172.軍主様の困りごと
舳先の下についた馬上槍のような形状の丸太を、『衝角』と呼ぶらしい。
これは読んで字のごとく、敵船と衝突した際、相手の船に穴を開ける〝角〟だ。ライリー一味はこの衝角のついた小舟をたくさん持っていて、戦のときには敵の大型船に狙いを定め、衝角船を次々突撃させるらしい。
その捨て身の戦法が、水上では結構怖い。何しろ船底に穴を開けられた大型船はあっという間に沈没し、乗組員は為す術をなくす。
そこに別の小舟に乗った湖賊たちが殺到し、矢を射かけたり槍で突いたりして敵兵を一網打尽にするというわけだ。しかし衝角船を使った戦法にはいくつか難点もある。まず、一度相手の船に突き刺さった衝角船は抜くことができないので、漕ぎ手は攻撃が成功したら水に飛び込んで逃げねばならない。
ところが水中へ逃れた漕ぎ手は、敵船上から狙い撃ちされるおそれがあった。ゆえに必要となるのが、泳いで逃げる仲間を素早く回収する技術と船だ。
ライリーたちはそうした回収のための小舟を『高速船』と呼んでいた。敵船のどてっ腹に穴を開けるため、全力で漕ぐと衝角船はかなりの速度が出るが、角つきで船体が重い分、高速船には敵わない。
速さの秘密は舟の形だった。高速船は他の小舟に比べて船体が細長く、船底が水の抵抗を最小限に留めるため、水上を素早く移動できる……らしい。
ジェロディには舟のことはよく分からないが、とにかくライリーはこの〝速さ〟を重視していた。彼が所有している舟はどれも抜群の船足を誇っているものの、改良を加えればまだまだ速く走れるはずだという。
そこでジェロディは今回、ライリーとロンが始めた〝実験〟とやらに付き合わされていた──いや、正確にはジェロディがではなく、マリステアが、だが。
「よーし野郎ども、そんじゃあもういっぺん試してみるぞ。おいマリステア、てめえも準備はいいだろうな?」
「は、はいっ……大丈夫です……!」
「回収班も位置についたな? よし、ジョルジョ、合図を出せ!」
通称『零號』──またの名を『キャサリン』──と呼ばれる中型船の櫓の上で、偉そうに座ったライリーが指示を飛ばした。それを受けたジョルジョが人並み外れた体躯を生かし、櫓の麓でぶるんぶるんと旗を振る。
合図を受けて動き出したのは零號──またの名をキャサリン──から四幹(二キロ)ほど離れた地点に並ぶ四艘の舟。いずれもライリーたちが高速船と呼ぶ細長い舟で、乗り込んだ湖賊たちが一斉に櫂を使い、力強く漕ぎ出すのが見えた。
舳先に佇むマリステアが、緊張で喉を鳴らしたのが分かる。船縁から身を乗り出したロンも、自分が生み出した高速船──彼に言わせれば〝女たち〟──の性能を決して見誤るまいと、目を皿のようにして前方を凝視していた。
二幹(一キロ)ほど進んだところで、四艘の高速船には既にかなりの速度がついている。そこからさらに一幹(五〇〇メートル)。舟の速さはついに最高速度へと到達した。
「今だ、マリー!」
タイミングを図り、見極め、ここだというところでジェロディが叫ぶ。するとマリステアの右手が青く閃き、水神マイムの力が彼女の祈りに呼応した。
ぐらり、足元から突き上げるような揺れがくる。マリステアが神術を使って湖上に波を起こしたのだ。
海のごとく広大と謳われるタリア湖では、風の強い日には海と同じくらいの波が立つ。されど本日は晴天で風もほとんど吹いていないため、マリステアが人為的に大波を発生させた──というわけだ。
「のわあっ……!?」
湖賊たちの悲鳴が上がった。同時にライリーも身を乗り出し、ロンに至っては「あぁーーーっ!?」と悲痛な叫びを上げている。
実験の結果、マリステアが起こした波に正面から突っ込んで、転覆を免れた小舟は一艘もなかった。一度目の実験のときには転覆しなかったものが一艘だけあったのに、今回は全滅だ。
「だーっ、ちくしょう! グレイシアは結構自信があったってのによう! やっぱりダメかあ……こうなると現状、一番優秀なのはカーリーっちゅうことになるなあ、ライリーよ」
