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16.魔のものども ☆


「──カミラ、魔物だ!」


 鋭い呼び声で目が覚めた。反射的に飛び起き、枕もとにあった剣を掴んだ途端、悪夢の記憶はサアッと音を立てて引いていく。

 一、二、三、四、五。カミラは素早く剣を抜きながらあたりに視線を走らせた。

 全部で七体。灰色の獣のようなもの。その姿を朝日が照らしている。

 左右では既にイークとウォルドも剣を抜いて臨戦体制だ。


「ちょっと! こんな近くまで魔物の接近を許すなんて、隙だらけの見張りをしてた間抜けは誰!?」

「その前に、俺たちが散々起こしてもまったく目を覚まさなかった間抜けは誰だと思う?」

「さあ、寝てたから知らないわ!」

「お前あとで殴らせろ」


 イークと軽口を(ろう)()いながら、しかし体は自然と外を向く。

 誰が指示を出したわけでもないのに、カミラたちは互いに背を向け合って無意識に小さな円陣を組んだ。足もとには寝床や旅の荷物や焚き火の跡。

 だが今はそれらを片付けている暇はない。あちこちから低い唸り声がしていた。

 カミラたちを突如として包囲したのは、狼に似た姿の異形のものだった。

 俗に〝魔物〟と呼ばれる、地上の生態系とは一線を画したおぞましき者どもだ。

 たった今カミラが視界に捉えているそれも、姿こそ獣の形を取っているが地上の獣とは大きく違う。何が違うって、目だ。体毛のない灰色の肌のあちこちに、無数の目がついている。人間で言う白目の部分が黒く、中心が真っ赤に染まった目。

 それがギョロギョロと忙しなく(うごめ)きながらカミラたちを観察している。

 おまけにこいつら、とんでもなく臭い。


「うぅっ、ひどい臭い……」

瘴気(しょうき)の臭いだ。こいつら、地裂(ちれつ)から()()してきてまだ間もないぞ。嗅ぎすぎるな、瘴毒(どく)にやられる」

「分かってるけど……! それにしたって、こいつら気持ち悪い……!」

「魔物なんてどいつもこいつもこんなもんだろ。来るぞ!」


 イークがそう叫んだのが先か魔物が地を蹴ったのが先か。とにかくその瞬間、全員が一斉に動いた。イークやウォルドが一歩踏み込むのと同時に、カミラも素早く前に出る。眼前には黒い牙の生えた大口を開き、飛びかかってくる魔物。

 その驚くべき跳躍力を前に、カミラはまず身を屈めた。すぐ上をいくつもの目玉が通りすぎていく。この魔物に恐らく死角はない。ならば速さで勝負だ。

 カミラは滞空する魔物の腹の下で身を(ひるがえ)し、そしてすぐさま駆け出した。

 魔物が着地し頭をこちらへ向けたときには、既に剣を振りかぶっている。

 姿勢を低くし、刃を真横に一閃させた。魔物の胴からブシャッと黒い液体が噴き出す。瘴気に冒された魔物の血だ。途端に魚が腐ったような臭気がいっそう増したが、カミラは息を止めて即座に振り向いた。そこに二匹目の魔物。

 昨夜カミラがイークと話した倒木の上に乗り、威嚇の声を上げている。


 ──オ前ノ肉ヲ喰ワセロ。


 魔物にも思考と呼べるものが存在するならそんなところか。

 地の底の世界──〝魔界〟に属する邪神のしもべ。

 彼らは人間の肉を喰らう。そして人類を根絶やしにしようとしている。それは人間がかつて天界の神々に仕えたしもべだからだ。千年以上前の神界戦争に敗れ、地の底に追いやられた邪悪なる神々は今なお天界への報復と地上世界の支配を望んでいる。まったく呆れた執念深さだ。それが彼らの邪神たる由縁なのだろうけれど。


「だからって千年以上前のいざこざに今更巻き込まないでよね──っと!」


 今度はカミラの方から仕掛けた。大股に地を蹴って詰め寄り、再び剣を横に()ぐ。だが真正面から斬り込まれたその攻撃を相手も避けないわけがない。魔物はピョーンと思ったよりも高く跳び上がった。頭はカミラへ向けたまま後方に。


