11.君がいない3年間について
コツンと軽い音がして、小石が窓に跳ね返った。
その窓は白い漆喰が塗られた民家の二階にある。
つくりはあまり上等のものではないものの、窓枠に硝子が嵌まっているということはそこそこ裕福な家庭であるという証拠だ。ここ白亜の町ジェッソは街道沿いの町だから、商業──特に細工物産業──が著しく発展している。
一見して裕福そうな家が多いのはそういう事情からだ。もっとも今は大半が見かけ倒しで、多くの町民が厳しい税の取り立てに喘いでいるという話だけれど。
「──カミラさん……!」
ほどなく頭上の窓が開いて、中からミレナが顔を覗かせた。
時刻は教会の鐘も鳴らない深夜。
カミラはホッとした様子のミレナを見上げて苦笑混じりに手を振ってみせる。
そこはちょうどミレナの家の真裏にある細い路地だった。
明かりはなく、人気もない。けれども高みから斜めに射す月明かりが、辛うじてミレナの表情が読み取れる程度の明るさを提供していた。
カミラは彼女を仰ぎ見ながら、すっぽりと頭を覆っていたフードをはずす。
「良かったです、ご無事で……! ちょっと待ってて下さい、今、縄を……」
「その必要はないわ、ミレナ。私、すぐに戻らなくちゃいけないの」
「え? も、戻るって……?」
窓の向こうに身を屈め、縄を垂らそうとしていたミレナが困惑の表情を浮かべた。つい数刻前にもそうやって、カミラはミレナの部屋から夜の町へと降りたのだ。地方軍に追われる身であるカミラのことを、ミレナの両親に知られるわけにはいかなかったから。
「あのね、時間がないから手短に話すけど、例の噂、本当だったわ。何もかもジーノが言ってたとおり」
「……! じ、じゃあ……!」
「ええ。救世軍は確かにこの町にいる。そして明日の夜、作戦を決行するって」
ひゅうっと息を飲む音がして、ミレナが両手で口を押さえた。内容や時間帯を考えるとどうしても小声でのやりとりになるため、ちゃんと伝わるかどうか不安だったのだが、幸いミレナは一言一句きちんと聞き取ってくれているようだ。
「で、まあちょっと色々あって、作戦には私も加わることになったわ」
「えっ。か、カミラさんも、ですか……!?」
「ええ。だから明日、ジーノに伝えてくれる? あなたのお父さんの仇は私が代わりに取ってきてあげるからって。そしたらジーノも納得してくれるでしょう?」
「で、でも、それじゃあカミラさんが……!」
ミレナは窓から身を乗り出して、下手をしたらそのまま落下してしまうんじゃないかというくらい深刻な身振りを見せた。ぎょっとしたカミラは慌ててミレナを押し留めると、大丈夫、と言って苦笑ってみせる。
「薄情に聞こえるかもしれないけど、別に全部ジーノのためってわけじゃないの。私にも私の事情があって……だからついでにジーノの仇討ちも肩代わりしようって、そう思いついただけ」
「だ、だけど、救世軍に入るってことは……」
「うん、分かってる。だからあなたと会えるのもこれが最後。もうここへは来られないわ」
ミレナが大きな瞳を潤ませ、きゅっと唇を結んだ。そんな顔をされると同性のカミラでさえ目のやり場に困ってしまう。けれどもカミラは敢えて笑った。
そうしてぐっと拳を握り締め、ミレナへ向けて突き上げる。
「ま、心配しないで。私、こう見えて悪運強いの。だからほとぼりが冷めて、またいつかジェッソへ立ち寄ることがあったら、きっとミレナに会いに来るわ」
「カミラさん……」
「たった一日の付き合いだったけど、色々とありがとう。あのときミレナが助けてくれなかったら、さすがの私もちょっとやばかった」
そう言ってカミラが肩を竦めれば、ミレナはぽろりと涙を零した。
けれども彼女はすぐに頬を拭って、ふるふると頭を振ってみせる。
「わたしの方こそ、カミラさんにはいくらお礼を言っても足りないです。たくさん迷惑かけてごめんなさい……」
「迷惑だなんて思ってないわ。私は私の好きなようにやっただけ。で、明日も好きなように暴れてくるから期待してて」
ほの青い月明かりの中でカミラはニッと笑ってみせた。
それを見たミレナもようやく微笑みを取り戻す。
