136.試し試され
どんと目の前に置かれた皿には、山盛りの肉が乗っていた。
切り分けられた塊の中に赤い部分も見え隠れする、焼きたてほやほやの肉である。
一行はその肉の山を前に、思わずごくりと固唾を飲んだ。
卓の向かい側には腕を組み、椅子に座ってふんぞり返ったライリーがいる。彼の背後にはレナードとジョルジョも控えていて、長身の二人から同時に見下ろされると、気分は何だか自白を強要されている容疑者のようだ。
「あ……あの、もしかしなくても……〝度胸試し〟って、これ……?」
「おうよ。てめえにはこれが何の肉に見える?」
「う……牛の肉……じゃないといいんだけど……」
肉塊を挟んでライリーと対峙しながら、ジェロディは希望的観測を口にした。が、当然ながらそれが淡く儚い希望であることは理解している。だって眼前の大皿から立ち上るこの匂いは、間違いなく牛の肉のそれ、だ。
鶏肉や羊肉とはまた違う、独特の臭みに浅黒い焼き上がり。表面はやたらとてらてらしていて、見るからに胃にもたれそうだ。
ジェロディはこれと同じものを、初めてこの島へ来たときにも提供された。あのときは一応もてなしとして出されたものだったが、マリステアの断固たる抗議により食さずに済んだことを覚えている。
何故ならジェロディらトラモント人にとって、牛は聖獣。その肉を食らうことはもちろん、牛を殺めることさえも、この国では固く禁じられている。
しかしライリーは不敵にも、そんな禁忌の肉塊を再びジェロディの前へ突き出した。理由は簡単、これがカミラとライリーの交わした同盟の条件だというのだ。
ライリーは砦の一階にある食堂へジェロディたちを連れ込む前、「これから度胸試しをする」と言った。新生救世軍のリーダーであるジェロディが、彼の課す試練を突破できたなら同盟の話を飲んでやる、と言い出したのだ。
そのときはまだ試練の内容が何なのか告げられていなかったし、カミラがライリーの言葉に嘘はないと言うので条件を飲んだ。が、こんな展開は予想外だ。
そもそも話がどう転んだら、同盟締結の条件が度胸試しなんて展開になるのだろうか。ジェロディは体をこわばらせたまま、ちらとカミラを盗み見た。彼女はこちらの視線に気がつくと、大層気まずそうに目を泳がせる。
「残念ながらご名答、こいつは俺たちが島で大切に育てた牛の肉だ。だがレナードから聞いた話じゃあてめえら、前回はこの俺のせっかくのもてなしを無下にしたそうだなァ。え?」
「そ、それは、あなた方が牛の肉だなんて冒涜的なものをいきなり食卓に持ち込んだからで……!」
「女は黙ってろ。俺ァ今てめえらのリーダーと男と男の話をしてんだ。次に余計な口挟みやがったら犯すぞ」
「な……!? な、な、な……!?!?」
「ま、マリーさん、気持ちは分かりますけどここはライリーの言うとおりにして下さい。でないとほんと、冗談じゃ済まないんで……」
下品を通り越して下劣極まりないライリーの脅迫に、マリステアは目を白黒させながらかあっと頬を上気させた。しかし彼女の怒りが爆発するよりも早く、何故か青い顔をしたカミラが宥めにかかる。
一方ジェロディは、今のライリーの発言に同盟への意欲をごっそり削がれた。それどころか何かどす黒いものが全身から噴き出し、発作的にライリーを斬りつけたい衝動に駆られる。
ところがそんなジェロディの心の動きを読んだのかどうか。ときに後ろで佇むトリエステが、卓の上の肉を見下ろしながら口を開いた。
「なるほど。それで唐突に牛肉など用意したというわけですか。生まれも育ちもこのトラモント黄皇国であるジェロディ殿が、太陽神に対する信仰を捨てられるかどうか試したいと?」
「いいや、こいつァそんなご大層なもんじゃねえ。俺はただこのガキの覚悟と度胸を知りてえだけだ。仮にこれからてめえらと同盟を組むとして、そんときゃ俺たちゃ共闘するわけだろ? だが俺は一味の棟梁として、こいつが舎弟どもの命を預けるに値する相手かどうかきちんと見極める必要がある。そうだよなあ、カミラ?」
「えっ。あ、えっと、まあ……ソ、ソウデスネ……」
カミラは不自然な片言で、やはり視線を泳がせながらそう答えた。これまで「てめえ」だの「赤いの」だのぞんざいに呼ばれていたのが、急に名前で呼びかけられて戸惑ったのだろうか。それにしては彼女の額を濡らす汗の量がすさまじいのも、ライリーがやけにニヤニヤしているのも気になるけれど。
