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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第6章 世界はやさしくなんかないけれど
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181.毛むくじゃらと暴れ牛

 カミラたちを見つけた地鼠人(マーモット)の反応は素早かった。


「ああああああああああごめんなさいごめんなさい殺さないでお願いしますううううううううう!!」


 と地面から飛び出してくるなり叫んだかと思えば、再びズボッと穴へ引っ込み、超高速で逃げていく。

 彼──声の調子からしてオスと思しい──の逃走経路は、地上からもよく見えた。何せ彼が地中を移動すると、それに合わせて地表の土が盛り上がるのだ。

 いや、そもそも土の中をどうやってあんなに速く移動しているのか皆目見当もつかないが、とにかく地鼠人の逃げ足はとんでもなかった。彼はすぐさまカミラたちのいる川岸から退避しようとした──のだが。


「おい、ちょっと待った」

「ピュイーッ!?」


 たまたま彼の進行方向にいたウォルドが、無慈悲にも地鼠人の眼前にぐさりと剣を突き立てた。途端に地鼠人は土の中から飛び出してきて、へたりとその場に腰を抜かす。

 改めて見れば見るほど珍しい生き物だった。猫人(ケットシー)であるアーサーと同じく、獣人と言うよりは動物が服を着て喋っているみたいで違和感がある──これが、地鼠人族。

 カミラは呆気に取られながら、しかしまじまじと砂色の獣人を観察した。

 背丈は人間の子供ほどだが、実際はどれくらいの年齢なのか、見た目からは想像もつかない。

 逃げ場を失った地鼠人は毛並みという毛並みを震わせて、黒真珠みたいな瞳を潤ませていた。突如現れた巨大な筋肉生物──つまりウォルドのことだが──が恐ろしくて仕方がないのだろう、あわあわと黒い爪を噛むと、か細い涙声で言う。


「ご……ごめんなさい……殺さないで……あ、アナタたちをここで見たことは、誰にも言わないから……」

「いや、何か勘違いしてるらしいがな。俺たちは救世軍、この獣人区を守りに来た友軍だ。別に取って食いやしねえからそう怯えんな」

「きゅ……キューセーグン……?」

「君、地鼠人族の者だろう? 私はアーサー、カリタス騎士王国の使者だ。彼らが良い人間であることは私が保証する、安心したまえ」


 そのとき四足になって駆けてきたアーサーが、地鼠人の前に立ち昂然と胸を張った。同じ獣人である自分が前に出て、地鼠人を安心させようとしたのだろう。

 果たして怯えきっていた地鼠人は、アーサーを見るとようやく体の震えを収めた。それどころかかなり驚愕しているようで、真っ黒な目をまんまるに見開き、ウォルドとアーサーとをしきりに見比べている。


「え……え、え? 獣人が、ニンゲンと一緒にいる……!?」

「彼らは私の恩人でね。瀕死の重傷を負っていたところを助けてもらったのだ。ときに名前を尋ねてもよろしいかな、青年」

「あっ……ハ、ハイ……! ぼ、ボクは地鼠人のポレといいます……!」

「ポレか。うん、良い名だ」


 白い手を腰に当てたアーサーは、感心したようにうんうんと頷いた。たとえ種族が違っても、獣人同士というのは互いのだいたいの年齢が分かる……のだろうか。アーサーはさして迷う素振りもなく地鼠人──ポレと名乗った──を「青年」と呼ばわったし。


「で、先程そこのウォルドどのがおっしゃったとおり、彼らは救世軍──いわば悪しき人間たちと戦う良き人間の戦士だ。このビースティアは目下、黄皇国軍の攻撃に晒されているだろう? それを知って君たちに助勢できないかと、こうして遥々足を運んで下さったのだよ。よって彼らは君たちの味方だ」

「に、ニンゲンが、ボクらの味方……? そんなことってあるの……?」

「ああ、あるともさ。ジェロディどの、よろしければ彼と友好の挨拶を」


 見た目は完全に猫であるにもかかわらず、アーサーはいかにも騎士らしい颯爽とした物腰でジェロディを促した。

 ジェロディもまた初めて目にする地鼠人の登場に驚いていたようだが、やがて自分の役割を理解したのか、面食らっていた表情を引き締める。

 彼は靴を履く手間も惜しんで、裸足のままポレへと歩み寄った。ポレの方は怯えて震え上がったが、同時に人間に興味があるのか、逃げずに黒い鼻をひくつかせている。


「はじめまして、ポレ。僕は救世軍総帥代理のジェロディと言います。僕らはずっと、ビースティアの外でも黄皇国軍と戦っていて……それで今回、君たちの危機を知って駆けつけました。どうぞよろしく」


