197.結ぶ手と手
翻って、カミラの故郷には〝縞犬殺してのちに泣く〟という諺がある。
縞犬というのは、まあ、早い話がルミジャフタでよく飼われている畜犬だ。彼らは皆、灰茶色の背中に黒い縞模様を持っているので〝縞犬〟と呼ばれる。
カミラの家ではついぞ飼ったことはなかったが、野犬の血が濃く、上手くしつければ番犬として非常に優秀な犬種だった。ところがある日、とある郷人が我が子の泣き声を聞いて駆けつけてみると、座り込んで号泣する幼子の傍らに、口の周りを血で染めた縞犬が佇んでいたという。
郷人は縞犬が我が子を襲ったのだと早とちりし、慌ててその場で叩き殺した。ところがよくよく調べてみれば、なんと子供のすぐ傍に、食い千切られた毒蛇の死骸が転がっているではないか。
飼い主に対して強い忠誠心を示すことで有名な縞犬は、子供を守ろうと毒蛇と戦い、噛み殺しただけだった。真相を知った飼い主は、二匹といない忠犬を殺してしまったことを嘆いて涙した──という故事が由来の諺である。
要するに、後悔先に立たず。
思えば自分は、何故救世軍が地上へ戻るまでの間、猿人たちが絶対に体を張って守兵を阻んでくれているはず、などと信じ込んでいたのだろう。
ウー=シェンを始めとする猿人たちとは、別にそれほど固い信頼で結ばれていたわけではなかった。ただ今回、彼らが救世軍の作戦に同行することになったのはジャラ=サンガの長老であるグルの命令だったわけで、ならば裏切られる心配もないだろうとどこかで高を括っていたのだ。
だって蛙人族のグルは言わば、獣人居住区の束ね役。そのグルに逆らって得られる利益なんて、猿人たちにはないはずだ。そう思って手放しに信用していた。
けれどいざ地上へ戻ってみれば、彼らの姿が忽然と消えてしまっているあたり、そんなことはまったくなかったのかもしれない。
「残念だったな、反乱軍。サルどもはもうずいぶん前に、多勢に無勢を悟って逃げ去ったぞ」
と、ほどなく守備隊の指揮官らしい男が得意満面にそう説明してくれたので、カミラの推測は確信へと変わった。彼の口振りを聞く限り、ウーたちには初めから、救世軍の帰りを待つつもりなんてさらさらなかったのかもしれない。
グルにも救世軍にもある程度義理立てしたら、適当なところで引き揚げる。恐らく彼らはそういう魂胆でいたのだろう。まあ、考えてみればたった二十の手勢で百を超える守兵を攪乱しろと言う方が無理な話で、「ワシらに任せろ」と勇ましく胸を叩いた彼らを一騎当千の猛者と信じてしまったのが運の尽き、というわけだ。
そんなこんなでカミラたちは現在、絶体絶命の状況に置かれていた。一行の進路はものの見事に、監獄守備隊の肉の壁によって阻まれてしまっている。
城壁の上でギラリと瞬く無数の弓矢もうんざりするほど正確にカミラたちを狙っているし、これでは脱出など到底叶いそうになかった。せめて神術が使えれば血路を開けるかもしれないが、遺跡の結界が正常に動いている以上、神刻は頼れない。
ならば希術で──という考えが一瞬脳裏をよぎったものの、正直勝算はなきに等しかった。何しろこちらは長い監獄生活で衰弱した仲間を四十人近くも連れているのだ。彼らを守りながら守備隊の攻撃を掻い潜るのは、はっきり言って不可能だろう。仮に脱出できたとしても、きっと少なくない犠牲を払うことになってしまう……。
「貴様らの悪運もここまでだ。観念して大人しく投降しろ。さすれば命だけは助けてやる。せっかく再会した仲間を早々に失いたくはないだろう?」
「そりゃもちろんそうだけど、〝命だけは助けてやる〟って、つまり全員仲良くここに収監してやるってことでしょ? ってことは結局、この監獄が私たちの棺桶になるってことよね」
「フン。物分かりがいいじゃないか、女。貴様らが一体どうやって遺跡の仕掛けを解いたのかは知らんが、最下層の独房にぶち込んでしまえばそれまでだ。あの牢屋に入ったが最後、二度と外へ出ることは叶わない。今回のように誰かが助けに来ない限りは、な」