「逃がすもんですか──火箭(ナール・ヘッツ)!」


 そこへすかさず追い討ちをかけた。カミラは祈唱(きしょう)を省略して右手から火の玉を生み出し、それを(つぶて)のごとく思いきり投げつける。燃え盛る炎の球体は狙い(たが)わず魔物に直撃した。「ギャンッ」と鳴きながら爆発に巻き込まれた魔物の体は遠く吹き飛び、森の木に叩きつけられると落下して動かなくなる。


「よし……!」

「全然〝よし〟じゃねえぞ! しゃがめ!」


挿絵(By みてみん)


 そのとき俄然、真後ろからそんな声がした。次の瞬間とっさに屈んだカミラの頭上を、ブンッと恐ろしい音を立てて大剣が通りすぎる。その剣が倒木の向こう、カミラの死角から飛びかかってきた魔物を薙ぎ払った。すぐそこで骨の砕ける音がして、異様なうめきを上げた魔物がやはり遠くまで吹き飛んでいく。


「お前、ほんとに注意散漫だな。危なっかしくて見てらんねえぞ」

「ど、どうも……」


 とカミラは倒木の傍にしゃがみ込んだまま、呆れ顔で佇むウォルドを見上げた。

 こうして見るとほんとにでかい。実は牛人(タウロス)の血を引いてたりして?


「おい! そっちにもう一匹行ったぞ!」


 ときに襲い来る魔物を斬り伏せながら、こちらを振り向きイークが叫んだ。

 まるでその彼の間合いから逃げ出すように複眼の魔物が駆けてくる。

 それを見てカミラはすぐさま立ち上がろうとした。

 が、何か違和感を感じて数瞬動きを止めた。

 ……何だろう。何かこう足りない気がする。

 スリルとか興奮とか、そういう目に見えないものの話じゃない。

 もっとはっきり物理的なものだ。

 あるべきはずのものがそこにないっていうか──ああ、そうか。分かった。

 イークだ。イークがいつも頭から下げている羽根飾り(カラリワリ)

 あれが珍しくそこにない。


「おら、これで(しま)い──だっ……!?」


 と、カミラがそんなことを思っている間にウォルドがやってくれた。

 彼はこちらへ向かってくる魔物へ向けて大きく剣を振り抜き、そして外した。

 いや、あれは外したわけじゃない。魔物が避けた、というか突然進路を変えたのだ。ウォルドの間合いに入る寸前に、まるでジグザグに走る稲妻みたいに。

 そうしてほぼ直角に進路を変えた魔物はあろうことか、カミラたちがまとめていた荷物の山へ飛び込んだ。そこから一番小さな旅嚢(りょのう)──あれは食糧が入った袋だ!──を(くわ)え上げると、「お宝を見つけた……」とでも言いたげに恍惚(こうこつ)のポーズを取り、またも身を翻して駆け出していく。


「あっ、ちょっ、ちょっと待っ……!」


 それを持ち去られては困る。恐らく中に入った干し肉か何かの匂いに反応したのだろうが、食糧は旅の生命線だ。

 カミラはそれを阻止しようと駆け出し、そして見た。──カラリワリ。

 イークの青い羽根。引っ掛かっている。遠ざかっていく。魔物と共に森の中へ、


「……! おっ、おい、待て!」


 どうやらすんでのところでイークもそれに気がついたようだった。彼はいつになく慌てた様子で声を上げると、一も二もなく逃げる魔物を追っていく。

 ダメだ。私も追わなきゃ。

 あれはイークの──と踏み出しかけたところで、またウォルドの声がした。


「新手だ!」


 冗談でしょ? と思いながら振り返ったら冗談じゃなかった。複眼の魔物が四体。焦燥と共に一瞥(いちべつ)した先で、魔物を追ったイークが森の中へ消えていく。


「ああっ、もう!」


 このまま彼を見失ったらことだ。そうは思ったが魔物に背を向けて駆け出すわけにもいかず、カミラはウォルドと共に新手の四匹を倒しにかかった。一人で二匹。

 特にノルマを決め合ったわけではないが、自然とそうなって処理をする。

 一匹は頭を真っ二つにし、もう一匹はこんがり焼いた。

 炎に巻かれた魔物が苦しみながらもがいて息絶えた頃、ウォルドも飛びかかってきた最後の一匹をのして戦いを終わらせる。


「後続は……?」


 足もとに倒れた魔物の火を神力によって鎮火しながら、カミラはじっと耳を澄ました。何も聞こえない。鳥の声も葉擦れの音も。まるで地上の生きとし生けるものがみな魔物を恐れて、じっと息を潜めているみたいだ。


