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【side:A】エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―  作者: 長谷川
第4章 君を忘れないために
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112.迷霧を抜けて ☆


     挿絵(By みてみん)




 寄せては返す細波の音が聞こえていた。

 カミラは長靴ちょうかの爪先が波に触れるか否かの水際で、じっと沖を見つめている。

 冬の陽光ひかりを鈍く照り返す、タリア湖。

 雨の神タリアの名を冠するその湖には今、霧がかかっていた。


 だけど普通の霧じゃない。まるで小さな雲が湖上へ下りてきたみたいに、ごく一部にだけ濃い霧がかかっている。

 水面みなもの上に白くモヤモヤした塊が浮いているのだ。霧の向こうの様子はまったく見えない。けれど町の人たちはあの霧の中に島があると言う。コルノ島と呼ばれる、角笛の形をしたそこそこ大きな島がある、と。


 そこはタリア湖の南にある湖畔の町、サラーレ。地図で見ると、救世軍の支部があったボルゴ・ディ・バルカと湖を挟んで向かい合っている町だ。

 けれど町の規模はボルゴ・ディ・バルカよりも二回りほど小さく、街道沿いにありながら〝パッとしない田舎町〟という印象が拭えない。一応郷庁所在地でもあるのだが、あまり栄えている印象がないのは静けさを好む保守的な住民が多いせいだろうか。


 一応町の北には小さな港があるものの、桟橋に並んでいるのは小型や中型の漁船ばかり。この町の住民は余所者がひっきりなしに出入りする水運業より、漁業や水産業で生計たつきを立てていくことを選んだのだった。

 おかげでひっそりとした町並みはどこか古臭い。建物もトラモント黄皇国によくある石積みのそれではなく、黄砂を糊に溶いて塗りたくった塗り壁のものがほとんどだ。

 唯一他の町と変わらないのは、赤茶けた瓦葺きの屋根。ただし町の南部を通る街道付近を除き、どの路地も道が狭くて薄暗いのが何だかいかにも古めかしい。


「――カミラ」


 と、ときに背後から呼び声が聞こえて、カミラはふと我に返った。

 顧みればそこにはジェロディがいる。カミラと同じく顔や身なりは外套で隠したままだけど、それでも一目で互いを見分けられる程度には身近な存在になりつつあった。


「ティノくん。……一人?」

「ああ。途中でちょっとヴィルヘルムさんと別れることになって……そう言うカミラも?」

「ええ。ウォルドが酒場に行くって言い張って聞かないから、頭に来て別行動することにしたの。馴染みの酒場で聞き込みするとか言ってたけど、どうせお酒が飲みたいだけよ、あいつ」

「まだこんな昼間なのに?」

「ティノくん。これから一緒に戦うなら覚えておいて。ウォルドに常識とか摂生とか期待するだけ無駄だから」

「あはは……そうだね、覚えておくよ」


 フードの下でジェロディが苦笑しているのを感じながら、カミラは再びタリア湖へと向き直った。

 実は先程から、湖上に浮かんでいる漁船がいくつかある。どうやら水中に網を投げ入れたり、釣り糸を垂らしたりして魚を獲っているようで、止まっている舟もあればすいすい移動を続けている舟もある。


 けれどその様子を観察していると、すぐにあることが分かった。

 この町の漁師たちを乗せた舟は、沖に見えるあの霧に決して近づかない。

 まるでそんなものなど見えていないかのように振る舞いつつ、必ず一定の距離を保っているのだ。彼らはそれだけあの霧を恐れている。


 いや、正確には霧の中身を・・・・・、か。


「……〝魔の霧〟なんて、本当にありえるのかしら」


 その光景を遠く眺めながらカミラが言えば、ジェロディもつと隣に並んで湖を見やった。コルノ島を覆う霧は魔の棲む霧だ――とは、カミラたちが今朝この町に来てから嫌というほど聞かされた噂話だ。

