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19.チッタ・エテルナ


 地下へと伸びる階段を下りきったところで、カミラは絶句した。

 広い。とにかく広い。何が広いって、広間だ。

 ロカンダの町中に佇む宿屋『チッタ・エテルナ』の真下には、五百人程度なら優に収容してしまうだろうと思われる石の広間が広がっていた。

 地下の全容はうすぼんやりとだがちゃんと見える。明かりもなく真っ暗だった階段とは裏腹に、広間の壁にはぽつぽつと燭台が設けられ、そこに火が灯っているからだ。その燭台の明かりが照らし出す、どこか神殿めいた彫刻の柱。

 床や柱と柱の間を埋める壁もただの石ではない。石灰を塗って固めたような、けれど石灰より石っぽい質感を残すそれは混凝土だ。そんなもので壁や床が塗り固められているということは、少なくともここは天然の洞窟を利用した隠れ家などではない。一から人の手によって設計、建造された極めて人工的な空間だ。


「す、すごい……こんなもの、どうやって地下に造ったの?」

「さあな。知りたきゃ古代人に訊け」

「古代人?」

「ここは救世軍(おれたち)が造ったわけじゃない。世界のあちこちにある古代ハノーク人の遺跡のひとつだ。何でも始世期にハノーク人が住んでた町が、暗黒期の天変地異で土に埋まっちまったとか何とか……だからここには当時の町並みがそっくりそのまま残ってる。言うなれば〝忘れられた地底都市〟ってわけだ」


 ──地底都市。


 ウォルドが告げたその言葉にぞわりと胸が騒ぐのを感じながら、カミラはもう一度頭上を見上げた。

 古代ハノーク人と呼ばれる人々のことはカミラも少しなら知っている。今からおよそ千年前、眠りに就いた神々に代わってこの世界を支配したハノーク大帝国。

 古代人または古代ハノーク人と呼ばれるのは、その大帝国時代を生きた人々だ。

 彼らの遺跡は今もエマニュエルの至るところに存在していて、ときに現代の技術では再現不能な道具やからくりが発見されることがあるという。

 ここはそんな古代遺跡のひとつ。それどころかかつてハノーク大帝国の人々が暮らしていた町だと聞いて、カミラは何かとんでもないところに迷い込んでしまったような気がした。広間の奥にはさらに先へと続く通路が伸びていて、耳を澄ますと微かに水音が聞こえてくる。どうやら水路まで通っているようだ。


「だ、だけどよくこんなところ見つけたわね。ロカンダの人たちはここのこと知らないの?」

「ああ。救世軍がここに拠点を構えてもう四、五年になるらしいが、今までこの場所を嗅ぎつけられたことはない。この町でここの存在を知ってたのは、たぶんカールだけだろうな」

「カールって、さっきの宿のご主人? ってことは、もしかしてあの人も──」

「もちろん、俺たちの仲間だ」


 呆気に取られているカミラを見下ろして、ウォルドがにやっと口の端を持ち上げた。ずいぶん人の悪そうな笑い方だが、まあ、ここまでそんなことはひと言も教えてくれなかったのだからお世辞にも人が好いとは言えないだろう。

 カミラは驚くべきことがありすぎてくらくらする頭に手をやった。もうここまで来ると何から驚けばいいのか分からない。気になることもありすぎる。


「でもこんな大規模な遺跡、どうしてカールさんだけが……」

「あいつもここの存在を知ったのは、親父さんから宿の経営を継いだときだったらしいけどな。あいつの一族は代々この遺跡の存在をひた隠しにしながら、その入り口を守ってきたんだそうだ」

「だけどひた隠しにしてきたって言うわりには、今こうして救世軍が使っちゃってるじゃない」

「それはまあ、カールの独断というか何と言うか……死ぬ間際、あいつの親父さんが言ってたんだとさ。〝いずれ必ずこの場所が必要とされるときが来る〟と。カールはそれが今だと思ったから、救世軍にこの場所を提供したんだ」


