163.そして歴史は動き出す
男がライリーの知り合いだろうということは、直前の怒声と異装で知れた。
ほんの少し丈の短い脚衣に、藁のサンダル。腰帯で縛るだけのあの前開きの服は、ライリーと同じ倭王国の民族衣装だ。
だが彼は異様に殺気立っていて、髪と同じく赤みの強い茶色の瞳を血走らせていた。腰の短刀に手をかけた姿からは、燃え滾るような怒りを感じる。
「よう、なんだ、もう来たのか。早かったなァ、ロン」
ところがそんな彼の剣幕にも眉一つ動かさず、のんきな口調でライリーが言った。かと思えば彼は満足そうに口の端を持ち上げる。まるで悪巧みの成功を喜ぶ悪党みたいに。
一方、ロンと呼ばれた男は歯軋りが聞こえそうなほどいきり立ち、焼き殺さんばかりにライリーを睨んだ。歳はライリーと同じかちょっと下くらいに思えるが、今は鬼の形相と呼ぶにふさわしい顔つきをしている。
「何が……何が〝早かったなァ〟じゃ、腐れトンチキ! てめえ、ワシの工房を軍の連中に売りよったな!? おかげでシャーリーとマリリンを失う羽目になったじゃろうが! この落とし前はキッチリつけてもらうぞ!」
「はあ? 何の話だ? 知らねえよ、お前の工房なんて。だがそうか、ついにお前んとこも軍に取られちまったのか。そいつァ気の毒になァ」
「全然気の毒に思ってねえじゃろ、その顔は! 人を不幸のどん底に突き落としておいてニヤニヤしよってからに! だからイヤだと言ったんじゃ、てめえと組むのは!」
「おいおい、ロン。俺たちゃボルゴ・ディ・バルカで一緒に育った仲じゃねえか。んな連れねえことを言うなよ、工房なら島に新しいのをこしらえてやるからさ」
「そうやって無理矢理ワシを巻き込むつもりか……! ちくしょう……マウロも何だってこんなヤツを……!」
ロンは入り口に立ち尽くしたまま肩を落とすと、目元を押さえてうなだれた。しかし間に挟まれたジェロディたちはまったく話が見えず、余裕綽々のライリーと悲しみに打ち震えているロンとを見比べる。
「ちょ、ちょっとライリー、あんたあの人に何したの? 〝工房を軍に売った〟って……」
「別にィ? ただ最近ボルゴ・ディ・バルカで〝船大工のロンって野郎が反乱軍の幹部を匿ってる〟って噂が流れてな。だから軍も動いたんじゃねえの? ま、ちょうどそいつを抱き込みに行ったらすげなく断られたところだったんで、こっちとしては有り難えがな」
「ライリー、お前……」
ウォルドが呆れた声を上げ、ジェロディたちも揃って非難がましい視線を向けた。だって今の話はどこをどう聞いても、ロンに協力を断られたライリーが、腹いせに虚偽の噂を流して軍を動かしたとしか思えない。
おかげでロンは自らの工房を失い、ライリーに抗議するべくやってきた。事情を理解したジェロディは、申し訳ない気持ちでうなだれたロンを見やった。
中でもカミラなどは、ライリーの非道なやり方に腹を立てたようだ。彼女はみるみる眉を吊り上げると、改めて彼を睨みつける。
「ライリー、あんたね、私たちと同盟を組んだからには卑怯な真似はしないでって言ったでしょ? 説得できなかったからって軍をけしかけるなんてあんまりよ。しかもあの人は、あんたのせいで工房だけじゃなくて大事な人たちまで失ったのよ!」
「あ? 誰だよ、その〝大事な人たち〟って?」
「誰ってさっきあの人が言ってたじゃない、シャーリーとマリリンを失うことになったとか何とか……!」
「バァカ。そいつは人じゃねえよ。船だ」
「は?」
「ロンは昔から自分の造った船に女の名前をつける性癖があってな。シャーリーだのマリリンだのってのもそいつが造った船の名前だ。人間の女じゃねえ」
「いいや、そこの嬢ちゃんの言うとおりじゃ! ワシにとってシャーリーたちは恋人同然だったのよ! なのにあいつらはお前のせいで……お前のせいで……!」
「……」
「なるほど、対物性愛者か。こちらもヴィルヘルムほどではないが稀少な存在だな。今後この島で生活するのなら、いい研究対象になりそうだ」
「人をアレと同列に扱うな」
