134.新生救世軍
その日はのちの歴史書にも刻まれる、記念すべき日となった。
「それでは、ジェロディ殿。聞かせていただけますか、あなたの答えを」
永神の月、賢神の日。旭日が祝福のように降り注ぐ砦の広間で、カミラたちは一心に彼の答えを待っている。
ジェロディ・ヴィンツェンツィオ。生ける伝説ガルテリオ・ヴィンツェンツィオの息子であり、生命神ハイムに選ばれた神子。
齢十五を迎えたばかりの彼は、しかし幼さなど微塵も感じさせない精悍な顔つきで正面からトリエステと向き合い、告げた。
「救世軍第三代総帥の件、引き受けます」
たった一言。
逃げ道なんて必要ないと言わんばかりの、あまりにまっすぐで毅然とした言葉。
それを聞いて誰かが息を飲み、誰かが衣擦れを鳴らし、そしてカミラは再び泣きそうになっていた。だって彼の迷いのない横顔が、あまりに眩しかったから。
「ティ、ティノさま……本当に、よろしいんですか……?」
「ああ。これでいいんだよ、マリー。絶対後悔しないとは言い切れないけど、でも、やってみたい。僕が起つことで、救世軍が息を吹き返すのなら……」
マリステアは、不安そうだ。ジェロディがこれから背負うことになる宿命の重さを分かっているから、心配でたまらないのだろう。
ケリーの方はどうだろうか。ジェロディを見つめる彼女の横顔は今のところ無表情に見える。だけど彼女もマリステアと同じで、きっと心中は穏やかではないはずだ。だからカミラは意を決し、すうっと息を吸い込んで宣言する。
「だったら私はそれを手伝うわ。ティノくん一人に何もかも背負わせたりしない。これからは誰か一人に頼りきるんじゃなくて、みんなで支え合って新しい救世軍を作っていくの。何か異存ある、ウォルド?」
「いいや、何も。総帥になるってことがどれだけ重い決断かは、ここにいる全員が分かってるはずだ。それでもティノがやるって決めたなら、外野に口を挟む権限はねえ。少なくとも俺はそう思うがな」
最近また伸び始めた無精髭を擦りながらウォルドは言った。彼が言葉尻に含みを持たせた理由は、ちらと向けられた視線の先にある。
そこではヴィルヘルムが無言のまま佇んでいた。彼は昨日、ジェロディの総帥就任に強く反対した一人だ。が、ウォルドの一瞥に気がついたのかやがて嘆息すると、親指で剣の柄を撫でながら、言う。
「……俺とてジェロディが自分で決めたのなら口出しするつもりはない。だが覚えておけ。一軍のトップに立つということは、お前が思っているより遥かに過酷で大変なことだ。しかし一度引き受けたなら、たとえ何があろうとも決して投げ出すことはできない。それでも、やるんだな?」
「はい。覚悟の上です」
長らく各地で傭兵をし、様々な戦争を見てきたヴィルヘルムの言葉はこの上なく重い。けれどジェロディは怯まなかった。唇を引き結び、本物の覚悟ある者だけが湛えられる光を瞳に宿して、固く拳を握っている。
彼はきっと英雄になるだろう、とカミラは思った。
確たる根拠は何もない。しかし強くそう思うのだ。
トリエステの人選は正しかった。彼女はジェロディの答えを聞いて瞑目すると、首から下がったペンダントを握り締め、己も誓うように言う。
「ありがとうございます、ジェロディ殿。では改めて約束しましょう。私はあなたの軍師として、これより救世軍の勝利に身を捧げます。皆さん、異論はありませんね?」
「いーんじゃない? オレもこの中でリーダーやるならジェロしかいないって思ってたし、歳の近いヤツがリーダーだと個人的にはやりやすいし? 何より救世軍が有名になったら、ジェロのことはオレがリーダーに推薦したんだって女の子に自慢できるしなー!」
「あなたには訊いていません。私は救世軍の皆さんに質問しているのです」
