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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第6章 世界はやさしくなんかないけれど
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193.偽らざる想い

「カイル」


 座り込んだまま動かない彼の名前を呼びながら、カミラは左肩の矢に手をかけた。


「カイル」


 もう一度呼びかけ、返事がないことを知ると、覚悟を決めて矢柄を引き抜く。

 瞬間、体中の神経という神経を駆け巡るような激痛が走り、思わず悲鳴を上げかけた。しかしどうにか歯を食い縛ってこらえ、よろよろと立ち上がる。


「カイル」


 三度目。枯草色の髪が返り血で斑になったカイルは、目の前の死体を茫然と見やったまま動かなかった。だからカミラは彼に駆け寄り、視線を遮るように跪く。それでもカイルは、動かない。


「ねえ、カイル、しっかりして! どこか怪我──」

「……て……んだ……」

「え?」


 視界をカミラに遮られながら、しかしカミラではないどこかを見つめて、カイルが何か呟いた。注意して耳を澄ますと、彼は掠れた声で同じ言葉を繰り返す。


「初めてなんだ……人を殺したの……」


 カミラははっと息を飲んだ。次いできつく切歯して、カイルの肩に手をかける。

 そうしてから、何も言わずに抱き寄せた。そこで我に返ったのだろうか。胸元に顔を押しつけられたカイルが、腕の中でわずかに身じろぎしたのが分かる。


「え……ちょ、カミラ……? どういう風の吹き回し──」

「──私も初めて人を斬ったとき、誰かにこうしてほしかったから」


 言いながら、あの日のことを思い出し、カイルを抱く腕に力を込めた。忘れもしない。自分の手で初めて人を殺めた感触。浴びた血潮の臭い。渦のように底なしに、己を呑み込んでいった恐怖と後悔。

 あれと同じものをカイルもいま味わっているのだと思ったら、放っておけなかった。するとほどなく、こわばっていた彼の全身から力が抜ける。かと思えばカイルもカミラの背中に手を回し、抱き返してきた。


「ごめん……少しだけ、こうさせて」

「ええ」


 いつもなら許可も取らずに抱きつこうとするくせに、今日のカイルはやけに殊勝だった。だからカミラも拒絶せず、じっと胸を貸してやる。


「……ありがと。あんたのおかげで、私は生きてる」


 耳元でそう呟けば、カイルがふっと短く笑ったのが分かった。と同時に、微かに鼻を啜る音がする。カイルはカミラの鎖骨あたりに額を埋めると、背中に回した手でぎゅっと衣服を握り締めてきた。


