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148.必ず守る

 もがけばもがくほど、魔物の爪が鋭く肌に食い込んだ。

 首の後ろから血が流れているのを感じる。傷が熱い。危機感を覚える熱さだ。これはたぶん、瘴気にまみれた異物に皮膚を裂かれ、体が警鐘を鳴らしているから。

 しかし冷静になろうにも、まったくもって息ができない。魔物の体格は優にカミラの二倍はあって、ひとたびかの者の手に収まれば、人間の首などちょっとした枝切れみたいなものだ。


 このまま首を折られるのか、と思った。何とか神術を発動させようとするも、魔物の黒い尻尾がカミラの右手に巻きついて、罰焼けみたいな痛みが走る。

 声にならない悲鳴を上げた。右腕がビリビリと痺れて持ち上がらない。激痛が走る間際、魔物が何か唱えたようだが聞き取れなかった。たぶんカミラの知る人語ことばではなかったのだろう。


「抗うな、同志よ。我々はうぬを待っていた。いま楽にしてやるから、少し待て」


 ……同志? 〝同志〟だって?

 ふざけるな。自分は魔物と仲良くなった覚えなどない。

 人を襲い、肉を喰らい、大地を瘴気で穢す連中を仲間と呼ぶくらいなら、まだカイルをそう呼んだ方がずっとマシだ。


理を結ぶクリャースツァこの者にブラゴス・始祖の祝福をロヴィ・イェイェ


 何とか呼吸を試みようとして、「あっ……かっ……」と無意味に喉を鳴らした。魔物を振りほどきたいのに、唯一自由のきく左手も痙攣を始めている。


 苦しい。苦しい。苦しい――助けて。


栄えあれウーラ・プラウダ


 またも魔物が何か唱えて、突如右手を振り上げた。今度はあの黒い爪で引き裂かれるのかと思ったが、違う。

 一体何を血迷ったのか、喋る魔物は唐突に自らの右腕へ噛みついた。人を喰らうために発達した牙は魔物の肉にも易々と食い込み、ボタボタと黒い血が溢れ出す。

 何だか視界がぼやけてきた。もう体も言うことを聞かず、全身が弛緩して、意識も点滅し出している。魔物はそんなカミラの顔に、そっと右腕を近づけた。空気を求めて開いた口に、次々と零れる己が血を、


「――!」


 刹那、魔物が飛びのいた。今にもカミラの口に落ちようとしていた魔血は刃に裂かれ、剣圧で吹き飛んでいく。

 気道が解放されたことで、カミラはにわかに覚醒した。全身を使って息を吸い、両手で喉を押さえながら、骨が軋むほどに咳をする。

 新鮮な空気が喉につかえた。しかし呼吸はできている。

 苦痛が許容量を超えたためか、はたまた生きている喜びゆえか、自らの意思とは関係なくぼろぼろと涙が溢れた。震える体を何とか支え、花びらまみれになって見やった先には、カミラを庇って立ちはだかったヴィルヘルムの姿がある。


