138.八人の救世軍 ☆
レーガム地方の北西部、サラーレの町と同じタリア湖の畔に、ピヌイスという名の町がある。
平地に築かれたサラーレの町とは違い、周囲を小山に囲まれた町だ。土地は狭いが代わりに建物が背を伸ばし、別名〝塔の町〟とも呼ばれている。
規模で言ったら北のボルゴ・ディ・バルカよりは小さいが、サラーレよりは賑やかな町。そんな印象だ。
雑多な人種や建物が入り乱れるボルゴ・ディ・バルカに比べると、活気は控えめで町全体に品がある。それでいて港には客船や商船が頻繁に出入りし、人も物も流動的。この季節、湖畔には愛らしい橙色の花が咲き乱れ、観光の名所にもなっているとか。町を見下ろす小山には郷庁があり、切り立った崖の上から町全体を俯瞰している。
「――というわけでえ、トリエさんの言ってたとおり、リチャード・アラッゾさんて人は確かに町にいるみたいだよ。ただし今は奥さんと息子さんが病気かなんかで寝込んでて、その看病のためにあんまり表には出てこないみたい。リチャードさんが持ってる商店と織物工房は動いてるらしいけどね? そこの女工さんだったって奥さんを口説いて話を聞いたら、やっぱりリチャードさんのことを慕ってた。ピヌイスがこんなに大きくなれたのはあの人のおかげだってね。あ、口説いたって言っても別に本気じゃないよ? もちろん情報収集のためっていうか? 確かに美人の奥さんだったけど、オレにはなんたってカミラがいるし? そうそう、そういや大通りにある花屋でカミラに似合いそうな花飾りを見つけたんだよねー。良かったらこれから二人で選びに行かない? なんだったら近くにオシャレなカフェもあったしさ、あそこでおいしい香茶でも飲みながら、オレたちの絆を――」
「なるほど、なら予定どおりリチャードさんと会えそうね。で、どうする? お店に出てないってことは、今からお屋敷に行っても会えそうだけど」
隣からずいっと寄せられたカイルの顔面を右手で制し、カミラは何事もないかのように仲間たちへ話題を振った。額をぐいぐい押し戻されながら、カイルはそれでも諦めず抵抗を続けているが、この町へは間違っても彼と茶を飲みにきたわけではない。
春真っ盛り。気温も天候もだいぶ穏やかになった泰神の月の良き日に、カミラら救世軍一行はピヌイスの町を訪れていた。現在は昼時の大衆食堂で、銘々顔を隠したまま食事を取っているところだ。
よほど人気の食堂なのか、こんなご時世でも店内は大盛況。店の外には空席を待つ客の列ができているほどで、がやがやと騒がしい。
おかげでカミラたちは会話するのに声を張る必要があったが、話の内容が喧騒に紛れて周りに聞こえないのは好都合だった。ときにピヌイスの家庭料理だという湖魚とナナ芋の香草蒸しを口に運びながら、ヴィルヘルムが言う。
「リチャード殿のことだ。恐らく店には出ていなくとも、開店中はあれこれと裏で指示を出しているはず。ならば昼間は多忙だろう。先に店の方へ顔を出して、番頭にリチャード殿と面会したい旨を伝えた方がいい。今夜にでも訪ねると言ってな」
「じゃあそれもカイルに任せるの? 知らない子供がいきなり行って話を聞いてもらえるとは思えないけど……」
「あのさ、カミラ。一応言っとくけどオレ、成人してるからね? こう見えてオトナの男だからね?」
「いや、店には俺が顔を出そう。この面相だ、名乗らずとも話を聞けば、リチャード殿もすぐに俺だと気づくだろう。とすれば面会を拒みはしないはずだ。お前たちはその間、宿に戻っていてもいい」
「で、ですが本当に大丈夫でしょうか。ヴィルヘルムさまも今や立派なお尋ね者ですし、そんな方が訪ねていらしたと分かったら、リチャードさまは地方軍に通報なさるんじゃ……?」
「安心しな、マリー。リチャード殿は信義に厚いお方、かつての戦友を理由も聞かずに国へ売ったりはしないさ。それにあの方のお人柄を考えれば、内心では今の黄皇国の在りように心を痛めておられるはず……きっと我々の話にも耳を傾けて下さるだろう」
心配そうなマリステアを諭すケリーの話を聞きながら、カミラも細かく切った野菜とパン屑のブイヨン煮込みを掬って口へ運んだ。唯一何も食事を取らず、窓際の席で外を眺めているジェロディには気が引けるが、カミラたちはこうして燃料を補給しないと動けないのだから仕方がない。