「……それはこっちのセリフ。カミラの機転がなければ、オレも死んでた」

「確かにそうね。じゃ、お互い様ってことで」

「そうだね。けど、いいの? こういうことされるとオレ、自惚れちゃうよ?」

「バカ。今回だけ特別に決まってるでしょ」

「ちぇっ。何だよ、ついにカミラが落ちてくれたかと思ったのになー」


 そんな軽口を叩く元気が戻ったのならもう大丈夫だろう。そう思ったカミラは内心胸を撫で下ろし、そろそろ体を離そうとした。

 が、腕の力を緩めたところですかさず強く抱き締められる。予想外の力に驚いて目をやるも、カイルは顔を上げなかった。


「……けどまあ、いいや。こうして好きな子に抱き締めてもらえたんだから」

「カイル」

「信じてもらえないかもしんないけどさ。一応、改めて言っとく。──好きだよ、カミラ」


 耳元で思いもよらない言葉を囁かれ、カミラは図らずも固まった。その体の硬直を衣服越しに感じ取ったのだろう、カイルがまた笑った気配がある。


「いや、ほんとさ。オレ自身、どうかしてるって思うくらい……好きだ。そういうお人好しなとこも、ちょっと乱暴なとこも、後先考えないとこも」

「……ねえ、それ褒めてるの?」


 もしかしたら自分はからかわれているのかもしれない。そう思い至ったカミラは、途端に素に戻って尋ねた。

 するとカイルが「ぶはっ」と吹き出して、ようやくカミラから手を放す。互いに少し距離を取った。でも向かいにいるカイルの顔は、まだ近い。


「もちろん褒めてるよ。そんなところも全部カミラのいいとこだって、オレは思ってるから」

「じゃ、私も尊敬の意を表しておくわ。あんたのそういう懲りないところにも、ふざけた台詞を平然と吐けるところにも」

「たははー、それほどでもー」

「そこ、照れるとこじゃないから」


 嬉しそうにでれでれしながら頭を掻くカイルに、カミラは冷徹極まる眼差しを注いだ。けれどふとカイルと目が合うと、何故かいたたまれなくなって横を向く。

 ……ウォルドはカイルに気をつけろ、と言った。あいつは信用ならない。へらへらした外面に騙されれば痛い目を見るかもしれない、とも。

 確かにカミラもカイルには何かある、と思う。彼は秘密を抱えている。初めは考えすぎだと思ったが、第六層からここまでの道で、その予感は確信に変わった。


 とは言え彼が自分のために、二度も命を懸けてくれたことは事実だ。二度目に至っては己の手を血で汚してまで、カミラを救おうとしてくれた。

 あれも全部演技だったというのだろうか? だとしたら、どこからどこまで?

 少なくともカミラは、カイルが嘘をついているとは思えない。何か大切なことを隠してはいるけれど、騙そうとはしていない。そんな気がする。

 いや、この際彼の真意がどこにあるのかなんてどうでもいい。カミラは決めた。


 自分は、カイルを信じると。


「カイル。ごめん」

「うん?」

「あなたを信じてないわけじゃないの。だけど、私……今はまだ、あなたの気持ちに応えられない」

「……うん」

「……私ね。今まで恋愛とか、誰かを好きになるとか好かれるとか……そういうのとは、全然縁がないところで生きてきた。ていうか、興味がなかったの。だから、あなたの気持ちは嬉しいんだけど、まだ上手く受け止められないっていうか……」

「うん」

「それにね。私、今はまだ救世軍のことしか考えられない。どうやったらみんなを守れるだろうとか、フィロの願いを叶えられるだろうとか……そんなことで頭がいっぱいで。自分のことにかまけてる余裕がないのよ。だから……あんまり期待しないで待っててくれる?」

「うん」


 カイルの返事は短かった。けれどそこに失意の影はない。

 彼はただ、微笑んでいた。

 まるで眩しいものでも見るみたいに、まっすぐカミラを見つめながら。


「好きだよ、カミラ」

「ちょ、だから今は答えられないって──」

「答えてくれなくていいんだ。ずっとオレの片想いでもいい。ただカミラが自分の気持ちを正直に話してくれたから、オレもそうしたいだけ」

「カイル、」

「そりゃもちろん、振り向いてもらえたら嬉しいけどさ? けどオレってぶっちゃけ、一方通行の愛でも全然平気なタイプなんだよねー。好きな子が笑っててくれれば幸せ的な? そのためならたとえ火の中水の中って感じ?」


 ……やっぱりカイルの言動は、どこまでが本気でどこまでが冗談なのか分からない。カミラは半ば呆れつつも──ただ、自分を好きだと言ってくれる彼の気持ちに嘘偽りがないことだけは、何となく分かった。

 正直、自分なんかのどこがいいんだと尋ねたいところではある。だけど、まだカイルの気持ちに応えられるかどうか分からない以上、気を持たせるようなことは言いたくない。そういうカミラの複雑な心境を感じ取ったのだろうか。カイルはもう一度目が合うと、いつものようにへらっと笑った。


「だからさ、笑っててよ、カミラ。オレ、君の笑ってる顔が一番好き。泣いてる顔よりも、怒ってる顔よりも、眠ってる顔よりも」

「そ、そう……それは、どうも……」

「あ、もしかして照れてるー? 珍しーねー、カミラがオレの前で照れるなんて」

「ち、ちがっ、これは別に照れてるわけじゃ──」


 と図星を突かれて、カミラがムキになった直後、だった。

 いきなりカイルの顔が急接近してきて、頬にちゅっと何かが触れる感触がする。

 カミラは再び固まった。今度はカイルもすぐ離れたが、しかしカミラは動けない。一拍ののち、自分がキスをされたのだと理解して──途端に顔に火がついた。


「あれ? 何だよカミラ、照れた顔もめちゃめちゃかわいいじゃん? 笑った顔とどっちがグッとくるかいい勝負……」

「か……か……カイルっ!!」


 さすがに抗議の平手を張ろうと思ったら、慣れた様子で(かわ)された。当人は「唇は我慢したんだからいいじゃーん」などと愉快そうにのたまっているが、その態度がまた憎々しい。