 そう言ってジェロディが手を差し出せば、ポレはじっと開かれた五本の指へ目を向けた。が、彼がジェロディの手を握り返すことはなく、ただ困惑した様子で小さな耳を伏せている。


「え、えっと……ごめんなさい。ボク、今はラハの実しか持ってなくて……に、ニンゲンもラハの実、食べる……?」

「……ラハの実?」

「う、うん……コレなんだけど……ハイっ……」


 言うが早いか、ポレは革帯に括りつけた布の袋をゴソゴソあさり、中から何か取り出した。彼がおっかなびっくりジェロディの手に乗せたそれは、地鼠人の毛皮と同じ色をした木の実、だ。

 表面がやたらとゴツゴツした、見るからに硬そうな木の実だった。あれが地面に落ちていたら、普通に石と見間違えるかもしれない。唐突にそんなものを渡されたジェロディは二、三度瞬きし、首を傾げながらも礼を言った。


「え、えーと……ありがとう……?」

「ジェロディどの、ジェロディどの、違います。彼ら地鼠人族の間には〝握手〟という習慣がないのです。まずはそこから説明しませんと」

「あ……ああ、そうか、そういうことか」


 アーサーに脚衣を引っ張られ、ようやく理解したといった様子で、ジェロディは苦笑した。次いで手の中のラハの実を一瞥すると、ポレの前に跪き、目線を合わせて声をかける。


「ありがとう、ポレ。だけど今のは物を催促したわけじゃないんだ。〝握手〟っていう、人間流の挨拶をしようとしたんだけど……」

「あ、アクシュ……?」

「うん。だけど〝水を飲んだら礼に従え〟と言うからね。ここでは人間流の挨拶じゃなくて、獣人流の挨拶をしよう。君たち地鼠人は仲良くしたい人と挨拶するとき、どうするんだい?」


 ポレは人間に囲まれて緊張しているのか、終始身を竦めておどおどしていた。しかしたとえ種族が違っても、言葉まで違うわけではない。

 彼はジェロディの言わんとしていることを汲み取ると、数瞬考えるように耳を動かして、おずおずと口を開いた。


「え、えっと……ボクたち地鼠人は、挨拶するとき、お互いの鼻と鼻とをチュッてするよ。嬉しいと鼻が湿るから、〝アナタに会えて嬉しいです〟っていうのを伝えるために……」

「は、鼻と鼻……」


 予想していたより遥かに奇抜な挨拶だった。実を言うとカミラも黄皇国に来るまで〝握手〟という習慣に馴染みのなかった人種だが、鼻を使った挨拶というのも初耳だ。これが人間対人間なら、ほとんどキスも同然じゃないか。

 そう思ったらとっさに、ジェロディと自分が地鼠人流の挨拶を交わすところを想像してしまって、カミラはボンッと頭が爆発した。──何考えてんの、私!?


「そ、そっか、鼻と鼻……じゃあ、こうすればいいのかな?」


 しかしカミラが一人であたふたしている間にも、ジェロディはちょっと腰を屈めて、果敢にも地鼠人流の挨拶に挑もうとしていた。まさか人間が自分に合わせてくるとは思わなかったのか、ポレはびっくりした様子で目を見開く。

 けれど彼の表情はすぐに、喜びのそれへと変わった。異種族のカミラが見ても〝嬉しそう〟と分かるくらい、黒目がきらきら光り出したのだ。

 やがてポレは尻尾の先で地面を叩くと、自分もジェロディに応えるように首を伸ばした。首……という体の部位が、ずんぐりむっくりした地鼠人族にあるのかどうかは定かでないが、とにかくぐいっと頭を上げて、ジェロディの鼻先に黒い鼻を当てようとする。ところがそのとき、


「──ポレーッ!!」


 どこからともなく、とんでもない怒号が轟いた。これにはポレだけでなくカミラたちまで飛び上がり、何事かと視線を走らせる。


「な、何……!?」


 一度は鞘へ戻した剣に、改めて手をかけた。そうして見やった丘の上に、何かいる。午後の太陽が放つ逆光の中、大きくて黒々としたアレは──獣人?


