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165.世界が静止する日

 二つのさいを同時に振ると、三のゾロ目が出た。

 三という数字は豊穣と再生の神アサーを司る数字だ。だから、場に捨てられた牌の中から任意の牌を一つ〝再生〟させることができる。

 ということらしいので、ジェロディは牌卓の真ん中に山を成す捨て牌の中から『黒の一』を選び取った。

 それを手持ちの『白の七』と組み合わせることにする。色の違う牌の組み合わせは白―黒の引き算になるらしいから、これで『六』──すなわち賽を振って出た三+三の合計値と合致する。賽を振って出た数の和と同じ値になる牌を捨てること。牌合わせドゥームのルールとはそういうものらしい。


「ええと……じゃあ、これで」


 と、ジェロディが復活させた『黒の一』の牌と手持ちの『白の七』の牌を同時に倒せば、周囲から「えぇっ」とどよめきが上がった。

 向かいの座ではライリーが、右の座ではゲヴラーが、左の座ではカイルが頬を引き攣らせている。何故なら今の一手で、ジェロディの手持ちの牌は残り一枚だ。


「おい、ジェロ! お前さっきから強運すぎない!? 開始十手で残り手牌一枚とかさ!? それこのゲームの最小手数なんですけど!? 普通にやってて何度もできる技じゃないんですけど!?」

「知らないよ……僕、牌合わせをやるのは初めてだって言ったろ。だから特に定石とか分からなくて、適当に牌を捨ててるだけだし」

「適当にやっててコレとかさ! 自慢か!? 自慢ですか! お前、オレらからどんだけ金をぶん取れば気が済むわけ!?」

「別にお金が欲しくてやってるわけじゃないし、賭けにしようって言ったのはそっちじゃないか。嫌なら下りてくれてもいいけど?」

「キィーッ! 今の聞きました、ライリー親分!? ありえないッスよねこんなの!? チートですよね!?」

「おい小僧、ガタガタ抜かすな。見たところジェロディ殿はイカサマなんざしてねえし、全部実力だ。つまりこれが〝神に愛される〟ってことなんだろうよ……」

「オッサンは黙っててくんない!? オレは今ライリー親分に聞いてんの! ね、親分!?」

「……おい、レナード。お前、手持ちいくらある?」

「貸せるのは十青銅貨ペニナまでだぞ、ライリー」

「借りる気満々なの!? ウソでしょ親分!?」

「博徒の名が泣くなあ、『凶刀』のライリー?」

「うるせえよ。そう言うてめえだって博徒の端くれだろうが。なに自分は違いますみたいなスカしたツラしてやがんだ、ゲヴラー」

「確かにおれは山賊だったが、元は清廉潔白な道場主だぞ。博奕ばくちなんぞにゃついぞ縁がねえ」

「ああ、どうりで使えねえわけだ。てめえこの勝負が終わったら下りやがれ。おい、ウォルド! てめえ、こないだ俺の手下から酒代巻き上げてやがったろ! ゲヴラーの代わりに次からてめえが相手しろ!」

「いいぜ、イカサマしても構わねえなら」

「あんたの辞書に正々堂々って言葉はないのかい……」


 隣の卓で酒の杯を手にしたケリーが、呆れた様子で向かいの席のウォルドを睨む。彼らと相席しているオーウェンやヴィルヘルムが何も言わないのは、余計な諍いに巻き込まれたくないからだろうか。

 そうこうしているうちに再びジェロディの手番が回ってきて、もう一度賽を振った。今度は零と四が出る。そして手元にある最後の牌は、『黒の四』だ。


「はい、上がり」

「あーーーーーッ!?」


 またもカイルの絶叫が谺した。二つの賽の和が牌一枚で支払える数なら一枚でもいいと言ったのは彼だ。ルール違反はしていない。

 これでジェロディの五連勝。対戦していた三人からはそれぞれ五青銅貨寄越された。あと二戦勝てば、ピヌイスでマリステアのために使った五銀貨ノツァを取り返してお釣りがくる。まあ、彼らから金を巻き上げるほど金銭的に困っているつもりはないけれど。


 ジェロディたちがピヌイスから戻った翌日の晩。砦の一階にある大食堂では、予定どおり新参の仲間を歓迎する宴が開かれていた。

 食堂は見渡す限り人、人、人の大賑わいだ。さすがに八百人もの人数を収容するだけの広さはないので、外の天幕街にも酒と料理を運んである。仲間たちは砦の中と外とを自由に行き来して宴を楽しんでいるという感じだ。燭台という燭台、角灯という角灯が集められた宴会場は、真昼のように明るい。


