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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第6章 世界はやさしくなんかないけれど
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190.大監獄潜入作戦

『開いたね』

『開いたな』

『開いたみたい』

『渡り星が開けた』

『賢者の血』

『揺り籠が動く』

『久しぶりだね』

『ああ。それに彼女は』

『星を持ってる』

『揺り籠は歓迎するだろう』

『だけどさ、あの星は』

『ああ。少々危険だな』

『帰りたがってる』

『あるべき場所へ』

『感じる』

『運命は変わるかな?』

『信じよう』

『何せ』

『女王の決断だ』

『だから我らも』

『うん』

『託すしかない』

『未来』

『そうさ』

『大丈夫。あの星には』

『〝魔女〟がいる』

「──うっせえなあ。何だよお前ら、こんなときに限ってぺちゃくちゃと……」


 顔に被せた海賊帽の下で、ご機嫌斜めにカルロッタがぼやいた。

 何しろ、暑い。夏だ。遮るものなど何もない湖の上にいるというのに、風も吹かない。いつもは一番帆檣(マスト)の天辺で存在を主張することに余念がない海賊旗も、照りつける陽射しにやられたのか、すっかり萎れてしまっている。


 そして船長のカルロッタはと言えば、現在、両腕を枕代わりにして甲板に倒れていた。ずっと南のピエタ島で暮らしていたのだから、暑いのには慣れているだろうと言われそうだが人間サマには分かるまい。

 この時期はいつも脚衣の下に隠している尻尾が蒸れて仕方ないのだ。白くてふわふわな兎耳(みみ)を隠すために被りっぱなしの海賊帽も、革製だからかなり蒸れるし。


「ったくてめえらときたら、最近大人しかったくせに、なんでアタシがゆっくり休みたいときに限って騒ぐんだよ。ちったあ空気を読め、空気を」

『カルロッタ』

『休んでる場合?』

『働かないの?』

『みんな頑張ってるのに』

『サボりだ』

『サボりだね』

『悪い子』

『悪い子だ』

『エイブラハムに叱られても』

『知らないよ』

「うっせ。いいんだよ、アタシは船長(キャプテン)なんだから。船長ってのはいざってときにビシッとキメりゃ、あとは全部風まかせでいいんだって。実際ハムもそうだったろ? いっつも寝てるか酒飲んでるかのどっちかで、めんどくせえことは全部他人に押しつける。まったく大した船長サマだったぜ」

『それはエイブラハムが』

『ハイムの神子だったからで』

『彼はただ』

『怖かったのさ』

『ああ。恐れていた』

『あの〝影〟』

『そう』

『神の呪いを』

「……影?」

「──カルロッタ」


 相変わらず帽子で顔を隠したまま、しかしカルロッタは耳だけピクリと動かした。兎人(ラビット)譲りのこの耳は、二十(アナフ)(百メートル)先の音まで正確に聞き分ける。人間には拾えない音まで拾うから、人の声を聞き間違えるなんてことはまずありえない。


「……やっと片付いたか」


 ぼやきながら起き上がり、海賊帽を被り直した。核石(コア)もお喋りをやめたのを確かめて、船縁へ歩み寄る。

 見下ろした先には陸地があった。眩しいくらいの緑で覆われた草の大地だ。

 それが今、千を超える人馬に埋め尽くされている。カルロッタは船の下の喧騒を聞きながら、思わず「うへぇ」という顔をした。あの人熱(ひといき)れ、まったく暑苦しいったらありゃしない。


「積み荷は全部下ろしたのか?」

「ええ。おかげさまで、当初の予定より四刻(四時間)も早く全軍の上陸が完了しました。ジェロディ殿からお話を伺ったときは半信半疑でしたが……本当に信じ難い力を秘めていますね、この船は」

「ったりめーだ。アタシらライモンド海賊団が、どんなお宝よりも大切に守ってきた船なんだからな。ま、せいぜい感謝しな」


 船縁に片肘を預け、半分身を乗り出しながら、カルロッタは不敵に笑った。海色の隻眼が見下ろす先にいるのは、トリエステだ。確か救世軍の……グンシ? とかいうやつ。まあ、早い話が棟梁(ジェロディ)の右腕みたいなものだ。

