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14.ミトル・チ・マリ


 初陣にしてはよくやった、とイークは言った。あの巨体の神術使いをカミラが引き回したおかげで余計な損害を出さずに済んだから、というのがその理由だった。

 あのときカミラはどうにかあの鋼鉄兵を撒こうと必死で気づかなかったが、あれを引き連れ戦場を駆けずり回るという行為は、図らずも神術使いに対する陽動作戦──まあ、有り体に言ってしまえば囮だ──となって、神術による味方への被害を抑えることにつながったらしい。

 一緒に戦った救世軍の兵士たちも、一度戦場で生死を共にすると途端に友好的になった。皆がカミラを救世軍の仲間と認め、歓迎してくれた。

 けれどもカミラの心は晴れない。

 目を閉じると、今もあの鋼鉄兵の死に顔が(まぶた)(よみがえ)る。


(……家族はいたのかしら)


 あるいは、友人は。恋人は。そんな風に考え出すとキリがない。

 それにそんなことは今更考えたって(せん)ないことだ。

 だって彼は死んでしまった。カミラが殺した。死人は決して生き返らない。

 今頃彼の家族や友人は悲しみに暮れているのだろうか。

 彼を殺した相手(カミラ)を恨み、怨嗟(えんさ)の言葉を叫んでいるのだろうか。

 考えたくない。考えるだけで恐ろしい。だけどいつかこういうことにも慣れて、人の死について何も感じなくなってしまうことの方がもっと怖い。


「──カミラ」


 不意に名を呼ばれ、カミラはすっと瞼を上げた。

 ほのかに赤く照らされた地面の上を、黒くて丸い甲虫がせっせと歩いている。

 彼は産毛みたいに生えた下草を掻き分けて進むのに必死で、きっとすぐ横に寝転んでいるカミラの存在になど気づいてもいないだろう。

 だから、カミラを呼んだのは彼ではない。


「おい。起きてるんだろ」

「……。起きてるけど」


 なんでバレたんだろう。そう思いながらカミラはひとつため息をつき、のそりと上体をもたげた。風景の一部だと思っていたものが突然(うごめ)いたので驚いたのだろうか。先程の甲虫が慌ててカミラから遠ざかっていく。

 そこは白亜の町ジェッソから二五〇(ゲーザ)(一二五キロ)ほど東へ行った森の中。

 カミラたちはその森でジェッソを離れて三日目の晩を過ごしていた。

 カミラたち、というのは具体的に言うとカミラとイーク、そしてウォルドの三人だ。鬱蒼と茂る木立の中、身を起こして振り向いた先にはカミラが神術で(おこ)した焚き火があって、その左手に不寝(ねず)の番をしているイークが、右手に大鼾(おおいびき)をかいて寝ているウォルドの姿があった。カミラを呼んだのは無論イークの方だ。


「何か用?」

「ちょっと来い」


 手招きするでもなく呼ばれて、カミラは仕方なく薄い布を一枚布いただけの粗末な寝床を離れた。枕もとに置いていた愛剣を取って腰に差し、老いて倒れたのだろう、すっかり苔生(こけむ)した倒木に腰かけているイークの傍へ行く。

 低い声で夜鳥が鳴いていた。

 夏だからか、虫たちの声もカミラが郷を旅立った頃に比べていっそう賑わしい。

 カミラたち救世軍はあの戦いのあと二日だけジェッソに滞在し、速やかにかの地を離れた。ジェッソに二日留まったのは休息のためと、新たに仲間を募るためだ。

 黄皇国(おうこうこく)では第三十一郷区(きょうく)と呼ばれているらしいあの一帯で、数年に渡り悪政を布いていた郷守(きょうしゅ)。それを討ち滅ぼし、地方軍をも潰滅させた救世軍の名声はまさに日の出のごとしだった。

 ゆえにジェッソでは自分も救世軍に加わりたいという者があとを絶たず、イークはその中から即戦力になりそうな者だけを選び抜いて仲間に加えた。


 その仲間たちは現在、散り散りになって東を目指している。ジェッソにはもともと二百人程度の救世軍兵がいたようだが、それが三~五人程度の小団になり、バラバラに町を発ったのだ。どうして皆でまとまって行動しないのかとカミラが問うと、そうした方が黄皇国軍の目につきにくいだろ、とイークは答えた。

