115.彼女のためなら
それはカミラがラフィ湖の南の畔、カンナの町へ入った日の夜のことだった。
今からおよそ一年前、兄のエリクを探して一人旅をしていた頃の話である。
その日、カミラはイーラ地方から船でカンナへ渡り、町外れの宿に部屋を取った。カンナはサラーレによく似た静かな町で、宿はかなり古かったものの過ごしやすかったのを覚えている。
実はそれから数日後、カミラはカンナよりさらに南のジェッソでイークと再会することになるのだが、当時はそんなことなど露知らず、日が暮れるとすぐ寝台へ潜り込んだ。翌日は早朝から町へ出て、また兄の行方の手がかりを探ろうと思っていたのだ。
ところが深夜、けたたましく鳴り響いた警鉦の音にカミラは叩き起こされた。何事かと飛び起き外を見れば、なんと町の北、ラフィ湖の畔から火の手が上がっているではないか。
初めはただの火事かと思った。しかしほどなく北から逃げてきた町民たちが、口を揃えて騒ぎ出した。
「湖賊だ! 湖賊が攻めてきたぞ……!」
と。
「――で、町の人たちが怯えて逃げ惑ってたから、私は時間稼ぎにラフィ湖へ向かったのよ。湖岸では地方軍が湖賊と戦ってたんだけど、完全に逃げ腰で……このままじゃまずいと思ったわ。私一人が加勢してどうにかなりそうな状況でもなかったし。でもそこで閃いたの。一瞬でもいいから、どうにかして湖賊の気を逸らすことができればつけ入る隙ができるんじゃないかって。それでその、港に停まってた湖賊の船を……」
「爆破したのか」
「い、いやあ、爆破って言うと大袈裟だけど、まあ得意の神術でこう、ちょちょいっと……」
「爆破したんだな」
「だ、だから、別にそこまでするつもりはなかったんだけど結果的に……」
「爆破したわけか」
「……はい、粉微塵にしました……」
コルノ島、南東の船着き場。
カミラは黒焦げになったその船着き場の前で、肩を震わせながら顔を覆った。
目の前には呆れとも憐れみともつかない表情でこちらを見つめているジェロディとマリステア、深々と嘆息したウォルドとヴィルヘルム、そして額を押さえながらうなだれたケリーがいる。一行は依然、得物を抜いた湖賊たちに囲まれたままだった。
「ちなみにお前はなんで今の今までそんな大事なことを忘れてたんだ」
「い、いや、別に忘れてたわけではなくてですね……その、実は、あのとき戦った相手がライリー一味だとは知らなくて……」
「だがラフィ湖で湖賊と言ったらライリー一味以外にいねえだろ」
「そ、そうなんだけどほら……あの当時は行く先々で色んな騒ぎに巻き込まれてたから、結構記憶がごちゃごちゃで……」
「ああ、そういやジェッソでも地方軍に喧嘩売ってたもんな、お前」
「他にも山賊退治したり悪徳傭兵団をボコボコにしたりしてました」
「こんな跳ねっ返りを四年も放置してる兄貴を恨むぞ、俺は」
半眼になったウォルドにずけずけ言われ、しかしカミラには反論の余地がなかった。あのとき戦った湖賊がライリー一味だと気づかなかったのは完全に自分の手落ちだ。しかも当時のことを一味が未だ根に持っていたなんて。
一行を取り囲んだ湖賊たちは、既に臨戦態勢と言っていいほど殺気立っている。さっきのライリーの告発で、彼らも一年前の恨みをまざまざと思い出したらしい。
おまけにカミラは今回も彼らの船を燃やしてしまった。つまりこれで二回目だ。こうなってはもはや言い逃れのしようがない――と思ったのだけど、ときにダメ元で助け船を出してくれた人がいた。ケリーだ。
「だがちょっと待て。その一年前の事件というのも、元はと言えばお前たちが堅気の町を襲ったのが原因だろう。真夜中の町に火を放っておいて、自分たちの船が燃やされたら恨み節というのは、いくら何でも身勝手が過ぎるんじゃないのかい?」
「馬鹿を言え。あのとき町に火をつけたのは俺たちじゃねえ、地方軍の兵士どもだ。やつらは俺たちの狙いが郷守の金だと分かるや否や、文字どおり煙に巻こうとしやがったのさ」
「何だって?」
「あの日カンナには第三十郷区から黄都へ向かう地方軍の輸送隊がいた。やつらが運んでたのは郷守が中央のお偉いさんに宛てた多額の賄賂だ。俺たちはそいつを横から掠め取ってやろうと夜襲をかけたんだよ。ところがあと一歩ってところで逃げられた。やつらが起こした火事とそこの女の妨害のせいでな!」
それはそれは恨みの籠もった声色で言いながら、ライリーは刀の切っ先をびしりとこちらへ向けた。もちろん彼の言い分がすべて真実とは限らない。