「――ジェロディ殿。新生救世軍が発足してから、今日でちょうど一ヶ月となりました。皆さんのご協力のおかげで島の測量、本砦の増築計画、農園の拡大、その他諸々の試算も順調な進捗を見せています。しかし島の整備が進みつつある一方で、戦に必要なものの調達は捗っておりません。すなわち兵力と輜重、そして船です」
救世軍の軍師となったトリエステがおもむろにそう話し出したのは、今から四日前のこと。
カミラたち救世軍の面々と、同盟関係にあるライリー一味の幹部三人――すなわち棟梁のライリーと腹心のレナード、ジョルジョ――を集めた席で、彼女は今後の見通しについて滔々と語り始めた。
恐らくあれが新生救世軍最初の軍議と言っていいだろう。話は全員を収容できる砦の食堂で行われたが、ゆくゆくは砦を増築し、会議室のような場所を設けるつもりだとトリエステは言った。
しかし計画だけは着々と練られても、カミラたちには肝心のものが足りない。そう、すなわち――活動資金だ。
「現在我々の手元にはエリジオから寄付された三百金貨と、ライリー一味が保有している五百金貨相当の貨幣及び金品があります。しかし我々の活動を恒常的に維持していくためには、当然ながらこれだけでは足りません。兵力が増えれば増えるほど彼らを養う資金が必要となりますし、軍を陸へ運ぶための船も入り用です。旧救世軍ではこれを反体制派貴族の後援と国の専売品である金や鉄の密売で賄っていたそうですが……」
「ああ。だが貴族連中と救世軍をつないでたのはジャンカルロの存在だ。やつらは黄妃の甥……つまり黄帝の義甥というジャンカルロの立場の強さと、そのジャンカルロの婚約者だったフィロに賭けてた。仮に救世軍が黄皇国を打倒したとして、ジャンカルロやフィロなら次の君主としての正統性を主張できるからだ。ところが、まあ、こういう言い方はアレだが……」
「今度の総帥は平民出身であるガルテリオ・ヴィンツェンツィオの嫡子。つまり彼らも成り上がり貴族の息子なんて支援したがらない可能性が高い、だろ?」
ウォルドの言葉を引き継いだのは他でもない、そのヴィンツェンツィオ家の御曹司・ジェロディだった。彼は不愉快そうではなかったもののさすがに憮然とした様子で、言葉つきもため息混じりだったのがカミラの記憶に残っている。
「で、ですがティノさまは、詩爵家のお生まれである以前に神子なんですよ? だとしたら正統性は充分じゃないですか! このトラモント黄皇国だって、太陽神さまの神子であらせられたフラヴィオさまが築いたものですし……」
「しかし三百年前、フラヴィオ一世を支持した有力者たちは皆、エレツエル神領国に滅ぼされたフェニーチェ炎王国の遺民でした。彼らがフラヴィオ一世に協力したのは、炎王の末裔たるアルナルド・レ・ソルフィリオが〝神子たるフラヴィオに後事を託す〟と遺言して死去したからです」
「で、でも! たとえ偉い人のお墨つきがなくたって神子は神子、エマニュエルでは神の代弁者である神子さまのお言葉は絶対です! 人並みの信仰心を持っている方なら、お貴族さまでもきっと――」
「信仰心ねえ。だが確かてめえらの話では、黄都じゃ黄帝までもが神子の言葉を退けたってんで、大騒ぎになってたんじゃねえのか?」
「あ……」
と、気怠そうに頬杖をついたライリーの一言で、マリステアはすっかり反論の余地をなくしてしまった。一国の王たる黄帝が預言を拒否した今、貴族たちもまたそれに倣うのではないか。誰もがそんな懸念を抱いたことは言うまでもない。
そもそも人類が保持する信仰心なんてものは、《神々の眠り》から千年もの時の流れですっかり希釈されてしまった。郷の伝統と信仰が直結していたカミラはまだいい方だが、ライリーなどは無神論を主張して憚らないし、最近では教会の礼拝へ毎日通う人間の方が稀だと聞く。
つまり人々の心は、神々から離れつつあるのだ。だからこそ黄帝のように神子を軽んじる者まで現れた。まあ、目覚めの予言を残しておきながら、千年以上も寝腐ったままの神々にも責任はあるのだけれど。
「そもそも反体制派とは言っても貴族は貴族だ。ジャンカルロやフィロメーナのように、己のすべてを擲ってでも民を救いたいと望んでいる者がどれだけいるのか正直分からん。貴族というのはどこの国でも、己の利権と体面ばかり気にして動く生き物だからな」