眼鏡を上げながら愉悦混じりに言ったラファレイに、ヴィルヘルムが怨念の籠もった一言を投げつけた。他方、一瞬でもロンを真面目に庇ってしまったカミラはと言えば、うなだれて深い後悔に苛まれているようだ。しかし彼女は悪くない……と、ジェロディも同情の眼差しを注ぐ。
「つーわけで、あいつは船大工のロンだ。性癖はともかく、野郎の造船技術は一級品でな。俺の零號を造ったのもあいつだし、小型の漁船から中型の輸送船まで何でも造る。さすがにトラモント水軍が使ってるような大型船となると話は別だが、あいつが島にいる限り、船は無限に増やせると思っていい。造船のための材料なんかはどっかから買ってくる必要があるがな」
「零號じゃねえ、キャサリンじゃ!」
ああ、そうか。船を増やそうと思ったら、まずは資金を貯めて地道に買い集めるしかないと思っていたが、船大工を仲間にしてしまえば材料を買い込むだけでいいのか──と、ジェロディはロンの主張を無視して感心した。
完成品の船を買うよりは、部材で買った方が断然安上がりなのは言うまでもないことだ。木材だけなら島の西側にある小山からも確保できるし、そうなれば船にかかる経費はだいぶ浮く。
ライリーがそこまで見越してロンを島へ呼び寄せたのなら、彼らしからぬ慧眼だった。救世軍はちょうどトラモント商工組合の重役であったリチャードを仲間にし、物資の供給ルートに宛ができたところだし。
「──おい、ロン! お前、命の恩人を置き去りにしてさっさと行くんじゃねえよ! お前がちゃんとわけを説明しねえから、ウチの舎弟どもが湖賊に囲まれちまったじゃねえか!」
ところがそのとき、ロンのものとは別の怒鳴り声が響き渡って、一同は目を丸くした。今さっきロンが姿を現した方角から、ドカドカと床を鳴らす足音がする。
現れたのは、灰色の髪と灰色の髭を蓄えた壮年の男だった。ウォルドやリチャードほどではないがそれなりに逞しい体つきをしていて、背中に長柄の鎌槍を背負っている。さらに後ろからひょこひょこと現れたのは、だいぶ小柄でひしゃげた鼻の男。全体的にぐしゃっと潰れたような顔立ちの彼は、何かに怯えるように抜き足差し足でやってきた。
そして彼らの姿を見るなり、カミラとウォルドが同時に「あ」と声を上げる。
「あ……あああああっ!? も、もしかしてゲヴラーさん!? パオロまで!」
「おお、赤髪の嬢ちゃん! そっちのでかいのは、えーと、ウォルドだったか? 二人とも、無事だったんだな!」
「そりゃこっちの台詞だ。しかしあんたら、なんでこんなところに」
どうやら二人は男たちと面識があるようで、カミラなどは矢のように彼らへ駆け寄っていった。そうしてゲヴラーと呼んだ灰色髪の男と久闊を叙すカミラを後目に、ジェロディは隣のウォルドを見上げる。
「ウォルド、あの人たちは?」
「お前らが救世軍に来る前、俺たちが竜牙山で助けた山賊だ。山賊っつっても義賊みてえなもんで、官軍に囲まれてたところを俺たちが助けたのさ」
「さ、山賊……!?」
「ああ。そこそこ歳がいってる方が棟梁のゲヴラーで、小せえ方がパオロっつったか。貧乏で飯が食えなくなった連中を養うために山賊になったって言ってたが、ゲヴラーは元々官軍の武術師範だったって話だぜ」
ウォルドの口から零れた予想外の単語に、ジェロディはますます目を丸くした。官軍の武術師範といったら軍の外部、つまり民間から軍に招かれる武術指南役のことで、よほどの武芸を極めた者でなければなれないものだ。
加えて指南役として招かれるからには、家柄や人柄、日頃の素行まで徹底して調査されると聞く。それらの審査を通過して師範に選ばれたということは、名実ともに一流の武道家ということだろう。
「だけどびっくりしました! ほんとになんで二人がここに?」
「おれたちだけじゃないさ。外にはあのときあんたらに助けてもらった舎弟どももいる。殴り込みに来たと誤解されて、今は湖賊に囲まれちまってるが……」
「ライリー! ゲヴラーさんたちは悪い人じゃないの、あんたの手下に言ってゲヴラー一味を解放してあげて!」
「まあ、そりゃ構わねえが、ゲヴラー一味ねえ……聞いたことのねえ一味だな。てめえほんとに山賊か?」
