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146.神になるということ

 濡れた階段を一段下りる度、振動が傷に響いてひどく痛んだ。

 たまたま持ってきていた包帯を使い、ケリーが止血してくれたおかげで出血はもう治まっている。けれど痛みだけはどうにもならなくて、右肩から手が離せない。

 自分の神術で癒やしてしまえれば良かったのだが、生憎神力はもう空っぽだった。少し休めば多少の回復は見込めるものの、今はティノの救出が最優先で、一息ついている暇などあるはずもない。


(ティノさまたちは、いつもこんな痛みをこらえながら戦っているのだわ)


 眉を寄せて痛みに耐えながら、この程度の怪我で弱音を吐きそうになっている自分を情けなく思った。だっていつも最前線に立って敵と戦うティノたちは、これ以上の怪我を何度も何度も負っているのだ。

 むしろ彼らにとってはこんな傷、怪我のうちに入らないのかもしれない。その証拠にケリーもさっきの戦闘で傷だらけなのに、痛みなど少しも感じていないかのようにどんどん階段を下っていくし。


(ケリーさんだって、傷がまったく痛まないわけがないのに――)


 そんな想いだけが、今にもへたり込んでしまいそうなマリステアを支えている。神力も使い果たし、今度こそ真の役立たずとなった自分にできることは、負傷している彼女を煩わせないことだ。


「着いた」


 角灯の明かりのみが頼りの暗闇に、一体どれほどの間、二人の足音だけが響いていただろうか。階段を下りきったケリーの唇から久しぶりに声が零れ、かと思えば彼女は一目散に駆け出した。地下を守っていたはずの獄卒たちは既に倒してしまっているので、もう何も遠慮する必要はないと思ったのかもしれない。


「あっ……ま、待って下さい、ケリーさん……!」


 置いていかれたマリステアはまろぶように残りの数段を駆け下りて、大急ぎで彼女を追った。ぽつぽつと壁に明かりがともったその場所は縦に長く伸び、左手に鉄格子の下りた独房が並んでいる。

 マリステアたちのいた通常房とは違い、やはり日の光も射さなそうな暗い場所だった。ざっと目を配ってみても、窓らしきものはどこにもない。足元が水浸しなのはマリステアのせいだが、何とも陰気で空気も淀んでいる。おまけに一つ、通り過ぎる際に空の独房へ目をやって、マリステアは背筋が寒くなった。


 だってそこには、真っ黒な壁一面に刻みつけられた文字、文字、文字――


 封刻環チャームに刻まれていたのと同じ、解読不能な神聖文字だ。

 奥の壁には白い拘束具が取りつけられていて、よくは見えなかったがあれにも同じ文字が刻まれているに違いない。


(ティノさまはこんなところに、もう何刻も閉じ込められていたの)


 そう思ったら苦しくて苦しくて、あっという間に視界がぼやけた。

 たったひとりで、大神刻グランド・エンブレムの力も封じられたまま、こんな暗い地の底に……。

 ああ、いけない。想像するだけで胸が張り裂けそうだ。

 ここに彼がいることは、先程の獄卒たちの言葉で確定している。

 ならば早く、一刻も早くティノを見つけて、彼を――


「――カラン」


 と、そのとき何かが床を叩く音がして、マリステアははっと足を止めた。視線を通路の先へ戻してみれば、一番奥の房の前でケリーが槍を落としている。

 しかし彼女は得物が手を離れたことにも気づいていない様子で、茫然と立ち尽くしていた。まさか奥まで行ってもティノがいなかったのかと思い、マリステアは不安に声を震わせる。


「け、ケリーさん……?」


 彼女は答えなかった。

 ケリーがマリステアの言葉を無視するなんて、今まで一度もなかったことだ。

 沈黙に耐えかねて、マリステアは駆け出した。

 そうしてケリーの隣に並び、房の中を覗き込んで、


「……え、」


 ティノは、いた。


 神の言葉が刻まれた拘束具に手足を固定され、黒い目隠しと猿轡を回されながら、腹に剣を突き立てられた状態で。


 ドサッと何か重いものが落下する音がして、マリステアは数瞬後に自分が膝を折ったのだと気づいた。しかし再び立ち上がる気力もなく、頭の中は真っ白で、何も思考することができない。


