表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第4章 君を忘れないために
127/350

125.種明かし

 対面したセルジョ・ブランチは、丸々とした子豚のような男だった。

 いや、これは決して失礼な意味ではない。ただ生まれて間もない子豚のように愛嬌があり、無害そうだという意味だ。

 そこはソルレカランテの貴族街にあるブランチ邸。ヴィルヘルムの仲介で彼の屋敷へと招かれたジェロディたちは、現在くだんのロメオの到着を待っていた。

 聞いたところによればロメオはこのセルジョの甥で、住居は別だがかなり親しい交わりがあるらしい。だからセルジョは一行とロメオの双方を自邸に招き、自らが仲立ちとなって間を取り持とうと提案してくれたのだ。


 ところがそのセルジョは目下、ジェロディたちの目の前でしきりに汗を拭っていた。背の低い卓を挟んで長椅子に座した彼は、心なしか土気色の顔をしている。

 まあ、無理もない。何故なら直接招かれたヴィルヘルム以外、一行は全員が外套で顔を隠し、物々しい空気で彼と向かい合っているのだった。

 理由は言わずもがな、こちらがお尋ね者だからなのだが、セルジョはヴィルヘルムの後ろに居並ぶジェロディたちから無言の圧力を感じているらしい。


 事前に「連れがいる」と伝えてはいたものの、まさかセルジョもかつての将軍が顔を隠した怪しい集団を連れて押しかけてくるとは思ってもみなかったのだろう。おかげで時間が経てば経つほど彼の口数は減り、代わりに手巾へ手を伸ばす回数が増えている。生え際が後退しつつある額には常に珠のような汗が浮いている状態だ。


「しかし遅いな、そのロメオというのは。先方にも運神の刻(十時)にこちらで落ち合うという話は伝えてあるのだろう?」

「え、ええ……お待たせして申し訳ございません。彼の家は現在、ちょっとした問題を抱えておりまして、お、遅れているのもそれが理由かもしれません」


 恰幅のいい体を可能な限り縮こまらせながら、セルジョは申し訳なさそうに何度も頭を下げた。初対面の時点で温和そうな人物だという印象は受けたものの、加えてかなり腰が低いらしい。

 一応肩書きは翼爵――つまり上から二番目の爵位を持つ貴族のはずなのに、この卑屈さは何だろう。本来なら翼爵家の屋敷にこんな格好で上がり込んでいるジェロディたちの方が恐縮すべきなのだが、彼は他の貴族のように婉曲な攻撃をするでもなく、まるで生まれたときから刷り込まれてきたみたいに平身低頭を繰り返すばかりだった。


「まあ、一国に仕える貴族ともなれば、誰しも多少の問題を抱えているものだとは思うが。それにしても気になるのは、貴殿を名指ししたブレナンという女のことだ。やはりこの名に覚えはないか?」

「え、ええ、失礼ながらまったく……先日ヴィルヘルム殿にお話を伺ってからというもの、私もあれこれ記憶を辿ってみてはいるのですが、やはりブレナンという女性には覚えがないのですよ。古くから屋敷に仕えてくれている者たちにも尋ねてみたものの、知っているという者は一人もなく……」

「ではロメオはなんと言っている?」

「そ、それが、ロメオもそのような女性の名は記憶にないと言うのです。一応彼も屋敷の者たちに確認してみると申してはいましたが……」


 と、目の前で交わされるヴィルヘルムとセルジョの会話を聞いて、ジェロディは目を丸くした。セルジョがブレナンを知らないという情報は例の夜会の直後に聞いたものの、ロメオまで知らないとはどういうことか。

 一行がコルノ島を発つ間際、ブレナンは確かにロメオのことを〝自分を知る人物〟だと言っていた。だからこそジェロディたちも危険を冒し、わざわざソルレカランテへ戻ってきたのだ。


 だのにそのロメオがブレナンを知らないとなると、ジェロディが今も懐で温めている手紙は行き場をなくしてしまう。しかしこの手紙をロメオへ届け、返事を受け取らなければブレナンの協力は得られない。

 ……いや、あるいはブレナンの狙いは初めからそれだったのか?

 手紙はあくまでジェロディたちを追い払うための口実で、初めから協力するつもりなんてなかった。だから覚悟を示せとか何とか適当な理由をつけて、自分たちを死地へ送り込んだ……?


