162.集う仲間 ☆
「う、わあ……」
と、数日ぶりにコルノ島の桟橋へ降り立つや否や、ジェロディたちは驚きの声を揃えた。
いくつもの小舟が並ぶ桟橋の目の前には、どこまでも続く天幕、天幕、天幕。大きいものから小さいものまで、また寝床として四方を覆うものから天井代わりに張られたものまで、実に様々な天幕が並んでいる。その光景はさながら戦場の野陣みたいだ。
「おお、素晴らしいですな、これは。さながら天幕街とでも言いましょうか、毎年ソルレカランテで開かれる黄金市を彷彿とさせる活気と熱量──ここが救世軍の本拠地、コルノ島ですか」
と、すぐ後ろでリチャードが何やら感銘を受けているが、ジェロディたちもこんなものは知らない。しばらく島を空けていたら、いつの間にかこうなっていたというのが正直なところだ。
彼が『天幕街』と称した一帯には、大勢の湖賊たちがたむろしていた。救世軍がこの島に居を構えてまだ一ヵ月、ジェロディもすべての湖賊の顔を覚えたわけではないのだがそれにしても、何やら知らない顔が多いような気がする。
他の仲間たちも同じ感想を抱いたのか、互いに視線でやりとりしていた。天幕街の向こうに見える砦もいつの間にか木組みの足場に囲まれているし、ジェロディたちが島を出るときには未完成だった三階部分の修復も完了しているように見える。
これは一体どういうことだ、と、一行は状況が呑み込めず立ち竦んだ。すると無数の天幕の間を縫うようにして一人、歩み寄ってきた人物がいる。
「おかえりなさいませ、ジェロディ殿。ピヌイスでのご活躍は聞いています。ご無事のお戻り、何よりです」
「トリエステ……!」
亜麻色の髪を春風に乗せ、出迎えに現れた救世軍の女軍師は、主の帰還にうっすらと微笑んでいた。こうして見ると彼女もそこそこ背が高いなと思いつつ、ジェロディはトリエステの背後に連なる無数の天幕を一瞥する。
「た、ただいま、トリエステ。ところで後ろのアレは……?」
「ああ、彼らはラフィ湖の拠点にいたライリー殿のお身内です。今後砦の増築や農園の拡張に人手が要るので、あちらからすべて呼び寄せました。他にもライリー殿が方々の町から招いたお仲間も何名か」
「お、陸にも仲間がいたんだ……ライリー一味は元々五百くらいの勢力って言ってたけど、今は?」
「そうですね、まだ在島者の名簿を作らせている最中ですが、ざっと七百弱といったところでしょうか。ジェロディ殿が連れてきて下さった地方軍の離反者を合わせると、ちょうど七百になるくらいです」
「ずいぶん人数が増えたもんだな。まあ、大半は救世軍じゃなくてライリーの手下だが」
それでも、七百。元々この島にいた湖賊は全部で三百人くらいだったから、一気に二倍以上の数に膨れ上がったのかと、ジェロディはしばし茫然とした。
一行が背にしたリチャードの船からは、今も続々と新参の仲間が下りてきている。ピヌイス地方軍から離反した兵が二十名と、リチャードが説得して連れてきた織工数名、そして彼の店や屋敷で働いていた奉公人が十名程度。
加えてリチャード本人とその家族、医者のラファレイと助手のラフィを数えれば、こちらも四十人に届く大所帯だった。ピヌイスで救世軍に加わった者たちの名簿は、港で待機していた湖賊に頼んで先に届けてもらったから、トリエステも既に把握していることだろう。
「お元気そうですな、トリエステ殿。再びお会いできて光栄です」
と、ときに横から進み出たのはリチャードだ。かつてあのアラッゾ屋敷でトリエステと共に暮らしていたという彼は、嬉しそうに目尻の皺を綻ばせている。
そんなリチャードと向き合ったトリエステも、数瞬眩しそうに目を細めた。次いで彼女は手を差し出し、恩人と数年ぶりの握手を交わす。
「ご無沙汰しております、リチャード殿。その節は大変お世話になりました。長らく便りも出さなかった私の不義理をお許し下さい」
「なんの。この度あなたが救世軍の旗を掲げたと伺って、むしろ私は誇らしかった。よくぞご決断されましたな、トリエステ殿。これよりは不肖リチャード、あなたとジェロディ殿のために死力を尽くすと約束しましょう」
