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167.暗殺者

 秋の夜風は、心地良かった。

 この島は『塔』が機能しているおかげで時が止まっている。

 されど空を渡る風だけは別だ。彼らは自由で何ものにも縛られず、今、外の世界がどのような季節を迎えているのか教えてくれる。

 秋には秋の、春には春の風のにおいというものがあるのだ。まあ、そんなものを感じなくとも、星読人ほしよみびとたるペレスエラにとっては、夜空が暦代わりなのだけれど。


「行ってきたのか、ペレスエラ」


 高い高い塔の上階に位置する白亜の露台で、ときにペレスエラは低い男の声を聞いた。が今夜訪ねてくることは知っていたものの、微かな驚きが胸を満たす。

 だって長年共に過ごしてきたターシャと別れ、数百年ぶりにひとりきりとなった夜に聞く彼の声が、こんなにも安堵できるものだと知らなかったから。

 だからペレスエラは小さく笑い、背後に立つ彼の問いかけに答える。


「ええ。あの子は元気そうでしたよ、ヒーゼル」


 眼下の森を揺らし、潮の香りを孕んで風が吹いた。


 満天の星空の下、振り向いた先に佇む赤髪の男は、微かな笑みを刻んでいる。



              ◯   ●   ◯



 言おう言おうと思っていたのに、何だかんだで数日が経ってしまっていた。

 カミラ・シュトライト・バルサミナ・ルミジャフタ。それが彼女の真名なまえ

 セレネと呼ばれていた赤装束の女、彼女の言葉はどこまでが真実なのか、今夜こそ確かめる必要があった。確かめたところでどうなるわけでもないけれど、知らずにはおれない。だってピヌイスの郷庁に乗り込んだ夜から、目に見えない何かが動き始めているのを感じるから。


 しかも主にカミラの周りで、だ。

 あの晩、カミラはヴィルヘルムと共に魔族に襲われ、ほどなく町に現れた謎の集団もまた彼女の名を口にし、今夜に至っては世界にただ一つの神刻エンブレムが彼女に宿った。カミラはその一連の出来事を偶然と思っているようだが、ジェロディにはそうは思えない。彼女には、きっと何かが起きている。


(それが良いものなのか悪いものなのか、確かめておかないと)


 心の中で固くそう決意しながら、ジェロディは砦の階段を上った。

 時刻は既に深夜。熱狂のうちに幕を閉じた宴から、一刻が経過している。

 微かな月明かりの中で時計を開くと、美神の刻(午前二時)を回っていた。これだけ飲んでもまだ飲み足りないという者たちは宴を続けているようだが、大半の者はさすがに騒ぎ疲れて、各々寝床へと引き取っている。


 耳を澄ますと、砦のあちこちから皆のいびきや寝息が聞こえた。寝床へ戻った者たちは、酔いのせいもあって既に眠りの中のようだ。

 寝静まった砦の外で、春の虫たちが鳴いている。リィン、リィンという鈴の音に似た歌声の狭間に、時折遠い哄笑が混じった。実にのどかで平和な夜。されど廊下を歩くジェロディの表情は、わずかに硬い。


(でも、カミラにはなんて切り出そうか)


 セレネはカミラ自身、己の真名を知らないと言っていた。ジェロディも彼女が姓を名乗るところを聞いたことがないし、前に故郷の話をしてくれたときには「ルミジャフタにはそもそも苗字の概念がないのよね~」なんて言っていた気がする。

 だとすれば両親のことから尋ねるのが妥当だろうか。でないとルミジャフタで生まれ育った彼女に『シュトライト』なんて姓がつくのはおかしい。だってそれは、遠い昔に滅び去った国の……。


「あ、ティノくん」


 しかし両親のことを訊くにしたって、どんな話からどうつなごうか。既に亡くなっている人を話題に出すなら細心の注意を……などと考えながら屋上への階段を上りきると、途端に目の前で声がした。

 現在、この砦の屋上へ出る出口には扉がない。だから階段を上ってすぐのところにいるカミラが見えて、思わずばちりと視線が合った。


 彼女は宴の最中と同じ姿で、長い髪も団子状に束ねたままだ。ただし得体の知れない神刻を隠すためか、先程はしていなかったはずの手套をしっかり嵌めている。

 結局ペレスエラの来訪については皆に伏せ、ターシャのことも適当に誤魔化したから、あの神刻を皆に見られるのはまずいと思ったのだろう。下手をしたら騒ぎになって、宴どころではなくなっていたかもしれないし。