「どうやらこれで最後だったみてえだな」

「うん……」


 まだ油断はできないけど、と思いつつ、カミラはざっとあたりを見渡す。

 体感としてはかなりあっさり片付いたが、周囲は死屍累々(ししるいるい)といった様相だった。

 そこで初めてひと息ついて、カミラは服についていた草や土を払う。

 いきなり飛び起きたので体中あちこちが汚れていた。

 もう三日お風呂に入ってないし、瘴気臭い。体を洗いたい。


「それにしても、いきなりこんな数の魔物が襲ってくるなんて……最近ちょっと魔物が多くない?」

黄皇国(くに)が荒れてるからな。知らねえのか? 魔物ってのは戦争や天災がある場所に好んで寄ってくるんだよ。そうすりゃわざわざ苦労して人間を狩らなくても、あちこちで屍肉(しにく)(むさぼ)れるからな。現に先月もトラジェディア地方で、魔物の群が村をひとつ地図から消した」

「えっ……」


 ひゅっ、と自分でもはっきり分かるほど細く息を吸い込んで、カミラは思わず顔を上げた。トラジェディア地方というのはトラモント黄皇国(おうこうこく)の北、竜牙山脈(りゅうがさんみゃく)の麓一帯を指す言葉だ。そこで村がひとつ、消えた。


「そ、それ本当なの?」

「ああ。話を聞いて救世軍(おれたち)の仲間が出動したから間違いねえ。村に着いた頃にはとき既に遅しだったらしいけどな。村中食い荒らされて、そいつはひでえ有り様だったとよ」


 カミラはその光景を鮮明に想像しそうになって、やめた。

 話を聞いただけでも吐き気が込み上げてきて、思わず口に手を当てる。

 村ひとつ呑み込むほどの魔物の大群。そんなものが今このトラモント黄皇国に押し寄せているのだとしたら、他人事では済まないとカミラは思った。

 現に今だってこうして魔物の群に襲撃を受けたのだ。冷静になって考えれば、これだけの数の魔物にひとりで襲われていたらさすがのカミラも無事では済まなかった。ひとり旅の間も何度か魔物と遭遇することはあったものの、いつも独力で何とかできる程度の数だったのは相当運がよかったのかもしれない。


「ってことはイークが心配だわ。私たちも荷物をまとめて早く追いましょう」

「ああ。しかしイークのやつ、たかが食糧くらいで何をあんなに慌ててやがったんだ?」

「たかが食糧って、私たちの二倍も食べる人が言う? そもそもイークが追いかけたのは食糧じゃなくて……」


 と言いながらその場にしゃがみ込み、零れていた荷物をせっせと旅嚢に詰め込んでいる最中でカミラは気づいた。……あれ? ちょっと待って。

 もしかして私、今ウォルドさんとふたりきりですか?

 思わず荷物を掻き集める手が止まり、ウォルドを見やる。彼は彼で先程までカミラが寝ていた寝床の布を適当に丸めているが、問題はそこじゃない。


『俺はこいつを信用してない。監視のために傍に置いてるんだ』


 昨夜聞いたイークの言葉が不意に脳裏に(よみがえ)った。何でもこのウォルドという男は詳しい素性が知れず、しかも怪しい放浪癖を持っているのだとか云々。


(……そう言えばこの人、こないだの戦で私があの鎧の兵士に襲われたときどこ行ってたんだろ)


 ジェッソ地方軍との乱戦。

 その中でカミラがあの鋼の神術使いに襲われピンチになると、ウォルドは途端に姿を消した。いや、あるいはあれは偶発的なものだったのかもしれないが、でも。

 ぐるぐると不穏な思考が脳裏を巡って、どっと汗が噴き出してくる。

 ──やばい。ねえ、これってやばいよね?