「三〇八號だ。まあ、アレも今までの高速船に比べりゃ速えが、その分小回りが効かねえ。俺としては三〇六號くらいの速さと回頭性が理想なんだが……上手いこといかねえな」
「おう、ジャクリーンか。確かにあいつは、実験した八艘の中では一番性能のバランスがええからのう。しかし見てのとおり、風や波にめっぽう弱いのが弱点じゃ。これじゃとてもじゃねえが水戦で使うのは無理だぜ」
「チッ……三〇六號の性能を維持したまま実用化まで持っていければ、衝角船だって今より速えのが造れる。衝角船は一味の要だ。何とか改良して使いてえが……」
「ジャクリーンな」
「三〇六號だ」
ライリーとロンがそんな不毛なやりとりをしている間にも、レナードが仲間と共に別の舟を回し、転覆した舟の漕ぎ手たちを回収している。水に落ちた湖賊の中には自ら回収船の方へ泳いでいく者もいて、やはり湖賊はみな泳ぎが得意なのだなと、ジェロディは素直に感心した。
何しろジェロディは生まれてこの方泳いだことなんて一度もないし、隣にいるマリステアだってそうだ。暮らしている地域にもよるとは思うが、トラモント人は基本、泳げない。日常的に泳ぎを学ぶ必要性がないからだ。
水泳なんて習うのは漁師や水兵くらいなもので、罷り間違って船から転落しようものなら、ジェロディはあっという間に命を落とす自信があった。いや、まあ、神子なので溺れても死にはしないのだが。
しかしライリー一味が今日まで存続してきた理由もそこにある。彼らにはエグレッタ城に拠るトラモント水軍以外に敵がいなかったのだ。
他の軍の兵士たちは水に落ちたらまず泳げないし、船の扱いだって彼らほど上手くない。ライリーが有する一味の船団を前にしたら、並みの軍船なんて蟻の群にたかられる死骸のごとく沈没させられてしまうだろう──認めるのは癪だけど。
「まあいい、現状では三〇八號が最速の舟だってことが分かったんだ。ひとまずはアレを量産しながら、三〇八號の性能が少しでも三〇六號に近づくように改良していく。まずは、そうだな……木材を変えてみるか。シャギの木よりもっと軽い木材があるかもしれねえ」
「カーリーな」
「とりあえず、今日のところはこれくらいにして引き上げるか。ジョルジョ、碇を上げろ。レナード、お前は転覆した舟も一応回収して戻ってこい。そいつは戦じゃ使えねえが、今日みてえに天候のいい日なら釣り舟に使える。島の漁師どもにくれてやれ」
「了解だ、大将。ジョルジョ、そっちはお前一人で大丈夫か?」
「うん、平気だよ。レナードも気をつけて戻ってきてね」
かくしてライリーたちの突発的な〝実験〟は幕を閉じ、ジェロディもようやく島へ帰れることになった。
ジョルジョによって帆を広げられた零號──またの名をキャサリン──はゆっくりと舳先の向きを変え、白い霧で覆われたコルノ島へ走り出す。
運神の月、理神の日。
季節はすっかり夏へと移ろい、新生救世軍の発足から五ヶ月が経っていた。
ジェロディたちは今のところ軍備の増強を目標に掲げ、日夜人と物資を集めるために奔走している。今回の実験もその一環というわけだ。
救世軍がコルノ島で新たに旗揚げしたという噂が広まってから、ライリーとトリエステは島の防備を固めることに腐心していた。一応霧の壁があるので、今のところはまだ水軍が攻めてくる気配はないが油断は禁物だ。
何しろ現在、コルノ島に居住する住人の数は三千を超えている。新生救世軍発足の噂が広まってからというもの、島を訪ねてくる志願兵はあとを絶たなかった。
おかげでたった五ヶ月の間に、島民の数が当初の四倍にまで膨れ上がったというわけだ。しかも住人の内訳は兵士だけに留まらず、農民や漁師、商人、職人、女中と、とにかく多岐に渡っている。
「これはもう、一つの小さな国ですね……」
と、数日前ケリーが零していた言葉を思い出し、確かにそのとおりだとジェロディも思った。救世軍の理念に共鳴し、駆けつけた者たちの中には家族も共に住まわせてほしいという者が多くいて、住民の数が爆発的に増えた理由がそれだ。
