164.愛し君へ
屋上の西側に立つと、黒い牡牛に荷車を曳かせてやってくる一団が見えた。
彼らが運ぶ荷車の上には、色とりどりの野菜が満載されている。明日の宴に向けて、料理に使う野菜の収穫へ向かっていた者たちだ。
その中に医者のラファレイと彼の助手だという少女、そして彼らの案内役に抜擢されたカミラがいるのを見て取って、トリエステは風に靡く亜麻色の髪を押さえた。恐らく農園の方までラファレイを案内し、帰りに野菜を運ぶジョルジョらと合流したのだろう。
やはり彼女の赤髪はよく目立つな、と、とりとめもなく思案する。何せ彼らの姿はまだちょっと大きな点くらいにしか見えないのに、一目でカミラがいると分かったのだから。
彼女の歌うような声が聞こえ始めると、トリエステはじっと耳を澄ます。宴では何が食べたいかと、隣を歩くジョルジョに尋ねているようだ。
ライリー一味の中でもとりわけ温厚で人柄もいいジョルジョは、この二ヶ月弱ですっかり救世軍の面々に馴染んだ。刺々しいライリーとトリエステたちの間で、彼はいい緩衝材になってくれている。
ふと南へ目を転じれば、ひしめき合う天幕と人、人、人。
ピヌイス地方軍からの離反者とゲヴラー一味を新たに迎え、島の住人の数はもうすぐ千に届こうとしていた。これほどの人数が揃えば、郷庁所在地を襲って地方軍を打ち払うことはもはや造作もないだろう。
だがそれは地方軍が少数かつ練度の低い軍だからであって、大将軍たちが率いるトラモント中央軍にはまだ遠く及ばない。彼らの目から見れば今の救世軍は人数ばかり膨らんだ烏合の衆に過ぎず、蹴散らそうと思えばいつでも蹴散らせる、取るに足らない存在でしかないはずだ。
(鍛え上げなければ。ここにいる生まれも育ちも、志さえもバラバラな人々を束ねて一本の剣とする……黄皇国が我々の動きに気づき、本格的な攻撃をしかけてくる前に)
できるだろうか、自分に。
そう自問したところで瞑目し、一つ深い息をつく。
……いいや。無理だ、自分には。彼らを鍛え、一振りの剣とするには相応の指導者が要る。彼らを勝たせ、戦場で生き延びられるようにするには、まずそのための智恵と力を授ける必要があった。すなわち、調練だ。
ライリーは嫌がるだろうが、同盟相手としてやっていく以上、あそこにいる湖賊たちにも軍隊としての訓練を受けてもらう必要があるだろう。そうしないと両者の足並みが揃わず、戦場で互いの足を引っ張りかねないから。
(ライリー殿は彼らを〝兵士〟にするつもりはないと言っていたけれど、それは傲りだ。彼らにも戦場で生き延びる術を与えなくては。ただ好き勝手に暴れていれば倒せるというほど、黄皇国は甘くない)
もっとも、ライリーが軍隊を毛嫌いしている理由も分からないわけではない。聞けばここにいる湖賊の中には、兵役が嫌で雲隠れしたり、一度は兵士になったものの、腐りきった軍の体制に嫌気が射して逃亡してきた者がかなりの数いるらしかった。マウロとライリーはそうした者たちを匿うことで勢力を拡大してきたのだ。
今はライリーの側近をしているレナードもその一人。彼は私利私欲のために村一つ滅ぼした上官に憤り、思わず斬り殺して追われる身になったのだという。
だからライリーは彼らを〝兵士〟には戻したくないと言っている。軍でつらい思いをした者たちに、もう一度同じ苦しみを味わわせたくはないと。
そういうことをもっと表立って表明すれば、ジェロディたちの彼を見る目も変わるのに、と思う。なのにライリーは、仲間を気遣ったり守ったりするようなことを人前では決して言わないのだ。代わりにいつもジョルジョかレナードにだけ言伝し、自分は素知らぬ顔をしている。まあ、一味の者たちはそんなライリーの性格を知っているからこそ、彼を慕ってどこまでもついていくのだろうけれど。
(だけど、救世軍と黄皇国軍は違う。まずはライリー殿にそのことを分かっていただかなければ)
それをきちんと証明することができれば、ライリーとて仲間に兵士としての訓練を施すことを肯じるはず。ならば問題はいかにして彼を納得させるかということ。
