18.出逢いの町 ☆
目の前を川が流れていた。
それは澄み渡る水を湛えた美しい流れ──ではない。
ゴミゴミした熱気。あちこちから聞こえる談笑。客引き。がなり声。
無数の足音。嗅ぎ慣れない匂い。珍しい楽器の音色。荷車の音。
すれ違いざま、剣や鎧が触れ合う音。
そこは出逢いの町ロカンダ。トラモント黄皇国が誇る三神湖のひとつ、タリア湖から引かれたベネデット運河沿いに広がるその町は、トラモント黄皇国北東部のジョイア地方において北、西、南からの街道が交わる交通の要衝だった。
そのメインストリートに当たるラ・パウザ通りには、とにかく人と物が溢れている。あっちを向いてもこっちを向いても、とにもかくにも人、人、人。
行き交うのはこの町の住人と思しい軽装の者から荷車を曳いた行商人、傭兵、聖職者、芸人から獣人まで、識別しきれないほど様々だ。
大型の馬車が五台並んで走っても余裕がありそうな通りの両脇には黄砂岩を積んで造られた淡黄色の建物がずらりと並び、さらにその麓を埋めるように食べ物、雑貨、武器、生地、装飾品等々の露店がひしめき合っている。
カミラはそんなロカンダの人混みを前にして茫然と立ち竦んでいた。
あまりにも人が多すぎて、踏み出すきっかけが見つからない。
何も考えずに歩き出したらあっという間に人波に呑まれ、方角を見失いそうだ。
だいたいこんな大混雑の中を誰ともぶつからずに歩いていける自信がカミラにはなかった。目の前を右へ左へ、思い思いに歩いていく人の流れを見ているだけで目が回る。何なんだこの町は。あるいは今日は何かの祭日で、だから特別人が多いとかそういうことなのだろうか?
「おい、カミラ。何やってんだ、置いてくぞ」
と、ときに前方から無慈悲な声がして、カミラははっと我に返った。
そうして慌てて目をやれば、オディオ地方から共に旅してきたふたり──イークとウォルド──が後込みするカミラを置いてさっさと先へ行こうとしている。彼らがそれぞれ悪目立ちする真っ青な服装と人並み外れた体躯でいてくれてよかった。
でなければカミラはとっくにふたりの姿を見失っているところだ。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って……その前に、この人混みは何なの? ここを通って行くの?」
「当たり前だろ。なんでわざわざ裏道を通って遠回りする必要がある?」
「い、いや、そうだけど、ちょっとこの人混みは尋常じゃないっていうか……る、ルエダ・デラ・ラソ列侯国の都だってここまで混雑してなかったわよ?」
「そりゃそうだ。列侯国と黄皇国とじゃ、国としての規模がまるで違う。ここは腐っても〝黄金の国〟。しかもこのロカンダは、世界でも有数の百万都市ソルレカランテへの通り道だぜ」
──黄金の国。ここはかつて世界中の人々からそう呼ばれた富と栄光の王国。
カミラは呆れ顔をしたウォルドの言葉を聞いて、ようやくその事実を知った。
いや、思い出した。
そうだ。この国は確かに昔、エマニュエル史上稀に見る栄華を極めた大国だ。
カミラも幼い頃にそう聞いた。
黄金の太陽神シェメッシュの寵愛を受けた、まぶしくも美しい王国だと。
だがそれを今の今まで忘れていたのだ。
何せ郷を出てから今日まで、カミラが見てきたトラモント黄皇国の町や村はいずれも貧しく、荒廃した印象を受けた。だから自分がかつて大人たちから聞いた楽園のような国の姿は、もう夢物語の中にしか存在しないのだと思っていた。
けれどもそうじゃない。トラモント黄皇国は確かにまだここにある。
あまりにも圧倒的な存在感。それを叩きつけられてカミラは軽く眩暈を覚えた。黄都の南、四〇〇幹(二〇〇キロ)も離れたこの町でこれならば、ソルレカランテの街は一体どんなことになっているのだろうか。想像するだけで気が遠くなり、カミラはよろよろと頼りない足取りでイークとウォルドのあとを追った。