「やあ、カミラ。ごめん、待たせたかい?」

「ううん、平気。私もさっきまでヴィルと話してて、いま来たとこだから」

「ヴィルヘルムさんと?」

「うん。ここに来る途中、いきなり呼び止められてね。聞けばヴィルって、ターシャとは昔からの顔馴染みらしいのよ。それどころかペレスエラって人のこともよく知ってるみたいで……」

「本当に? だけどターシャを紹介したときには、そんなこと一言も……」

「余計なこと言うとカイルあたりに根掘り葉掘り訊かれそうだったから、あの場では黙ってたらしいわよ。でもターシャが突然現れたのを見て〝ペレスエラが来たのか?〟って」

「じゃあ、ヴィルヘルムさんは」

「うん。時間が止まってた間のことを話しても〝そうか〟って言うだけで、あんまり驚いてなかった。ターシャや星刻グリント・エンブレムのことは私たちと口裏を合わせておくって」

「……知ってたのかな。ペレスエラさんが僕たちに会いに来ることを」

「たぶんね。星刻を見せたらなんか神妙な顔して〝いよいよか〟とか言ってたし」


 でも肝心なことは何も教えてくれないのよねーと口を尖らせながら、カミラは胸壁の上に両腕を預けた。春の夜風に吹かれる彼女の横顔は不満そうであり、不安そうでもある。無意識なのだろうか、今も星刻の宿る左手を守るようにそっと右手を重ねているし。


「ねえ、ティノくんは──」


 と、ときにカミラが振り向いた、刹那だった。

 突然キラッと何かが閃き、ジェロディたちの瞳を刺す。何だと思って目を凝らしたら、瞬いたのは彼女の左手だった。

 現に革の手套の隙間からは、神気と思しい青色の光が漏れている。が、カミラの目はこちらを向いて、何かひどく驚いている様子だ。


「カミラ? 今──」

「──危ない!」


 鬼気迫る顔つきでいきなり叫ばれ、ジェロディは面食らった。おかげで束の間立ち尽くしたジェロディを、カミラがいきなり引き倒す。

 唐突すぎて体も思考も追いつかず、二人、もつれ合って床に倒れた。かと思えば視界の端を、ヒュッと銀の軌跡がよぎる。

 何事かと思って目をやれば、そこには鼻から下を覆面で隠した黒装束の男がいた。頭も黒い頭巾で覆っているため人相は分からず、ただ覆面の向こうからくぐもった舌打ちが聞こえてくる。


「スキズッチア。ヅエアエ!」


 そのとき男が何か叫んだ。ジェロディの知らない言語だった。

 どこの国の言葉だ? 今時ハノーク語を話さない国や民族など指折り数えるほどしかない。ルミジャフタ郷、ゲヴァルト族、無名諸島……だがいずれの言葉でもなさそうだ。同じく独自の言語を保持していた砂漠の民は滅んだし、それ以外と言えば──


「ティノくん、下がって!」


 瞬間、カミラが剣を抜いた。

 彼女は立ち上がりざま刃を払い、誰もいない虚空を斬りつける。

 何をやっているんだ。そう思った瞬間、ガギンッと鉄の噛み合う音がした。

 カミラが剣を振るったあたり、転落防止用の胸壁の下から、いきなり人が飛び出してきたのだ。跳躍した人影はやはり全身黒ずくめだったが、さすがに目を見開いていた。下から姿を現すや否や、まるで見切っていたかのように斬りつけられたのだから無理もない。


「クスォ……! クノモスムエ、ヅリケヅォ……!」

「フリムナ、ウラェウラネノ・レアヒア・ナオコゾゥドア。フチトタィデイ、ヴァシレヲ!」


 面相を隠した黒服の男たちは、なおも知らない言語で何事か叫び合っていた。何にせよ、彼らが味方でないことは確かだ。

 現に、最初に現れた男は完璧に気配を消し、背後から襲ってきた。カミラが手を引いてくれなかったら、ジェロディは今頃一太刀の下に斬り伏せられていたに違いない。


(こいつら、只者じゃない……!)