「ヴィ……ヴィル……」


 彼の名を呼ぼうとしたが、声が掠れて無理だった。

 両手で剣を構えたヴィルヘルムは、宙に浮かぶ魔物と睨み合っている。彼の外套を揺らしているのは無音の風か、それとも燃えるように立ち上る彼の殺気か。


「ほう。思ったより速いな、人間」

「……」

「いや、兄弟・・と呼ぶべきか? さっきからにおっていたのは汝だな。他にも同族が来ているのかと見に来てみれば、とんだ珍客がいたものだ」

「魔族がこんなところに何の用だ」


 尋ね返したヴィルヘルムの声は、地を這うように低い。明確すぎるほど明確な憎悪と怒りが滲んだ声に、図らずも寒気がする。


「なあに、呼ばれた・・・・のよ。何でも今宵此処には神子が来ているそうではないか。テヒナ――汝らが〝神〟と呼ぶ存在は、滅さなければ」

「生憎とその神子も俺の知己だ。貴様らに手出しはさせん」

「ふふ、戯けたことを。汝とてこちら側・・・・の存在であろう。今更人間ぶるのはよせ。欲望に忠実になるがいい」

「俺は人間だ。神でも魔物でもない、人間として生き、そして死ぬ」

「果たしてそうかな? ならば我が直々に――確かめてやろう」


 虚空で魔物のが光った。赤く不気味な光が地上のヴィルヘルムを捉え、促すような瞬きを見せる。

 直後、ヴィルヘルムが眼帯で覆われた左目を押さえた。かと思えば彼はいきなり体勢を崩し、呻きながら膝を折る。


「ヴィル……!?」


 ようやく声も体も回復したカミラは、素早く剣を抜き放った。ヴィルヘルムの身に何が起こったのか確かめようと、地を蹴ったところで怒号が飛ぶ。


「来るな……!」


 片膝をつき、左目を押さえたままのヴィルヘルムが、にわかに剣を振り抜いてきた。カミラは慌てて切っ先を弾き、反動で二、三歩あとずさる。


「ちょ……!? ちょっと、ヴィル……!?」

「フハハハハハ! いいぞ、その調子だ! 本能のままに動け! 殺せ! 汝は血を求めているはずだ! 神の青でも魔の黒でもない、人間の赤を!」

「ち……がう、俺……は……」


 一体何が起きているのか、カミラにはさっぱり分からなかった。

 ただ一つはっきりしていることは、ヴィルヘルムが苦悶の表情を浮かべ、必死に何かに抗っていること――

 ヴィルヘルムのあんな顔を、カミラはこれまで見たことがなかった。額からは大量の汗が吹き出し、呼吸も大きく乱れている。とても戦える状態じゃない。


 だったら、自分が。


(応えて、火刻フレイム・エンブレム……!)


 さっき魔物の尻尾に絡め取られた右腕に意識を集中する。敵はあれだけ高く飛んでいるのだ、神術がなければ戦えない。

 拳をきつく握り締めると、火刻が淡く熱を帯びた。――イケる。どうやら先程のアレは罰焼けではなかったらしい。

 火刻の反応がいつもよりややにぶいような気もするが、使えないわけではなさそうだった。早速祈唱を紡ごうと息を吸う。


 ところが瞬間、魔物の視線がカミラを向いた。


 まるで神気の流れが見えているかのように。


捕らえろラヴィーチ胎樹よリューリカ


 足元から、ボゴッと奇妙な音がした。

 何だと思い下を向けば、突如地面から黒い触手のようなものが飛び出してくる。

 驚きのあまりとっさに回避したが、それ・・の動きは想像を絶するほどに速かった。カミラはあっという間に足首を絡め取られ、体勢を崩した拍子に触手が全身へ巻きついてくる。


「なっ……何なの、これ……!?」


 ひどい瘴気の臭いがした。魚の腐ったような悪臭が肺を満たし、吐き気が込み上げてくる。どうやら触手は瘴気の塊であるようだ。

 逃れようと暴れたが、硬い。肌に当たるざらついた感触は、どことなく樹皮を彷彿とさせる。ということはこれは、触手というより樹の根、なのか――?


 仮に樹木の類だとすれば、燃やしてしまえる。カミラはもう一度神刻エンブレムに力を込めようとした。しかし途端に体をギリリと締め上げられ、骨が砕けそうな痛みに悲鳴を上げる。左手に力が入らず、思わず剣を取り落とした。

 まずい、と思ったときには、足が地面を離れている。黒い樹の根はズルズルと嫌な音を立てて伸び、眩暈がするような高さまで持ち上げられた。まったく身動きの取れないカミラは、まるで哀れな生贄のごとく、再び魔物の眼前へと供される。


「苦しそうだな、カミラ。だから抗うなと言った。汝らでは魔族ムドリェーツたる我には敵わぬ。無駄な望みは捨てよ」

「あ……んた、どうして、私の、名前――」

「言ったであろう、我々は汝を待っていた・・・・・と。今の汝ならば授血アブリャートの苦痛にも耐えられるはず。我と共に来い、カミラ。汝をテヒナの呪いから解き放ってやる」


 毛むくじゃらの腕を組み、至極偉そうに魔物は言った。しかしところどころ魔物の言葉?が混ざるせいで、何を言っているのか要領を得ない。


(なんで私が、魔物なんかと一緒に、行かなきゃ、なんないのよ……!)


