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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第6章 世界はやさしくなんかないけれど
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185.帰り路を探して

 この戦いが終わったら、自分はどこへ行くのだろう。


 三日前の晩から、カミラはそんなことばかり考えていた。


 別に考えたいから考えているわけではなくて、どちらかと言えば考えたくないのに気づくといつも考えている。そのくせ、どれだけ考えても答えは見えない。

 だって想像したことがなかったのだ。戦いが終わったあとのことなんて。いや、フィロメーナが生きていた頃になら、もしかするとあったかもしれない。でもあの頃思い描いていた夢や理想は、彼女の死と共に露となって消えてしまった。

 ひるがえって、今は新生救世軍を育てることで頭がいっぱいだ。目の前の戦いに勝つことしか、カミラは考えてこなかった。


 でも、ジェロディは違う。


 ずっと考えていた、と彼は言った。あるいは黄都を追放されたときから、ジェロディはずっと考え続けていたのかもしれない。

 彼は最初から、何もかもが終わったら、またソルレカランテへ戻るつもりでいたのだった。カミラはその事実に少なからず驚いたが、まあ、考えてみれば当然だ。だってソルレカランテは他でもない、彼らの故郷なのだから。


 ──なら、自分は?


 そう自問する度に、ぎゅうっと胸が圧迫される。


 ──故郷へ帰る?


 それもいいかもしれない。ただし兄やイークが無事に見つかれば、の話だが。


(もしも、二人が帰ってこなかったら)


 自分はまたあの郷でひとりぼっちだ。そんな暮らしは耐えられない。耐えられないから一年前の春、身ひとつで郷を飛び出して、今もこうして帰らずにいた。

 ひとりきりで故郷にいるより、仲間と共にいられる救世軍の方が、ずっと居心地がいいからだ。ここにいる限り自分はひとりじゃない。仲間がいる。皆が自分を必要としてくれる。でも、この戦いが終わったら……。


(当然救世軍はなくなって、みんなバラバラになるのよね。ティノくんやトリエステさんたちは、新しい国の舵取りのために黄都に残るだろうけど……ウォルドはそういうの、柄じゃないとか言って故郷に帰りそうだし、ヴィルだって傭兵稼業に戻るかも。ラファレイやラフィもずっと黄皇国にいるわけにはいかないだろうし、ライリーたちだって……)


 考えれば考えるほど、思考は深みに嵌まっていく。正直言うと泣きそうだ。どうしてこんなに苦しいのかは、自分でもよく分からないけれど。


 地鼠人(マーモット)のポレたちと別れ、ムワンバの丘を離れてから早三日。救世軍先遣隊は牛人タウロスたちの案内の下、今度はポヴェロ湿地の真ん中にある蛙人(フロッグ)族の集落、ジャラ=サンガを目指していた。

 ジェロディの説得により、牛人(タウロス)族の族長クワンが、もう一度だけなら蛙人と話し合ってもいいと折れてくれたのだ。だが同時に、神子たるジェロディが間に入っても問題が解決しなければ、牛人は今度こそ蛙人と訣別するとも言っていた。


 つまりこれから向かうジャラ=サンガでの会談が、獣人居住区の運命を決する分水嶺となる。今までこの狭い土地を分け合い、平和に共存してきた獣人たちが再び結束するか、はたまた散り散りとなるか。

 ジェロディはそんな重大な役割を担うことになったというのに、ずいぶん落ち着いた様子だった。話し合いは上手くいくという確信でもあるのだろうか。

 そうでないなら、仲間の前では上手く緊張を隠しているのか──あるいは、隣にマリステアがいるおかげか。


「……」


 前方から賑やかな談笑が聞こえる。カミラはその中心にいるジェロディとマリステアの姿を盗み見て、本日何度目かの激しい自己嫌悪に陥った。

 彼らの秘密の会話を立ち聞きしてしまったのが、ちょうど三日前の晩のことだ。いや、そもそも二人の間では秘密でも何でもないのかもしれないし、カミラも悪意があって聞き耳を立てたわけじゃない。ただ夜中にふと目を覚ましたら、頭の後ろで交わされるジェロディとマリステアの会話が偶然(・・)聞こえた。