途中、擦れ違う人とぶつかって平謝りしたり、道端で見かけた露店に気を取られたりして何度もはぐれそうになったが、そのたびにイークがうんざりした顔で探しにきてくれたのでどうにか迷子にならずに済んだ。こっぴどく怒られたけど。
カミラたちが一ヶ月あまりの時をかけてここまで旅してきたのにはもちろん理由がある。何でもこの町には、イークたちが言うところの〝救世軍本部〟があるらしいのだ。カミラは今日このふたりに連れられて、その救世軍本部を訪ねることになっていた。本部というからにはもちろん救世軍総帥のフィロメーナ・オーロリーがそこにいて、カミラはまずイークたちからの推薦という形で、彼女への面通しをさせられるという。
この面通しというのは、救世軍に入るための通過儀礼……みたいなものらしい。
カミラが救世軍に参加することは一応副帥が認めてくれたが、さらにその上の立場であるフィロメーナに否と言われたら、当然ながら組織にはいられない。
──そんなことにならないように、今から準備しておかなくちゃ。
そう思ったカミラはぐるぐると思考を巡らせて、フィロメーナに会った際の挨拶や、きっと投げかけられるであろうあらゆる質問への答えを考えた。
根を詰めて考えすぎてそのうち何が何だかわけが分からなくなってきたが、それでも何か考えていないと落ち着かなくてひたすらに考え続けた。
そうして町の入り口からおよそ半刻(三十分)ほど歩いた頃、
「着いたぞ」
とイークに言われ、カミラは何とも言えない表情のままその建物を仰ぎ見た。
見上げたそれは宿屋だった。
それくらいはカミラにも分かる。だって建物の入り口、アーチ型をした木の看板に、この建物の屋号が書かれているのだ。〝宿屋〟の文字と共に。
「シッタ・エターナ?」
と、カミラは試しに看板の文字を読み上げてみる。意味は分からない。
カミラの知らない言葉だ。が、そんなことを考えているとすぐにイークが、
「違う。『チッタ・エテルナ』だ」
と、カミラの読みを否定した。途端にカミラは眉をひそめる。
「あれでチッタ・エテルナって読むの?」
「ああ。あれはハノーク語じゃない。この地方の古い言葉で〝永遠の都〟って意味なんだと」
「へえ……でもここ、どこからどう見ても宿屋よね? 私たち、救世軍のアジトに行くんじゃなかったの?」
「ついてくれば分かる」
素っ気なくそう言って、イークは迷わず宿屋の入り口をくぐった。
彼が素っ気ないのはいつものことだが、ウォルドまで何の説明もなしに先へ行ってしまうので、カミラは思わずムッとする。
──何よ。ちょっとくらい話してくれたっていいじゃない。
まさかアジトへ行く前に宿屋でひと休みしようってわけ? そりゃ、ここ数日は川の水でしか体を洗えてないし、一度きちんと旅の汚れを落としたいけど。
でもせっかく心の準備をしてきたのに……と出鼻を挫かれた気分になりながら、カミラもふたりのあとに続いた。看板と同じくアーチを描く木の扉は左右どちらも開けられるようになっていて、くぐると頭上でカウベルが鳴る。
チッタ・エテルナはこの町にある多くの建物と同じ、黄砂岩を積み上げて築かれた宿屋だった。ロビーへ入ると壁も床も天井も淡黄色で、ざらざらした岩の質感は何だか暖かみがある。入ってすぐのところには通路を挟み込むように置かれた長椅子があり、奥に帳場が見えた。
帳場の手前、左手にあるドアなしの出入り口は食堂へ続くもののようだ。
通り過ぎるときにちらっと中を覗き見れば、席はざっと三十席ほど。そこそこ大きく、食卓や椅子は質素だが品があって、今も少なくない客で賑わっている。
それを見た感じ、チッタ・エテルナは上宿までとはいかないが、なかなかいい宿のようだ。三階建で部屋数もかなりありそうだし、何より清潔感がある。