 ピエタ島から連れてきた船員(クルー)が揃って色めき立つほどの美人だが、話してみると何とも食えない女だった。掴みどころがあるようでないというか、つついてもさりげなく(かわ)される感じで面白くない。


 ただ、ジェロディに対する忠誠心がそんじょそこらの黄臣よりよっぽど堅いことだけは分かった。身も蓋もない言い方をすれば、かなり過保護だ。誰との間にも一線を引いているようでいて、ジェロディにはどこか甘い。

 今回、黄皇国の大将軍率いる二万の大軍に二千の兵力で挑むなんて無謀を承知したのも、たった数人でフォルテッツァ大監獄に挑むと伝えてきたあの少年を心配してのことだろう。おかげでカルロッタはクストーデ・デル・ヴォロ号を使い、コルノ島と獣人居住区を十往復もする羽目になった。


 とは言えカルロッタとしても、ハイムの神子たるジェロディに死なれては困るからそれはいい。問題は今の救世軍に勝算があるのかどうかだ。

 せっかく遠路遥々ピエタ島から駆けつけたというのに、来て早々黄皇国に敗れたとあってはあまりにも決まりが悪い。どうせなら勝てるわけのない戦況をひっくり返して、クソトラモント人どもの鼻を明かしてやりたかった。

 そのためならカルロッタだってある程度の()()はする。あとは全軍を指揮するトリエステの才覚次第だ。


「んじゃ、アタシらはこのまま島に戻らせてもらうけどよ。ほんとに構わねえんだな?」

「ええ、すべては計画どおりに。島の防衛は頼みます。くれぐれもライリー殿と仲違いして、果たし合いなどされませんよう」

「まあ、確かにあの腐れ湖賊は気に入らねえけどよ。せめてアンタらが帰ってくるまでは、野郎のニヤけ面に一発ぶちかますのを我慢してやる」

「できれば私たちが帰島したあともご遠慮願いたいのですが。とにかく、あとのことは任せました。我々も必ずジェロディ殿を連れて戻りますので」


 へえ、とカルロッタは左目を細めた。トリエステの表情はいつもと変わらないようでいて、見たこともないほどに鋭く、真剣だ。

 カルロッタは知っている。あれは何を引き換えにしても、必ず目的を達することを決意した人間の目だった。


 ならば期待して待つことにしよう。新生救世軍の凱旋を。


「よっしゃ、行くか」


 海賊帽の鍔を押さえ、カルロッタは口角を吊り上げた。

 船長の言葉を合図に、無風の船が風を孕む。

 白い帆布が膨らんだ。

 あんなにくたびれていたはずの《墜角の牡牛(ヴィック)》の旗が、太陽を隠して翻る。



              ◯   ●   ◯



「──次を左。次は右。そこはまっすぐ。突き当たりは、隠し扉。扉を抜けたら、次は右。床に仕掛けがあるから踏まないで。ここの罠は、私が止める」


 けたたましい音を立てて左右から突き出す剣山を、カミラはすっと睨み据えた。

 巨大な剣山は、一定の間隔で飛び出したり引っ込んだりを繰り返している。俊敏な者ならタイミングを見てすり抜けることもできるだろうが、普通は無理だ。強引に通ろうとすれば無数の刃に貫かれ、穴だらけになるのは目に見えている。

 でもこれは、トラモント人が作った罠じゃない。遠い昔、遺跡を建設した古代人たちが、一族の秘密を守るために(こしら)えたものだ。


 だからカミラには()()()()()


《こっちだ、カミラ》


 テレルに呼ばれて壁を見た。そこには美しい赤色の、小さな宝石が埋め込まれている。いや、〝宝石〟なんて()()()()()()呼び方はやめよう。

 あれは希石だ。

 遺跡の入り口に埋め込まれていたのと同じ──この〝揺り籠〟で創られた。


我が名の下に(イック・ディード)