 あの日は、地鼠人族の住居には人間を泊められるほど大きな部屋がないと言われて、彼らの暮らす丘の麓で野宿することになったのだ。そして獣人区に入ってから、夜間の見張りはいつもジェロディが引き受けてくれていた。

 神子であるジェロディは睡眠を必要としない──と言うよりも、そもそも眠ることができないから、見張り役じゃなくたって夜はずっと起きている。だからカミラたちも彼の言葉に甘えて、夜は皆で横になった。マリステアも一緒に眠ったはずだった。でもきっとカミラのように目が覚めて、それで起き出していたのだろう。


 あの晩の二人の会話は、聞いているこっちが赤面するような内容で……駄目だ。思い出したらカミラはまた落ち着かなくなってきた。

 とにかく、三日経っても記憶から色褪せない程度には仲睦まじい会話だったわけだ。おかげでカミラは眠れなかった。だってあれは姉弟の会話というよりも、もはや恋人同士の会話じゃないか。もしかしたら自分が知らないだけで、ジェロディとマリステアは初めからそういう関係だったりするのだろうか。いや、もちろん二人が特別親しいことは前から分かっていたけれど、それにしても……。


 またそんな無益な思考が溢れてきて、カミラは歩きながら嘆息する。

 どうも最近、自分がおかしい。何がどう、とは具体的に言えないのだが、強いて言うなら不安定というか。

 気がつくとこうしてとりとめもないことばかり考えているし、気分もやや落ち込み気味だ。ずっと胸が(ふさ)いでいて、先遣隊としての任務に身が入らない。


 こんな経験は生まれて初めてだった。しかも厄介なことに原因が分からない。自分が一体何に対してこれほどモヤモヤしているのか、そのモヤモヤの向こうが見えなくてさらにモヤモヤする。何というモヤモヤの相乗効果だろう。おまけにこのモヤモヤ、一度気にしてしまうともうモヤモヤがモヤモヤでモヤモヤして……。


「──でさー、ライリー親分がカルロッタを口説いてあれこれ探ってこいって言うからさ? 親分が言うなら仕方ないなーってことで、オレもカルロッタに声をかけたわけ。いや、もちろん本気じゃないよ? 本命はホラ、別にいるわけだしね? まあ、カルロッタも黙ってたら案外カワイイし、気が強いとこもそれはそれでそそられちゃったりなんかしちゃったりするんだけど……ってねえ、カミラ、聞いてる? カーミーラー」

「……」

「あっ、そっかー! ごめんごめん、もしかしてカルロッタに妬いちゃった? そりゃ確かに、海の話してはしゃいでるカルロッタを見てたらちょっとキュンとしちゃったけどさ? でもやっぱ本命はカミラなわけで、何だったらここでオレの愛を証明してもいいし? たとえば、そう! まずはこうして熱い接吻を──」

「ネクシオ」

「熱ぅっ!?」


 瞬間、横から抱きつこうとしてきたカイルに、カミラは一瞥もくれず神術を見舞った。二人の間を引き裂くように生まれた炎は、あと一歩でカイルを丸焼きにするところだったが残念、すんでのところで(かわ)されたようだ。


「か、カミラ、危ないじゃん!? 危うくオレの人生が終わるとこだったじゃん!? そこまで照れなくてもいいよね!?」

「いや、熱い接吻をご所望みたいだったから、物理的に熱いキスを提供しようかと思って」

「あー、なるほどー! そっかーそうきたかー、やっぱカミラは他の女の子とはひと味違うなー! いやー、オレ的にはそういうとこがまた好きなんだけどね? でもできればキスは唇と唇でしたいかなーみたいな!?」

「あっそう。じゃあ、ちょっと待ってて。神気をこうしてこう流せば、唇の形の炎が作れるはず……」

「違う違う! ソウジャナイ! 唇は唇でもオレが奪いたいのは実体のある、やわらかくて命の危険がないやつ──」

「ネクシオ」

「あああああああああっ!?」


 合わせた手と手の間に燃え盛る赤い唇を生み出したカミラは、文字どおり熱い投げキッスを見舞ってやった。メラメラと燃える唇は屈んだカイルの頭を掠め、さらに二撃、三撃と撃ち込めば、さしものカイルも逃げ去っていく。