「あ!? トリエステさん、ついにオレと口きいてくれたね!? 今のオレに言ったんだよね!? ヒャッホウ! 神様ありがとう!」
「ジェロディ殿。それでは軍師として早速進言させていただきますが、まずは一刻も早く彼にこの砦から立ち退いていただくべきかと存じます。部外者の存在は、皆の足並みを乱しますので」
「いやいやいやいや、オレもう部外者じゃないからね!? ここまで来たらオレも救世軍に入るからね!? いいよな、ジェロ!?」
ここまでの厳粛な空気が一気に壊れて、カミラたちは銘々に嘆息した。はっきり言ってカミラもトリエステの意見に賛成だが、見たところカイルにここを去るつもりはないようだ。
一体全体どうしてなのか、彼は今もさりげなくカミラの隣をキープしているし、朝食のときなんて過剰にベタベタしてきて鬱陶しいことこの上なかった。かくなる上はいよいよこの少年の問題をどうにかせねばなるまいと、カミラは額に手を当てて言う。
「あのね、カイル……黄都で助けてもらったことは本当に感謝してるわ。あなたの気持ちも、理解はできないけど一応有り難いとは思ってる。だけどあなたはやっぱり部外者だし、これ以上首を突っ込んで後戻りできなくなる前に、さっさと黄都へ戻った方が――」
「――部外者ってんならてめえらだってそうだろうが。忘れてるようだがここは俺の島で、てめえらは勝手に居座ってるだけの不法滞在者だ。話がまとまったんならそろそろ出ていってもらえるよなァ? さすがにこれ以上部外者をタダで泊まらせてやるほど、俺たちは優しくねえぜ」
そのときいきなり話を遮られ、カミラは声が引っ込んだ。驚いて振り向くと、そこには今しがたやってきたらしいライリーの姿がある。
やたら胸元の露出が激しい前開きの長衣――ヴィルヘルム曰く、あれは倭王国の衣服で『キモノ』というらしい――をしどけなく着こなして、寝起きの風体で現れたライリーはしかし、肩にはしっかりと刀を担いでいた。
後ろには彼の側近であるレナードとジョルジョもいて、前者は威嚇するように胸を張り、後者は心苦しそうに首を竦めている。
「あーっ! ライリー親分、おはよーございまーす!」
「おう。おめえは礼儀ってモンをわきまえたイイ客だがな、カイル。朝っぱらからそのキンキン声で騒ぐのだけはやめろ。頭に響いてうっかり斬り殺したくなる」
「はい! それじゃあオレ、黙ります!」
他の者の言うことには絶対耳を貸さないくせに、何故かカイルはライリーにだけは従順だった。あの男の一体どこにそこまで惚れ込む要素があるのか疑問だが、カイルがビシッと直立して大人しくなったのは有り難い。
「これでようやくてめえともオサラバってわけだ、ブレナン。いや、本名はトリエステとかいうんだったか? 散々俺らを引っ掻き回してくれやがって、本当はその礼に身ぐるみ剥いでやりてえとこだが、今回は特別に見逃してやる。ジョルジョがお前にはいい肥料の作り方を教わったからと、泣いて俺に頼むんでな」
「ありがとうございます、ジョルジョさん。ですが私は、あなたが元々作っていたものにほんの少し手を加えただけです。あの肥料の大元はあなたが自分で試行錯誤し、育てたのですよ。ですからどうか、もっと自信を持って下さい」
「あ、あ、ありがとう、ブレナンさん……でも、ほんとに行っちゃうんだね……おれ、ブレナンさんに教わりたいことが、もっとたくさんあったんだけど……」
ジョルジョは相変わらず首を竦めながら、大きな体を縮こまらせてトリエステとの別れを惜しんでいた。体格に似合わぬつぶらな瞳はうっすら潤んでいるし、彼だけはこの島で唯一トリエステと良好な関係を築いていたようだ。
「で、ですが、わたしたちはここを出てどこへ向かうのですか……? 今の救世軍には、拠点と呼べるような場所はどこにもありませんし……」