 テレルに教えられたとおりの言葉を唱え、赤い希石に左手を翳す。すると星刻(グリント・エンブレム)がじわりと熱を帯び、呼応するように希石が光った。途端に前方の剣山が、ガコンと音を立てて静止する。すっかり錆びつき、されど今なお〝揺り籠〟を守り続ける健気なからくりは、ゆっくりと壁に収まり道を開けた。


「今のうちよ。みんな、通って」


 カミラの合図を待っていた仲間たちが、罠に塞がれていた通路を駆け抜ける。全員が無事に進んだのを見届けてから、カミラも続いた。が、すぐに行く手から騒がしい鎧の音がする。


「くそっ、こいつら……! なんで正しい道順を知ってるんだ……!?」

「それを知りたいのは、こっちの方──よっ!」


 次の瞬間、鋭く床を蹴り、カミラは振り被った刃を相手の剣に叩きつけた。甲高い鉄の悲鳴が轟き、相手が怯んだ一瞬の隙に二撃目を浴びせかける。

 フォルテッツァ大監獄、第三層。幾重にも重なる迷宮を、カミラたちは順調に下へ下へと向かっていた。監獄になる前は〝揺り籠(キュンガ)〟と呼ばれていたらしいこの遺跡は、丘の中に造られた建物だ。地上に鎮座する石の箱は地下迷宮への入り口に過ぎず、階層は全部で五つある。その最下層が囚人たちのいる牢獄だ。


 どうしてカミラがそんなことを知っているのかというと、()()()()()。ただ、テレルに促されて入り口の扉を開けた瞬間に、知らない記憶がカミラの脳裏へと流れ込んできた。キュンガ遺跡に関するあらゆる記憶だ。

 最初は星刻が持つ過去視の力かと思ったが、違う。だってここでは神刻(エンブレム)が使えない。ヴィルヘルムが操る風術は何故か正常に機能するものの、神術はてんで駄目だ。なら、過去視などできるわけがない。


(だけど、だったらこの記憶は何だっていうの)


 恐怖に近い感情をどうにかこらえながら、カミラは敵を薙ぎ払った。今は第五層まで辿り着くことが最優先で、狼狽している暇などない。そう言い聞かせてはいるものの、ふとした瞬間に足が竦む。

 だってカミラは、四層に渡る地下迷宮の正しい道順や罠の在処まで、完璧に記憶しているのだ。誰に教わったわけでもないのに、いつの間にか当たり前の顔をして居座っている誰かの記憶──これは一体、何?


《血の記憶だよ》


 と、テレルは言った。


《知らないなら知らなくていい。それは女王がお決めになることだから。だけどおまえは、間違いなく守護者の娘だ。まさか赤髪の一族から渡り星が出るなんて》


 渡り星。そう言えばヴィルヘルムもそんなことを言っていた。星刻を刻んだ者の名前。だけどその言葉の本当の意味は、もっと違うところにあるのではないか?

 答えは目の前にあるというのに、テレルもヴィルヘルムも触れさせてくれない。どうしてだろう。知らない方が幸せだから?


(でもどっちが幸せか、なんて、私が決めることじゃない)


 内心そう悪態をつきながら、カミラは床に倒れ伏した死体から剣を引き抜いた。行く手を遮っていた守兵は今ので最後だ。まだまだ奥から湧いてくる可能性は否めないものの、一旦小休止できる。


「ジェロディ様、大丈夫ですか?」


 と、ときに背後から気遣わしげな声が聞こえて、カミラは汗を拭っていた手を止めた。息を整えつつ振り向けば、そこには座り込んで休憩しているジェロディと、彼に寄り添うマリステア、オーウェンの姿がある。


「ああ、大丈夫……少し休めば、大丈夫だから」


 ジェロディはそう答えているが、常灯燭(スカンス)の明かりに照らされた顔色はどう見ても土気色だった。彼もまた城壁を超えたあたりから様子がおかしい。

 本人は「ハイムの神託があって驚いただけ」と言っているものの、それにしてはかなり衰弱しているように見えた。やはり城壁を登る際にハイムの力を使ったせいで、《神蝕》が進んだのだろうか。


(できれば休ませてあげたいけど……)


 と思いつつも、敵地のど真ん中で悠長なことは言っていられなかった。何よりカミラ自身、自分と他人の記憶が錯綜していてとても平静とは言い難い状態だ。

 すべてはこの〝揺り籠〟が引き起こしていることなのだろうか。だとしたらさっさと任務を達成して、こんな遺跡からは去るべきだ、とカミラは思った。

 ここは何かがおかしい。何かというか、何もかもがおかしい。まさか神刻の力を封じる以外にも、侵入者の気を()れさせる仕掛けが施されていたりして?