「あんたの噂は聞いてるよ、ライリー一味の棟梁殿。おれたちは山賊と言っても新参でね。山へ入ったのはマウロが官軍にやられたあとだ。だがあんたらが結成しようとしてた山賊連合の話は聞いてるぜ」
──山賊連合。以前トリエステが今は亡きマウロの策として話していたものだ。
打倒黄皇国のため、マウロとライリーが描いていた計画の一部。それを話題に出された途端、頬杖をついたライリーがぴくりと眉を上げた。
そんな彼の反応を威嚇と取ったのか、ときにパオロというらしい小男の方が、揉み手をしながら愛想笑いを貼りつける。
「い、いやあ、北の山賊、南の湖賊と言やあ昔から犬猿の仲ってのがお約束ですがね、あっしらは今回、あんた方との同盟を結びにやってきたんですよ。お、親びんは大山賊ファブロからマウロの親分の話を聞いて以来あの人の大ファンでしてね、そのマウロ一味を継いだあんたが救世軍のお歴々を匿っていらっしゃると聞きつけて、遥々こんなところまで……あっしはイヤだって言ったのに……」
「ってことはゲヴラーさんは、私たちがこの島にいることを知ってたんですか?」
「いや、それがまた紆余曲折あってな。おれたちはあんたら救世軍が官軍の攻撃を受けて散り散りになったと聞いてから、ずっとフィロメーナ様を探してたんだ。あんたらに助けられたとき約束したろう、救世軍が助けを必要としているときはいつでも駆けつけるってよ」
「あ。だ、だから私たちを……?」
「ああ。救世軍が力をなくしちまった今こそ、あの日の恩に報いるときだと思ってな。そしたらボルゴ・ディ・バルカで船大工をしてるロンって野郎が、救世軍の幹部を匿ってるって言うじゃねえか。だからおれたちはロンを訪ねたんだ。もしかしたら噂の幹部ってのは、フィロメーナ様のことかもしれねえと思ってな」
「じゃがちょうどこいつらが来たとき、ワシの工房は地方軍の御用改めの真っ最中でのう。やつら、家宅捜索だとか何とか言って船どもを乱暴に扱うモンでよ。ワシゃあついカッとなって兵士をぶん殴っちまって……」
「まさかそこをゲヴラーたちが助けた、とか?」
「ご名答。で、ロンから救世軍がいるのはライリー一味のところだと聞いて、一緒にここまで来たってわけだ。えーと、あの船、なんて言ったか……」
「ステファニーだ」
「ああ……そう、ステファニー号に乗ってな」
ゲヴラーは嫌々言わされているという感じだったが、それでもちゃんとロンに話を合わせるあたりに、ジェロディは彼の義理堅さを感じた。いや、そもそも一度救世軍に助けられた恩を返そうと東奔西走し、フィロメーナを探してくれていたという時点で彼の人柄は窺い知れる。
けれど、そのフィロメーナはもう……。
ジェロディは苦い気持ちでうつむき、次いでカミラを一瞥した。すると案の定彼女も気まずそうな顔をして、黙りこくってしまっている。
「で? 嬢ちゃんたちがこうして生きてるってことは、救世軍幹部は全員死んだって噂はやっぱりでっちあげだったんだろ? フィロメーナ様はどこにいる? あの方にももう一度、きちんとご挨拶しておきたいんだが……」
「──フィロメーナは島にはいません。彼女は現在官軍の追及を逃れるべく、島を離れて単独で行動しています。例の掃討作戦で拠る辺を失った仲間がまだ各地に散らばっていますので、まずは彼らの招集に向けて動いているところです」
と、ゲヴラーの問いかけに答えたのは、無表情を貫くトリエステだった。その答えを聞いたカミラがはっとしたようにこちらを向く。ジェロディも思わず息を詰まらせて、トリエステを顧みた。
「失礼だが、あんたは?」
「申し遅れました。私はトリエステ・オーロリー。この度救世軍軍師の大任を拝しました、総帥フィロメーナ・オーロリーの姉です」
「姉……!? フィロメーナ様にご令姉がいたのか……!?」
「腹違いではありますが。そしてこちらにいらっしゃるのが総帥代理のジェロディ殿。ジェロディ殿は生命神ハイムに選ばれた神子であり、不在のフィロメーナに代わって一時的に救世軍を預かっています。以後お見知りおきを」
「は、ハイムの神子だって……!? おいおい……ちょっと見ない間に、救世軍も色々とどえらいことになってるな」