 曰く、あの霧は年中晴れることがなく、近づく者を呑み込んでしまう。霧の中に入って戻ってきた者はなく、最近も肝試しに行った若者たちが行方知れずで、彼らを乗せていたはずの舟だけが戻ってきた……などという怪談が生まれている始末だった。


 だから町の者たちはあの霧を恐れ、近づかない。不用意に距離を詰めれば巨大な魔物が顔を出し、霧の中へ引きずり込まれると頑なに信じている。

 唯一コルノ島に出入りできるのは、島を拠点としている湖賊だけだ。

 ――ライリー一味。

 噂によれば彼らはあの霧の中で魔物を飼い、島に近づく者を片っ端から喰わせているらしかった。霧を発生させているのも同じ魔物で、彼らの中には邪神と契約した魔人がいるに違いない、と町の者たちは言っている。


 実際ライリー一味を討伐しようと北のエグレッタ城から水軍が攻めてきたことがあったようだが、そのときも例の怪談同様、霧中に突入した軍船が空になって戻ってきたらしかった。船には戦いの痕跡はあったが死体はなく、それに恐れを成した官兵が戦意阻喪して作戦は中止されたとか。

 そんなことがあったせいで、サラーレの漁師たちはますます島に近寄らなくなった。おかげでカミラたちは困り果てている。一行の目的は今まさに、あの霧の中へ行くことだから。


「だけどまさかよりにもよって、ブレナンさんがライリー一味に攫われたなんて……」


 と、隣のジェロディも弱ったように小さくぼやく。カミラたちがその事実を知ったのは今から十日前、スッドスクード城を通過して辿り着いたドナテロ村でのことだった。


「――あれは六聖日が開けて間もない頃でした。その日突然この村にライリー一味と名乗る男たちが乗り込んできて、村人を脅しつけ、この聖堂に集めたのです。そして彼らはこう言いました。〝俺たちはブレナンというやつに用がある〟と」


 そう話してくれたのは、村で唯一の教会を預かっているという白い髪の司祭だった。村の住人のことを最も把握しているのは教会の聖職者か村長だろうと当たりをつけ、早速聞き込みへ行ったところ、カミラたちはそんな衝撃的事実を知ることになったのだ。


「ライリー一味はブレナンさんが名乗り出なければ一人ずつ村人を殺していく、と武器をちらつかせました。それを聞いたブレナンさんは我々を救うため、彼らの言いなりになって連行されてしまったのです。ですので今は、一味が根城としているタリア湖のコルノ島に……」

「なんてこった。まさか湖賊に先を越されるとはな」


 という経緯があって、カミラたちは現在サラーレにいる。そうして今朝この町に入ってから、それぞれ二人一組になって島へ渡る方法を探っているのだが、成果は芳しくない。

 島まで乗せていってくれたら大金を払うとまで言っているのに、サラーレの漁師たちは一人として首を縦に振らないのだった。元々保守的な人々が集まる町というのもあって、見知らぬ余所者のために命を張ろうなどという物好きはそうそういないのだろう。


「しかしその件、軍には通報しなかったのか。この村はスッドスクード城にほど近い。あの城の城主に知らせをやれば、多少なりとも力になってくれたはずだが」


 と、あの日司祭に尋ねたのはヴィルヘルムだったか。しかし彼の問いに返ってきた答えは、これまた不可解なものだった。


「いいえ、それが……我々もできることなら助けを求めたかったのですが、村を発つ間際、ブレナンさんが軍への通報はしなくていいとおっしゃったのです。下手に湖賊を刺激すると、村が報復を受けるかもしれないからと……」

「ははあ、そりゃまたご立派な自己犠牲の精神だな。で、以来ブレナンの生死は知れずってか?」

「いえ、一応現在もお元気に暮らしてはいらっしゃるみたいですが」

「は?」

「実は先日ブレナンさんからお手紙が届きまして……中には確かにブレナンさんの筆跡で〝コルノ島での暮らしも悪くない〟とか〝なかなか快適に過ごせているので安心してほしい〟とか、〝最近新しい野菜の苗を植え始めたから収穫が楽しみだ〟といった近況が綴られていました」