「じゃ、私はもう行くから。名残惜しいけど元気で。ジーノにもよろしく」
「はい。カミラさんもお気をつけて。わたし、待ってますから」
「え?」
「またいつかお会いできるのを、楽しみに待ってます」
祈るような、待ち侘びるようなミレナの言葉にカミラは笑顔で頷いた。
そうして再びフードを被り、手を振って別れを告げる。背中にミレナの視線を感じながら歩き出した。路地を少し南へ行くと、横道からすっと現れた人影がある。
「……別にひとりでいいって言ったのに」
「そういうわけにもいかないだろ」
ぶっきらぼうにそう言って、直前まで物陰で待機していたイークが並んだ。
立ち止まって振り向いてみても、もうそこにミレナの姿はない。
◯ ● ◯
「で、何がどうしてこうなったんだ?」
と、目の前で腕と足を組んだイークに詰問されてカミラは目を泳がせた。
──おかしい。
ついさっきまでは自分がああしてイークを詰問する側だったはずだ。なのにどうしてこうなったのか。それもこれもあのウォルドとかいう大男のせいだ。
ことの発端はカミラがミレナのもとを訪れる一刻(一時間)ほど前のこと。
ウォルドから渡された手配書によって自分がいつの間にか黄皇国全土に悪名轟く大罪人になっていたことを知ったカミラは、地下水路の奥に設けられた小部屋に軟禁されて、イークの呆れと怒りが混じった視線に晒されていた。
今の彼の質問に「いやあ、なんででしょうね、私にもさっぱり分からないんですよ~」なんて馬鹿正直に答えようものなら、間違いなく平手打ちが飛んでくる。
この幼馴染みは昔からそうなのだ。兄のエリクが過剰に甘やかすからと自分まで兄貴面をして、何かあるとすぐにカミラを引っ叩く。怒鳴りつける。ひどいときには叩きのめす。そして彼自身、エリクの制裁を受けて半殺しの憂き目に遭う。
だが生憎今はそのエリクが傍にいない。
よってイークはカミラを叩きたい放題だ。それはまずい。いくら三年ぶりに感動の再会を果たしたからって、何もそこまで昔のままに再現しなくていい。
だからカミラは必死に言い訳を探した。が、郷を出てから今に至るまでの経緯を訥々と話すうちに、誤魔化しがきかなくなって全部バレた。
つまり、行く先々で黄皇国軍とのトラブルに巻き込まれてきたこと。そしてジェッソでも昨夜ひと騒動起こしたあとであり、ここへ来たのはそこで知り合ったミレナという少女に義理立てするためだということ等々、とにかく全部だ。
「……お前が昔からろくでもないことをしでかすやつだってのは分かってたつもりだったが……」
とやがてカミラが何もかも白状し終えると、粗末な木の椅子に座ったイークはひどく落胆した様子で目頭を押さえた。いやいや、泣きたいのはこっちの方ですよ、だってこんなの理不尽じゃあないですか、とカミラは思う。自分は大好きな兄を探して黄皇国を訪れただけの異邦人だ。なのにたまたま旅先で見かけた腐れ軍人または腐れ役人どもにちょっと喧嘩を売っただけで全国指名手配なんて。
しかも罪状は『反乱軍への加担及びそれに伴う反逆行為』ときた。そんなの言いがかりにもほどがある。カミラは今日ここに来るまで一度だって反乱軍と接触したことなんてないし、そもそも黄皇国の王に忠誠を誓った覚えなどない。
今も昔もカミラが忠誠を誓うのはただひとり、最愛の兄エリクだけだ。
「あのな、カミラ……今更言うまでもないと思うが、今の黄皇国じゃ異邦人だろうと何だろうと、国に盾突いたやつは全員罪人なんだ。やつらはそのための理由なんか平気ででっち上げる。お前の場合もそうだ。やりすぎたんだよ。だから連中に目をつけられた」
「い、いや、でもね? 〝反逆罪〟とかいうのは本来異邦人には適用されない罪のはずでしょ? そこんとこをきちんと証明できれば、手配書は何かの間違いでした~ってことに……」
「なると思うか? お前の言う腐れ軍人どもが仕切ってるこの国で?」
「てへへっ、なるわけないですよねー!」