リチャードの骨張った大きな手は、がっちりとトリエステのそれを包み込んでいた。固く結ばれたその手を見るや、トリエステは束の間長い睫毛を瞬かせ、ほどなく淡い笑みを刻む。
「ありがとうございます、リチャード殿。私も全身全霊を賭して、あなたのご芳志にお応えする所存です。マヤウェル殿とマシューも、ようこそいらっしゃいました。こうしてまたお会いできたこと、喜ばしく思います」
「わたくしもですわ、トリエステさん。主人を立ち直らせて下さったこと、本当に感謝しております。これからはわたくしたちもご恩返しのつもりで、皆様のお役に立てるよう智恵を絞りますわ」
「いえ、リチャード殿を説得して下さったのは私ではなく、そちらにいるジェロディ殿ですから。それと……あなたがジェロディ殿の便りにあった、医師のラファレイ殿ですか?」
「ああ、そうだ。救世軍とやらに協力すれば、見返りとして好きなだけヴィルヘルムの体を触っていいというのでな。助手共々、しばらく厄介になることにした。よろしく頼む」
「その誤解を招きそうな言い方をやめろ……」
至極げんなりした様子のヴィルヘルムとは裏腹に、ラファレイは「何故だ、事実だろう」と完全に開き直っている。彼をぜひ救世軍の軍医にと説得したカミラは、責任を感じているのか気まずそうだった。何せたった今ラファレイが口にした言葉を最初に唱えたのは、他でもない彼女だから。
「こちらこそよろしくお願いします。後ろにいらっしゃるのがオーウェン殿ですね。オーウェン殿は正黄戦争のおり、一時偽帝軍に身を置いていたと伺いましたが」
「あ、ああ……だから、あんたのことはよく知ってる。オーロリー本家の長女、『深謀』のトリエステだろ? あんたはあの戦争のあと死んだと思ってた」
「ええ。しかしどういうわけだか、生き残ってしまったのですよ。正黄戦争では散々な結果でしたので、私がジェロディ殿の軍師というのは頼りないかもしれませんが、どうぞお手柔らかにお願いします」
「い、いやあ、こちらこそ……」
折り目正しく一礼されたオーウェンは、頬を赤らめながら頭を掻いた。が、そんな彼の鳩尾にケリーの肘鉄が炸裂し「うッ……」と呻く声がする。……たぶんオーウェンが美人に弱いのを知っていて、無言で釘を刺したのだろう。
「では挨拶も済んだところで、早速皆様を砦にご案内致しましょう。これから増築作業に入るところですので、まだ広間のような場所がなく、普段我々が食事をしている食堂へお通しすることになりますが……」
「それは構わんが、話が済んだら島の中を自由に見て回ってもいいか。取り急ぎ島内の衛生状態について把握したい」
「ええ、もちろんです。今後さらに人数が増えることが予想されますので、衛生上問題がありそうなところはぜひ先生にご指摘いただければと思います」
「だそうだ、ヴィルヘルム。終わったら貴様が案内しろよ」
「いや、俺はこのあと色々と忙しい。カミラ、代わりにレイの案内を頼む」
「えぇ!? 私!?」
「こいつを救世軍の医者にしたいと言い出したのはお前だぞ。責任は取れ」
「ハイハイ! じゃーオレもカミラと一緒に先生を案内しますんで、皆サマどーぞご心配なく!」
「いいや、お前は話が終わったら船の荷降ろしを手伝え、カイル。あの量の荷物を下ろすとなると男手が必要だ」
「えー!? そんなのそこにいる湖賊の皆さんにやってもらえば良くない!?」
「じゃあお前がライリーにそう頼むんだな」
「くっ……そうきたか……ならば、ジェロ……!」
「何が〝ならば〟なのか知らないけど、援護しないよ、僕は」
「何でだよ、薄情者!」
心外だな、と思いつつ、ジェロディは無視して歩き始めた。カイルはなおも後ろで何か騒いでいるが、誰も相手にしていない。気にしているのはラファレイの助手のラフィくらいだ。
しかし本人たちから聞いたわけではないものの、どうもウォルドとカイルの間にはピヌイス滞在中に何事かあったようだった。二人とも表向きは今までどおりの関係を続けているが、ウォルドがあからさまにカイルを煙たがっているのは明白だ。
