176.守護者たち
『来たよ』
『来たね』
『来たわ』
『来たみたい』
『神子ね』
『神子だわ』
『ハイムの神子だ』
『待ってた』
『待っていたね』
『とても長い時間』
『待っていた』
『運命を拓く者』
『彼がそうか』
『そうとも』
『いや、違う』
『正確には渡り星』
『渡り星と神子』
『ふたりだ』
『ふたりだね』
『運命を書き変える』
『もう書き変わっている』
『そうかな』
『そうとも』
『彼らは希望だ』
『希望か』
『ああ、そうであるといい』
何人、だろうか。
いや、恐らく〝何人〟という規模じゃない。
数え切れないくらいの人、人、人。彼らの囁き声。
それがずっと耳元で聞こえていた。
会話しているようで、全部独り言のようで。
ジェロディは思わず耳を押さえる。
やはり同じだ。クアルト遺跡の地下で聞いたあの声と──
「こいつが核石。この船の心臓にして、魂の集合体だ」
「魂の……集合、体……?」
「お前にも聞こえるだろ、こいつらの声が。……今日はやけにお喋りだな。ライモンド家の外から神子が来たのがそんなに嬉しいか」
言いながら、カルロッタが台座に浮かぶ宝石へ手を伸ばす。ジェロディの頭ほどもある石は緑色だが透明で、淡く発光していて、かつてクアルト遺跡の奥で見た神刻石によく似ていた。
遺跡ではこれに似た石の中に《命神刻》が眠っていたのだ。ではあれも神刻石ではなく核石だった? しかし〝魂の集合体〟というのは……。
『カルロッタ』
『拗ねているね』
『拗ねてるな』
『悲しまないで』
『そうさ、すべては運命だった』
『されど運命は変わる』
『我々が求めてきたもの』
『その答えだ』
『答えが、彼だ』
カルロッタは核石と会話していた。そうとしか思えない。
つまりあの石は生きているのか。魂を持っている?
それもひとつではなく、複数の。
「……カルロッタ、説明してほしい。これは何だ?」
立ち竦みながら、ジェロディは問うた。
カルロッタは淡く輝く奇石に額を預け、片目だけでこちらを見ている。
「アタシの親父だ」
「は……?」
「正確には親父たちだな。親父もこいつの中にいる。死んで船を守る一人になった」
「何を言って──」
「エイブラハム・ディア・ライモンド。この名に聞き覚えは?」
ない。そう即答しようとした。なのにできない。何故だ。だって、それは。
「僕の、名前……?」
「違う。お前はジェロディ・ヴィンツェンツィオだ」
「分かってる。だけど、どうして……おかしいんだ、さっきから。僕じゃない誰かの記憶が時折、僕の中に……」
「そいつは親父の記憶だな。エイブラハムは親父の名前。お前の前のハイムの神子で、二十年《命神刻》を宿してた。だから記憶が残ってる。お前の右手の神刻に」
「ハイムの、神子……僕の、前の……? そう言えばさっき、君は《命神刻》は自分が継ぐはずだったって……」
「ああ。ライモンド家は大帝国の時代から《命神刻》を守ってきたハノーク人の末裔だ。当主は代々《命神刻》を身に宿し、隠し抜いてそして死ぬ。不老の肉体を持ってることがバレねーように、五十になったら死ぬ決まりなんだ。次の当主に《命神刻》を譲り渡してな」
「じゃあ、君が今のライモンド家当主……?」
「そうだ」
「だけど大神刻は依代を選ぶ。ずっと同じ家の人間が大神刻を継承し続けるなんて不可能のはずだ。まあ、アマゾーヌ女帝国みたいな例外はあるけど……」
「アタシも女帝国の帝が、どうやって血族に《美神刻》を相続させてるのかは知らねえ。だが一つはっきりしてることは、華帝が住んでるペラヒーム宮殿ってのが、元はハノーク人の遺跡だったってことだ」
カルロッタの言葉にはっとして、ジェロディは目を見開いた。世界一美しい都と謳われる華都ペラヒーム、そこにある宮殿がハノーク人の遺跡、だって──?