 もっと長くジェッソに留まっていればさらに仲間を募れたのにそうしなかったのも、モタモタしているとトラモント中央軍が駆けつける恐れがあったからだ。

 ジェッソの南にはオヴェスト城と呼ばれる中央軍の拠点があり、そこにはハーマン・ロッソジリオという名の大将軍がいた。

 まだ三十代の若い将軍らしいが、彼の麾下(きか)にはなんと二万もの兵がいるらしい。

 そいつらが大挙して押し寄せたらさすがに負ける、とイークは言った。

 今の救世軍にはまだ、中央軍とまともにぶつかるだけの力はない、とも。


 どうも救世軍というのはその評判こそ大きいが、実際は全国に散らばる仲間を集めても五千に満たない勢力らしい。片やトラモント黄皇国はいざとなれば二十万もの大軍を招集できる恐るべき軍事大国だ。

 それを聞いてカミラは怖じ気づきこそしなかったものの、軽く拍子抜けした。

 〝救世軍〟なんて仰々しい名前を名乗っているからには、既にトラモント黄皇国とも互角に戦えるような戦力を蓄えているのだろうと勝手にそう思っていた。

 むしろそんな状態で彼らに勝ち目はあるのだろうか。救世軍というのはもしかしたら、初めから勝算などない戦いを仕掛けているのかもしれない。

 だからイークはカミラの救世軍入りにあんなにも強く反対したのか。

 そう思うとカミラにもやっと事の重大さが分かってきた。


 ゆえにカミラも町を発つ直前、見送りに現れたミレナとジーノに会わなかった。

 本当はもう一度ちゃんと別れを告げたかったけれど、会えばジーノがまた興奮して、やっぱり自分も救世軍に入るなどと言い出しかねなかったから。

 ふたりのことはイークに頼んで適当に追い返してもらった。

 ジーノの方はそんな救世軍の対応に鼻白んでいた様子だったとか。

 もともと愛想というものが致命的に不足しているイークのことだから、よほどすげない対応をしたのだろう。おかげで私が恨まれるじゃない、と思う一方で、これで良かったのだともカミラは思っている。


「ほら」


 そんなことを考えながらイークの横に腰を下ろすと、早々に横から何か差し出された。見ればそれは銅製の小さな杯だ。中に入っている液体は何だろう。

 焚き火がチラチラと映り込んで、赤いようにも見えるし黄色いようにも見える。


「これ何?」

「酒だ」

「は? 私、お酒飲めないんだけど」

再誕祭(トラカティア)のとき飲んでただろ」

「そのあとぶっ倒れて朝まで起きなかったでしょ?」

「だからだよ。お前、ここしばらくまともに寝てないだろ」


 意表を()かれて、カミラは思わず「ぐうっ」と言いそうになった。

 幼い頃から付き合いがあるというのは厄介だ。

 ときとしてこんな風に見透かされたくないことまで見透かされてしまう。

 自分はあれ以来そんなにひどい顔をしていたのだろうか。そう思うと何となく居心地が悪くなって、カミラは受け取った杯を赧然(たんぜん)と覗き込む。


「……でも、私、見張り当番が」

「そんなのは俺とウォルドでやっておく。もともとお前がいなければ、こいつとふたりで帰ることになってただろうしな」

「イークとウォルドって、そんなに仲良さそうに見えないけど?」

「だからだよ。俺はこいつを信用してない。監視のために傍に置いてるんだ」

「監視?」

「ああ。こいつは素性がはっきりしない上に、時々思い出したようにいなくなる。本人は仲間探しの旅だとか何とか言ってるが、胡散臭いことこの上ない。おまけに自分の身の上について()かれるとはぐらかすしな。怪しいって言葉が筋肉つけて歩いてるようなもんだ」