ところどころにさりげなく飾られた生花や絵画も好印象。
女性受けしそうな宿だな、とカミラは思った。
けれどもそのお上品な宿のロビーに、旅塵まみれのむさ苦しい男がふたり。これには宿の主人もちょっと眉をひそめるのではないか、とカミラは内心心配したが、
「やあ、イークさんにウォルドさんじゃないですか! おかえりなさい、そろそろお戻りになる頃だろうと思ってましたよ」
と思いがけず気さくな声が聞こえて、カミラはつい拍子抜けした。
ふたりを迎えたのは帳場の中にいた若い男だ。若いと言ってもイークやウォルドよりは年上のようで、三十二か三、それくらいだろうとカミラは当たりをつける。
剣士であるふたりのように筋肉質ではないものの、すらっと背が高く洗練された挙措。真っ白で糊の効いた襟つきシャツと、若葉を思わせる色合いの腰巻きエプロンは、この宿同様清潔感たっぷりだ。短く切られた亜麻色の髪は猫っ毛なのだろうか、ふわっとした印象でとてもやわらかそうに見える。その男性とは裏腹に髪までツンツンしているイークは「よう、カール」と馴れた様子で片手を挙げた。
「しばらくぶりだな。俺たちが留守にしてる間、何か変わったことは?」
「いえ、特に取り立ててご報告するようなことは何も。強いて言うなら先々月、北で村がひとつ魔物に襲われてなくなったってことくらいですかねぇ」
「ああ……その報告なら俺たちも聞いた。該当郷区の軍人どもは中央のお偉いさんを迎えて宴の真っ最中、出動すらしなかったってな」
「おや、耳が早い。そこまでご存知なら、私から改めてお話することは何もないですね」
イークの口調に不穏なものを感じたのだろう、カールと呼ばれた男性は淡い苦笑を浮かべると宥めるように両手を挙げた。
が、そこでふと彼の視線がこちらを向く。カミラとばっちり目が合った。
カールの瞳はびっくりするほど綺麗な黄緑色だ。故郷のルミジャフタでは瞳の色と言えば黒や茶色が多かったから、カミラはまずそれに驚いて固まった。
何か言わなければ、と思ったけれど、それよりも一寸早くカールの方が小首を傾げて口を開く。
「ところでイークさん。そちらのかわいらしいお嬢さんは?」
「……かわいらしい? そんなやつどこにいるんだ?」
とイークがさらっとそんなことをのたまうので、カミラは後ろから彼の左足を蹴っ飛ばした。これにはさしものイークも「いっ……!」と悲鳴を上げて屈み込む。
カミラはそんな幼馴染みに冷ややかな一瞥を投げたあと、にこっと笑って顔を上げた。
「はじめまして、カールさん。私、太陽の村出身の剣士でカミラといいます。以後お見知り置きを」
「太陽の村出身? ということは、イークさんの?」
「はい。俗に言う幼馴染みってやつです」
「腐れ縁の間違いだろ……」
「そうとも言います」
帳台に手をついたイークが細かい訂正を入れてきたが、カミラは笑顔で受け流した。一方のカールはぴかぴかに磨かれた硝子玉みたいな目を何度も瞬かせて、数瞬言葉を忘れている。
「え、いや、ちょっと待って下さい。イークさん、今回の行き先はオディオ地方のジェッソでしたよね? その足で里帰りしてきたんですか?」
「違う。そのジェッソでたまたまこいつを拾ったんだ。調子に乗って地方軍に喧嘩を売ったあげく、指名手配されかけてたんでな」
「へえ。そりゃまた剛毅な」
イークの言い草には一部事実と異なる表現があったが、カミラはあとで右足も蹴っ飛ばすことにして、今は笑顔を絶やさぬことを心がけた。
初対面の相手と接するとき、大事なのはまず第一印象だ。
これさえよければだいたいのことはどうにかなる、とカミラはそう思っている。
だから今はイークが何をほざこうと笑顔だ、笑顔。
このあとにはフィロメーナとの面会も控えているし、来て早々この町での評判を落とすことだけはどうにか避けたい。ジェッソのときの二の舞はごめんだ。