そんな話は初耳だ。だけどもし、カルロッタの証言が事実なら。
「つまり古代の人々は、大神刻を特定の人物に譲り渡す術を持っていた……?」
「ご名答。そしてアタシも一部だけなら方法を知ってる。いや、知っていた、だな。ライモンド家の人間じゃないお前が神子に選ばれて、たぶんもう使えなくなった。試してみてもいいが、そしたらお前は死ななきゃならねえ」
「どういうこと?」
「《命神刻》相続の方法はな、クアルト遺跡でとある儀式を行うことだ。そしてその儀式では、当代の神子を次代の神子が殺す。そうすることで《命神刻》は、神子を殺した人間の手に宿る」
「……! じゃあ、まさか……君は、君のお父さんを殺した……!?」
「……そこは覚えてねーんだな。アタシのこと、恨んでるか訊きたかったのに」
口元に細い笑みを刻んで、カルロッタは再び核石を見上げた。緑色の光に照らされる彼女の横顔はひどく寂しげで、心細げで──悲しげだ。
刹那、ヒュウッと風が吹いた。窓も何もない真っ暗闇の船内で、風なんて吹くはずがないのに、風が吹いた。狭い室内で渦巻いた風は、カルロッタの頭から帽子を落とす。途端に長い耳が覗いた。兎人最大の特徴である、真白い耳が。
「儀式は失敗したんだ。アタシは親父の本当の子じゃなかったから」
されどいつかのように取り乱すこともなく、淡々とカルロッタは言う。
「おまけにアタシは半獣だ。ケモノの血が入ったまざりもの。だから《命神刻》を継げなかった。この手で、親父を殺したのに……」
『それは違うよ、カルロッタ』
核石の中から声がした。今更ながら、核石の声はすべて古代語で語られている。しかしジェロディには意味が分かるのだ。彼らの言葉は耳を通り、脳へ到達する前に現代ハノーク語へ書き換えられる──そんな感覚。
『お前にはお前の使命があった』
『だから《命神刻》は眠りに就いた』
『短い眠りさ』
『ジェロディを待っていた』
『決まっていたんだ』
『そう、初めから』
『決まっていた』
「けど、だったら親父は何のために」
と、カルロッタが声を荒らげる。彼女はその理由を確かめたかったのか。だからこんなところまで自分を追いかけてきて、核石のもとまで連れてきた。
『エイブラハムはお前に与えたろう』
『ああ、与えた』
『この船と』
『知識』
『太古の記憶』
『我々の声を聞き』
『導く力』
『そして』
『自由』
カルロッタの長い耳は中ほどから折れて、力なく垂れていた。うつむいた彼女の表情は奔放な金髪に隠れ、よく見えない。
……父親を、殺した。
彼女の様子を見ていると、その事実の重さがずしりと肩にのしかかってきた。ジェロディもまた、父を殺すかもしれない立場に立っているからだ。
しかしカルロッタは成し遂げた。……成し遂げたくは、なかっただろう。
今の彼女を見れば分かる。カルロッタは父親を愛していた。たとえ血のつながりがなかろうと。
けれどライモンド家の跡取りとして、彼女は父親を殺さなければならなかった。大好きな父親を、殺さなければならなかった。
そうまでして父との約束を果たそうとしたのに、《命神刻》は彼女に宿らず──
取り残されたカルロッタの無念を思ったら、ジェロディはとてつもない罪悪感に苛まれた。核石は、自分がハイムの神子になることは初めから決まっていたという。でも。
『ジェロディ・イルレオン・キアヴェナ・ラーマ・ヴィンツェンツィオ』
ドキリと心臓が音を立てた。
父と自分、そしてごく親しい身内しか知らないはずの真実の名前。
何故それを知っているんだ、と彼らに尋ねるだけ野暮だろうか。そう思いながらジェロディが目をやると、核石は微か笑ったようだった。
『カルロッタは奴隷だった』
『奴隷になるはずだった』
『左目はくれてやった』
『エレツエル人に』
『狂える支配者どもの手先』
『エレツエル人に』
『されどエイブラハムが』
『助けた』
『エイブラハムも奴隷さ』
『エレツエル人の』
『奴隷だった』
『だから助けた』
『そのエイブラハムと約束したのさ』
『ああ、約束した』
『彼女はね』
『エイブラハムに代わって』
『ライモンド家の子として』
『《命神刻》を守る、と』
