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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第6章 世界はやさしくなんかないけれど
198/350

196.絶体絶命

 歌が、聞こえた。

 カミラの知らない言語(ことば)で紡がれる歌だ。

 それもひどく透明で、伸びやかで、煌めいていて。

 その一瞬、カミラは開きゆく扉の向こうから聞こえる歌声に酔いしれそうになった。こんなに美しい歌声は聞いたことがない。まるで星のさざめきのような──雪を溶かし、草木に目覚めを促す慈雨のような。


《ルエラ……!》


 やがて目の前の扉が完全に開ききったとき、真っ先に特別房へ飛び込んだテレルが(つんざ)くような声を上げた。途端にぴたりと歌が止み、歌声の主に寄り添っていた小さな影が、ぱっと弾かれたみたいに立ち上がる。


《テレル……!?》


 次いでカミラの脳裏に響き渡ったのは、可憐で細い少女の声だった。

 見れば広々とした特別房の奥に、白金を細く細く梳いたような、美しい銀髪の角人(ケレン)がいる。テレルそっくりの、大きくて真っ黒な瞳を見開いた彼女はたちまち涙を溢れさせるや、鹿の後肢で跳ねるように駆け寄ってきた。


《テレル、テレル……!》


 彼女の呼び声に応えたテレルが、同じく床を蹴って駆けていく。二人はちょうど部屋の真ん中あたりで再会し、何も言わずに抱き合った。

 そうして嬉しそうに頬を擦り合わせているところを見る限り、どうやらあの角人こそがルエラで間違いないようだ。正直、人間のカミラから見るとルエラはテレルとまったく同じ顔で、恋人というより兄妹みたいに思える。


 けれどそんなカミラの心境を知ってか知らずか、二人は房のついた尻尾をしきりに振り回しながら、「ヒュウッ、ヒュウッ」と何度も歓喜の鳴き声を上げていた。しまいに二人の尻尾は触れ合い、絡み合って、先端がきゅっと結ばれる。

 まるで人間同士が手をつないでいるみたいだった。もしかするとあの行為には、それと似たような意味があったりするのだろうか。


《ルエラ、ルエラ……探したよ。無事で良かった……》

《心配かけてごめんなさい、テレル。だけどもう会えないかと思った……ありがとう、助けにきてくれて》


 ルエラはテレルの細い肩に顔を埋めたまま泣いていた。二人の尻尾は依然、固く結ばれたままだ。しかしカミラは、頭の中に響くルエラの言葉にほんの微かな違和感を覚えた。だって今の彼女の口振りは、あたかもテレルが助けにくることを知っていたみたいじゃないか?

 さっき拷問部屋で助けたコラードはメイベルの顔を見て、まず真っ先に「どうしてここに?」と尋ねていた。実際、カミラもこんなところに囚われて、いきなり仲間が助けに現れたら、同じように驚く自信がある。なのにあの反応は……と考え込んでいると、ときに部屋の奥からもう一つの声がした。


「──トビー、そもじはほんに毎度毎度わーを待たせるのう。まったく待ちくたびれたぞえ。しかも何でおじゃるか、その薄汚い格好は。仮にもわーの血飲み子なら、せめて身なりだけでもしゃんとしんしゃい」

「ロクサーナ……!」


 特別房の最も奥、そこに置かれた椅子の上で腕と足を組み、ふんぞり返っているのはまさしくロクサーナだった。彼女とは九ヶ月前、ビヴィオで一度会ったきりだが、星のごとく煌めく銀髪と奇跡のような顔の造形、そしてそれにそぐわぬ強烈な訛りを聞けば間違いようがない。

 かつては小国の女王だったという、光明神オールの神子。彼女の無事な姿を認めたトビアスは──再会早々辛辣な苦言を呈されたにもかかわらず──心底安堵した様子で、すぐさま彼女に駆け寄った。