「あァ? じゃあ何か? てめえらは次の宿が決まるまで、いつまでも図々しくウチの軒下に居座りてえってのかよ?」
「ひっ……!」
「ちょっとライリー、マリーさんを脅さないでよ。誰もそうは言ってないでしょ!」
極悪な顔でライリーにすごまれ、怯えたマリステアをカミラはとっさに背後へ庇った。そうして彼の横暴な態度を非難すると、ライリーは「フン」と不機嫌そうに身を翻す。
「ま、そういうわけだ。短い付き合いだったが清々するぜ。岸まではジョルジョが送るとさ。用が済んだならさっさと荷物をまとめて、二度と戻ってくるんじゃねえぞ」
「いいえ、ライリーさん。我々はここを出ていきません」
「は?」
「え?」
立ち止まったライリーの声と、カミラたちの上げた疑問の声がぴたりと綺麗に重なった。カミラはトリエステの言葉の意味が理解できず、自分のハノーク語の解釈が間違っているのかと何度も訳を組み立て直す。
「おい、待ちやがれ。出ていかねえってのはどういうことだ?」
「単刀直入に申し上げます。ライリーさん、あなたの率いるライリー一味と我々救世軍との間に、同盟を結びたいのです」
「ど、同盟……!?」
予想もしていなかったトリエステの提案に、カミラたちは度肝を抜かれた。これから国を改革していこうとしている救世軍が、ならず者集団である湖賊と同盟?
そんな話は聞いていない。というかいくら何でも無理がある。心機一転、ようやく新たな船出をしようというときにいきなり湖賊と手を結ぶだなんて、救世軍の評判に傷がついてしまうじゃないか。
「ちょ、ちょっと待って下さい、トリエステさん。同盟なんて話は僕たちも――」
「トリエステ、とお呼び下さい、ジェロディ殿。あなたは今や私の仕えるべき主であり、我ら救世軍のリーダーなのですから」
「じ……じゃあ、トリエステ。ちゃんと説明してほしい。どうして突然湖賊と同盟するなんて言い出すんだい?」
「そいつは俺も聞きてえな。てめえの返答如何によっちゃ、新生救世軍は発足したその日に全滅することになるぜ、トリエステ」
朝から殺気を振り撒きながら、ライリーは鋭い眼光を軍師へ向けた。しかしこの数ヶ月の付き合いですっかり慣れてしまったのか、トリエステはそんなライリーの獰猛さにも動じる気配がまったくない。
「理由は単純明快です。我々の利害は一致している。同じ相手が敵であり、また目指すところも同じであるならば、手を取り合うことに不都合はないはずです。共に黄皇国を打倒しましょう」
「断る。何が利害の一致だ、ふざけんな。てめえらはただ行く宛も庇護してくれる相手もいねえからここに居座りてえだけだろ。そりゃこの島は安全だからな、マウロが時間と大金と仲間の血を費やして築き上げた俺たちの砦は鉄壁だ。だが俺たちがこの島を手に入れたのはてめえらに都合よく使われるためじゃねえ、湖賊の天下を作るためだ!」
「ええ、それは存じ上げています。しかしだとしたら何故、あなたはマウロ・ファネッティの描いた計画をなぞることをやめたのですか、ライリーさん」
「あァ……!?」
「マウロさんが黄皇国を倒すべく描いていた絵図は、この島に連れてこられてから一通り調べ上げました。彼は非常に優れた指揮官であり策士だった。彼の遺した天下統一の計によれば、あなた方はまず北の竜牙山脈に拠る山賊たちを統合し、山賊連合を締結。マウロ一味とライリー一味がリリアーナ皇女殿下率いる中央第二軍を引きつけている間、彼らに殿下の背後を襲わせトラジェディア地方を平定する。しかしあの地方の西部には、ここにいらっしゃるジェロディ殿のお父君、ガルテリオ将軍の脅威があります。ですからマウロさんはシャムシール砂王国とも手を結ぶおつもりだった。彼らに兵を動員させ、ガルテリオ将軍が国境の守りで手一杯になっている隙に、エグレッタ城を落とす算段だったはずです」