ジェロディは声もなくカルロッタを顧みた。彼女は完全にそっぽを向いていて、やはり表情は窺えない。けれど。
「じゃあ、カルロッタがここへ来たのは……?」
『そう』
『果たすため』
『約束を』
『果たすため』
『カルロッタは』
『君を守る』
『約束だ』
『そして我々も』
『君を守ろう』
またもふわりと風が吹く。その段になってようやく、ジェロディはこの風が目の前の核石から生み出されているのだと悟った。
石から流れてくる風は温かい。人肌の温かさだ。ゆえにジェロディは、見えざる手に頭を撫でられているような錯覚を覚えた。カルロッタも同じだ。彼女の金髪は風に吹かれて、あちこちを向いた毛先がそよそよと揺れている。
風が鎮まるまでの間、カルロッタはじっと目を閉じていた。
やがて彼女の碧い瞳が開くのを待ち、ジェロディは問う。
「カルロッタ。今の話は本当?」
「……ああ、本当だ。核石は嘘をつかない」
「じゃあ、君は」
「まったくもって不本意だがな。約束は約束だ。アタシは今日から、お前らに協力する。親父が命懸けで守った《命神刻》を守るために」
カルロッタはきっぱりとそう告げた。やや吊り目がちの隻眼は真剣で、まっすぐで、彼女に少しの迷いもないことを物語っていた。
「ま、元々トラモント人とは折り合いが悪かったしな。反乱軍と一緒に連中の国をぶっ潰すってのも悪くねえ。それにこれは、殺された仲間の弔い合戦でもある。あの日お前らを遺跡に寄越したのは、今も玉座でふんぞり返ってる黄帝陛下なワケだからな」
「もっと正確には、陛下に取り入っている寵姫のルシーンだ。ルシーンは正真正銘の魔女で、大神刻を狙ってる。だから僕らをピエタ島へ差し向けた。君たちの島に《命神刻》があることを知っていたから」
「そういう輩から《命神刻》を守るためにアタシらがいる。仲間の半分はライモンド家の血を引く人間だ。自分たちの使命が大神刻の守護だってことを、大昔から理解してる」
「……君たちはそのために、海賊になる道を選んだのか。ごめん。そうとは知らなくて……」
「はあ? なんでてめえが謝る?」
心底意味が分からないと言いたげに片眉を上げられ、ジェロディは束の間返答に困った。理由は明確にあるけれど、そんな風に「なんで」と言われると、自分がおかしいみたいで伝えにくい。
「だ、だって僕は結果的に、君から《命神刻》を奪ったわけで……何よりルシーンの思惑に加担して、君たちに剣を向けた。結果として、君が半獣人であることもみんなにバラしてしまったし……敵意を向けられる理由はあっても、協力してもらえる理由はないのになって──」
「──自惚れんなタコ」
「タ……っ!?」
「さっきも言ったが、アタシがてめえに協力すんのは親父のためであっててめえのためじゃねえ。てめえが神子じゃなきゃとっくに殺されてるってことを忘れんな」
「は、はい……」
「そもそもアタシらは確かに《命神刻》の守護者だが、それ以外は普通に海賊だ。自分たちが食うためなら略奪も殺しもする。つまりてめえが考えてるようなお人好し集団じゃねーってこった。そこんとこを忘れんな」
「大丈夫。僕らも同じだ」
「あ?」
「僕たちはこの国を正すため、罪のない人たちまでも殺して進もうとしている。だから君たちの行いを責めることはできないし、責める気もない。同じように殺して奪ってきたライリーたちと上手くやれてるのもそのおかげさ。正統な目的のためなら殺人さえも許される、とは思っていないけど……」
言いながら、ジェロディは目の前に浮かぶ核石を見上げた。どんなに見つめても石は石なのに、優しく見守られている気がするのはさすがに空想が過ぎるだろうか。
「だったら君とも、上手くやれるような気がする。自分たちは人殺しだって、ちゃんと言葉にして伝えてくれた君とならね」
「は……」
「歓迎するよ、カルロッタ。──来てくれてありがとう」
素直にそう思いを伝えて、ジェロディは右手を差し出した。過去の因縁をすべて水に流す──のはすぐには無理かもしれないが、しかし彼女は恨みつらみを乗り越えて、こうして会いに来てくれたのだ。
だったら至誠を尽くして迎えるのが、礼儀というものだろう。ジェロディは正面からカルロッタと向き合った。すると彼女は碧い隻眼を瞬かせ、泳がせたのちに、ふいと顔を背けてしまう。