 この高さから落ちたら無事では済まないと分かっていながら、カミラは最後の抵抗を試みた。しかし黒い樹の根がきつく肌に食い込んで、もがいた分だけ痛みも激しくなる。

 そろそろ骨の一本や二本は折れても不思議じゃなかった。ついに呼吸すらままならぬほど締め上げられたカミラは喘ぐように息をして、眼下の彼へ呼びかける。


「ヴィル――」


 自分のものとは思えないほど弱々しい呼び声が、彼に届いたのかどうかは分からない。


 だが魔物の手が再び迫ってくるかに見えた刹那、ザンッと樹の根に衝撃が走った。天高く伸びすぎて、もはや一本の樹のようになったそれがぐらり、ゆっくりと傾いでいく。


「チッ」


 魔物の舌打ちが聞こえた。その舌打ちを合図としたかのように、カミラを縛りつけていた樹の根がほどけ、粉々に霧散する。

 そうして身一つとなったカミラが地面に叩きつけられようとした瞬間、横から疾風のごとく飛んできたヴィルヘルムが、しっかりと両腕で抱き留めた。

 あの高さから落下してきた衝撃はさすがにすさまじかったようで、ヴィルヘルムも膝をつく。けれど腕の中から見上げた彼の顔はもう、苦痛にまみれてはいなかった。


「ヴィル……ごめん、私――」

「いいや、気に病むな。アレとまともにり合える人間の方がどうかしている。魔族と対等に渡り合う手段は一つしかない……」

「どうすればいいの、」

「やつの狙いはお前だ。ここにいろ。アレの前では神術も役に立たん」

「でも」

「これを持って、いざとなったら中身を撒け。一度だけなら身を守れる」

「ヴィル」

「俺はマナに誓った。お前を守る。必ず」


 本格的に頭がパンクしそうだった。あの魔物もヴィルヘルムも何を知っていて、何をしようとしているのか全然分からない。

 けれどわずかな月明かりが、ヴィルヘルムの額に浮かんだ汗に反射していた。彼が魔物に何かされたことは確かで、たぶん体が万全ではないのだ。

 だから自分も戦うと言いたかったのに、ヴィルヘルムはカミラに何か押しつけると立ち上がった。彼が握らせていったのは、水晶を刳り抜いて作ったような美しい小瓶だった。


「フン、まさか我が術に耐えてみせるとはな。見直したぞ、人間」

「今夜は月の光が弱い。貴様らの思いどおりにはならんさ」

「クク……その意気や良し。ならば汝の蛮勇に敬意を表し、我が直々に相手をしてやろう。我が名はクルデール、魔王ガロイの意思を継ぐ者なり……!」


 魔物が月に向かって吼えた。かと思えば彼は頭を下に向け、矢のような速さですっ飛んでくる。手中にゆらりと立ち上る瘴気。黒い煙は揺れながらつるぎの形を取り、次の瞬間、ヴィルヘルムのそれと激突した。

 先程の黒い根がそうだったように、あれも瘴気を濃縮し固形化したもののようだ。急降下の勢いに押されたヴィルヘルムはザザザザザッと地面を滑り、吹き飛ばされそうになったところで自ら後方へ飛びのいていく。


 クルデールと名乗った魔物が翼を操り、空中でくるりと回転した。地面と水平に錐揉みして突っ込んでくる彼を、再びヴィルヘルムの剣が迎え撃つ。

 そこから先の二人の攻防は、カミラでさえも目で追えなかった。闇の中でいくつも火花が散っているのが見えるので、すさまじい数の斬撃が繰り出されていることは間違いないのだが、まったくもって太刀筋が見えない。そんな己の未熟さが呪わしくなるほどだ。


(だけどやっぱり、ヴィルの方が押されてる……!)


 あのヴィルヘルムが劣勢に陥るなんてにわかには信じられないが、事実彼はクルデールの猛攻を受け、じりじりと後退していた。魔物は尻尾までもを巧みに使い、ヴィルヘルムを追い詰める。

 魔剣を弾いたヴィルヘルムの横腹に、先端の尖った魔物の尾が突き刺さった。「ぐっ……」と呻き、彼が動きを止めた一瞬の隙を狙い、クルデールが大きく魔剣を振りかぶる。


(ダメ……!!)