 ……まったく、どうもこの数日カイルがうるさい。いや、彼がうるさいのは元からだが輪をかけてうるさい。こちらは原因不明のモヤモヤにモヤモヤさせられてそれどころではないというのに、いちいちしつこく絡んでくるのだ。やっぱり連れてくるんじゃなかったと、今更ながらに後悔が脳裏をよぎる。


「ヌウ……ニンゲンノ、求愛、トテモ危険……命懸ケ、ナノダナ……」

「いや、誤解だぞ、ケムディーくん。ああいった激しい求愛行為は、恐らくトラモント人だけに見られるものだ。現に我がアビエス連合国で暮らす人間たちの求愛は、もう少し穏便なはず……」

「あいつと俺たちをひと括りにするのはやめろ……いくらトラモント人でも、あそこまで節操のないやつはそうそういないっての」

「そうだよな。トラモント人だからって男が全員女たらしとは限らねえよな。中にはどっかの誰かさんみてえに、奥手でむっつりなスケベ野郎もいるわけだし」

「えっ。そ、それって誰のことですか、ウォルドさん……?」

「誰ってお前、たったいま俺の隣を歩いてる野郎の話に決まって──」

「ああああああああ!! 聞くな、マリー!! お前にはまったく全然これっぽっちも関係のないことだから!! な!!」

「おい、オーウェン。ずいぶんとひどい汗だな。そんなに暑いか?」

「ヴィ、ヴィルヘルムの旦那まで何を言い出しやがるんですかね!? つーかあんたらグルかよ、卑怯だぞ!」

「グル……? イヤ、グルハ、ジャラ=サンガニ居ルハズ……」

「ち、違いますよ、クワン殿。今のはグル殿の話じゃなくて……」


 ……なんて悶々としているうちに、前方の仲間たちがかなりカオスな会話を繰り広げている。カミラはそこでようやく悩んでいるのがバカらしくなり、もう一度ため息をついた。

 とにかく今は、目の前の問題に集中しなくては。蛙人族との対話が上手くいかなければ、ことは中央第五軍との会戦に発展しかねないのだ。

 トリエステはできる限り戦をしたくないようだったし、戦闘を回避できる方法があるなら力を尽くさなくてはならない。戦いの犠牲を最小限に押さえられるなら、それに越したことはないだろう。


 そこからさらに一刻ほど歩くと、見るからに土地の水捌けが悪くなってきた。右を見ても左を見ても川があり、足元はぬかるんでいる。

 じっくり見なければ分からない程度だが、地面の高さがゆるやかに下がりつつあるのだった。ポヴェロ湿地──びっしりと苔のような植物が生えた大地は、やがて沼だらけの景色へと変容していく。


「アレガ、ジャラ=サンガダ」


 (ひる)。ついに辿り着いた蛙人たちの集落ジャラ=サンガは、世にも珍しい水上の里だった。湿地にあるいくつもの沼がつながり生まれた、湖ほどもある水溜まり。そこに円形の家屋がいくつも浮かび、網目のように巡らされた桟橋が、建物と建物をつないでいるのだ。

 あれが蛙人たちの里。カミラは乗り込んだ葦舟の上から、身を乗り出して行く手を眺めた。ジャラ=サンガが浮かぶ沼の岸辺には、何艘かの渡り舟が用意されていて、里へ行きたければその舟を漕いでいくしかないらしい。


 今回は牛人たちが漕ぎ手を担ってくれたから助かったが、濁った水の底には泥が溜まっているようで、漕ぎ方のコツを知らないと進むのが大変そうだった。覗き込むと、水面(みなも)の下には深い緑色が広がっている。リチャードの瞳と同じ色だ。

 蛙人というのは泳ぎが得意な種族で、水の中にも長い時間潜っていられるのだと聞いた。けれどこんなに水が濁っていては、視界なんてきかないんじゃないだろうかと疑問に思う。