 ──そんなのまるでナワリ様みたいだ。

 カミラはそんなことを考えながら、歩き出したイークとウォルドに続いた。

 ナワリ様というのは代々ルミジャフタ郷の至聖所を守る巫女のことだ。

 コリ・ワカと呼ばれる郷の至聖所(ピラミッド)にはかつて太陽神シェメッシュの魂が眠っており、それがトラモント黄皇国(おうこうこく)に渡って行方が分からなくなった今も巫女はあの場所を守り続けている。その役目柄なのか何なのか、コリ・ワカに(かしず)く巫女たちは代々占いや得体の知れない妖術で未来を言い当てることがあった。

 ということはカールの一族にもそんな力があったりするのだろうか? 先程話した分には、単なる気のいい宿の主人という印象しか受けなかったけれど。


「……あれ? でも待って。ウォルド、救世軍がこの場所を拠点にしたのは四、五年前って言った?」

「あ? ああ、確かに言ったが」

「じゃあ救世軍ってそんなに前から存在したの? 私、救世軍が現れたのは結構最近だって聞いてたんだけど」

「あー、そりゃアレさ。救世軍の名前が売れ出したのはリーダーがフィロになってからだからな」

「つまり前は別の人がリーダーだったってこと?」

「その辺の事情については俺より副帥殿の方が詳しいだろ。前のリーダーともしばらくつるんでたらしいし。なあ、イーク?」


 狎々(なれなれ)しい口調で話を振られ、前を歩くイークは少しむっとしたようだった。

 が、彼は諦めた様子でひとつ息をつくと、視線はまっすぐ伸びる通路の先へ向けたまま、言う。


「フィロの前のリーダーはジャンカルロ。ジャンカルロ・ヴィルトだ」

「苗字がある……ってことは、その人も貴族?」

「ああ。正確には()貴族だけどな。生まれは詩爵(ししゃく)家……つまりトラモント貴族の中でも最高の位を持つ家の嫡男(ちゃくなん)だったが、黄皇国のあまりの腐りっぷりに嫌気が射して秘密裏にこの組織を創ったんだと。だから当初救世軍は完全な地下組織だった」

「へえ……それで当時は名前が知られてなかったのね。けど、じゃあそのジャンカルロって人は今どうしてるの?」

「……ジャンはもういない」

「え?」

「二年前、黄皇国軍に殺された」


 ひゅっ、と細く息を飲む音がした。

 それが自分の立てた音だと気づくまでに、カミラは数瞬を要した。

 前を歩くイークの表情は見えない。

 声色は終始淡々としていたけれど、本心はどうだろう。


 ──だって今「ジャン」って言った。


 つまりそのジャンカルロというかつてのリーダーと、イークは愛称で呼び合うような仲だったということだ。いつもツンケンしていて郷でも友人と呼べる友人は兄のエリクくらいしかいなかったイークが、それほどまでに心を許した相手。

 そんな友人を、彼は黄皇国軍に殺された。

 馬鹿なことを()いてしまった、とカミラは少し後悔する。けれどようやく、イークが救世軍に入った理由が少しだけ分かったような気がした。


「そ、そう……だけど残念ね。私も会ってみたかったわ、そのジャンカルロっていう人に」

「会えば気が合ったんじゃないか? あいつ、どことなくエリクと似てるところがあったしな」

「お兄ちゃんと? ははあ、なるほど……」

「……? 何が〝なるほど〟なんだ?」

「いや、イークがジャンカルロさんと打ち解けられた理由が分かったような気がして。きっとジャンカルロさんも器の大きい人だったのね。でなきゃイークと上手くやれるわけがないもの」

「おい、それはどういう意味だ?」

「お兄ちゃんは器が大きかったって意味です」

「悪かったな、俺は器が小さくて」


 何か思うところあったのだろうか、カミラの隣を歩いていたウォルドが突然「ぶはっ」と吹き出して、さらにイークの不興を買った。が、ウォルドと口論するイークの様子はいつものそれで、カミラは少しホッとする。

 三人は角灯と壁かけ燭台の明かりを頼りに、遺跡をさらに奥へと進んだ。

 暗黒期──これは《大穿界(だいせんかい)》と呼ばれる地裂の大量発生により、ハノーク大帝国が滅びてからの二百年を指す言葉だ──に天災で土に埋まったというわりには地底都市の保存状態は非常によく、先人たちが時間をかけて掘り起こしたのだろう、町中を通る道や水路が当時のままの姿でそこにある。