「……」


 カミラたちは実際にその手紙の内容を見せてもらったが、そこには確かにコルノ島での楽しげな暮らしぶりが綴られていた。どうやらブレナンは島での生活を大変満喫しているようで、村人たちを安心させるための狂言だとか、湖賊に無理矢理書かされたとか、文面にそんな気配はまったくなかったように思う。


「要するに、これはアレだ。そのブレナンって野郎は、どうも相当な変人らしい」


 というウォルドの結論がそこはかとなく不安を誘うものの、カミラたちは止まるわけにはいかなかった。何しろ救世軍再興のためにブレナンを頼れというのは、亡き総帥フィロメーナの遺言なのだ。

 カミラは彼女を信じているし、今は他に頼る宛もない。とすれば覚悟を決めて、あの魔霧の中へ乗り込むしかない。


 問題は舟だ。水上を渡るための足がなければ話にならない。

 しかし逆に言えば、舟さえ手に入ってしまえばあとはどうにでもなるということだ。こちらには神子たるジェロディがいるし、『百魔殺し』の渾名を持つヴィルヘルムもいるのだから。


 加えてブレナンの手紙を信じるならば、島にさえ入ってしまえば中は意外と快適らしい。正直それについては半信半疑だが、もしかしたらあの霧の向こうには思いも寄らない楽園が広がっている可能性だってある。いや、ないとは思うけど。

 だけどそう思っていないとやってられない程度には、この町の人間は余所者に冷たい。気さくなことで知られるトラモント人も、住んでいる地域によって結構性格が異なるのだなと、カミラは今更ながらにそう思った。


「だけどライリー一味は、一体どうしてブレナンさんを攫ったりしたのかしら。ドナテロ村の人たちを集めたとき、〝ブレナンというやつに用がある〟って言ってたってことは、たぶんお互い面識はなかったんだと思うけど……」

「そうだね……そもそもブレナンさんの顔を知っていたなら、わざわざ村人を聖堂に集めたりはしなかったはず。やつらはブレナンさんを知らなかったからこそ、村人を一ヶ所に集めて逃げ道を塞いだんだ。あの建物もまばらな村じゃ、すぐに山の中に逃げ込まれて面倒になると思ったんだろうね」

「でも、そうだとするとますます謎だわ。あの司祭さんもブレナンさんが狙われた理由は見当もつかないって言ってたし……」

「うん……村の人たちの話だと、ブレナンさんは数年前に余所から越してきたらしいから、村へ移り住む前に何かに巻き込まれていたのかな。だから隠れ蓑としてあの村を選んだ、とか」

「そのわりにはあの霧の中で悠々自適な暮らしをしてるっぽいのが謎だけどね」

「ああ。確かにすごく謎だ」


 考えても仕方のないことだと分かってはいるものの、やはり気になる。この一連の事件には謎が多すぎるのだ。

 ドナテロ村の司祭の話では、ブレナンはそれはそれは優しく品行方正な働き者で、村の者たちからも大変慕われていたらしかった。字の読み書きもできたようで、村の子供たちを集めては無償で文字を教え、書物の読み聞かせなどもしていたそうだ。


 何より博識で医学の心得もあり、軽い病程度なら頼めばたちどころに治してくれた、と司祭は言った。

 さすがに重篤な病気や怪我などには対処しきれなかったらしいが、恐らく薬学の知識が豊富なのだろう。山でよく薬草を採ってきては村人たちのために薬を作っていたとか。さらには自ら土いじりに勤しみ、熱心に畑を耕して、野菜や香草の栽培に情熱を注いでいたという。


(あるいはライリー一味は、医学の知識がある人を探してたとか……?)