「じ、じゃあなんでそんな人を仲間に入れたの?」

「知るか。フィロに訊け」

「フィロ?」

「フィロメーナ・オーロリー。俺たち救世軍を率いるリーダーだ」


 ──フィロメーナ・オーロリー。

 イークの口から紡がれた名前にカミラは目を丸くした。カミラはトラモント人の人名について詳しい方ではないが、名前の響きから察するにその人物は女だ。

 ということは救世軍というのは女によって率いられる軍隊なのか。カミラにはそれが意外だった。曲がりなりにも軍と自称するからには、ウォルドみたいな筋肉ムキムキの戦士が将軍のように君臨しているものだと思っていたのに。


「でもなんで女の人が軍のリーダーなんかに?」

「ああ、まあ、それにはまた色々と事情があってだな……話すと長い」

「気になる」

「だったらその話はまた今度だ。お前を寝かしつけるために呼んだのに、長々とくっちゃべってたら意味ないだろ」

「寝かしつけるって、人を子供みたいに言わないでくれない?」

「いいから、さっさと酒を飲んで寝ろ。さもないとそろそろ倒れるぞ。病人みたいな顔色しやがって」


 カミラを二度目の「ぐうっ」と言いたい衝動が襲った。けれど今度も何とかこらえた。病人みたいな顔色。果たして自分はこの五日間そんな顔をしていたのか。

 情けなくなって再び杯を覗き込む。小さな水面(みなも)に泣きそうな顔をしている自分が映り込み、さらに泣きたくなった。泣かないけど。


「だから言っただろ。生半可な覚悟で関わると後悔するって」

「別に後悔してるんじゃない。ただ……まだ受け止めきれてないだけ」


 呆れたようなイークの声色に反発したくて、カミラは語気を鋭くした。

 けれどそれも語尾へ向かうにつれ悄々(しおしお)と勢いをなくし、何よ、あんたはそこまで弱い女じゃないでしょカミラ、と自分を叱りつけたくなる。


「……だって、私、人を殺した」

「そうだな」

「できることなら、殺したくなかった……」

「……」

「そんなの無理だって、頭では分かってたわよ。きっとこうなるって分かってた。でも私、ずっと待ってたの。イークとお兄ちゃんの帰りを、この三年ずっと待ってた。なのに──」


 なのに人を殺めた。彼らにだってきっと帰りを待つ誰かがいただろうに。

 あの日以来カミラを打擲(ちょうちゃく)し続けているのはその事実だった。あの鋼鉄兵にだってきっと家族がいた。仲間がいた。恋人がいた。しかし彼は二度と彼らのもとへ帰れない。それを知ったときの家族の、仲間の、恋人の絶望。

 カミラにはそれが手に取るように分かるから苦しくて苦しくてたまらなかった。

 自分から救世軍に入ると言い出しておいて、何を甘ったれているのだと思う。

 誰も殺さずに済む方法がある、なんて思っていたわけじゃない。だけど。


「〝それが戦いだ(ミトル・チ・マリ)〟」


 支離滅裂で矛盾した理性と本心の狭間。そこに挟まれて身動きが取れなくなっていたカミラの耳に、なつかしい故郷の言葉が落ちた。

 ……なつかしい。もうそんな風に感じるほど故郷を出てから時間が経ったのか。

 カミラはわずかに顔を上げてイークを見やる。

 イークはただじっと目の前で燃える焚き火に視線を注いでいた。


「郷の大人たちが何かあるといつもこう言ってただろ。〝それが戦いだ(ミトル・チ・マリ)〟」

「……何も失われず、誰も傷つかずに終わる戦いなんてない」

「そうだ。〝そして人生とは闘争である。何も失われず、誰も傷つけずに終わる人生などない〟」


 覚えていた。それは確かにカミラたちの育ての親である族長トラトアニが、口癖のように唱えていた英雄(タリアクリ)の言葉だった。


「つまりそういうことだ。俺のお袋が死んだときも、お前の親父さんが亡くなったときも郷の大人はみんなこう言った。ミトル・チ・マリ、ミトル・チ・マリ……」

「……」

「で、そのあと必ずこう続く。〝そして戦いは続く(コンクィ・ティマニ)〟」


 そして戦いは続く(コンクィ・ティマニ)

