192.血雨降る
ずらりと牢屋が並ぶ通路が、騒然とし始めていた。
「カミラさん?」「カミラさんだ」「カミラ隊長!」「カミラさん……!」と、自分を呼ぶ声があちこちから聞こえる。真っ暗ではないけれど、目を凝らさなければ一枝(五メートル)先も見えない空間を振り向けば、あちこちの房の鉄格子から見知った顔が覗いている。
ところがカミラは茫然とするあまり、思考が事態に追いつかなかった。
だって、そこここで自分の名を唱える彼らはみんな──死んだと思っていた救世軍の仲間ばかりじゃないか。
「す、スミッツ……みんな……無事だったの……!? 私、てっきりみんな死んじゃったかと……!」
「俺たちだってそうだ。本部の連中は皆やられたと聞かされてたが、生きてたんだな。だがお前さん、なんだってこんなところにいる?」
「わ、私……私たち、今、ハーマン・ロッソジリオから獣人居住区を守るために動いてるの。中央第五軍が、不可侵条約を破って獣人たちを脅迫してて……だけどここに、ハーマンの副官だったコラードさんって人が捕まってるって聞いたから、彼を助けるために乗り込んできたのよ。でも、スミッツたちはどうして……」
未だに声の震えが止まらない。何しろ本部のあったロカンダでさえあの有り様だったから、きっとボルゴ・ディ・バルカのスミッツたちも無事ではあるまいと半ば諦めていた。けれど彼らは、生きていたのだ。生きていてくれた。
カミラがスミッツと関わったのはゲヴラー一味救出の一件だけだったけど、共に戦った回数なんて関係ない。どんなに離れていたって、互いのことをよく知らなくたって、彼らはまぎれもなく救世軍の仲間だったのだから。
「いや、俺たちもあの晩、官軍の一斉攻撃を受けてな……まったくの不意討ちだったんで、トラジェディア支部にいた仲間はほとんどやられちまった。だが俺は運良くアジトから逃げ出すことができたんだ。それから生き残ったわずかな仲間を連れて、さまよったよ。何とかお前たちと合流できないかと思ってな」
「じゃあ、その途中で捕まってここに入れられたってこと……?」
「ああ。官軍の総攻撃を受ける前、救世軍はオディオ地方にも支部を創ろうとしてただろう? 結局計画は頓挫しちまったが、当時の根回しがまだ生きてた。俺たちはオディオ支部の設立に協力的だった豪族のところで、しばらく匿われていたのさ。しかし四ヶ月前に居場所が軍に露見して、この有り様だ」
つまり四ヵ月もの間、スミッツたちはこんなところに閉じ込められていたというわけか。そう思うとカミラは息苦しくて、鉄格子を握る手に力を込めた。
彼らがここにいると知っていれば、もっと早く助けに来ることができたのに。そんな悔恨が胸を焼く。隣の房で倒れていた男のように、きっと囚われた仲間の中にも、助けを待ちながらひっそりと死んでいった者たちがいたことだろう。
「ごめんなさい……ごめんなさい、スミッツ。私、そうとは知らずにずっと……」
「いいや、お前さんは悪くないさ。しかしその様子だと、イークとはまだ合流してないみたいだな。あいつはアルドたちと無事に落ちのびたはずだが……」
「……え?」
ところが刹那、罅割れたスミッツの唇から零れた言葉に、カミラは耳を疑った。
……イーク? スミッツは今、イークと言ったのか?