 だってもしこの人が裏切り者とかだったりしたら、今の私に勝ち目はある……?


「おい、何ぼやっとしてんだ。イークを追うんだろ?」

「ひゃっ、ひゃいっ!」

「ひゃい?」


 急に意識を現実へ引き戻されたので声が裏返った。

 既に出立の準備を終えたウォルドは(いぶか)しげにこちらを見ている。

 うん、でかい。何度見てもでかい。筋肉の申し子。

 これじゃ射程が違いすぎるし、そもそも膂力だって。

 きっとカミラの剣などまともに()()えば一発で叩き折られる。

 ならば神術で? それを見切られたら? ウォルドの剣捌(けんさば)きは意外と速い。

 竜人(ドラゴニアン)みたいな鈍重な動きを想像していたら(かわ)せない。

 だったら遠距離からの攻撃で仕留めないと。だけどそんなの相手だってお見通しなのでは? こちらが手の内を秘匿している状態ならまだしも、ウォルドはカミラが神術使いであることを既に知っているのだし。


 検証結果。勝率は五分。

 嘘だ。カミラが四でウォルドが六。ギリギリのところで負ける可能性が高い。

 何しろカミラとウォルドでは体格だけでなく戦いの経験にも絶対的な差がある。

 聞けば彼は十代の頃から傭兵稼業をしていると言っていた。

 ならば勝てない喧嘩はしないことだ。

 脳内でそう結論づけたカミラはサササッと残りの荷物を旅嚢の中へ押し込んだ。

 そうしてきゅっとその口を絞ると肩に背負い、出来る限り颯爽と立ち上がる。


「よしっ。それじゃあ行きましょうか、ウォルドさん!」

「さん?」

「あー、いや、ウォルド先輩? ウォルド様?」

「急にどうしたお前。さっきまで普通に呼び捨てでタメ口使ってたろ。今の戦闘で頭でも打ったか?」

「とっ、とにかくまずはイークを探さないと! でもってカラリワリを取り戻さないと!」

「カラリワリ?」

「イークが追いかけてったあの羽根飾りのこと。あれね、イークのお母さんの形見なの」


 カミラがイークの消えた方角を見据えてそう言えば、ウォルドがわずかに目を細めた。カミラは今でも覚えている。イークの母親が亡くなる前日。彼女はすっかり細く白くなった手で、病床からイークにあのお守りを手渡した。自分の死期を悟って、遺してゆく我が子が心細くないように、手作りのお守りを──


「ウォルド先輩、ご両親は?」

「よく分かんねえがその先輩ってのをやめろ。親なら何年も前に逝っちまった。ふたり揃ってな」

「そう」


 カミラはもう一度膝についた土と草を払う。なんだ、意外と話せるじゃない?

 そんなことを思いながらも、表情はすっと引き締めておく。


「私も親なし。お母さんは私を産んだときに亡くなって、お父さんも六年前に死んじゃった」

「……」

「というわけで協力してくれるわよね?」


 イークとウォルドの関係は新入りのカミラから見ても険悪だ。事情を話したらむしろ白けられて、「くだらねえ」と()()ねられるかもしれないと思った。

 だから確認のためにウォルドを振り返る。

 彼はこちらを一瞥すると、ふう、と短く息をつき、すぐに大股で歩き出した。


「行くぞ」


 それを聞いてカミラは小さく笑みを刻む。へえ、案外いいやつじゃない。

 だがそう思ったのも束の間、


「ピシャン──」


 乾いた鞭が岩を打つような音。

 それに続いて鳴り響いたけたたましい雷鳴に、カミラとウォルドは足を止めた。

 森の奥から轟音がする。一発、二発、三発──


「……。ねえ、なんかやばくない?」

「なんかやべえな」


 鳴り止まぬ雷撃の残響に、カミラとウォルドは顔を見合わせた。たかが小型の魔物一匹にイークがこれほど神術を連発するとは思えない。もともとイークの戦い方は剣術先行で、神術についてはいざというときの切り札だ。ということは。


「……これって、森の奥に何かいる?」



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