味方の中には戦えない人間を島で養う必要はないとする声もあったが、志願兵たちは親類縁者が連座刑に処されることを恐れていて、ジェロディは彼らの要望を受け入れることにした。トリエステと何度も討議を重ね、今は非戦闘員とされる者たちにもそれぞれ仕事を与えている。
たとえば農園の拡張を手伝わせたり、家畜の世話をさせたり、ちょっとした日用品を作らせたり。戦えない者たちにそうした仕事を任せることで、戦える者たちは集中して調練に打ち込むことができる。
ゆえに彼らを受け入れましょう、とトリエステは言った。兵士だけではもはや島の運営が回らないことを、彼女は初めから承知していたのだ。今は物資集めと平行して砦の増築作業も続行中だから、人手はいくらあっても困らないし。
(いや、もうただの砦じゃない。〝コルノ城〟──か)
先日仲間たちと共に決めた拠点の名を思い出し、ジェロディは霧の中で微笑した。増築に増築を重ね、もはや城と呼んで差し支えない威容となってきたあの砦を、ジェロディたちは『コルノ城』と呼称することにしたのだ。
コルノ城はあっという間に救世軍のシンボルとなった。ライリーは未だに「島も砦も俺のもんだ」と主張しているが、今やコルノ城を湖賊の根城だと思っている者は一人もいない。
というのも、カミラがどこからともなく救世軍旗を持ってきて、勝手に城の屋上に立ててしまったせいなのだが、あれ以来仲間の士気は目に見えて上がっていた。
現状の兵力は二千ほど。この兵力は初めに参入したゲヴラー一味とピヌイス地方軍の兵士を中核として、現在ケリーたちが鍛え上げている。
黄皇国には兵役を経験した民が多いから、調練自体はかなり順調に進んでいるようだ。戦闘経験はないが救世軍と共に戦いたい──と意欲を見せて募った者も、今はゲヴラーが指南役となって戦い方を教えている。彼らが一人前の兵士となって戦力に加われば、兵力はもう三百ほど増えるだろう。
「だけどライリー、ちかごろ楽しそうだね。レナードも言ってたけど、なんだか前より生き生きしてる」
「あァ? 別に楽しかねえよ。ただロンが島に住むようになって、性能のいい舟が増えてるからな。早くクソ皇女と一戦交えてえとウズウズしてるだけだ」
「気の早い話じゃのう。そりゃあ確かにワシの舟は官軍なんぞにゃ負けやしねえが、向こうは水軍だけでも五千の大軍、いま戦り合うたところですぐに押し潰されてしまいじゃ。こっちの水軍は人も舟もまだまだ足りんからのう」
「んなこた分あってんだよ。だからてめえもさっさと弟子を取れっつってんだろ、ロン。てめえと今いる数人だけじゃ、造れる舟の数にも限界がある。てめえと同じくらいの技術を持った人間を、少なくともあと十人は増やせ」
「まったく無茶を言いよるわい。ま、お前さんの無茶は聞き飽きとるがの」
真っ白な霧の中で、船縁に身を凭せながらロンがやれやれと肩を竦めた。しかし口では文句を言いながら、実際はまんざらでもないように見えるのは、こうして舟造りに打ち込めることに喜びを感じているからだろうか。
初めは工房を売ったライリーに恨み言を吐いていたロンだったが、二人は親の代からの付き合いらしく、ついには諦めて一味のための舟を造り始めた。
ライリーも彼が欲しがるものはすべて取り揃えてやっているようで、何だかんだ言いつつも、二人の友情は確かなようだ。
それにしても、ロンは相変わらず変わった訛りで話すなあと、彼らの会話を聞きながらジェロディは思った。何でもロンは生粋のトラモント人ではなく、かつて大陸の北に君臨したパルタ大王国の遺民なのだそうだ。
大王国はロンの祖父の代に、エレツエル神領国の侵攻に遭って滅ぼされた。そうして故郷を失った彼の祖父は雲民となり、やがて黄皇国へ辿り着いたのだという。