しかしライリーが目に見えそうなほど色濃く垂れ流している憎悪に嘘偽りはなさそうだし、今の黄皇国軍なら自国の町に火をつけるくらい平気でやりそうだから困りものだった。何よりあの日、カミラは地方軍の兵たちが湖賊に追い回されている現場を目撃している。
思えばあのとき、湖賊は地方軍ばかり執拗に狙って襲っていた。略奪をするのにやつらが邪魔だから――と当時はそう解釈したが、深夜の急襲で地方軍の意気は完全に挫けていたのだ。
だとすれば惰弱な兵士たちは放っておいても逃げ出したはず。なのにわざわざ引き止めて襲っていたのは、郷守の貢ぎ物を奪取するためだったのか……。
「おかげで俺たちは大損こくわ、町に火をつけた極悪人扱いされるわでひでえ目に遭った。てめえに舟を燃やされたせいで脱出できず、軍に捕まった仲間もいる。まったく可笑しな話じゃねえか。なあ、カミラ? 反乱軍幹部のてめえが腐れ郷守の肩を持って、俺たちを虚仮にしてくれやがったんだからな……!」
「ど、どうしてそれを……」
「ハッ、どうしてってお前、そんなの手配書を見たからに決まってんだろ? お前の顔を覚えてた仲間が、あるとき偶然手配書を見かけて届けてくれたんだよ。そいつによれば、何でもお前の首には十金貨の賞金が懸かってるらしいじゃねえか。え?」
「うっ……」
「まさかこんなガキが反乱軍の幹部とは、最初は目を疑ったが事実なら好都合。聞けばお前ら反乱軍は、先月黄皇国軍にぶっ潰されたって話じゃねえか。でもって今、軍はその残党狩りに大忙し。中央軍の動きを見る限り、ありゃてめえらを徹底的に叩き潰そうって腹だぜ」
言いながら、ライリーは刀の向こうで青い目を眇めた。よくよく見れば彼の刀には鍔がない。柄も鞘も白木で作られた剥き出しの刃だ。そしてたったいま彼が口元に刻んだ笑みは、驚くほどその刀に似ている。
「このタイミングなら軍も十金貨と言わず、お前の首に二倍三倍の額を出すはず。それでもあの日俺たちが盗み損ねた額には到底足りねえが、まあ、お前と一緒にいるってことはそこの連中も反乱軍の関係者なんだよなァ?」
「……っ!」
「ってことは、ざっと見積もって百金貨くらいにはなるか。燃やされた舟の新調費用を考えるとまだ足んねえが、こう見えて俺ァ心が広い。てめえらがここで大人しく捕まるってんなら、その分はチャラにしてやるぜ」
……まずいことになった。ライリーの考えを理解した湖賊たちは一斉に武器を構え、いつでもカミラたちを切り刻める体勢に入っている。
状況は六対百。これじゃもうブレナンに会わせてくれなんて交渉はできない。圧倒的にこちらが不利だ。戦って切り抜けようにも、カミラはさっきの大技で神力を使い切ってしまっているし。
「ティ、ティノさま……」
怯えたマリステアがジェロディの外套を掴むのが見えた。ジェロディは身構えたまま必死に思考を巡らせているみたいだ。目の動きで分かる。
――どうしよう。また私のせいだ。
スッドスクード城でのときもそうだった。自分の落ち度で皆を危険に巻き込むなんて……
(このままここで捕まったら)
事は救世軍の存亡だけでは済まない。ジェロディの身柄は魔女ルシーンに引き渡され、大神刻も奪われる。
そうなったら世界の終わりだ。ルシーンの目的が神の魂の破壊であったなら、エマニュエルは生命の根づかぬ不毛の荒野と化してしまうのだから。
(私のせいで――)
そんなのは耐えられない。エマニュエルが滅んだら、もうフィロメーナの夢を叶えるどころじゃなくなる。それだけは何としても阻止しなければ。
カミラは拳を握り、意を決した。
決意するとすぐに腰の剣を外し、歩き出す。
隣を通り抜けざま、その剣をヴィルヘルムに押しつけた。ヴィルヘルムもとっさに受け取ったところで事態に気がついたらしい。
「おい、カミラ」
呼び止める声は無視した。歩調を速め、迷わず仲間たちの先頭へ出る。
そこでライリーと対峙した。彼の刀が眼前にある。
けれどカミラは怯まなかった。初めから怖くなんてないのだ。
フィロメーナのためなら、死ぬことなんて。
「分かったわ、ライリー。そういうことなら取引しましょ」
「はあ? 取引だァ?」
「そうよ。一年前のことも今日のことも、発端は私だから責任は取るわ。だけど後ろにいるみんなは関係ない。彼らのことはブレナンさんと一緒に島から出して。もちろん無傷で、無条件に」
「話が見えねえな。それともてめえは算術もできねえ大馬鹿か? そいつらを逃がしちまったら、俺たちの懐に転がり込む金が半分以下になるんだが?」
「そうならない方法を教えてあげる。ブレナンさんと引き替えに、私をこの島に閉じ込めればいいのよ。そして外で噂を流す。〝救世軍のカミラがライリー一味に捕まっているらしい〟ってね」
「ほう?」