 まったく同じ予測を立てたのかどうか、隣のマリステアがそっとジェロディの外套を引っ張ってきた。互いの表情はフードに隠れて見えないが、彼女が不安そうにしているのは気配で分かる。

 しかし今回ばかりはどう反応したものか分からず、ジェロディはわずか顎を引いて考え込む素振りを見せた。もしもこれがブレナンの仕込んだ罠だとしたら、ここに長居するのは得策ではない。

 ならばまずはその可能性をヴィルヘルムに伝えるべきかどうか、ジェロディは数瞬迷った。結論を出すのはロメオが到着してからでもいいのかもしれない。


 だけどもし彼がなかなか姿を見せないのにも、何か理由うらがあるとしたら――?


「あ、あの」


 ――やはり一度仲間と話し合うべきだ。

 ジェロディがそう判断した刹那、まったく同じタイミングで、突如カミラが声を上げた。人前では極力口をきかないようにと、ヴィルヘルムから事前にきつく言われていたにもかかわらず、だ。

 応接室の空気がざわついた。皆もカミラの行動に虚を衝かれたようだった。

 彼女の目はまっすぐにセルジョを向いている。横顔はやはりフードに隠れて見えないけれど、分かる。


「す、すみません。こんな格好で、失礼ですけど……じ、実は私、ずっと気になってることが――」

「――旦那様。エリジオ様がご到着なさいました」


 ところがカミラの言葉を遮って、今度は部屋の外から声がした。どうやら屋敷の使用人が客人の来訪を知らせに来たらしく、カミラも慌てて口を噤んでいる。


「おお、やっと着いたか。通してくれ」


 他方、セルジョは大層安堵した様子で、やや腰を浮かせながらそう答えた。……だけど待ってほしい。〝通してくれ〟というのは応接室ここへ通せという意味か? しかし使用人が告げた名は〝エリジオ〟で、〝ロメオ〟ではなかったはず――


「失礼致します」


 次いで扉の向こうから聞こえたのは、若く涼やかな声だった。

 いや、若いなんてものじゃない。

 この声質は自分と同じ、声変わりしたばかりの……。


 驚いている間に扉が開いた。

 現れたのはジェロディと歳も背丈も変わらない、白皙の少年だった。

 一目で良家の子弟と分かる錦のベストとスカーフタイ。その上に爽やかなスカイグリーンの上着を羽織り、足元は刺繍入りの長靴ブーツで飾られている。

 それでいて表情は穏やかで、幼さを残す目元には温厚さと聡明さが滲み出ていた。長くもなければ短くもない栗色の髪は、大切に飼われる猫の毛みたいにサラサラだ。


「遅くなりました、叔父上。お待たせして申し訳ありません」

「まったくだ。待ちくたびれたぞ、ロメオ。まさかお前の家の馬車まで故障したなどと言うのではなかろうな?」

「いえ、そうではなくて、今朝突然の来客が……昼から叔父上との約束があると伝えたのですがなかなか帰っていただけず、遅参致しました」

「一体誰だ、その無礼な来客というのは?」

「オズバーン卿のところの……いえ、この話はまたあとにしましょう。そちらにいらっしゃるのがヴィルヘルム将軍ですか?」


 歳のわりにずいぶん落ち着いた口調で言い、少年はこちらへ顔を向けた。ぱっちりとした青灰色の瞳はちらとジェロディたちを一瞥したが、特に不審がるでもなく、ただ静かにヴィルヘルムへと視線を移す。


「初めまして、将軍。お噂はかねがね伺っております。既に叔父から話があったかと思いますが、私がお探しのロメオです。まずは約束の時間に遅れた非礼をお許し下さい」

「いや、それは構わんが。しかし俺の聞き間違いでなければ、先程の使用人はお前のことを〝エリジオ〟と呼ばなかったか?」

「はい。恥ずかしながら、ロメオというのは私の幼名なのです。ですが今年ようやく成人し、我が国のしきたりに倣って改名致しました――現在の名は、エリジオ・オーロリーと申します」

「お……オーロリー!?」


 瞬間、ロメオの口から飛び出した予想外の名に、ジェロディたちは揃って驚愕の声を上げてしまった。それに驚いたのかびくりと跳び上がった叔父と甥が、目を見張ってこちらを振り向いてくる。