彼だけじゃない。今の口振りからすると、アルドも──
「待って、スミッツ。イークは……イークたちは無事なの?」
「ああ。ここに捕らわれてからのことは分からんが、少なくとも四ヶ月前まで、俺たちはイークと共にいた。あいつもオディオ地方の豪族たちを頼りに、生き残った仲間を集めながら流れてきたんだ。身を隠していた当初から、ある程度態勢が整ったらお前たちを探しに行くと言っていた。あいつは、生きてる」
一瞬、呼吸が止まるかと思った。カミラは鉄格子を握ったままずるずるとへたり込み、しばしのあいだ茫然とする。
──あいつは、生きてる。
スミッツの力強い言葉が、何度も頭の中で反響した。
途端にこらえる間もなく涙が溢れ出してきて、顔をくしゃくしゃにしてしまう。
「イークが……」
生きてた。生きてたんだ。そう言葉にして噛み締めたかったのに、喉が閊えて無理だった。代わりにぼろぼろととめどなく涙が溢れて頬を濡らす。
スミッツは、イークと別れて既に四ヶ月が経っていると言った。だから彼の安否はまだ確約されたわけじゃない。
だけど今は、それでも良かった。
少なくともあの晩、イークが官軍の包囲を突破していたことは確かなのだ。
だったら今も、きっとどこかで生きている。そう信じられた。
コルノ島で再起した救世軍の噂は、今頃イークの耳にも届いているはずだ。だとしたら再会の日は近い。カミラがずっとイークを探していたように、イークも自分たちを探してくれている。
「生憎とギディオン殿の安否までは分からんがな。まあ、イークも俺も生きてて、お前さんも無事だったんだ。だったらあの爺様も、きっと無事でいるだろうさ。何せ爺様は爺様でも、救世軍最強の爺様だからな」
「うん……うん。ウォルドもそう言ってた。イークやギディオンが、そう簡単にくたばるはずないって……今なら信じられるよ。スミッツも無事でいてくれて、ほんとに良かった……」
「そうか、ウォルドも無事か。まったく官軍どもめ、肝心の幹部を全員まんまと取り逃すとは、ほとほと仕事熱心なやつらだな」
口では皮肉を叩きながら、されどスミッツは汚れた顔で嬉しそうに笑った。ここでは外の世界の情報が遮断され、新生救世軍の噂はスミッツたちのもとへ届いていなかったのだろう。
──だったら彼らにも、生まれ変わった救世軍を見せてあげなくちゃ。
そう決心し、カミラはようやく涙を拭った。もっとじっくり再会を喜び合いたいところだけれど、それはこの地の底から脱出したあとでも遅くはない。看守部屋の場所は第五層の構造からだいたい察しがついている。ならばまずはそこへ行って、牢の鍵を掠めてこようと決めたところで、不意にスミッツが言葉を続けた。
「しかし、カミラ。まさかとは思うが、お前さんがここにいるってことはフィロも来てるのか?」
「……え?」
「いや、何、さすがの俺もあいつに泣かれるのだけは弱くてな。こんなナリだ、会うんなら相応の覚悟をしておかんと」
困ったように眉尻を下げて苦笑するスミッツに、カミラは数瞬、返す言葉が見つからなかった。ここで黙るわけにはいかない、何か言わなければ、と思うのに、唇が震えて声が出ない。
(スミッツは)
カミラやウォルドが無事なのだから、フィロメーナも当然生きていると思っている。まあ、無理もない。カミラが逆の立場でも、今の会話のあとではきっと同じように思い込むだろう。
けれどフィロメーナは、もういない。
スミッツは、救世軍の中でも特にフィロメーナとは古い付き合いだった。何しろチッタ・エテルナの亭主であったカールと同じく、初代総帥の時代から救世軍に加わっている古株なのだ。
フィロメーナもかつてスミッツのことを、ジャンカルロを通じた友人であり、父親のような存在でもあると言っていた。きっと同じくスミッツも、フィロメーナを娘のように思っていたことだろう。
(なのに、私は)
そのスミッツにまで、嘘をつかなければならないのだろうか。フィロメーナはもう死んでいるのに、まるで生きているかのように見せかけて、幻の希望を抱かせるのか。
「フィ……フィロ、は、」
言わなければならない。スミッツには、真実を。
だが、こんな暗い地の底で仲間の生存を信じ続けたスミッツに、彼女の死を告げていいのか? 幻の希望を摘むために、今ある希望を手折るのか?