と言うより、彼はカイルをカミラから遠ざけようとしている……ように感じる。カイルがカミラを構いたがるのは、今に始まったことじゃないというのに。
(船に乗ってる間に、ウォルドとも話をすれば良かったな……)
と、ジェロディは内心少し後悔する。ピヌイスからコルノ島までの移動時間は、新しく仲間に加わった兵士たちとの交流に使ってしまった。今回救世軍に志願したのは、若くして身寄りがないという兵士ばかりだったからだ。
彼らは既に失うものなど何もないと思ってついてきてくれたのだろうが、だからこそジェロディは彼らとしっかり話をしておきたかった。一人一人がどういう人間なのか把握し、絆を結び、いざ戦場に立ったとき、勢いに任せて無駄死にするような者が出ないように。
(兵士と親しくなりすぎるのは褒められたことじゃないって、ヴィルヘルムさんには言われたけど……)
軍主たるもの、戦場では兵士たちに「死んでくれ」と命じなければならないこともある。そういうとき、兵との絆が強すぎると決断がにぶることになる──とはヴィルヘルムの言だ。
無論、ジェロディとて分かっている。彼の言わんとしていることも、いつかそういう瞬間が訪れるかもしれないことも。
けれどすべて分かった上で、やっぱりジェロディはそうしたかった。大義のために駆けつけてくれた彼らの勇気に敬意を表したかったのだ。
そしていずれ彼らに死を命じるときがきたら、自分も血を流したいと思った。共に死ぬことはできなくとも、彼らとの友情を育んだこの心から。
「よお。ようやく大将のお出ましかい。思ったより留守が長かったじゃねえか。陸でヘマしてくたばったのかと思ったぜ」
とあまり嬉しくない出迎えの言葉をかけられたのは、食堂に入ってからのこと。そこには既にライリーとジョルジョ、レナードの姿があり、だらしなく足を組んだライリーは今日もまた、鍔なしの刀を抱くように肩へ立てかけていた。
その様子を見る限り、島の方は住人の数が増えたこと以外、特に異変はなかったようだ。トリエステはジョルジョに頼んで人数分の飲み物を用意させると、改めて皆の前で自分とライリーとを紹介した。
「ふむ。噂には聞いていたが、本当にマウロ一味を継いだのだな、ライリー。船商人マードックのところの放蕩息子とはお前のことだろう。家業を捨てて湖賊なぞに身を窶しているところを見ると、やはり道楽者が商人に転向するのは荷が重かったようだな。まったく、真面目に商売していたマードック夫妻が気の毒というものだ」
「来て早々偉そうな口を叩くんじゃねえよ、オッサン。これでも俺ァ親父が死んでからは真面目に商売してたんだぜ。そいつを台無しにしてくれやがったのは、てめえら商工組合の連中だろうが。言っとくが俺はてめえを信用してねえからな」
「な、なんてことをおっしゃるんですか、ライリーさん……! リチャードさまは確かにギルドの関係者でしたが、わたしたちのために私財を擲って駆けつけて下さったのですよ? 店もお屋敷も手放して来て下さったリチャードさまに、無礼な口をきかないで下さい!」
「ハッ、んなもん俺の知ったこっちゃねえ。世直しのために屋敷も財産も捨てたのは俺だって同じだ。言っとくがこの島の主はあくまで俺様だからな。てめえらは俺たちの好意に甘えまくって、間借りさせてもらってる身分だってことをよーく肝に銘じておけ」
「などと言っていますが、彼の発言は八割方無視していただいて結構です、リチャード殿。ライリー殿は天性のあまのじゃくなので、親愛の気持ちがいちいち悪態に変換されてしまうのですよ。というわけで今後、彼の非礼はすべて愛情の裏返しと思っていただければ間違いありません」
「トリエステ! てめえマジで一発シメられてえのか!?」
「遠慮します。では続いて、皆様のご到着前に砦内の部屋割りを決めておきましたので、そちらの説明に移りたいと思います」