カミラは悪気がないことを示すために、拳で頭をコツンとやって無邪気さをアピールしてみた。が、懸命の試みはかえってイークをイラッとさせる結果に終わった。まったく彼には昔から冗談が通じなくて困ってしまう。もっとも今は冗談を言ってる場合じゃないことくらい、カミラも分かってはいるのだけれど。
「だけどやっぱりおかしいわよ。私には難しいことは分かんないけど、役人や軍人っていうのは国民の暮らしをよくしたり守ったりするためにいるわけでしょ? なのにあいつらはどこに行っても大きい顔して、民から物を取り上げたり暴力を振るったりしてる。それを正しい形に戻そうとするのがどうして反逆罪なの?」
と、ときにカミラが至極当然の疑問を呈すれば、イークは難しい顔をして押し黙った。カミラは今まで国家というものに属したことがないから、本当のところがどうなのかは分からない。けれども幼い頃、族長のトラトアニが話してくれた国というものの形は本来そういうものだったはずだ。少なくとも今から三百年以上前、カミラたちの故郷を飛び立った優しき竜騎士が築いた国は。
「俺も最初はそう思ってたけどな。今の黄皇国じゃそんな正論は通用しないんだよ。ここじゃ腐って歪んだ今の形が当たり前になってる。この国は長い歴史の中で、色んなもんが複雑に絡み合っておかしくなっちまったんだ」
「でも国がそういう風になったとき、間違いを正して民を導くために王様ってのがいるんでしょ? 黄皇国の王様は今どこで何をやってるの?」
「現黄帝のオルランド・レ・バルダッサーレは政治を放棄した。つまり国の舵取りを投げ出したってことだ。俺も詳しいことは知らないが、何でも愛人のご機嫌取りに現を抜かしてるって話でな。そっちの方に忙しくて、今はもう国政を見てる暇もないんだと」
「……これだから男って」
最低、と続けようとして、カミラはすんでのところで思い留まった。何しろ男という言葉でひと括りにしてしまうと、そこには自ずと兄のエリクも含まれてくる。
だが少なくともエリクは女の色香に惑わされるような凡愚ではない。カミラは自分の役割も忘れて淫蕩に耽る暗君と兄を同列にして語りたくなかった。そんなことをすれば兄が穢れる。強くて高潔で、まるで一本の美しい剣のようだった兄が。
「とにかくそういうわけだから、この国に温情を期待するだけ無駄だ。だがウォルドの話を信じるなら手配書が回ってきたのは今日の夕方で、だとすればこいつはジェッソの郷守が勝手に作ったものだって可能性が高い。真偽はどうあれ、反乱軍って名前が載ってる手配書については逐一救世軍が情報を集めてるしな。こんな手配書を見たのは俺も今日が初めてだ」
「じゃあ手配書が町の外に出る前に食い止められれば、私の安泰は保証されるってこと?」
「ああ。お前が今後黄皇国内で一切騒ぎを起こさず、大人しく郷に帰るならな」
「それはイヤ」
「……何だって?」
直前までウォルドが持ってきた手配書に目を落としていたイークが、ぴくりと片眉と視線を上げた。が、彼から注がれる剣呑な眼差しにも怯まず、カミラは姿勢を正して言う。
「私はお兄ちゃんを見つけるまで郷には帰りません。ついでに言えば、目の前で悪党が好き放題やってるのを見て見ぬふりできる自信もありません」
「だから帰れと言ってるんだ。エリクの消息についてなら、俺が救世軍の情報網を使って探っておいてやる。で、何か分かればすぐに郷へ知らせをやる。それが誰にとっても最善の方法だろ。お前が族長の許可もなく勝手に郷を飛び出してきたってんならなおさらだ」
「何と言われようとイヤなものはイヤ! 私は必ずお兄ちゃんを見つけて帰るってタリアクリに誓ったの。郷の掟のひとつにあるでしょ、始祖の霊に立てた誓いを破ってはならないって」
「ああ。だが掟の対象になるのは見届人の前で手順を踏んできちんと宣誓されたものだけだ。お前は──」
「見届人ならアクリャに頼んだから。もちろんちゃんと宣誓の儀式の手順も踏んだし。だから私は郷には帰らないわ。始祖との契りを果たすまで」
イークはついに頭を抱えた。両手を額に当てて椅子の上に屈み込んでいる。カミラが一度こうなると決して折れないことを、彼は身をもって知っているのだ。
「お前……よりにもよって族長の娘を誑し込みやがって……」