 その言葉が耳に甦って、不覚にもカミラは涙ぐんだ。父が死んだ日。

 あの日、それを告げにきた族長(トラトアニ)がカミラと兄を抱き締め、繰り返した言葉。

 それは開き直れという教えではない。嫌なことは忘れろという教えでもない。

 喪失も痛みも全部抱えて、それでも生きよというあまりに峻厳な言葉だ。

 ──誰もがあなたみたいに強く生きられるわけじゃないのよ、タリアクリ。

 カミラはかつて故郷を拓いた英雄にそう言ってやりたかった。

 けれどそれは悲しくて悔しくてどうしようもないくらい圧倒的な、真理だ。


「戦士として生まれたからには、戦いは避けられない。そこで失うものも得るものも、全部背負っていくしかないんだ。生きてくってのはそういうことだ。死んで投げ出すのは簡単だが、それじゃ何のために殺したんだって話になるし」

「……イークは何のために戦ってるの?」


 思わず疑問に思ったことが口を衝いて出た。「あっ」と思ったときにはもう遅く、イークがちょっと虚を衝かれたような顔でこっちを見ている。


「あ、あの、だってほら、私たちはルミジャフタの人間でしょ? だから正直な話、黄皇国が滅ぼうが栄えようが、そんなのどうだっていいじゃない。そりゃもちろん、目の前でひどいことしてる連中がいたらほっとけないけど……でも、だからって、反乱軍にまで入ることはなかったんじゃ……」

「まあ、それは……話せば長い事情があってだな……」

「さっきからそればっかり!」

「事実なんだからしょうがないだろ。ただ、俺が戦う理由なら昔から変わってない。お前の親父さんに言われたんだ。〝その剣はお前のためじゃない、誰かのために使い続けろ〟ってな」

「……お父さんに?」


 今度はカミラが目を丸くする番だった。父が亡くなったときカミラはまだ十歳だったから、正直に言うと実はそれほど生前の父の記憶があるわけではない。

 だからイークの口から語られる父の言葉を何だか新鮮に感じた。

 小さい頃から必死で父の背中を追いかけていた兄はよく思い出を聞かせてくれたけれど、思えばイークが自分からその話をするのは珍しかった。


「お前は知らないだろうけどな。ああ見えてあの人、昔は相当ヤンチャしてたらしいぞ。それで族長とも仲が悪かったんだ。まあ、何だかんだで最後は和解したみたいだが……」

「ヤンチャって……あのお父さんが? まあ、確かにちょっと適当な人ではあったけど……」

「族長の話では、あれでずいぶん丸くなったらしいぞ。クィンヌムの儀に出る前は暇さえあれば流血沙汰を起こしてたとか、気に喰わない相手に決闘を吹っかけては郷から追い出してたとか……」

「う、嘘でしょ……?」


 カミラは信じられずに口の端を()()らせた。しかしどこか遠い目をしたイークの横顔が、決して冗談ではないことを物語っている。

 思わぬところで父の黒歴史を知ってしまった。少なくとも兄はひと言もそんなことを言っていなかったし、カミラの記憶の中にいる父はいつものほほんと笑っている人だったのに。何だか家族の中でひとりだけ騙されていた気分だ。ひどい。


「けどな、その親父さんが言ってたんだ。〝自分のプライドや名誉のために剣を振るうな。その剣はやがてお前たちを殺しにやってくる。それを恐ろしいと思うなら、剣は他人(ひと)のために振れ。その剣はやがてお前たちの誇りになる〟……ってな」

「……そっちの方がお父さんらしい」

「あの人の経験から出た言葉だからな。だから俺は今もあの人の言葉に従ってる。理由なんてのはそれだけだ。だったら、お前もそうすればいいんじゃないのか?」


 カミラは改めてイークの横顔を見た。イークの視線は動かない。

 ──他人のために剣を振れ。

 そう言われて、カミラは自分が初めて剣を握った日のことを思い出した。

 ルミジャフタでは基本的に女は剣を握らない。護身のために飛刀術を習ったりはするものの、それくらいだ。戦いは女の仕事じゃない。だけどカミラは自分も戦士になりたいと思った。郷を守るために戦い、ときに傷だらけになって戻ってくる兄やイークを見て、自分も誰かを守れるようになりたいと思った。

