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144.天に問う

 追ってくる官兵どもが鬱陶しいので窓を破って飛び出したら、目の前に厩舎があった。

 硝子が砕け散る音に驚いた馬たちが、あちこちで嘶きを上げている。これは好都合だ。ちょうどこの郷庁がある小山から麓まで急ぐのに、馬が要ると思っていたところだったから。


 まるで天が〝ピヌイスを救え〟とでも言っているかのような巡り合わせじゃないか。ウォルドは粉々になった硝子と共に着地するやニヤリと笑い、担いでいたカイルをその辺にぶん投げた。

 長年戦いの中に身を投じてきたから分かる。こういう流れ・・が来ているときは多少無茶をやらかしても死なないし、負けない。


「カイル! お前は適当な馬を見繕って鞍を乗せとけ!」

「お……お……オエエエエエエッ……!」


 返事の代わりに嘔吐しているカイルを一瞥し、ウォルドは腰の剣を抜いた。そういやあいつ、鳩尾にカミラの蹴りを喰らってたんだっけな――と今更同情しつつ、窓枠を越えて押し寄せてくる敵兵を薙ぎ払う。

 荷物カイルが邪魔で逃げ回るばかりだったウォルドが、いきなり攻勢に転じたので敵も怯んだのだろう。相手は練度の低い地方軍の兵士ばかりだし、一人でもなすのは楽勝だった。

 敵の中に弓兵でもいようものなら手こずっただろうが、幸い追ってきたのは白兵戦以外に戦う術を持たない者たちだ。最後の一人の頭を掴み、壁に叩きつけて大人しくさせたところで、ほらな、今夜は天が俺たちの味方だ、とほくそ笑んだ。


(ロカンダが陥ちたのは予想外だったが――)


 やはりジェロディを味方に引き入れてからというもの、運の巡りが非常にいい。神子というのはそういうものだ。神々を味方につけ、加護をもたらし、最後には必ず勝利を手繰り寄せる開運装置。

 などと言ったらマリステアあたりが顔を真っ赤にして怒るだろうが、同時に揺るがしようのない事実だ。もっともウォルドの知るとある神子は、味方に劇的な勝利をもたらしたのち、悲惨な幕引きを迎えて運命の坂を転がり落ちていったけど。


(それでもまずは勝たねえことにはな)


 と内心吐き捨てながらウォルドは屈み、敵の衣類で剣についた血を拭う。我ながら薄情なことだとは思うが、仕方がない。長く世界の各地をさすらい、数多の戦いと死を見るうちに、そういう考え方が染みついてしまったのだ。

 かと言って救世軍は勝つための道具なのかと言われたら、そうでもない。むしろちょっと困っているのだ。彼らの懐深くまで踏み込みすぎてしまっている、最近の自分に。


(らしくねえ)


 と、元の輝きを取り戻した剣に自らを映しながら思う。果たしてウォルド・アウダシアという男はこんな甘っちょろい人間だっただろうか?

 戦う上で仲間という存在は確かに必要だ。たった一人の人間が戦場でできることなどたかが知れている。大敵を討ち果たすためには手数が必要。それは分かる。


 だがこのところ、味方を単なる数字・・として割り切れなくなってきてはいないか?


 今までどんな相手との間にも必ず引いてきた一線が、曖昧になってはいないか――?


(いつからだ?)


 自問してみるが、分からない。初めてフィロメーナに真実を打ち明けられ、彼女の運命に心底から同情したときか?

 あるいはあいつ・・・の妹が、あいつ・・・そっくりな顔で自分に笑いかけてくるようになってからか……?


(……あいつが生きてりゃ、今頃俺とカミラは――)

「――あのさ、ウォルドさん。今回ばかりはオレも文句言っていいよね? 許されるよね?」


 刹那、背後から険のある声がして、ウォルドはブツリと思考を切った。

 こういうとき、瞬時に頭を切り替えられるのもまた長年の傭兵生活の賜物だ。戦場ではちょっとした雑念が命取りになることもある。だからそれを強制的に引き千切り、捨て去るのには慣れている。


「おう、カイル。悪かったな、怪我はねえか?」

「そこまで心が籠もってない台詞、オレ生まれて初めて聞いたんだけど? ウォルドさん全然心配してないでしょ? ねえ? マジで吐いちゃった上に硝子であちこち切れちゃったんですけど?」