「だってそうでもしなきゃ誰も許してくれないんだもの。私はただお兄ちゃんの無事を確かめたいだけなのに」
「それは郷の外がこんな状況になってるから、お前の身の安全を考えて──」
「分かってるわよ。だけどたったひとりでお兄ちゃんの帰りを待ち続けるくらいなら、体を切り刻まれた方がずっとマシ」
あの苦しみに比べたら、この世のいかなる苦しみも苦しみの内に入らない。
カミラがそう言い放ってうつむくと、途端に部屋には静寂が落ちた。
向こうで流れているはずの水音すら遠い。その静寂がひとりで過ごす夜の孤独を想起させて、カミラはきゅっと唇を噛み締める。
「……イークには分からないでしょ? 郷を出たまま何の連絡もない家族を三年も待ち続ける気持ちなんて。毎日毎日、今日こそはお兄ちゃんが帰ってくるかもしれない、イークだって戻ってくるかもって自分に言い聞かせながら三人分の食事を作って、部屋も掃除して、着る人のいない服を洗ったりして……そして夜が来るたびに、ああ、今日も帰ってこなかったってがっかりしながらひとりで眠るの。次の日も、その次の日も、ひたすら同じことの繰り返し。そうやって、ずっと待ってた……」
今日こそは。今日が駄目でも、明日こそは。
そうして自分を騙しながら待ち続けた三年間だった。
待っていたのは兄だけではない。今、目の前にいるイークにしてもそうだ。
イークはもともと父がなく、母親も彼が十四のときに流行り病で亡くなった。
そして二年後にはカミラの父も賊に襲われ命を落としている。男手ひとつでカミラとエリクを育ててくれた、ちょっとお茶目で、だけど頼れる父だった。
以来カミラとエリクとイークは身を寄せ合ってひとつの家族のように過ごした。
小さな集落であるルミジャフタは、そもそも郷全体が大きな家族のようなものだけれど、中でもエリクとイークの存在はカミラにとって特別なものだった。
そんなふたりの帰りをただただ待ち侘びた日々。
そうしながら少しずつ、不安と孤独と静寂に蝕まれていった日々。
「……ねえ。イークはなんで救世軍に入ったの? どうして今まで一度も連絡くれなかったの?」
「……」
「郷のことなんて忘れてた? 私や、お兄ちゃんのことも──」
「違う。俺が反乱軍に入ったなんてことを知らせたら、郷が大騒ぎになると思った。お前らに余計な心配をかけたくなかったんだ。……巻き込みたくなかった」
カミラは足もとへ向けていた視線をわずかに上げた。
イークは眉を寄せたまま、明後日の方角を向いている。
「だったら、なんで救世軍なんかに入ったの」
「言ったろ。俺にも色々あったんだよ」
分かってくれとは言わないけどな。そう言ってイークは再び手にした手配書に目を落とした。彼の眉間にはやはり皺が寄っている。昔から不機嫌そうな顔ばかりしている男だったけれど、郷を出て三年が経った今も変わっていない。
そんな昔のままの彼を見つけて安堵する反面、カミラは急に悲しくなった。
だって自分だけ時間が止まっているみたいだ。
カミラはこの三年間のイークを知らない。三年前まではいつだって傍にいて、同じものを見て、同じものを感じていたはずなのに。
「とにかくその件は今は置いておく。お前が郷に帰るにしろ帰らないにしろ、まずは手配書の問題を何とかするのが先だ。俺たちは明日の夜、ジェッソの郷庁を襲撃する。そこで郷守の首を刎ねれば、こいつが全国に出回るのをギリギリ食い止められるだろう」
「なら、私も作戦に参加する」
「何?」
「さっき話したでしょ。ジーノって子のお父さんがジェッソの郷守に殺されてるの。放っておいたらあの子、きっとひとりでも郷庁に突っ込んでいくわ。第一手配書の件は私の問題だし、それならジーノの代わりも兼ねて私が──」
「──ダメだ。お前はほとぼりが冷めるまでここに身を隠してろ。これは俺たち救世軍の仕事だ」
みなまで言い終える前にバッサリ切られた。
取りつく島もないイークの態度に、カミラはみるみる頬を上気させる。
──ダメって何よ。そんなのってある?
ただでさえこの三年間、ひとりだけ除け者にされてきたのに!
