116.英雄ごっこ
気がつくと、垣根を作る湖賊の数が増えていた。
最初は百人程度だったのが、今は恐らく三百近い。頭のライリーが決闘すると聞いて方々から駆けつけたようだ。これがこの島の総勢だろうか。
彼らが作り出す輪の中にいるのはジェロディ、ウォルド、ヴィルヘルム。そして相対するライリー、レナード、ジョルジョの六人だけ。
ケリーとマリステアには、湖賊たちの輪に紛れて決闘を見届けるよう伝えた。粗暴な湖賊たちの中にマリステアを置くのはいささか心配だが、ケリーが傍にいるなら大丈夫だ。
問題はカミラの方で、彼女は〝賞品〟として未だ湖賊に捕らわれたままだった。決闘に勝った方が彼女を手に入れられるという意味でライリーがそう呼んだのだが、ジェロディはそれが気に食わない。
(あいつらはカミラを物みたいに……)
彼女がどうしてあんな無茶な取引を持ちかけたのか、彼らだって知らないわけじゃないだろう。湖賊に同情を望むだけ無駄だとは思うが、彼らの態度はとことんまで人道に悖る。
現にライリー一味は逃げるはずのないカミラを後ろ手に縛り上げ、ジェロディたちから見える位置に跪かせていた。そんなカミラを舐めるように眺める男たちのニヤつき顔には、ジェロディでさえ虫唾が走る。
あまりにも露骨で品のない挑発だった。これならまだ分別があった分、海賊の方が断然マシというものだ。
(だけど、そのカルロッタの名前を出したのは正解だったな)
東の海に浮かぶピエタ島で対峙したとき、カルロッタは確かちらりと湖賊を話題に上げていた。さっきはそれを思い出してカマをかけてみたのだが、どうやら当たりだったらしい。
見たところライリーはプライドの高い男で、見下されたり侮辱されたりすることを極端に嫌うようだった。こういう相手は御しやすい。ただし倫理観の欠如したならず者は節度や常識など軽々と超えてくるから、そこだけは警戒しておくべきだろうけど。
「よし、じゃあとっとと始めようぜ。言っとくがこっちは一切手加減しねえ。ああ、あとさっき言い忘れたが、この勝負に神術はナシだ。男は腕っ節が立ってなんぼだからなァ」
鍔のない刀を無意味に振り回しながら、やけに愉しげにライリーが言った。神術はなし……と言われると少々不安だが、向こうはカミラを人質に取っている。逆らうわけにもいかない。
とは言え両脇に控えたウォルドとヴィルヘルムはそもそも神術を使わないから、ライリーが設けた追加ルールはジェロディ以外には影響しないだろう。ライリーの後ろにいる二人も見るからに肉体派で、とても神術を使うとは思えないし。
「さあさあ、オレ様の斬馬斧の餌食になりてえヤツはどいつだ!?」
と、先程から猛獣のように喚いているのはレナードだった。彼の手には信じられないほど大きい刃のついた大斧が握られている。
柄はそれほど長くないもののかなり重そうで、あんなものをまともに食らったら確かに馬も真っ二つだろう。
しかし何より恐ろしいのは、そんな得物を軽々と担いだり振り回したりしているレナードの腕力だ。彼が斬馬斧を構える度盛り上がる筋肉はウォルドにも引けを取らず、豪快な髭面も相俟って鶏冠の生えた熊に見える。
「おい、ティノ。あの斧男は俺が相手をする。お前の剣であいつの攻撃を受けるのは無理だろ」
と、そこで一歩進み出たのはウォルドだった。この決闘は気乗りしないと言っていた彼も既に右手には剣を握り、無駄に吼えまくるレナードを見据えている。
そのウォルドの愛剣は、斬ることよりも叩き潰すことに特化した重量級の剣だった。刃幅もジェロディの剣の二倍はあって、なるほど、あれならレナードの攻撃も受けられそうだ。