「つーわけで、だ。今日という今日こそてめえには俺のもてなしを受けてもらう。俺たちと同盟してこの島を手に入れたかったら、ここにある肉を全部たいらげろ。それができたら俺もてめえを認めてやる」
「ぜ、全部……!?」
「そうだよ。なんか文句あんのか?」
文句があるも何も、大ありだ。だって今ジェロディの目の前にある肉の山は、少なく見積もっても四、五人分の量はある。対するジェロディはつい二刻(二時間)ほど前に朝食を済ませたばかりだ。
そもそもジェロディは生来少食で、今は右手の大神刻がもたらす恒常的な満腹感もある。神子となってから三ヵ月、無理に食事をして具合が悪くなったことは数あれど、空腹を感じたことは一度もない。
そんな状態でこの肉の山をたいらげろというのか。とすればこれはもはや度胸以前の問題だった。
大食らいのウォルドやオーウェンならいざ知らず、こんなに脂ぎった肉の山を一人で食べ切るなんてとても無理だ。いや、救世軍のためにはたとえ無理でもやらねばならないと理解しているが、精神的にと言うよりはむしろ物理的に、きつい。
「どうした? 早くもビビッちまっておうちに帰りたくなってきたか?」
が、頬杖をついてニヤついたライリーの挑発に、カチンときた。ここで少しでも弱みを見せれば、彼は今後もまず間違いなくジェロディを見下してくる。
たとえ同盟が成立したとしても、対等な立場での関係構築は難しくなるということだ。そうなればジェロディ自身が辛酸を舐めるだけでなく、仲間たちにまでみじめな思いをさせてしまう。
――思いどおりにさせてたまるか。
ジェロディはついに腹を決め、目の前の食叉と食刀を手に取った。使い慣れた銀食器より一回りよりも大きいそれで、肉の山の一角を切り崩し、取り皿の上へ移動させる。背後から不安げなマリステアの声が聞こえた。
「ティ、ティノさま……」
早く彼女を安心させてやらなければと思いつつ、改めてまじまじと眼前の肉塊を観察する。表面には黒胡椒がまぶされ、焼き方は半焼きだ。
羊肉よりもかなり肉厚で表面も硬く、切り分けるのに少し力が要る。それでも何とか一口大に切り落とすと、断面からじゅわっと肉汁が溢れてきた。
これがまた独特の臭いを放っている。聖獣の肉に対してこんな形容は失礼だが、生臭いというか、乳臭いというか……。
果たして味の方はどうなのだろう。本当にまったくただの一度も食べたことがない食材だから、想像しようにもイメージが生まれない。
トラモント黄皇国が建国以来、国民に食すことを禁じてきた幻の肉。
ジェロディは慎重に唾を飲み込んでから、恐る恐る肉片を口へ運んだ。
これを口に含んだ瞬間、自分は神子でありながら、太陽神シェメッシュに仇為す冒涜者となる――
「――あーもう我慢できねー! ライリー親分、いただきます!」
「なっ……!?」
そのときだった。今にもジェロディの口の中へ収まろうとしていた牛肉が食叉ごと強奪され、ジェロディは唖然とした。
盗難された肉を慌てて目で追えば、いつの間にかすぐ後ろに佇んだカイルが木製の食叉を手にしている。
次の瞬間、彼は一毫のためらいもなく、叉に刺さった肉片をぱくりと食べた。
途端に居合わせた面々から悲鳴にも似た絶叫が上がる。
「か、か、か、カイルさん……!?」
「おいカイル、てめえ何やってんだ! そいつはてめえに食わせるために用意したわけじゃ……!」
「わっへうぇろがもっはいふうんわおん! えもおうぇもぎゅーいくあうぇへみはかっはから……うぇいうかほへあっく!!」
「あー、くそ! こいつ何言ってんのか全ッ然分かんねえ! ナメてんのか!?」
「そういうことなら俺もいただくぜ。この度胸試し、ティノが一人で全部の肉をたいらげるように、とは言われなかったしな。ちょうどあの朝飯だけじゃ足りねえと思ってたとこだったんだ」
「お、おいウォルド! あんたまで何を――」
ケリーの制止など何のその、ウォルドはジェロディの左手にあった食刀をカイルに倣って奪い取ると、皿の上の肉塊へぶっ刺した。それを見たジェロディが「いや、違う、食刀はそうやって使うものじゃ――」と混乱のあまり見当違いな忠告を口走っている間に、子供の拳ほどもあろうかという牛肉がウォルドの口の中へ放り込まれる。