「……!」
「トラジェディア地方の東、ジョイア地方を守る中央第一軍は黄帝の直属部隊であるがゆえに滅多なことでは動かない。ならば西のガルテリオ将軍さえ押さえてしまえば、トラジェディア地方の統治を維持できるという慧眼の策でした。その後、湖賊・山賊連合軍は我が国と不可侵条約を結んでいる獣人居住区――ポヴェロ湿地へと進軍。そこに暮らす獣人たちとも同盟を結び、特に戦力として優秀な牛人族を味方につけてオディオ地方へ攻め入る計画だった。あの地方は竜人たちの暮らす死の谷と隣接していますから、砂王国と同盟していれば彼らの力も借りられるというわけです。加えて竜人の天敵である牛人と行動を共にしていれば、彼らの裏切りを警戒する必要もありませんしね」
「てめえ、どこでその計画を……!」
「重要なのは何故計画が洩れたかではありません。あなたがマウロさんの描いたこの策を放棄し、散発的な襲撃と略奪にひたすら腐心していることです。マウロさんが亡くなって三年が経とうとしているのに、計画はまったく進捗していない。と言うより彼が進めていた山賊連合結成への動きは既に風化し、まとまりつつあった人心はバラバラになっています。――ライリーさん。あなたはそれでもマウロ・ファネッティの後継者ですか」
どこまでも抑揚なく吐き捨てられたトリエステの言葉が、ライリーの眼に怒りの炎を燃え上がらせた。
激昂した彼は声も発さずに、いきなりトリエステの胸ぐらを掴む。カミラは思わず腰の剣へ手を回した。しかしトリエステは怯まない。
「てめえ、たかが数ヶ月この島にいたってだけで、マウロの何を知った気になってんだ? あいつが何を思って何をしようとしてたか、そんなのはてめえに言われなくても俺が一番よく分かってんだよ!」
「でしたら何を恐れるのです? あなたは彼の遺志を継ぐためにここにいるのではないのですか?」
「俺は何も恐れてなんかねえ! 知ったような口をきくな!」
「いいえ、あなたも本当は分かっているはずです。これ以上ご自分に嘘をつくのはおやめなさい。本当に何も恐れていないのならば、我々との同盟を拒否する理由はないでしょう。あなたは一味を率いる棟梁でありながら、ここにいるたった十五歳の少年にできたこともできないというのですか?」
まずい、と思った。ライリーの全身から噴き出す殺気が極限に達している。次の瞬間には、トリエステは殴られるはずだ。そんなことはさせない――と、カミラが踏み出しかけた刹那。
それより早くライリーをトリエステから引き離し、突き飛ばした人物がいた。ウォルドだ。カミラは呆気に取られつつ、正直助かった、と思った。自分の力では怒り狂うライリーを止められなかったかもしれないから。
「おい。事情は知らねえが、女に当たり散らすのはその辺にしとけ。みっともねえぞ」
「んだとてめえ……!」
「そこまでムキになるってことは、つまりそういうことなんだろ? お前はこいつに図星を突かれて痛えから喚き散らしてる。粋がってるだけのガキと同じだな。悪いが俺は、お前みたいな半端モンが率いる連中と同盟するなんざまっぴらごめんだ」
ライリーの金髪が生き物のように逆立った。今度こそ刀を抜くんじゃないか。そう思ったカミラは身構える。
ところが待っていたのは予想外の展開だった。ライリーは心底憎々しげに顔を歪めると、「くそ!」と悪態をついて踵を返したのだ。
「あっ……ら、ライリー、待ってよ……!」
荒々しい足取りで立ち去っていくライリーを、ジョルジョとレナードが追いかけた。レナードの方は去り際に何か物言いたげな眼差しをトリエステへ注いだが、やがてため息をつくや大股で廊下の向こうへ消える。