カミラにだってそれくらいの学習能力はある。
「ええと、じゃあこちらからもはじめまして。私はこの宿の亭主でカールと申します。ようこそ、チッタ・エテルナへ。だけどイークさんにこんなかわいい幼馴染みがいたなんて意外だなぁ。どうしてもっと早く紹介してくれなかったんです?」
「あのな、カール……それが所帯持ちの言う台詞か?」
「所帯を持っていようがなかろうが、トラモント男児にとってかわいいは正義なんです! 女性はみんな天使なんです! ね、ウォルドさん!」
「力説してるところ悪いが、生憎俺はトラモント人じゃないんでね。そんなことより鍵だ、鍵。さっさと寄越せ」
ウォルドが横柄な口調で言えば、相手にされなかったカールはぶーぶー言いながら口を尖らせた。初めは物腰やわらかな大人の男性といった印象だったが、話してみると意外と陽気……というかちょっと子供っぽい。
だがカミラが驚いたのはそんなカールの印象の変化よりも、ウォルドがトラモント人ではないという事実の方だった。もともと傭兵として救世軍に雇われたとは言っていたが、それならば何故敢えて救世軍を選んだのか。
傭兵なら救世軍よりも黄皇国軍についた方が絶対に実入りがいいし勝算もある。
にもかかわらず未だ弱小勢力に過ぎない救世軍に味方しているのは彼も市井出身のトラモント人で、今の黄皇国の在り方に不満を持っているからだ……とカミラは勝手にそう思っていた。けれどそもそもこの国の出身ではないと言うならば、
(……なんでわざわざ救世軍につこうと思ったのかしら?)
カミラは思わず不審の眼差しでウォルドを見た。
何なら今ここで本人に尋ねてみてもいいが、今はカールが目の前にいる。
さすがに余人がいる場所で救世軍の話題を出すことは避けるべきだろう。
カミラは今すぐにでも確かめたい衝動をぐっとこらえて、ウォルドが差し出した手の先を見た。そこではカールが帳台の裏をあさり、一本の鍵を取り出してウォルドの手に託している。とっさに目を凝らすと、紐で結わえつけられた鍵札に数字が書かれているのが見えた。けれどもカミラがその数字を読み取る前に、ウォルドが大きな手でそれを握り込んでしまう。
「どうも。またしばらく世話になるぜ」
「ええ。皆さん長旅でお疲れでしょうから、どうぞ心ゆくまでごゆるりと。今夜の夕飯も妻に言って腕によりをかけたものを作らせますよ」
「お、そりゃ楽しみだ。酒も忘れんなよ」
「もちろんです。ウォルドさん御用達のイーラ産麦酒をたんまりご用意しておきますから、どうぞご安心を」
「おいカール、あんまりこいつを肥えさせるなよ。これ以上デカくなられたら暑苦しくて困る」
「まあまあ、イークさんもそう言わず。あとでぜひ食堂に顔を出してやって下さいね。妻が喜びます」
「ああ、あとでな」
そんな他愛もないやりとりを交わして、イークとウォルドは歩き出す。
その足取りに迷いはなく、帳場の後ろから左右に伸びた通路のうち、ふたりは右側の通路へ足を踏み入れた。まるで最初から泊まる部屋が決まっているみたいに。
一瞬ぼんやりしてしまったカミラはそのまま置いていかれそうになり、慌ててふたりのあとを追った。左右の通路は真ん中に配置された客室を挟み込むように伸びていて、結構奥まで続いている。つまりカミラたちが入った右側の通路は、客室を左手に見ながら進むことになるのだが、イークとウォルドは等間隔に並ぶドアを無視してずんずん奥へ、奥へと向かった。
そうして三人はついに突き当たりへと至る。客室のドアはそこにもあった。
カミラの目線とちょうど同じくらいの高さに、何か数字が彫られている。
『022』。
ふとカミラが目をやった、ウォルドの手の中の鍵と同じ数字だ。
「あの、ねえ、質問していい?」
「何だ?」
「私たち、これから救世軍のアジトに行くのよね?」
「その質問はさっきも聞いた」