奇しくもその大王国滅亡のきっかけを作ったのはルシーンだ、と、前に話してくれたのはウォルドだった。そこでジェロディはロンに、あの魔女について何か知っているかと尋ねてみたのだが、移民三世の彼は祖国のことをあまり詳しく知らないらしい。
(ロンのおじいさんが生きていれば、何か話を聞けたかもしれないけど……)
と、同じく船縁に頬杖をつきながら、ジェロディは霧を眺めて沈思した。こうしているとこの霧を〝魔の霧〟と恐れ、びくつきながら島へ渡った日のことが、遠い昔のように思える。
「あ、あのう……ですがさっきの実験をするだけでしたら、別に波を作る役はわたしじゃなくても良かったのではありませんか? ライリーさんのお仲間の中にも、水刻を使える方はいらっしゃいますよね? だったら……」
「そりゃお前、ジェロディが一人だけハブられてヒマそうにしてたから、島を出る口実を作ってやったに決まってんだろ。こう見えて俺様は心優しい男だからな。なあ、ジェロディ?」
……いきなりそんな嫌味を言い出すやつの、どこがどう〝心優しい〟んだ。
内心そう悪態をつきながら、ジェロディは努めて「それはどうも」といつもどおりの声を絞り出した。だが、ライリーの言い分も否定はできない。
だってこのところ、ジェロディは確かに、暇だ。
何故って島のことはほとんどトリエステが一人で切り盛りしていて、他の仲間も調練や人員・物資の管理などで忙しくしていた。
マリステアでさえ日もすがら城の清掃や洗濯、食事作りに追われていて、夜にならなければゆっくり話もできない始末だ。
だのに「自分にも仕事をくれ」とねだっても、トリエステには「ジェロディ殿のお仕事は我々の象徴であることですから」と言われ却下されてしまった。
たまに彼女から届く書類に目を通したりはしているものの、トリエステは有能すぎて必要最低限の仕事しか回してこない。おかげであっという間にやることがなくなり、何か手伝えることはないかとぶらぶらしていたところを今回、ライリーに見つかったというわけだ。
「なんじゃあ、そういうことならワシが釣りでも教えてやろうかい、ボウズ。貴族ンとこのお坊ちゃんっちゅうたら、釣りの仕方も知らんじゃろ。釣りはええぞー。魚がかかるのを待っとる間に、次に造りたい船の構想なんかがわっさわっさと湧いてきよるからの!」
「そ、それはロンさんだけですし、ティノさまを〝ボウズ〟などとぞんざいにお呼びするのはやめて下さいと何度も言っているじゃないですか! 仮にもティノさまは救世軍の総帥代理なのですよ? 人前でそのような呼び方をされては、ティノさまの威信に傷がつきます!」
「まあ、威信云々はともかくとしてよ。お前、ほんとにこのままでいいのか、ジェロディ。トリエステの野郎も何かにつけて軍主としての威厳がどうとか救世軍の象徴がどうとか言ってるが、今のままじゃお前、飼い殺されてんのと一緒だぜ。てめえがなりてえのは、そんなお飾りのお人形さんなのかよ」
櫓の上で煙管を咥えたライリーに言われて、ジェロディはぐっと言葉に詰まった。ライリーは胡床に腰かけたまま、ただじっと霧の向こうを見据えている。一見興味がなさそうな顔をしているが、もしかしたら彼は、この話をするために自分を連れ出したのかもしれない。
ライリーがそういう男だということは、ここ数ヵ月の付き合いでジェロディも何となく分かり始めていた。彼は偽悪者で、決して人前では良心を見せないが、実は周りのことをよく見ていて気配りもできる。
悪態ばかりついているのは自分が善人だと思われたくないから──なのだそうだ。これはライリー本人ではなく、トリエステから聞いた話だけれど。
(ライリーは、全部ちゃんと背負おうとしてるんだよな。誰かを殺して、奪って、国を叩き潰そうとしていることを……)
……対して今の自分はどうだ。トリエステを始め、有能な仲間たちに頼りきりの状態で、自分で何かを成しているかと言われたら答えられない。
このままじゃ駄目だ。頭ではそう分かっているのに、具体的にどうすればいいのか見当もつかない自分がもどかしい。