「……! まさか……!」
たっぷりと含みを持たせた指揮官の言葉にはっとして、カミラは思わずスミッツたちを顧みた。彼らが救世軍の構成員と判明していながら細々と生かされていたのは、カミラたちを誘き寄せるための罠だったのか。
いや、正確にはカミラたちと言うよりも──スミッツが捕らえられる直前まで共にいたという、イークを誘い出すための罠。
黄皇国軍はたぶん、目の前で仲間を捕らえられたイークが、態勢を立て直したのち彼らを助けに来ると踏んだ。
結果としてやってきたのはイークではなくカミラたちだったわけだが、どちらにせよ救世軍が攻めてくる事態は想定されていたということだ。
そこへまんまと突っ込んでしまった自分の迂闊さに、カミラは小さく舌打ちした。つまるところ、スミッツたちとの再会を無邪気に喜んでいる場合ではなかったのだ。このままここで捕まれば、今度こそイークを危険に晒してしまう。やっと再会の希望が見えたのに。なのに、こんなところで──
「──おいお前ら、伏せろ!」
そのときだった。
どこからともなく轟き渡った叫び声に、カミラたちはぎょっとした。
今の声は、一体誰の? 男の声だったようだが、分かったのはそれだけだ。
誰が叫んだのかも、何の警告だったのかも分からない。ただ守備隊までもがどよめいて、何事かと後ろを振り返った──直後だった。
「わっ……!?」
いきなり後ろから衝撃が来て、カミラは地面に押し倒される。同時に誰かが、うつ伏せに倒れたカミラの背へ覆い被さってくるのが分かった。
ジャラッと耳元で聞こえた音は──もしかしてカイルの首飾り?
だが顔を上げて確認している暇はなかった。何故なら突然、守備隊の背後で轟音が爆ぜ、とんでもない熱風が吹き荒れたからだ。
「うわあっ……!?」
守兵たちの叫びは一瞬にして爆発に呑み込まれた。真っ赤な火炎が鉄の扉を吹き飛ばし、城壁を粉砕する。カミラは地面にうつ伏せたまま、茫然とそれを見ていた。爆風に吹き飛ばされた人やら瓦礫やら誰かの体の一部やらが次々と飛んできて、苔生した遺跡の壁に降り注いでいる。
「おいっ、何だ!? 何が起こって──」
守兵の上げる悲鳴と怒号が交錯した。されど彼らの混乱を遮るように、今度は城壁の向こうから、黒くて丸い……球? のようなものが飛んでくる。
いや、飛んでくるというよりは、明らかに投げ込まれていた。爆破された城門を抜け、次々と地面に転がった拳大の球体は、一拍ののちひとりでに炸裂する。
割れた黒い球体からは、すさまじい勢いで紫色の煙が噴き出した。見るからに有害そうな色合いの猛煙だ。門の傍にいた守兵たちは、爆炎を免れた者から城壁の上にいた者まで、全員があっという間にその煙に呑み込まれた。
するとあちこちから激しく咳き込む声がして……いや、単に咳き込んでいるだけじゃない。耳を澄ませば「あ゛っ……あ゛ぁ゛っ、があ゛ぁ゛っ!」とかいう、背筋が寒くなるような悲鳴まで聞こえてくる。他にも地面を転げ回るような音や、吐瀉物を撒き散らすような音──何が起きているのかまったく分からないものの、何か恐ろしいことが起きているのは間違いなかった。やはりあの球体から噴き出た煙は強い毒性を持つ瘴煙だったらしい。けれど一体誰が、何のために?
「走れ! 逃げるなら今のうちだ、煙を吸わねえように息を止めて走り抜けろ!」
屍人の呻きにも似た守兵たちの苦悶の声に、顔面蒼白になって固まっていると、再び男の声がした。最初に伏せろと叫んだのと同じ声だ。
とするとあの声の主が城門を爆破し、毒煙を吐く球体を投げ込んだのか。彼はカミラたちを助けようとしている?
ということは味方である可能性が高いが、男の声に聞き覚えはない。いや、そう言えばさっきロクサーナが、特別房に現れた謎の男の話をしていた。
まさかアレと同一人物?