加えて膂力や体格といった面でも彼はレナードに負けていない。とすればあの猪武者の押さえはウォルドが適任――というか、むしろ彼以外には任せられないだろう。
「ならばあちらの棍棒は俺が引き受けよう。剣で対抗するには少々難儀な相手だが、どうもあいつは始まる前から腰が引けているようだし、まあ何とかなるだろう」
と、次いで反対側からヴィルヘルムが言う。彼の言う〝棍棒〟とは他でもない、赤い頭巾を被ったジョルジョの方だ。
彼の得物は斬馬斧と同じくらい重そうな鉄の棍棒で、殺傷力を上げるためかいくつも棘が打たれていた。が、ヴィルヘルムの言うとおり何故か勝負に乗り気ではないようで、ずっと首を竦めている。
図体に似合わずつぶらな瞳の上では終始眉が下がっているし、ライリーに呼ばれたときもやや渋るような態度を取っていた。三人のうちライリーとレナードはひどく好戦的だが、もしかすると彼だけは平和主義者なのかもしれない。
「分かりました。それじゃあ僕はライリーを押さえます。何とか各自一対一の状況に持ち込んで、乱戦は避けましょう。リーチは向こうに分がありますから」
「そうだな。人が固まったところであんな武器を振り回されたらさすがに敵わん。特に危険なのはあっちの斧の方だ。上手く引きつけておけよ、ウォルド」
「へーへー。そっちこそ、あの赤頭巾がいくら無害そうだからって油断すんなよ」
「言われるまでもない」
言うが早いか、ヴィルヘルムはすらりと長剣を抜きながら歩き出した。それを戦闘開始の合図と取ったのだろう、ライリーが口角を吊り上げる。
レナードの咆吼が轟き渡った。彼は天を仰いで遠吠えのごとく絶叫すると、一人先行したヴィルヘルムへと突っ込んでいく。
だがそこへすかさずウォルドが割って入った。ヴィルヘルム目がけて振り抜かれた斧を、彼の大剣が受け止める。
二人はそのまま鍔競り合いに突入した。彼らを横目にヴィルヘルムはジョルジョと対峙する。ジョルジョも彼の敵意を感じ取ったのだろう、気弱そうにびくりと震えると、たちまちおろおろし始めた。
「ら、ライリー、ほんとにやるの?」
「やるっつーかもう始まってんだろ。おら、行けよ。あの眼帯野郎はどうやらお前をご指名らしいぜ」
「う、うぅっ……」
やはり勝負を渋っている様子のジョルジョの尻を、ライリーが無慈悲に蹴りつけた。ジョルジョはそれに押される形で二、三歩前へ出ると、引け腰のままぎゅっと両手で棍棒を握る。
「あ、あのぅ……すいません。おれ、ほんとはこういうの好きじゃないんだけど、ライリーがやれって言うから一応……」
「ああ。こちらもそのつもりだから安心しろ」
「あ、あ、ありがとう……ごめんよ、ライリーってほんと乱暴で……いつも何でも暴力で解決しようとするから……」
「そのようだな」
「し、しかもこういうとき、おれが手を抜くとライリーすごく怒るんだ。だからほんとにごめんだけど――おれも、ちょっと本気でいくね」
途端にジョルジョが妙なポーズを取った。棍棒を左手持ちに変え、それでいて何故か右手を振りかぶったのだ。
何だあれは、とジェロディは思わず眉をひそめた。しかし次の瞬間、同じく虚を衝かれたヴィルヘルムへとジョルジョが何か投擲する。
聞こえたのはけたたましい鎖の音。豪速すぎて一瞬何が起きたのか分からなかったが、ジョルジョが投げたのは棍棒の柄――そこについていた石突だった。
どうやらあの棍棒は石突を自在に取り外せる仕組みになっているらしい。そしてその石突が重りとなり、棍棒の中から飛び出した鎖と共にヴィルヘルムへと襲いかかる。
「ヴィルヘルムさん……!」
並外れた膂力によって投げられた鎖は、あのヴィルヘルムにすら避ける暇を与えず彼の右手に巻きついた。利き手である右手を封じられ、ヴィルヘルムが束の間動きを止めた隙にジョルジョは突撃を開始する。