「んなもん唾でもつけときゃ治るだろ、男が細けえこと気にすんな。んなことより馬だよ、馬。ちゃんと用意できてんだろうな? あと俺のことはいい加減呼び捨てで呼べ」


 このガキはまともに相手するだけ無駄だと学習しているので、適当にあしらいつつ剣をしまって歩き出す。カイルは依然ぶーぶーと口を尖らせながらもついてきた。厩舎の軒をくぐってみると、際立って体格のいい馬が二頭、馬具を揃えた状態で待たされている。


「……へえ。なかなかいい馬を選んだじゃねえか」

「馬鹿にしないでくれる? こう見えてオレ、実家じゃ馬の世話ばっかしてたんだよ。別にやりたくてやってたわけじゃないけどね? まあ働かざる者食うべからずって言うか?」

「お前の実家は馬貸しか」

「じゃなくて宿屋ですけど。そう言うウォルドさ……ウォルドは? 確かウチの国の人じゃないんだよね? どこだっけ、列侯国? オレ、ルエダ・デラ・ラソ列侯国って行ったことないんだけど、ルエダ人ってみんなそんなムキムキなの?」

「んなわけあるか。俺は人一倍鍛えてこうなったんだよ」

「いやあ、鍛えるにしても限度ってモンがあるっしょー。ああ、こんなむさ苦しいおにーさんとしばらく二人きりで行動とか、オレって薄幸少年すぎない? どうせならオレもカミラかマリーさんかケリーさんと行動したかったナー」

「いいからさっさと馬に乗れ。さもねえと縄で括りつけて引きずってくぞ」

「そうまでしてオレと一緒にいたいの!? ヤダ! 怖い!」

「――とある男の言葉を借りるなら、〝俺はお前を信用してない。監視のために傍に置いてるんだ〟」


 いつもと変わらぬ語調で、しかしはっきりそう言えば、カイルの無駄口がぴたりと止んだ。彼は既に馬上の人となっているウォルドを見上げ――にこり、微笑んでくる。

 も口も綺麗な弓形ゆみなりに歪めたその笑顔に、不覚にも寒気がした。しかしカイルはそれ以上文句を言わず、言われたとおりもう一頭の馬の鐙に足をかける。


「じゃーしょーがない。大人しく監視されますかー。オレには別にやましいことなんて何にもないからね?」

「……お前、カミラの前でもそう言えるか?」

「もちろん言えるよ? だって本当のことだもん」


 オレ、惚れた女の子にはウソつかない主義だしねーと付け足して、鞍を跨いだカイルはすぐさま馬腹を蹴った。こちらの追及をかわすような走り出しに、ウォルドも遅れじと馬を駆けさせる。

 下りの山道に入る手前で地方軍の妨害に遭ったが、襲歩で駆けて蹴散らした。蹄にかけられそうになった兵士たちがわっと逃げ散ったところで、上半身を倒して腕を伸ばし、誰かが持っていた松明を奪い取る。


 今夜は月が細いから、明かりなしで山道を進むのは危険だろう。郷庁へと至る道は剥き出しの黄砂岩でできていて、右手が絶壁になっている。

 前の郷守とやらはここから落ちて死んだのか。松明を手に馬を走らせながら、ウォルドはそんなことを考えた。今は暗くて底が見えないが、落ちれば確実に死へ至る高さなら――目の前を駆ける金髪の少年も、馬が脚を滑らせたということにしてひそかに殺すことは、できる。


「おい、カイル。お前には訊きてえことがいくつかある」

「なーにー?」


 麓まではまだ遠そうなので後ろから声を張り上げると、カイルも大声で返してきた。そうしないと馬蹄の音に掻き消されてしまうからなのだが、どんなに声量を上げても気の抜けた響きになる彼の喋り方はある意味才能だ。人をたぶらかし、油断させるための。


「まず一つ。お前、なんで自分が神術使いだってことを隠してた?」

「別に隠してたつもりはないんだけどー。誰にも訊かれなかったし?」


 まあ、そう答えるだろうなという予感はしていた。仮に自分がカイルの立場でも同じ答え方をする。最も無難でいて反論を封じやすい回答だから。


「だったら何の神刻エンブレムを刻んでるのか、はぐらかす必要もねえだろう。これから地方軍との乱戦になる可能性だってある。味方には手の内を明かすもんだぜ」

「んー、そうかもしんないけど、やっぱ今は教えたくないなー。オレ言ったよね? 自分が何の神刻を刻んでるかは、一夜を共にした女の子だけに教えるんだって」

「お前、今はんなこと言ってる場合じゃ――」

「そこまで知りたいんだったらさ、オレとカミラの恋路を応援してよ。そしたらオレもカミラには教えるからさ? だってカミラが落ちてくんなきゃオレの教え損だもん。オレ、女の子を口説くためのカードはできるだけたくさん持ってたいんだよねー」