「あ……ぁ、あ……」


 ティノの体に刺さったままの剣からは、ぽたぽたと青い血が滴っていた。

 彼は動かない。まるで死人のようにぐったりとうなだれたまま。


「い……いや……いやです、ティノさま……!!」


 わけも分からぬまま泣き叫び、マリステアは目の前の鉄格子に縋りついた。その声に頬を打たれたのか、ケリーが体を震わせる。

 彼女はそこでようやく我に返ったようだった。声を張り上げて泣くマリステアを一瞥すると、次いでもう一度牢の中のティノを見やり、腰の物入れから独房の鍵を引っ張り出す。

 先刻倒した獄卒たちから奪い取ってきた鍵だった。ケリーはティノのいる牢の扉を開けると、用済みとなった鍵をためらいもなく放り投げ、急いで彼へと駆け寄っていく。


「ティノ様」


 無意識に、だろうか。

 ケリーは幼名でティノを呼んだ。


「ティノ様、しっかりして下さい。ケリーです。お助けに参りました――」


 震えた声で言いながら、彼の腹に刺さった剣をケリーが渾身の力で引き抜く。ガシャンと鉄の塊が落ちる音がして、濡れた床に青い血が飛び散った。

 次いでケリーは、腰に帯びていた短剣をティノの後頭部へ差し入れる。どうやら目隠しと猿轡を外すつもりのようだ。思いのほか耐久力のあるそれに手こずりながら、苛立たしげに彼女が叫ぶ。


「マリー、あんたも手伝っとくれ!」


 マリステアはびくりと跳び上がった。瞬間、右肩に走った痛みが、自分の為すべきことを思い出させてくれる。

 そうだ。泣きじゃくっている場合じゃない。ティノは神子だ。剣が刺さっていた場所は体の中心、つまり心臓ではないから、死んでいない。

 涙を拭う時間も惜しみ、立ち上がろうとして躓いた。またもその場に崩れ落ちながら、鉄格子に縋ってどうにかもう一度立ち上がり、ケリーへと走り寄っていく。


 彼女の指示で、ケリーの腰にある物入れをあさった。そこには牢の鍵とはまた別の、乳銀製の小さな鍵が入っている。拘束具を外す鍵だ。

 マリステアはティノの四肢から自由を奪う封刻環を、一つずつ外していった。手が震えて何度も鍵を鍵穴に入れそびれたが、唇を噛み締めて自らを叱咤し、無事にすべて解除する。

 ほとんど同時にケリーが目隠しと猿轡を外すのに成功し、数刻ぶりにティノの優しげな顔立ちがあらわになった。拘束具という支えを失った彼の体は前のめりに倒れたが、ケリーがすかさず腕を出し、横からティノを抱き留める。


「ティノさま、ティノさま……! 返事をして下さい、わたしです、マリステアです……!」


 聞こえますか、と声を震わせながら呼びかけている間に、ケリーが彼を床へ寝かせようとした。けれどマリステアは、水で濡れた冷たい床に彼を横にするのが忍びなく、「待って下さい」と制止して自らの外套を敷く。

 気休め程度の心遣いだったが、何もしないよりはマシだった。少なくとも外套を広げて寝床を作るという作業は、マリステアにほんのわずかな冷静さを取り戻させてくれる。


 その上にティノを横たわらせ、ケリーが迷わず彼の上衣を脱がせ始めた。腿まで届くティノの上衣は羽織って着るタイプの前開き服で、打ち合わせの部分をいくつかの留め具で閉めてある。

 ケリーはそれを上から順に外していき、ちょうど胃のあたりまで開くと手を止めた。角灯を持ち上げて傷口を照らし、いつになく険しい表情で言う。


「……血は止まってる。大神刻の恩寵で傷も癒え始めてるはずだが、刃は背中まで突き抜けていた。これだけの傷となると、完全に恢復なさるまで時間がかかるかもしれない」

「で、ですが誰がこんなことを……封刻環で拘束した上に、目や口も塞いで剣で刺すなんて、いくら何でもひどすぎます。人間のやることじゃありません……!」

「あるいはこの特別房をもってしても、大神刻の力は封じ込めることができなかったのかもしれないね。だから剣を突き立てたまま放置した。ああしていればいくら恩寵があったとしても、剣を抜かない限り傷を癒やすことはできないから――」


 と言いかけたところで、ケリーがはっと顔を上げた。

 彼女は開いたままの扉の方を見つめながら、にわかに外套を脱ぎ始める。それをティノの体に被せると、何を思ったのか突然打たれたように駆け出した。


「け、ケリーさん!? どちらへ――」

「敵が来る! あんたはジェロディ様のお傍にいな!」


 ひゅっと息を吸い込んで、マリステアは全身を硬くした。

 敵? こんなときにまで? ティノは負傷して身動きが取れず、マリステアも既に神力を使い果たしてしまったというのに?