「ロクサーナ、良かった……! あなたもご無事でしたか……! ここに来て早々引き離されたときは、どうなることかと思いましたが……」

「ふふん、当然でおじゃろうもん。そもじが無事ならわーも無事に決まっておろ。……しかしそもじ、ちぃっと会わんうちにいささか痩せたのう?」

「この場合、(やつ)れたと言った方が正確ですが……まあ、あなたからいただいた血のおかげで、どうにか飢え死にせずに済みましたよ」

「ふむ。ならばわーによりいっそうの感謝を捧げるのじゃな。ほれ、どこぞ怪我なぞしとらんけ?」

「いたた! ちょ、ちょっとロクサーナ、バシバシ叩かないで下さい!?」


 苦笑したトビアスを見るや否や、ロクサーナはすっくと立ち上がり、真白い両手で彼の全身をぽんぽん叩き始めた。トビアスは身をよじって嫌がったが、ロクサーナの夜明け色の瞳は思いのほか真剣だ。

 そもそもトビアスの今の格好を〝薄汚い〟とか評していたわりに、彼女は触れることに抵抗を見せなかった。ロクサーナの方はまるで毎日入浴していたかのように小綺麗で、衣服も上等なものをまとっているのに──どうやらそれらが汚れることを厭わない程度には、彼女もこの五ヶ月間、トビアスの身を案じていたようだ。


「……うむ。特にどこかいわしたところはにゃーようじゃの。まったく、トビーの分際でわーに心配をかけるとは百年早いぞえ」

「で、では頑張ってあと百年お供させていただきますね……」

「百年先もわーがわーでおれたらの。で、そっちにおるのはヴィルヘルムとカミラきゃえ。いさしかぶりじゃのう、元気(まめ)にしとったけ?」

「いきなり俺たちが現れたことに驚かないのか、ロクサーナ。まるで初めから助けが来ることを確信していたような口振りだな」

「ふん、そもじは相変わらず(さど)(おのこ)よの。げにも、そもじらがここへ来ることは予め知っておったぞよ」

「ええっ!? そうなんですか……!?」


 と驚いたのはトビアスだけだった。カミラもさっきのルエラの反応を見て何かがおかしいとは思っていたから、驚きこそすれ、たまげるほどではない。

 一体どういうことだろうと思いながら、ひとまず昇降機を降りて特別房へ入った。軽く二十人くらいは収容できそうな大きな部屋だ。

 床にあったはずの大穴はやはり埋められてしまっていたが、室内には天蓋つきの寝台やら書物が詰め込まれた本棚やら、果ては高そうなティーセットまで完璧に揃えられていた。遺跡に住むのが趣味の貴族の部屋だと言われたら、信じてしまいそうなくらい立派な内装だ。すぐ下の拷問部屋と違って常灯燭(スカンス)の数も多く、室内はまるで真昼のような明るさだし。


「そもじらの噂は聞いとるき。何でも一度黄皇国軍に手酷くやられたものの、今は新しい拠点を構えて八面六臂の大活躍らしいの。まーそこにヴィルヘルム、そもじまで加わっとるとはいささか驚きじゃったけんじょ」

「俺にも色々と事情があってな。で、俺たちが来ることを知っていたというのはどういうことだ?」

「どーもこーもにゃー。少し前に看守の格好をした(もん)が来ての、そもじらがルエラを探してやって来るから、脱出の準備をしておけと催促されたのじゃ」

「はあ? 看守がそう言いにきたの?」


 予想外の答えを返されて、カミラは目を丸くしてしまった。監獄の看守であればカミラたちがルエラを助けに現れることを予想していてもおかしくはないが、それを囚人であるロクサーナに告げ、逃げるよう促すとはどういうことか。

 カミラはまったくわけがわからず、ヴィルヘルムに説明を求めてしまった。が、彼も状況が理解できていないようで、眉をひそめながら剣の柄を撫でている。


「ずいぶんと妙な話だな。その看守、何者だ?」

「さてのう。兜を目深に被っとって顔はよく見えんかったし、名を訊いてもはぐらかされたき。正味、分かったのは(おのこ)ということだけでおじゃるな」

「で、そいつはロクサーナたちに何もせずに立ち去ったの?」

「げにも。用向きはそれだけじゃと申してな。ほいでわーもルエラも、そもじらが来るのを今か今かと待ち構えておったのでおじゃる」


 細い腰に両手を当てて、ロクサーナはやっぱり偉そうにふんぞり返った。黙っていれば本当に美少女という言葉がぴったりな、お人形みたいな容姿をしているのに、何度会ってもこの強烈な訛りと態度だけがもったいないな……とカミラは内心がっかりする。ジェロディあたりに話したら、「カミラ、自分のことを棚に上げてるよ……?」と言われるであろうことなど知る由もなく。