 ヴィルヘルムが討たれる。そう思ったカミラは地を蹴って立ち上がった。手の中の小瓶がたぷんと音を立てたが、これはまた別の機会に使うことにして、一旦物入れの中へ押し込める。

 駆けながら左手で飛刀を抜いた。左腿に巻きつけた鞘から引き抜くと同時に、流れるような動作で投げつける。

 そこそこ距離はあったものの、的が大きくて助かった。闇を裂いて飛んだ飛刀はクルデールの右肩に突き刺さり、魔剣が空中で静止する。


「小癪な――」


 そのわりには痛みなど感じていないかのように、魔物がこちらを振り向いた。

 しかし彼の狙いがカミラへ切り替わる寸前に、ヴィルヘルムが刃を突き入れる。魔物は空中で仰け反った。コウモリのように潰れた鼻の先を、ヴィルヘルムの剣が掠めていく。


「カミラ、離れろ! さっきも言ったがこいつの狙いは……!」

「分かってるけど嫌よ! 何もしないでただ守られるだけなんて!」

「お前は事の重大さを分かってるのか……!?」

「そっちこそ怪我してるくせに馬鹿言わないで! 絶対に死なせないんだから……!」


 意地になって叫び返し、カミラは二本目の飛刀を抜いた。だがこちらが狙いをつけるよりも早く、魔物がヴィルヘルムの剣をかわして飛び上がる。

 あんなに高く飛ばれたら、いくら飛刀を投げたところで届かない。カミラはきつく切歯した。もう一度神術を試してみてもいいが、やっぱり上手くいかない気がする。


 恐らくあの魔物――そう言えばヴィルヘルムは〝魔物〟ではなく〝魔族〟と呼んだ――は神術使いのように、神気の流れを感知することができるのだろう。だからこちらが神術を使おうとすると妨害してくる。神の力は魔界に属する者にとって劇毒に同じ。ゆえに使われる前に防ごうと。


 だったら、とカミラは地面に目を走らせる。

 とにかくまずは、先程落とした自分の剣を回収したい。

 美しかった庭園は、今や魔物との死闘で見る影もなくなっていた。これは庭師が泣くだろうな――とほんの一瞬場違いなことを考えていたら、頭上でクルデールがぼそりと言う。


疼けヴォレット


 またもヴィルヘルムが呻くのが分かった。はっとして振り向けば、剣を地についてやはり左目を押さえている。

 あの眼帯の下には何かある、と思ってはいたが、恐らくその〝何か〟が彼を苦しめているのだろう。カミラは今すぐ駆け寄って、彼の肩を支えたかった。しかし今は感情を殺して走り出す。ヴィルヘルムがいるのとはまったく逆の方向へ。