「ま、待って下さい、ケリーさん……!」


 そしてケリーもまた無数の手傷を負っている。あんな状態で戦い続けるなんて、いくら彼女が〝トカゲ殺し〟――凶暴凶悪な竜人ドラゴニアンを戦場で数多仕留めた者に与えられる称号――だとしても無理だ。せめて残り滓のような神力を掻き集めてでも治療を、


「見つけた! 脱獄囚だ……!」


 階段の方角から騒ぎ声が聞こえた。独房を飛び出し、落ちていた槍を流れるように拾ったケリーは脇目も振らず駆けていく。


(どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう……!)


 マリステアの思考は一瞬で恐慌に陥った。ケリーを助けに行きたいが、手負いのティノを一人置いていくこともできない。というか今の自分がこの房を飛び出していったところで、できることなど何も、ない。

 遠くでわっと喊声が弾けた。ケリーが戦闘を始めたのだとすぐに分かった。

 助けに行きたい。けれど今の自分ではかえって足手まといになる――だったら。


「ティノさま、お許し下さい……っ!」


 マリステアは未だ目覚めぬティノに許しを乞うと、彼を乗せた外套を渾身の力で引っ張った。右肩の傷が裂けるように痛むが、泣き言を言っている暇はない。何せ特別房の中では神術が使えないのだ。

 マリステアは仲間内でも際立って力が弱い方だが、こういうのを火事場の馬鹿力と言うのだろうか。顔を真っ赤にしながら外套を引っ張り続けると、どうにかティノを牢の外へ連れ出すことができた。

 痛みと疲労でぜえぜえと息を荒げ、再び彼の傍らに膝をつく。一瞬振り向いた先には、数人の敵としのぎを削るケリーの姿。


(モタモタしていられない……!)


 マリステアは大きく息を吸い、乱れていた呼吸を整えた。気休めに幸運のしるしである《聖印ガルガリン》を胸に切り、大いなる二十二の神々へ祈りを捧げてから、唱える。


「癒やしと恵みを司る水神マイムさま、どうかこの祈りをお聞き届け下さい、加護をお授け下さい、御力をお貸し下さい――マリステア・ヴィンツェンツィオはどうなっても構いません。御身のなせる御業みわざによりて、どうか我が主をお救い下さい。癒やしの波動マイム・ゼローア……!」


 いつもよりたっぷりと長い祈唱を口ずさみ、マリステアはなけなしの神力を絞り出した。右手をティノの腹部に翳し、念じる。強く強く念じる。――持っていって。わたしの生命いのちごと。

 ティノには《命神刻ハイム・エンブレム》がもたらす恩寵がある。だからこんなことをしなくても傷は癒えるのだが、それだけでは間に合わない。

 だったら神の恩寵に癒やしの術を上書きする。今、傷だらけで戦うケリーを救えるのはティノだけだ。二人の家族を守るためなら、自分は――


「うぅっ……!」


 瞬間、水刻ウォーター・エンブレムを刻んだ右手に電撃が走った。その電撃は一気に腕を駆け上がり、肩に走った傷の中まで掻き回す。

 再び血が滲み始めた包帯を押さえ、息を切らしながら、しかしマリステアは癒やしの術を止めなかった。たとえ神力が空になっても無理矢理神術を使う方法は、ある。そもそも神力とは、神刻エンブレムを通じて変換された術者の生命力のことを言うのだ。


 ならば神刻が変換せずに残した生命力も、根こそぎ神力に変えればいい。


 本能が勝手に設けたリミッターを解除し、体の奥底から己の生命力を引きずり出す。


(し……心臓が……痛い……っ)