ライリーの怒声をしれっと無視し、トリエステは皆が集まる卓の上に現在の砦の見取り図を広げた。ジェロディたちが留守の間に新しく用意したもののようで、汚れ一つないまっさらな紙面には、砦の間取りと仲間たちの名前が記されている。
「元々島にいた皆さんはお気づきかもしれませんが、つい二日前に砦の修復作業が完了し、第三層での起居が可能となりました。それに伴い、ジェロディ殿のお部屋を三階へ移そうと考えています。リチャード殿とご一家のお部屋はその隣としてありますが、ゆくゆくはご家族だけで過ごせる別塔をご用意させていただく予定です。オーウェン殿には、ケリー殿とマリステア殿の部屋の隣──つまり先日までジェロディ殿が使っていた部屋を。ラファレイ殿とラフィのお部屋はこちら、第二層の東側です」
「いや、ちょっと待ってくれ。図面では俺とラフィは別室ということになっているが、相部屋でいい。そうした方が何かと効率がいいんでな」
「えぇ!? 先生、ラフィちゃんとおんなじ部屋で寝るの!? 犯罪じゃない!? 犯罪だよね!?」
「ラフィ、麻痺毒の入った注射器を出せ」
「ハイ! スンマセンでした! 何でもありません!」
「じゃあ、ラフィの部屋になる予定だったここが空くってこと? だったらこの部屋を医務室にしちゃえばいいんじゃない? 本物の医務室は増築したあとに造る予定だけど、現状、病気や怪我をした人を安静にさせる場所がないし」
「いいアイディアだね、カミラ。私も賛成だ」
「ではそのように手配致しましょう。他にも寝台と、薬品を保管できるような棚をいくつか。机ももう少し大きいものが良ければ、あとで人をやって交換させます」
「他のメンバーの部屋は動きなし、だね。何なら僕も、今の部屋のままで構わないんだけど……」
「いいえ、そうはいきません。ジェロディ殿はライリー殿と対等な立場で同盟を結ばれたのですから、同じく最上階に部屋をご用意しなくては。こういった組織の中では上に立つ者ほど、立場を分かりやすく周囲に示さなくてはならないのです。まあ、ライリー殿と部屋が近いと色々迷惑を被りそうだというご心配は、私もお察ししますが……」
「誰もそこまで言ってねえだろ。てめえ、あとで覚えとけよ」
神妙な顔で辛辣なことを言うトリエステに、輪の外のライリーが青筋を立てた。が、トリエステはそちらを振り向きもせず、新たな情報をさらさらと図面へ書き込んでいる。……この二人は今後もこんな関係を続けていくのだろうか。まあ、気性の荒いライリーを適当に受け流してくれるトリエステの存在は、それはそれは頼もしくはあるのだが。
「だったらお前の部屋もこの機に三階へ移すべきではないか、トリエステ? 軍師という立場は救世軍の副帥にも相当するだろう。そのことを周囲に示すいい機会だ。どうせなら誰かと部屋を交換して……」
「いえ……お言葉は有り難いのですが、ヴィルヘルム殿。私の部屋の移動は物理的に不可能なので、今のままでお願いします」
「物理的に不可能?」
「はい。……要するに、書類が増えすぎまして」
「ああ……」
「移動で紛失しては困るものばかりですし、多少乱雑でもどこに何があるのか把握している今の状態が最も望ましいのです。構いませんか、ジェロディ殿?」
「もちろん、トリエステがそれでいいのなら。となるとあとは、ピヌイスから来たみんなをどう割り振るかだけど──」
「──ライリイィィィィィィ!!!!」
と、ジェロディが改めて身を乗り出し、図面を覗き込んだ瞬間だった。
砦内に突如絶叫が響き渡り、皆がびくりと飛び上がる。
何事かと振り向けば、食堂の入り口に誰か──いた。拳を握り締めたまま下を向き、ぜえぜえと肩で息をしている人物は、ジェロディたちの知らない男だ。
「ようやく……ようやくこのときが来たがよ。てめえにあいつらの無念を思い知らせてやれるときがな……!」
そう言って顔を上げた男の瞳は、激しい怒りに燃えていた。
彼は腰に短い刀を帯びていて、すかさずその柄へ手をかける。
一同の間に緊張が走った。
ただ、しどけなく頬杖をついたライリーだけが、すっと目を細めている。




