137.とある少年のひとりごと
「――うん。そんなわけでジェロディが救世軍の新しいリーダーになるみたいだよ。前のリーダーの、えーと、フィロメーナさん、だっけ? が死んだってことは、まだしばらくは内密にしておくみたいだけど。……うん、まあ、そういうこと。フィロメーナさんは各地に散らばった仲間をもう一度集めるためのお忍びの旅に出てて、その間総帥代理を任されたのがジェロディって筋書きでいくみたい。上手いこと考えるよねー、トリエステさんも。さすがは軍師の家系って感じ? 超絶美人なだけじゃなくて頭までいいんだもんなー。あんまり笑ってくんないのが玉に瑕だけど」
その晩、冷たい灰色の岩に腰を下ろして、少年は空を見上げていた。
大きく膨らんだ月の光が、細波に濡れる湖畔を照らしている。月が明るすぎるせいで星影はだいぶ少ないが、ここから見上げる空は狭く、それでいて黄都から見上げるものとはだいぶ違う。
あの街は夜でも明るすぎるんだよなー、と、喋りながら少年はまったく別のことを考えていた。ソルレカランテには夜の間も街を照らす夜光灯なるものがある。角灯の中に夜光石を入れたもので、街の主要な辻々に設けられているのだ。
子供の頃にはあの幻想的な光に魅せられて、どうにか夜光石を盗もうと試行錯誤したものだった。当然ながらアレは国の財産なので、盗めば大罪になるのだが、街では石の盗難があとを絶たない。夜光石はラムルバハル砂漠でしか取れない希少なものだから、売れば高値で取引されるのだ。
そのような窃盗を防止するために、夜光灯をぶら下げる柱は年々高くなっていった。おかげで幼き日の少年にはどう頑張っても手が届かず、かなり悔しい思いをした記憶がある。
けれどどうして今そんなことを思い出すのか、自分でも説明がつかなかった。
柄にもなくホームシックにかかっているとか?
いや、自分に限ってそれはない。ここは意外に楽しいし、毎日何かしらの刺激がある。ありきたりな宿屋の息子としてつまらない一生を過ごすよりはずっとマシだ。かと言って自分の実家でもあるあの宿が、嫌いなわけではないのだけれど。
「……え? ああ、大丈夫大丈夫、それはバレてないって。ていうかオレさー、カミラのことちょっとマジで好きになっちゃったかも。だってすげえ一途なんだもん。いや、オレにじゃなくてね? その、つまり救世軍に? そりゃもちろんオレのこともあんな風に想ってくれたら嬉しいなーなんて思ったりなんかもしちゃってるけど――ちょ、いやいや分かってるよ、分かってるって。今だってちゃんと真面目に報告してるだろ? ……ないよ、そんなの。だってあいつらと接触してまだ数日だぜ? まあ向こうは今日の件でオレのこと見直してくれたみたいだけど?」
胸元に下がる首飾りを弄びながら、あぐらをかいて月を仰ぐ。
そうしていると、まるであの月と会話しているみたいだ。月というのは夜魔神ヤレアフの作った大きな鏡で、神聖な太陽の光を跳ね返し、魔の力に換えているのだなんて言われているけど少年は信じていない。
だって月明かりの下というのはこんなにもロマンチックだ。そして何故だかノスタルジックな気分にもなる。
もしかしたらあの月という天体は、魔神の鏡なんかじゃなくて巨大な夜光石なのではないか。蒼白い光の球体を仰ぎ見て、そんなとりとめもないことを夢想する。
「……うん、まあ、それはオレも善処するけど。とりあえず何か進展があったら、また連絡すればいいんでしょ? ……だーかーらー、ちゃんと分かってるって。あいつら何だかんだ言って人が好さそうだから、ちょっとやそっとのことじゃ疑われないよ、絶対。ひとまずカミラにくっついてれば、黙ってたって救世軍の情報は入ってくるし? ……はいはい、りょーかい。だけどオレになんかあったら、そっちもちゃんと責任取ってくれよなー。でないとソルレカランテ中の女の子が泣くからさ? ……もしもし? ねえ、ちょっと聞いてる? おーい、無視すんなよ! 人が大事な話をしてるときにさあ!」
少年が苛立って声を荒らげると、青い星が瞬いた。同時に赤い星がゆらりと揺らめき、妖しげに明滅する。少年はそれどころじゃなくて見逃したけど。
「……ああ、そう。じゃあオレも今夜はもう寝るよ。いい加減部屋に戻んないと誰かに気づかれそうだし? まあ、何も進展がなくても十日に一回は連絡するからさ。……え? 四日に一回? めんどくさ……いや、何でもない。だから何も言ってないって。はいはいはい分かりましたー。というわけで、通信終わり。――じゃーね、オッサン」
プツリと耳元で音がして、少年はふーっと大息をついた。まったくほんとに人使いの荒い男だ。そう思いながらも、少なからずこの状況を楽しんでいる自分に苦笑する。
だっていつかバレる日に怯えて過ごすくらいなら、たとえ危険でも瑣末なことなど忘れてしまった方がいい。人生は楽しんだもの勝ちだ。少年は一瞬一瞬を、いつ死んでも悔いがないように過ごしていたい。
「ま、人生楽しみすぎた結果がこれなんだけどね……」
――あれは一世一代の恋だったな、と思う。
今頃彼女もこの月を見上げているだろうか。彼女は今、笑っているだろうか。
あとにも先にもあれほど好きになったのはあの人だけだ。別れた寂しさは彼女の代わりだとでも言うように、今も隣で寄り添っている。
だけど少しも悔いてはいない。彼女が幸せならそれでいい。
だって愛してるから、手放せた。
そんな自分を少し、誇りに思っている。
「さーて、それじゃあそろそろ寝るかあ」
岩の上でぐぐっと伸びをして、そこから地面まで滑り降りた。大量の首飾りがジャラッと胸元で音を立て、夜の静寂を賑やかにする。
陳腐な鼻歌を歌いながら、砦までの道を歩いた。
真実は、霧の中を覗き込むあの月だけが知っている。
(第4章・完)
いつもご愛読いただきまして誠にありがとうございます。
第4章、これにて完結です。今章ではライリー一味、セドリック、エリジオ、カイル、トリエステなどなど、新キャラがどっさり登場しました。さらに次章でも仲間が増えて、救世軍がどんどん賑やかになっていく予定です。
さて、ここで本編とは関係のないお知らせなのですが、本サイトで活動されている甲姫様(ユーザID:341105)が各種外部サイトにて掲載中の作品に『きみの黒土に沃ぐ赤』という小説がございます。
こちらと本作(及び本作からの派生作品)の間に、キャラクター、シチュエーション、台詞等の類似点が多数確認されたので心配になり、第三者の検証を交えて話し合いをさせていただきました。
結果として甲姫様からは、両作の類似性はほとんどが偶然の産物であること、また拙作に「影響を受けた」部分もあるかもしれないが、いずれも「無意識」にしたことであるとのご回答をいただきました。
なお詳細については下記URLをご参照下さい。
*甲姫様作品あとがき
https://archive.fo/e8DaV
*大切なお知らせ(作者ブログ)
http://mblg.tv/desertflower/freepage/1
と、既存のお知らせページだけでは読者様の目にとまらない可能性がありましたので、甲姫様との合意の上、この場を借りてご報告させていただきました。
よろしければ次章もお楽しみいただけましたら幸いです。