「そうすれば餌に釣られて救世軍の残党が集まってくる。上手くすれば総帥のフィロメーナや副帥のイークも網にかかるかもね。あの二人と私の懸賞金を合わせれば、最低でも百五十金貨。他にも残党を捕らえれば捕らえた分だけ金額は増える。つまりここで彼らを捕まえるより割りがいいってことよ」
「カミラ、それは……!」
「後ろの五人は新参なの。黄皇国にはまだ顔も知られてない。だからここまで逃げてこられた。ということは彼らを捕まえても大した功績にはならないってことよ。だったらここで網を張って、より大きい獲物を待った方がいいんじゃない?」
後ろから聞こえたジェロディの声を遮って、カミラは続けた。もちろんこれはハッタリだ。五人の中でもウォルドはカミラと同じ幹部クラスだし、フィロメーナはもうこの世にいない。
だけどライリーがその事実を知らない今なら騙せる。自分一人の犠牲で救世軍の未来がつながるのだ。
あとはジェロディたちがブレナンと共に島の外へ出て、救世軍の旗をもう一度掲げてくれればいい。彼らが無事に逃げたことを確認したら、自分は死ぬ。
そうすれば誰に迷惑をかけることもない。フィロメーナが目指した世界を見届けられないのは心残りだけれど、彼女と共に新しい国の礎となれるのなら、まあそれも悪くないだろう。
「……なるほど。よりデカく儲けるか小さく勝つか、ここで博奕を打てってことか。そいつァ俺ら博徒の得意分野だな」
「ちなみに訛りで分かると思うけど、私は南の太陽の村出身よ。だから救世軍の幹部になれたの。かつて黄祖フラヴィオを支えた神託の民、その子孫が救世軍に味方してるとなれば、トラモント人の人気を集めやすいからね」
「ほう。だから他の幹部連中もお前を助けに来ると?」
「ええ。それにもし私の利用価値がなくなったとしても、副帥のイークは同郷だから。彼なら絶対に私を見捨てるとは言わないはず」
「そりゃ大した自信だな。まさかとは思うがお前、そいつとデキてんのか?」
「……そこはご想像にお任せします」
本当は即座に否定したかったが、ここは匂わせておいた方がライリーの食指も動くはず。とっさにそう判断した結果、カミラは辛うじて是とも非ともつかない答えを吐き出した。拒否感が滲み出て、あからさまにぎこちない口調になったけど。
だけどかえってその不自然な感じが良かったようだ。おかげでライリーはすっかり勘違いしてくれたらしく、いやらしい笑みを浮かべながらついに刀の切っ先を下ろす。
「そうかい。よーく分かったぜ。つまりお前は本当に助けが来ると思ってんだな。それまでちょっと辛抱すれば、自分もここから逃げ出せると」
「……」
「だが分かってるよなあ? 見てのとおりここは男所帯だ。最近は軍の監視が厳しくて、おちおち女も買いに行けねえ。そんなところに女一人残るってことは――つまり、そういうことだぞ」
刹那、ギラリと光ったライリーの眼光に胸を衝かれ、カミラは息が詰まった。
直後に背筋を駆け抜けたのは、悪寒。改めて見渡した周囲は本当に男だらけだ。女の姿なんてどこにもない。
おまけにどいつもこいつも血に飢えた獣みたいな目をしている。ここに残れば自分はこの男たちに食い散らかされるということか。
たぶんそれは、死ぬよりもずっと恐ろしいこと。
想像しただけで心臓が潰れそうになる絶望。
だけど救世軍のためならば――
「わ……分かってる。それも全部、覚悟の上よ」
「カミラさん……!」
「だからお願い。どうかティノくんたちだけは……」
体の震えを押し殺して、カミラは言った。
正直言って滑稽だ。死ぬのはまったく怖くないのに、これからこの島で湖賊たちに嬲られまくるのだと思ったら恐ろしくて仕方ない。逃げ出したい。今すぐに。
だけどこれ以外にジェロディたちを逃がす手立てはない。そもそも自分は死ぬつもりでここに残るのだ。
だったら死に様がどんなに惨めだろうと関係ないじゃないか。大丈夫。どんなにこの身を穢されたって、フィロメーナの夢さえ守れれば……。
「ハハハハ! よし、決まりだ! そこまで言うなら乗ってやるぜ、その博奕! おいジョルジョ、交渉成立だ! 今すぐブレナンを呼んでこい!」
瞬間、放笑したライリーにいきなり腕を掴まれて、カミラは呼吸が止まるかと思った。かと思えばぐいっと体を引き寄せられ、物みたいに乱暴にレナードへと押しつけられる。
抵抗する暇なんてなかった。レナードは何か言われたわけでもないのに、すぐにライリーの意を汲んでカミラの両手を後ろに回した。そのまま痛いくらいの力で押さえつけられ、カミラは思わず小さく呻く――こいつら、本当に女を物としか思ってない……!