 加えてそこここに佇んでいる民家と(おぼ)しい建物の中には、覗けば太古に使われていた青銅の杯や、鍋が乗った(かまど)などがそのままになっているものもあった。

 そんな過去の痕跡を見るにつけ、カミラは薄ら寒いものを覚える。

 何せこの遺跡には(いにしえ)の時代、ここで暮らしていた人々の生活感が色濃く残り過ぎていた。数百年前のままぴたりと時が止まった町──それはまさに〝死んだ町〟という形容がぴったりだ。そこに漂う死の気配が、カミラは少し恐ろしい。

 ただ地下というわりには空気がとても澄んでいて、淀んだ感じがしないのが唯一の救いだった。これで空気まで重くどんよりとしていたら、カミラはちょっと耐えられなかったかもしれない。この遺跡のあちこちを、無念のうちに滅びた古代人たちの怨念がさまよっているようで。


「あそこだ」


 と、やがてイークが声を上げたのは遺跡への入り口から四半刻(十五分)ほど歩いた頃のことだった。一体いくつ路地を曲がったか、民家と民家の間を抜け、辿り着いた先には一際大きな建物──あれは、屋敷?──がある。その辺にある民家を三つか四つ合わせたくらいの、入り口にレリーフが彫られた建物だ。あのレリーフは……何だろう、地面と垂直に槍を構えた兵士の列、みたいに見える。

 けれどそれに目を凝らすより前に、カミラはあることに気がついた。

 扉もなく、ぽっかりと口を開けた入り口の傍に誰かいる。まるで壁に描かれた兵士の像にまぎれるように佇んでいるが確かに生きた人間だった。火のついた燭台は屋敷の入り口にも設けられていて、真下にいる人影を照らしている。

 相手は若い男だった。カミラよりは年上だが、イークよりは年下。

 どこか少年らしさが抜け切らない顔立ちが言外にそう示している。

 腰には剣を()いていて、上半身には薄い革の鎧を身につけているのが遠目からも分かった。たぶん見張りとして屋敷の外にいたのだろう、しかし向こうもやってくるこちらを見つけるや、ぱっと表情を明るませて手を挙げる。


「あれっ、イークさんじゃないですか! それにウォルドさんも、戻ってたんですね! おかえりなさい!」

「よう、アルド。元気そうだな」


 本日二人目の初対面。どうやらあの青年の名はアルドというようだった。

 声はしっかりと声変わりした男のそれだが、言葉つきはちょっと初々しい。

 発展途上という言葉がカミラの脳裏をよぎった。

 その実、燭台の明かりを映して輝くアルドの瞳は青年でありながら少年のようでもあり、無邪気そうな人だな、とカミラはぼんやりそんなことを思う。


「ご無事のお戻り何よりです。ジェッソでの大勝、おめでとうございました!」

「大勝ってほどじゃないけどな。まあ、これでひとまず黄皇国もあの郷区(きょうく)(まつりごと)を見直すだろう」

「そうであってほしいですけどね。それにしても、先に戻った連中から聞きましたよ。今回もフィロメーナ様の策がバッチリ()まって……」


 と、拳を握って興奮気味に言いかけたところで、アルドははたと動きを止めた。

 理由は簡単。彼もカミラの存在に気がついたのだ。

 カールのときと同様正面から目が合って、一瞬の沈黙が降りた。

 薄暗くてよく分からないが、アルドの瞳は髪と同じライトブラウンのようだ。

 カールの瞳とはまた別の意味で、綺麗な目、とカミラは思った。純粋に、一途に何かを信じて疑いもしていない、そんなあどけなさを宿した澄んだ瞳。


「あ、あれ……? イークさん、そちらの方は……?」

「ああ、紹介する。こいつはカミラだ。俺のガキの頃からの馴染みで、剣の他に神刻(エンブレム)も使える。カミラ、こっちはアルド。救世軍内で若い兵たちのまとめ役をしてるやつだ。お前とも歳が近いから色々と話しやすいだろう。何かあれば俺かこいつを頼れ」