「ヴィルヘルム殿のおっしゃるとおりです。残念ながら私も黄都を離れて久しく、貴族たちの力関係や思惑については不勉強と言わざるを得ません。何より私が危惧しているのは、実際に黄皇国を打倒したあとのことです」
「黄皇国を打倒したあと……?」
「はい。そうなれば我々救世軍は、黄皇国に代わる新たな国を打ち立てるわけですが、新国家でも貴族制を導入するかどうかは今のところ未検討です。ですので下手に貴族を抱き込むとあとが怖い。彼らのほとんどはこの戦が果てたのち、自身の働きに見合う報奨を望むでしょう。たとえば新国家での高い地位だとか、所領だとか……」
「なるほど……しかしもし貴族制を廃止するとなれば、見返りを得られなかった貴族たちの不満が爆発し、内紛に発展する可能性がある――?」
「はい。ですので私は今後の救世軍の戦いの一切を、貴族には頼らず民衆の力で成し遂げるべきと存じます。現政権の腐敗の因である貴族たちの援助など、一赤銅貨たりとも必要ありません」
あまりにも強く断固としたトリエステの言葉に、カミラは正直唖然とした。貴族の助けなしに国を倒す戦いに挑む。そんな彼女の献策を無謀だと思う一方で、その滾るような決意に胸打たれたのだ。
それどころかトリエステは、既に黄皇国を滅ぼしたあとのことまで考え手を打とうとしている。勝てるかどうかも分からない――今はまだたった八人の救世軍と、六百人あまりの湖賊しかいない現状で。
まっとうな思考力を持つ者ならば、彼女を地に足のつかない夢想家と嗤うだろう。だがトリエステは何もかも承知の上でやるつもりなのだ。亡き妹の悲願を果たすために。
そう思ったらカミラは何だか泣きそうになって、しかしきゅっと拳を握った。
――この人たちとなら、きっとできる。
黄皇国を打倒し、フィロメーナの夢見た国を築くことが……。
「だがよ、貴族の後ろ盾なしに一体どうやって軍資金を確保する? 俺ァ別に適当な町からぶん取ってきても一向に構わねえが、てめえらはイイ子ちゃんの集まりだからそういうのはイヤなんだろ?」
「もちろんです。略奪など働いて民衆を敵に回しては、我らに勝機はありません。ですのでまずは、草の根から協力者を募ります」
「草の根から?」
「はい。この国で大金を所持しているのは何も貴族だけではありません。トラモント黄皇国には古くから、豊かな土壌を背景とした豪商たちが数多く存在します。中でも私が特に信頼しているのが、今はピヌイスという町にいる織物商のリチャード・アラッゾさんです」
「織物商のリチャードというと、正黄戦争のとき義民兵を率いて真帝軍に駆けつけたあのリチャード殿か?」
「ええ、そのリチャードさんです。ヴィルヘルム殿とケリー殿は面識があるはずですね」
「ああ、私も覚えている。とても商人とは思えぬ勇猛さと忠義心から、ガル様と並んで『無冠の獅子』と讃えられた御仁だろう? お懐かしい名だ。しかしあんたもあのリチャード殿と知り合いなのかい?」
「はい。何しろガルテリオ殿が軍師トリエステ・オーロリーの死を偽装すべく、私を隠した先がリチャードさんのお屋敷でしたので」
「え……!?」
まるで大したことでもないように告げられたトリエステの告白に、ジェロディたちは目を見張っていた。カミラの方はトントン拍子に進んでいく話についていくので精一杯で、驚くタイミングを逃したけれど。
「で、ではリチャード殿は……!?」
「はい。陛下とガルテリオ殿、そしてエリジオら家族以外に唯一私の生存を知る人物です。ガルテリオ殿は義民兵団の団長として民からも信頼の厚かったリチャードさんに、私を匿うよう頭を下げて下さいました。事情を知るとリチャードさんも快くそれを了承し、私を親類の娘と偽って引き取って下さったのです。貴族令嬢ではなく一人の民として生きる術は、すべてあの方が教えて下さいました」
「だが、だったらあんたはなんでドナテロ村に移り住んだんだ? 大商人の立派なお屋敷に引き取られたなら、そこで余生を過ごす方が性に合ってたろ?」