 ふたりのようになりたい、と思った。その片割れであるイークの横顔には戦士であることの誇りこそあれ、迷いや後悔は微塵もない。


「……なんか、ずるい」

「は?」

「イークだけ先に大人になっちゃって、ずるい」

「何だそれ。そもそもお前とは六歳も離れてるんだ、当たり前だろ」

「そうだけど、やっぱりずるい」

「あのな……もとはと言えばお前が子供すぎるんだよ。成人の儀(ザヨリン)だって済んでるってのに、何だってお前はそう──」


 と、言いかけて、イークは突然口を(つぐ)んだ。てっきりまたお得意の説教が飛んでくると思っていたカミラは、少し意外に思って彼を見やる。

 途端にイークは目を逸らした。その表情に、初めて悔悟の念が浮かぶ。


「……悪い」

「え? なんで?」

「いや。そういやお前の成人、祝ってやれなかったなと思って……」

「ああ、そう言えばそうね。嫌だわ、思い出しちゃったじゃない。祝ってくれる人のいなかった寂しい寂しい祝宴(ザヨリン)を」

「……」

「なんてね。嘘。あのときは族長たちが一緒に祝ってくれたから平気。見せてあげたかったけどねー、私の華麗なる晴れ着(ケチョリ)姿を」

「自分で言うな。まあ、エリクなら泣いて悔しがるだろうが。あいつ、誰かが成人するたびに〝早くケチョリを着たカミラを見たい〟ってうるさかったしな……」

「じゃあ、お兄ちゃんには私が結婚する前に戻ってきてもらわないとね。他にケチョリを着れるのは祝言のときと死んだときだけだし」

「……結婚するのか、お前?」

「しないけど。子供の頃、将来はお兄ちゃんのお嫁さんになるって約束したから」

「真面目に訊いた俺が馬鹿だった」


 心底くだらないことを訊いたと言いたげに、イークはそっぽを向いてしまった。

 けれどもカミラは知っている。今、イークは一瞬ドキッとした。自分たちが郷を空けている間に、カミラに好い仲の相手ができたのかと慌てたのだ。

 それが可笑しくて可笑しくて、してやったりとカミラは笑った。何でもお見通しなのはカミラだって同じだ。一方的に見透かされるだけなんてフェアじゃない。

 ちょっとした仕返しが成功して、カミラは上機嫌に杯へ口をつけた。

 そして途端にびっくりする。甘い。これは本当に酒か? というくらい甘い。

 だけどほのかに酒の風味もする。不思議だ。


 このときカミラは知らなかったが、ルミジャフタ郷でよく飲まれているあの黄黍酒(チチャ)という酒は相当キツい酒らしく、どれくらいキツいのかというと、知らない者が飲んだら一発でひっくり返るくらいキツいのだという。

 だから郷の外ではこれくらいの酒が普通なのだとか。

 このときカミラが飲んだ酒は蜂蜜酒という、その中でも特に甘い酒だった。

 だけどこれくらいならカミラでも飲める。

 むしろ飲みやすくてグイグイいってしまいそうだ。

 ──お兄ちゃんにも飲ませてあげたい。

 直前までエリクの話が出ていたから、カミラは不意にそんなことを思った。

 そしてふと酒を運ぶ手を止める。早速酔いが回ってきた。

 頭がぼんやりとして、瞼が重くなってくる。


「……ねえ、イーク」

「何だ?」

「お兄ちゃん……無事でいると思う?」

「当たり前だろ。あいつがお前を遺して死ぬようなタマか」


 そんなことになったら化けてでも帰るだろうし。

 イークが呆れ顔でそう言うのを聞いて、カミラは少し安心した。

 そうしてふふっと小さく笑い、目を閉じる。焚き火の赤が瞼の裏にチラついた。その揺らめきが少しずつ、少しずつ、カミラを眠りの底へと(いざな)っていく。


「そうね。きっとそうだよね……」


 そう呟いたのを最後に、カミラの意識はぷつんと途切れた。

 心地良い暗闇が真綿のようにカミラを包み、こてんとイークに撓垂(しなだ)れかかる。


「いてっ。おい、カミラ、寝るなら寝床の上で──」


 最後にそんな文句が聞こえた気がしたけれど構わなかった。虫の歌と夜鳥の声とウォルドの鼾、そしてイークのため息が聞こえる夜は、何だかとても暖かかった。



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