「はーい。アルドさんね。今日からお世話になりますが、よろしく」


 まだ救世軍にいられると確定したわけではないけれど、カミラはそのつもりでニコッと愛想を振り撒いた。やはりここでも大事なのは第一印象だ。とりわけ歳が近いというからには、アルドには初対面でも良好なコミュニケーションが取れることをアピールしたい。協調性があり、社交的な人間であることを印象づけるのだ。

 だがカミラが脳内でそんな算段を立てている頃、アルドは彼女を凝視したまま固まっていた。その頬にみるみる朱が上っていく。アルドはあっという間に茹でダコのようになった。下手をすると頭頂から湯気が噴き出しそうだ──が、燭台の火に照らされるとすべてが赤く見えるせいで、カミラはそれに気づかない。


「ちなみにアルドさんって何歳? 私はハノーク暦だと十六だけど……」

「……っ……っ……!」

「……? あの……聞こえてます?」

「……っ……っ……っ……!」

「おいアルド、どうした?」

「はっ──す、すみません! わわ分かりました! 今すぐフィロメーナ様を呼んできます!」

「は? おいアルド、待て──」


 脈絡の欠片もない返事をし、くるりと身を(ひるがえ)してアルドは一散に駆け出した。

 その勢いはまさに脱兎のごとく、呼び止めるイークの声を振り切って、あっという間に入り口の向こうの暗闇へ見えなくなる。


「な、何なんだ、あいつ……」

「まあ、何って、今のはアレだろ。確実にアレだな」

「アレって何?」

「お前、気づかなかったのか?」

「何を?」

「アルドの趣味がすこぶる悪いってことだよ」

「なんかよく分かんないけど、とりあえず馬鹿にされてることだけは分かるわ」


 ここひと月あまりの旅でだいぶ打ち解けたからだろうか。カミラはウォルドの言い草から何かしらの悪意を読み取って、ひくっと額に青筋を立てた。

 が、アルドが行ってしまった以上、いつまでもここで立ち尽くしているわけにもいかない。三人は彼が猛烈な勢いで走り込んでいった屋敷へ足を踏み入れた。

 外の町並み同様、天災に遭ったというわりにはかなり綺麗に残っている建物だ。

 この町がまだ多くのハノーク人で賑わっていた頃、ここは権力者の住処(すみか)だったのだろうか。入り口をくぐるとその先は奥へ向けてまっすぐ伸びる廊下になっていて、左右に戸のない小部屋がいくつもあった。そこは現在救世軍の書庫や倉庫として使われているようで、比較的新しい机や書架が見て取れる。カミラはそうした部屋のひとつひとつを物珍しげに覗き込みながら先へ進んだ──と、そのときだ。


「イーク、ウォルド、おかえりなさい!」


 突然前方から声がしてカミラはぎくりと固まった。何故ぎくりとしたかって、言うまでもない。聞こえた声が、若い女のそれだったからだ。

 ──ということは、まさか。そんな予感が胸をよぎり、動けなくなったカミラの横で、ときにイークがふっと表情をやわらげた。……あれ? とカミラは思う。

 なんだろう。なんていうか。

 こんなやわらかい表情をするイークは、初めて見た、かも。


「よう、フィロ。いま戻った」


 次いでイークの口から零れた声もまた聞いたことがないくらい穏やかで、カミラはさすがに面食らった。誰だこいつ、とまではいかないが、それにしても、え? ちょ、あの、どちら様? といった感じだ。

 そのイークの視線の先。そちらを改めて振り向いて、カミラはさらに絶句した。

 そこにはひとりの女が佇んでいる。まだ年若く、色白で、なんと形容したらいいのか分からないくらい──美しい人、だ。


「無事に戻ってくれて嬉しいわ。長旅ご苦労様」


 女はそう言ってたおやかに微笑んだ。

 その微笑みだけでカミラは意識がどうにかなってしまいそうだった。

 たぶん、そのときの気持ちを誰かに話したらきっとこう言う。


 カミラ、それはひと目惚れっていうんだよ、と。




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