「……」

「知ってる? カミラってああ見えてまだ処女なんだって! 処女で強くてカワイイとかさ、もう女の子として完璧じゃない? 男としては落とさざるを得ないって言うか?」

「お前、そんな話どこで……」

「ライリー親分から聞いた。親分、一回カミラを襲ったんだってさ。一時期カミラが親分を見る度ビクついてたのはそれが原因らしいよ?」

「はあ?」

「あ、もちろんそのときは未遂ね。親分はからかっただけだって言ってたけど、どうだかなー。あの人もカミラのこと結構気に入ってるみたいなんだよね。マジでライバル多すぎじゃない? ま、そういう方が燃えるんだけどね、個人的には?」


 ……おい。おいおい、ちょっと待て。

 そう言って思わず手綱を引きそうになり、すんでのところで踏み留まった。

 だが、ライリーがカミラを襲っただって? こちらを攪乱するための作り話かとも思ったが、カミラがやたらとライリーを避けていた時期の記憶は、確かにあった。


 彼女は救世軍とライリー一味の同盟が成って間もない頃、ライリーに話しかけられると異様なくらい警戒心を剥き出しにして、威嚇する小型犬のごとく髪の毛を逆立てていたのだ。自分を守るように衣服を掻き合わせ、ライリーと何か言い争っている姿も見た覚えがある。


 最近ではその関係も少しマシになったようだが、カミラのライリーに対する態度は依然刺々しいままだった。ライリーの方はそんなカミラの反応を面白がっている節があったので、てっきり彼に小馬鹿にされるのが気に食わないのだろうと思っていたのだが。


(あの馬鹿、なんでそれを黙って――)


 そう思ったら、無意識のうちに舌打ちが漏れた。手綱を握る手に力が籠もる。

 いくら神術が使える跳ねっ返りだとは言っても、カミラはああ見えてまだ十七歳の生娘ガキだ。ライリーがからかい目的ではなく本気であったなら、抵抗する間もなく犯されていた可能性だってあった。

 あいつにはその重大さが分かってるのか、と苛立ちが募る。

 どうしてこんなに苛つくのかって? 答えは簡単だ。


『――ウォルド。私にもしものことがあったら、カミラをお願いね』


 そう言って今にも消え入りそうに微笑んでいた、女がいる。

 彼女はカミラがこのまま戦い続けることを望んでいなかった。できればイークと共に故郷へ帰したい、とも言っていた。

 けれどもし、二人がこれからも救世軍のために戦うことを選ぶなら。


『彼らはきっと、私を憎むでしょうね』


 私にはそれを悲しむ資格も、恐れる資格もないのに。


 ねえ、ウォルド。可笑しいわね。


 どうしてこんなにも、涙が溢れて止まらないのかしら――


「――ウォルドってさー」


 と、間延びした声がウォルドの自我を叩き起こす。


「普段は素っ気ない態度ばっか取ってるけど、実はカミラのことめっちゃ気にかけてるでしょ? ヴィルヘルムさんとどっちが上か、いい勝負だよね」

「……何の話だ」

「またまたぁ、とぼけちゃって。さっきカミラとヴィルヘルムさんを組ませたのだって、あの人なら何があっても絶対カミラを守ってくれるって信頼してるからでしょ? 戦力的に分けるならさ、ほんとはカミラとケリーさん、マリーさんとヴィルヘルムさんにした方が正解だったよね。反則級に強いヴィルヘルムさんと一緒なら、戦えないマリーさんも安心だし」

「俺は、ティノを助けに行くならケリーとマリーの二人が適任だと思って」

「カミラがジェロにお熱なのを知ってても?」

「それは――」

「本人はまだ自覚してないみたいだけどさ。アレ、絶対ジェロに恋してるよねー。だってジェロと喋ってるときのカミラ、すっげえキラキラしてるんだもん。オレにはあんな顔してくんないのに」