「ほ……ほんとにいいのかよ。海賊ってことを抜きにしても、アタシは半獣だぞ」
「そうだけど、それが?」
「お前だって知ってんだろ。半獣ってのは穢れてる。人間でもケモノでもない、両方の血が混じり合って淀んだイキモノだ。そんなアタシと……」
「だけどエイブラハムは、君を愛していたよ」
「あっ……!?」
「彼は君を人間でも半獣でもなく、娘として愛してた。だったら僕にとって君は、単なる〝エイブラハムの娘さん〟だ。──彼は君を恨んでなんかない。僕には分かる」
ジェロディが手を差し伸べたままそう言えば、途端にカルロッタの顔がくしゃっと歪んだ。ああ、彼女もこんな顔をするんだななんて思っているうちに、またそっぽを向かれてしまったけれど。
──ごめんな、カルロッタ。
ジェロディの頭の中では、先程からそう声がする。
──ごめんな。お前を救ってやるつもりが苦しめた。
だがこれだけは言える。なあ、カルロッタ。
お前はおれの、自慢の娘さ。
「ま……まあ、お前がそう言うなら、アタシも気にしねーけど……後悔すんなよ」
「しないさ、後悔なんて。君の方こそ、僕なんかがハイムの神子で構わない?」
「そりゃもちろん不服だけどな。同い年の誼だ、しばらくは目を瞑ってやるよ」
「え?」
「え?」
「あの……同い年って、僕、まだ十五だけど……?」
「知ってるよ。アタシも十五だ」
「じゅ」
と復唱しかけて声にならず、ジェロディは握手をしたまま固まった。
……十五歳? カルロッタが? いやいや、ありえない。
何かの間違いだ。だって彼女は、どこからどう見ても──
「何だよ、お前知らねーのか。アタシら半獣人ってのは獣人と同じで、人間より寿命が短い分、成長が早えんだ。だからアタシもこんなナリだが歳は十五。ま、寿命の半分を過ぎたってとこだな」
「……」
「目を疑いすぎだろ。全部顔に出てんぞ」
「ご……ごめん……ずっと二十歳くらいだろうと思ってたから……」
今度はジェロディの方が視線を泳がせつつ、二人は互いに手を放した。自分より何個も年上に見える相手が同い年とは、衝撃のあまり脳がついていかないが、共に過ごせばそのうち慣れる……だろうか。今はまだ何とも言えないけれど。
『良かった』
『良かったね、カルロッタ』
『ずっと不安がってた』
『海賊だし』
『半獣人だし』
『拒絶されるかもって』
『めそめそしてた』
「し、してねーよ、めそめそなんて! 勝手なこと言うんじゃねえ!」
『してたよね?』
『してたしてた』
『我々は嘘をつかない』
『つけない』
『中にあるのは』
『真実だけ』
『ねえ』
『そうさ』
『カルロッタ』
『照れてる』
『照れてるのか』
「だっ、誰も照れてなんかねえ! 普段はほとんど話しかけてこねえくせに、こんなときばっか無駄口叩くな!」
薄暗い中でもそうと分かるほど顔を真っ赤にして、カルロッタはべしべし核石を叩いた。船の心臓をそんなぞんざいに扱っていいのかと不安を覚えつつ、しかしジェロディには一つ、気になっていることがある。
「あのさ、カルロッタ。君はさっき核石を〝魂の集合体〟って言ったけど……」
「あ!? あ、あぁ……まあ、分かりやすく言うとそういうことだ。順風船は核石に収まった魂を燃料にして動いてる。ライモンド家の人間は死ぬと魂が核石に吸い寄せられて、船を動かす力になるんだ。だからここには親父もいる。核石に入った時点で〝個〟としての記憶や人格は失っちまうみてーだが……」
「魂を、燃料に……」
「順風船だけじゃねえ。古代人が使ってた道具や兵器のほとんどがそうだ。アレは死んだ人間の魂を糧にして動いてる。石に宿った魂の力が枯渇すれば、あとは壊れるだけだ」
その答えを聞いた刹那、ジェロディは右手にピリッと痛みを感じた。
《命神刻》。もしや死者の魂という言葉に反応したのか。本来、死せる者の魂というのは天界へ昇り、生命の循環の環に乗って、再び地上へ還ってくる。でも。
(カルロッタの話が本当なら、ここに囚われた魂は、天界へ昇ることなく留まり続けることになる……)
それはこの世の摂理に反してはいないか。
魂が輪廻転生の環から外れるなんて許されるのか?