 身のこなしはもちろんのこと、神の耳を持つジェロディに足音すら気づかせないというのは、はっきり言って異常だった。

 今の自分はどんな微かな音だって正確に拾う自信があるのに、それができなかったということは、彼らはまったくの無音で忍び寄ってきたということだ。


 しかしそうだとすれば、カミラは一体どうやって彼らの接近を察知したのだろう? 砦の中から現れた一人はジェロディの陰に隠れて見えなかったはずだし、胸壁の下から飛び出してきたもう一人なんてもってのほかだ。

 普通、あんなところから人が現れるなんて誰も思わない。なのに彼女は先手を取った。初めから刺客の潜んでいる位置を把握していなければ、あのような芸当ができるわけがない。しかも彼女は、


「伏せて!」


 跳ぶように立ち上がり、ジェロディも剣を構えたところで叫ばれた。言われるがまま身を屈めれば、直後、カミラの放った火の玉が頭の上を掠めていく。


「グアァッ……!?」


 かなり遠くで悲鳴が聞こえた。見れば反対側の壁をよじ登っていた黒装束の三人目が、避ける間もなくカミラの神術を受けて吹き飛んでいく。

 ほどなくザバンと音がして、黒装束が湖に落下したのが分かった。水中と言っても砦の傍は水深が浅いから、恐らく助からなかっただろう。

 だがこんなことがありえるのだろうか。明らかに手練と思しい刺客の急襲を、カミラは既に経験した出来事のように軽々となしている。逆に黒装束たちの方が泡を食い、得物を構えたまま慌てふためいている始末だ。


(まさか、カミラは──)

「──ヌエィッ!」


 そんなカミラを脅威と見たのだろう、胸壁を越えてきた方の一人が素早く彼女へ斬りかかった。黒装束たちは総じて刃幅の狭い直刀を携えている。

 同じ刀でもライリーのものより刀身が短く、付け根にはちゃんと鍔もあった。気になるのは柄頭に括りつけられた長い紐だ。黒装束は右手で刀を握り、余った紐を左手に巻きつけるという独特の構えで、カミラを攻めて攻めまくる。


「カミラ……!」

「ティノくん、後ろ!」


 ところが援護に入る直前で、もう一人の黒装束に襲われた。ザンッと振り下ろされた刀をかわし、二撃目を弾いてどうにか体勢を立て直す。

 一対一。黒い布の間からこちらを睨む男は、カミラと戦っている男に比べるとだいぶ小柄だった。しかし構えに隙がなく、目尻の皺からも老練の刺客だろうということが見て取れる。


 ──こいつらは一体どこから?


 まさかあの霧を抜けてきたというのか。何のために?

 いきなり自分を狙って斬りつけてきたところを見ると、ルシーンの手先か?

 けれどそれにしては妙な格好をしているのが気にかかる。男たちの身につけている黒装束は、これまたライリーやレナード、ジョルジョがまとっている衣服にどことなく似ているのだ。


(キモノ……ということは倭王国の人間? だとしたら言葉が通じないのにも頷ける。だけどどうして、大陸と交流のない島国の人間が……)


 ゆっくり考えている暇はなかった。老練の刺客はジェロディの心の揺らぎを正確に突き、直刀を突き出してくる。

 すんでのところで切っ先を躱した。速い。ジェロディの目には、踏み込みから突き出しまでの動作がすべて同時に見えた。おかげで避けたつもりが脇腹に鋭い痛みが走り、思わず手をやって舌打ちする。


(避けきれなかった──)


 指先を這うぬるりとした感触。完璧に見切ったつもりでこの様だった。彼らと長く争ったら、間違いなくこちらが不利になる。


(だったら……!)


 さらに打ち込まれる追撃をどうにか去なしながら、ジェロディはあたりに目を走らせた。何か、何でもいい、ハイムの力を借りて動かせそうなものはないか。

 いくら相手が手練と言えど、大神刻グランド・エンブレムの力にはさすがに不意を突かれるはずだ。これだけ激しく攻め立てられては、こちらの勝機はそれしかない。それしかない、のだが──


「え?」


 もはや何合目か分からない打ち合いで相手の刀を弾いた刹那。

 ジェロディは突如力が抜け、ガクンと膝が落ちるのを感じた。

 ──何だ? 体が言うことを聞かない。思わず床についた左手にはビリビリとした痛みが走り、折ってしまった片膝も持ち上がらない。


(まさか……)


 毒、か。さっき脇腹にもらった一撃。可能性があるとすればアレだ。

 恐らく刺客の刀には、入念に毒が塗られていたのだろう。全身が痺れているだけで、気を失うほどではないがしかし、これほどの手練の前で一瞬でも動きを止めるということはすなわち、死を意味する。


「ティノくん……!」


 瞬間、カミラが進路を塞ぐ刺客を祈唱なしで燃やすのが見えた。が、斬り合ううちに彼女と距離が開いてしまい、援護は間に合いそうにない。


(くそ……!)