「おい、待て! 今の取引は無効だ! 私たちはカミラの条件を飲むなんて一言も……!」
「何でだよ、いいじゃねえか。お前らは目的のブレナンを回収できる上に、無傷で島を出られるんだ。この女に感謝しろよ、でなきゃ全員ここで死んでたんだからな!」
「ダメです、そんな! カミラさんを犠牲にしてわたしたちだけ助かるなんて……!」
「ハハハッ、だったら何だ? お前らもこいつと一緒に俺たちを慰めてくれんのか? まあ、どうしてもって言うなら俺は止めねえけどな――」
というライリーの高笑いが、突如響いた剣撃の音に遮られた。
はっとして顔を上げる。
真っ先に見えたのは、交差する刃。
目を細めて刀の背を押さえたライリーと――彼に斬りかかった、ジェロディの姿。
「……おい、何のつもりだ、ガキ」
「カミラを放せ」
カミラはぞっとした。真顔のジェロディの口から紡がれた声は、彼のものとは思えないほど低くて不穏だったから。
「馬鹿かてめえは。今の話を聞いてなかったのか? この女はてめえらを逃がすために――」
「関係ない。カミラを放せ」
関係ないわけがない。このままではジェロディたちが助かる道が永遠に失われる。それは彼も――彼らも分かっているはずだ。なのに、どうして。
ジェロディのすぐ後ろではヴィルヘルムも剣把に手をかけ、ウォルドは無言でマリステアを下がらせた。目だけ合図されたケリーは槍を抜き、マリステアを守る位置まで下がる。
「おいおい、これは何の冗談だ? せっかく成立した交渉をいきなり反故にしようってのかよ、てめえらは」
「いいや、そうじゃない。どうせならもっと有益な取引をしようじゃないか、ライリー」
「有益な取引だと?」
「ああ。僕の名前はジェロディ・ヴィンツェンツィオ。砂王国との国境を守る常勝の獅子、ガルテリオ・ヴィンツェンツィオの一人息子だ」
再び甲高い鉄の音が響いた。
ライリーがジェロディの剣をとっさに弾いた音だった。
にわかには信じ難いジェロディの告白に、さしものライリーも虚を衝かれたのだろう。彼を押し戻して距離を取ると、素直に驚愕をあらわにしている。
「ガルテリオ・ヴィンツェンツィオの……? そんなやつが、どうして反乱軍の幹部なんかと」
「信じられないならこれを見るといい。湖賊でもヴィンツェンツィオ家の家紋くらい知ってるだろう?」
言って、ジェロディは懐から取り出した何かを無造作に放った。放物線を描いてライリーの足元に落ちたそれは、銀製の懐中時計だった。
その時計についた鎖を、ライリーが慎重に掴み上げる。宙吊りになった時計はくるくる回りながら、裏面と表面を交互に見せた。
時計の表面、つまり蓋の部分に刻印されているのはカミラの知らない獅子と鷲の紋章。そして裏面に刻まれているのは、ガルテリオ・ヴィンツェンツィオの軍旗として有名な――竜護る獅子の紋章。
「……確かにこれは中央第三軍の……」
「理解してもらえたなら話は早い。君も分かるだろう、ライリー。僕は今、反乱軍の残党であるカミラと行動を共にしている。その理由はただ一つ。潰れかかった反乱軍を再興し、黄皇国を打倒するためだ」
「ティノくん……!」
「ここで僕とカミラを同時に軍へ突き出せばどうなると思う? カミラの存在は僕が反乱を企てている何よりの証拠だ。それを暴いた君たちの懐には、きっと多額の報奨金が転がり込むだろうね」
「ティノくん、待って――」
「だからこうしないか、ライリー。僕たちはこれから決闘をする。その決闘に君が勝てば僕たち全員を好きにしていい。ただし僕が勝った場合は、カミラもブレナンさんも解放してもらう。そして今後一切、僕たちには手出ししないと誓ってもらおう」
カミラの制止はジェロディに届かなかった。それどころか圧倒される。ライリーを見据える彼の眼差し、そこから溢れ出る覇気と気迫に。
これがヴィンツェンツィオの血なのだろうか。いや、あるいは神子が備える神の威光……?