生命循環の法則は他ならぬ生命神が定め、エマニュエルに敷いた決まりごとだ。そこから脱落した者は、魔界に堕ちて魔物になると言われている。
ならばまさか、ハノーク大帝国を滅ぼした《大穿界》というのは──
「カルロッタ」
思いもよらない推理に辿り着いて、ジェロディは思わず彼女を呼んだ。
両手に汗が滲んで、動悸も速い。自分の顔が緊張でこわばっているのが分かる。
だって、まさか、そんな。
信じたくない一心で、ジェロディは口を開いた。
「そ、それって……石が壊れたあとは、どうなるんだい。中に入れられた魂は、再び外へ出て天界に還れるんだよね?」
「いいや。核石の中に一度入った魂は──」
「──時間だよ、ジェロディ・ヴィンツェンツィオ」
ひゅっと吸い込んだ息が音を立てた。
突然背後から聞こえた声に、心臓が凍りつく。
誰だ。とっさに振り向いた先で、目を見開いた。音もなく現れ、動力室の入り口に佇んだ声の主は、ペレスエラが残していった謎の少女──ターシャだ。
「……! 誰だてめえ、どうやってここに……!」
「ま、待ってくれ、カルロッタ! 彼女は僕たちの仲間だ!」
「あァ!? こんなガキが!? だがこいつ、何の気配もなく現れたぞ!」
「騒がないでくれる、ウサギさん。わたし、品がなくて騒がしい人が世界で一番嫌いなの」
「誰がウサギさんだコラァ!」
「か、カルロッタ、落ち着いて……! ターシャ、どうして君がここに──ひょっとしてトリエステが寄越したのか……!?」
「そうじゃない。わたしは自分の意思でここへ来た」
今日も今日とて平板な声色で言いながら、ターシャはふと目の前に浮かぶ核石を見上げた。彼女は発光する奇石を見てもさして驚いた様子なく、ただすっと星銀色の瞳を細めている。
「……喋りすぎだよ。まだそのときじゃないのは分かってるでしょう」
『……』
「まあ、わたしは未来なんてどうでもいいんだけど。放っておくとあの人がうるさいから」
ターシャは明らかに核石に向けて話していた。しかし核石は答えず、沈黙を保っている……まるでターシャに怯えているみたいだ。
そう言えばクアルト遺跡でも、彼女は遺跡と対話していた。まるで当然のように古代語を操り、道を塞いでいた遺跡の壁を次々と開いていったのだ。
「ターシャ、君は……」
「何も訊かないで、ハイムの神子。訊かれてもわたしは答えないし、この世には知らなくていいこともある。知ってはならないこと、知るべきではないこと──そして、知らない方が幸せなことがね」
冷然とそう吐き捨てるや、ターシャはくるりと踵を返した。彼女が島で暮らすようになって三ヶ月あまり、こんなやりとりにもさすがに慣れてきたところだが、しかしジェロディは未だ彼女のことが分からない。
ターシャは誰とも交わらず、口もきかず、ほとんど姿さえ見せないのだ。ゆえに島の者はみな彼女を怖がっている。容姿も言動も浮世離れしていて神出鬼没──それがまるで幽鬼のようだ、と。
「そんなことより、ぐずぐずしてると次は兵士が来るよ。みんな早く乗り込みたくて足踏みしてる。誰もそこのウサギさんを信用してないから」
「だから人をウサギ呼ばわりするんじゃねえ、ガキ!」
「だったらそっちも呼び方と態度を改めたら? キミも今日からこの島で暮らすんでしょ。ならいつまでもお山の大将を気取ってないで、身の振り方を考えた方が賢明だと思うけどね。ウ・サ・ギ・さ・ん」
感情もへったくれもない顔つきで言い残し、ターシャは梯子に手をかけた。そうしてするすると穴を登っていく彼女を、カルロッタはウサギというより憤怒したオオカミみたいな形相で睨んでいる。
……これは先が思いやられるな。内心そう嘆息しながら、ジェロディは核石を顧みた。緑の奇石は宙空に浮かんだまま、なおも沈黙を貫いている。
以後、彼らがジェロディに語りかけてくることは二度となかった。
死者たちが黙した理由は、隠されたまま。