(まずはピヌイスから来た二十名の兵士たちと、ゲヴラー殿の配下の百名を合わせて三十人ずつの四小隊を編成……これをそれぞれ将の下につけて軍隊としての動きを学ばせる。ゲヴラー殿の門弟たちは個人の練度こそ高いものの、集団戦の訓練は積んでいないとおっしゃっていたから……)
武道家というのは往々にしてそういうものだろう。彼らは己を鍛え上げるために武芸を極めるのであって、戦争をするために鍛練を積むわけじゃない。官軍に武術師範なる制度が存在するのも、軍隊を構成する一人一人の兵士の粒を揃えるためであり、軍としての動きを叩き込むのは職業軍人たちの役割だ。
ゆえにまず考えなければならないことは、彼らの導き役としての適任者。軍人として軍隊にいた経験があるのは現状、ジェロディ、ケリー、オーウェン、ヴィルヘルムの四人だけだ。
とは言えジェロディが軍にいたのはほんの一ヶ月程度のことだと言っていたから、いくら小規模な部隊とは言え、いきなり彼に任せるのはいささか荷が重いだろう。総帥という存在は組織の象徴であるべきで、あまり兵たちとの距離が近くなりすぎるのも褒められたことではないし。
(となると候補者はウォルドかカミラ……ウォルドは長く傭兵をしてきたと言っていたし、カミラもフィロメーナから軍学の基礎は学んでいる。旧救世軍でも各々隊を率いていたと言っていた……ならばウォルドを隊長、カミラを副隊長として一隊を任せれば、すべての隊の隊長が決まる、か)
ウォルドの傭兵としての経歴をもう少し詳しく聞く必要はありそうだが、これなら何とかなりそうだった。無論、ある程度兵が育てば編制を変えるつもりでいるが、今はまずこの体制でいってみよう、と構想を頭の隅に書き留める。
……いい傾向だ、と思った。
何でも一人でどうにかしようとせず、自分に足りない部分は人に助けを求めて補ってもらうこと。ガルテリオと過ごした日々の中で、彼に教えられたことだ。
彼の教えはいつだって父と正反対だった。エルネストは常に〝軍師たる者、誰にも甘えず、人を寄せつけず、将兵を駒のように使える精神が必要だ〟と説いていたから。
けれどガルテリオはそんなエルネストの教えを真っ向から否定した。人間とはどう足掻いても一人では生きていけない生き物であり、将も兵も軍師も人間なのだから、互いに助け合って生きるべきだと。
そうして交流を深める中で、仲間との間に信頼が芽生える。戦場で強いのはたった一人の優れた智恵ではなく、その信頼だ。人や国を愛する心だ。ガルテリオは常々そう言っていた。
彼の教えがなければ自分は今頃、できもしないのに独力で兵士を育てる方法を模索していたことだろう。父ならきっと仲間の誰も信頼せずにそうしたはずだ。
いや、あるいは兵に生き残る術を与えることすら馬鹿馬鹿しいと唾棄したかもしれない。弱兵など死んで当然、弱いなら弱いなりに囮にするとか退却の際の時間稼ぎに使うとか、そういう使い道を考える。
それがエルネスト・オーロリーという男だった。ガルテリオとの出会いがなければ、自分もいずれああいう人間になっていたのかと思うと改めてぞっとする。
(あの方にはどれほど感謝してもしきれない)
父の教えこそが正しいと信じ、心を凍らせていた自分を人間にしてくれた人。彼がいなければ自分は、下に続く妹弟たちにも同じ運命を背負わせていた。
だって父の教えは間違っていると気づかなかったら、自分は彼らを諭そうとは思わなかったはずだ。それどころか父を信じてついていけと言って、心のない冷たい人形を生み出していたかもしれない。
けれどそうはならなかったおかげで、妹弟たちは至極まっとうな人間に育ってくれた。……いや。至極まっとうどころか、あまりにも優しすぎる人間に。
(ガルテリオ殿。私は正しかったのでしょうか)
向かい風に顔を上げ、白い喉を反らす。なごやかな春空はどこまでも青く清々しい。トリエステの心の淀みなど知る由もなく。
(あの子たちを父のような人間にしたくないというのは、私のエゴでした。あるいは父のように生きた方が、彼らは幸せであったのかも……そう思ってしまうのは、過ちでしょうか)
会いたかった。
ガルテリオに会ってこの八年間、心に溜め続けてきた暗い澱のすべてを吐き出してしまいたかった。