 ライリーとゲヴラーの〝縁組み〟も無事終わり、宴の熱気は最高潮に達しようとしていた。こんな賑やかな宴はかつてロカンダの地下で開かれた、救世軍の祝勝の宴以来だ。

 一勝負終わり、また新たに牌が配られる中、ジェロディはふと食堂の様子に目を配った。マリステアはどこにいるのかと思ったら、少し離れたところでカミラとトリエステ、そしてリチャードが一つの卓を囲んでおり、彼女の姿もそこにある。


「えぇっ!? トリエステさんて既婚者なんですか!?」

「ええ……既婚者というか、未亡人というか……話していませんでしたか?」

「は、初耳です! 初耳ですよね、マリーさん!?」

「え、えーと、わたしは前にどこかでお聞きしたような……? 確かケリーさんが少しだけ、そんなお話をされていたかと……」

「えーっ!? じゃあ、知らなかったの私だけ!? リチャードさんは!?」

「もちろん知っておるとも。残念ながらご主人とお会いしたことはないがな」

「夫とは正黄戦争が始まった頃に結婚し、二年足らずで死別しましたからね。子ができなかったのは幸いでした。親の都合で非業の運命を背負わせたくはありませんでしたから」

「だ、旦那さんとはあんまり仲良くなかったんですか? 結婚石もずっとしてないみたいですし……」

「いえ……夫婦仲は悪くなかったと思いますが、結婚石は夫の要望で。たった一年余りしか共にいなかった自分のために、この先の人生を棒に振ってほしくないからと、夫の死後は石を身につけないよう言われました」

「で、では、旦那さまからいただいた石は捨ててしまわれたのですか……?」

「いいえ、身につけてはいないだけで、今も大切に持っていますよ。牢を出たあと、ガルテリオ殿が私の私物をフィロメーナから預かって、リチャード殿のところへ届けて下さったんです。そこに、彼からもらった結婚石も」

「へー、さすがフィロ、抜かりないですね! いつか見てみたいです、トリエステさんの結婚石。リチャードさんとマヤウェルさんの結婚石も綺麗ですよね、その耳飾りって翠瓓石すいらんせきですか?」

「ああ、そうとも。家内は昔から緑色ばかり愛でるのでな、ならば結婚石も緑のものが良かろうとこの石にしたのだよ」

「一つの石から作られたものには惹かれ合う力がある、だから夫と妻も末永く惹かれ合うように──でしたっけ? ロマンチックですよねー。うちの郷では夫婦になると背中に刺青を入れるんですよ。だから結婚ってちょっと重たくって」

「い、刺青ですか? た、確かにそれは、旦那さまと別れたとき大変ですね……」

「そーなんですよー。郷の霊鳥信仰にあやかって、男は右に、女は左にそれぞれ片翼の刺青を入れるんですけどね。そのせいで再婚しようと思ったら、既に翼が入ってる人とじゃないとダメって掟があるんです。そんなの誰が決めたんだか知らないけど……タリアクリかな?」

「タリアクリというと、我が国の前身であったフェニーチェ炎王国を築いた英雄か。かの国が不死鳥フェニーチェの名を冠していたのは、太陽神の神子であったタリアクリの背に翼の刺青があったからだという。とするとあれはタリアクリが既婚者であったことを示すものだったのだな。なるほど、ようやく長年の謎が解けた」

「そう言えばリチャード殿が扱うピヌイス織りは、マヤウェル殿の郷に伝わる不死鳥伝説が元となっているのでしたね。そちらもルミジャフタ郷の霊鳥信仰と何か関係があるのでしょうか」


 ──霊鳥信仰。フェニーチェ炎王国。不死鳥伝説。ジェロディが持つ神の耳には四人の交わす会話の内容がはっきりと聞こえて、思わずぴくりと肩が動いた。

 何やらあの四人はとてつもなく興味深い話をしているではないか。できれば自分も混ざりたい。マシューから少しだけ聞いた不死鳥伝説をもっと詳しく知りたいし、それがカミラの郷の信仰と関係があるのなら共にルーツを探りたい。歴史の探求は浪漫だ。


 けれど博徒のライリーにとっては賭博こそ浪漫であるようで、「おいジェロディ、余所見してんな!」と怒られてしまった。いつの間にやらゲヴラーがいた席には本当にウォルドが座っているし、こんなことをやっているうちにカミラたちの話が終わってしまう。

 ならば今度も最小手数で。ジェロディは俄然燃えてきた。盤上の遊戯というと、ジェロディはこれまで陣取り駒カバラくらいしか嗜んだことがなかったのだが、この牌合わせというのも奥が深い。極めれば負けなしになりそうだ。