「待ってよ、私だって戦えるんだから作戦に加わったっていいでしょ? あのウォルドとかいうでっかい人もそう言ってたし!」
「あいつの言うことは真に受けるな。だいたい無関係のお前をこんなことに巻き込んだりしたら、次にエリクと会うとき俺が殺される。だから今回は大人しく──」
「だったら入る」
「は?」
「私も救世軍に入る。そしたら〝無関係〟にはならないでしょ?」
というようなやりとりがあって今、カミラはイークとふたり、月明かりの下を歩いている。あれからイークには散々反対されたが、カミラは救世軍加入の意思を曲げなかった。イークはイークで絶対に認めないと言い張っていたものの、だったら今後もひとりで勝手にやらせてもらうとカミラが飛び出す素振りを見せたら慌てて制止し、結果、折れた。たぶん彼のことだから、このままカミラをひとりで旅させるよりは目の届くところに置いておいた方が無難だという判断に至ったのだろう。
どちらにせよ黄皇国に目をつけられる可能性が高いなら、救世軍という後ろ盾があった方が断然いいに決まっている。だがそんな決断を下したことを彼は若干後悔しているようで、今もまた深々とため息をついていた。
カミラはその聞こえよがしの嘆息にむっとして、横からイークを睨めつける。
「何よ、いつまでも辛気臭いため息ついて。こっちまで気持ちが滅入るからやめてくれる?」
「誰のせいだと思ってるんだ……」
心底恨めしげな口調で、イークはうなだれながらぼやいた。
が、カミラは何も聞かなかったことにして、ツンと顎を上げてみせる。
「だってイークが言ったんでしょ、救世軍の情報網を使えばお兄ちゃんの消息を探れるかもしれないって。第一何と言われようと私は郷に帰らないから。それでまた黄皇国軍に追われることになるなら、救世軍に入ろうが入るまいが同じじゃない」
「あのな、これはそう単純な話じゃないんだよ。救世軍に入るってことは、今度こそ面と向かって黄皇国と敵対するってことだぞ。そうなれば郷にだって戻れない。黄皇国の追及も今まで以上に厳しくなるし、戦になれば目の前で仲間が死んでいく。お前には自分以外の誰かの命を背負って戦う覚悟があるのか?」
──覚悟。そう問われて、カミラは一瞬言葉に詰まった。
目の前で仲間が死んでいく……いや、それだけではない。死んでいくのは敵だって同じだ。戦となれば今までのように相手の心折れるまで叩きのめしてハイ終わり、では済まされない。殺さなければ殺される。しかしカミラは魔物や竜人を仕留めたことこそあれ、人間を殺めた経験はまだ一度もなかった。
果たしてそんな自分にイークの言う覚悟を決めることができるだろうか?
分からない。少なくとも今、軽々しく「決められる」なんて言っていいものじゃないと思う。だけど心の準備ならできているつもりだ。カミラだっていつまでも世間知らずの子供じゃない。数ヶ月間ひとりであちこち旅をして、色んなものを見てきた。聞いてきた。感じてきた。だからこそ言えることがひとつだけある。
「でも私は神術使いだから」
「あ?」
「うちの郷ってさ。初代族長のタリアクリが神術使いだったから、郷の人はみんな神術が使えて当たり前って感じでしょ? でも実際は、生まれながらに神術使いとしての素質がある人間は十人いたら一人いるかいないかだって旅の間に教わった。だから重宝されたのよ、ラムルバハル砂漠を渡るのに」
言いながら、カミラは革の手套を嵌めた自身の右手の甲を撫でる。
そこにある火刻は、命と引き替えにカミラを産み落としてくれた母の形見なのだと昔エリクから教わった。死の砂漠を渡るとき、カミラを守ってくれたのもその火刻だ。右手に宿る火の神エシュの力がなかったら、カミラたちは腹を空かせた竜人がうろうろしている死の砂漠を渡り切ることなどできなかっただろう。
「あのときは結局傭兵から五人も犠牲者を出しちゃったけど、隊商に加わってた商人はみんな無事に送り届けることができた。そこで初めて分かったの。神術を使えるって郷の外ではすごく有利なことなんだって。神術使いの力があれば、たとえ全員を守りきるのは無理でも、少しは戦いで死ぬ人を減らせるはず。それって救世軍にとっても悪いことじゃないと思うけど?」
というかむしろかなりおいしくない? と言うように、カミラは横からイークの顔を覗き込んだ。目の合ったイークはちょっと気色ばんだが、何も言わない。否定はできないということだ。
「仲間を失うのが怖いなら、守れるように強くなる。強くなればその分黄皇国兵だって蹴散らせる。郷に帰れないのは、まあもとから覚悟してたからよし。それに──」
言いかけて、しかしカミラは先の言葉を飲み込んだ。不自然に口を噤んだのが気になったのかほどなくイークが顔を上げ、不審そうにカミラの横顔を眺めてくる。
「それに、なんだ?」
「いや、だから、えっと……なんでもない」
「はあ?」
「な、なんでもないったらなんでもないの!」
──それに、救世軍に入ればイークの傍にいられるし。
とは口が裂けても言えなくて、カミラは強く地を蹴った。そうしてみるみる赤くなる顔を見られまいと、ずんずん歩調を速めていく。
後ろからイークの呼び止める声がしたが構わなかった。
明日からはひとりじゃない。今はそれだけで充分だ。