果たしてどちらの選択が正しいのか、カミラには分からない。
「……っフィロは──」
「──フィロメーナさんもイークさんを探しに行ってるところだよ。お忍びの旅って言うの? 例の掃討作戦でバラバラになった仲間をもう一度集めるって言ってさ、何人かの仲間と別行動中。そうやって生きてるのか死んでるのか分からない状態にしといた方が、官軍を攪乱できるしねー」
背後から聞こえた声に、カミラははっと息を呑んだ。振り向けばすぐそこには、脚衣の物入れに手を突っ込んでへらっと笑ったカイルがいる。
どうして、と零れそうになった言葉を、すんでのところで呑み込んだ。彼の発言を否定しようと思ったら、自分は今ここでスミッツにフィロメーナは死んだと告げなければならない。
「……お前さんは誰だ? 新しい仲間か?」
「ま、そんなとこ。ソルレカランテ出身のカイルでーす。まさかこんなところで会えるとは思ってなかったけど、以後よろしくね、スミッツさん」
「俺のことは知ってるみたいだな」
「そりゃもちろん。副帥のイークさんとかギディオンさんのこともよーく知ってるよ。旧救世軍のことはカミラに色々教えてもらったからねー。ね、カミラ?」
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、と、心臓がまるで小突かれているみたいに早鐘になった。確かに旧救世軍の仲間については、カイルにせがまれてあれこれ話したことがある。だから嘘はついていない。でも……。
「それはそーとさ、スミッツさん、元軍人のコラード・アルチェットって人を知らない? 同じ囚人の誼で仲良くしてたりとかさ? その人、ハーマン将軍の下で唯一獣人区侵攻に反対してた人でね。上手く説得すれば第五軍の弱点とかオヴェスト城への侵入経路とか、色々聞き出せそうなんだけどー」
「ふむ、コラード・アルチェットか……すまんが知らんな。というのもここの囚人は、余所の収容所と違って牢の外には出られない。労役もなければ看守の温情もないんでな。来る日も来る日も暗い独房の中に閉じこもって、死なない程度に臭い飯を食わされてるだけだ」
「うへ……そりゃ気が滅入るねー。オレだったら耐えらんないや。けど、そういうことならしょーがない。やっぱ一個一個牢屋を調べてくしかなさそうだね、カミラ」
まったく何の変哲もなく、カイルは会話を押し進めた。彼の態度はあまりにも自然すぎて、口を挟む隙がない。スミッツもカイルの発言を信用してしまっているようだし……駄目だ。やっぱり、言えない。
カミラは深々と息をつき、一瞬だけカイルを睨んだ。カイルもその眼差しに気づいているだろうに、相変わらずにこにこと緊張感のない笑みを浮かべている。
「……そうね。積もる話は後回しにして、まずはコラードさんの捜索とみんなの救出を優先しましょう。スミッツは動ける? ここから出るには、四層分の迷路を抜けなきゃいけないけど」
「ああ。一応牢の中でも、体力が落ちないようにはしてたからな。歩いたり走ったりする程度なら苦にならない」
「じゃあ、先に牢の鍵を取ってくる。みんな一緒に脱出しましょう。で、余力があれば一緒にコラードさんを探してもらえる?」
「お安い御用だ。しかし大丈夫か、お前たち二人だけで」
「私たちは下から来たけど、上からも仲間が下りてきてるの。今なら守兵はみんな上の仲間にかかりきりなはず。待ってて、必ず助けるから」
決意と共にそう告げて、カミラはついに腰を上げた。あちこちの牢にいる仲間たちも、口々にカミラの名を呼んでいる。だからカミラも皆を安心させようと、にっと笑った。異様な熱狂が遺跡の地下を席巻していく。
「いやあ、さすがの人気だね、カミラ。なんか妬けちゃうなー」
「バカなこと言ってる暇があったら、さっさと行くわよ。期待はしてないけど、援護くらいはしてよね」
「アイアイサー!」
そこは「サー」じゃなくて「マーム」なんじゃないの、と思いながらも、カミラは取り合わずに駆け出した。「うまくやれよ、新入り!」とか何とか、牢の中の仲間たちはカイルにまで野次を飛ばしていて、ますます彼が調子に乗りやしないか心配になる。まあ、さっきの地下道での気まずい沈黙を思えば、多少調子に乗ってくれた方がカミラとしても有り難くはあるのだけど。