未だ状況が呑み込めないのか、片頬を歪ませて笑うゲヴラーに、カミラも苦笑いを返していた。せっかく恩に報いようと駆けつけてくれた彼らに嘘をつくのは忍びないが、ここには事情を知らないピヌイスの民の耳もある。この状況ではフィロメーナの死を伏せるのは致し方ないことだろう。
「しかしゲヴラー殿、あなたは先程救世軍を助けにきたとおっしゃいましたね。そしてそちらにいるライリー殿と同盟を結びにやってきたとも」
「ああ。外にはおれが鍛えた弟子が百人いる。おれたちも官軍に追われる身の上だったもんで、手土産は己の武器と才覚くらいしかないが、戦いになれば少しはあんた方の助けになれるだろう。というわけで今日からおれたちを、救世軍の傘下に置いていただきたい。ライリー一味との同盟は、こちらに敵意がないことを示すためのもんだ。さっきパオロが言ったとおり、山賊と湖賊の間には色々と因縁があるんでな。形だけでも兄弟の契りを交わしておくべきだろう」
「だそうですが、ライリー殿?」
尋ねられたライリーは、未だ入り口に佇むゲヴラーたちを値踏みするような目で眺めていた。兄弟の契り……ということは、ゲヴラーもマウロとライリーのように〝義兄弟〟という形を取るということだろうか。
ジェロディは山賊や湖賊の機微というものに疎いからよく分からないが、「ヤクザ者」と呼ばれる彼らの間には独特の文化や流儀があると聞く。それを最もよく理解しているのはライリーだろう。彼はやおら頬杖を解くと、抱いた刀に右腕を絡めながら口を開いた。
「いいぜ。こっちが兄貴分でそっちが弟分って扱いでいいなら受けてやる。何たってこの島は俺らのもんだからな。余所者の方が格下の扱いになるのは道理だろ?」
「ええっ!? そ、そんな……親びんがあんな若造の弟分に……!? だから言ったでしょう親びん、ライリーはろくなヤツじゃねえって! こんなめちゃくちゃな盃は交わせねえですよ! ね? ね!?」
「いいや、おれも構わんぜ、ライリー。さっきも言ったが、これはおれの一味とライリー一味を和解させるための形式的なもんだ。第一、国ひとつぶっ倒そうってときに、どっちが上でどっちが下かなんてことにこだわってるようじゃ男が廃る。その盃、受けよう」
「決まりだな。よし、ジョルジョ、レナード、てめえらは外に行って野郎どもを大人しくさせてこい。ついでに宴の用意だ。二つの一味の棟梁が盃を交わすってんだから、祝いの準備をしろと全員に伝えろ」
「がってんだ、大将」
「じゃ、じゃあおれ、農園の方にも行って野菜の準備してくるね!」
あれよあれよという間に話が進み、ジョルジョとレナードは急ぎ足で食堂を出ていった。盃がどうとか兄貴分がどうとか、ジェロディにはいまいち理解できないが、どうやら話は決まったらしい。
「宴ですか……いいかもしれませんね。ジェロディ殿、我々はピヌイスからの同志を迎え、さらに今、ゲヴラー殿が率いる百人の勇士を味方につけました。ライリー殿とゲヴラー殿はこれから義兄弟の縁組みを結ぶとのことですから、それに合わせて新しい仲間を歓迎する宴を開いてはどうかと提案します」
「歓迎の宴……うん、確かにいいかもしれないね。宴を開けば、初対面の人同士が交流を深めるきっかけにもなる。ぜひそうしよう。みんなもいいよね?」
「おう、俺は酒が飲めるなら何だろうと大歓迎だ」
「ピヌイスであれだけ飲んだくれておいてよく言うよ……」
宴と聞くや否やニヤリとしたウォルドに、ケリーが呆れの言葉を投げかけた。するとマリステアが「ふふっ」と笑いを漏らし、つられた仲間たちも哄笑する。
こちらも話は決まった。今回はかなり大がかりな宴になるので、今から準備を始めて開宴は明日にしようと予定も立てた。
だったら自分が料理を手伝う、とカミラが名乗りを上げ、マリステアも続く。歓迎される側だというのに、マヤウェルも手を貸してくれるそうだ。
お前も手伝うか、とラファレイに問われたラフィが、頬を紅潮させて頷いた。
お前は手伝わないのか、とオーウェンにからかわれたケリーは、彼の足を思いきり踏んでいる。
食堂にオーウェンの悲鳴が響き渡り、またも皆の笑いが弾けた。
そんな仲間たちの笑顔を眺めて、改めて思う。
──僕ら、いい仲間になってきたな、と。