 仲間の談笑と騒ぎ声。酒の匂いと噎せ返るほどの熱気。

 まさに宴もたけなわ、皆の笑い声に包まれて夜は更けていった。

 疲れた者は部屋に戻って休んでいいということになっているはずなのに、誰一人として引き上げる気配はない。皆、宴が楽しくて仕方がないのだ。

 湖賊も、山賊も、元官兵も。そこにはもう垣根はない。酒の力か皆が笑い、歌い、肩を組んで話に花を咲かせている。


「ちょっとウォルド!? なんかさっきからオレばっか狙い撃ちにしてない!? こっちに牌寄越しすぎじゃない!?」

「五のゾロ目が出たら任意の相手にいらねえ牌を白黒一つずつ押しつけられる、そういうルールだろ? しかもお前らトラモント人が勝手に作ったローカルルールだ。列侯国にはこんなルールなかったからな、恨むならてめえの国を恨め」

「あーもーあったまきた! オレ、黄皇国倒したら牌合わせ大臣になって牌合わせのルール変えるわ! いいよな、ジェロ!?」

「そんな大臣作る予定ないし作りたくもないよ」

「おいカイル、威勢がいいのは結構だがな。俺からもお前に贈り物だ」

「ああっ、いらないっ! その贈り物はいらないですライリー親分! お気持ちだけで結構で──あああああああ……!」


 早ければあと二手で上がるというところで二人から牌を押しつけられ、カイルが悲鳴と共に頭を抱えた。ウォルドもライリーもジェロディの勝利を阻止しようとしていたくせに、だからと言ってカイルに勝たれるのも癪らしい。

 目の前で繰り広げられる足の引っ張り合いが可笑しくて、ジェロディはつい笑ってしまった。「笑うな!」と憤慨しているカイルから賽を受け取り、さして悩まず場に放る。


「はい、これで僕もあと三手……」


 と、ジェロディが手牌を倒した瞬間だった。

 急に三人がシン……と静まり返り、どうしたのかと目を見張る。

 ライリーはいつものように刀を抱いた体勢で、ウォルドは傍らに置かれた杯に手を伸ばした状態で、カイルに至っては苛立たしげに頭を掻いた姿勢で固まっていた。──何かおかしい。


「ガタッ」


 瞬間、少し離れたところから椅子を蹴るような音がして、ジェロディは図らずも驚いた。その音をやけに大きく感じたのは、あれほど騒がしかった食堂に静寂が降りていたからだ。

 振り向くと、音のした方角にはカミラがいた。仲間たちが全員動きを止め、嘘のように静まり返った空間で、彼女だけが立ち上がっている。


「な、何……!?」


 そこでジェロディもようやく状況が理解できた。共に牌合わせに興じていた三人だけじゃない。食堂に集った全員が石像のごとく動かなくなり、完全に時間が止まっている。この状況には覚えがあった。ジェロディもあとずさるようにして立ち上がり、改めてあたりへ目を配る。


(これは──)


 同じだった。ジェロディがソルレカランテ城でルシーンに追い詰められ、危うく捕らえられるところであったあのときと。


「ティ、ティノくん……!? 何がどうなってるの……!? み、みんな一斉に動きが止まって……!」

「──驚かせて申し訳ありません、カミラ、ジェロディ。ですがどうぞご安心を。彼らは一時的に時間を奪われているだけで、害はありません。私が時を動かせば、すぐにまた元へ戻ります」


 次いで聞こえたのは、凪を揺らす波紋を思わせる声。その声にも聞き覚えがあった。忘れもしない──あの雨の日、ジェロディに〝逃げろ〟と告げた女の声だ。

 落ち着き払った声色に敵意はない。ゆえに味方だと思いたかったが、問題は声の主の姿がどこにも見当たらないことだった。

 ジェロディとカミラは互いに周囲を警戒しながら距離を詰める。自然と背中合わせの形になった。カミラが腰の剣を掴む気配がして、ジェロディも柄へ手を伸ばす。


 ところが黒い柄巻きに触れる寸前、あたりに閃光がほとばしった。目も眩むほどの光に悲鳴を上げて、二人はとっさに腕を翳す。

 やがて光が収束していく先に、人の姿が見えた。いや、というよりも光そのものが人の形を取り、ゆっくりと空間に固着していく。

 ようやく視界の明滅が止み、ジェロディたちの視覚が正常さを取り戻したとき、そこには全身赤色の女と一人の小柄な少女がいた。

 女の方は、裾を引きずるほど長い長衣ローブを被っているため人相が分からない。けれど彼女の一歩後ろに佇む少女を見るなり、ジェロディは呼吸が止まった。


「き、君は、ターシャ……!?」


 とっさに名前を叫んでから、自分が少女の名を記憶していたことにいささか驚く。まあ、あんな体験と紐づけられた記憶ならば当然か。何せジェロディはあの日クアルト遺跡で、彼女に導かれて《命神刻ハイム・エンブレム》と出会うことになったのだから。


「……久しぶり。ハイムの神子」


 対するターシャは〝久しぶり〟と言いながら、まるで赤の他人に話しかけるような音吐をぶつけてくる。ジェロディは困惑のあまり立ち尽くした。


 金糸に縁取られた長衣の下で、謎の女が微笑んでいる。



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