 最後に付け足されたその一言だけが、自嘲を帯びて聞こえたのは気のせいだろうか。カイルは馬を急がせたまま一度もこちらを振り向かないので、分からない。


「……本気でカミラの気を引きてえなら、もっと信用される言動を心がけたらどうなんだ」

「あれ? もしかしてオレってそんなに信用ない?」

「はっきり言って皆無だな。そもそもお前――ティノがハイムの神子だってこと、どこで知った?」

「どういう意味?」

「トリエステがティノを次の救世軍総帥にすべきだと言い出した日のことだ。あの日お前はトリエステの肩を持ってこう言った。ティノは〝ガルテリオ・ヴィンツェンツィオの一人息子で、しかもハイムの神子だ〟と」

「うーん、確かに言ったかもしんないけど、それがどうかした?」

「俺はずっと気になってたんだ。あの時点ではお前は、ティノが神子だってことを知らなかったはずだろ? 何せ仲間の誰も、ティノの正体をお前には明かしてない。明かせばお前がまた大騒ぎして鬱陶しいだろうからと、全員口裏を合わせて黙ってたんだ。なのにお前は言い当てた。ティノが《命神刻ハイム・エンブレム》の持ち主だってことをな」

「……あは」


 カイルはちょっと天を仰ぐような仕草をした。しかし二人の頭上は木々の枝葉に覆われていて、見上げたところで空なんて見えやしない。


「そっかー。じゃあ誰から聞いたんだっけな。ああ、もしかしたらライリー親分かも?」

「仮にそうだとしても、ライリーもあの時点ではティノがハイムの・・・・神子だとは知らなかった。あいつが神子だってことだけは、血の色から認識してただろうがな」

「んー、だとするとオレも覚えてないなあ。誰かから聞いたことだけは間違いないんだけど――」

「――カイル」


 瞬間、彼を呼び止めながら、ウォルドは左腕を大きく振りかぶった。

 そうして握っていた松明を投擲する。

 未だ燃え盛る松明は放物線を描き、カイルの頭上を飛び越えて、やがて彼が乗る馬の目の前に、落下した。


 生き物というのは概して火を恐れる。

 人に飼い慣らされ、厳しい調教を受けた軍馬とて例外ではない。

 仮に人間であったとしても、いきなり眼前に炎が降ってきたりしたら、驚いて飛び退くだろう。果然、カイルの馬は仰天し棹立ちになった。


 深夜の山に悲鳴じみた嘶きが轟き渡る。

 喫驚した鳥たちが眠りから覚め、一斉に飛び立った。

 バサバサと森が騒がしくなる。

 無数の羽音の中でカイルを乗せた馬は二、三歩たたらを踏み、そのまま後ろ脚を崖から踏み外す――かに見えた。


「……っ!」


 あと一歩、だったように思う。

 あと一歩馬が後退していれば、カイルは間違いなく崖から転落していた。

 けれど彼の手綱捌きはウォルドが予想していたよりも遥かに素早く、馬はすんでのところで踏み留まると、すぐに冷静さを取り戻して前脚をついた。


「どう、どう」


 ……少なくとも、実家で馬の世話ばかりしていたという話は嘘ではないらしい。彼が首筋を叩くとあんなに取り乱していた馬が見る間に落ち着き、ブルルッと首を振って乗り手に応えた。


(――落ちなかった)


 と、ウォルドは馬上で目を細める。仕留め損ねたことに落胆したから、ではない。すべての風が救世軍に向かって吹いているこの夜に、天がカイルを生かしたからだ。


「……今のは殺す気だったね」

「ああ、悪い」


 悪びれもせずにウォルドは答えた。

 バチッと聞き覚えのある音が、どこかでわずか弾けた気がする。


「カイル。これが最後の質問だ。正直に答えれば、ひとまず今夜は見逃してやる」

「何?」

「お前がカミラに近づく理由は何だ?」


 ざわざわと山がさざめき出した。向かい合う二人の頭上では黒々とした木々が蠢き、まるで魔界への手招きのように、おいでおいでと揺れている。


「カミラのことが好きだから――じゃ、納得してくれないんだよね、きっと」

「ああ。その嘘はもういい」

「別にウソじゃあないんだけど……だったらこう言っとくよ。少なくとも、カミラに危害を加えるためじゃない。んで、オレにはオレの守りたいものがある」

「守りたいもの?」

「ああ。だけど、不意討ちで殺そうとしてきた人にそこまで話す義理はないや」


 言って、カイルはにこりと笑った。

 またあの背筋が寒くなるような微笑だった。

 この少年が何者なのかは知れない。けれど。


(すべては神のまにまに、か――)



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