どちらにせよ、今のジェロディが放つ気配は怖いくらいだ。触れたら即座に弾き飛ばされる――そんな予感がするほどに。
しかしライリーはそれを分かっているのかいないのか、まったく動じた様子もなかった。その証拠に刀の背を肩に当て、余裕綽々の顔で笑っている。
「ククク……なるほど、〝決闘〟か。いかにも良家のお坊ちゃんらしい、お行儀のいいやり方だな。だがお前、大事なことを忘れてねえか? ここは俺たちライリー一味のシマで、お前らは今百人を超える敵に囲まれてる。この状況で俺が決闘を受ける利点は何だ? そんなまどろっこしいやり方をしなくたって、こっちは力ずくでてめえらを黙らせられるってのによ」
「へえ。それってつまり、僕に負ける可能性を考慮して安全策を取るってことかい?」
「……あ?」
「僕はライモンド海賊団の船長とも決闘したことがある。彼女は正々堂々戦ってくれたよ。周りにはたくさんの部下がいて、数で僕らを押し包むこともできたのに、海賊の流儀と矜持に懸けて正面から一対一でね」
そのとき、カミラは確かに見た。ジェロディを見下ろすライリーの額に青筋が走ったのを。
途端に彼は担いでいた刀を下ろす。一見棒立ちになったようにも見えるが、あれはいつでもジェロディに斬りかかれる体勢だ。
「そうかい。そいつは聞き捨てならねえな。つまりてめえはこの俺が、あの赤服に劣ってるって言いてえのか」
「カルロッタを知ってるの?」
「ああ、もちろん知ってるとも。何せ俺は後悔してんだ。四年前、黄都であの女を殺し損ねたことをな」
ライリーの言葉の端々から滲み出る怒りは、先程カミラに向けられたそれにも勝っていた。カルロッタという女のことはよく知らないが、ライリーにとっては相当因縁深い相手らしい。
「いいぜ。そういうことなら受けてやるよ、その決闘。ただし俺とてめえの一本勝負じゃありきたりすぎてつまらねえ。どうせなら……そうだな、三対三でやるってのはどうだ?」
「三対三?」
「ああ、そうだ。ルールは簡単、三人同時に戦ってより多く生き残った方の勝ち。こっちからはこのレナードとジョルジョを出す。そっちにもちょうど野郎が三人いるようだし、悪かねえだろ?」
そう言ってライリーが顎をしゃくった先には、ジェロディの背後を固めたウォルドとヴィルヘルムがいた。が、当のジェロディは交渉の場に二人を引きずり出されると、ちょっと戸惑った顔をする。
責任感の強い彼のことだ。こんな賭けを持ちかけたからには、その責任は自分一人で取ろうと考えていたのだろう。
だからジェロディは二人を振り返ると、ほんの少し困ったように言う。
「あの……こう言ってるんですが構いませんか、ヴィルヘルムさん?」
「ああ。何度も言うようだが俺の仕事はカミラの護衛だ。このままあいつを連れ去られては、俺も困る」
「ウォルドは?」
「あー、正直気乗りはしねえがやってやるよ。ここで渋って、あとからカミラにギャーギャー騒がれるのはごめんだしな」
「みんな……」
ウォルドの言い草には若干カチンときたが、それでもカミラの心は震えた。
自分が体を張って彼らを救おうとしたように、彼らも自分を助けようとしてくれている。〝仲間〟ならごく当たり前のことなのかもしれないけれど、カミラはぎゅっと唇を結んだ。
そうだ。仲間だ。
たとえ救世軍が形をなくしてしまったって、自分にはまだ仲間がいる。
終わりじゃないんだ。
分かっているつもりで分かってなかった。
自分の命は、もう自分一人のものじゃない。
「ありがとう、二人とも。――それじゃあ早速始めようか」
再び剣を正眼に構え、ジェロディが言った。
彼が怯まず見据えた先では、ライリーが不敵な笑みを刻んでいる。