 というかとっさに利き手(ひだりて)を振り抜いたせいで、また激痛が走って死ぬかと思った。不用意に挑発に乗ってしまった自分の愚かさを呪いながら、結局カイルの手当てを受けることになる。


 カイルは倒れている黄皇国兵の腰から革帯を拝借すると、カミラの肩にきつく巻きつけ止血した。消毒もしていないのでさすがに不衛生が過ぎるが、神術がまったく使えない以上、こうする他にないというのが現状だ。

 そうこうしているうちに階段の上から慌ただしい足音がして、ジェロディたちが下りてきた。最初は新手かと思って身構えたものの、やがてやってきたのが気心知れた仲間だと分かるや否や、カミラもカイルもほっとする。


「か、カミラさん、カイルさん! ご無事だったんですね……!」


 が、二人の姿を見つけて安堵したのは、どうやらジェロディたちも同じだったようだ。マリステアなどはカミラが笑ってひらひら手を振ると、感極まった様子で泣き出してしまった。

 第三層ではぐれた仲間は全員揃っている。ウォルドやオーウェンが松明を手にしているところを見る限り、やはり壁の目印を頼りにここまでやってきたのだろう。

 カミラは傷が痛むのを隠して立ち上がるや、泣いているマリステアを慰め、皆と再会を喜び合った。罠に落ちてからのことを掻い摘んで説明し、仲間を導いてくれてありがとう、とテレルにも礼を言う。するとテレルはぷいっとそっぽを向いて、


《……別に、お前らのためにしたわけじゃない》


 と、可愛いげのない返事を寄越した。


 が、怒っているときに比べて長耳(みみ)がやや垂れているところを見るに、まんざらでもないようだ。カミラは小さく笑って、やめろと怒鳴られても構わずに、テレルのサニーブラウンの髪をわしゃわしゃと撫でた。

 テレルを始め、小柄な角人(ケレン)族は身長が二十四(アレー)(一二〇センチ)くらいしかないから、子供みたいでかわいいのだ。実を言うと子供好きのカミラはたまらない。他の仲間はみんな白目のない真っ黒な瞳が不気味だとか、小さすぎる鼻が気持ち悪いとか思っているみたいだけれど。


「おお、ウォルド、ウォルドじゃないか。さっきカミラから聞いちゃいたが、本当に無事だったんだな」


 それからジェロディたちと手分けして鍵を探し当てたカミラは、旧救世軍の仲間が閉じ込められている牢を次々と開けていった。真っ先に解放したのは、最初に再会したスミッツだ。鉄格子の扉を潜ったスミッツは、全身垢だらけで服もボロボロだったけれど、ウォルドを見るや嬉しそうに破顔した。対するウォルドも珍しく素直に喜んで、スミッツの痩せた肩を叩いている。


「俺もカミラから聞いたぜ。イークの野郎、生きてるんだってな。ま、あいつがそう易々とくたばるわけがねえとは思ってたがよ」

「はっはっ、そう言ってやるな。イークもお前たちのことを同じように言ってたがな。何にせよ、お互い命があって何よりだ」


 再会の僥倖を噛み締めている二人を傍で見ているうちに、カミラまで自然と口元が緩んだ。こうして三人で会話していると、まるでロカンダが救世軍の本部だった頃に戻ったみたいだ。


 けれど、フィロメーナはもういない。


 改めてその現実を突きつけられ、カミラはわずかに視線を落とした。スミッツにフィロメーナの死を告げていないということは、ウォルドにも伝えてある。

 話を聞いたウォルドは「まあ、それが無難だろうな」と短く言っただけで、カミラの判断を褒めもしなければ責めもしなかった。たぶん彼自身、どちらが正解か決めかねたのだろう。スミッツとフィロメーナは本当に親子のようだったから。


「とは言え俺たちが助かったのはあんたの手柄だぜ、スミッツ。あの日あんたからの手紙が届かなきゃ、俺たちは何も知らずにロカンダに留まってたはずだ。そうなりゃさすがに命はなかったかもしれねえ。おかげで助かったぜ」

「ああ、その話なんだがな……手紙の件はイークからも聞いた。俺からの呼び出しを受けて、フィロとお前たちが事件の前にロカンダを離れたってこともな。しかしまったく妙な話だ。俺は手紙なんて送った覚えはないんだが」