 ついには舌まで痺れるのを感じながら、ジェロディはどうにか剣を振り上げようとした。けれどこちらの動きより数瞬早く、刺客が刃を振り上げる。

 神の恩寵。ようやく効いてきた。されど手遅れだ。

 風が斬り裂かれる音がする。


「やめて……!!」


 視界の端でチカッと赤い光が走った。カミラが続けて神術を撃とうとしたのだろうが、そのとき刺客の背後からぶわっと噴き上がったものがある。

 何だ、と目を見張った。

 刃を振り下ろす刺客の動きが、異様にゆるやかに見える。

 それはもしや、彼の背後から生まれた黒煙のようなものが、刺客の体に絡みついたからだろうか。だがジェロディはこの現象に見覚えがある。


(これは確か、ロカンダが陥落した夜の──)


 そうだ。


 あの日フィロメーナを呑み込もうとしていた、闇の蛇。


 どうしてアレがここに。


 ジェロディはますます目を見開いた。幻覚ではなかったのか。あれ以来同じものを見ることはなかったし、あの日は魔物との死闘で消耗していたから、突然現れた黒いもやは、疲れが見せたものだろうと思っていた。


 けれど、違う。

 少なくとも今は、毒を受けてはいるが意識が朦朧とするほどではない。

 だったらアレは何だ。

 闇の塊が放つおどろおどろしい気配にジェロディが戦慄した、刹那だった。


「ガッ……」


 と突如刺客が呻き、予想外の展開に身を震わせる。同時に降ってきた赤い液体が、ジェロディの頬に数滴かかった。


「おい。俺様の城で好き勝手すんのも大概にしろよ、余所者」


 覆面の向こうから、ゴボッと不吉な音が聞こえる。

 刺客は刀を取り落とした右手を、己の喉元へ持っていく。

 そこからは血が溢れていた。皮膚を破り、赤々と突き出した刃も見える。美しい刃紋が波打つ、反り返った鍔なしの刀だ。


「ら……ライリー……!」


 ジェロディがようやく彼の名を絞り出した頃には、刺客も白目を剥いて倒れていた。どんどん広がっていく血溜まりは、喉を貫かれたがゆえのものだろう。

 刺客の背後から現れたライリーは不機嫌そうな目で死体を見下ろすや、サッと刀の血を払った。そうして銀色の峰を肩に乗せ、くわあ、と一つあくびを漏らす。


「ったく何だよ、人が気持ち良く寝てるときにドタバタ騒ぎやがって……うるせえったらありゃしねえ。死んで償え」

「それ、僕らにも暗に死ねって言ってる……?」


 脇腹を押さえて苦笑しながら、そう言えばライリーの部屋はここから近いのだったなと思い至った。あれだけ斬り合ったり叫び合ったりしていたら、うるさくて目を覚ますのも道理というものだろう。

 けれどまさか、危ないところをこの男に救われるとは思わなかった。本人はうるさい蠅を叩き斬った程度にしか思っていなさそうだが、ここは礼を言うべきか否か。


「ティノくん、大丈夫……!?」


 そこへ血相を変えたカミラが駆け寄ってきて、ジェロディは感謝を述べるタイミングを失った。隣に膝をついた彼女はびんのあたりの髪がわずかにほつれている。

 恐らく刺客の刃が掠め、切れてしまったのだろう。加えてひどい汗をかいているのは、それだけ熾烈極まる斬り合いを演じたためか。


「ああ……僕なら大丈夫だよ、カミラ。ちょっと毒を喰らったみたいで、体が痺れてるけど……」

「ど、毒!? じゃあ早くマリーさんを……いや、この場合はラファレイ……!?」

「平気だろ、こいつは神子なんだからよ。常人ならのたうち回って死ぬような猛毒でも、神サマの力とやらが勝手に解毒してくれる。ほっといたって死にゃしねえっての」

「でも……!」

「んなことよりこいつはどういうこった。なんで俺の島にシノビがいる?」

「し、シノビ?」

「シノビガタナに黒装束っつったらシノビ以外にいねえだろ。こいつらは倭王国で諜報だの暗殺だの、そういう汚れ仕事を生業にしてる連中だ。近頃は倭王国の外でも暗躍してるって話だったが、あの噂はマジモンだったんだな」