つづら折りの通路を何度も曲がりながら駆け抜け、ついに第五層の入り口付近に到達した。カミラたちが第六層から通ってきた通路はあくまで邪道で、遺跡の構造的には第四層とつながっているこちらが正規ルートだ。
上階へと上がる階段の下には少し開けた空間があって、そこが看守部屋になっていた。遠くから見ても煌々と明かりに包まれているのが分かるから、間違いない。
「カイルは離れてついてきて!」
言うが早いか、カミラは素早く剣を抜き、ぐんと走る速度を上げた。守兵が全員上階のジェロディたちに釘付けになってくれていれば良かったのだが、さすがに人の気配がある。でも、そんなに人数は多くない。
「なっ……!? なんだ、お前は!? 一体どこから──」
兵士が上げた驚きの声は、瞬く間に悲鳴へと変わった。まさか牢屋側から敵が来るとは夢にも思っていなかったのだろう、守兵たちの動揺は著しい。
一、二、三、四、五。全部で五人。うち二人は奇襲で倒した。残り三人なら、自分一人でも何とかなる。敵が事態を呑み込み態勢を整えるより早く、前へ。
「き、貴様……っ!」
今まさに剣を抜いたばかりの兵士とぶつかった。止められる前に斬り込みたいと思ったが、ギリギリのところで刃を受け止められる。
しかし三人を相手に立ち回るのに、鍔迫り合いへ持ち込まれるのは具合が悪い。だからカミラは即座に敵から跳び離れ、つられて右の一人が踏み込んでくるのを横目に見ながら、左腿に巻きつけてある飛刀を抜いた。
「ぐあっ……!?」
振り向きざま、即座に応戦すると見せかけて右の敵に飛刀を投げつける。刃は右肩の鎧の継ぎ目に吸い込まれ、敵兵が剣を落とした。
その一瞬の隙を見逃さず、側頭部に回し蹴りを叩き込む。いくら兜で防がれようが、この強烈な一撃を喰らったら相手はしばらく起き上がれない。
(あと二人……!)
カミラは呼吸を制御しつつ、左から攻めかかってくる敵に対処した。相手の剣を弾き、斬り込み、躱されたところで背後から気配がする。
二人目。挟み撃ちか。だが想定内だ。カミラは後ろの敵に気づいていないふりをした。目の前の敵に向かって、再び踏み込む素振りをする。
「でぇいっ……!」
ここだ、と思ったのだろう。背後の敵が気合を上げて突っ込んできた。正面の敵も初めから後ろの仲間をあてにしていたのだろう。カミラと距離を取ったまま、ニヤリと笑ったのが見て取れる。
それが彼らの敗因だ。
次の瞬間、カミラはサッと身を躱し、真後ろから振り下ろされた刃を避けた。避けると同時に短剣を逆手に引き抜き、相手の腹部へ叩き込む。
ここの兵士の鎧は肩と胸、そして下膊しか覆っていない。おかげでカミラの短剣は深々と敵の肉にめり込んだ。血と胃液を撒き散らしながら、敵兵が崩れ落ちる。その様を見届ける時間を惜しんで、カミラは二本目の飛刀を抜いた。
「まっ、待て……!」
最後の一人が危険を察知したときにはもう遅い。カミラは間髪入れずに飛刀を投げつけ、刃は相手の眉間深く突き立った。
鼻の上から血を流した敵兵が、刺さった飛刀へ目をやりながら頽れていく。そうして敵が動かなくなったことを確認してから、カミラはふーっと息をついた。
「わー、さっすがカミラ、相変わらず強いなー! 男五人を一人でたたんじゃうなんてさ。しかも神術なしで!」
「今回は奇襲する形だったから上手くいっただけよ。もしも真っ向勝負だったら、さすがに神術がないとキツかったわ。ともあれ、こいつらのうちの誰かが鍵を持ってるといいんだけど……」
カミラはそう言いながら、剣を手にすたすたと歩き出した。目指す先にいるのはカミラの蹴りを喰らい、階段の下で呻いている一人の兵士だ。
恨みはない、と言ったら嘘になる。彼らはスミッツたちをこんなところに四ヶ月も閉じ込め、虐待に近い扱いを強いていた。
でもそれは、上の人間に命ぜられたからであって彼らの意思ではない。いや、あるいは囚人をいたぶることを本心から楽しんでいた者もいるかもしれないが、そんな人でなしは滅多にいないと思いたい。