「ええ。リチャードさんはオーロリー家の屋敷にいた頃と変わらぬ暮らしを約束して下さいましたから……ですが私は、偽帝フラヴィオの軍師として数多の人命を奪っておきながら、人に守られ、ぬくぬくと生きながらえている己を許せなかったのです。ですので半年ほどでリチャードさんのお屋敷を辞し、ドナテロ村へ移り住みました。誰の手も借りず一人で生きてゆくために」
「はあ……そりゃまたクソ真面目なこって」
粗末な木製の卓に背中を預け、腕を組みながら呆れた様子でウォルドが言った。しかしトリエステはそんな彼の発言を無視する方針を固めたようで、表情も変えずに手元の資料――何の資料かはカミラの位置からは分からなかった――をめくりながら話を続ける。
「とにかく、リチャードさんはそうした人望の厚いお方ですので、上手く説得できれば我々への協力を取りつけることが可能かもしれません。さらにあのお方はトラモント商工組合の重役です。私の調べたところによると、現在はギルドのレーガム地方支部をまとめる支部長でいらっしゃるとか……」
「あ、あのう……そのなんとかギルドって何ですか?」
「はあ?」
と、そこで知らないハノーク語と巡り会ったカミラが尋ねれば、ライリーから信じられないものを見るような視線を寄越された。他の面々もちょっと驚いたような顔をしていたけれど、すぐにカミラがトラモント人ではないことを思い出したのだろう、質問の意図に納得した様子。
ところがライリーだけはとことん優しくなかった。彼は心底呆れ果てた顔でカミラを見ると、頬杖をついていた体を起こし、何やら懐をゴソゴソし始める。
「てめえはどこの田舎モンだよ。今時トラモント商工組合っつったら、国の外れのそのまた外れに住んでる鼻タレのガキだって知ってるぜ」
「な、何よ、しょうがないでしょ、私は黄皇国に来てまだ一年経ってないんだから!」
「ハア……要するに商工組合ってのは、この国の商人と職人を束ねる親玉みてえなもんだ。他の国ではどうだか知らねえが、黄皇国じゃギルドが商売の一切を取り仕切ってて、ギルドの承認を受けてねえ商人が勝手に物を売ったり買ったりすることは禁止されてる。まあ、早い話が国内の商人や職人を把握して管理するための組織ってことだな。詳しい話はお前に言っても理解できねえだろうから省略するが」
「な、何ですって……!?」
「だが最近のギルドはいい噂を聞かねえぜ。何でも組織の上役どもが役人に尻尾を振って、やつらの言いなりになってるって話じゃねえか。庶民には高値で売りつけてるもんも、役人や軍人には破格の値段で卸してるとか。だから役人どももギルドには便宜を図って、融通のきかねえ商人たちに圧力をかけたり、無実の罪を着せてしょっぴいてるってもっぱらの噂だ」
「へえ。ライリー、お前やけに詳しいな」
「ったりめえだろ、こちとら元は船商人だぜ。まあそれもギルドと結託した役人どもに邪魔されておじゃんになったがな」
見るからに高そうな造りの煙管を取り出して、刻み煙草を詰め始めたライリーに、一同は「ああ……」と同情の眼差しを向けた。つまるところ今の話は、半分以上彼の実体験ということか。そもそも役人の妨害がなかったところで、こんな短気な男に商売人など続けられたのかどうかは甚だ疑問だが。
(だけどそう言えば、前にジェッソで会ったジーノのお父さんも……)
と、カミラは遠い記憶に思いを馳せる。ギルドから賄賂を受け取ったあの町の郷守が、靴職人の父から工房を取り上げ自殺に追い込んだ――と嘆く少年と出会ったのは、もう一年近く前のことだった。
あのときはジーノの父親が追い詰められた経緯を〝郷守のせい〟としか認識できなかったが、事件の裏にはそんな事情があったのか。ジーノの幼馴染みであるミレナも確か、同じギルドに所属する職人がジーノの父親の人気に嫉妬して郷守と組んだ、とか言っていたような気がするし、ライリーの身に起こったことはこの国の日常茶飯事となりつつあるのだろう。
「ってことはさ、そのリチャードさんて人も十年前とは人が変わっちゃってるんじゃないのー? オレは商工組合のことはよく知らないけど、支部長って言ったら結構なお偉いさんでしょ? だったらとーぜんお役人さんとの距離も近いわけだし……」
「いいえ。私の見立てでは、リチャードさんはたとえ天が墜ち地が裂けようとも己が信条を曲げるお方ではありません。でなければあの内乱の中私財を擲ち、義民兵を募って真帝軍に合流するなどという芸当ができるわけがありませんから」