だとしてもやっぱり、何故自分たちを助けようとするのか分からない──
「カミラ、立って!」
「えっ……!?」
混乱している間に、いきなりぐいと腕を引かれた。引かれるがままに立ち上がり、まろぶように走り出す。目の前には自分の手を引いて駆けているカイル。だとすると先刻、後ろから覆い被さってきたのもやはり彼だったのか。
カイル、とその背に呼びかけようとしたけれど、すぐに毒煙の中へ突っ込むことになって口を噤んだ。同時にぐっと息を止め、紫色の煙の中を走り抜ける。
「……っ!」
呼吸を止めて走るというのは思いのほか至難の技だったが、瘴煙の中にいたのはほんの数瞬のことだった。気づけばカミラはカイルに手を引かれたまま、麓へと続く石段を駆け下りている。自分の体が無事だということを確かめると、駆けながら背後を振り向いた。ほんの少し遅れているが、ジェロディたちもちゃんとついてきている。紫色の煙も風に吹かれて、ちょっとずつ霧散しつつあるようだ。
「ね、ねえ、カイル……!? あれって一体どういうこと──」
「話はあと! 今はさっさとここを離れないと、だろ!?」
カイルにしては珍しく切羽詰まった声音で言われて、カミラは質問を呑み込むことしかできなかった。もう一度振り仰いだ監獄の丘は、ようやく紫煙を払い除け、全貌をあらわにしている。ひしゃげた鉄の門と崩れた城壁。今も石積みが崩落する音はすれど、身動きする者の姿は見当たらない。
どうやら追っ手の心配はなさそうだった。
カミラたちは無事に丘を駆け下りて、予定どおり、東の森へと逃げおおせた。
◯ ● ◯
ぜえ、ぜえ、と苦しげな息遣いが、森のあちこちから聞こえていた。
あっちの木陰にもこっちの木陰にも、囚人服を着たままの仲間が座り込み、あるいは仰向けに転がって、荒い息をついている。監獄から八幹(四キロ)ほどの距離を一気に走り抜けてきたあとだ、無理もない。
カミラやオーウェンでさえしばらく息が切れて立ち上がれなかったようだから、何ヵ月もの間ろくに体を動かすことさえできなかった仲間たちがへばってしまうのも仕方がないことだった。あの状況で一人の脱落者も出なかったのは、むしろ奇跡と言っていい。代わりに監獄守備隊側が大きな犠牲を払ったようだったけど。
「え……ええと……お……お水が必要な方は、おっしゃって下さい……! 少しだけなら、わたしの神術で、ご用意できますので……!」
と同じく肩で息をしながら、マリステアが倒れた元囚人たちの間を歩き回っているのが見えた。時折青い光がぱっと生まれてマリステアの手元に収束していくところを見ると、水刻で生み出した水を仲間に飲ませてやっているらしい。
ジェロディは木陰に座り込んでその様子を見守ったあと、深く息を吐き出した。同時に胃のあたりを押さえ、胃液が逆流してきそうなのをこらえる。
ここ数日、特に空腹を覚えることもなかったから、水以外胃に入れていないのが幸いした。監獄を脱出する間際、目の前に広がったあの光景を思い出すと、胃が空っぽの今でさえ強烈な吐き気が込み上げてくる。
どこまでも黒く、おぞましく、どろりとジェロディの視界を覆い尽くした死神の靄。
ジェロディはいつの間にか、アレを心の中で〝死影〟と呼んでいる自分に気がついた。特に名づけようと思って名づけたわけではないのだが、それが最もしっくりくるような気がするのは歴代神子の記憶の影響か、はたまた生命神との同化が進んでいるせいか。
どちらにせよ、今回の潜入作戦で一つはっきりと分かったことがあった。
死影は取り憑いた者の死を予告する、いわば可視化された死の宣告だ。
あれにまとわりつかれた者は、遅かれ早かれ必ず命を落とす。実際、ジェロディはフォルテッツァ大監獄の地下からようやく地上へ這い出したとき、唖然として立ち竦むことしかできなかった。何故なら自分たちの行く手を阻む監獄守備隊の兵が皆、汚泥のごとき死影をまとっていたから。
(あの状況で守兵が全滅するなんて、さすがに予測できなかった。だけど実際に彼らは死んだ……これもまた、ハイムの力だって言うのか)
生きている人間の死を予知する力。魂なきものに魂を吹き込む力以外に、そんな力までおまけでついてくるとは夢にも思っていなかったし、望んでもいなかった。