「だって──」
──じゃあなんでこんなところに。カミラがそう続けようとしたところで、ウォルドがためらいもなく目の前のドアの鍵を開けた。
押し開けられたドアの向こうには何の変哲もない宿の客室が広がっている。
……いや、何の変哲もない、は言いすぎか。その部屋はただの客室にしてはずいぶん広々していて、ひと目で上客用の部屋だと分かった。この宿の他の部屋を見ていないからはっきりしたことは言えないが、寝台や円卓といった調度の類もかなり上品で質がよく、何となく特別な部屋という印象を受ける。そんな部屋へ旅塵で汚れたまま立ち入ることにカミラは少し抵抗を覚えた。が、横のふたりは良心の呵責など微塵も感じていない様子で、連れ立って室内へと踏み込んでいく。
「あ、ちょ、ちょっと……」
いくら何でも場違いじゃない? そう言いたくて声を上げたカミラを無視してイークは奥の衣裳棚へ、ウォルドは入ってすぐ左手にある壁棚へそれぞれ向かった。壁棚の上には貸出用の小型角灯がいくつか置かれていて、ウォルドはそれをひょいと取り上げると、当然のようにカミラへ差し出してくる。
「ほれ」
「はい?」
「燐寸の節約だ。お前、神術で火をつけられるだろ」
「そりゃつけられるけど、なんで角灯なんか?」
だって今はまだ日も高い真っ昼間だ。
角灯なんかつけなくたって、大開口の窓から注ぐ陽射しで室内は充分明るい。
だいたい燐寸の節約ってなんだ。見たところ角灯の置かれていた壁棚には燐寸の箱も一緒に置かれているみたいだけれど、だとすればそれもまた客のために用意されたものではないのか。それなら自由に使ってもいいのでは?
それとも燐寸は高価だから、あの宿の主人に遠慮しているとか? カミラは頭の上にたくさん疑問符を飛ばしながら、目だけでウォルドにそう尋ねた。するとウォルドは角灯をこちらへ突き出したまま、顎の先でくいっとイークの方を示す。
カミラはそちらへ目をやった。その先ではイークが衣裳棚の扉を開けて、そこに頭を突っ込んでいた。中に一本物干し棒が通っただけの衣裳棚は、カミラの目が愚神ティペシュの魔術にかかったわけでないなら空っぽに見える。けれどもイークはそこで腰を屈めて何やらごそごそやっていた。端から見たら完全に不審者だ。
これを宿の人に見られたらまずい。そう思ったカミラはサッと部屋の中へ入って、後ろ手にドアを閉めた。と、ときに横からぬっと手を伸ばしてきたウォルドがご丁寧に鍵までかける。そのカチリという音と同時に、
「ガコッ」
と何か重いものが外れるような音がして、カミラは再び衣裳棚を振り向いた。
そして思わず目を見張る。
衣裳棚の扉の向こう。そこで何かの蓋みたいに、底板が持ち上がっていた。
それだけじゃない。口を開けた底板の下には階段がある。
まるで地の底へ続いているかのような、真っ暗な階段だ。
カミラはイークの傍まで行って、茫然とそれを見下ろした。
そんなカミラの視界の端に、ウォルドが改めて角灯を突き出してくる。
「ほら、これで分かったろ?」
「えっと……その前に、なんでこんなところに階段が?」
「じゃあ逆に訊くが、お前は黄皇国に盾突く反乱軍が、こんな町中に堂々とアジトを構えてるとでも思ったのか?」
後ろからイークの呆れ声が聞こえて、カミラは「そっか」と不覚にも納得してしまった。言われてみれば確かにそうだ。
ここロカンダはジェッソと同じ郷庁所在地で、町中には地方軍が駐屯している。
少し南へ下れば中央軍が拠るスッドスクード城もあることだし、そんな町のど真ん中に〝救世軍本部〟なんて看板を掲げた建物がでかでかと建っているわけがない。ということは、この階段を下りた先には──
「さあ、どうする。後戻りできるのはここまでだぞ」
再びイークの声がしてカミラはごくりと唾を飲んだ。
この先で、フィロメーナ・オーロリーが待っている。