「おい、何やってんだ! だから油断すんなっつったろ!」
「いやこれは予想できんだろう……!」
レナードと競り合ったままのウォルドの悪態に答えながら、ヴィルヘルムが上体を倒した。そんな彼の鼻先を、ジョルジョが振り抜いた棍棒の棘が掠めていく。
間一髪だった。が、とっさに距離を取ろうにも鎖がそれを許さない。ジョルジョは鎖を半ばから掴み、ヴィルヘルムが間合いから逃げられないよう調節している。
しかもヴィルヘルムは右手に剣を持ったままだ。左手へ持ち替えたくても、ジョルジョが間髪いれず攻撃を繰り出してくる。
まるで人が変わったような猛攻だった。ヴィルヘルムは躱すので精一杯で、体勢を立て直せない。
「ヴィル……!」
彼の劣勢を知ったカミラが悲鳴を上げた。しかしとっさに飛び出そうとした彼女を、湖賊たちが数人がかりで地面に押さえつけている。
その光景を視界の端に捉えたジェロディは、怒りで我を失いかけた。しかし今はヴィルヘルムだ。彼を援護すべく大地を蹴る。ウォルドがレナードを止めてくれているのを確かめつつ、一直線にジョルジョのもとへ――
「おい。どこ見てんだ、お前?」
「――!」
刹那、すぐ耳元で声がした。体が反射的に倒れることを選んでいなかったら、首と胴が完全に離れていたかもしれない。
波打つ刃紋を持つ刀が、閃きながら振り抜かれた。
ライリー。いつの間にか間合いにいた。
死角――ウォルドとレナードの陰から飛び出してきたのか。
ジェロディは勢いよく地面を転がってから飛び起きた。そこへ更に一太刀降ってくる。仰け反ったジェロディの睫毛の先を切っ先が掠めた。ぞっとするほど獰猛で美しい刀だ。
「この俺様と戦り合おうってときに余所見してるたあ、いい度胸だな、お坊ちゃん」
……やられた。ライリーはこちらの考えなどお見通しだと言うように、ジョルジョとジェロディの間に立っていた。
ヴィルヘルムの援護に行かせないつもりだ。だがウォルドはウォルドで暴れまくるレナードの抑止に手一杯で、持ち場を離れられそうにない。
「そんな顔すんじゃねえよ。心配しなくても、お前らはきっちり仲良く俺があの世に送ってやるって」
「……カルロッタの首に懸かった賞金は百金貨だけど」
「あァ?」
「君は確か七十金貨だよね。僕が今ここにいるのは、そのカルロッタに勝ったからだ」
瞬間、ライリーの額に再び青筋が走った。かと思えばいきなり目にも留まらぬ刺突が飛んできて、ジェロディはすんでのところでそれを躱す。
――〝怒らせて之を撓せ〟。エディアエル兵書にもある基本的な戦術だった。
まずはこれで攻めるしかない。ライリーを排除しなければヴィルヘルムの援護は不可能だ。ならば迅速に決着をつける。あの伝説の傭兵なら、何とか持ちこたえてくれるはず……!
「まったく口が減らねえガキだな……! いいぜ、そこまで言うならこの俺に勝ってみせろ!」
ライリーの怒号と共に、湖賊たちがわっと沸き立った。彼らは手に手に武器を突き出し、ジェロディたちが人垣へ近づこうものなら斬りつける意思を見せつける。
ならばこの狭い円陣の中で、何とか勝機を見つけなくては。ジェロディはでたらめに斬りつけてくるライリーの攻撃を躱しながら隙を探った。
だがその〝でたらめ〟が思ったより厄介だ。こうして見る限り、ライリーの太刀筋には決まった型というのが存在しない。
動きに法則性がなく、奔放で、先がまったく読めないのだ。しかも無茶苦茶で秩序がない。彼の刀術は恐らく独学で極められたものなのだろう。
それでいて隙らしい隙が見当たらない。いや、隙だと思って飛び込むと思わぬ角度から反撃が来る。