「じ、じゃあこいつらは誰かに雇われてティノくんを殺しにきたってこと……?」

「シノビが人を殺したり敵地に潜入したりすんのはあくまで〝仕事〟だ。つまりはそういうこったろ」


 退屈そうにそう言って、ライリーは動かなくなったシノビとやらを蹴りつけた。死者相手に罰当たりなと思いつつ、つい先刻彼らに殺されかかった身としては、咎める気も起きずに口を噤む。

 ところがライリーに蹴られた拍子に、シノビの懐から何かが転げ落ちた。血溜まりの上でカランと音を立てたのは星形の……刃物? だ。

 拾い上げてみると真ん中には小さな穴が開いていて、その周りに艶消しされた四枚の刃が生えていた。殺傷能力は低そうだがこれにも毒が塗られていた可能性はあるし、こんな暗器まで持ち込んでいたのかという事実がジェロディの背筋を寒くする。


「おい、何の騒ぎだ。さっき下に人が降ってきやがったぞ」


 と、そこへガヤガヤと声がして、屋上に人が上がってくるのが見えた。真っ先に出口を潜って現れたのはウォルドだ。この時間も食堂で宴を続けていたのだろう、手には火入りの角灯を持っている。

 彼の後ろにはトリエステ、オーウェン、レナードやゲヴラーの姿。まさかトリエステも今まで酒を飲んでいたのかと驚いたが、寝巻きの上にガウンを羽織っているところを見ると、どうやら彼女はウォルドたちに起こされてきたようだ。


「ジェロディ殿? これは……」

「暗殺者サマご一行だとよ。さっき下に落ちていったのもこいつらの仲間だろ。ガキども二人が逢い引きしてるところを邪魔しに現れたらしいぜ」

「あ、逢い引き……!? い、いや、それよりも暗殺者だって……!?」


 一瞬オーウェンが余計なところに反応したような気がしたが、暗殺者という言葉に誰もが顔色を変えた。かと思えばいつもの被り物をしていないレナードがどたどたと駆け寄ってきて、いきなりライリーの肩を掴む。


「おいライリー、怪我は?」

「いや、狙われたのはこいつらだっつったろ今。お前その図体で心配症なの、いい加減何とかしろ。暑苦しい」

「しかしまさか、この霧の島に暗殺者とは……一体いつの間に入り込んだんだ? ジェロディ殿と嬢ちゃんは無事か?」

「ええ、何とか……ティノくんが毒を受けて危ないところ、でしたけど、ライリーが来てくれたおかげで何とかなりました。数は、全部で三人。他にも紛れ込んでないと、いいんですけど……」


 言いながら立ち上がったカミラが、手の甲で額の汗を拭った。言葉が途切れ途切れなのは息が弾んでいるせいか。どうやら彼女も先程の戦闘でよほど消耗したらしい……いや、本当にそれだけか?


「分かりました。そういうことでしたら、すぐに島内を捜索させましょう。オーウェン殿、失礼ですがケリー殿とマリステア殿を呼んできていただけますか? 暗殺者に狙われたとなれば、ジェロディ殿には警固の者が必要です」

「あ、ああ、分かった……!」

「ゲヴラー殿はまだ下にいる門下の方々を。起きている者で砦内を見回っていただきたいのですが、構いませんか?」

「おう、任せてくれ」

「レナード、島の見回りは湖賊の皆さんに。念のため舟を出し、霧の中も警戒していただけますか?」

「了解だ。というより一時的に霧を解いた方がいいかもしれんな。ライリー、構わないか?」

「ああ、そうしろ。島を守るための霧をネズミどもに利用されんのは癪だからな」


 ようやく刀を鞘に収めながら、抑揚のない声色でライリーが言った。そこで初めてあの霧は自在に消せるのだと知り、ジェロディは目を丸くする。

 そう言えばライリー一味との同盟が成った今も、彼らは霧の仕組みを黙秘したままだった。あれが人為的に作られたものだということは何となく察していたが、一体どういう原理で出したり引っ込めたりしているのだろう。


「おい。にしてもこいつらの格好は……」

「ああ。たぶん倭王国のシノビだろうって話をしてたとこだ。どうやらわざわざこいつらを雇って、ここに送り込んだやつがいるみてえだな」

「ティノを狙ってたってことは国かルシーンか、そのどっちかだろ。こいつらはティノを殺そうとしたのか?」

「さあ、殺される前に殺しちまったんで分からねえ。しかしこいつが受けた毒とやらの種類が分かれば、あるいはハッキリするかもな」

「どういう意味だ?」

「普通殺す気なら相応の毒を仕込むだろ。だがこいつはちょっと痺れただけでこのとおりピンピンしてる。それが神サマとやらのおかげなのか、はたまた単なる麻痺毒だったのかって話だ。後者なら動けないようにするのが目的で、命まで取る気はなかったとも推測できる」