「え?」

「イークは確かに俺の筆跡だったと言うんだがな。本当に覚えがないんだ。手紙に書かれていた内容も、何のことだかさっぱりで……そもそも黄皇国軍の奇襲を事前に察知してたなら、俺だってアジトが襲われた晩、()()うの(てい)で逃げ出したりしなかったさ。それなら手紙じゃなくて人をやってお前たちに危険を知らせただろうしな」


 心底不可解そうに話すスミッツの証言に、カミラとウォルドは顔を見合わせた。あの日、カミラたちの運命を分けた一通の手紙──あれの差出人が、スミッツではない? けれどそんな話があるだろうか。イークが先に伝えたとおり、手紙の文字は確かにスミッツの筆跡だった。末尾には署名もされていたし、手紙を届けに来た伝達屋もまた「スミッツの代理人に速達を頼まれた」と言っていたという。


 しかし当のスミッツには記憶がない。ということは、彼の代理人を名乗って手紙を偽造した者がいるということか? 一体誰が、何のために?

 それとなく危険を知らせる手紙を送りつけて、カミラたちをロカンダから遠ざけようとした……とも考えられるが、だったらもっと具体的に〝今夜、官軍の奇襲があるから逃げろ〟とでも書けばいい。なのに手紙の内容は曖昧で要領を得ず、おかげでカミラたちも議論が紛糾する羽目になった。

 だとしたら手紙の送り主は何がしたかったのか? 目的も正体もまったく分からない。そう考えると何だか不気味で、カミラは思わず身震いした。まさか幽霊の悪戯なんてことはないと思うが、考えれば考えるほど気味が悪い。


「へえ……ま、送り主が誰にせよ、おかげで俺たちが助かったのは事実だしな。一応感謝しておくべきか? 目的がはっきりしねえのが気持ち悪ィが」

「うむ……そうだな。イークも少し調べてみると言っていた。今頃どこかで身を隠しながら、調査を進めているかもしれん。合流してからの報告に期待しよう」

「だな。しかし目的がはっきりしねえと言えば、カミラ。お前の方はどうだったんだ?」

「え? 私の方って?」

「カイルだよ。あいつに何か妙なことされたんじゃねえだろうな」


 いきなりカイルの話題を出され、カミラはぎくりと硬直した。ふと目をやった先にはジェロディたちに混じって、牢屋の解放を手伝っているカイルの姿がある。

 見たところ彼はもう平常運転だ。態度や素振りにおかしなところは何もない。が、ウォルドはそれをかえって()()()と睨んでいるようだ。だからカミラは慌てて右手を振った。


「い、いや、特に変なことは何も……む、むしろ私、カイルには助けてもらったし。二人きりになっても、別にいつもと変わらなかったわよ」

「ほお? じゃあお前、その傷は何だよ」

「こ、これは私がヘマしただけ。カイルは関係ないし、大した傷じゃない。ウォルドは何でもいちいち勘繰りすぎよ」

「生憎とそういう性分なんでな。お前みたいに隙だらけで無防備じゃねえだけマシだろ。そんなんだからつけ入られんだよ、お前は」

「痛っ!?」

「ああ、悪い。大した傷じゃないって聞いてたんでな」


 いきなり左肩を叩かれたカミラは涙目になりながら、ぬけぬけととぼけるウォルドを思いっきり睨みつけた。あんたは乙女のいたわり方ってもんを知らないの、と食ってかかろうとしたら、苦笑したスミッツに「まあまあ」と止められる。

 そうしたやりとりをしている間に、捕らえられていた仲間は全員解放されたようだった。牢を出た彼らは次々とカミラたちのところへやってきて、再会の喜びを分かち合う。


 が、ここには救世軍以外の罪人も数多く収容されているせいで、監獄はいつの間にやら大騒ぎになっていた。囚人が続々と解放されるのを見た正真正銘の罪人たちが、「おれも出せ」だの「女を寄越せ」だの口汚く騒いでいる。

 カミラは彼らに侮蔑と嫌悪の眼差しを注ぎながら、テレルとメイベルが戻ってくるのを見た。二人はそれぞれルエラとコラードを探して、すべての牢をひと通り確認しに行っていたのだ。


