13.そこは戦場
カミラの剣は、速さが売りだ。ウォルドのような力押しでガンガンいくタイプをパワータイプと表するならば、カミラはスピードタイプということになる。
だからその速さを殺さないために、装備は比較的軽めのものにした。
鎧なんて今まで身につけたことがなかったから、初めての戦で不慣れな格好をしてモタモタしたくなかったのだ。イークに頼んで見繕ってもらったのは、二本の革帯で腕に固定するタイプの銅製の甲手。それから胸の部分だけを覆う革の胸当て。
これは先程ウォルドが薙ぎ倒した兵士の兜とは違い、作成過程で蜜蝋により煮込まれている。だから叩けばそこそこの厚みを持った木の板みたいに硬い。
ただ救世軍には女の戦士がほとんどいないというので、渡されたのは男用のそれだった。そこには胸を収めるための膨らみがなく、仕方ないのでサラシを巻いて胸を潰し、その上に胸当てをつけている。
しかしこれがまあ結構苦しい。カミラは胸があるかないかと言われたらそこそこある方なので、気合いを入れてきつめに巻いたのがいただけなかった。
おかげでちょっと走るとすぐ息が切れる。眩暈がする。ひょっとすると吐きそうだ。ああもう叶うことなら今すぐ胸当てもサラシも脱ぎ捨てたい。
防御力とかどうでもいい。だって、じゃないと、
「あぁあぁぁあっ!?」
カミラは再び地を蹴って前方に飛び込んだ。そこへ降ってくる斧、斧、斧。
敵味方入り乱れて戦う戦場を、カミラはひとり逃げ回っていた。何せあの鋼鉄兵が執拗にカミラを追いかけてくるのだ。相手の装備は重そうだし、この乱戦の中ならちょっと走り回ればすぐに撒けるだろうと思っていた。それがガッチャガッチャガッチャガッチャ音を立てながらどこまでも追ってくる。しかも無言で。
これが洒落にならないくらい怖い。というか気味が悪い。
何なの一体? 来ないでよ。来ないでったら!
「ああもう! こうなったらやるっきゃない!」
ぜいはあと激しく息をつきながらカミラはついに腹を決めた。
他の誰でもない自分にそう呼びかけて喝を入れ、くるりと鋼鉄兵に向き直る。
対する鋼鉄兵は戦斧の刃の部分を高々と掲げ、斜めに構えていた。
カミラがいよいよ応戦する構えを見せると、細い縦穴がいくつも開いたバイザーの下で口角をニタリと持ち上げる。
あれだけ引きずり回してやったのにまだそんな余裕があるのか。ムカつく。
(ていうかむしろ私の方が消耗したし! おまけに……)
と、カミラは如才なく剣を構えたままあたりに視線を巡らせた。
……まずいことになっている。完全にイークを見失った。
戦が始まる前から「俺の傍を離れるな」と口を酸っぱくして言われていたのに、これじゃあとで何を言われるか。絶対に説教されるに決まっている。まあ、それもこの戦場を生き残れれば、の話だが──と考えかけて、カミラはぶるりと頭を振った。生き残れれば、だって? 馬鹿を言うな。生き残るのだ。自分は兄にもう一度会うまで死なないと決めた。なのにこんなところで死んでたまるか。
呼吸を整え、きゅっと眉を吊り上げる。駆け出した。
正眼に構えていた剣を素早く下段に下げて疾駆する。
「はああああっ!」
狙うは鋼鉄の鎧の継ぎ目。脇とか肘とかだ。
カミラはそこに細身の剣を捩じ込もうとする。けれども刃を斬り上げる直前、右上斜め方向から斧が滑るように降ってきた。カミラはそれを垂直に跳んで躱す。
「──なんてね」
その一瞬、カミラは四十葉(ニメートル)近い長身の鋼鉄兵と目線が合った。そこは既に相手の間合い。このまま着地すれば体勢を立て直す刹那の隙を狙われる。
だがカミラの狙いは初めから別にあった。何しろ鎧の隙間は継ぎ目だけじゃない。相手の顔を半分まで覆う鉄の兜。その鼻から下は剥き出しだ。
「火箭!」
祈りの代わりに神の力の名を叫び、カミラは右掌を相手の顔面に突きつけた。
瞬間、赤い光がほとばしり、至近距離で爆発が起こる。カミラの掌から生まれた火の玉が、相手の顔面に直撃したことで起きた爆発だった。カミラはぐらりと仰け反った相手の鎧を蹴り、爆風に乗って器用に空中で後転する。
そのまま体を丸めて着地し、さらに後ろへ一回転してから立ち上がった。
鋼鉄兵は片足を地面から浮かして今にも倒れそうになっている。
トドメの一撃。カミラは再び右手に神力を集めた。それを鋭い祈唱と共に炎へ変えて放ち、相手の胸もとに命中させる──いや、命中させようとした。
実際それは見事直撃したように見えた。しかしいざ薄煙が晴れてみたらどうだ。
「……うそ」
カミラはまたしても絶句する羽目になった。
何故なら煙の向こうから現れた相手は、無傷だ。
「な、なんで……!?」
あれほどの至近距離から火の玉を撃ち込まれておいて無傷? そんな馬鹿な。