「ブモーッ!! ポレカラ離レロ、ニンゲン!!」


 カミラは目を疑った。いや、けれど確かに見覚えがあった。

 全身真っ黒な毛皮に、逆光を弾く白い角。二本の足で立ち上がれば身長は四十(アレー)(二メートル)に迫り、レナードの斬馬斧によく似た巨斧(おおおの)を携えた生き物。

 あれは牛人(タウロス)だ。このエマニュエルで唯一竜人(ドラゴニアン)にも匹敵する戦闘能力を誇る種族。

 しかし丘の上の牛人は、とても草食の生き物とは思えぬほどに殺気立ち、人間そっくりの五本の指で斧を握り締めている。


「け、ケムディー……!? どうしてキミがこんなところに──」

「ケムディー、ポレ、守ル!! ニンゲン、許サナイ……!!」


 カミラは確かに聞いた。ポレが牛人に向かって何か言いかけたのを。

 牛人の方も先程からポレの名前を連呼しているし、どうやらふたりは顔見知りのようだ。とすると〝ケムディー〟というのが牛人の名か。

 だがこれはまずいことになった。あの形相から察するに、ケムディーはカミラたちを敵対者と誤解している。現に彼は丘の上で斧を振りかぶると──それを麓のカミラたち目がけて、思いきりぶん投げた。


「うわあっ……!?」


 ブンブンと恐ろしい音を立てながら、回転した斧が迫ってくる。そのすさまじい勢いに恐怖して、カミラたちは逃げ散った。

 ギラリと日の光を弾く刃が、地を砕くようにして川岸に突き刺さる。そこは一瞬前までジェロディがいた場所だった。あとほんの少し回避が遅れていたらと思うとぞっとする。だが、本当の脅威は別にあった。


「ジェロディ、避けろ!」


 この事態はまずいと判じたのか、さすがに抜剣したヴィルヘルムが叫ぶ。避けるって何を、と思いながら目をやれば、斧を(かわ)したばかりのジェロディに向かって、黒い塊が突撃していくのが見えた。

 四つの蹄で土を蹴立て、猛進するのは逞しい雄牛。あれは〝獣化〟と呼ばれる力だ。獣人の中にはあのように、人の姿と獣の姿を行き来できるものがいる。

 その力によって猛り狂う雄牛と化したケムディーは、猪もかくやという速度でジェロディに迫った。鋭い角の生えた頭を引き、勢いをつけて振り上げる。


「ティノくん……!!」

「いけない、カミラどの!」


 とっさに踏み出そうとしたカミラの行く手を遮るように、アーサーが跳躍した。カミラはそこではっとして、右手に宿る炎に気づく。

 いつもの癖と条件反射で、神術を放とうとしていた。アーサーが止めてくれなかったら、ケムディーを牛の丸焼きにしていたかもしれない。

 けれど、ジェロディが。

 カミラは息を呑んで顔を上げた。瞬間、ジェロディの体が弾き飛ばされる。猛牛と化したケムディーに──ではない。助けに入ったオーウェンに、だ。


「ぬおおおおおおおおおっ……!!」


 オーウェンの大剣と猛牛の角が激突した。ケムディーは右の角の付け根で刃を受け止めると、勢いを殺さず突っ込んでいく。

 オーウェンも両足を踏ん張ってその突進に耐えたが、二(アナフ)(十メートル)ほども地面を滑ったところでついに弾き飛ばされた。ケムディーの角は身の丈三十八葉(一九〇センチ)近くもあるオーウェンを軽々と吹き飛ばし、弾かれたオーウェンは為す術もなくサプタ川へと落下する。


「オーウェンさん……!!」


 マリステアの上げた悲鳴が、盛大な水飛沫に掻き消された。オーウェンも元軍人とは言えトラモント人だ。先刻川を渡ったときに、自分も泳ぎは不得手だと言っていた。このあたりの水深はさほど深くはないと見積もっても、あれはまずい。


「ああっ、もう……!」


 次の瞬間、カミラは剣を投げ捨てた。次いで素早く腰帯を外し、両の靴も脱ぎ捨てて、自ら川へ飛び込んでいく。

 危険な水棲生物がうようよいるアムン河。何年かに一度氾濫しては故郷を呑み込むあの河と共生するために、泳ぎの技術は嫌というほど叩き込まれた。

 これほど水が澄んでいる川ならば、目を開けたまま泳ぐことなど造作もない。年中濁って視界がきかない故郷の大河(かわ)に比べれば、数段マシというものだ。


「オーウェンさん……!」


 カミラはオーウェンが落下したあたりに到達すると、そこから一気に潜水した。水深、四十葉足らずといったところか。川底に足をつけば、オーウェンなら頭が水から出るかもしれない。