 カミラも濁り川で有名なアムン河で泳いだことがあるが、水が痛くて目を開けていられなかった。たぶん水中に細かい砂の粒子が舞っていたせいだろう。


「へえ、こりゃすげえ。俺もずいぶんあちこち旅してきたが、水上集落ってのは初めてだな。あの家は全部水に浮いてるのか?」

「ウム。家モ、橋モ、浮イテイル。浮イテイレバ、水ガ増エテモ、減ッテモ安心」

「水位に暮らしを左右されない、というわけか。おまけに水の上なら外敵の侵入も防ぎやすい。なるほど、まさに賢者の智恵だな」

「フン。ダガ、カエルドモハ、頭ガカタイ。古イモノバカリ、大事ニスル。智恵、アッテモ、持チ腐レダ」

「……蛙人たちはかなり保守的ってことか」


 隣の舟でジェロディがぽつりと呟いたのを聞きながら、カミラは不機嫌そうなクワンの横顔を一瞥した。ヴィルヘルムがちょっと蛙人を褒めただけであの様子だ。二つの種族の間に走った溝は、カミラたちが思う以上に深いのかもしれない。

 果たして余所者の自分たちがそこへ割って入り、種族間の亀裂を修復することができるのだろうか。カミラはここにきて急に不安になってきた。

 思えば官軍と救世軍、同じ人間同士だって簡単には分かり合えないというのに、異種族同士の仲を取り持つなんて至難の技だ。こちらには神子たるジェロディがいるから、話くらいは聞いてもらえると思いたいが──


「──止まれ、牛人ども!」


 ところが刹那、舟が揺れた。

 ぐら、と舟底から突き上げるような衝撃が来て、カミラたちは悲鳴を上げる。

 船着き場と思しい浮き橋まで、あと少しというところだった。

 そこで突然行く手の水面が盛り上がり、巨大な水飛沫が弾けたのだ。


「きゃあっ……!?」


 白い柱にも似た水飛沫は舟を囲むようにあちこちで上がった。船縁にしがみつき、何事かと顔を上げれば、ひやりとした空気が頬に触れる──これは、冷気?

 いや、ただの冷気ではない。神気だ。氷水系の。

 カミラがそれに気づくと同時に舟が止まった。ぶんっと空気の振れる音がして、眼前に白木の棒が突きつけられる。


「……驚いたな。まさか人間を連れて戻るとは。しかし忘れたか、大戦士クワン。我々はお前たちのジャラ=サンガへの立ち入りを、固く禁ずると言ったはずだぞ」


 一行は呆気に取られた。──蛙だ。目の前に見たこともないほど大きな蛙がいる。しかも二本足でしっかり立って、水面に浮いているではないか。

 いや、違う。あれは氷か。氷水系の神術で生み出した氷を足場にしている。

 しかも水中から現れたところを見ると、彼らはカミラたちが近づくまで沼に隠れていたらしい。まさか水の底に伏兵がいるなんて、想像だにしなかった。


「通セ、カエルドモ。モウ一度、グルニ話ガアル」


 ところが武器──と言っても、殺傷力はなさそうな木の棒だが──を持った蛙人たちに囲まれても、顔色ひとつ変えずにクワンが言った。というかカミラには牛人族の顔の見分けがつかないので、実を言うと顔色の変化も分からない。

 けれどクワンの態度はかなり傲岸不遜であり、蛙人たちも殺気立ったのが分かった。初対面の印象がこれではまずい。話をこじれさせないためにも、まずは自分たちが中立的立場の勢力であることを示さなくては──


「僕たちは救世軍です」


 カミラがそう思い至った矢先、隣の舟から声がした。はっとして振り向けば、そこでは一人の少年が凛と佇み、威嚇する蛙人たちを見据えている。


「事情はすべて、ここにいるアーサーとクワン殿、そしてムワンバの丘のフォンリ殿から伺いました。どうか長老のグル殿にお取り次ぎを。僕たちは、あなた方の敵ではありません」


 迷いのないまっすぐな彼の言葉に、蛙人たちの構えが揺らぐのが分かった。彼らはまさに蛙独特の、飛び出た両眼をぎょろぎょろさせて、互いに顔を見合わせている。


(ああ)


 とそのとき目を細め、カミラは思った。


(やっぱり──眩しいな)


 朱いバンダナと金細工を風に鳴らして、ひと振りの剣のように佇む少年が。



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