けれどその願いは叶わない。自分は彼と敵対する道を選んだ。望んで選んだのだ。そんな自分に、彼との再会を願う資格はないだろう。いつかガルテリオと再び相見えることがあるとすれば、それはきっと、戦場でのこと。
「あ、トリエステさんだ。トリエステさーん!」
ついに砦のすぐ下までやってきたカミラたちが、屋上にいる自分を見つけて手を振っていることに気がついた。トリエステも彼らに微笑み返しながら、同時に上手く笑えているだろうかと心配になる。
こちらを見上げたカミラの笑顔は、頭上にある太陽みたいだった。妹もどれだけあの笑顔に支えられていたことだろう、と思う。
だから、その笑顔を奪いたくない。妹が愛した瞳を曇らせたくない。
そういう一心で、胸元に下がった弟のペンダントを握り締めた。
自分は父とは違う。彼らを信頼していないわけではない。
だけど、それでも。
「──おい、トリエステ」
瞬間、いきなり後ろから肩を引かれて、さすがのトリエステも喫驚した。息を詰めてとっさに顧みれば、そこには怪訝そうな顔をしたウォルドがいる。
「ああ……ウォルド、ちょうど良かった。あなたに二、三、お尋ねしたいことが……」
「こっちもあんたに話があって来たんだがな。何度呼んでも答えねえから、立ったまま寝てんのかと思ったぜ」
……ああ、なるほど。だから彼は人の顔を見るなり眉をひそめたのか。
どうやら心の海に深く潜りすぎて、彼の声が届かなくなっていたらしい。トリエステは素直に謝罪した。ふと目をやれば、カミラたちの姿は砦の陰に入って既に見えなくなっている。
「申し訳ありません。これからのことを少々熟考していまして……あなたにお尋ねしたいことというのも、それに絡むお話なのですが」
「そりゃいいが、疲れてんなら無理にいま話さなくたっていいだろ。聞けばあんた、俺たちがいない間も働き詰めだったらしいじゃねえか。ちゃんと寝てねえなら部屋に戻って昼寝でもしろ」
「いえ、別に睡眠を取りたいほど疲れているわけではないのですが……」
「そうか? だが俺らが島に戻ったときから、ずっと疲れた顔してるだろうが。そんな顔でうろうろされちゃ、こっちも落ち着かねえって話だ」
トリエステはまたも驚きで目を丸くした。……疲れた顔をしている? 自分が?
ということはやはり、さっきも上手く笑えていなかったのだろうか。そう思うと激しい自己嫌悪に襲われた。ここに鏡でもあればすぐに笑顔を作って、彼の証言が正しいかどうか検証したのに。
「……すみません。確かに疲れてはいますが、元気です。少なくともあなたが思っているよりは」
「ほお。フィロが人に嘘をつけねえ性格だったのはあんた譲りか。へったくそだな、嘘つくの」
「……」
「俺たちが島にいない間に何かあったか?」
「……いえ。特にこれと言ったことは」
と答えたところで、ウォルドがまた眉間を寄せたのが分かった。……私としたことが。嘘をつくのが下手だと言われた矢先に下手な嘘を重ねてどうする。
少なくともウォルドは、人の心の機微や気配の変化に敏感な人種のようだった。こういう人間を相手にするのは厄介だ。彼らはこちらがどんなに上手く綻びを繕っても、その裏に隠されたものを千里眼のごとく見抜いてしまう──かつて夫とした人がそうであったように。
「……私は一応、己の心理状態が顔に出ない方だと自負しているのですが」
「だとしたら今後は認識を改めた方が賢明だぜ。まあ、確かにティノたちは気づいてない様子だったがな」
「そうであってくれることを願います。それで、あなたのお話というのは?」
「あー、あんたにだけは知らせておいた方がいいかと思ったんだが、今はやめとく。これ以上心労を重ねたら死んじまいそうな顔してるしな」
「心労が嵩むようなお話ですか……」
ならば確かに今は聞かない方がいいかもしれない。余計なことに割く心の余裕がなくなっているのを、自分でもうっすら感じている。
されど軍師がこんなことではいけない、とも思う。彼がもし救世軍にとって重大な情報をもたらそうとしているのなら、余裕がなくても聞くべきだ。
問題は心の棚に、新しく仕入れた情報をしまっておくだけの空間がないということ。空きを確保するために取れる方法があるとすればただ一つ──今、最も場所を取っているものと向き合って、きちんと捨て去ることだろう。