「俺もトリエステの意見に賛成だ。当時もリチャード殿は、フラヴィオ六世の暴政に苦しむ民を見かねて決起した。その仁義はあれから十年が経った今も、充分信用に値する。訪ねてみる価値はあるだろう」
――というわけで、カミラたちは現在ピヌイスの町にいる。コルノ島から湖賊の船に乗ってピヌイスの町の港に上陸し、まずはリチャードという男の実態や近況について探りを入れていた、というわけだ。
と言ってもカミラたちはやはりお尋ね者だから、堂々と大手を振って聞き込みをするわけにもいかない。そこで一行は、仲間内で唯一顔が割れていないカイルに聞き込みを依頼した。
カイルを救世軍の一員と認めるか否かについては最後まで議論が紛糾したものの、まあ、ライリー一味との同盟が上手くいったのは多少なりともカイルのおかげだ。何故だか知らないがライリーもカイルのことは認めている様子だったし、結局カミラたちは救世軍とライリー一味、その同盟関係の潤滑油としてカイルを留めることに決めた。毎日まとわりつかれて鬱陶しいことこの上ないので、カミラは自分の決断を少なからず後悔しているけれど。
「なら、話は決まりだな。向こうの都合が悪いと言われねえ限りは今夜、俺たちはリチャードの屋敷を訪ねる。その手筈を整えるのはヴィルヘルムに任せて、残りは夜まで自由行動ってところか。いいだろ、ティノ?」
「うん。だけどヴィルヘルムさんの手配書が回り始めたのも事実だし、一人で店まで行ってもらうのは少し不安だ。カミラ、君もヴィルヘルムさんと一緒にリチャードさんのお店を訪ねてくれる?」
「いいわよ。トリエステさんが言ってたピヌイス織りっていうのも気になるし――」
「ハイハイハイハイ! じゃあオレも行きます! 行きますったら行きます! だってこんな強面のオッサンと美少女を二人きりにするとかさ!? いっそ犯罪だからね!?」
「か、カイルさん、なんてことおっしゃるんですか! ヴィルヘルムさまに失礼ですよ……!」
「いや、気にするな、マリステア。俺もこのガキの戯れ言にはもう慣れた。あとで十回シメておくから安心しろ」
「ほらあ!? 堂々と犯罪予告してるしね!?」
「つーかヴィルヘルム、前から気になってたんだがよ。あんた、料理に出てくる芋をそうやっていちいち潰すの、癖なのか?」
「は? ……いや、癖というか、別に普通じゃないか?」
「普通なわけねえだろ。ケリーの皿を見ろ、同じ料理なのに見た目が天と地ほども違えだろうが」
「た、確かに……もしやゲヴァルト族の作法では、芋は潰して食べるのが一般的なのですか、ヴィルヘルム殿?」
「ああ……考えたこともなかったがどうやらそうらしい。お前たちトラモント人は、芋は潰さないのか。ゴロゴロして食いにくいだろう」
「いちいち潰して食う手間を考えたら、そのまま食った方が多少食いにくくても早えだろ。料理の見た目も保たれるしな」
「えっ、ウォルドさん意外とそういうとこ気にすんの!? 芋なんて握り潰しそうな見た目してんのに!?」
「おう、こう見えて食にはうるさいんでな。何ならお前の頭も今ここで握り潰してやろうか、カイル?」
「ぎゃーっ!? 殺される!? カミラ、助けて――へぶしっ!?」
どさくさに紛れて抱きつこうとしてきたカイルの顔面を、カミラは再び右手で押さえた。そうしながら左手で淡々と食事を進めているうちに、ウォルドに頭を掴まれたカイルが引き剥がされ、隣で悲鳴を上げている。
向かいに座るケリーたちは呆れ顔。できれば他人のふりをしたいと顔に書いてあるが、彼らの中で一人だけ、小さく笑い出した者がいた。ジェロディだ。
「……ティノくん? どうしたの?」
「いや。カイルは相変わらずうるさいけど――何だか僕ら、いい仲間になってきたなと思ってさ」
いい仲間。窓辺の光を浴びて笑う彼の言葉に、カミラは目を丸くした。
けれど気づけば自分も心をくすぐられ、つられて笑い出している。
――いい仲間。確かにそうだ。
今はまだたった八人だけど、カミラたちはあんなに深かったフィロメーナの死という谷を乗り越え、こうして歩き出している。
今の自分たちの姿を、フィロメーナにも見てもらいたかった。
そして伝えたい。
救世軍はまだここにある、と。