「や……やめ……助けて……くれ……」
蟀谷のあたりから血を流しながら、兵士は切れ切れに哀願した。きっと意識も消し飛ぶ寸前だろう。せめて気絶してくれていれば苦しませずに済んだのにと、カミラは眉を曇らせる。
「……ごめんなさい」
相手の腹部に向けて、垂直に剣を構えた。怯えた兵士の喉が引き攣る。
カミラは覚悟を決めて、剣を振り下ろした。いや、振り下ろそうとした。
けれどその瞬間、ドッ、と。
左肩に衝撃を感じて、体が勝手に後ろへ倒れた。
硬い床に腰を打ちつけたところで、遅れて痛みがやってくる。
「カミラ……!」
自分を呼ぶカイルの声が、痛みでどこか遠く聞こえた。息を弾ませながら目をやれば、短い矢が己の肩に突き立っている。一体どこから。答えはすぐに分かった。階段の中腹。そこに荒い息をつきながら、半弓を構えた敵兵がいる。
「この……賊軍が……!」
忽然と現れた兵士は兜が外れ、額から血を流していた。たった一人でいるところを見ると、恐らく上でジェロディたちと交戦し、負傷して逃げてきたのだろう。
二本目の矢を番えた兵士の眼は血走り、憎しみに彩られている。ああ、かつてロカンダの地下でフィロメーナを失ったとき、きっと自分もあんな眼をしていたのだろうと他人事のようにカミラは思った。どうやら痛みで頭が回っていないらしい。
(剣を)
気づけばカミラの剣は、二歩ほど離れたところに落ちていた。矢を受けたときの衝撃で落としてしまっていたらしい。
敵兵が弓弦を放すのが先か、自分が剣を拾うのが先か。後者の可能性に賭け、カミラは立ち上がろうとした。瞬間、ヒュンッと矢の放たれる音がする。
「……っ!」
カミラは痛みを覚悟した。だが同時に剣光が閃いて、飛来した矢を叩き落とす。
カイルだ。彼は弓の斜線に立ちはだかると、己の剣を握り締め、階段の中程にいる敵兵を睨み上げる。
「ガキ! 邪魔をするな……!」
敵兵が弓を投げ捨てた。さっきの二本で矢種が尽きたのだろう。代わりに剣を引き抜いて、雄叫びを上げながら突っ込んでくる。あれは狂気の目だ。死ぬのを承知で攻めかかってくる敵ほど厄介なものはない。
「カイル……!」
戦い慣れていない彼が相対するには、危険すぎる相手だ。カミラはすぐさま剣を拾って応戦しようとしたが、動くと矢が刺さったままの肩に激痛が走り、思わず呻いてうずくまった。
途端にカイルの剣が甲高く鳴く。はっとして顔を上げれば、両眼を剥いた敵兵が決死の猛攻を仕掛けていた。カイルはそれをどうにか受け流している。
援護を。そう思い、痛みをこらえて手を伸ばしたら、あと少しというところで敵兵の足がカミラの剣に当たった。おかげで剣は床の上をくるくる回りながら、壁際まで滑っていってしまう。
「ちょっ……!」
なんてことをしてくれるんだ。内心悪態をつきながら、カミラは這うようにして剣を拾いに向かった。そうしてようやく柄を掴んだところで、背後から一際暴力的な音がする。カイルの剣。弾き飛ばされていた。おかげでカイルは丸腰だ。
ここからじゃ援護が間に合わない──だったら。
「カイル……!」
カミラは傷を押さえながら、思いきり自分の剣を放り投げた。常灯燭の明かりを弾いた剣は、放物線を描いて飛んでいく。
カイルの目がちらと空中の剣を一瞥した。他方、血まみれの敵兵は、脇目も振らずカイルへと突っ込んでいく。
喚き声と共に繰り出された斬撃を、カイルは躱した。と同時に素早くカミラの剣を掴み、背中を晒した相手の襟首目がけて振り下ろす。
「がっ……!」
刃は何の抵抗もなく、敵兵の皮膚を斬り裂いた。そのまま深くめり込み、肉を断ち、骨まで到達して相手の体を擦り抜ける。
一瞬ののち、敵兵の首が落ちた。
すさまじい勢いで血が噴き出し、カイルの手を、髪を、頬を濡らしていく。
「カイル」
ガシャ、と鎧を鳴らして敵兵が倒れ込んだ。一部始終を見届けたカイルの手からも剣が落ち、暗闇に鉄の音が響き渡る。
足元の死体を見下ろした彼はあとずさり、そして膝を折った。
灰色の冷たい床の上に、鮮血が広がっていく。