 だが彼は落下の衝撃で、ほとんど仰向けに沈んでいた。あの落ち方では全身を水面(みなも)に打ちつけ、大層痛い思いをしたに違いない。その証拠に意識はあるようだが、苦悶の表情を浮かべている。


 カミラは急いでそんなオーウェンに近寄り、腕を掴んだ。気づいたオーウェンが驚いて目を見張っている。

 しかし水中では互いに言葉を発せない。だからカミラはもう一方の手で、ぐいぐいと水面を指差した。浮上しよう、という意思は、どうにか伝わったようだ。


「──ぷはっ!」


 それからカミラはオーウェンを引っ張り上げるようにして、水面から顔を出した。一拍遅れてオーウェンも顔を出し、大きく息を吸っている。

 彼の大剣は重すぎて川底に置いてきてしまったが、まああとでウォルドにでも取りに行かせればいいだろう。水上に出たところで思ったより流されたことに気づいたカミラは、慌てて川縁までオーウェンを引っ張っていく。


「げほっ、げほっ……はあ、くそ……助かったぞ、カミラ……まさかこの歳になって川で溺れかけるとは……」

「オーウェンさんは無茶しすぎです! よりにもよって獣化した牛人に正面から喧嘩売るなんて……!」

「ああでもしなきゃ、どてっ腹に角をもらうとこだったんだからしょうがないだろ……! というか、ジェロディ様は……!?」


 お互いぜえはあと荒い息をつきながら、しかし何とか陸に上がると、すぐさま川の上流を目指した。二十枝(一〇〇メートル)ほど向こうでは未だにケムディーが暴れ回っていて、まるでルエダ・デラ・ラソ列侯国で見た闘牛みたいになっている。


「ケムディー、ケムディー! もうやめてよ! そのヒトたちは悪いニンゲンじゃないんだ、ボクなら大丈夫だから……!」


 獣化したまま猛り狂っているケムディーを止めようと、ポレが必死に叫んでいるのが聞こえた。されどケムディーはすっかり頭に血が上っているのか、まったく聞く耳を持っていない。文字どおりの暴れ牛だ。


「くそっ、この牛野郎手に負えねえぞ……! おいマリー、お前の術で一瞬動きを止められねえか!?」

「や、やってみます……! ──氷霜の枷(ケラハ・エースール)……!」


 ウォルドの作戦を容れたマリステアが、右手の水刻ウォーター・エンブレムを閃かせた。氷霜の枷。標的の足元に強烈な冷気を発生させ、一時的に動きを止める術だ。

 乗り手を振り落とさんと暴れ回る悍馬(かんば)のごとく、何度も地を蹴って威嚇していたケムディーがその冷気に包まれた。彼の後ろ脚が氷の枷に囚われ、蹄から凍っていくのが見える。


「ブモッ……!?」


 これにはさすがのケムディーも、ついに暴走するのをやめた。彼は自分の体がみるみる凍りついていくのを見るや、にわかに後ろ脚で立ち上がり、再び人の形へと戻っていく。


「ヌウ……!! ケムディー、負ケナイ……!!」


 ウォルドの声よりさらに低く野太い声で、ケムディーが咆吼した。かと思えば彼は傍らに突き刺さっていた斧を引き抜き、最大限まで振りかぶる。


「ヌゥン……!!」


 遠心力を味方につけたケムディーの斧が、彼の手を離れた。再びブンッと恐ろしい音を奏でた巨大な刃が、空を切って飛んでいく。

 カミラはあっと息を呑んだ。

 風をスライスするように飛んでいく斧の先には、マリステアがいた。

 神術を操り、ケムディーの動きを止めるので精一杯のマリステアには、それを避ける術がない。


「マリー……!!」


 隣でオーウェンが絶叫した。カミラもとっさに神術を放とうとしたが、間に合わなかった。

 瞬間、右から回り込むようにして迫った刃が、マリステアの首を斬り落とす寸前で止まる。

 それは何かに弾かれたとか、絡め取られたとか、そういう類のものではなかった。本当にただ空中で()()()()()()。まるで見えざる手にしっかと掴まれているかのように。


「……そこまでにしてもらえるかな、ケムディー。でないと僕は、救いに来たはずの君たちを斬り捨てる羽目になる」


 目を見張って立ち尽くすマリステアの眼前には、ジェロディがいた。


 彼が翳した右手の甲で、《命神刻(ハイム・エンブレム)》が瞬いている。



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