現に今もライリーは、ジェロディが繰り出す斬撃を見切ると同時に刀を投げた。そうして避けた先で落ちてきた刀を掴み、ありえない体勢から切り返してくる。
「くっ……!」
ジェロディはギリギリのところで刃を止めた。鉄の噛み合う音と共に火花がほとばしる。
すぐに弾き返したものの、こちらから攻める間もなく二撃目がきた。速い。躱して反撃しようとするもすぐに三撃目。仕方なくジェロディが剣で受けたところで、刀の向こうのライリーがニヤリとする。
「どうした、お坊ちゃん? お前、言うほど強くねえなァ?」
「……っ!」
「威勢が良かったのは最初だけか? そんなんでよくあの赤服に勝てたもんだぜ……!」
言いながら、柄に両手を添えたライリーがぐぐっと刃を押し込んでくる。無理矢理鍔迫り合いに持ち込んだのはたぶん、ジェロディの背後に湖賊たちが突き出す得物が迫っているからだ。
どうやらライリーはそのままジェロディを後ろへ押しやり、手下たちの刃にかけるつもりらしかった。そうはさせまいとジェロディも両足を踏ん張るが、膂力も体格もライリーに負けている。このままでは長く持たない。
「なあ、せっかくだ。死ぬ前に一つ教えてくれよ」
「何だ……!?」
「お前、さっきあの赤いやつと一緒に黄皇国を打倒するとかほざいてたよな。つまりてめえも今は反乱軍の仲間ってことか?」
「そうだと言ったら?」
「分かんねえな。何が悲しくてあんな偽善者集団に味方してんだ? それも貴族の道楽ってやつか?」
「僕は黄皇国の腐敗から民を救うために戦うことを決めた。これは道楽なんかじゃない、救世軍にはこの国を変える意思と力がある……!」
「ぶっ……ぶわははははは! お前マジで言ってんのかよ!?」
突然ライリーが目の前で笑い出し、ジェロディは不覚にも呆気に取られた。その隙を的確に衝かれていたら、たぶんジェロディの背中は何本もの刃によって切り裂かれていたに違いない。
ところがライリーはそうしなかった。それどころかジェロディの剣を弾くと自ら離れ、腹を押さえてうつむいた。
腹痛か?とも思ったが、違う。立ち尽くしたライリーの肩は震えている。どうやら必死で笑いをこらえているようだ。……何がそんなに可笑しいのだろうか?
「ク、クク……あークソ、こんなに笑ったのは久しぶりだぜ。お前、さては箱入り息子だな? だからなんにも知らなくて、まんまとやつらに利用されてるってワケだ。いやはや無知ってのは怖いねえ」
「利用されてる……? 何の話だ。カミラたちは本気でこの国を変えようと」
「じゃあお前、やつらが起こした内乱のせいでどれだけ人が死んでるか知ってるか? 近頃治安の悪化に比例して芋の値段まで高騰してることは? そのせいで飯が食えねえ人間の数は?」
「それは――」
「ソルレカランテみたいなデカい街はともかく、田舎の農村や漁村が今どうなってるか知らねえだろ? 内乱に備えた追加徴兵で男を兵役に取られた地方の村は、働き手をなくして崩壊寸前だ。田畑はどこも荒れ放題、作物や漁の収穫は激減、なのに税も物価も上がる一方、しかも軍に取られた男どもは反乱軍に殺されて帰ってこねえ」
「……!」
「聞いた話じゃ自殺者の数は過去最高、飢饉でもねえのにあちこちで餓死者が出てるし、混乱に乗じた賊や魔物の増加も人死にに拍車をかけてる。だがその最大の原因である反乱軍は、民の死体の山に旗を立てて誇らしげにこう叫んでやがるんだ。〝我々は救民救国のために戦う正義の味方である!〟ってな!」
両腕を広げ、天を仰いで、ライリーは笑いながら絶叫した。今の彼はどこからどう見ても隙だらけで、十中八九踏み込めば斬れる。
しかしジェロディはそれができなかった。足が縫いつけられたみたいに、踏み出すことすら叶わなかった。
救世軍の戦いが、民を殺している……?