《……だけど、ルエラ。今の話が本当なら、きみはずっとあの神子と一緒に特別房(ここ)にいたのかい?》

《うん……そうだよ、テレル。わたしはここに連れてこられてから、毎日ロクサーナさまと一緒だった。ひとりぼっちだったら心細くて、きっと泣き暮らしてたと思う。でも、ロクサーナさまが傍にいて下さったから……》

《何言ってるんだ、あいつだってテヒナの狗だぞ? きみだって分かってるはずだろ? いや、まさか一緒にいる間に洗脳されて……!》

「ずいぶんな申しようじゃのう、そもじ。名はテレルと申すのきゃえ。心配せずとも、わーはルエラに何の危害も加えておらん。ただ退屈な監獄暮らしの話し相手になってもらっていただけでおじゃる」


 と、角人である二人の会話が聞こえたのか、ロクサーナが腕を組んだまますっと瞳を細めた。途端にテレルが「ヒュイッ……!」と警戒の声を上げ、ルエラを庇うように押しのける。

 彼は明らかにロクサーナを敵視していた。いや、テレルが人間を嫌っているのは元からだが、とりわけ神子に対しては並々ならぬ敵愾心を燃やしている。

 ジェロディのことも繰り返し〝テヒナの狗〟と罵っていたし、あれは一体どういう意味なのだろうか。獣人だって二十二大神を信仰しているこのご時世に、まさか亜人は無神論を信奉しているとか……?


「安心しんしゃい。そもじらのことは〝女王〟から聞いておる」

《……!? おまえ、女王とお会いしたことがあるのか……!? いつ、どこで!?》

「さての、わーも六百年ほど生きとる身じゃき、そもじらの女王とは何度も会うて話をしとる。神子としてあやつの理想には賛同しかねるがの、一応の理解は示しとるつもりじゃ」


 カミラは思わずロクサーナとテレルの双方を見比べた。二人が何の話をしているのか、カミラにはまるで分からない。

 テレルは尻尾の毛を逆立てて、なおもロクサーナを警戒している様子だった。だが〝女王〟という謎の言葉が効いたのだろうか、威嚇する獣のようにしかめられていた彼の表情に、わずかながら逡巡の色が見える。


《六百年……それほど長く生きていて、まだ《神蝕》に冒されていないのか……》

「うむ。わーにも色々と事情があっての、二十年ほど前まで神の力をほとんど使うことなく生きてきた。ゆえに今もパーシャ・ロクサーナとしての人格は健在でおじゃる。おかげでそもじらの女王はわーに興味津々での、今ではすっかり知己の仲じゃ。よってそもじらにも危害は加えぬ。これでもまだ信用できんきゃえ?」


 ロクサーナが少しも引くことなく言い切れば、ついにテレルの尻尾の毛が落ち着いた。ぴんと天井を向いていた先端の房は垂れ下がり、テレル自身もまたうつむいている。警戒こそ解いたものの、本当にロクサーナに気を許していいのかどうか、まだ迷っているようだ。そんな彼の心境を見透かしたのか、ルエラがそっとテレルの服の袖を掴まえた。


《テレル、ロクサーナさまのおっしゃることは本当よ。ここに連れてこられてからロクサーナさまにはとても親切にしていただいたの。だからお願い、ロクサーナさままで責めるのはやめて……あの方が女王のご友人だって話、わたしは信じるわ》

《……ルエラがそう言うのなら》


 と、ルエラの説得でついに折れ、テレルはうつむいたままふいっと顔を背けた。それを見たルエラは胸に手を当てて、ほっとしたような、嬉しそうな顔をしているけれども、やはりカミラには話が見えない。