 だが仰天の具合で言ったら、こちらが遥かに上だろう。だって姓が〝オーロリー〟ということは、この少年はフィロメーナの――


「……すまない。つかぬことを訊くがオーロリーというとあのエルネスト殿の?」

「は、はい……エルネストは私の実父ちちです。そしてここにいる叔父は父の弟、つまり旧名はセルジョ・オーロリーということになります」

「なるほど。セルジョ殿はブランチ家の生まれではなく婿殿というわけか……そうとは知らず失礼した。その、何だ、エルネスト殿とはあまり似ていないので……」

「ははは、そうでしょうとも。兄は母に似ましたが、私はどちらかというと晩年の祖父似でしてね。昔から何一つ似ていない兄弟だったのですよ。外見も、才能も」


 笑って甥の背を叩きながら、しかしセルジョはどこか寂しそうな目をしていた。丸鼻で既に髪も薄い彼からは、確かにフィロメーナとの血のつながりは感じられない。

 けれどロメオ――いや、今の名はエリジオといった――はどうだろう。よくよく見れば彼にはフィロメーナの面影がある。髪の色も目の色も彼女と同じだし、顔立ちは美少年と呼んで差し支えない部類のものだ。


 物静かながら意思の強そうな目鼻立ちも、まさしくフィロメーナの弟という感じがした。今年で成人したということはジェロディと同い年ということか。

 まさかここでフィロメーナの弟が出てくるとは思いもしなかったし、そもそも彼女に弟がいたことも知らなかったし、さらにその弟が自分と同世代と知らされたジェロディは何だか眩暈がした。

 一体何から驚けばいいのやら、他の仲間たちもヴィルヘルム以外は絶句しているらしくぴくりとも動かない。そんなこちらの反応に、エリジオはちょっと困ってしまったようだ。


「え、ええと……申し訳ありません。私もてっきり、皆さんそれをご存知の上でお会いになるのだと思っていたものですから……ですがその、私は見てのとおりの若輩者ですので、爵位などあまり気にせず接していただければ……」

「とは言えエルネスト殿が失踪した今、オーロリー家の当主はお前ではないのか。他に家督を継ぐ兄弟がいるとか?」

「いいえ。おっしゃるとおり、現在の当主は一応私です。ですが今はまだ出仕もしていない閑居の身ですし……」

「出仕していない? この国では、成人した貴族の男子には仕官の義務があるはずだろう?」

「ええ。しかし私も父に倣って、今年は官職に就くことを辞退したのです。将軍がご存知かどうか分かりませんが……当家からは、謀反人が出ているので」


 やや答えにくそうにエリジオが言い、視界の端でカミラの手が微か動いた。オーロリー家から出た謀反人というのは言うまでもない。フィロメーナのことだ。

 身内から大逆人が出たという理由で、前当主のエルネストは自ら官職を退き黄都から姿を消した。おかげでオーロリー家は連座刑を免れ存続を許されている。

 だがエリジオの反応を見る限り、いくら恩赦を受けたとは言え、残された血縁者への風当たりは今も強いのだろう。特に噂好きの貴族たちは、黄都に残ったエリジオもまた反乱軍とつながっているのでは? などと無責任な陰口を叩いているに違いない。


 だからエリジオは官職に就くことを避け、自ら謹慎する道を選んだ。

 恐らく姉と同様謀反の疑いのある自分が官位を得れば、貴族たちのさらなる反発を招くと危惧したからだ。

 大の貴族嫌いとは言えジェロディも一応は詩爵の子だから、それくらいのことは容易に予想がついた。しかし自分と歳も変わらない少年が、醜聞を欲する貴族たちに痛くもない腹を探られ、嘲笑の的となっている姿を思い浮かべると――腹の中が、じわじわと黒い感情に塗り潰されていくような気がする。