 と推測してみるものの、だったらあんな辺鄙な村の村人なんかじゃなく、普通の医者を攫えばいい。この町にだって医者くらいいるだろうし、タリア湖を始めとする三神湖の周りには大きな町も多い。なのにわざわざ陸に上がって、あんな山麓の村を襲う必要なんてないはずだ。


「とにかく一度待ち合わせ場所に戻ってみよう。そろそろ義神の刻(十一時)になるし、みんなも戻ってきてるんじゃないかな」

「そうね」


 ジェロディの提案に同意して、カミラは場所を移ることにした。各自聞き込みに行っているはずの面々とは、町の東にある教会前で合流することになっている。

 誰か一人でも有力な情報を入手できていればいいけど……と祈りつつ、カミラはジェロディと並んで湖畔を歩いた。小さな波音が、絶えず足元を濡らしている。


 こんなときじゃなかったらきっと、タリア湖の悠大さとこの町の静けさに心洗われていたことだろう。そう言えばここしばらく、そんな穏やかな心持ちとは無縁の生活をしている気がした。

 フィロメーナを失ってからというもの、カミラの心はどこかでささくれ立ったままだ。救世軍を再興するという目的のために動いているのに、時折何もかもどうでもよくなって、どこかへ消えてしまいたい衝動に駆られる瞬間がある。


(でも、どこかって言ったって)


 どこへ行けばいいのだろう。故郷に戻ればまたひとりきりだ。

 ロカンダに残ったカールは〝つらくなったらいつでも帰ってきていい〟と言ってくれたけど、今はあの町に戻る勇気もなかった。

 何せロカンダには仲間たちとの――フィロメーナとの思い出が多すぎる。

 今あそこへ戻ったら、息ができなくなる自信がカミラにはある。


(それにロカンダへ戻ろうと思ったら、またあの城を通らなきゃいけないし……)


 と思いを馳せたところで、胸にずきりと痛みが走った。

 思わず足を止めてしまう。脳裏をよぎったのは、あの日カミラを罪人と知りながら逃してくれた将軍のこと。


「……カミラ?」


 異変に気づいたジェロディも、数歩先で立ち止まった。そのジェロディが言ったのだ。シグムンドはカミラたちの正体に気づいていて、敢えて目を瞑ってくれたのだと。


「将軍はたぶん、時間を稼ごうとしたんだ。父さんが黄都に出頭して、陛下を説得するまでの時間を。だから僕たちを逃してくれた。父さんならきっと陛下を説き伏せてくれると……僕らが陛下の暗殺なんて目論むわけがないと、そう信じて」


 あの人はそういう人なんだ、と、スッドスクード城を抜けた直後にジェロディは言った。シグムンドはガルテリオのためなら命さえ惜しくないと思ってくれている一人だ、とも。

 だから彼は顔の割れていたカミラをも逃した。あそこでカミラたちと戦闘になればジェロディの捕縛は避けられず、そうなればガルテリオの身も危ないと案じたのだろう。


 そして暗に、カミラへ郷里へ帰るよう促してもいた。救世軍が潰滅した今、生き残りであるカミラが黄皇国に留まることの危険と無意味さを説いたのだろう。

 けれど自分は、救世軍を再び立ち上がらせようとしている。

 己が処断される可能性も厭わず、捕らえるべき敵であるはずの自分たちを逃し、行く末まで案じてくれた男をも殺してこの国を滅ぼそうとしている……。


「……ねえ、ティノくん」

「ん?」

「ティノくんは言ってたわよね。腐敗した体制を正そうともしないで、ただ一方的にフィロたちを殺したこの国が許せないって」

「ああ、確かに言ったけど……」

「今でもそう思う?」

「え?」

「だってこのまま救世軍が復活したら、私たち、あのシグムンドって人も殺さなきゃならない」


 それにティノくんのお父さんも。

 カミラが小さくそう付け足せば、ジェロディは沈黙した。

 彼らを殺さずに済む方法がないとは言わない。そのときが来たら戦わずに済む道を探したいとも思う。


 だけどもしギディオンが言っていたように、彼らが国への忠誠を曲げなかったら?