「……では私も、あなたにだけお話しておこうと思いますが」
「あ?」
「弟が死にました」
向かい合った二人の間を、びょうと風が吹き抜けた。この時期の風は春の陽射しにぬくめられて暖かいはずなのに、何故だか今日は冷たく感じる。
「……待て。あんたの弟ってことは、つまりエリジオだよな?」
「はい」
「死んだのか」
「死にました。黄都にいる叔父から、知らせが」
手紙はジェロディたちがピヌイスへ行っている間、島から最も近いサラーレの町に届いた。何か相談事があればあの町の伝達屋に手紙を預けるようにと、以前ジェロディが届けてくれた手紙にそう記しておいたのだ。
もう十年近く顔を見ていない叔父からの手紙は、ひどく字が乱れていた。ところどころインクが掠れていて読むのに難儀したのは、涙で濡れたためだろう。
──私は止めた。
手紙には何度もそう書かれていた。
──私は止めたのだ、トリエステ。
だがエリジオは、お前のために死を選んだ。
「理由を話す気はあるか」
と、そこでウォルドが尋ねてくる。特にこちらを気遣うでも哀れむでもない、いつもどおりの低い声。それに少しだけ救われた。彼はいきなりこんな話をされても、取り乱すことはないようだ。
「もちろん、あります。エリジオはあなた方から私の手紙を受け取ったあと、陛下に謁見を願い入れたそうです。その願いはしばらく聞き入れられなかったと、叔父の手紙にはそう書かれていましたが……話を聞いたハインツがセレスタ将軍に口添えし、謁見の場を設けるよう、陛下を説き伏せて下さったのだそうです」
「ハインツっていうと、近衛軍にいるティノの元上官か」
「ええ。私の母がヒュー家から嫁いできた人だったので、母亡きあともあの家の方々は色々と世話を焼いて下さったのですよ。ですがまさかハインツも、弟が死諫のために謁見を望んでいたとは、夢にも思わなかったことでしょう」
「死諫?」
「はい。臣たる己の死をもって主君を諫める──それが死諫というものです」
ウォルドがほんの一瞬、言葉を呑み込んだのが分かった。トリエステはそんな彼の反応をいちいち観察してしまう自分が嫌になり、島の景色へ向き直る。
普段ライリーたちが牛を放している平原には、野花が咲き始めていた。色とりどりの、小さくて愛らしい──されど儚き春の花。
「ならエリジオはあのあと、黄帝の前へ出て自害したってのか?」
「いえ、自らの手で直接死を選んだわけではありませんが……しかし自害と言えば、そうであるのかもしれません。エリジオは謁見の場でこう宣言したそうです。〝この国に暮らす数多の民のため、陛下がお考えを改めて下さらないのであれば、我がオーロリー家は三百年の忠節を捨て、救世軍を支持致します〟と」
それは一点の曇りもない、黄帝の面前での宣戦布告だった。エリジオは黄帝が改心しないのならば、自分も救世軍の一員となって帝政と戦うと宣言したのだ。
だが当然、自らの謀反を表明したその言葉を並みいる黄臣たちが看過するわけがない。謁見の場はたちまち色めき立ち、エリジオは広間を一歩も出ることなく拘束された。
つまり弟は、逃げも隠れもしなかった、ということだ。
むしろ国に捕らえられることを望み、わざと黄帝の目の前で前代未聞の宣言をした。噂好きの貴族たちに己の生き様を見せつけ、国中にこの話を広め、黄皇国という巨大な存在を根本から揺るがすために。
「……牢につながれ、どれほど厳しい尋問を受けようとも、エリジオは己の意志を曲げなかったそうです。ゆえに陛下は彼と彼の一族の処刑を命じた。つまり──」
「オーロリー家は一族郎党、皆殺しにされたってわけか」
「……はい。幸い叔父はブランチ家の婿となっていたため、極刑を免れましたが……それもエリジオが死ぬ前に根回しをしていたおかげです。あの子は優しい子でしたから、きっと自分が巻き添えにしてしまう人を一人でも減らそうと力を尽くしたのでしょう。同時に遠く離れていながら、姉である私を守ろうと」
言いながら、トリエステは再びエリジオのペンダントを手に取った。そうして小さなロケットを開き、ほんの少しだけ色褪せた三人の肖像画へ目を落とす。