(まあ、そんな仕掛けは()()()()()んだけど)


 十小刻(十分)ほど休憩すると、壁際にへたり込んでいたジェロディがようやく腰を上げた。相変わらず顔面蒼白だが、常灯燭の明かりを宿した瞳は、強い意思の光を失っていない。


「行こう」


 彼の号令で、皆が再び動き出した。道順はカミラが指示をする。先頭はヴィルヘルムだ。狭くて薄暗い石の壁の間を走り抜ければ、もうすぐ第四層へ下りる階段が見えてくる。


「──いたぞ! あそこだ!」


 ところが駆け出した矢先に、今度は背後から声がした。まったくしつこいやつらだ。振り向けば数人の黄皇国兵が、青く輝く不思議な松明を手に、迷路の角を曲がってくるのが見える。そのときカミラは、


「あ」


 と、思わず声を漏らした。まずい。()()()は。

 あそこは駄目だ。何故なら角の石積みに仕掛けがあって、下から六段目の石を回すと床の罠が作動し──床? そう、床だ。

 ちょうど今ジェロディが、マリステアと並んで立っているあたりの。


「ティノくん……!!」


 勘が働いたときには叫んでいた。打たれたように身を翻し、走り出す。

 黄皇国兵の一人が憎しみを込めた目でこちらを睨みながら、六段目の石に手をかけた。瞬間、カミラは思い切り跳躍し、眼前の二人を突き飛ばす。


「わっ……!?」


 追っ手に気を取られていたジェロディとマリステアが、つんのめりかけて最後尾にいたオーウェンに支えられた。それを見届け、ああ、良かった、と安堵した直後、ガコンと仕掛けの動く音がする。

 一瞬の浮遊感。ふと足元を見下ろせば、四角い穴が口を開けていた。下は常灯燭の明かりも届かぬほど真っ暗で、底が見えない。


「カミラ……!!」


 誰に呼ばれたのか分からなかった。いや、あるいは皆がカミラの名を呼ばわったのかもしれない。しかし冷静に思考する前に、結った髪がふっと浮き上がった。ものすごい力で、闇の底へと引きずり込まれる。


「行って……!!」


 自分には構わなくていい。そういう意味を込めて叫んだ。ところが刹那、落ちゆくカミラの腕を掴んだ者がいる。カミラは図らずも目を見張った。


 だって、見たこともないほど切迫した表情で手を伸ばしてきたのは、カイルだ。


「ちょ、バカっ──」


 と、カミラが止める暇もなかった。細身のカイルは反射神経こそ良かったが、重力に引っ張られるカミラを引き上げるほどの筋力はなく、当然のように暗闇へと放り出される。二人揃って、真っ逆さまに落下した。この穴はかなり深い。()()()()()()()そう告げている。


「カイル、何やって……!」


 落ちながら叫んだが、暗すぎてもうカイルの顔も見えなかった。ただ掴まれた腕を引かれ、闇の中でカイルに抱き留められる。

 空中でぐるんと体位が入れ替わるのが分かった。カイルは器用に体を回転させて、自らカミラの下になる。さながら猫だ。あの生き物が高所から落ちるとき、軽やかに体を拈って着地を成功させるように──彼は自分が下敷きになることで、カミラが穴の底に叩きつけられるのを防ごうとしている。


「カイル、」

「ごめん、カミラ」


 耳元で声がした。何に対して謝られたのか、カミラには分からない。


「カミラ、カイル……!」


 仲間たちの呼び声が、あっという間に遠ざかった。

 遥か頭上で、(とびら)の閉じる音がする。

 カミラは思わず息を止めた。


 闇の底まで、あと三拍。



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