いや、違う。
だって彼らが戦わなければ、あの第四郷区の人たちは――
「要するにお前の言う救世軍ってのは、名前に実態が伴わねえ詐欺集団だってことだよ。てめえらの戦いに民を巻き込んで散々殺してるくせに、〝我々は民を救うために戦ってます〟なんて嘯いて英雄ヅラしてやがるんだからなァ」
「違う……」
「違わねえだろ。てめえらはそうやって国中を騙してる。腐れ郷守が民を虐げるのは重罪でも、てめえらの崇高な戦いのために人が死ぬのは許されるってか? そうやって真実を綺麗事で包んで誤魔化してるだけで、てめえらがやってることは国と大して変わらねえ!」
「違う! たとえ犠牲を払っても、誰かが戦わなければこの国は……!」
「だからその悲劇の英雄気取りをやめろっつってんだよクソ野郎どもが! 俺ァてめえらみてえな連中がこの世で一番嫌いなんだ! いい加減気づけよ、自分たちのやってることはただの偽善だって!」
「じゃあお前たちはどうなんだ! ただでさえ内乱で疲弊している国の民を脅して、奪って、なのに僕たちのやることは非難するって言うのか!?」
「ああそうさ! 俺は逃げも隠れもしねえ! 俺は俺のまま、ありのままの姿でこの国をひっくり返す! 誰に恨まれようが憎まれようが知ったことか! 正義の味方のふりをして、自分だけ許されようとしてるてめえらよりは数段マシだ!」
その瞬間、ジェロディは沸騰しかけていた血がサアッと冷めるのを自覚した。
――この国をひっくり返す? ライリーは今そう言ったのか。
たかが湖賊が国家転覆を目論むなんて、身の程知らずにもほどがある。大義も理想もない人間が、力だけで王になれるとでも思っているのだろうか?
……いや、違う。
たぶん自分は彼を見誤っている。だってそうじゃなければライリーは、何をあんなに怒っているんだ?
彼は救世軍のやり方が気に入らないと言っている。本当は民を虐げているくせに、それを隠して救民救国を謳う矛盾が許せないと。
まったくもってそのとおりだ。
ちょっと冷静になって考えれば、そんなの誰だって腹が立つ。
救世軍は民を欺いている。
何故って英雄のふりをしていなければ、人は集まってこないから。
『いずれその報いを受けるときが、必ずや訪れるでしょう』
刹那、ジェロディの脳裏に響いたのは、いつか聞いたフィロメーナの言葉だった。
『人はみんな、私を救世主とか聖女とか呼ぶけれど……私はそんな人間じゃないの。本当はいつだってここから逃げ出したいと思ってる、弱くて卑怯な臆病者よ』
――ああ、そうか。そうだったのか。
あのときの彼女の言葉の意味は。
彼女の真意は……。
(フィロメーナさんはたぶん、気づいてたんだ)
救世軍が抱えた矛盾に。
それから黙って目を逸らす自分のずるさと汚さに。
だけどそうしなければ戦えないと彼女は知っていた。
自分も他人も欺かなければ、この国は変えられないと。
自分はそんな彼女の何を分かったつもりになっていたのだろう。
これは誰かが為さねばならないこと。確かにそうだ。
けれど果たして今の自分に、彼女と同じだけの罪を背負う覚悟があるだろうか?