「その話ならば聞いている。お前の姉であるフィロメーナ・オーロリーは、今や反乱軍を率いて国家に弓引く大罪人らしいな」

「……」

「恨んでいるのか、姉のことを?」

「いいえ、私は――」


 反射的に何か答えかけ、しかしエリジオははっとした様子で口を噤んだ。一瞬の目の動きで、ジェロディたちの耳を警戒したのだと分かる。

 無理もない。何せ向こうはこちらの正体を知らないのだ。不用意な発言をすればまた要らぬ噂を流されかねないと身構えるのは当然だろう。

 けれどジェロディは、彼の素直な気持ちを今ここで聞いておきたかった。

 でなければ懐の手紙は渡せない。場合によってはエリジオには、救世軍再興の片棒を担がせるかもしれないからだ。


「心配するな。こいつらはわけあってこんなナリをしているが、決して怪しい者たちではない。俺も含め、ここで聞いたことは他言しないと真実の神エメットに誓おう」

「……では、お言葉を信じて申し上げますが――私は姉を恨んでなどおりません。ただ悲しいだけです。あの優しかった姉上と敵味方に分かれて戦わなければならないことが……」

「ロメオ」


 と、それを聞いたセルジョが慌てて甥の肩に手をかけた。しかしエリジオは決然と彼を顧みると、拳を握り締めて言う。


「いいえ、言わせて下さい、叔父上。僕はオーロリー家の当主として、今日まで人前で姉の罪をあげつらうことを強いられてきました。ですが、本当は……本当は姉上を責めたりしたくなかった。だって姉上はただ、愛した人と共にありたいと願っただけではありませんか。なのに……」

「だがフィロメーナはお前たち家族を捨てた。残された者が国の裁きを受けるかもしれないと知っていて、反乱軍へ奔ったのだぞ」

「そう仕向けたのは父上でしょう。ジャンカルロさんが反乱軍を率いていると知るや否や、あの方との思い出をすべて姉上から取り上げて、当てつけのように新しい婚約者まで連れてきて……!」

「そ、それは兄上なりにフィロメーナの身を案じたからであって……」

「叔父上は本心からそのようにお考えですか? あの父上が娘のために自らの手を汚すようなお人だと?」

「……」

「僕には分かります。姉上が父上を疎んじていたように、父上もまた姉上を疎んじていた。だから屋敷から追い出したのですよ。すべての罪を姉上に押しつけて」

「ロメオ」

「叔父上だって何度も言われてきたでしょう。〝オーロリー家に欠陥品は必要ない〟と。父上にとって、自らの言葉に従わない姉上は欠陥品・・・だった。だから捨て去ったのです。書き損じた手紙を屑籠へ放るように」


 エリジオのその言葉を最後に、あたりはシン、と静まり返った。

 ……何だかとんでもない話を聞かされている気がする。フィロメーナが黄都を出奔したのはエルネストによる策略だった? そんなことが本当にありえるのだろうか?


 コルノ島からジョイア地方へ向かう船の上で、エルネストという軍師がいかに非人道的な男だったか、という話は聞いた。勝つためなら手段を選ばない冷血漢――けれどそれくらいなら、軍に属する人間としてありそうな話じゃないかと思っていた自分がいる。

 だがもしエリジオの言葉が真実なら、エルネストの人格の歪みは想像を超えている。実の娘さえ目障りになれば徹底的に痛めつけ、ゴミのように捨てる。まっとうな人間ならばありえない感覚だ。


 つまりエルネストという男は、戦時平時にかかわらず、人を人と思っていない……?


 だからガルテリオと絶えずぶつかっていたのか。

 そのような非道を、あの父が黙認するはずがないから。


「……。今の言葉、信じていいんだな、エリジオ?」

「ヴィルヘルム将軍も、父のことはよくご存知なのではありませんか。昔、父はあなたのことを〝客将の分際でいちいち口を挟んでくる厚かましい男だった〟と評していましたから」

「クッ……ああ、確かにそうだな。俺はこの国の将軍たちほど人が好くないので、エルネスト殿も手を焼いただろうさ。あの男の指示を無視して好き勝手やったことも、一度や二度じゃない」

「何ともお羨ましい。私もぜひその場にいて、父の憤慨する様を見てみたかったものです」

「そこまで言うということは、お前もフィロメーナ派なのだな。ならばいいだろう――カミラ」


 と、不意にヴィルヘルムがカミラを呼んだ。それを待っていたかのように、カミラが顔を隠していたフードを外す。

 途端にエリジオたちが驚愕したのが分かった。彼らは一目でカミラの正体に気がついたようだった。

 そんなエリジオをまっすぐ見据えながら、カミラは、泣いている。


「ごめんなさい、エリジオ。あなたに伝えなきゃならないことがある。私はフィロを――あなたのお姉さんを、守れませんでした」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