ふと自身の右手を見やれば、今も指先が震えている。生きている人間の死が事前に分かってしまうという恐怖。そして死に選ばれた者が必ずまとう、醜悪で禍々しい靄に対する激しい憎悪。その双方がジェロディの心にのしかかり、暗い影を落としていた。だってアレが人の死を予告するものだともっと早くに気づいていたら、自分には救えた命があったはずだ。
たとえば、ロカンダで命を落としたフィロメーナ。
あの晩、彼女を呑み込まんとしていた死影をただの幻だなんて切って捨てなければ、自分はフィロメーナを救えたのではないか。
(……本当に、僕はどうして……)
何もかも知るのが遅すぎる。ジェロディは立てた片膝に額を預け、喉を焼く吐き気と悔恨をやりすごそうとした。
全身を重い倦怠感が包んでいるのは、立て続けに死影を見すぎたせいか。できればこのまま横になって休みたい。そしてできれば、しばらく目を覚ましたくない。
されど神を宿す体では、そんな現実逃避もままならない。ジェロディはうなだれたまま浅く唇を噛んだ。が、不意に近づいてくる足音が聞こえて顔を上げる。すぐ傍に佇み、ジェロディを見下ろしてきたのは光の神子──ロクサーナだった。
「いさしかぶりでおじゃるの、ジェロディ。さっきは慌ただしくてろくに挨拶もできんかったけんじょ、わーとトビーをあっこから助け出してくれたこと、感謝するぞえ」
「いや……僕たちもまさか、あんなところに君がいるとは思ってもみなかったから。偶然再会できて良かったよ」
「ふむ。これが果たして偶然かの。神子というのは神に選ばれた者同士、自然と引かれ合うものじゃ。あるいは《命神刻》がわーの《光神刻》の気配を察知して、そもじを導いたのやもしれん」
「《命神刻》が……?」
「げにも。──そもじ、しばらく見ん間に、ずいぶんと力を使ったようじゃの」
ロクサーナの可憐な唇から零れた鋭い一言に、ジェロディは図らずもどきりとした。何故気づいたのか、と目を丸くして見上げれば、彼女は呆れたような憐れむような顔つきで、深々とため息をついている。
「じゃけん、神の力に頼ってはならぬと忠告したろうもん。そもじ、気づいておらんのけ?」
「き、気づくって、何を?」
「幼子の頃のそもじはガルテリオと同じ、綺麗な黒眼でおじゃったろ。それが今や真っ青に変わってきちょる。《神蝕》が進むと髪や目の色に変化が表れるのはよくあることじゃき。ま、何故だか本人も周りも違和感なく受け入れて、変っていることに気づかんことが多いがの」
ジェロディは耳を疑った。
ロクサーナの言葉が信じられなくて、腰の剣を鞘ごと引き抜く。
そうしてわずかに剣を抜き、刀身を鏡代わりにした。監獄での戦闘で付着した血糊が邪魔だったが、覗き込んだ自分の瞳は確かに──青い。
「こ……れ、って……」
ロクサーナに指摘されるまで、本当に気づかなかった。だが彼女の言うとおり、自分は元々父譲りの黒髪黒眼だったはずだ。それがいつしか藍色になり……いや、藍色なんてものじゃない。九ヶ月前、ビヴィオで初めてトビアスと出会ったとき、彼の瞳の色は自分の瞳の色に似ているなんて思った記憶があるが、今やジェロディの瞳は紺碧とでも呼ぶべき鮮やかな色合いをしていた。
いつの間にこうなっていたのかは、自分でも分からない。毎朝着替えのために姿見を覗いても、違和感を覚えることなんて一度もなかったからだ。そして幼い頃から傍にいるマリステアたちも、これまで気づいたり気にしたりする素振りを見せなかった。彼女たちはジェロディの容姿の変化を神子の宿命として受け入れ、敢えて今まで触れずにいたのか──あるいは本当に、誰も気づかなかったのか。
「あ、コラード……! 目が覚めた……!?」
こんな短期間で、ここまで《神蝕》が進むものなのか。ジェロディが愕然と尋ねようとしたとき、少し離れたところからメイベルの慌てた声が聞こえた。
ふと目をやれば、木陰に寝かせられていたコラードがわずかに体を起こしている。そんな彼をメイベルが横から支え、木の幹に凭れさせた。
コラードは相変わらず衰弱している様子ではあったが、解毒薬のおかげか、意識はずいぶんはっきりしてきたようだ。助け起こしてくれたメイベルに礼を言うと、歩み寄ってきたオーウェンと久闊を叙し、互いの無事を喜び合った。