救うべき民の屍の上に、偽りの正義を突き立てる覚悟が――
「まあ、そういうワケだからよ。そろそろここらで終わりにしようぜ。てめえらのくだらねえ英雄ごっこをな……!」
碧眼に憎悪と狂気を燃やし、ライリーは突っ込んできた。
裂けるように笑んだ彼の刀が、横薙ぎに振り抜かれる。
『ジェロディ。何が正しく、何が間違っているのか。お前もそれを見極められる男になれ』
あの日、父はそう言った。
『だから私は行かなくちゃいけないのよ、ジェロディ。たとえそれが愚かな行為だと分かっていても……自分のしたことの、責任を取るために』
あの晩、フィロメーナはそう言った。
『私は行くわ。フィロの夢を叶えるために』
そしてあの朝、カミラは――
「ティノくん……!!」
自分を呼ぶ彼女の声が聞こえた。
その瞬間、ジェロディの魂は燃え上がった。
そうだ。今の僕に民は救えない。
一滴の血も流さず世界を変える力なんて、この手にはない。
だけど、僕には。
それでも守りたいものがある。救いたい人がいる。
だったら、世界は変えられなくても。
せめて手を伸ばせば届く場所にあるものは――
「――投げ出してたまるか……!」
再びあたりに火花が散った。
ジェロディが振り抜いた剣と、ライリーが振り上げた刀がぶつかった。
しかしもう鍔迫り合いには持ち込ませない。
ライリーの刀には鍔がない。
ジェロディはそれを利用することにした。
黒い柄に両手を添え、ライリーの刀を押さえたまま駆ける。
金属同士が擦れ合う嫌な音がした。
ジェロディの剣はライリーの刀の刃を滑り、一気に彼の右手まで肉薄した。
鍔がなければこの攻撃を防ぐことはできない。
ところが刹那、急に剣が軽くなる。ジェロディの狙いを覚ったライリーが、とっさに刀を手放すことを選んだからだ。
「てめえ――」
ライリーの悪態が聞こえた。
けれどジェロディは構わず、そのまま彼の懐まで踏み込んだ。
丸腰と化したライリーにそれを止める術はない。ここで仕留める。
ジェロディは頭の中を空にして、上段から剣を振り下ろした。が、
「ガギンッ……!」
と、返ってきたのは堅い手応え。ジェロディの剣は弾かれた。――打ち返し。
はっとして見やったライリーの手には、これまた鍔のない六葉(三〇センチ)くらいの小刀がある。一体どこから。
そう思って見やった彼の上着が不自然に浮いていた。
ああ、そうか。あれは背中に忍ばせてあったのか。
この男、やはりただでは斃れない。
「おいライリー、汚いぞ! 隠し武器までありとは聞いていない!」
「うるせえ、ほざいてろ! 俺たちは騎士でも聖人でもねえ、〝喧嘩は勝ってなんぼ〟の湖賊サマなんだよ!」
どこからか聞こえたケリーの声に喚き返しながら、ライリーは笑って小刀を振り上げた。それがこの男の戦いであり、矜持か。なるほど、どんな悪行も厭わないはずだ。
懐へ踏み込んだ状態から不意を衝かれ、至近距離。体勢も崩れたままのジェロディに攻撃を躱す術はない。マリステアの悲鳴が聞こえた気がした。
けれどジェロディにだって、譲れないものがある。
「だったら……!」
ジェロディは己が左腕を盾にした。
ライリーが繰り出した刃を去なすように下膊で受ける。
切っ先がジェロディの皮膚を滑った。焼けるような痛みと共に血が噴き出す。
ただしその血は、青い。
狙いどおりだった。
神の血を目の前にしたライリーの動きが一瞬、止まる。
「……何だこれ?」
最後の隙だった。
ジェロディは渾身の力で、ライリーの右手から小刀を弾き飛ばした。
再び彼が丸腰になる。そこにトドメの一撃を突き入れる。
ところがいよいよ切っ先がライリーへ届くかに見えた、瞬間、
「――ふぬぅっ!!」
誰かの気合いと共に、横から何か飛んできた。
それはぐるぐるとジェロディの剣に巻きつき動きを止める。
鉄製の重りと鎖。ジョルジョの武器だった。しかもジェロディがそちらに気を取られた一瞬の隙を衝き、別方向からレナードが突っ込んでくる。
「ぬおおおおおおおおおおおっ!!」
腹の底から雄叫びを上げ、レナードが斬馬斧を振り上げた。
巨大な刃は真下からジェロディの剣を打ち上げ、盛大に吹き飛ばす。
が、剣には鎖が巻きついていたせいで、ジョルジョの棍棒まで一緒に吹き飛んだ。一振りの剣と一本の棍棒は棒きれみたいに頭上高く飛んでいき、やがて陽光を弾きながら地面へと落ちてくる。
だがその落下音が響く頃には、ヴィルヘルムがジョルジョに剣を突きつけ、仰け反ったレナードの喉にもウォルドの剣が添えられていた。
これでもう二人は死んだも同然だ。そして今度こそ丸腰と化したライリーには、彼らを救う術がない。
「勝負あったな」
ヴィルヘルムが発した一言で、決着はついた。
湖賊たちの上げる阿鼻叫喚が、霧に囲まれた空へ吸い込まれていった。
 