「うはっ、うめえ。やっぱ肉っつったら牛肉だよなあ。黄皇国に来てから何年も食えなかったんで、この味を忘れるところだったぜ。おいライリー、酒持ってこい酒」
「ぷはーっ! なんだこれ、この肉甘くない? 甘いよな!? なあジェロ、お前も食ってみろって! 臭いはなんかアレだけど、すげえうまいぜ!」
「か、カイルさん、一体なんてことを……! ウォルドさんはともかく、あなただってれっきとした黄皇国民でしょう!? しかも黄都のお生まれならば、東方金神会の信徒ではないのですか!? そ、それなのに、何のためらいもなくシェメッシュさまのお肉を……!」
「あれっ、何だよマリーさん、怒った顔もかわいいね? やだなあ、そんな顔ですごまれたらオレ浮気しちゃう――あいたたたた……っ!?」
「さあカイル、そこまで言うならティノくんの代わりにあんたがこの肉を食べなさい。遠慮しなくてもたくさんあるから、今回は私が特別に食べさせてあげるわ。ほら、あーーーん」
「痛い痛い痛いッ! ていうか熱いッ! ちょ、カミラ、食べさせてくれるのはすげえ嬉しいんだけど、その肉マジで熱いからヤメテ――ぎゃあああああ!」
「まったく、仕方がないな……ならば俺たちも手伝うとするか、ケリー?」
「え、ええ……私も近々、命神系教会に改宗しようかと検討していたところです。ならば牛の肉ごとき、克服してやろうではありませんか」
「えっ、えぇっ!? そんな、ケリーさんまで……!?」
「あ、そ、それじゃあおれ、野菜取ってくる! ブレナンさんが育ててくれた、牛肉によく合うスクル菜があるんだ……!」
「あー……じゃあオレは酒でも持ってくるか。アンタが飲まねえ清酒の方を出してくるから、いいよな、ライリー?」
すぐ後ろから投げかけられたレナードの問いも聞こえていない様子で、椅子の上のライリーはわなわなと震えていた。ジェロディはそんな彼のことが何だか急に気の毒になって、励ましの言葉をかけようとする。
ところがそこへ、横から差し出された食叉があった。先端には小さく切られた肉が刺さり、やはりてらてらと陽の光を照り返している。
「はい。これはティノくんの分」
「カミラ、」
「カイルの言うことなんて半信半疑だったけど、確かにこのお肉、おいしいわ。他の肉より弾力があって、噛めば噛むほど味が染み出してくる感じ。って言っても今のティノくんにはあんまり分かんないかもしれないけど――太陽の村の戦士だって食べたんだから、もう怖いものなんかないでしょ?」
「そ……それもそう、だね」
「じゃ、そういうわけでティノくんもあーん」
「かっ、カミラさん!! どさくさに紛れて何をしてらっしゃるのですか!?」
「あ、せっかくだしマリーさんがやります?」
「そそそそそういう問題じゃありません……!!」
砦の食堂は、鳥来祭もびっくりの大騒ぎになった。しまいにはジョルジョとレナードが大量の酒と食器を運んできて、宴と勘違いした湖賊たちが集まり出し、何だかよく分からないがとてもめでたい空気になる。
一体何を祝っているのかさっぱり分からない、けれど何故か漂うお祝いムードの中、ライリー・マードックは怒りに震えていた。
が、彼の我慢がついに限界を迎えようとした刹那、横からすっと白い手が伸びてきて、目の前に濁り酒の注がれた杯を置く。
「……これもてめえの策略か、トリエステ?」
口元を不穏に歪ませながら、押し殺した声でライリーは尋ねた。
彼が見上げた先では白皙の女軍師が、たおやかに微笑んでいる。
「いいえ。今回に限っては、私は何もしておりません。ですが、これこそが――今日からあなたと共に戦う、救世軍です」
わっと皆の笑いが弾けた。酒の力か気の迷いか、この間までは救世軍を目の敵にしていたはずの子分どもが、今では彼らを取り巻き哄笑している。
そんな一味の不甲斐ない姿に嘆息しつつ、ライリーは再び頬杖をついた。輪の中心にいる赤いバンダナの少年と、同じく赤い髪の少女を半眼で見据えながら、酒の杯へと手を伸ばす。
「……まあ、悪かねえか」
思えばマウロが死んでから、こんな風に宴を開いたことなど一度もなかった。
自分が常に殺気立っていたせいで、仲間にもずっと息の詰まる思いをさせていたのだとライリーはそこでようやく気づく。
――これじゃ試されたのは俺の方だな。
そう思ったら何だか笑えてきた。
ふと目をやった卓の上では、あんなに大量の肉を乗せていたはずの大皿が、すっかり空になっている。