「なるほど……ライリー殿のおっしゃることにも一理ありますね。毒の種類は、ラファレイ殿に頼めば鑑定していただけるかもしれません。ジェロディ殿、そちらの傷は刀で?」

「ああ。たぶん刃に毒を塗ってたんだと思うよ。他に傷は受けてないから……」


 と、ようやく動けるようになったジェロディが答えながら立ち上がったときのことだった。不意に視界の端でカミラが息を詰め、己の額に手を当てる。

 どうしたのかと目をやれば、彼女は顔面蒼白だった。しかも多量の汗をかき、何かをこらえるようにぎゅっと眉を寄せている。


「カミラ? 君、顔色が……」

「ご……ごめん……なんか、さっきから、耳鳴りが……」


 と、呻くように言った、直後。

 それまで体を支えていた糸が切れたかのように、カミラがやにわに倒れ込んだ。

 あっと思ったときには、すぐ傍にいたライリーが反射的に彼女を受け止めている。彼がそうしていなかったら、カミラは顔面から血の池に突っ込んでいたことだろう。


「おいカミラ、どうした? カミラ!」


 彼女を呼ぶウォルドの声が響いた。ライリーの方はカミラが突然倒れたことに驚いたのか、はたまた彼女を抱き留めた自分に驚いたのか、目を見張って硬直している。しかしウォルドがいくら肩を揺すっても、カミラは反応を示さなかった。表情はだいぶ苦しそうで、ぐったりと両腕を投げ出している。


「ま、まさか、カミラも毒を?」

「見たところ外傷はありませんが、可能性は否めません。ウォルド、すぐにラファレイ殿を。ライリー殿はカミラを部屋まで運んで下さい」

「はあ!? 俺が!?」

「手負いのジェロディ殿に運ばせるわけにもいかないでしょう。かと言って私には人を担ぐ力はありませんし」

「くそっ、だからってなんで俺が……こんなこと、泣いて頼まれたって二度とやらねえからな」


 忌々しげに悪態をつき、ライリーがカミラの体を持ち上げた。そうして器用に寝返りを打たせたかと思ったら、彼女の膝裏に腕を入れ、軽々と横抱きにする。

 ……彼のことだからてっきり肩にでも担いでいくのではと思ったら、意外にも紳士的な対応だった。カミラの部屋は砦の二階だ。が、心配なのでついていこうと思ったら、トリエステに呼び止められる。


「ジェロディ殿。ジェロディ殿には襲撃を受けた際の状況を詳しくお聞きしたいので、お部屋にお邪魔しても構いませんか?」

「え? あ、ああ、うん……分かったよ。じゃあ、行こう」


 腹部の傷は癒えたし、毒も消えた。動くのに支障がないことを確かめつつ、ジェロディはライリーに運ばれていくカミラを一瞥する。


(結局、カミラには何も訊けなかったな……)


 今はそれどころじゃない。まずはカミラの無事を祈らなければ。頭ではそう分かっているのに、気持ちが逸って仕方がない。

 だからジェロディは一つ息をつき、落ち着け、と自分に言い聞かせた。

 雑念に支配されている場合ではない。刺客に狙われたのは他でもない自分だし、戦いの途中で見えた黒い靄のことも気になる。

 ……あれは結局何だったのだろう。思い出すだけで怖気おぞけがする。正体はさっぱり分からないが、禍々しく不吉な何かであったことは確かだ。


(そう言えばフィロメーナさんは、あの靄が見えた直後……)


 と、何気なく考えかけて、ぞっとした。

 ──いや、いい。今はやめよう。考えなくていい。というより、考えたくない。

 本能が答えへ至る道を閉ざすと同時に、ジェロディは踵を返した。オーウェンに呼ばれてきたのだろう、屋上の入り口付近にはケリーとマリステアの姿が見える。


「ティノさま、ご無事ですか……!?」


 顔色を失いながら、しかし寝間着の上にピヌイス織りを羽織って現れたマリステアを見るや、ジェロディは無性にほっとした。ようやくいつもの自分が返ってくるのを自覚しながら、「大丈夫だよ」と微笑みかける。

 とにかく今夜は色々あったが、仲間はみな無事だった。

 あとはただ祈ろうと思う。

 明日の朝には何事もなく、カミラが目を覚ましてくれることを。

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