォ」

生憎(あいにく)と武芸はからきしですが、(くわ)を振ったことならありますので。何より私も、あなた方の信義にお応えしたいと思ったまでです」


 トリエステがそう言って手を差し出せば、ウーは露骨に嫌そうな顔をした。

 ジェロディの位置からは確認できなかったが、恐らくトリエステは、微笑んでいたのだろうと思う。

 ウーはいかにも嫌々といった感じで、そっぽを向きながら彼女の手を握り返した。トリエステの白く細い手と、ウーの毛むくじゃらの手が結ばれる。

 その様子を見ていたら、ジェロディも自然と口元が綻んだ。


(そうだ。僕たちは分かり合える。種族が違おうが、立場が違おうが、お互いを信じて歩み寄れば──きっと許し合えるんだ)


 そう思うのは、あまりにも希望的観測が過ぎるだろうか。

 人はこんな自分たちを夢見がちだと(わら)うだろうか。

 だけど救世軍はこれでいい、とジェロディは思う。だって自由と希望を(うた)うあの旗は、人の善性を信じて掲げられたものなのだから。


「……オーウェン殿」


 と、ときに玉座の傍らからコラードの声がする。


「私は、自分の部下たちを……長年苦楽を共にしたこの軍を、最後の最後で信じ切ることができませんでした。ですが、やはり我が軍は……かのハーマン・ロッソジリオが率いるに値する軍ですね」


 コラードの呟きは、懸命に耳を澄まさなければ喧騒の狭間に消えてしまいそうなほど小さかった。けれどオーウェンにはちゃんと届いていたようで、彼はふっと笑みながら、苦難を前に奮い立つ勇士たちを一望する。


「だな。でもってこの軍は、お前が育てた軍でもある。そいつを確かめられたんだ──死に急がなくてよかったろ」


 膝をついたままうなだれたコラードは、頷いたのだろうか。うなじで結われた黒髪がわずかに揺れて、美しい(みどり)の瞳から星が零れたような気がする。

 ところが刹那、ジェロディは小さな呻き声を聞いた。

 感涙に(むせ)ぶコラードの声かと思ったが、違う。

 金属の触れ合う音がして、コラードがはっと顔を上げた。

 彼が食い入るように見つめた先で、オヴェスト城の主が、目を覚ました。



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