カミラは激しく動揺した。こんな体験は生まれて初めてだ。まさか郷の外には神術が一切効かない人間がいるというのだろうか? そんな話は聞いたことがない。
だがカミラがそうして混乱しているうちに「フフッ」と初めて声を漏らした鋼鉄兵が猪のごとく突っ込んできた。一瞬反応が遅れる。
慌てて飛び退ったカミラの眼前を刃が掠めた。
逃げ遅れた前髪が何本かはらりと散って、カミラはどっと汗をかく。
いや、待て、待て。このままじゃまずい。立て直さなくては。
カミラは振り抜かれた先から戻ってくるニ撃目もどうにか躱し、鋼鉄兵から距離を取ろうとした。が、刹那、目の前に赤い光が走る。
見覚えのある光だった。というかもはや慣れ親しんだ閃光だった。
──火刻。しかもカミラのではない。
奇跡の直前、神の力に引き寄せられた空気がビリビリッと音を立てる。
カミラが神術使いだからこそ感じ取れた異変だった。
その異変に体が反応し、何か考えるよりも早くカミラは右手を翳していた。
爆発。爆風。爆音。眼前でそれらが目まぐるしく渦巻き炸裂する。
すさまじい熱気がカミラを襲った。
目を開けてはいられずに、とっさに右腕で目もとをかばう。
しかし幸い被害はそれだけで済んだ。
自分へ向けて飛ばされた神術を、同じ神の力で相殺したのだ。
そしてカミラは理解した。先程の神術は効かなかったのではない。
たった今自分がそうしたように、あれも相殺されたのだ。
煙が晴れ、再び鋼鉄兵の姿があらわになる。
その右手の鎧の隙間から漏れる──赤い光。
「……なるほどね」
言いながら自分のことを棚に上げ、反則でしょ、とカミラは思った。
口もとが引くつき、熱さと緊張で汗がだらだら流れてくる。
相手はあの巨躯に長いリーチ。加えて神術使い。
こうなるともうカミラには打つ手がない。相手の全身はほとんど隙間なく頑丈な鎧で覆われているし、あの長柄の戦斧を掻い潜ってわずかな隙を衝きに行くのは至難の技だ。しかしまた逃げ回るにしても、もはやカミラの体力は──
「うらあああああっ!」
そのときだった。突然の蛮声。しかも背後から。
カミラははっとして身をよじった。そうだ。動揺のあまり忘れていた。敵はあの鋼鉄兵だけじゃない。今は戦の真っ最中だ。前後左右どこにでも敵はいる。
ビリッと布の裂ける音がして、カミラの脇腹に痛みが走った。
後ろから突っ込んできた黄皇国兵の剣が掠めたのだ。
浅い傷だがほんの一瞬痛みで動きが止まる。
そこにブンッと音を立てて振り翳される、戦斧。
(や、ば……っ)
前方には新手の黄皇国兵。すぐ後ろには鍔競り合いをしている敵味方。
避けられない。ならば、
「──っ!」
カミラはとっさに右手を翳した。威力は落ちるが祈唱を省略する。
手套の下の神刻が閃き、ボンッと小さな爆発が起きた。狙ったのはまたも鋼鉄兵の顔面、ではない。今にもカミラに襲いかかろうとしていた、戦斧だ。
上手く当たった。戦斧の刃はカミラの目前まで迫っていたので、神術は相手の相殺域に入らなかった。衝撃で斧が鋼鉄兵の手を離れ、吹き飛んでいく。やった。やってやった。今のうちに仰け反った相手にトドメを、追い討ちを、息の根を──
そのときカミラは極限の状態にいた。五歩先には剣を振り上げてこちらへ向かってくる新手の黄皇国兵がいる。その剣が届く前に。
余計なことを考えている暇はなかった。
カミラは鎧の上に覗いていた鋼鉄兵の首を斬り裂いた。
斬り、裂い、た。
ブシャアッと音を立てて血が噴き出す。
鋼鉄兵の巨体が、ゆっくりと背後へ向けて傾いだ。
そこでカミラはようやく気づく。「あ……」と思わず声が漏れた。
殺した。殺してしまった。
「らああああっ!」
刹那、前方から声。はっと我に返ったときには目の前に黄皇国兵がいる。
まずい、斬り返し、いや神術を、無理だ、どちらも、間に合わない──
「雷槍!」
呼吸にしてわずか一。その間に目まぐるしく駆け巡り、死を覚悟したカミラの思考を、規格外の轟音が押し流した。耳を劈くような雷鳴。目も眩む光が眼前を走る。地面と水平に飛んできた雷の槍。青い。──イークの雷刻だ。
思わず光から目をかばったカミラの面前で、稲妻に打たれた敵兵が吹き飛んだ。
その轟音と威力に怯んだ周囲の黄皇国兵に、一丸となった救世軍の兵士たちが殺到していく。周囲の景色が変わった。というか動き出した。
まるで巨大な生き物がずるずると体を引きずるように、地方軍の潰走が始まる。
「カミラ、無事か!?」
追撃の波に乗りながら、馬に乗ったイークが駆け寄ってきた。
カミラは何も言えぬまま、馬上のイークを見上げて弱々しい笑みを刻む。
いや、ちゃんと笑えていたかどうかは定かでなかった。
ふと目を落とした先の血だまりに、鋼鉄の鎧をまとった黄皇国兵が倒れて、動かない。