 そう考えると怖いのだ。

 ジェロディは「父さんならきっと分かってくれる」と言っていたけれど。


「……そうだね。確かに僕もちょっと揺らいでるよ。だって僕はこれから、自分を手放しで信じてくれる人たちを裏切ろうとしてるんだから」

「……」

「だけど、同時に知ってるんだ。これは誰かがやらなきゃいけないことなんだって」


 ……誰かがやらなきゃいけない?

 どうして、という意味を込めて、カミラは顔を上げた。

 だって今一番苦しいのは、元から黄皇国を憎んでいた自分より、親しい知人や友人を敵に回そうとしているジェロディのはずだ。なのに、彼は……。


「フィロメーナさんが、ビヴィオでロクサーナに言ってたろ。この国には自分たちの力を必要としている人々がいる。だから自らの良心に懸けて、その声に耳を塞ぐことはできないって」

「うん」

「あのときのフィロメーナさんの言葉が、耳から離れないんだ。彼女だって国に家族や友人がいたはずなのに、それでも弱き人々のために戦い続けた。ジャンカルロさんの願いを叶えるためなら、他のすべてを犠牲にする覚悟があったんだよ」

「うん……」

「そしてあの人は逃げなかった。だから、僕も逃げない」


 じわ、と不意に視界が滲むのを感じて、カミラは足元へ視線を落とした。

 ――フィロ。今になって分かる。

 あなたがどれほどの重荷を抱えて戦っていたのか。

 その苦しみや葛藤を悟られまいと、どれだけ心を砕いていたのか。


 思えば彼女があまり家族や貴族時代の話をしなかったのは、自分が矛を向けている人たちの顔を思い出すのが怖かったからなのかもしれない。

 父親や姉とは不仲だったようだけど、彼女には確か妹や弟もいたはずだ。その家族が自分のせいで裁かれるかもしれないと知っていながら、戦い続けた。


 なのに自分ときたらどうだ。

 あのシグムンドという将軍にちょっと心動かされただけでこのザマだ。

 彼女の遺志を継ぐためには、強く在らねばならないと分かっているのに。


「それに今の僕には、フィロメーナさんがどうして逃げなかったのか、その理由も分かるから」

「……え?」

「フィロメーナさんは、何に代えても守りたかったんだと思う。カミラ、君たちを」


 目を丸くして顔を上げた。途端に溜まっていた涙が零れそうになったけど、カミラはどうしてもこらえることができなかった。

 ジェロディは微笑わらっている。何故だかフィロメーナと被って仕方ない表情かおで。


「あの日……ロカンダの地下で宴があった日、フィロメーナさんが言ってたよ。今、自分がここに立っていられるのは、カミラたちが傍にいてくれるからだって」

「フィロが……」

「フィロメーナさんだって、一人で戦っていたわけじゃないんだ。君たちがいたから戦えた。そして僕にも今、仲間がいる」

「仲間、」

「うん。同じ不安を抱えて、同じ痛みを感じて、それでも一緒に歩いてくれる仲間がね」


 だから僕は戦える。ジェロディはまっすぐにそう言った。

 それを聞いたカミラはまた顔をくしゃっとして泣いてしまう。

 だけどすぐに涙を拭って、覚悟を決めた。

 一歩踏み出し、もう一度ジェロディの隣に並ぶ。

 ジェロディもそんなカミラを待ってから歩き出した。

 二人並んで歩いていく。フィロメーナの夢を叶えるまで。


「――あ、戻ってきました! ティノさま、カミラさん……!」


 やがて湖畔から四半刻(十五分)ほど歩いた頃、義神の刻を告げる教会の鐘が鳴り響き、鐘楼の下にマリステアたちの姿が見えた。

 合流場所には既に全員が揃っている。カミラとジェロディが最後の二人だったようだ。


 外套を着たまま大きく手を振るマリステアに応えて、カミラたちも足を早めた。しかし季節もいい加減春めいてきて、遠目から見るとあんな風に顔を隠した集団がぞろぞろいるのは不自然だ。