 再び呼吸が乱れ、胸の内側で生命を司る臓器が暴れていた。今にも肌を食い破らんばかりのこの脈動は、肉体からの警告だ――やめろ、これ以上神術を使えば無事では済まないと、本能が叫んでいる。

 けれど止めない。どんなに汗が噴き出そうと、息が苦しかろうと、傷が開き血が溢れようとも絶対に止めない。背後で鉄と鉄とがぶつかり合う音がする。ケリーもとうに限界を迎えながら、ギリギリのところで戦っているのだ。


 だったら、わたしも。


 わたしも――


「――っ!」


 刹那、右腕に一際激しい痛みが走り、バチンと手を弾かれた。あまりの痛みに腕を押さえ、呻く。罰焼ばちやけだ。今度こそ完全に神力が尽きたという合図。

 こうなるともう神術は一切使えない。マリステアも知識としてそうなることは知っていたが、想像を遥かに超えた痛みだった。

 まるで雷に打たれたようなその痛みは、分不相応な力を求めた人間への天罰――ゆえに〝罰焼け〟と呼ばれている。術を解除した今も右腕は痺れ続け、見えない針の筵にくるまれているみたいだ。


(ティ……ティノ、さま、は……)


 目の焦点が合わず、意識も朦朧としながら、マリステアはケリーがかけていった外套をわずかめくった。

 ティノの腹に開いていた穴は、消えている。未だ青い血で汚れてはいるが、肌の裂け目はどこにもない。


(よ……良かっ……た――)


 心から安堵すると同時に、マリステアは自我を手放した。

 濡れた床にびしゃりと倒れ、深い闇へと落ちていく。

 もう痛みも苦しみも感じない。眠りという名の泥に沈んでいくのは心地よく、このまま目覚めなくてもいい、とさえ思ってしまう。


「――リー……マリー……!」


 しかしほどなく、マリステアの意識は誰かの声に呼び戻された。


(……やっと眠れると思ったのに……)


 わたしを呼ぶのは、誰……?


 そう思いながら瞼を開けた。

 視界はぼやけてやはり焦点が合わず、体もろくに動かない。

 けれど何度かの瞬きによって、瞳に張っていた膜がいくばくか薄れると、マリステアは気がついた。


 今、目の前に見えているこれは……誰かの、足?


 不思議に思い、ほんのわずか頭を動かす。革の長靴ちょうかをなぞるように視線を上げれば、そこには見慣れない男がいた。

 男は地方軍の軍服を着ていて、右手には剣を持っている。

 鍔のあたりで燭台の明かりを弾いているのは、天高く吼える黄金竜……。


「マリー、起きろ! ジェロディ様を連れて、早く……!」


 甲高い鉄の響きと、ケリーの叫ぶ声がした。

 ああ、そうか。さっきの呼び声は彼女だったのか。

 それなら目覚めぬわけにはいかない。けれど、


(……ケリーさん、ごめんなさい……わたし、もう、体が……)


 逆光を背に負いながら、男が剣を振り上げた。

 ギラリと光る両眼が、倒れたままのマリステアを捉える。


(ティノさま……どうか……ご無事で……ケリーさんを……お願いします――)


 やっぱり瞼が重い。マリステアは再び眠りの底へいざなわれようとした。

 ところがそのとき、カタカタと何かの振れる音がする。マリステアの視界の外で、牢の中に打ち捨てられた一振りのつるぎが、ふわりと宙へ浮き上がる。


「マリー……!!」


 刃が振り下ろされると同時に、どこか遠くでケリーが叫んだ。

 次の瞬間、マリステアの視界が真っ赤に染まる。

 剣を握った男の両手が吹き飛んで、ボタボタと血の雨が降る。


「――彼女に手を出すな」


 男の絶叫を遮って、つるぎがひとりでに宙を舞った。

 それは男の胸を貫き、彼の苦痛と鼓動に終焉を告げる。

 やがて倒れた男の傍らに、少年が佇んだ。彼が手を差し伸べると、剣は忠実なしもべのように応えて浮かび、主の手中へ収まっていく。


「ティノさま――」


 掠れた声で名を呼ぶと、彼は振り向き、微笑んでくれた。

 だからマリステアも微笑み返し、一雫の涙を零す。


(ああ、良かった)