「あ、あの、ロクサーナ。さっきからあなたたちが言ってる〝女王〟って……? もしかして角人族も人間みたいな王国を持ってるの?」

「うむ。正確には〝持っていた〟と言った方が正確じゃの。えろう昔に、神々の怒りに触れて滅ぼされてしまったけんじょ」

「えっ……か、神々の怒りに触れて、って、どういう──」

「ロクサーナ。今はそんなことより脱出を図るのが先決だろう。事前に俺たちが来ることを知らされていたということは、脱出の準備は整っているんだろうな?」

「む……確かにそうじゃの。ではそろそろ参るとするけ」


 少女のような胸を張って、ロクサーナは昂然と応えた。ところがカミラは、また重要な話を邪魔されたと知って目を丸くしたのち、思わずヴィルヘルムを睨んでしまう。が、間違いなく視線が搗ち合ったはずのヴィルヘルムは、カミラの無言の抗議を無視して身を翻した。彼の秘密主義もここまで来るとさすがに腹立たしい。

 もったいつけないでいい加減話して、と黒い背中に苛立ちをぶつけたかったが、しかしすんでのところでぐっとこらえた。直接訴えたところでヴィルヘルムが話してくれるとは到底思えなかったし、その理由だってちゃんと分かっているからだ。


(真実を知れば、魔族が私を利用しにやってくる……でもそれって、どこまで本当なのよ、ヴィル)


 今すぐ彼に追い縋って、そう尋ねたかった。でも、できない。今は私情に時間を取られている場合ではないし、真実を知るのが恐ろしくもあったからだ。すべてを知ったとき、カミラが世界に絶望するような真実ならば、なおさら。


「……だとしても、ヴィルってちょっと過保護よね」

「え? そうですか?」


 と、カミラの独り言が聞こえたのか、隣にいたトビアスが不思議そうに尋ねてきた。どうやら血飲み子というのは不老で不死に近い体を持つだけでなく、視覚や聴覚が優れているところまで神子譲りらしい。だから「何でもないです」と誤魔化して、カミラはため息をつきながら昇降機へと戻った。全員が乗り込むと、カミラの命令を合図に円盤状の台座がゆっくり降下を開始する。


 かくして第四層へ戻った一同は、まず拷問部屋に残ったジェロディたちと合流した。どうやら追っ手は現れなかったようで、コラードの治療も完了している。

 ただ話している途中で力尽きてしまったのだろう、コラードは横になったまま再び意識を失っていた。命に別状はないものの、長らく続いた拷問により、かなり体力を消耗してしまっているらしい。


 仕方がないのでヴィルヘルムが彼を担ぎ、仲間の待つ第五層を目指した。〝揺り籠〟の昇降機はあくまで第一層から第四層までの石製室をつなぐものであって、第五層へ戻るにはもう一度迷宮を抜けていくしかない。

 途中、何度か守兵と会敵したものの、どうにかこうにか切り抜けた。さらに第五層へ戻ってみれば、数人の敵兵とウォルドらが交戦しているではないか。

 カミラたちはそこへ割って入り、背後から奇襲する形ですべての敵を退けた。第五層にいた仲間はみんな無事だ。カミラはほっと胸を撫で下ろしながら、こちらも全員無事であること、そしてルエラ、コラード、ロクサーナを救出できたことを報告した。これでもうこの監獄に用はない。


「しかしオーウェン、お前、監獄の守兵は二百人くらいだって言ってたよな。それにしちゃずいぶん敵が多くねえか? こいつら、倒しても倒しても湧いて出てきやがるぜ。ほとんどの守兵は地上(うえ)猿人(ショウジョウ)どもが食い止めてるはずだってのによ」

「いや、確かにそう聞いたんだが……もしかしたら最近守備隊が増員されたのかもな。何たってここには神子が収監されてたわけだし、ルシーンサマご所望の角人族まで閉じ込めてたんだ。だとしたら監獄の守りがキツくなるのも無理ないだろ?」

「まあ、そうだけどよ。なんかキナ臭えというか、嫌な予感がするんだよな。帰りは行き以上に気を張った方がいいかもしれねえ」

「ちょっとやめてよ、ウォルドの嫌な予感ってうんざりするほど当たるんだから」


 そんな文句を垂れながら、カミラは仲間と共に地上を目指して出発した。スミッツを始め、牢屋から助け出した仲間は四十人近く。そこに潜入作戦のメンバー十人とルエラ、コラード、トビアス、ロクサーナの四名を加えて約五十人。とんでもない大所帯だ。カミラには彼らを無事に〝揺り籠〟の外まで連れ帰る義務がある。