そもそもジェロディは、口でトリエステに勝てる自信がまったくなかった。情けない話だが彼女を説得したくとも、何と言って納得させればいいのか方策が見つからないのだ。以前説得を試みた結果、無惨な敗北を喫したこともまだ記憶に新しいし。
「──いいですか、ジェロディ殿。たとえばあなたの目の前に、伝説の天馬とごく普通の馬が現れたとしましょう。そのどちらか一方を捕まえて良いと言われたら、あなたはどちらを捕まえますか。当然ながら天馬でしょう。何せ彼らは、遥か昔に絶滅したと言われる幻の生き物ですから。そうして生きた天馬と出会えたならば、あなたは何を思うでしょうか。奇跡に感謝し、喜び、熱狂するのではありませんか? あなたの存在を馬に譬える非礼はお詫びします。しかしあなたは我々にとって、それと同様の存在なのです。元来神子というものは、一生のうちに一度会えるか否かの奇跡の存在。だからこそ出会えたときの驚きや喜び、有り難みも一層鮮やかなものとなる。そしてそうした情動こそが、人々を衝き動かす最大の原動力となるのです。実際、一度は黄皇国に惨敗を喫した我が軍に今また人が集まり始めているのも、神子であるあなたに一目会いたいという人々の願望がそうさせるからでしょう。ですがあなたがあまりにも人々の日常に馴染み、ごく普通の馬と変わらない存在に成り果ててしまえば、人々の感動は色褪せ見向きもされなくなってしまう。すなわち救世軍の強みが一つ、潰えてしまうということです。ジェロディ殿はそうした未来をお望みですか。お望みならば私もこれ以上は何も申しませんが」
……洪水のような正論に押し流されたあの日のことを思い返すと、今でもジェロディの心は折れかけた。
非の打ちどころがないほど整った顔のトリエステに、氷のような眼差しで見下ろされながら淡々と捲し立てられて意思の挫けぬ者がいるだろうか、いや、いない。
トリエステは他のところでは優しく融通も効かせてくれるのに、何故だかジェロディのこととなると鬼のような厳しさを発揮するのだった。
おかげでジェロディはすっかり彼女に逆らうことができなくなっているわけだが、ときにポン、と、吸い殻を灰吹きに落としたライリーが言う。
「あのトリエステって女はな、確かに頭はキレるがキレすぎるのがいけねえ。何でも理屈で考えようとするせいで、理屈じゃ説明できねえもんにもムリヤリ理屈をくっつけて、自分を納得させようとする節があんだよ。でもってタチが悪ィのは、本人に自覚がねえことだ。だからてめえでてめえを騙してることにも気づかねえ」
「……つまり、どういうこと?」
「要するにあいつがお前を過剰に守ろうとすんのは、お前に弟の面影を見てるからだ。名前はなんつったか……エリジオ、だったか? てめえだって聞いたんだろ、トリエステの弟が黄都で処刑されたって話は」
──エリジオ・オーロリー。
突然その名前を出されて、ジェロディは息が詰まった。
フィロメーナとトリエステの弟にして、六ヶ月前、罪人である自分たちを黄都から送り出してくれた同い年の少年……。
彼はジェロディたちが黄都を脱出して間もなく、黄帝への反逆を宣言して処刑されたとそう聞いた。余所から救世軍へ集ってきた者の中に、彼の死のいきさつを知る者がいたのだ。
最初にエリジオの死を知ったときは、衝撃のあまり理解が追いつかなかった。彼が死んだなんて信じられず、トリエステのところへ行って真偽を問い質したら、「間違いありません」と静かに肯定されてさらに耳を疑った。
トリエステは知っていたのだ。エリジオの死を、とうの昔に。
驚きと悲しみと、とにかく色んな感情が混ざり合って爆発し、どうして言わなかったんだとジェロディは彼女をなじった。するとトリエステはただ一言、こう言った。
「……お伝えする勇気がありませんでした。お許し下さい」
弁解するでもなく、憤るでもなく。彼女はただそう謝罪した。