 未だ朝夕は冷えるからその時間帯はいいとしても、真昼の今頃はひどく目立つ。これはそろそろ新しい拠点を見つけないと厳しいな、とカミラは内心痛感した。


「マリー、ケリー、どうだった、そっちは?」

「ダメですね。やはりコルノ島まで乗せてくれるという舟は見つかりませんでした。あの島やライリー一味の名前を出すだけで煙たがられて……」

「そうですか……で、馴染みの酒場ならきっといい情報が入るって豪語していらしたウォルドさんは?」

「ああ、とびきりの情報が入ったぜ。何でも最近、ミクマス商会とかいうところが神領国産の蒸留酒を格安でばらまいてるらしくてな。これがなかなかいい酒だったんで、銘柄と醸造所の名前を教えてもらってきた」

「やっぱりお酒飲んできただけじゃないのよ!」


 案の定酒の匂いをプンプンさせているウォルドに、カミラは問答無用で殴りかかった。が、酔っ払いのくせに彼がひょいと避けるので、イラッとしてさらなる追撃を加えているうちに話は進む。


「それじゃあ、ヴィルヘルムさんは?」

「ああ。俺は舟を出してもいいという男を見つけた」

「え?」

「銀貨三枚で手を打つそうだ。先方には昼食を済ませたらまた訪ねると言ってある」

「えぇ!?」


 あっさりかつ淡々と予想外の報告をするヴィルヘルムに、ジェロディたちが驚きの声を上げた。そこでカミラもようやくウォルドに殴りかかるのをやめ、慌てて話の輪へと戻る。


「ちょ、ちょっと待って。今、舟を出してくれる人を見つけたって言ったの、ヴィル?」

「ああ、そうだが?」

「町中の人がこぞって嫌がってたのに!? どういう風の吹き回し!?」

「さあ。俺も詳しい事情は知らん。だが何か訳ありで金が入り用なんだろう」

「つってもたったの三銀貨ノツァだろ? 最初に会った漁師どもは十銀貨払うっつっても無視しやがったのに、そいつはえらい安上がりだな」

「三銀貨でも庶民にとってみれば大金だろう。節約すれば一月は暮らせる額だ。まあ、俺たち傭兵にしてみればはした金だが」

「そりゃそうだがよ。なんか臭うなそいつ……」

「少なくとも今のあんたよりはマシだと思うけどね」


 勘繰るように無精髭を摩っているウォルドをひと睨みして、カミラは冷たく吐き捨てた。これまでの町人たちの対応を思えば確かに不可解ではあるものの、まったくの無遠慮に酒気を撒き散らしているこの男よりは信用できる。

 何よりこれで島へ渡る算段がついた。だとすれば今はそれに縋るより他にない。このチャンスを逃したら、もう二度とコルノ島へ渡してくれる舟など掴まらないかもしれないのだから。


「よし。そうと決まれば、急いで昼食を済ませてその人のところへ向かおう。土壇場で心変わりされる可能性もゼロじゃないから」

「そうですね。ですがあの霧の向こうでは何が待ち受けているか分かりません。腹ごしらえはもちろんのこと、可能な限り準備は万全にしていきましょう」


 慎重なケリーの言葉に、ジェロディが頷くのが見えた。カミラも彼らのやりとり見てきゅっと剣の柄を握る。

 霧の立つタリア湖をもう一度顧みた。

 ここからだといくつもの建物に阻まれ、湖上の様子は分からない。

 それでもぞわりと肌を撫でる不気味さを、カミラはサッと振り払った。

 自分たちはこれから、霧の魔物へ会いにいく。

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