 もう一度彼の笑顔が見れた。


 次に彼と笑い合うときは、明るい陽の下であればいいと、願う。



              ◯   ●   ◯



 これでもう大丈夫だ、と、誰かが耳元で囁いた。

 その声を信じ、閉ざしていた瞼を開けて、額に当てていた彼女の手をそっと離す。

 それまでマリステアを包んでいた淡い光が、ゆっくりと吸収されるように消えていった。あんなに冷たかった彼女の右手はぬくもりを取り戻し、呼吸も深く穏やかになっている。


「……驚きました。《命神刻》には、そんな力の使い方もあったのですね」


 と、突き当たりの壁に背を預け、座り込んだケリーがぽつりと漏らした。

 そこでようやく顔を上げ、ジェロディは頷く。そうしながらマリステアの手を放そうかと思ったが、もうしばらくだけこうしていたくて、右手にぎゅっと力を込めた。


「《命神刻》は《蒼神刻マイム・エンブレム》や《光神刻オール・エンブレム》のように傷を癒やす力は持たないけど、僕の生命力を誰かに注ぎ込むことはできるみたい。肉体を癒せない代わりに魂を癒やす……って言えばいいのかな。上手く説明できないけど、そんな感じなんだ」

「しかし、そのような力の使い方を一体どこで?」

「分からない。ただ、目が覚めたらそういう使い方を思い出した・・・・・。まるでずっと昔から知ってたみたいに……」

「……」

「ケリー。これが〝神に近づく〟ってことなのかな?」

「……私には何とも申し上げられません。ですがおかげで、マリーを死の淵から救うことができました」

「マリーは救えても、君の傷を癒やしてあげられないのが心残りなんだけど……」

「何のこれしき。砂漠で竜人に囲まれたときに比べたら、百倍マシというものです」


 傷だらけの腕を立てた膝に預けながら、ケリーは気丈に微笑んでみせた。あれだけの死闘を経て、まだそんな余裕を残す彼女は底なしに頼もしい。

 ケリーとマリステアが自分を救いに来てくれた経緯は、おおよそ聞いた。地下に押し寄せ、二人を亡き者にしようとした地方軍の連中も全員始末してある。

 しばらくはここで状況を整理しながら、マリステアが目覚めるのを待つことができるだろう。リチャードとマヤウェルの救出に向かったという仲間の安否も気がかりではあるけれど。


「ですがまさか、ピヌイスの新しい郷守がマクラウドだったとは……どうりで地方軍の指揮がおざなりだと思いました。並の郷守であればもう少し智恵を絞って、我々を追い詰める方法を考えたでしょう。しかしマクラウドは、一説には副官のランドールより無能だと噂されていましたから」

「その噂は証明されたね。確かにあのランドールでも、もう少しマシな指揮を執ったと思うよ」

「金の力とは言え、アレが郷守の座に就けたのはエマニュエルの誕生にも匹敵する奇跡です。まあ、そんな奇跡も、もう間もなく終わりを迎えますがね」


 そう言って笑うケリーにつられて、ジェロディも思わず笑みを零した。ケリーの報告によれば、マシューから真実を聞いたカミラなどは必ず郷守をぶっ飛ばすと息巻いていたそうだから、マクラウドの命運はもはや風前の灯火と言っていいだろう。


 けれど同時に、あの男に付き従っていたの存在を思い出す。耳元で囁かれた言葉は今も鼓膜に焼きついていて、回想するたび暗澹たる気持ちを呼び起こす。


「ジェロディ様、どうかなさいましたか?」


 ほんの一刹那、記憶の中の痛みに微か眉をひそめると、ケリーがすかさず尋ねてきた。

 ……まったく彼女たちには敵わない。どうして隠したいことほど呆気なく、こうも見抜かれてしまうのだろうか。


「……実はこれは、マリーが目を覚ましたら話そうと思ってたんだけど」

「何です?」

「僕を刺したマクラウドの従者についてさ。驚かないで聞いてくれる?」

「それは構いませんが、殺しにいかないという保証はできません」


 何とも物騒な返答に、ジェロディはまた胃が痛くなった。

 今度は物理的な理由ではなく、精神的な意味で、だけど。


「……じゃあ、君の良心が踏み留まってくれることを祈って打ち明けるけど」

「はい」

「目隠しをされていたから、顔は見てない。だけど声を聞いたから間違いない。牢で僕を刺したのは――オーウェンだ」


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