そこでようやくエリジオの死を理解することができて、ジェロディは立ち尽くした。そして同時に噛み締めた。己の無力さと、未熟さを。
「軍主がどうとか神子がどうとか、そんなもんはあいつが適当にこじつけた屁理屈でしかねえ。早い話が、トリエステはてめえに余計な苦労を背負い込ませたくねえだけなのさ。弟を救ってやることができなかったから、同い年のお前を弟に見立てて償いをしようとしてやがる。そうでもしねえと気が休まらねえんだろうが、巻き込まれるこっちの身にもなってみやがれって話だよなァ」
「……それは、確かな話なのかい?」
「さあな、分からねえなら本人に確かめてみたらどうだ? お前だって今の状態が不満なんだろ? このままトリエステの言いなりになってちゃ、そのうち塔の上にでも軟禁されて、マジでお人形さんにされちまうぜ。死んだエリジオの身代わり人形にな」
ケケケ、と人の悪そうな顔で笑いながら、ライリーは新しく詰めた煙草の煙をふーっと霧の中へ吐き出した。
そんな彼を見上げていると、不意に横からちょいちょいと袖を引かれて我に返る。振り向いた先にいたのはジョルジョだ。
彼は大きな体を縮こまらせるや、口の横に手を添えた。どうやら内緒話がしたいらしい。察したジェロディが耳を寄せれば、ジョルジョはこそこそとこう言った。
「あ、あのね、近頃トリエステさんは、夜も遅くまで自分の部屋で仕事をしててね……おれ、たぶんろくに寝てないんじゃないかなあって思うんだ。ライリーもそれを知ってて、トリエステさんを心配してるの。だからジェロディくんからトリエステさんに、ちゃんと休むように言ってほしいなあって……」
「おい、ジョルジョ。聞こえてるぞ」
「ひえっ……あ、え、えと、そういえばもうすぐ霧を抜けるね! ふ、船をちゃんと桟橋につけないと……! ロン、手伝ってくれる!?」
「おう、任せえ。ワシゃあ帆を見るから、お前さんは舵を頼むぜ」
相変わらず気の毒になるほど下手くそな誤魔化し方をして、ジョルジョが船尾の方へ飛んでいった。途端にライリーが「チッ」と舌打ちするのが聞こえたが、特に否定しないということはジョルジョの言うとおりだということか。
……トリエステが夜遅くまで仕事を抱え込んでいるなんて、全然知らなかった。自分も夜は眠れずに起きているのだから、言ってくれればいくらでも手伝ったのに。
(本当にダメなやつだな、僕は)
ライリーに諭されるまで、トリエステの真意にも気づけなかった。これじゃ総帥失格だ。救世軍とは黄皇国の民を救うために生まれた組織。
ならば同じく民の一人であるトリエステも、救われねばならない。彼女を守って逝った、エリジオのためにも。
なのに、自分は。
「あ……! ティノさま、霧を抜けますよ!」
刹那、ジェロディが気落ちしていることを察したのか、マリステアが急に明るい声を上げた。つられてふと顔を上げると、一面真っ白だった視界に鮮やかな色彩が飛び込んでくる。
船着き場の傍に広がった無数の天幕。夏の陽射しを受けて輝く水面と、眩しいくらい青々とした草原。そこにずらりと立ち並ぶ、真新しい家屋の数々。
少し北へ目をやれば、細波を受けながら灰色のコルノ城が佇んでいる。
その頂上に高く聳え、悠然とはためいている白と青の救世軍旗。
(ここが、僕たちの新しい国)
改めて、そう思った。近頃は島の外へ出る機会がめっきり減っていたから、久しぶりにこうして外から眺めると、言葉にできない感慨が胸を満たす。
──そうだ。僕たちは救世軍。新たな国を築き、弱き民を救う者。
ならばまずは身近にいる仲間と向き合い、分かり合い、助け合わなければ。
たった一人の仲間も救えないやつに、国なんて救えるわけがない。
「おっ、噂をすればってやつかのう」
と、島が見えるやするすると帆を畳んだロンが、不意にそんなことを言い出した。何の話だ、と彼の視線の先へ目をやって、ジェロディはドキリとする。
大小様々、何艘もの船が浮かぶコルノ島の船着き場。
そこに、亜麻色の髪を靡かせて佇むトリエステが、いた。