「お手を煩わせて申し訳ありません、オーウェン殿。ですがあなた方のおかげで助かりました……ここまでのおおよその経緯は、ジェロディ殿から伺っています。メイベル、君にも礼を言わなければ……」
「あっ、あたしは別にいいわよ! あ、あんたに雇われた退魔師としてやるべきことをやっただけだし? 一度依頼を引き受けたからには、ちゃんと魔物を祓うまで引き下がれない。だけどもう一度ハーマンに挑もうと思ったら、あんたがいなきゃ……その、な、なんていうか、かっこがつかないでしょ? だ、だから助けに行っただけであって、特に深い意味はないんだからねっ!」
あんなにコラードの身を案じていたはずのメイベルは、いざ彼を前にすると、今回の救出劇に様々な理由をつけた。素直に彼のことが心配だったと言えばいいのに、何故だか絶対そうは言わない。
が、コラードもそんなメイベルの強がりを分かっているのか、特に追及はせず微笑んだ。元は砂王国の奴隷だったなんて信じられないくらい紳士然として穏やかな物腰の青年だ。救世軍に対する複雑な想いはあるようだが、助けられた恩に報いるためか、敵意を剥き出しにすることもなかった。むしろ真摯に頭を下げられて、ジェロディたちの方が恐縮してしまったくらいだ。
「で、コラード。早速本題だが、お前、俺たちに協力するつもりはあるか? 別に今回のことを恩に着せて、無理矢理協力を迫るつもりはない。だが俺たちが少ない手勢で獣人区を守りきるためには、第五軍のことを知り尽くしてるお前の力が必要だ。この件、お前はどう考える?」
「……監獄から助け出していただいたことには、本当に感謝しています。ですが第五軍を討つ、ということは……つまり皆様は、ハーマン将軍の首を狙っておられる、ということでしょうか?」
「いや。まずはハーマン将軍の首よりも、あの人に取り憑いてる魔物を祓う方が先だ。魔物の洗脳さえ解ければ、将軍も獣人区攻めを思い直して下さるかもしれない。そうなりゃ俺たちが将軍と争う理由もなくなる。ですよね、ジェロディ様?」
とオーウェンから話を振られ、ジェロディはついに腰を上げた。できれば気持ちを整理する時間がほしいし、ロクサーナとも話をしたい。
けれど自分は救世軍の総帥だ。甘えや怠惰は許されない。
──頭を切り替えないと。
そう自分に言い聞かせ、軽く頭を振ってから、ジェロディは改めてコラードを見据えた。
「オーウェンの言うとおりです、コラードさん。僕もハーマン将軍のことは、正黄戦争の頃からよく知っているつもりです。あの人は大義名分もなく、ルシーンの私利私欲に応えて殺戮や略奪を働くような人じゃない。だから、賭けてみたいんです。魔物を退けたあとの、将軍の良心に」
「……しかしたとえ将軍を正気に戻すことができたとしても、我々があなた方と敵対する勢力であることに変わりはありません。獣人区侵略の取り止めはお約束できても、あなた方の身の安全は保証できませんよ」
「そうなったときは正々堂々、将軍と干戈を交えるだけです。僕たちとしては獣人居住区への侵攻と、角人族の捕縛さえ考え直してもらえれば構わない。その後のことは魔物を祓ってから考えましょう。将軍が憑魔に操られている限り、僕らは話し合いで道を探ることすらできないんですから」
ジェロディがきっぱりとそう告げれば、コラードもまた切れ長の翠眼でじっとこちらを見返してきた。彼の表情は至極真剣で、そういう顔をしていると、触れた途端に指が切れてしまいそうな、鋭利な刃物を連想させる。されど数瞬ののち、コラードはついに息をついた。そうして樹木の幹に手をつき、メイベルに支えられながら、されど自分の両足でしっかりと立ち上がってみせる。
「分かりました。あなた方がそこまで覚悟を決めて下さっているのでしたら、私も協力を惜しみません。あくまで将軍に取り憑く魔物を討つまでの共闘という形になりますが……それでもよろしければぜひ、お力添えさせて下さい」
「ありがとうございます、コラードさん。一緒にハーマン将軍をお救いしましょう」
そう言って歩み寄ったジェロディは、可能な限り自然に見える笑顔を作って手を差し伸べた。そんなジェロディを見下ろして、コラードも不器用な笑みを作る。
まったく色の違う二人の手が結ばれた。
ここまで来たらあとはもう、諸悪の根源を討つだけだ。