「ほう。あの男を守るつもりか、カミラ?」


 すぐ耳元で声がした。刹那、カミラは前方へ向かって跳び、後ろから突き出されたクルデールの爪を躱す。

 やわらかい芝の上を転がり、起き上がりながら手を伸ばした。剣。掴むと同時に、携えていた二本目の飛刀を投げつける。


 クルデールはいともたやすくその反撃を回避した。この魔物はこちらの動きなど十手先まで見通していそうで腹が立つ。

 だがヴィルヘルムは言った。こいつの・・・・狙いは・・・自分だ・・・と。

 それが本当なら、少なくとも殺される心配はない。クルデールは何故だかカミラを連れ去りたがっている。殺して喰らいたいのなら今ここでそうすればいいだけの話だ。


 つまりそうしないということは、やつは何らかの理由で、自分を生かしたまま捕らえたいと考えているということ。


 ならば、


「テオ・エシュ・ネクシオ――」


 クルデールとの距離はおよそ七歩。そんな距離、やつの翼があれば一掻きだと分かっていながら、敢えて火刻に神力ちからを溜める。

 案の定、やつは反応した。瞬時にカミラとの間合いを詰め、先程花壇の上でそうしたように、火刻が刻まれた右腕へ尻尾を巻きつけてくる。


「うぅうっ……!」


 雷の中に自ら手を突っ込んだような激痛が走った。カミラは痛みのあまり膝を折り、そのまま右腕を持ち上げられる。

 クルデールの尻尾はあたかも第三の腕のようで、細いくせに大した力を持っていた。カミラは右手を上げた間抜けな姿勢で宙吊りにされ、切れ切れに息をつく。


「無駄だ。何故気づかぬ? 我の前では神刻などおしなべて無力だと」

「無、駄かどうか、は、あんたが決めることじゃ、ないわ……!」

「ほう?」

「あんたの尻尾は長いけど――」


 カミラはキッと顔を上げ、目の前の醜悪な化け物を睨み据えた。

 同時に思いきり体を拈り、魔物の腹へ狙いをつける。

 勢いを乗せ、左手の剣を突き出した。

 銀色に閃く切っ先が、吸い込まれるようにクルデールの腹部を貫いていく。


「そんな念入りに巻きついてちゃ、リーチも短くなるわよね」


 カミラの剣は鍔のあたりまで魔物の腹にめり込んだ。

 途端にどす黒い血が溢れ、クルデールが目を見張る。

 かと思えば彼は突然絶叫し、大きく尻尾を振り抜いた。

 おかげでカミラは吹き飛ばされ、立派に育った庭木の幹に全身を打ちつける。


「おのれ、どこまでも小癪な……! さすがはテヒナを欺きし一族の娘! 汝も一筋縄ではゆかぬということか……!」


 痛みに息を詰まらせながら、どうにか肘をついて体を起こした。視界の端で、黒い血にまみれた自分の剣がぞんざいに投げ捨てられるのが見える。

 そのときカミラは思い出した。さっきヴィルヘルムがくれた小瓶。今こそあれを使うべきだと、腰の物入れに手を伸ばす。

 ところが直後、左腕を思いきり踏み抜かれた。ついでに頭も押さえつけられ、頬が細かい砂にまみれる――抗えない。


「だが残念だったな。我はこの程度の傷ではたおれぬ。汝は何としても魔界(ヴァセ=ボガ)へ連れてゆくぞ、カミラ」

「う……くっ……! あ、んた、なんで、そんなに、私を……!」

「知りたいか? ならば大人しく我が血を飲め。さすれば何もかも教えてやる。汝の父が何故死んだのかも、兄が帰らぬ理由も、汝自身がこれから辿る運命も」

「え――」

「疑いはしなかったか? 七年前のあの晩、どうして己の父だけが郷で命を落としたのか。かつて正義の神子に仕え、『雷雄らいゆう』とまで呼ばれた男が、なにゆえただの賊ごときに無惨な敗北を喫したのか」

「どう、いう……」

「答えは簡単だ。汝の父を殺したのは、賊などではなかったのよ。カミラ、汝の父親は、愛する娘を守るために――」

「――やめろ!!」


 突風が吹き抜けた。

 頭上の月と同じくらいニタリと笑んだ魔物の腕が、唐突に吹き飛んでいく。

 同時に頭が軽くなり、カミラは反射で飛び起きた。するとそれまでカミラが倒れていた場所に、太い体毛で覆われた魔物の腕が降ってくる。


「ォォォォォォオオオオオオオオオオオ!!」


 再び絶叫がこだました。飛刀を受けても腹を刺されてもピンピンしていたクルデールが、黒い血の噴き出す左肩かたを押さえて大袈裟に仰け反っている。

 カミラはその隙に短剣を抜いた。けれど柄にもなく腰が抜けて、叫ぶ魔物を凝視することしかできなかった。

 今の風は――神術?

 しかしもしそうなら、クルデールが事前に気づかぬわけがない。


(だったら、今のは……)


 首から下はまったく自由がきかぬまま、カミラは頭だけで風の来た道を顧みた。

 そこにはヴィルヘルムがいる。

 肩で息をしながら剣を構え、隻眼に憎悪を燃やしている。


「ぎ、貴様……貴様ァ!! さてはつるぎに、逆神の術ヴァスタニエを仕込んでおったか……!!」

これ・・を貴様らの言葉で何と呼ぶのかは知らん。だが俺の一族はこう呼ぶ――咒武具ヘクセライとな」


 言って、ヴィルヘルムが何もない宙空を斬った。その一振りによって生まれた風の刃が、それこそ三日月の形を取って魔物へと突っ込んでいく。

 手負いのクルデールに回避する術はなかった。

 瞬時に飛び立とうとした彼を、風は真っ二つに斬り裂いた。

 クルデールの体は束の間棒立ちしたかと思うと、やがて左右へ分かたれていく。

 もしもこの場にジェロディがいたならば、きっとこう言ったことだろう。


 ――同じだ。影人チェーニ・ムーシを斃したあのときと。


「終わっ……た……?」


 茫然と座り込むカミラの目の前で、クルデールの死骸は黒霧きりへと変わり始めていた。


 細い細い月の下、ヴィルヘルムが膝をついた音がする。



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