「ヒュウ。何だよウォルドさん、ただデカいだけかと思ったら結構やるじゃん? 実は意外とフェミニストなんだ?」
「うるせえな。俺はあのライリーって野郎が嫌いな男に似てたんで、見てて腹が立っただけだ」
(ウォルドの嫌いな男って――あ……)
と、カミラはそこで思い至った。
長らく共に戦いながら、彼とまったく反りが合わなかった男。
そのせいで深刻な仲違いにまで進展し、ついには殴り飛ばされていた男……。
そんな男はこの世に一人しかいない。イークだ。
言われてみれば今の状況は、カミラがゲヴラー一味の砦でイークに当たり散らされたときのそれに似ていた。だからウォルドはあの日と同じようにトリエステを庇ったのか。
「だ、大丈夫ですか、トリエステさん?」
「ええ……ご心配をおかけしました。救世軍が次の拠点を置くとしたら、この島以外考えられないのでつい無茶を」
「だとしてもアレはやりすぎだ。俺が止めに入らなかったらどこまで言うつもりだった? そんなにこの島が欲しいなら、他にいくらでもやりようがあったろ」
「分かっています。ですが私には、長らく彼らに養っていただいたご恩がありますから……ですから解き放って差し上げたいのです。ライリーさんを、呪いから」
――呪い。
トリエステが発したその言葉は、重く不気味に響き渡った。
彼女がライリーの何を指してそんな言葉を使ったのかは分からない。魔の力で物理的に呪われている……というわけではなさそうだから、あの男にもイークのように抱えた鬱屈があるのだろうか。
もしもそうならば、トリエステは偽名を使って飄々とこの島で暮らしながら、意外にも彼らの内面を見つめていたということだった。それどころかライリーの義兄弟であるマウロの策まで完璧に調べ上げていたらしい。
彼女が只者でないことは、その事実だけで窺い知れた。いや、彼女だけでなく、実に緻密で壮大な計画を描いていたマウロという男も。
「しかしあんた、本気なのかい。やつらと同盟を組もうなんて」
「ええ、もちろん本気です。我々が築いたものではないことだけが惜しまれますが、ここには反政府活動に必要なものすべてが揃っています。そして何より重要なのはその立地……ここコルノ島からは黄都ソルレカランテに睨みをきかせたまま、北のトラジェディア地方、東のレーガム地方、南のパウラ地方と、三つの地域に足がかりを築くことができます。加えて湖の上となれば、攻めてこられるのは北にいる第二軍の水軍だけ。これほど守りやすく攻めに転じやすい土地は、どこを探しても他にありません」
「だが島を守るためには味方にも水軍が要る。だからやつらと同盟を組もうと言うのか。既に充分な鍛練を積んだ水兵を手に入れるために」
「ご明察です、ヴィルヘルム殿。ライリー一味の水上での強さは、皇女殿下率いるトラモント水軍にも引けを取りません。官軍の数と物量に圧倒されて思うように動けていないだけで、同等の兵力で戦えば互角以上の力を発揮するでしょう」
「それもすべてマウロという人が訓練したのかい?」
「いいえ。彼らを鍛え上げたのはライリーさんです、ジェロディ殿。ライリーさんは類稀なる水戦の才能を持ち、だからこそマウロさんも彼を義弟としたのですよ。この島を拠点に黄皇国を打倒するためには、彼の力がどうしても必要不可欠だったのです。もちろん、粗暴ながらも何故か人を惹きつけるライリーさんのお人柄も、マウロさんは心底愛しておられたそうですが」
そのとき脳裏に、嫌な映像がちらついた。
今思い出すにはまだ鮮やかすぎる、死に際のフィロメーナの記憶……。
彼女は自分の命が尽きようかというときに、最後の力を振り絞ってカミラに告げた。
カミラ。あなたと過ごした半年間は、夢のように楽しかった。