「テレル、どうだった?」

《……ダメだ。ルエラはここにはいない》

「え、こ、ここにはいないって……じゃあ、コラードさんは?」

「ダメ。コラードもいない。絶対ここだと思ったのに……」


 戻ってきたメイベルは野卑な喧騒に揉まれながら、青い石の杖を抱き締めて震えていた。ルエラはともかくコラードまで監獄にいないとなると、これはかなり由々しき事態だ。彼らを解放し、協力を取りつけようとしていたカミラたちの計画は水泡に帰すことになる。


「も……もしかして、コラード……もう殺されちゃったのかな……? あ、あたしが……あたしがもっと早く助けに来てれば、コラードは……っ」

「諦めるのはまだ早いぞ、メイベルくん。今のところコラードどのが無事でいる証拠はないが、処刑された証拠もない。ひょっとしたら看守たちの隙を突き、逃げ出したのかもしれないし──」

《おい。それよりさっきから一人、うるさいのがいるんだが》

「……え? うるさいのって?」


 と、ときにテレルが眉間を寄せながら吐き捨てた一言に、カミラは首を傾げた。確かに囚人どもはうるさいが、彼らの数は一人や二人じゃない。もっと大勢が一斉に、あちこちから騒ぎ立てている。とすればテレルの言う〝うるさいの〟とは、もっと別のものを指していると考えるのが妥当だろう。彼はぶるぶると頭を振ると、至極煩わしそうな顔をしてカミラを促してくる。


《こっちだ。さっきからウジウジウジウジ、おまえたちに話しかけたいけど素通りされたとか、呼び止める隙がないとか、気づいてほしいとか喚いてるやつがいる。ぼくにも声が聞こえるってことは、神子かもしれない》

「神子……!?」


 いきなり予想外の言葉が出てきて、今度はジェロディと顔を見合わせた。今、この場でテレルと意志疎通できているのは彼とカミラの二人だけだ。それ以外の人物の〝声〟がテレルに聞こえているのだとしたら……。


「ティノくん」

「うん。テレル、〝声〟の主の居場所は分かるかい? 案内してくれ」

《フン。言われなくても》


 相変わらず突き放すような態度を取りながらも、テレルはぴょんぴょん跳ねるような歩調で身を翻した。角人族の脚は鹿の後肢と同じで、人間の脚とは関節が逆を向いているから、ああして跳ぶように歩くのだ。


《ここだ》


 小柄な体格と素早さを活かし、あっという間に問題の牢の前まで移動したテレルは、先端に房のついた尻尾を揺らして二人を急かした。カミラたちも急いで彼に追いつくと、看守部屋から持ってきた角灯の明かりで鉄格子の向こうを照らし出す。


「うわっ、眩しい……!?」


 直後、牢の中から聞こえたのは青年の声だった。目を凝らせば、房内の人影は光から視界を庇うように腕を交差させていて顔が見えない。身なりは他の囚人たちと同じボロ切れ一枚。されど一点だけ決定的に違う部分があった。あの薄汚れた衣服の上にぶら下がり、灯明かりを弾いているのは──馬の蹄鉄?


「ねえ、あれって確か、聖職者がよく身につけてる……」


 と、カミラが青年の胸元を示して、ジェロディに同意を求めたときだった。恐る恐るといった様子で、青年が両腕を解いていく。

 すると真っ先に覗いたのは、癖の強い黒い髪。瞳はジェロディと同じ藍色をしていて、だけどちょっと冴えない感じがする。

 いや、それは目だけの印象ではなく、あらわとなった顔全体の印象だ。青年の顔は一つ一つのパーツが小さくまとまっていて、あまり特徴らしい特徴がない。不細工でもなく美形でもなく、有り体に言うならどこにでもいそうな面立ちというか。


「あ」


 と、そこで三人の声が揃った。

 何故ならカミラは今、鉄格子越しに目が合った青年を知っている。


「あ、あなたもしかして、トビアスさん……!?」


 驚愕のあまり言葉を失った。だが間違いない。テレルが〝ウジウジうるさいやつ〟と評したのは──かつてビヴィオで郷守打倒に協力してくれた、あの光神真教会の特命宣教師(トビアス)だ。


「ああっ、神よ、感謝します……! 影が薄い影が薄いと散々陰口を叩かれてきた私ですが、ようやく皆さんに気づいていただくことができました……! ジェロディくん、カミラさん、お久しぶりです! 早速で申し訳ないのですが──助けて下さい……っ!」



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