 既にここまでの戦闘で疲れ果ててはいたが、あと一息だと自分自身に言い聞かせ、先頭を走った。一応背後から挟撃されたときのことを考えて、殿(しんがり)はウォルドとオーウェンに任せている。


 二人には一緒にコラードも運んでもらって、行く手の露払いはヴィルヘルムに頼る形だった。カミラはちょっと戦うとすぐ息が上がってしまうのに、彼はどれほど戦闘を重ねても至って涼しい顔をしている。

 秘密を話してくれないのは気に食わないものの、やはりこういうとき、一番頼りになるのはヴィルヘルムだった。ラファレイがかつて彼のことを「化け物じみて頑丈」と評していた理由が今なら分かる。もしかしてその驚異的な身体能力も、魔物が取り憑いているせい……だったりするのだろうか?


「すまんな、カミラ。俺たちにも戦うだけの力が残ってれば良かったんだが……」

「ううん、気にしないで。スミッツたちが生きててくれただけで、私たちにとっては大収穫なんだから。むしろキツかったらいつでも言ってね。できる限りみんなにペースを合わせるから」


 何度目かの戦闘のあと、申し訳なさそうに声をかけてきたスミッツに、カミラは努めて笑顔を返した。牢から出たばかりの仲間の中には、階段を駆け上がってきただけで疲れ果て、今にも膝をつきそうになっている者が何人もいる。

 皆、長い間ろくな食事も与えられず、狭苦しい独房に閉じ込められていたのだ。いくら体力が衰えないよう努力していたとは言え、さすがに第五層から第一層までの踏破はかなりキツいだろう。

 カミラは一刻も早く皆を連れ出してやりたくて、ぎゅっと剣を握り締めた。あと少しだから頑張って、と励ましの声をかけ、上階を目指す。目指す。


「見えた、出口よ……!」


 そうしてついに第一層へ出た。

 ここまで来ると、さすがに追い縋ってくる敵兵はもういない。

 第二層から続く長い階段を登り切り、しばらく進んだ先に、外へと続く巨大な石の扉が見えた。あそこへ駆け寄って入ったときと同じ言葉を唱えれば、再び監獄の門は開く。カミラはぐんと歩調を速めて先行した。やっと外に出られると思うと気が急いて、息せき切らせながら、扉に埋め込まれた緑色の希石へ声を放つ。


開門(オンスクルト)……!」


 ズン、と監獄が鳴動した。最初にここへ飛び込んだときと同じだ。緑希石がカミラの命令に呼応して閃き、扉がゆっくりと地面から持ち上がり始めた。明かり取りの窓もなく、常灯燭の明かりだけが頼りだった通路に日の光が滑り込んでくる。

 〝揺り籠〟の中に入ってからもうだいぶ長い時間が過ぎたような気がしていたが、どうやら日はまだ高いようだった。外には猿人族の勇士たちがいるはず。あとは彼らと協力して、城壁の外へ脱出することさえできれば──


「……え?」


 と、やがて扉が完全に開き切ったとき、カミラは茫然と立ち尽くした。

 とっさに飛び出そうとしていた足が止まる。続く仲間たちからもどよめきが上がった。隣へ駆け寄ってきたジェロディもまた、目を見張っている。


「そこまでだ、反乱軍」


 扉を出てすぐのところに、弓を構えた黄皇国兵がずらりと居並んでいた。

 いや、出口の外だけじゃない。監獄を囲む堅牢な城壁、その唯一の城門の上にも弓兵が並び、カミラたちへ狙いを定めている。

 敵影の数は、ざっと百。彼らと戦っていたはずの猿人たちの姿はどこにもない。


「う、嘘でしょ……?」


 無理矢理作った笑顔が引き攣った。

 カミラはこういう状況を表すのにぴったりなハノーク語を知っている。


 すなわち、絶体絶命というやつだ。



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