私、幸せだったの。本当よ。
血の池に沈みながらそう言って微笑んでいた彼女の記憶が、カミラの胸を掻き毟る。肺が焼け爛れるような感覚に息が詰まり、思わずケープの胸元を握り締める。
呪い。
ああ、そうだ。これは呪いだ。
恐らく永遠に解けることなく、カミラの心を焼き続ける呪い。
もしも先程のトリエステの言葉が、これと同じものを指しているのなら。
「しかし、そのライリーがあの様子ではな……あれじゃあ余計に意固地になって、我々との同盟など聞き入れないんじゃないのかい?」
「いいえ、あとひと押しのはずです。あなた方との決闘以来、ライリーさんの中で何かが変わりつつあります。元々気難しい人ではありましたが、あなた方が島へ来るまではあれほど頑なではなかったのです。あの方は恐らく、焦っている」
「焦ってる?」
「はい。あなた方が島へ来たことで、マウロさんに託された計画の遅れを突きつけられて、心中穏やかではないのでしょう。あなた方がこれほどまでに打ちのめされながら、なお立ち上がろうと戦う姿を前に、自分は一体何をしているのかと」
トリエステはさながら預言者のようだ。まるでライリーの心の中を直接覗いてきたみたいに、彼の胸中を滔々と代弁してみせる。
人間の心というものは、そこまで単純なものではない――と言いたいところだが、今回ばかりは彼女の言を正しいと認めざるを得なかった。だってついこのあいだ島へ乗り込んできたばかりのカミラたちより、彼女の方がずっと長くライリーという男を見つめてきたのだから。
「なるほどな。じゃあどうする? みんなであいつのところに行って、光神歌でも歌ってやればいいのか?」
「いいえ。我々が大人数で押しかけたところで、ライリーさんは余計に心を閉ざすだけです。そもそもあの方は無神論者ですので、聖歌など歌って差し上げたところで神経を逆撫でするだけかと」
「冗談にマジで答えるなよ……」
「ライリーさんが今求めているのは、諧謔ではなく理解者です。彼は組織のトップであるがゆえに、仲間には弱みを見せられません。ですから彼と対等な立場で、互いに遠慮なく物を言える相手が必要です。そういうわけですのでカミラ、彼のところへ行ってきて下さいませんか?」
「うん…………って、え? わ、私ですか……!?」
半分物思いに耽りながら聞いていたら、突然予想もしていなかった言葉が飛んできて反応が遅れた。いつの間にかトリエステに呼び捨てで呼ばれているのも気になるが、それよりも今重要なのは、あのライリーの説得役に何故か自分が抜擢されようとしていることだ。
「ちょ、ちょっと待って下さい、どうしてカミラさんなんですか? 対等な立場でとおっしゃるのなら、同じ男性のヴィルヘルムさまかウォルドさんにお任せした方が……」
「確かにそちらのお二人でも構いませんが、やはり最適任者はカミラかと。今の彼女の話になら、ライリーさんも耳を傾けるはずです。少なくともウォルドやヴィルヘルム殿が行くよりは高い確率で」
「そ、その自信は一体どこから出てきていらっしゃるのでしょうか……」
「強いて申し上げるなら、人間観察と経験則です。私は根拠や成算のない進言は致しません。ジェロディ殿、ご裁可を」
何やら妙なことになった。ジェロディもまさかリーダーになって最初の決断が、こんな案件になるとは夢にも思っていなかっただろう。
彼は絵に描いたように戸惑いをあらわにしたあと、トリエステとカミラとを見比べた。そうして非常に告げにくそうに、体を竦めて口を開く。
「そ、それじゃあ、カミラ……お願いできるかな?」
カミラは頬が引き攣りそうになるのをこらえながら、どうにかこうにか頷いた。
……さあ、喜ぼう。
記念すべき新生救世軍の初任務だ。