「あなた方に届けていただいた手紙には、ジェロディ殿と共に黄都を脱出し、国の追及を逃れなさいとしたためました。私はこれからフィロメーナの遺志を継ぎ、黄皇国を敵に回そうとしている。その事実が知れ渡れば、今度こそオーロリー家も無事では済まないだろうからと」
「だがエリジオは、逃げるどころかそんな素振り一つ見せなかった」
「ええ。手紙を読んだ瞬間に決めていたのでしょう、自分の死に場所を。あの子は長年黄皇国に仕え続けたオーロリー家の当主として、為すべきことを為したのです。そして自らの手で一族の歴史を閉じた。私がこの背に負うものが、少しでも軽くあるように」
エリジオの望みはただ一つ。
お前を自責という名の軛から解き放つことだ、トリエステ。
エリジオの行動の動機を、叔父はそう綴っていた。彼はオーロリー家取り潰しの責任を、自分一人で背負おうとしたのだと。
そして一族が滅びたのはトリエステが救世軍に奔ったためではなく、自らの行いが原因だと世界にそう思わせた。世間の嘲笑と迫害──そして親族全員を見殺しにするという未来から、愚かな姉を守るために。
「……このペンダントを受け取ったときから、こうなる予感はしていました。エリジオはフィロメーナに似て頑固なところがありましたから……一度言い出したら、聞かないんです。そして誰よりも家族を大切にする子だった。だからこれを私に譲ってくれたのでしょう。たとえ此岸と彼岸に分かたれようとも、自分たちは家族だと……そんな想いと覚悟を込めて」
「……」
「皮肉なものですね。本来真っ先に処刑されるはずであった私が生き延び、まだ若い妹や弟の方が先に逝ってしまった。私に力と決意があれば、救えたかもしれない命です。……それでもあの子たちは、私を許すと言うのでしょうか」
許される資格などありはしないのに。なのにフィロメーナは最後にトリエステを信じ、エリジオは命を賭して守ろうとした。彼らのその想いに応えなければならない、と思う。二人の死を決して無駄にはしない、とも。
けれど、分からない。自分はそうまでして信じるべき姉だっただろうか? 守るに値する姉だっただろうか? 私があの子たちに何をしてやれた?
たった一度、邪悪に染まった偽帝の手から彼らを守っただけ。肝心なときには傍におらず、みすみす死なせた。そんな姉を、どうして、
「それが家族ってもんなんじゃねえのか」
背後から聞こえた声に、はっとした。
だけど、振り向けない。エリジオのペンダントを固く握り締めたまま。
「利害関係とか理屈とか、そういうもんを抜きに結ばれるのが家族ってもんだろ。あいつがあんたの弟だったのは、あんたが損得勘定で選んだからじゃねえ。あいつがあんたの母親の腹から、あんたよりもあとに生まれた──理由なんてそれだけだ。だからこそ大切で、だからこそ守ろうとする。嘘も打算も、裏も表もなく結ばれる相手なんて、長い人生でもそうそう出会えるもんじゃねえからな。だったらそういう相手を守りてえと願うのは、人として当然のことだろう」
──ま、あんたらお貴族サマの世界はどうだか知らねえけどな。最後にそう付け足して、ウォルドは踵を返したようだった。気配が遠ざかっていくのが分かる。話しておきたいことがある、と言っていた件はもういいのだろうか。
あるいは、泣いている自分に気を遣ってくれたのだろうか。
涙が零れたことを覚られない自信は、やっぱりそこそこあったのに。
「ウォルド。あなたにもいましたか、そういう家族が」
だから少しだけ悔しくて、砦の外を向いたままトリエステは尋ねた。
するとウォルドは、束の間足を止めたようだ。
彼がどんな顔でこちらを振り向いたのかは知らない。
「さあ、忘れた。長く戦場にいすぎてな」
ウォルドはそう言い残すと、砦の中へ戻っていった。彼の足音が聞こえなくなったことを確かめてから、トリエステは涙を拭う。
……彼も大概嘘をつくのが下手くそだ。しかし後者の言葉は事実だろう。
ならばやはり、隊長の件は彼で決まりだ。賑やかで人当たりのいいカミラを副官につけてやれば、彼の巨躯が兵たちに与える威圧感も緩和され、高い効果が望めるだろう。
「……待っていてね。エリジオ、フィロメーナ」
銀のペンダントを握り締め、トリエステは再び空を仰いだ。
春風に吹かれた野花が揺れて、頷いてくれたような気がする。




